【勇者】という異名がある。
それはシュハラ教の旧き聖典に残された、女神の血を引く英雄である。
勇者は世が乱れた時に現れ、巨悪を討つという言い伝えがあった。
現代にはただ1人、勇者として認められた少年がいる。
グレンという名前の、幼い傭兵だった。
彼はある戦いでラスタという聖騎士を目指す少年、フェリスという人狼の少女と出会い、共に戦うようになった。
グレンたち3人は旅の中、様々な人々と出会い、仲間を作った。
そして徐々にその名は広まっていき、魔皇を倒し得る者としての信頼を勝ち取ったのだ。
傭兵ギルドと五王国連合軍は、グレンたちを魔皇の下へと辿り着かせるため、大規模な作戦を立てて魔族の軍勢を引き受けた。
そして、ついに決戦の時が訪れたのだった。
ある場所では…
「戦争は良い。蹂躙するも拮抗するも良し。
さて…お前たちはどちらだ」
魔界七王の1人【霊将王】ベルゲは、自ら作り出した死霊兵の軍勢をまるで遊戯の駒めいて自在に動かす。
しかし人類側も負けてはいない。
連合軍全勢力をもって正面から突撃する!
「おやおや…いつも逃げ回ってばかりの人間共とは思えんな、立派なものだ。
…だが些か熱くなりすぎているようだな」
ベルゲが指を軽く動かすと、大隊規模の死霊兵の軍勢が生まれた。
「森を突っ切って、連中の隊列の横腹に風穴を開けてやれ。
キミたちが正面から挑んでくるからといって、こちらが小細工を使わんとは限らんのだよ」
誰も通れない危険地帯の森を突っ切る事で、連合軍の側面に奇襲を仕掛けようというのだ。
死霊兵は命を持たず、森に棲む怪物からも無視される。
それゆえに奇襲が成り立つ。
「さぁ…驚いた顔を見せてくれ。
勝利を渇望し命を捨てる覚悟の兵が、それを上回る絶望に打ちひしがれる様…これぞまさしく戦争だ!!」
高笑いを上げようとしたベルゲは、不快な感覚に襲われる。
「……?」
彼は死霊兵全ての感覚を共有している。
その感覚網に、敵の存在を感じ取ったのだ。
「馬鹿な、これは…?」
「よう!おもろそうな事しとるのぉ、コラァ」
「ッ!?」
ベルゲただ1人の司令部に侵入してきたのは、重装甲冑の騎士。
顔すらもすっぽりと覆い、表情は伺い知れない。
「ビビったかい。そりゃそうじゃろなァ!
…テメェの考える事なんぞ、こっちも想定済みっちゅう訳じゃ」
(森に送った軍勢はどうなっている?)
ベルゲの脳裏に、森の映像が映し出される。
森の中を征く死霊兵の軍勢が、奇妙な糸のトラップと伏兵に潰されていくのが見えた。
そして指揮官らしき美丈夫が現れる。
『脆弱な人間があの森を通れるはずがない、と?
残念でしたねぇ~、ずっとここに潜伏していたんですよ我々。
あなた方魔族が馬鹿面下げて現れるのをねぇ!』
(馬鹿な…人間があんな所で生きていられるはずが…!)
死霊兵が糸に触れるたび、体内から矢が突き出して死滅していく。
『我が名はトリスタン。そしてこの糸こそ魔弓フェイルノートなり。
ハハハ、死人を地獄に送り返して差し上げましょうねぇ!!』
耳障りな嘲笑が脳内にこだまして、思わずベルゲは舌打ちした。
「そんでワシは大将首を任された。
テメェが死にゃ木偶の坊どもも消えるじゃろうが、あぁ?」
「…やれやれ、私が剣を握るなど何百年ぶりか…。
いいだろう、名乗れ」
「あぁ?名乗らしてみろやボケが!
