魔皇は、ティアマトである。
かつて別なる世界で死してこの世界に流れ着き、その力を制御できずに魔族を発生させ、世界に害を成すとして光の女神シュハーレナに引き裂かれた。
だが肉体と魂を分けられたはずのティアマトはなおもその地を汚染し、魔族の住処に変えてしまった。
それほどまでに、ティアマトの『生命を生み出す』性質は強いものなのだ。
その権能を奪ったネネルは、この性質を応用した。
未だ研究が進まずにいたホムンクルス技術にこれを用い、数段飛ばしで実現させたのだ。
「うぇ~気持ち悪ぃなぁ」
ボルドが見上げて顔を顰めたのは、天井からぶら下がる大きな肉の繭。
死体を繋ぎ合わせ、子宮の構造を模して造られたソレは、定期的にドス黒い【生命の水】を吐き出す。
生命の水には大量の生き物の遺伝子情報が融け込んでおり、そこから無貌兵を生み出し続ける。
「まぁいいや。さっさと済ませるぞ。
…こっちに来い!」
仮面を付けられて従順になった無貌兵たちが、呼ばれるがままにボルドへと寄っていく。
ボルドの肉体が肥大化し、竜の頭を持つ巨漢に変わる。
「今回は大量に作っとくか」
両手で1人ずつ喉を掴み、竜の力を注ぎ込んでいく。
「…~ッ!!」
無貌兵はジタバタと藻掻いていたが、やがてピクリとも動かなくなる。
ボルドが乱雑に投げ捨てると、その場で四つん這いになって悶え始め、背中から膨れ上がって変化する。
腕が翼に変わり、足は伸長して獣のようになり、肌は鱗で覆われ、首は伸びて角が生えていく。
「はい次。はい次。はいつ…」
遠くで、何かが崩壊するような音。
「…?」
音がどんどんと近付いてくるにつれ、部屋全体が激しい揺れに見舞われる。
「なんだなんだァ、どっからこんな音……上かァ!?」
見上げた瞬間、肉の繭を突き破って3つの切っ先が飛び出した。
「バカッ…やりやがったァ!!」
ボルドは見慣れぬドリルを恐れ、回転の基部を受け止める。
「回転する刃…なんだこりゃ…!?」
「やぁ…あの…久しぶり!ここに居ると思ってたよ!」
機械の装甲を身に纏った竜人が、気まずい笑みを浮かべた。
「フリッケンガルド…テメェ自分が何やったか分かってんのか!?」
「うん。無貌兵の工場を壊したんでしょ。合ってる?」
「大正解だよ馬鹿が。
これから何が起きても恨むなよ?お前が悪ぃんだ」
肉繭が、穴から一気に裂けて崩れる。
中からはドス黒い生命の水が溢れて降り注ぐ。
「うわっぷ…こりゃ凄い量だ…!」
『生命エネルギー、なおも増大中…!?』
生命の水が、全てを呑み込んだ。
『報告。第2重大領域への侵入アリ』
「おいおいおい…!?」
玉座に座ってぐったりしていたネネルが、勢いよく上体を起こす。
「あ~あ~あ~…ついにバレたか…!」
いつもの軽薄な態度とは打って変わって、深いため息をついた。
玉座に付いている蛇の装飾が、スルスルと動いてネネルに巻き付き、流暢な人語でまた語る。
『追加報告。領域の損害、過去最大レベルを観測』
「まさか…壊されたの?工場!」
視線を工場内へと送り込み、ボルドに念話を繋げた。
「ボルドく~ん、どうなってんのよ~!」
『俺だってビックリしてんだよ!』
そして、フリッケンガルドの姿を目にする。
「…おお!カッコいい!メカアーマードラゴンだ!
キミの同僚の、フリッケンガルドくんだっけ?」
『そうだよ!で、どうする!破壊されちまったぞ!』
「どうって…はぁ。とりあえず倒してよ、その人」
『…分かった』
黒い濁流に耐えながら、2人の男が向かい合う。
「今、ボスから命令が下った」
「…!!」
「こりゃ俺の失態でもあるし…とにかくテメェを殺さなきゃならん。
この場所がどうなろうと、な」
「俺は元からその気で来たんだ。
これで兵隊はもう増やせないな?」
「…ま~だ分かってねぇな。
喜んでられるのは今のうちだってのに」
「……?」
裂けた肉から降り注ぐ黒い水は、止まるどころか絶え間なく溢れてくる。
尽きる事などありえないと言わんばかりに、どんどんと密閉された部屋の水位を上げていく。
「まだ流れてくるのか…!?」
「…もう理解できただろ?
