「酷いものだ…」
男は思わず呟く。
見渡す限りの死体、うずくまる人々。どの顔にも笑顔はおろか涙すら無い。
「不死の公爵、か…」
この村は【不死公】イスフェルに支配されている領域にある。
毎日のように不条理に晒され、その暴威によって多くの命が失われている。
(もし吸血鬼であれば、この剣で葬り去れるが…どうも分からない。
いったいどういう原理で不死身になっているのか)
男は吸血鬼の血を引いており、己が父を殺すために旅を続ける吸血鬼ハンターだった。
不死身の魔族がいると聞いてこの地を訪れたが、これまで見てきた魔族の支配地域の中でも特に絶望的な惨状に、男は意を決した。
(吸血鬼であるかはともかく…その魔族は殺さねばならん)
そして村人の1人に話しかけた。
「聞きたい。イスフェルなる魔族はどこにいる?」
「…あっち」
婦人はかすれ声と指で、遠くに見える城を指差した。
その子供めいた幼稚な口調からは、彼女が精神の均衡を崩してしまった事がはっきりと分かった。
「やはりそうか。感謝する」
男は余計な問答を続けず即座に城へ向かって歩き出した。
村を通り抜ける途中、村人たちの視線はこの異邦人ただ1人に注がれていた。
…そして、良からぬ者・怪しげな者の視線も。
「よぉ、イスフェルを殺しに行くのか、アンタ」
襤褸布で顔を隠した妙な男が、馴れ馴れしく呼び掛ける。
「…何か用か」
「おう、用な。あるともさ。
アンタがイスフェルを殺しに行くってんなら…」
布を脱ぎ去る。
不気味にこけた頬、血走った目、削ぎ落されたかのように平らな鼻、額に並ぶ小さな角。
魔族だ。
「クケケケ…俺が送ってやらにゃいかんわなァ…」
「送る?」
「イスフェルは強いモンが好きなんでな。
お前らみたいな人間でも、強い奴なら歓迎なのよ。
…もっとも、奴隷としてだがよ」
「話が見えんな」
「つまりよー、魔族も人間も、強ぇ奴片っ端から集めて殺し合わせとるんだわ。
メインは魔族同士の殺し合いで、人間はその前座なんだが。
ライオンと戦わせたりよぉ、つがい同士でやり合わせたり楽しいんだぜェ?」
男は眉を顰め、細く息を吐いた。
「それで勧誘のつもりか?」
「へっへへへ…まさかよ。
送ってやるっつったろ?テメェの意志なんざ関係ねぇんだよ!」
どこからか血塗れの山刀を取り出し、ゆらゆらと上体を揺らし始める。
「安心しなァ…殺しはしねぇ。
手足の1本は覚悟してもらうがなァアア!!」
飛び上がり、襲い来る。
「……」
男は真紅の剣を抜き、迎え撃つ。
「キャオッ!!」
「む…!」
その猿めいた奇声に似合わぬ流麗な動きで突然背後へ回り、男を奇襲する。
しかし男も手練れ、即座に反応して受け止めた。
「やるじゃねえかァ!
そうでなきゃ招く意味がねぇ!」
「招待するなら礼儀の一つも弁えたらどうだ」
反撃の一刀、しかしその刃は魔族に届く直前で止まった。
魔族が吐いた輝く粉に触れた瞬間、肉体が麻痺し石のように硬直したのだ。
「……ッ!!」
「カハァーッ!ジッとしとれや!」
この魔族、デゴジャドールという希少魔族であった。
通りがかった人間に魔法の粉をかけ、身動きを封じたところを刃物で脂を削ぎ落として奪っていく怪人だ。
奪った脂で薬や石鹸を作って売っているという奇妙な風習を持ち、現代においては既に滅びつつあった種族だが、イスフェルがその実力を見出して連れてきたのだった。
「腕もらったァ…あ?」
剣は確かに男の右腕に食い込んだはずだった。
だが手ごたえは無く、そのまますり抜けていった。
「この力…ここまで早く使わされるとはな」
男の姿が掻き消えて、数秒後同じ地点に出現した。
「ガキがァー…ワケの分からん事しやがって、腕じゃ済まさんぞ!!」
魔族が激昂し刀を振り回す。
男は全て紙一重で避け、間合いを図る。
「ここだな」
「あ?」
そしてただ一撃で、魔族の首を刎ねた。
首は地面を転がり、血を撒いて真っ赤な轍を残す。
(吸血鬼の魔力…こんなところで使わされるとはな)
最初にして最強の吸血鬼の血を引く男は、限定的ながら吸血鬼の力をほぼ全て行使する事ができる。
たった今そうしたように身体を霧に変える事も可能だが、魔力の消費は著しい。
(魔力を補給しておくか…せいぜい1回分程度にしかならんだろうが)
地に伏す死体を素手で突き刺すと、ドクンドクンと血液を吸い上げていく。