久々に剣持った程度のカスが、このランスロット様に勝てると思っとんならなァ!!」
「名乗ってるじゃないかキミ…私は【霊将王】ベルゲ。
これも戦争の醍醐味だ、共に楽しもうじゃないか!」
また、ある場所では。
「戯けた連中よ…人の身で我らに挑むか。
そしてそんな戯言に、我が娘が乗せられている…それが何よりふざけた話」
「ふざけてなどいない。
私は父上の相手を引き受けた、そして倒す。それだけだ」
長大なマントを羽織り双角を頂くトカゲの怪物が嘲笑う。
そして両掌に螺旋する風を生み出す。
「あのグレンとかいう小僧に唆されたか。
哀れな娘よ、せめてこの【墜崩王】ティルマータ・バストラが一撃にて葬ろう」
両手に集めた風を合わせ、竜巻を内包した空気弾丸を生成。
そのまま叩きつける。
「させない!!」
娘と呼ばれた少女の隣に立つもう1人の少女が、背負う巨大な盾を構えた。
壮絶な風のエネルギーを、全力で凌ぎ切る。
「…貴様も半魔か。人間に迫害された挙句、こうして捨て石になりに来たか?
哀れすぎて言葉も無いわ」
「…確かに私は、色んな人間に踏みにじられてきた。
だけどそれは、その人たちが悪いだけ。
グレンたちがくれた優しさを忘れる理由にはならない!」
「まぁ、そういう事だ。
彼女は人のために立ち上がった。友としては助けなければな」
「下らぬ…そんな幼稚な思想が答えではあるまいな?
メルトよ!一度は人類を恨み、滅ぼさんとした我が娘よ!」
【墜崩王】の娘、メルトは父を睨み据えた。
「アレはな、間違いなく失敗だったよ父上。
だが私もプロだ。失敗は素知らぬ顔でリカバリーしてみせるさ」
「恨みを忘れるというのか?
無かったことにでもすると!?」
「恨みで言うなら父上。私は何よりあなたが嫌いだ」
娘は侮蔑の表情で吐き捨てた。
「…救えぬ馬鹿共よ。良かろう、ならば虫ケラのように死ね!!」
魔界七王が、内に秘めたる暴威を剥き出しにした。
立ち向かうは、ちっぽけな半魔の少女2人。
魂が怖気づく。
だが。
「行けるよね、メルト」
「当然だエリン。叩き潰してやろう」
そして魔皇城内部を進むのは、【勇者】グレンたち一行。
「こっちでいいのか?ナンム」
赤い頭髪の少年が、先頭となってどんどん突き進む。
城内の至る所で傭兵たちが魔族と殺し合っている。
「あんまりアテにしないでよ。
魔皇城は常に内部構造が変化し続けてる。
私はあくまで魔皇の気配を感じ取ってるだけなんだからね」
「んだよ、頼りねぇな」
「なぁに?じゃ私抜きで行ったらいいじゃん!」
手のひらサイズの妖精めいた少女が、グレンの周りを飛び回る。
「まぁまぁナンムちゃん。私たち頼りにしてるから!」
フェリスが苦笑しつつ宥める。
魔皇との戦いを控える者たちらしからぬ和やかさだ。
それは彼らがいかに困難な道を乗り越えてきたかを示している。
「そうだな。多少の回り道など今更だろう」
ラスタは常に冷静かつ誠実だ。
「…けッ、当たり前だ!
で?次はどこだよ」
「ん…と。こっちだけど…」
「どうした」
「強い反応がある。多分…」
グレンはニヤリと笑う。
「まだ分かんねぇのか?俺らはそんなんで止まらねぇよ」
「…だったね、アンタらは。
そこを真っすぐ進んで、扉を開けて」
その扉に一歩近づくたび、ナンムでなくとも分かるほどの存在感が身を震わす。
恐怖ゆえに、ではない。物理的に振動しているのだ。
「開けるぞ」
そこは薄暗い貯水槽のようだった。
広い橋が1本だけ、向かい側の扉に続いている。
「ホント無茶苦茶だな…なんでこんな所に、こんな量の水があんだよ。
ここ地上何階だよ?」
「見かけの階層に惑わされないで。
玉座の間は本来、物理的に出入り不可能な地下にある。
特定の扉を特定の順序で通過する事で、空間が繋がるの」
ナンムは詳細に説明する。
「そして最後には必ず、この橋を渡る必要がある。
つまり私たちは正しい順路を進んでるって事よ」
「そうかい。なら、アイツが…」
橋の中央に立つ人影が、グレンたちの方を振り返った。
「……おい。いい加減にしろよ」
そして心底苛立ったように呟く。
「【絶界王】は何をしている?【霊将王】は!【墜崩王】はどうした!!