この水はな、ボスが手に入れた魔皇の力の一部なんだとよ。
それをこのキモイ肉の塊で制御して、無貌兵の製造工場にしてたって訳だ。
で、その制御装置をテメェが壊しちまった…」
ドボンと鈍い音がして、粘性の水面に肉塊が落ちた。
降り注ぐ水の勢いは、なおも強まるばかり。
「ボス自身も、もうコイツを制御できねぇ…決壊するぞ」
封鎖していた扉をボルドが破壊すると同時に、液体は廊下へと流出していく。
「とりあえず、これでしばらくは溺れずに済むわな」
「まさか…この水、尽きないって事は無いでしょ?」
「ああ、いつかは尽きるさ…ボスの力が限界に達したらな。
ただ、それより先にこの城全てを呑み込むのが早ぇだろうが」
「マジか…だったらさっさとネネルを始末しないとな。
その前にお前を倒さないといけないみたいだけど」
「最初からそう言ってんだよマヌケッ!
行け、ワイバーン!!」
既に生まれている無貌兵を片っ端から竜に変え、相手にけしかける。
「おいおい、そりゃ舐めすぎでしょう!」
『貴官を支援する。ブースター起動!』
竜としての速度に機械装甲のブースターが加算され、限界を超えた速度を実現する。
3つのドリルが、そこに殺傷力を加えていた。
ワイバーンの翼や頭をたちまち砕いていく。
「1つ!2つ!3つ!まだまだァ!」
「こっちにも弾はまだまだあるぞ、オラ行けェ!」
しかしここは元より無貌兵を生み出す場所。ワイバーンの材料ならいくらでも居る。
いくら強さに差があったとしても、数のアドバンテージは着実に体力を削っていく。
「ザコの相手ばっかしてらんないか…すみません。
ちょっと無茶してもらいますけど、いいですか?」
『構わないが…ここに来るまでにかなりエネルギーを消費している。
あまりタイミングを待ってもいられないぞ』
「ええ。すぐ行きます…よっと!」
ブースターで飛翔、ワイバーンの頭部を足場にしてボルドへ急速接近する。
「それは読めてんぜ、バァカ!!」
ワイバーンの群れを前方に集め、肉壁とした。
「行きますよ」『了解した』
両手の胸部、3つの螺旋が回転する。
「…うぉおおおおおおおおおッ!!」
ブースターで一気に加速し、肉壁を掘削していく。
ただの雑兵ではない。下等種とはいえドラゴンで形成された肉壁をだ。
「マジかッ…」
黒い水と血肉が舞い上がった。
「……ッく、う」
苦しみの声を上げるのは…巨大な前脚に踏みつけられた、フリッケンガルドだ。
ボルドの姿は、4つの脚と翼を持ち、長い首をもたげさせた巨竜に変じている。
「び、ビビったぜ…!」
ボルドの爪に抑え込まれ、フリッケンガルドはもがく。
そして機械装甲が告げる。
『すまない。エネルギー切れ、だ…』
「…ご、苦労っ、さんでした…!ハァッ…ハァ…!」
身体から機械の鎧が脱落し、元の人型に変形して動かなくなる。
「おおッと、鎧が脱げちまったなァ?」
「まだまだ…俺は本気を出してないよ…!」
フリッケンガルドの姿が膨れ上がり、ボルドは前脚で押さえていられなくなった。
「お前も完全に竜化してみせたか」
「この姿になるのは…久しぶりだ…!」
四足歩行で、ボルドより一回り小さい。
だがその鋭いフォルムは、野生の狼を思わせた。
「お前よォ…自分から負けに来てどうすんだ?
