ひどく暗い洞窟の複雑な岐路を、鉄仮面の巨漢が迷いなく進む。
その後を褐色の少年が恐る恐る追う。
「…………」
「あ、あの…」
少年がそろりそろりと自然が作り出した石柱の間を通り抜けてゆき、最後の1本の傍を通った瞬間。
石柱はそこに無く、立っているのは1人の男だった。
「どぉわっ!!?」
「死ね」
「お前が死ぬネ」
鉄仮面がいきなり振り向き、襲撃者に拳を叩き込む。
少年目掛けて剣を振り上げていた襲撃者は、とっさに上体を逸らして致命傷を避ける。
「ぐッ…図体の割に、また動きが速くなったんじゃねぇか?テメェこの野郎…!」
「か、隠れてたんですかこの人…全然気づかなかったんですけど…!」
少年…キルエは己の感知能力に引っかからない驚異的不意打ちに恐れをなしていた。
彼は軽い幻術なら見抜ける程度には、感知能力が高いと自負していたからだ。
「隠形術…自然と一体化すればお前も出来るようなるヨ」
「仙人の…師匠の術ですか?」
「左様!!この俺こそは、師ウーシエの隠密技術を全て会得した唯一の弟子!
生き残るべきは、選ばれし継承者である俺1人よ!!」
男の姿が揺らめき、虚空へと溶けていく。
2人の眼前で、全く何も無かったかのように消え去ったのだ。
「一撃で仕留められなかたか。硬気功も鍛えてるみたいネ」
「こーきこー?なんです?」
「何って、気功で防御力高める技よ……基礎も教えられてないのかお前!」
「す、すみません…」
「もういいヨ、邪魔だからどいてろ!コイツはワタシ1人で倒すネ!」
鉄仮面の男シャーヤが大きく息を吸い、一気に吐き出した。
その吐息は赤く輝く霧となり、周囲に広がっていく。
(これは…ヤバい!)
キルエは慌てて範囲から逃げ出す。
「かァッ!!」
叫びと共に、霧が連鎖的爆発を起こした。
洞窟そのものが崩落するのではないかと錯覚するほどの、激しい振動と轟音。
「う、うわわわ…!」
「隠れたきゃ死ぬまで隠れてるといいネ!
残ったバラバラ死体喰ってやるから!!」
絨毯爆撃めいた破壊の嵐が、男の周囲一帯を舐め尽くす。
キルエには、これで生き残れる生き物など居るとは思えなかった。
「まだ出てこないか?だったらもう一発…」
息を吸いかけたシャーヤの背中に、刃が突き立つ。
「がッ!!」
「余所見はいかんなァ…」
奇襲者は全身が焼け爛れているが、まだ余裕がありそうだった。
「この程度で俺を殺れると思ったか?
貴様の予想通り、俺は硬気功をも極めている…爆発なんぞで死ぬかァ!」
「ならもう一発殴られても死なないか、お前?」
「ッ!!」
背中に刺さった刃が抜けない。筋肉の緊張により、無理やり固定しているのだ。
武器を捨てようとしたが、その一瞬の遅れが致命的。
「シャアッ!!」
「ぐげ…ッ」
流星めいた殺人鉄拳が男の顔面を撃ち抜き、宙を舞わせた。
「ま、まだッ…!」
だが男はなおも命尽きず、空中を吹き飛びながら姿を消そうとする。
「逃がすかバカ!!」
シャーヤが一度の跳躍で男の真上まで飛び、踏み潰した。
男の頭部は無残にも砕け、赤い花を開かせた。
「……ふぅ。どいつもこいつも、邪魔ネ」
「…………」
事もなげに一言で片づけたシャーヤの一方、キルエは委縮していた。
(この洞窟に居る連中…全員がこのレベルなのか!?
自然と一体化して気配ごと姿まで消して、爆発喰らってもピンピンしてて…バケモンじゃねぇか!
あの師匠の弟子だから、ヤバいとは思ってたが…!)
この洞窟に送り込まれた者は皆、ウーシエから一定の評価を受けているのだ。
弟子の中でも、”見込みアリ”とされた者だけがここに居る。
その事実が、キルエの心に重くのしかかった。
「何ボーっとしてるか、早く行く!」
「あ、はいッすいませ…」
シャーヤが殺した男の腕を咀嚼しながら促し、その声で我に返ったキルエがふとシャーヤの足元を見る。
地面を水のように掻き分け、シャーヤの足を掴もうとする手があった。
「足元!!」
「ん?…おとと!」
シャーヤが物凄い音を立てて跳躍する。地面が割れ、手の主が弾き出された。
「ぐわッ…」
同時にキルエも跳ぶ。キルエの足を捕らえようとした両手が空を切る。
(やっぱ俺の足元にも居たのかよッ!)
