迷いの森。妖精が生み出した【神秘地形】を、1人の女が行く。
ドゥロワ・ネネルの配下、女司祭エンディミカ。
(まさか行方知れずのあの少女たちを発見できるとは…幸運でした。
まだそう遠くへは逃げていないはず。
誰も捕まらない鬼ごっこなんて退屈極まる…そろそろ1人2人は捕まえないとね)
彼女は自分以外の全ての物質を消滅させる【裁きの光】を降らせる事ができる。
ロックオンした敵の頭上に発射口が出現するので、回避も出来ない。
(…自動捕捉術式には、反応無し。
動くものにしか反応しないのが玉に瑕ですね…)
動体感知魔法【天使の諜報】によって、彼女の周囲の一定範囲内では、動く生き物が自動でロックオンされるようになっている。
(…にしても、先ほどの音は何だったのでしょう?
爆発音のようでしたが…ま、いいでしょう。
ある程度の罠なら耐えられる。臆せず進むのがいい)
更に光の魔法とは別に、彼女の周囲には不可視の防壁が常時展開されており、一定以下の攻撃をシャットアウトする。これが【聖者の護り】だ。
絶対防御と言えるほどの強度ではないが、破壊される瞬間にだけ無敵の加護が付く上、何度でも張り直せる。
どんな攻撃でも、確実に一撃は耐えられるという事だ。
(それに、あの方角に居るのはロンミン。
下品で喧しいので個人的には大嫌いですが、実力は折り紙付きです)
これら神聖魔法を制御するのは、彼女の頭の上に浮かぶ天使のような光の輪。
この輪は物理的に破壊できるものの、両手を組んで聖句を唱えれば即座に復活する。
(我が魔法の強さは、すなわち神からの信頼に他ならない。
神の愛は不滅!故にこの私も死ぬ事などありえないっ…!
……ん?)
彼女の耳は、陶酔していてもその音を聞き逃さなかった。
もっとも聞き逃したとしても、すぐにその正体には気づく事ができただろう。
(【天使の諜報】に大量の反応あり!?……これは!)
それは津波のように押し寄せる、おびただしい数のイナゴの群れ。
無数の虫1匹1匹をロックオンしようとするので、自動ロックオンをオフにする。
「小賢しい…まとめて消滅させればよいだけの事!!
光よ…救い給え!!」
天に開いた魔法陣から図太い光の柱が降って、イナゴを消し飛ばしてゆく。
(虫使い?ある地方にはそういう一族が居るとか聞きますが…。
いいえ、どの道この私には通じない。このような小賢しい罠など!)
災害じみた量のイナゴをたちまちに処理していく反面、その狂おしい羽音に紛れて樹上を飛び回る何かの存在には気づかなかった。
…
(っ…何?これは?)
その奇妙な直方体は、防壁に防がれてエンディミカの足元に落ちた。
そして次の瞬間、爆裂した。
「爆弾ですって!?」
その高い破壊力によって、【聖者の護り】が砕け散った。
再展開まであと5秒かかる。
(どこかに敵が居る!自動捕捉機能をオンにっ…)
間髪入れず、複数のナイフが飛来。
急所を狙ったものは素手で弾き落とすが、頭上に浮かぶ光の輪を砕かれた。
「きゃあっ!?嘘っ!?」
制御術式を破壊され、神聖魔法が完全停止する。
(どうしてこんな的確に…っ!)
今度はエンディミカの耳にも、何かが木の上を猿のように飛び回る音が聞こえた。
慌てて光の輪を復活させるため、祈りの構えを取ろうとする。
その手に、ワイヤーが巻き付いた。
「あ…」
そのまま、勢いよく木の上から吊り上げられる。
(マズい、殺られる!)
「ニーヴル!!」
仲間の名を呼んだ次の瞬間、ワイヤーは彼女の口をも塞いだ。
藻掻いても締め付けがキツくなるばかりで、まるで木になった果物のように吊るされたまま、ギシギシと揺れるだけだ。
「お久しぶりですね。俺ですよ」
耳元で優しく囁く少年の声で、エンディミカは全てを察した。
「あなたに仲間を呼ぶ時間を与えたのは、わざとです。
ニーヴル…とか言いましたっけ。その彼をおびき寄せるために、ね」
「……!」
発そうとした声はワイヤーに阻まれて、ただの呻きに変わる。
「さようなら」
冷たい刃に喉を裂かれ、エンディミカは絶命した。
「まずは1人」
エンディミカの悲鳴を聞く少し前、遠くのイナゴの羽音を聞きつけた男は、既に動き始めていた。
細縁の眼鏡に質のいいスーツを身に纏った、どこか気障な雰囲気な男だ。
(何の音だ……っ、今度は爆発か?