お前この姿で俺に勝てた事あったか?あァ!?」
「だったら…初めて勝てばいいんだよ…!」
巨竜と化したボルドと、獣と化したフリッケンガルド。
2頭の竜が、生命の水に汚染された戦場で激突した。
「……」
日頃の饒舌さに似合わず、ネネルは黙りこくっていた。
(身体を封じてるせいで、ろくに動けないし。
制御できないから生命の水も暴走しちゃうし。
そもそもツルードくんは全然帰ってこないし)
尖った爪が、玉座の手すりをコツコツと叩く。
「ハァ…なんか、萎えたな」
ネネルは好奇心旺盛な男である。好奇心を満たすためならば、手段は選ばない。
と同時に、その過程を楽しめる男でもある。
「よし。リセットしよっと」
……だが、失敗や不測の事態が度重なり、差し引きならぬ状況に陥った時…簡単に飽きて全てを放棄する男でもあった。
(でも、勇者くんたちの場所がまだ探知できないんだよな。
女神の力ってのは厄介だね。
彼らの居場所さえ分かっちゃえば、今すぐリセットできるんだけどな~)
広さの割に家具ひとつない、用途不明の一室。
しかしそれ故に、その部屋は怪我人を治療し寝かせておくのにちょうど良かった。
敵城の中に作られた簡易戦場病院は、怪我人の呻き声で溢れていた。
1人の半魔の女が、包帯に包まれた上体を必死に起こそうとする。
その身体はひどく痛ましい傷に覆われ、左腕は二の腕から先が存在しなかった。
「っ、ク、クソッ…!」
「無茶をしてはいけない!そこで寝ていなさい」
「だが…グレンたちはまだ戦っているんだ。
いつまでも寝てはいられない」
「しかし…キミたちが斃したのは、あの【
その程度の怪我で済んだのは奇跡なんだ。
しばらく休んでいっても、バチは当たらんと思うよ」
兵たちに治癒魔術を掛けて回る司祭は、聖職者らしく諭す口調で言った。
「そちらのキミも!今は装備なんて放っておいて寝なさい」
「あ…す、すみません」
右目を失っている青肌の女は、大盾と剣をまさぐりながら気まずそうに言った。
「今はとにかく、休む事に専念しなさい。
仲間の事を思うなら、キミたちの無事な姿を見せる事が一番彼らのためになる」
「…分かった。その通りだな…………っ」
隻腕の女、メルトが絶句する。
「どうした!まだ痛みが激しいのかね?」
「いや、何か聞こえる。これは…流れる…水?
なぁエリン、この音聞こえるか?」
「え?…あ~、確かに聞こえ…」
隻眼の女、エリンは言葉を途中で止めた。
「奥の通路!何か来る!」
「ええ?まさか敵の軍勢が…!」
否。押し寄せてくるのは波。ドス黒い【生命の水】の奔流であった。
「くッ…!」
司祭が杖を構えて踏ん張る。
「マズいぞ、私たちはともかく、動けない怪我人がこんなにいるというのに…!」
「ちょっと待って…この盾で、なんとか…くッ」
2人は対応しようとするが、痛みで立ち上がる事が出来ない。
そうしている間にも黒い波は目前まで迫っている。
「クソぉ…っ、こんな時に…!」
そして部屋に流れ込んでこようとした液体は…見えない壁に隔てられて止まった。
「…っこれは!」
「け、結界だ…浄化の力を持ち、内部を清潔に保つ…だが魔性を退ける力もある…」
苦しそうに杖を掲げながら、司祭が言う。
「神聖術を使える者!集まれ!結界を補強する!」
「りょ…了解!」
治療を行なっていた軍医や魔術兵の一部が駆け付け、各々の方法で結界を強化する。
だがいずれの顔も苦しげだった。
「くッ…!いったいどこからこんな量の液体が…!
だいたいコレは何なんだ!?」
「なんなんだッ、コイツら!」
「グレンくんを狙ってる…!?」
「の、ようだね…」
グレンたちが魔皇の領域目指して突き進んでいたところ、黒い液体が大量に流れ込んできて、亡霊のように人の形を成して襲い掛かってきた。
液体はグレンに吸い寄せられるように、凄まじい勢いで迫る。
「なんだなんだテメェらは!?クソッ、こんな魔物見た事ねぇぞ!!」
『ちょ、ちょっと待って。この水…』
「なんか分かるのか!?」
『私の力、だと思う。魔族を生み出した力。
神聖な…つまり光の女神由来の力に引き寄せられる』
「つまり何だ、俺の手の紋章か!?
なんかおかしくねぇか、女神の力ってのは魔物にとっちゃ毒だろ!
なんで近寄ろうとする!?」
『自分にとって害になる物だからこそ、排除しようとするの!
本体…つまりネネルを守るために!
…っていうか、ちょっとマズいかも!』
「なんだよ!?」
『この水はアイツの一部よ。この水に触れると居場所が探知されるかも!』
「今更バレても問題ねぇよ!もうすぐそこなんだろ!?」
魔剣が赤い軌跡を残し、液体の触手を斬り落とす。
『そうね。さっさと進みましょ…あっ』
「あ?」
あちこちの扉、通路、脆い壁の隙間から大量の水流が押し寄せてきた。
「どわぁああああッ!?」
「うわっぷ…思いっきり浸かっちゃったけど、コレ大丈夫!?」
「く…武器を地面に刺して踏ん張るんだ!流されるぞ…!!」
生命の水は、飲み込まなければ毒性はない。
だがグレンたちと接触した瞬間、本体であるネネルの下へとその情報が送られた。
「……お」
ネネルの眉がピクリと反応する。
「…見~っけた」
〈つづく〉