(早く!)
ボガは剣を咥え、四足で森の中を駆ける。
突如として狂乱した薬物中毒者たち。
その混乱を予知していたかのようなタイミングの、魔族の襲撃。
全ての謎を明かし、事態を終わらせるため。【獣剣】と呼ばれる英雄はただ真っすぐに進む。
(街外れの森に、怪しい連中が住む屋敷があるという。
まずはそこに行ってみるしかなかろう!
この非常事態だ、憲兵の許可など取っている場合ではない!)
ボガは薄暗い森を駆け抜け、獣の勘で目的地を目指す。
(だがそこで終わりではない…首魁から麻薬の源流を辿り、この事件を描いた黒幕を引きずり出す!!)
木々の間を抜け、開けた場所へ。
打ち捨てられた廃屋を見出したボガは、猛烈な勢いで疾駆して階段を上がる。
(誰もいない!逃げたか!…だが生活感がある。
つい最近まで誰かが住んで……ッ!?)
無数の死体。恐らくは住人。
いずれも人相が悪く、武器を手にしたまま一撃で急所を貫かれて絶命していた。
(麻薬組織の構成員か?
死んだばかりのように見えるが…)
既に開いていた扉に飛び込むと、部屋の主…組織のリーダーはそこに居た。
全身至る所の皮膚が剥かれて赤みどろ、両の目には針が突き刺されている。
壮絶な拷問の形跡だ。
「…!」
胸にナイフが刺さっており、紙きれを縫い留めていた。
血文字で書かれた『アザン監獄へ』。
(アザン監獄…?確かこの辺りの犯罪者を纏めて収容しているという…?)
監獄は隣町だが、森からはさほど遠くない。
(…行ってみるか)
実のところ、置手紙はそれで終わらなかった。
続くアザン監獄に向かうと、その壁に白い塗料で大きく描かれた『酒場【竜王亭】へ行け』の文字。
見張り台の看守が気付いていないところを見るに、一瞬のうちに書かれたのだろう。
(…誘われている。
だが、今はこれだけが頼りだ…従う他ない)
そして酒場では伝言を託された。
「お前さんだろ?あの【獣剣】のボガって。
アンタが来たら飲ませてやってくれってよ」
「…いったい、誰が」
「子供だったな。見た感じ12、3歳くらいか」
「子供だと?」
「ほらよ!この酒を絶対に飲ませてやれってな」
渡された酒をグラスに注ぐと、『コーグの地下墓地に行け』の文字が浮かび上がってきた。
(珍妙な仕込みを…コーグとは、確か街の南のスラムだったか)
示された通り地下墓地へ行くと、魔族たちの死体とともに壁に『ハルファス修道院』の血文字が塗りたくられていた。
(…近づいてきたな。廃修道院だったか…だいたい分かって来た。
恐らく、俺はこの悪辣な作戦を主導する魔族の本拠地へ導かれている。
敵か味方か…行かねば分からないな)
ここまで経過時間はほんの3時間。
ボガ1人ではもっと掛かっていただろう。
(ひょっとすると1日以上…もっと掛かっていたかもな。
何か異常な術をもってして、驚くべき速度で調査しているのは確かだ。
しかし…酒場では子供に頼まれたとか言っていたな)
頭の中に思い浮かべていた人物像が乱れる。
(まさか子供にここまでの事はできまい、その辺の子供を捕まえて小遣いでも握らせたか?)
どの道、ここまで来たら行くしかないのだ。
ボガは四つん這いになり、獣の膂力で全力疾走を開始した。
「さすがです、アストラス様。
麻薬に呪術を込めて広めるとは、素晴らしき作戦です!
人間は己の愚かしさゆえに滅びる…まさに裁きに相応しい!」
「…温いわ」
朽ち果てた古い修道院に密かに陣を張る、魔族の一団。
しかし『マヨヒガの呪法』によって周囲は迷宮化し、見えざる要塞と成り果てた。
専門家で無ければ辿り着く事さえ困難だろう。
「イスフェル様が死んで、ふんぞり返っていた連中が焦っている。
どいつもこいつも人間を侮っている割に、すぐ泣きついてきおって」
【禁忌候】アストラスは、魔界の傭兵集団を率いている。
今回の作戦も、依頼から数か月掛けて仕込んだものだった。
「本来ならもっと丁寧に広げられるハズだった。
それこそ敵軍全体に蔓延させ、人類そのものに大打撃を与えられる作戦だ。
だが依頼人が焦り、途中で実行を早めろと言ってきた。
そのせいで何もかも雑になっちまった」
蛇頭のアストラスは、爬虫類特有の読みづらい顔色でもハッキリ分かるほど渋い面をした。
配下の馬頭魔族が肩を竦める。
「しかし、念には念を入れてダメ押しの襲撃部隊を送りましたし、同士討ちで混乱している人間共では対応できないはず…」
「元々は人間同士の争いだけで決着させるつもりだったのは知ってるだろう。
だがクスリの広がりが甘いせいで、暴動程度の混乱しか起こせなかった」
「今回はそうですが。この手法は使えますよ!