もうあの少女たちを見つけたのか?)
「ニーヴル!!」
そしてついに、その声を聞く。
己の名に混じる必死のニュアンスを、聞き逃すニーヴルではない。
(あの女がここまで必死に僕を呼ぶ?
…死を覚悟したという事か)
地面を一度踏み鳴らすと、見渡す地平全てが氷原に変わる。
足裏に氷のブレードを生成すると、高速で滑走していく。
「人の名を呼ぶのなら、用件も言ってく…」
ニーヴルが声の先で見つけたのは、木から吊り下げられた女の死体。
両手・喉・口にワイヤーが巻き付き、見るも無残な有様。
(喉を鋭利な刃物で一撃、か。
殺した後に吊り下げるほどの時間はなかったはず。声も聞こえたしな。
つまりあの女の懐に入り、絡め取って殺したんだ。
コイツの魔法は自動で敵を捉える…速度は関係ないはず。手数で圧されたか?)
脳裏に無数の可能性、無数のイメージが湧いては消える。
(バリアを割れる破壊力もある。2対1なら当然と言えば当然だが…)
ぽつりと、最初の一滴が脳天に落ちた。
「っ!?…なんだ、雨か」
雨は時を待たず執拗な土砂降りへと変わる。
(これは僥倖…と言うべきか。
僕の冷気は空気中ではすぐに減退する。そういう能力だ。
だがこの雨の中なら…)
ニーヴルが両手をかざすと、真正面にある全ての木々が死体もろとも凍結した。
同時に、木から何かが飛び出し背後の木に移った。
「死体をエサにして待ち構えているのは分かっていたよ!
しかし雨が降るとは実に運が無かったな…」
直方体の何かが飛んでくる。
とっさに氷の壁で防ぐと、壁の向こうで爆発音がした。
「爆弾か。ハッ、この僕に爆弾とはねぇ!!」
樹上から聞こえる物音と囁き声を頼りに、冷気を繰り出す。
「分かっているだろう、僕が凍らせた木には飛び移れない!重さで崩れるからな!
つまり僕が周りの木々をこうして…」
ニーヴルはその場で回転しながら冷気をデタラメにばら撒く。
その様子は、フィギュアスケートを思わせた。
「全方位を凍結させてしまえば!キミはどこにも隠れられない!!」
頭上に気配。
「当然そう来るだろうねぇ!」
左手だけを上空に向け、冷気を放つ。
「…え?」
彼が己の頭上に見たのは、燃え盛る鈍重な獣。
「うおおおおっ!?」
間一髪で飛び退いた所に、その獣は着地する。
のそのそと起き上がった姿は、この世ならざる異形であった。
炎を纏ったトカゲのようだが、手足は象に似て太い。
そして喉は歌うカエルのごとく膨らんでいる。
「なんだ、この…なんだ?」
「なんだと思います?」
怪物は言葉を発した。声は子供のように甲高く軽やかで、しかしくぐもっていた。
「…なんでもいいさ、凍らせてから調べる!」
これが返事だとばかりに、冷気を放つ。
「無駄ですよ。それは効かない」
表皮を覆う炎と雨の水蒸気が膜となって、冷気を遮断しているようだった。
「厄介な…」
「お返しです」
獣が、例の爆弾をペッぺッと吐いた。
「こちらも言葉を返そう、それは僕には効かない!」
ニーヴルは爆弾を瞬時に氷漬けにしてみせた。
…だが。
「ぐああっ!?」
爆弾は氷を砕いて爆ぜ、ニーヴルを巻き込んだ。
「この粘土爆弾は凍らせても爆発しますよ。
何しろ呪術で制御してますから…このように!」
間髪入れぬ爆弾の追い打ち。氷の壁を作る暇もない。
既にニーヴルの姿は激しい煙と炎で隠れている。
「…よくも、僕の服に埃を…付けてくれたな」
「っ!」
煙の中から出てきたのは、純白の鎧に覆われた姿。
「おかげで、とっておきの一張羅を出すハメになった。
この罪は重いよ…キミ」
「鎧…それで爆発を防げますか!?」
先程より大きな爆弾が飛び出す。
「ああ、防げる」
ニーヴルは避けもせず、ただ頭全体をすっぽりと氷の兜で覆った。
爆発は彼を直撃したが、表面にはわずかなへこみだけ。
「材料は水だけ、だが僕の魔力を通せば鋼鉄にも勝る強度を得る。
それだけじゃない!熱も衝撃も通さない!」
「では、毒はいかがですッ!?」
投げ込まれた新たな爆弾は黒いガスを散布した。
「毒?ああ、もちろん毒も効かないよ。
そもそも氷魔法は水と風の組み合わせ…僕は風属性が少し苦手だが。
それでも、毒ガス対策の術は習得済みだ」
風魔法のフィルターが呼吸口に施され、簡易ながらガスマスクの効果をも兼ねているのだ。
「これが本来の僕の魔法だよ。冷気による全身武装!