これだけいて羽虫程度すら食い止められんか…つくづく役に立たん連中だ!」
怒号が空気を揺らす。ナンムがグレンの陰に隠れた。
「人の文句ばかり言っても仕方ねぇだろ?
それに、どうせテメェも何ひとつ出来ずに死ぬんだからな。
魔皇の側近、【宣命王】さんよ」
「……」
青銅の仮面を被った有翼の魔族が、ゆっくりと歩み寄る。
「小蠅の羽音が喧しくていかん。
これでは
グレンの眼前で止まる。
「…なぁ!!」
右腕で少年の身体を弾き飛ばした。
「グレンくん!?」
「大丈夫だ!」
数メートルは飛ばされたが無傷。魔剣を構えなおした。
「チッ…無駄に頑丈な。
この世には、母様の邪魔になるものが多すぎる…どいつもこいつも…」
ギリギリと音を立てながら、己の仮面を引き裂く。
「死ね!!死んで贖え!!母様の安寧を妨げるもの全て!!」
怒りに満ちた鬼神の如き容貌が露わになる。
「我は【宣命王】キングウ!!貴様らを滅ぼす者の名だ!!」
凄まじい覇気・殺意。
彼らが全員が全力を以てしても、勝てるかどうか分からない。
魔皇を倒すためには、万全でも足りないというのに。
…だがそれでも行くのだ。
「行くぞ!!」
「はいっ!!」
「ああっ!!」
3人が同時に構えた時。
「おぉおおおおおおいッ!!」
壁を粉砕し、大音声が飛び込んできた。
「楽しそうな事やってんじゃねぇか、ああ?
俺様も混ぜてくれよォ、ヒッヒヒヒ!」
両肩に蛇の意匠の留め具を付けた、真紅のマントの魔族。
緑の肌と尖った鼻。異例の長身を持つゴブリン族の王。
「【
…よもや勇者と手を組んだのではあるまいな」
「だってそっちの方が、強ぇ敵と殺し合えるだろ?
なぁ、クソガキ?」
グレンが鼻で笑う。
「思ってたより早かったな、ゴブリンキング」
「エリンが俺に逆らいやがったからな」
ザバダカは半魔の少女を拾い、戯れに育てていた。
それがエリンという少女だった。
今はメルトと共に、【墜崩王】ティルマータに立ち向かっている。
「あの人形みてぇに何でも従ってきたガキが…『友達との約束がある』とか言いやがってな。
初めて俺に逆らいやがって…止めるのも聞かず行っちまった」
「ハハッ、エリンならそうするだろうな。
それで?フラれて暇になったか?」
「そんなとこだ。さァ、相手になってくれや」
キングウは一瞬、凄絶な怒りの形相に変わったが…うって変わって平穏な顔になった。
「そうか。そうかそうか。分かった。
全員殺せばいいのか。ハハハ」
グレンたちが、その脇を通り抜ける。
「行かせると、思うのか。この私が」
キングウが手をかざし、魔力を込める。
そして何かしようとした瞬間、側頭部を殴り飛ばされた。
「……ッッ!!」
「余所見してんなよ、ああ?
俺と遊べや。そんなにママが心配か?」
ザバダカが邪悪に笑う。
「邪魔だ…邪魔だ邪魔だ邪魔だッ!!