腕から伝わる血の流動感に、思わず顔を歪めた。
(不快な感触だ。こんなものを嬉々として行うバケモノの気が知れん)
「吸血能力もあるのか、さすがダンピールだなぁ!」
「…次は何だ」
振り返ると、今度は人間の男が立っていた。
「やっと見つけたぜ。どこ行っても立ち去った後でよ、探すのに苦労したんだぜ?」
「用件を言え」
「ギルドのもんだよ。一応お前さんも傭兵だろ、仕事の依頼だ。
近々イスフェルの城を襲撃する。来ねぇか」
「…ふむ」
彼は『吸血鬼を狩る』という使命に、他者を介在させる事を好まない。
しかし、彼は以前とある少年と共闘した事があった。
(正直、あれはやりやすかった。
今回参加するのは傭兵、あの少年のように守ってやる必要もあるまい。
…ならば悪くはない、か)
「よかろう。報酬はそちらで決めろ。
ただしイスフェルが吸血鬼なら、私が必ず殺す」
「よし、決まりだ。
なぁに気楽に構えてくれ、お前さんならその魔物みてぇに刈り取れるだろ」
「気楽、か。そう見えたか」
「違うのかい?」
地面に転がった山刀を視線で示す。刀身に付着した赤と白の塊を。
「うげっ…なんじゃこりゃ」
「私の脂肪だ。適切な間合いで躱したと思ったが、この通りだ」
そう言って、男は腕を示した。そこには特段の異常も無い。
「別に何も…?あ、吸血鬼の力でもう治っちまったのか」
「それはそうだが、見ろ。血も付いていない。
いくら再生するといっても、血まで消える訳ではない。
…最初から出血していないのだ」
「つまり…皮膚をすり抜けて脂肪だけ抜き取ったと?」
「正確には、血が零れる暇も無いほどの速度と正確さで斬られたのだろう。
それでいて、内部の脂肪を削いで奪い取ったのだ。
ただの使い走りであろう魔物ですらこの技量…これはそう気楽な戦いでもなさそうだ」
「ク、クク…ハハハッ!」
傭兵ギルドの男は、苦しげに高笑った。
「だからこそ集めたんだ、この南方戦線のあちこちで暴れ回る人の姿をしたバケモノ共をな!
奴らは想像を絶する強者であるが故に、孤独な宿命の道を往く者たち。
そのせいで今まで、奴らの力は『強い傭兵』としてしか運用されてこなかった。
今回の作戦は試金石なんだよ、『人間の最上位を集めれば魔族に正面から対抗できるのか?』
その答えを知るためにな」
「そうか。お前たちは…狙うつもりなのか。魔皇の首を」
「今回の結果如何によってではあるが…そうなるかもな。
もちろんすぐさまという訳でもない。長期的な立案と準備が要るだろうが、今回はそのとっかかりになる重要な戦いになるだろうよ」
この吸血鬼ハンターにとっての最終目標は父である【赩龍王】ドラグ・ガン・ヴァインであるが、父が生み出した吸血鬼も全て狩り尽くさねばならない。
よって魔皇と人間の戦いに関わり合うつもりは無い。
「そうか。私には関わり合いの無い事だが…その試みは応援しよう」
「なんだ、手伝ってくれないのか?」
「俺は所詮、己のためにしか剣を振るえん男だ。
だが一度引き受けたからには契約は違えん。今回は安心しろ」
「まぁ何にせよ、今回の作戦が上手く行かん事にはどうにもならん。
作戦実行は2日後だ。騒ぎが起きたらお前さんのタイミングで乗り込めばいい。
その辺はそっちの判断に任せる、特に集団行動が苦手そうだからな」
「作戦というのか、それは?」
「今回は正面きっての殺し合いだ。
それに向こうは粒揃いだとしても、人数は多くねぇ。
軍同士の衝突というよりは、部隊が戦うような規模だからな」
「だが裏返せば、その程度の人数でこの村含めた広い領域を支配しているという事だ」
「…油断しないねぇ、お前さんは全く。
ま、そんなお前さんだからこそ、単独行動に近い独断も許した訳だが。
もう1人勝手にやらせてる奴もいるが、あっちはちょっと事情が違うしな」
吸血鬼ハンターは無言で背を向けた。
「もういいか?私は行く」
「ああ。期待してるぜ」
この作戦の成否によって、この一帯に住む人々の命運にとどまらず、魔皇を討つ計画が立ち上がるかもしれない。
傭兵ギルドにとって、今回の作戦に集められた傭兵たちはそれだけの価値を持つ人材なのだ。
だからこそ、それが『つまらない奪い合い』で失われた事に激しい怒りを感じていた。
(馬鹿どもが…密輸品だの、魔界七王の娘だの…余計な事にかかずらってる場合か!