これからはこの呪いの麻薬を使って…!」
「…フン。2度も3度も同じようなやり方をすればバレる。
一応、複数の
「心配性ですね、アストラス様は。
…その勘があればこそ、我らも命を預けるに足るのですが」
縦に割れた瞳孔が、水晶玉に映る戦況を見据える。
市民は悲鳴を上げながら暴徒と魔族から逃げ惑い、兵士らは健闘しているが明らかに魔族に押されている。
本来市民の避難を主導すべき町長が、麻薬によって暴徒化しているのだから当然だが。
「この様子なら、すぐに潰せる。
だがせいぜい街を1つ2つ滅ぼす程度が関の山だ。
これでは仕込みに掛けた手間に見合わん成果しか出せんぞ」
「依頼人に文句は言わせませんよ!
我々は全力を尽くしたのですから」
「それで奴らが納得するならいいが…今から気が重いな」
「交渉は私にお任せを。いつもの事ですが…」
「て、敵襲!!」
先が割れた長い舌を、威嚇するようにシュルルと鳴らす。
「ほォ?もうここを見つけ出した奴らがいるのか!……で、数は」
「ひ、1人です!1人の人間がここまで上がってこようと…!」
「いいねェ、1人か。
なんだなんだ、意外と骨がある人間が居るじゃねえか」
「く、詳しく聞かせろ!
…すみません失礼いたします、席を外します!」
副官は慌てて部屋を飛び出し、叫ぶ。
「ゴライドとゲブスを呼べ!部屋を守らせろ!」
「スノの奴、慌ててやがる…ククク。だが俄然面白くなってきたな」
ボガはハルファス修道院を目指して走った。
途中、真っすぐの道なのになぜか何度も迷いかけたが、目印として置かれた色とりどりの石が彼を導いた。
(クソッ…妙に時間が掛かってしまったな。
だが…ここがハルファス修道院か?どう見ても…)
はるか昔に棄てられた聖域は、無人のままに朽ちていた。
(誰もいない…ただの罠だったか……
……ッ!!?)
一歩敷地に入ると、階段から足を踏み外したような感覚に陥る。
慌てて体勢を整え改めて前を向いた時には、そこにはさっきまで無かった塔が屹立していた。
「これは…幻術の類いか?
ともかく中に入って確かめねば…」
重い扉を押し開ける。
―内部から伝わる異様な気配に身構えつつ。
「あ?誰か来たのか?」
「バカな、そんな予定はボスから聞いてねぇぞ」
「……人間?」
塔の中では、魔族たちが慌ただしく動き回っていた。
彼ら全ての動きが中断され、視線がボガに注がれる。
「ッ!!」
コンマ5秒で四足姿勢を取り、刃を咥えて疾駆!
声を上げようとした2名が即座に殺戮された。
「…て、敵襲!敵襲だ!」
「正気かコイツ…たった1人で!」
「一つ聞く!ここがおぞましき麻薬の本拠地か!?」
その問いかけで、魔族たちはこの人間の目的を理解した。
「バカかテメェ…ノコノコ1人で乗り込みやがって」
「言ってやるなよ、仕方ねぇさ。
…だって他の兵士どもは、俺らの麻薬でイッちまってるもんなァ!」
「ヒャハハハッ、言えてるわなァ!
そんで正気のテメェが1人健気に乗り込んできた訳だ。
ご愁傷様なこった!!」
嘲笑を浴びるボガの表情は、石めいて不動。
しかしてその内に、凄絶な憤怒を秘めている。
「……それが聞ければ充分だ。お前たちを殺す。
全てを把握するのはそれからでいい!!」
ボガは一つ咆哮し、魔族らを怯ませる。
「AGHHHHHHH!!」
(今ここに残っている兵力はせいぜい60名。
一流の傭兵ならここまで上がってこれるかもな。
問題は、侵入者がどの程度までやれる奴かって事だが…)
「報告!ブレイクが殺されました!」
(…なるほど、超がつく一流か)
副官の報告に、警護のゴライドとゲブスは驚愕する。
「はぁ?たかが人間だろ?」
「ありえねぇよ!」
当然だ。彼ら2人の猛将に対し、互角と呼べる戦士はブレイクだけなのだから。
「俺の警護なぞしている場合では無さそうだな?
…行けよ、ゴライド!ゲブス!」
「あ、アストラス様!?なりません!敵は明らかに危険…」
「だからこそ、今ぶつけられる最大の戦力をぶち込むんだ」
「で、ですが…」
「我らはイスフェル様がたかが人間の集まりに討たれた事実を、重く受け止めねばなるまい。
…人間を、侮るな。それにソイツらはもうとっくにやる気らしい」
「「オォオオオオッ!!」」
二将、猛り狂う。戦に生き、戦に死ぬのが魔界武人の性ゆえに。
「よくぞ命じてくれた!