地中の襲撃者たちは姿を捉えさせずにまた沈み込んだ。
「クソッ…逃げた!シャーヤさん、地面踏みまくって捕まえてください!」
「……いや。やめやめ。早く進むがいいヨ」
「え?いや、だって…」
「皆互いに殺し合うため、常に隠れてる。
どこに隠れてるか分からないし、多分どこにでもいるよ。
特に今のブームは、ワタシたち殺す事よ」
「な、なんでぇ!?」
「隠れもせずズンズン進んでたら、狙われるに決まてるヨ。
さ、行こ」
シャーヤは足元を一瞥すらせずに突き進んでいく。
キルエも慌てて後を追うが、足元や壁に警戒を張り巡らせて、生きた心地のしない時間が続いた。
(マ、マジかこの人!ノー警戒でガンガン行くじゃん!
危機感死んでんじゃねぇの!?)
それから数時間歩き続けたが、警戒のおかげもあってか、その間襲われる事は無かった。
「飽きた。今日はここで休む」
「へ?」
その提案もまた唐突なものだった。
「さすがにちょっと飽きた。寝る」
「いや寝るって…こんな所で!?」
「ちょうどよく開けてるし良いダロ?
お前も疲れたと違うか?」
「そりゃまぁ…結構キツい状態ですけど…」
シャーヤは固い地面にいきなり寝転がる。
「ワタシ飯食べた。お前も食って寝るといいネ」
(そうだ…なんか時間経過が曖昧で気づかなかったけど…)
意識した瞬間、疲労感が一気にキルエに圧し掛かり、身体を床に横たわらせた。
と同時に空腹感をも思い出す。
(疲れとか空腹が感じにくくなってる…?
まぁ半分あの世みたいなもんらしいし…自分で気づかないと突然倒れる事もありそうだ。
そういや師匠から貰ったメシと水があったな)
鞄から取り出した奇妙な白い塊をちぎり、頬張る。一口目から既に気が遠くなる。
(この、石でも食ってるみたいな無機質感。味わうもんじゃねぇな)
革袋に入った水分を飲み下し、また悶絶する。
(サラサラの砂を飲み干してるみたいだ…もっと美味く作れねぇのかよ!?
いくら食料の劣化を防ぐためっつっても、もう少し…)
そこでふと気づく。
シャーヤは食料どころか、ここにずっと住んでいる人間の肉を食っている。問題は無いのだろうか、と。
「あの、シャーヤさん…」
寝ていた。大の字に身体を投げ出し、気持ちよさげに眠りこけていた。
(マジかコイツ…こんな敵だらけの場所でよく寝れるよな。
普通怖くて目ギンギンになるだろ…)
そう思いつつも少しでも体力を回復するため、目を閉じる。
しかし壁や地中から突然現れた敵を思い出すと、どうしても身体が強張った。
(ちくしょう、こんな状況で横になったって疲れ取れねぇよ…。
幸い固い地面には慣れてるけど……いや…?)
しばらく横たわっていると、不思議と緊張感を心地よく感じてきた。
身体の硬直を忘れ、皮膚のピリピリした感覚だけが純化していく。
その感覚が”気配”であると思い出したのは、1時間ほど経ってからだった。
(そういや、森に居た頃は寝ながら危険を感知してすぐに起きられたっけな。
ああ…師匠が言ってたのはこういう事か…)
扉を閉じる前にウーシエが囁いた『本来の貴様を忘れるな』。
それは、森の中で魔獣と生きていた頃の感覚を取り戻せという示唆であったのだと、キルエは思い至った。
その事を理解したとたん、眠気が襲った。
ウトウトと微睡の中に溶けていく意識を、キルエはあえて止めなかった。
…………鋭い緊張が肌を刺し、キルエは目を覚ます。
身体を固くせず、リラックスしたまま気配の主を待つ。
(…今か)
影を感じた瞬間、起き上がりざまに隠し持った吹き矢を放つ。
「ぐおッ!?」
襲撃者の声を聞き、シャーヤも瞬時に目覚める。
「敵かァアアアアア!!」
「ぐげッ」
首で反動をつけて起き上がりながら、鉄仮面の頭突きで敵の頭を破砕する。
「おはようございます、シャーヤさん。
囲まれてますよ」
見回せば、壁面・地中・虚空から無数の敵が湧き出し、キルエたちを包囲していた。
「よぉし、焦れて襲いに来たかお前ら!
