キルエが師匠から修行として送り込まれた洞窟は、魑魅魍魎の巣窟であった。
周囲と協力し辛うじて脱出したキルエだったが、出口の封印を破壊した先には道士服の集団が待ち受けていた。
彼らは脱出しようとするウーシエの弟子たち目掛け、光の矢を浴びせかけた。
「うわわわわ!」
シャーヤの巨体を壁にして隠れる。
シャーヤ本人は光の矢などどこ吹く風といった風情で、棒立ちしている。
「ちぃと霊力纏わせれば、この程度は防げるけど。
ずっとここ居るか?ワタシの後ろに?」
「そ、そういう訳にはいきませんよね…!」
キルエは懐から黒い仮面を取り出して着用し、マントについたフードを被る。
この仮面、メルディゲから借りてそのまま返しそびれた物である。
「何してるか?」
「何って、ここから逃げるんでしょう?
顔を覚えられたら厄介ですよ…指名手配された事もありますし、ね」
仮面は黒い靄を発してフードの中を覆い、声も性別・年齢不詳の不気味なものに変換された。
これは仮面が持つ認識阻害効果である。
「用意がいいな。じゃ、どうするか?」
「他の人が飛び出してから、彼らを壁にして逃げましょう」
「他の人?このザマでか?」
生き延びたはずの弟子たちは、光の矢の先制攻撃によって、その多くが全身穴だらけの身体になっていた。
脇腹・肺・心臓・頭…至る所に光の矢が突き立っている。
「…でも、どうせこの程度じゃ死にゃしないでしょう?
あの師匠の弟子なんだから」
「フハッフハハハハ!」
答えるように、先陣を切って頭に矢の直撃を受けた弟子が起き上がる。
「よくも邪魔してくれおったな貴様らァ!!」
そして鬼火のような青い火球を生成、連続発射した。
道士服の何人かに命中し、火だるまに変える。
「ぐぁああああッ…浄織布を焼くとは…!」
「ただの妖怪ではない…!!」
相手も反撃は予測して備えていたようだが、これほどの強者たちに対応できるものではなかった。
「テメェら何者だ、いきなり射掛けてきやがって!!」
「【兇仙】の弟子に喧嘩を売った事、あの世で後悔するがよいわ!!」
死に体に見える傷を負った者たちも、怒涛の勢いで集団へと向かっていく。
「…ほらね」
「ならワタシたちも紛れさせてもらうネ」
「その図体だと、紛れるのも難しそうですが…」
「忘れたか?ワタシの技、”霧”よ。隠れて紛れるの得意中の得意ね」
道士服の1人が、リーダーの老人に問う。
「御当主…コイツらは何なんです!?」
その声には、予想を超えた事態への混乱と焦りが滲んでいた。
「これほど強大な妖怪どもが、こんなに住み着いているとは…!
まさか本当に、あの世から現れ出た悪鬼とでも…!?」
「無駄口が多いぞ、愚か者。
…全式神の解放を許可する!全力をもって対応せよ!」
「りょ…了解!」
合図に合わせて、巨大な虎や狼、狐などが虚空から出現する。
どれも実在の動物とはかけ離れた、まるで醜悪に戯画化したような姿だ。
だが…
「キャキャキャ!獣ごときでワシを殺せるかァ!!」
「解体し!皮を剥いで!鍋にして食ろうてやるわ!!」
「シャバで食う最初のメシは…退魔師の生首だァ!ヒャハハハハ!!」
ウーシエの弟子らもまた、悍ましく歪んだ悪魔のような笑顔で迎える。
彼らは皆人間ではあるが、修行の果てに異形と化した者も少なくない。
「父上…あの式神を召喚なさっては?」
長髪の男ホンレイが囁いた。
「馬鹿な事を…制御出来ぬものを解放してどうする?」
「ですが、敵は強力です!
あの竜神退治以来です、ここまで死を近く感じたのは…!」
「…未熟者め!とにかく、アレの解放はせぬ!」
そうは言うものの、当主であるこの翁が敵の脅威を見誤る事は無い。
(よもや、あの得体の知れぬ占い師の予言が命中するとは!
その上、これほどの災いが解き放たれようとは!)
眼前の敵が使う術は、積み重ねられた老人の知識にも心当たりがあった。
「間違いない、これは仙人の術!