塵一つこの世に残さんぞ、ゴミ虫がァ!!」
「キャハハハッ!盛り上がってきたじゃねえか!!」
後方の激戦に目もくれず、前へと進むグレンたち。
配下の魔物を斬り、一心不乱に前へ。
彼らがここに至るまで、多くの人間が命を投げうった。
止まる訳にはいかないのだ。
「この先か?」
「うん。…やっとここまで辿り着いた」
部屋の巨大さが想像できる、石造りの大扉。
固く分厚く隔てられているが、今の彼らには障子紙ほどの邪魔にもならない。
魔剣が瞬く間に溶断し、切り開いた。
「これは…」
一般的な家屋が2、3棟はすっぽり入りそうな広大な空間だった。
中央に透き通った巨石が浮遊している。
「罠には気を付けておこう」
「分かってるよ。ただ、そんな雰囲気はねぇな…」
「あのクリスタルのようなものは何だろうね?」
近づくと、巨石の中に少女が埋め込まれているのが見えた。
その姿は…ナンムに酷似していた。
「あぁ…?」
「これこそが、魔皇」
ナンムは呟いて石の表面を撫でる。
「やっと辿り着けた。ありがとうね」
「…どういう、意味だ?」
「無駄な質問だね。グレンらしくないよ」
「どういう意味かって聞いてんだ」
ナンムは答えず、石の中に吸い込まれていった。
石の中の少女が目を開くと同時に、石の表面にヒビが入る。
「私が、魔皇だよ」
石が砕け散り、少女は地に降り立つ。
白い頭髪が蛇のように変化していく。
「むかしむかし、神さまの居た時代。
ここではないどこかから、女神さまが現れました。
女神さまの力はとても強く、彼女が居る限り神さまの時代は永遠に続けられるほどでした」
少女が触れた地面からは、見た事もないほど鮮やかな花が咲き乱れた。
「でも、元々いた神さまたちはそれが気に食わなかった。
だから女神さまの魂と身体を切り離し、殺してしまいました…でもね。
その女神には子供がいたの」
「か、母、様…ッ!!」
断末魔のように悲痛な声。
振り向けば、全身を切り刻まれ血だるまになったキングウが地面を這っていた。
「逃げるんじゃねぇよ…あ?なんだこのガキ」
後を追うようにして、ザバダカも入ってくる。
「もういい…もういいのよキングウ。あなたは立派にやったわ」
「ですが…母様の眠りを…安らかな平穏を…!」
「あなたは何も悪くない。悪くないのよ。
だから…ね。ゆっくりおやすみなさい」
「母様…申し訳…ゲホッ。
あ、あああ…また、役に立てな、くて…ごめん、なさ…」
キングウの全身から、力が抜けていく。
「…哀れな子供は、母親を生かすため必死になりました。
そして身体を封印する事で死期を先延ばしにする事を思いつきました。
それがこの身体よ」
たった一枚羽織っていた薄布が塵になると、あちこちが鱗で覆われる。
「切り離された魂は彷徨い…自分を殺した神の血を引く者を探した。
そしてようやく見つけた。それがあなた!」
「…昔話が長すぎるぜ。つまり、なんだ?」
「我が名は邪神ティアマト。
……あなたたちを殺す!そして神の時代を取り戻す。
それが嫌なら、私を殺してみなさい!!」
「いいんだな?俺の腹は最初から決まってる。
その結論でいいんだな…だったら殺すぜ」
勇者の目には迷いが無い。
「戦うしか、ないんだね。じゃあ、やるよ…ゥオオオオーン!」
フェリスが一吠えして、狼に姿を変える。
「私は迷いがありまくりだが…まぁ。
せいぜい悩みながら戦うとしよう」
ラスタが聖槍を構える。
魔皇との最終決戦が始まった。
…………
………
……
…
グレンはコンマ数秒だけ歩んできた道を振り返った。
そして…眼前の敵に意識を向ける。
「魔皇は死んだ。お前らも死ぬ。それだけだ」
傷だらけの身体を押し、敵の群れに飛び込んだ。
〈つづく〉