小僧、このまま出口向けて走る!」
「え?た、戦わないんですか?」
「隠れた敵にビクビク怯えながら進むより、見えてる敵から逃げるのが楽!」
「まぁそうですが…彼らも出口まで案内するつもりですか!?」
「そうヨ!連れて行けばいい!!」
シャーヤは腕をクロスさせ、霊力を纏わせながら突進し、包囲網を突き破る。
キルエも慌てて後を追った。
「ほらァ!追てくる勇気あるなら来い!」
「ほざくな!外に出るのは私だ!!」
「どけッ老いぼれども!!貴様ら全員を狩り殺し、その力を貰い受ける!!」
後方では何人かが殺し合いを繰り広げ始め、洞窟内には久方ぶりの血風が吹き荒れた。
シャーヤの、ひいては新たな入洞者であるキルエの存在が、硬直していた戦況に火を着けたのだ。
仙火や仙雷が舞い、獣に変じた者たちが喰らい合い、呪詛が飛び交う。
「牽制し合うだけの時間は実に退屈だった…いい機会だ!
ここで一気に数を減らすとしよう!!」
「口だけは達者じゃの。
よかろう、ここでの暮らしには不自由しとらんかったが、これも面白い!!」
金髪の若者と古木のような老人が対峙しながらシャーヤを追う。
「死にぞこないにトドメをくれてやる!!」
「ハハハ、甘いわい!!」
若者が龍を象った黒いエネルギーを放つと、老人は肌を岩めいて変質させ防ぐ。
一進一退の攻防が続く中、ふと老人が足を止めた。
「どうした、怖気づいたかァ!」
「…シャーヤめ、出口を見つけたというのは真であったか」
「だからこそ追っているのだろうが!耄碌したか?」
「たわけ。ワシは出口なぞとうに知っておる。
戻ってきたのだ、外に出られずにな」
「何を世迷言を!ならば私は先を急がせてもらおう!!」
取り残された老人が、黄ばんだ歯を見せ嗤う。
「バカめ。出口に何が居るかも知らずに。
まぁいい、これでマヌケが減ってこの洞窟も少しは静かになろうて」
嘲笑の表情には、隠し切れぬ諦念があった。
「あの修羅が居る限り…ワシらは1人も出られぬというのにな」
「ハァ、ハァ…シャーヤさん、本気で出口まで突っ走る気です!?」
「騒ぐな!そろそろ出口よ!」
「でも出口の光なんて全然見えない…うわッ!?」
前方に目を凝らしていたキルエは、それゆえに初撃を躱し得た。
赤黒い腕による、殺人的速度の正拳突きを。
「クソッ…誰だよ!?」
この洞窟は完全に封鎖されている割に、不思議なほど見通しの良い空間である。
だがシャーヤが出口と言ったこの付近だけ、妙に暗い。
敵の存在を判別しづらかった。
「大丈夫、目に意識を集めるようにして、よく見ろ」
「……!!?」
煮えたぎる赤黒い奔流が、辛うじて1つの人型に留められている。
頭部には無数の眼球が蠢き、6つの腕が武具や装飾を携えているのが確認できた。
「よ こせ お前ら の 心臓」
グロテスクな雑音に紛れていても、シャーヤにはその言葉が聞き取れた。
だがキルエにとっては知らない言語だった。
「アイツ、ああしてずっと出口の前に立ってる。
出ようとする奴皆殺して食うのヨ」
「それは…まるで…その」
「そう。ワタシと同じ【
食べた相手の霊力取り込んで、取り込みすぎて…死んでも悪霊になって留まってる」
「なるほど、そういえば師匠からも悪霊がどうのって聞かされましたね。
それにしては、あの人以外の悪霊は見かけませんでしたけど」
「昔はもっといた。だけどアイツが現れてから、皆吸収された。
それだけ強いということネ」
「なのに死んじゃったんです?」
「戦いに次ぐ戦いの中で斃れて死んだ。アイツは元々そのつもりだた。
知てるか?死んで仙人になるという方法ある。アイツはそれを狙てた。
だけど羽化しきれず、悪霊になた…」
「その物言いだと、どうもお知り合いのようですが…おっと!」
キルエとシャーヤは、同時に悪霊の攻撃をかわす。
「そうよ!コイツ、ワタシの兄弟子!生きてる時からエラソーで嫌なやつだた!
死んでも迷惑かけられるとか、腹立つ話ね!!」
「貴方がこの出口から出るのを諦めるほどに、ですか!?」
「見てれば分かる。そのために、アイツら連れてきた」
「アイツら…?ああ、あの人たちですか?