凍らせる力はほんのオマケさ。通じないなら、この刃で直接斬るまでだ」
怪物はゆっくりと後退するが、逃げるには遅すぎる動きだった。
「その身体に纏った炎。
絶対零度の刃を溶かして無力化するほどの火力ではないと見たが、どうかな」
「なるほど、御名答…しかしコレは防げますか!?」
怪物の鼻から大量の黒煙が噴き出す。
煙は猛然と舞い上がり、ニーヴルを取り巻く。
「フン…煙幕か。だがその重い身体で逃げられるのか?」
手の甲から氷の刃を生み出し、煙を切り裂いた。
「…いない?小賢しい真似を…!」
全方位に刃を振るい、煙を斬り払っていく。
「…『歩む足元
「!?」
あの声がする。
「呪文詠唱…いや、それよりこの光は…」
彼方の上空に、燃え盛る炎の龍の顕現を見た。
(ロンミンの奴、この山もろとも消し飛ばすつもりか!?)
次々に予想外の事態が起き、動きが遅れる。
「『藻掻く手元は影の
声を追いながら、粘つくような煙幕を退ける。
「『行き着く先は黄泉の沙汰にて』」
「…お前、は」
少し離れた位置に、少年が立っていた。
「『冥《くら》き
「ジェト族の…キルエ!!」
瞬間、ニーヴルを囲むように円状の雷光が走ると、その範囲内の全ての地面が黒い沼に変わった。
「仕込みに手間がかかりますので、少々お時間を頂戴しました」
ズブリ、と氷の靴が地面に沈んでいく。
「くッ…これは…!?」
「死と大地を司る神の力を借りて、地面を底なし沼に変える術です。
まず範囲を指定する必要がありますので、木から木へと飛び移りながら地面に楔を打ち込んでおきました」
ニーヴルを囲む位置にある木々の根元に、楔が突き刺さっている。
「それから贄が必要だったんですが、これは現地調達できました。
最後に、標的を範囲内にしばらく留めておく必要がありまして…これが大変でした。
俺は左目が見えない状態だったのでね」
「アレは、お前の召喚獣か…」
「ええ。冷気の効かない神獣の体内に隠れて、ぬくぬく時間稼ぎするつもりだったんですが。
いやー本当にお強くていらっしゃる!」
少年の声は、嘲笑うように弾んでいた。
「なめるなよ、この僕を!泥ごときで殺せると思ったか?」
泥に冷気を流し、沼ごと凍結させようとする。
…が、上手く冷気が通っていかない。
「ただの泥な訳ないでしょ、も~お茶目なんだから!
土を触媒にして、あの世への穴を召喚する。そういう術ですよコレは。
標的であるあなたが沈むまで、永遠に閉じませんよ?」
一見は必殺のように思えるが、それでも単純な身体能力で脱出される可能性や、高度な地属性魔術などの抜け道が多い術でもあった。
「く、く…そ…!こんな、デタラメな術が…!」
だがニーヴルはその手段を持ち合わせず、抵抗も空しく既に下半身は呑み込まれつつあった。
「僕がこんな術でッ!!」
両手から氷の鎖を発射する。
右手の鎖は木に絡まるが、凍っていたため耐えきれず崩れる。
左手の鎖は地面に刺さろうとしたが、キルエが蹴り飛ばした。
「させる訳ないでしょ」
「この、僕、が…!」
肩まで沈み込み、もう抵抗もできない。
「いいか…キミに安息の日など訪れない…!
どれだけ逃げても、こうして追いつかれる…その度に撃退できると、思うか…!」
それは負け惜しみだが、的を射ていた。
「やっぱ、直接会って話つけるしかないのか…。
どういう人ですか、貴方たちのボスって?」
沼は閉じていた。
「…まぁいいや。
ちゃんと下調べして対策したら、無茶しなくてもなんとかやれるってのが分かっただけでも収穫だな。
これから頑張ろっと!」
〈つづく〉