しかしこれほどの数の悪仙・邪仙が居るなどと…!」
仙人は、”神仙”と言うように、神と並べて語られる人外の存在である。
退魔稼業をしていれば生涯に一度や二度出会う事もあるだろうが、交戦する事など…ましてやこれほど大勢の仙人と戦うなど、現実離れし過ぎていた。
(もっとも、仙人と会える場所ならよく知っているが……いや。
今はどうでもよい事だな)
不要な思考を振り払い、眼前の敵へと全神経を注ぐ。
「だが、所詮は成り損ないのニワカ仙人であろう…!
ここで皆死ぬがいい!!」
老人が操る巨大な狐の式神が、地面もろとも数人の敵を噛み砕いた。
続けて狐の尾が燃え盛り、複数に分かれて鞭のように周囲を焼き尽くす。
「どうした、老いぼれ1人殺せぬか!?
貴様らまとめて……何だ?」
辺りに霧が漂い始める。
始め薄っすらとしたものだったそれは、すぐに視界を覆って、一寸先さえ見えぬ純白の虚無風景へと変わった。
「な、なんだコレは!?」
「前が見え…ぐわぁああッ!?」
「狼狽えるでない!幻惑の術だ!
結界が使える者は周りを囲い、中を己の霊力で満たすのだ!」
当主は呼びかけながら炎の尾で霧を焼き払うが、とても全域には手が回らない。
ましてや、味方までも巻き込みかねないこの状況での全力攻撃は悪手でしかなかった。
(とはいえこの規模では相当の霊力を消費しておるはず!
この霧が消えるまで何とか…)
「ぐあああああッ!右が突破されるぞ!!」
「ッ!!」
老人の耳が、その悲鳴を捉えた。
まず内容を認識し、次に声を脳内で反芻する。
(…………!?)
今の声がどんなものだったか、全く思い出せなかった。
その性別も、年齢も、声がした位置すらも。
「何だと!?」「マズい、右に回れ!」
声を聞いた部下が慌てて動く中、老人は気付いた。
「……違う!今の声は妖術じゃ!!
左に回り込め!!」
霧の向こうで、大きな黒い影が左の包囲を突破していった。
「…おのれ、遅かったか!!」
「父上!?」
「ホンレイ、ここは任せた!ワシは逃げた者を追う!」
老人は息子に現場の指揮を託し、逃走した影を追わんとする。
「…父上。いざとなればあの式神をお使いください」
「何度も言わせるな。アレは制御が効かぬ怪物ぞ!」
「だとしても…窮地に陥ったのなら、必ず使ってください。
命を落とされるよりはマシでしょう」
「この儂が斃れると申すか、あの程度の輩を相手に!!」
激昂する当主と対照的に、息子は冷静極まる様子だった。
「もしもの話です。父上の強さはよく知っています。
だからこそ、そんな父上を追い詰める相手が居たのなら、躊躇せず召喚してください。
歴代当主が誰一人として調伏できなかった式神…だからこそ、有効なのです」
「…………」
「なに、いざとなれば私が調伏しますよ。
私は一族きっての傑才…なのでしょう?」
「…フン。要らぬ心配よ!」
老人は一息で高く跳躍し、霧の彼方へと消えた。
そしてじわじわと霧が薄れ始める。
「私が追い付くまで、どうかご無事で…父上」
ホンレイは、腰に帯びた剣を抜く。
刀身に式神を封じ、抜剣によってそれを召喚する【封霊剣】である。
ホンレイの背後には、無数の式神が現れた。刃纏う大虎。白く輝く龍。意志持つ大剣。
「さて貴様ら!いつまでも相手をしている訳にもいかなくなった!
早々に死んでもらうぞ!!」
老人は霧の中を駆け抜け、黒い影を追う。
(霧が一向に薄くならない…この霧を生み出しているのはこやつか!)