でもすぐに協力してくれるほど物分かりいいかな…」
「シャーヤ!!その首貰っ…何ッ?」
追ってきた他の弟子たちも、すぐに悪霊を視認する。
内包する凄まじいエネルギーをも、すぐさまに見抜く。
「これは…死人か。随分と久しぶりに見たな」
「へへッ…近頃はとんと出てこなくなったと思えば、こんな大物がいたか」
「まぁいい!どのみち全員殺す予定だァ!!」
彼らは躊躇なくターゲットを切り替え、悪霊へと飛びかかる。
「物分かりとか関係ないよ。
強い奴いたらとりあえず殺してみるのが流儀ね」
「まぁ、それなら別にいいか…。
この数なら…1人1人も相当に強いし、倒せそうですね?
その隙に俺らは出口へ、って訳ですか!」
シャーヤは首を横に振る。
「ワタシ、アイツとの戦いの中で何も見えなかた。
ただ攻撃かわして、防いで、逃げるので精いっぱいよ。
アイツらは攻撃見切るための当て馬!」
「え…でも、さすがにこの数なら…」
キルエは数を恃みにしているのではない。
彼ら1人1人が相当に強いと痛感したからこそ、これだけ集まって勝てない理由が見出せないのだ。
「ああ、確かにアイツら強い。でもね…」
悪霊が6つの腕を振るう。数十人がまとめて吹き飛んだ。
直撃を喰らった弟子たちの中には、半身が吹き飛んでいる者もいた。
「うわっ、一撃死か…!」
「いや、攻撃当たったら死ぬのは当たり前。
そこは問題じゃない」
「……?」
言われてみればキルエも『おっしゃる通り』としか言えないが、それならばなおさら不可解であった。
シャーヤがいったいこの悪霊の何を恐れているのか。
ある農夫が、6歳ほどの子供を連れ、朝のあぜ道を歩いていた。
「お~れ~ね~む~い~!」
「ワガママ言うでねぇ、飯食えるのはちゃんと仕事したヤツだけだぞ!」
どこにでもある農村の風景…ある一点を覗いては。
「うん?な、なんだぁ?」
道士服の一団が、ズラリと並んで道を征く。
農夫は思わず、先頭にいる者に問う。
「あの、もし。シャン家の皆さんがこんな連れ立って、いったい何事でござんしょう?」
「…知ってどうする」
一番身分の高そうな老人が、迷惑そうに目を細める。
「父上、そう言わずに。
我らシャン一族は退魔の家、大きな動きがあれば民が不安がるのは当然でしょう」
隣の風格ある長髪の男が言うように、彼らは退魔師の一族であった。
この国…【瑞龍帝国】において辺境の護りを任された式神術の
「我々はあの血鬼山へと向かうのだ。
他の村人にも、山へは近づかぬように広めなさい」
「あ、あの山へ!?おやめなせぇ!あの山には、あの世に通じてる洞窟があるんです!
夜な夜な血に飢えた鬼どもがその穴から這い出て、獣や人を喰らうって言い伝えが…」
「下らぬ事を…その洞窟はとうの昔に封印されておるわ。
当時の我が一族の当主によってな」
「ですが父上、封印が解けるというからここまで来たのです。
ひょっとして既に解けていて、良からぬ者どもが暴れておるのやも…」
「フン。予言なぞどこまでアテになるものやら。
それに封印が解ければそれと分かるようになっておる。
…いつまで平民の相手をしている、行くぞ!」
「はッ」
老人は一団を連れ、冥府へ繋がるという血鬼山に向かう。
その歩みには躊躇いこそ無いが、気だるさがあった。
「当主たる儂と、後継の貴様。下らぬ予言のために、親子連れ立ってこんな所まで足を運ばねばならんとは。
式神の名門シャン一族も焼きが回ったものよ!」
「父上、またそのような事を仰る…」
「長兄は一族きっての傑才、と喜んだのもつかの間。
次女は才あれど病弱、末弟に至っては無能無才にして怠惰の極みときた。
これはいったい何の呪いか、それとも冗談か!」
「どうなされたのです、父上。本日は一段と怨言がちですな」
「言いたくもなろうて。
…フン、まぁいい。このような仕事、早々に済ませるぞ。手筈通りにな」
実際に洞窟まで向かい、封印の様子を確かめる。
何も無ければそれで良し。だが封印が解けるのなら、出てきた瞬間に何者であろうとも殺し尽くす。
実にシンプルな作戦だった。
「分かっておろうな、ホンレイ。
まず間違いなく封印は解けぬだろうが、万が一解ければ…」
「は。【光箭の術】の一斉斉射にて、跡形も無く滅却いたしましょう」
「合図は貴様に任すぞ」
「御意にて」
〈つづく〉