依頼した時、『報酬はその分弾むから、作戦完了まで他の仕事は受けないでくれ』とあれほど言っておいたのに!
『仕事じゃなければいいんだろ』とばかりにはしゃぎやがって…!)
だが男もギルドで長く傭兵たちを扱ってきた。ただ損しただけで終わるつもりはない。
それがあの少年…【忌み屋】キルエと呼ばれる怪人物を引き込んだ事だ。
(あんなガキ1人で何か変わるとも思えんが、何かやらかしてくれるかもな。
ただのガキならいくら強かろうと参加させられないが、何しろアイツはジェト族の人間だ)
かつて戦場の主役とも言われる事さえあったかつてのジェト族を知る彼は、12歳前後の少年であっても子供扱いをするつもりは無かった。
(……いや。それも言い訳か。
何百人を死地に送ってきた俺も、子供を死にに行かせるのは後ろめたいらしい。
いいさ、地獄にならいくらでも堕ちてやる。魔皇を殺した後でな)
罪の意識も、今の彼には覚悟を強める火種にしかならない。
彼だけではない、傭兵ギルドのほぼ全ての職員が、その覚悟を決めつつあった。
決戦の日は、近い。
「主よ。ディエゴからの連絡が途絶えました」
「ん?そうか」
【灰の城】と呼ばれる魔城の玉座に、主は鎮座していた。
そこは本来玉座があるべき王の間ではなく、舞踏場である。
「ま、いい。それだけ人間側にも強者がいるということ。
楽しみが増えるというものよ」
髪の1房が触手のように動き、従者の持ってきたグラスを取る。
もう1房の髪がちょいちょいと動き、『下がれ』と命じた。
「もっとも、弱者も好きだがな。余は」
呟いてグラスを回し、深く息を吸い込む。
人間の血と悲鳴に満ちた空気を。
「ひぃいいっ、や、やめ…」
「っぐぎ、げぇええっ!」
ほとんど丸裸に剥かれた老若男女たちが、魔族に追い回されて虐殺されていく。
「血と美酒の混ざったこの芳香!どうにも堪えられんな!
貴公もどうかね、1杯飲らんか?」
「……遠慮する。連絡は済ませた」
玉座の隣、まるで同列に位置する者であるように堂々と立つ者がいる。
「そうか?魔界七王たる貴公は、普段居城を離れられんだろう?
たまさか気を抜いてもよかろうが」
「そうだ。私は魔皇陛下の傍を離れん。
その私が陛下の代行者として、直接貴様に命を授けに来た意味を考える事だな」
表情も穴もない仮面を被った有翼人型の魔物が、無感情に囁き返した。
【宣命王】と呼ばれしその王は、魔皇が降臨してから1000年の間…人間と戦争になるより遥かに前から仕え続けていた。
「余は魔皇などより、よほど貴公に興味があるのだがな」
「…陛下を愚弄するか?」
「おう、愚弄しとる。気に食わんなら、粛正せねばなァ~?」
「………」
「………」
【不死公】と【宣命王】、二人の魔雄の間に見えざる殺気の閃光が弾ける。
「ヒッ…ゴボボッ」
生き残っていた人間が、その凄まじさに当てられて絶命した。
「…野良犬でもあるまい。誰彼かまわず噛みつくな」
「相手は選んでいるつもりだぞ、余は」
「そんな事をしている場合か?
…狙われているのだろう、人間どもに」
「!!」
王は翼を広げ、自らの身体を包んだ。
「ではな」
姿は瞬きする間に消えた。
「ククク…さすがに乗っては来んか…」
突然イスフェルの頭部がゴロリと落ちる。
「…おっと」
地面に着く前に身体がキャッチした。
そのまま首の上に乗せると、数秒で継がれた。
「いかんいかん…まだ届かんか。
【宣命王】はその存在の旧さからして、魔族にとっても伝説上の英雄と大して変わらない扱いになっている。
その伝説曰く、『魔皇は邪神の生まれ変わりである。その傍に侍る者、これを【宣命王】と呼び、邪神の血を引く者なり』と。
「一撃入れるのがやっととはな…ククク、天は遥かに遠いな!」
イスフェルは心から愉快そうに呵々と笑った。
一方、魔皇城の帰途に就く【宣命王】は、翼をはためかせながら思う。
(不覚の極み。神たるこの身が傷つけられるとは。
永く戦から離れ、痛みを忘れた報いか…)
チラリと見たその右腕からは、血がだくだくと噴き出ていた。
(こと殺し合いにおいて奴ほど長けた者はおるまい。
もし奴が敗れたとあらば…いや。人間ごときが成し得るはずもないか)
王はそう思い直した。
侮りではない、正確な戦力比較である。
…そのハズだった。
〈つづく〉