弓引く動作を行なうと、部下たちとは比べ物にならないほど巨大な光の矢が出現する。
「…【光箭・大浄法】!!」
影はその巨体に見合わぬ反応速度で身を翻し、かわす。
矢が着弾し、爆発と共にギラギラと強烈な光を撒き散らした。
霧が消え始める。
「…!」
巨体の動きが止まり、老人の方を振り向く。
「術封じの術か…」
「周囲の気を浄化した。もはや小賢しい外法は使えぬと思え。
そして、逃げる事も出来ぬと知れ」
「小賢しいのはお前だ。霧を封じた程度で図に乗ってるらしいな。
老いぼれが1人でノコノコと、死にに来たのか?」
霧が晴れると、そこは山中でも特に草木深い場所だった。
現れるは、聳え立つ巨体の男。
鋼の如き筋肉を纏い、鉄仮面の奥で凶暴な目が輝いている。
(なるほど、強いな…だが勝てぬほどでは……ッ!?)
霧がかかっていた時は見えなかったが、大男の肩に小柄な者が乗っていた。
「…もう1人、居たのか」
全身を隠す大きなマントを纏い、フードの中は暗黒が広がっていて顔は見えない。
「おやおや、2人で何の話をしているんです?
分かる言葉で話してくださいよ」
統一アルダー語で語るその声は、性別も年齢も測りがたいものがあった。
当主は言語を切り替えるのに一瞬の間を要した。
「…その声、『右の包囲が抜かれる』と流言をほざいていたな。
馬鹿共はまんまと騙されたが、儂は欺けんぞ」
「おや、わざわざ言葉を合わせていただいて恐縮です。
ええ、彼の【山彦の術】のおかげで、どこから声が響いたのか判別できなかったでしょう?」
「やはり小細工ではないか…下らん。
貴様らごとき下等な妖怪、2人まとめて始末してくれるわ。
来たれ、【妖狐・烽扇】!!」
狐の式神を呼ぶ。…呼ぶが、来ない。
「何をしている…!?」
「おや、ひょっとして弁解の余地を頂けるのでしょうか?」
フードの小男が、慇懃に言う。
「でしたら、どうか聞いていただきたい!
我々はあの洞窟でただ修行をしていただけの行者なのです…」
「ほざくな!あの洞窟は遥か昔に封印された禁足地!立ち入っておる事がそもそも罪よ!
もうよい!式神が無くとも、貴様らごときには拳で充分!」
「そうか」
「ッ!!」
老人が高らかに叫びきったその時、既に巨漢の拳は眼前にあった。
「お前、話長い…よッと!」
凄まじい剛力によって殴り飛ばされ、大木に叩きつけられる。
木は凄まじい衝撃に揺らされ、ズズズ…と一気に傾いて折れた。
「あ~あ、殴っちゃった…」
「今更遅いだろ。向こうから仕掛けてきたんダ。
しかも逃げてやったのに、わざわざ追い掛けてきたマヌケな爺さんヨ」
小男と大男が言葉を交わしていると…
「ああ、もう遅いぞ…!」
「「!!」」
倒木が回転しながら飛んでくる。
巨漢がこれを殴り、粉々に砕いて防いだ。
「儂を前にして、生きて逃れられると思うてか…!」
老人の矮躯に、凄まじい殺気が凝集している。
怒りの形相によって際立つ皺は、さながら極限の経験と鍛錬が刻まれた年輪だった。
この男は瑞龍帝国きっての退魔師、シャン家の当主。
魔と相対して、退く事も逃がす事もありえないのだ。
血鬼山の麓には農村があり、そこから少し離れた場所に大きい街がある。
【シャンの街】…そう呼ばれる通り、シャン一族が実質的な統治を行なっている。
街の中心には市庁舎よりも大きいシャン家の屋敷があり、魔を祓う救世主として街全体から尊敬を集めていた。
「……」
主が居ない屋敷の中で、寝台に横たわり物憂げな目線を窓の外に送る、妙齢の麗人がいた。
「…はぁ」
「お嬢様。お身体の調子が優れないようでしたら、先生を呼んで…」
「え?あ、ああ…いいの。大丈夫大丈夫。
ちょっと…父様が心配になっただけよ」
「御当主、ですか?
その、差し出がましいようですが、あの方が敗れるというのは考え難く…」
「そうよね。あの頑丈な人がくたばるとこ想像できないし」
気を使って歯切れが悪くなった侍女とは対照的に、女の物言いは明け透けだ。
「でもさ…あのお婆さんの言う事が気になっちゃって」
「あの予言者の事ですか?