必ずや叩きのめし、殺し、打ち倒す!」
「ボス!お約束いたしましょう!!」
地鳴りのような足音が遠ざかる。
「全く、つくづく戦狂いよな。
俺などよりイスフェル様の下に付けばよかったものを」
「そう言える貴方であればこそ、彼らは付いてきたのです」
副官が、諦めた様子で部屋に入ってくる。
「で?侵入者の姿形は?能力は?」
「それが…姿を見た者が次々と始末されているらしく、報告が上がってきません。
申し訳ございません!」
「ふむ、そうか……おい、今は茶はいい」
茶を淹れようとする動作を見抜き、手で押しとどめる。
「おや、左様でございますか」
「お前は気を回しすぎる。少し落ち着け」
副官は微笑み、茶器を卓に置いて小刀を取り出す。
「しかしですね、いくら奴ら2人が向かったとて、安心しきるには…」
言いつつ主の肩に手を置き、小刀を首筋に打ち込む。
あまりに唐突な殺意であった。
「おっと」
だがアストラスは、とっさに手のひらで受け止めた。
「危ない危ない」
「…バレていましたか?さすが、付き合い長そうですもんねえ」
副官が無感情に言うのを、アストラスは可笑しそうに聞いていた。
「いや、見事な変身術だ。直前まで気付かなかったよ。
だからまぁ…勘だな」
「勘って!そんなもんでバレたらたまったもんじゃないですよ…」
副官の姿が崩壊し、褐色の少年が現れる。
これは【存在を借りる法】と呼ばれる変身術によるものだった。
対象を生贄に捧げる事で、その姿・臭いまでも完璧にコピーする儀式。
ただし、変身中は肉体感覚の大きなズレから、凄まじい負担が掛かる。
「ハハッ、狙ってたな?警護の連中が居なくなるのをよ。
そんで一撃で仕留めたかった訳だ」
アストラスは刺されたままの手で少年を押しのけていく。
「…ここまで入り込まれた時点で、指揮者としては落第でしょう?
負けを認めて死んでくれません?」
小刀を引き抜き、次は脇腹を狙う。
「嫌だね。魔族なんてのはいくら群れても結局は個人主義。
つまり俺1人いれば良し」
メタリックに淀む両の眼が見開かれ、激しい光を放つ。
蛇の魔族に多いとされる、金縛りの魔眼だ。
魔眼の効力は少年を捉えた。
「…っ!!」
「早速で悪いが、殺してやろう」
(早く、早く上へ!敵将を討ち取らねば!!)
彼が焦るのにも理由がある。
シグレたちへの不安もそうだが、既に彼は街中においても複数回戦闘を行なっている。
そして手強い敵も今しがた排除し、疲れは露骨に見えてきていた。
(なるべく一撃で仕留め、体力を温存すべし!
何せ敵の能力もまだ判然としていないのだから…)
だが、状況は常に弱者に対して無情であった。
「待ちな、人間」
「テメェがブレイクを殺したって?」
巨大鉄球の繋がった鎖を手にする、牛頭の魔族。
長槍を担いだ犀頭の魔族。
いずれも油断ならない気配。
「とりあえず死んでこい。話はそっからだ」
通路ごと圧し潰すかのような鉄球の圧力。
飛び退いて躱すしかないが、獣化した四肢では下がりづらい。
「そらそらそらァ!!」
更に鉄球と通路の隙間から繰り出される槍が、驚くほど正確に彼の肩を狙った。
掠っただけで済んだのは、ひとえに獣の反応速度があればこそだ。
ルプレ家に伝わる秘伝魔術、『紋章降臨』。
一族の守護獣を降霊し、その能力を借りる事ができる。
だが人間の身体で人ならざる動きをすれば、負担が掛かるのは必定。
「はぁっ、はぁ…っ」
ボガは苦しげな喘ぎと共に、息を吐く。
「あ?もう息切れか?
だったらやっちまえ、ゲブス!」
「おう!そうすっ…かァ!」
鉄球を引き戻すと同時に、槍使いが瞬時に間合いへ踏み込む。
足元のボガ目掛け、責め立てるように連続で突き下ろす。
「オラ、避けてみろよ!避けられんならなァ!」
だがボガは避けなかった。どころか更に駆け寄り、足元を斬り付ける!
「…読めてんだよォ!」
だがゲブスは踏み込んだ時と同じ速度で下がり、入れ替わってゴライドが鉄球を振り下ろす!
魔族の身体能力と戦友としての絆が生み出す、恐るべき連携。
「しまッ…」
今出来る最速の反応でも、なお遅い。回避は不能だ。
〈つづく〉