失礼ながら、信用するにはあまりに怪しいとしか…」
少し前、女の兄…ホンレイがみすぼらしい老婆を連れて来た。
その老婆は占い師であり、『近々、シャン家の古き壺の蓋が外れ、災いが溢れ出すであろう』と予言した。
ホンレイは血鬼山が【大壺の山】とも呼ばれている事を根拠とし、山の封印が解ける予言であるとして、当主に封印を確かめる事を提案した。
「ホンレイ様ともあろうお方が、なぜあのように胡散臭い予言を信用しておられるのかだけでも不可解ですのに。
この上ミンファお嬢様までも…!」
「いや、私もあのお婆ちゃんの事は正直詐欺師くせーと思ってるわ。
だけどね、『嫌な予感がする』とあれだけ兄様が言うのだから、父上としても無視する訳にはいかないでしょう。
それに私も、あの兄様が言うんだから…と思ってしまうの」
「確かに、おっしゃる通りです。ホンレイ様の予感はよくお当たりになりますから…」
この女、シャン家次女のミンファは身体が弱く、1日のほとんどを寝台の上で過ごしている。
だが術師としての才能は高く、この部屋から一歩も出ずして式神を使役し、街内の妖怪魔物を滅してきた。
とはいえ今回ばかりは街の外という事もあり、事態を傍観する他ない。
「お嬢様もよくご存じでしょう?
もし封印が解けたとして、御当主とホンレイ様が居て遅れを取るはずがございませんよ」
「そうよねぇ。分かってる、分かってるんだけど…」
どれだけ安堵に足る情報を並べても、ミンファの心を陰らす不安は晴れる事が無かった。
あるいは、ミンファの卓越した術師としての勘だったのかもしれない。
「お、お嬢様!」
その時、別の従者が慌てて駆け込んでくる。
「な、なんですか騒がしい!お嬢様のお身体に障ったらどうするんです!」
「いや、あの…朝廷の【星命部】から式神が…この文を届けに来ました!」
「それ、貸していただける?」
ミンファは従者から書簡を受け取り、開いた。
「……ッ」
そして絶句する。
「わ、我々は退室いたしますね…」
「いえ。重要な事だから聞いておいて。
星命部によると、『血鬼山に凶兆が出た。3週間は気を配っておいていただきたい』…だってさ」
「な、なんと!?それでは、あの予言は…!?」
「『ウーシエ案件の可能性あり、注意されたし』…」
言い終わったミンファの顔が青ざめているのは、体調が原因ではない。
「ウ、ウーシエ案件というと…」
「ええ。【兇仙】ウーシエ。
私も見た事はないけれど、強大な力を持つ悪の仙人だとか…」
「お嬢様…」
「……ごめんなさい。父様と兄様が空けている今、この家は私が統率しないといけないものね。
大丈夫、しっかりするから」
「あの…援軍はどういたしましょうか…?」
「…父様と兄様がやられるような相手なら、誰が出て行った所で犠牲が増えるだけだわ。
ここは2人を信じて待つとしましょう」
「は、はい。…せめてチンフイ様がちゃんとしていてくれれば…!」
侍女が言いかけてハッと口を噤む。
「み、身の程を弁えぬ放言、お許しを…!」
「アハハ、弟も散々な言われようね。
まぁ、毎日部屋に籠ってボーっとしてばっかりじゃ、そう言われるのも仕方ないか」
シャン家の三男チンフイは退魔の術だけでなくあらゆる才に乏しく、毎日を怠惰に過ごしていた。
家中でも、『当主の息子である』以上の敬意は払われていない。
「でも、まぁ…一応、あの子にも伝えてあげて。
万が一父様と兄様がお帰りにならない場合、私が次の当主になるけど…こんな身体じゃいつ死ぬか分かんないでしょ?
あの子も、シャン家の当主候補としてしっかりしてもらわないとね」
「そんな!お嬢様の身体はきっと良くなります!」
「ええ、そうね…こほッ!」
「お、お水です!ゆっくり飲んでください」
「ありがと…けほッ、かはッ!」
侍女の注いだ水を喉に流し当てながら、荒い息を落ち着かせる。
(頼むから、お願いだから、何事もなく帰ってきて。2人とも…!)
〈つづく〉