キルエたちは、質屋で会った少年に導かれて巨大な湖へと辿り着く。
少年曰く、そこに目的の旅館があるとの事だが…
「うおおおおおおおッ!?」
「なんじゃこりゃぁああああッ!」
湖面を持ち上げて浮上したのは、至近からでは見上げても頂点が見えぬほどの大楼閣。
そこから橋が架かり、男が恭しくも馴れ馴れしく近づいて来る。
「当宿、【亀甲楼】へようこそおいでくださいました」
「亀甲…楼…」
「ええ。その名の通り巨大な海亀の甲羅の上に建っておりましてね」
よく見れば楼閣の足元は、水に濡れて輝く亀甲で出来ている。
「ちょ、こ、これ見てください!
亀の甲羅じゃないですかよく見ると!」
「ああ。今そいつも同じ事を言った。
で?どういう事か教えてもらおうか?」
「この亀は地下の龍脈の中を泳ぐ事で、世界中を移動するのです。
なにぶん、各国にお得意様がいらっしゃいますので!」
「移動する宿屋か…」
「左様でございます。
さて、ここでは何ですからどうぞ中へ」
男のジェスチャーで察したか、キルエがシャーヤを見る。
「は、入れって言ってます?どうします!?」
「そりゃ、旅館だからネ。入るしかないダロ」
「ほら、早く来いってお前ら!先行っちまうぞ?」
少年は躊躇い無く後を付いていくので、2人もそれに倣う。
「さぁ、お入りくださいませ」
男が扉を開け、促す。
「お、おお…っ」
一歩慎重に踏み入れて、キルエは言葉を失う。
吹き抜けの広い天井。無数の通路。活気に満ちた客入り。
外見からして相当の規模である事は分かっていたが、そんなキルエの予想を超える広さ。
「見た目と、違います…よね?この広さ」
「ああ、外で見た時より、明らか広くなてるヨ」
「ま、魔法…でしょうか?」
「分かんないけど、多分違う。
この感じ、覚えがある。…【仙境】よ」
「仙境!?そ、それって…」
仙境。この世とあの世の境にあるという、仙人独自の領域。
仙人はそれぞれ己の仙境を有しており、その中において主は無敵の力を得るという。
「おやおや、その知見がお有りとはお見それいたしました!」
スタッフの男は瑞龍帝国の人間らしかったが、統一アルダー語の会話を聞き逃さなかった。
「左様、ここ【亀甲楼】の主は仙道にも造詣が深く、当宿の様々な設備にも応用されております。
ただ大変に変わり者でして―」
キルエとシャーヤに目線を送る。
「お泊めする前に、お客様の
「!?」
少年が驚く。
「お、おい!俺の時はそんなん無かっただろ!?」
「ええ、チンフイ様はご家族と一緒にお泊りになりましたね。
シャン家は帝国屈指の純血退魔師の一族であらせられますので、それ自体が希少価値となり得ます」
会話に追いつけぬキルエは、ただ困惑するしかない。
「あの、何を話してるんです?」
「泊まる前にワタシたちの価値を確かめさせろて」
「価値ぃ?」
2人は顔を見合わせる。
「ど、どうします?」
「じゃ、ワタシ先に行くネ」
シャーヤはズンズンと男の前まで進む。
「お前、仙人の技は詳しいか?」
「ええ、もちろん!
これでも私、そちらの界隈ではそれなりに…」
「なら安心だな」
メリッ。
と鉄仮面の口が開き、男の頭部を半分食い千切った。
「え」
「……おいおいおいッ!?なにしてんスか!?」
キルエは慌てて駆け寄るが、何より驚愕したのは少年だ。
「ひぃいいいいッ!?
な、な、お前!何してんだよッ!!」
尻餅をつき、恐怖に慄いている。
退魔の家の出だけあって、血の類いには動揺しないこの少年だが、連れて来た男が旅館のスタッフを食い千切ったらさすがに驚く。
「仕方ないだろ。客商売のくせに客を試すな」
「ちょ、んな事言ってる場合じゃねぇって!
い、いますぐ逃げますよ!」
「…お待ちを!ご安心ください!どうか落ち着いて!
他のお客様のご迷惑にもなりますので!」
顔を半分失った男が制した。
そして傷口をスッと撫でると、顔は元通りになっていた。
「治っ…た?」
言違和感を覚えたキルエが見回してみれば、周囲の客は特に怯えるでも騒ぐでもなく、まじまじと見つめている。
「ご不快な思いをさせてしまい、大変申し訳ございません。
これは、物理的に摂食した相手の霊力を取り込む術ですね?」
「幻か。…どうりで、食い応えが無いと思った」
「これは失礼いたしました。お見事な仙術です。
これほどの術を会得されているのであれば、希少価値は充分ですね」
男は続いて、キルエを見る。
「ええと…お客様。統一アルダー語での会話は可能でしょうか?」
「へっ?え、あ、はい!分かります!」
「恐れ入ります。
何か希少価値を示せる手段や物品等はございますか?」
「ええっ…と…」
手っ取り早いのは、左目の魔眼だ。
父の額から抉り取って埋め込んだこの眼は、【簒奪の魔眼】と呼ばれる最上級のモノだった。
しかし、師匠の警告が気にかかる。
『最上級の魔眼は極めて貴重じゃ。
貴様のような雑魚が持っていたら、あっという間に攫われて目だけ抜かれ、土の下で眠るのがオチじゃて』
気安く他人に見せるものではない。
見せるとしても、最後の手段であろう。
「…ん、そういえば物品でもいいんですよね?」
「ええ。何か珍しいものを見せていただければ」
何かないかとリュックを探ってみると、師匠から授かった余り物の食料が出てきた。
本来は洞窟の中で正しい道を見つけるのにかなりの時間を要するため、数日分貰ったものだ。
もっともシャーヤが正解ルートを知っていたので、あまり食べずに済んだ。
「あの、コレはレアですかね」
少し千切って男に手渡す。
男は懐からモノクルを出して、ためすがめつ鑑定する。
「…疑似霊芝?しかしこの純度は…いやむしろ、あえて混ぜ物を?」
「ど、ど、どうすかね?」
「…素晴らしい!
恐れ入りました。これは常人では手に入れられぬ物でしょう。
差し支えなければ、入手経路をお教えいただけませんか」
「ええと、師匠から貰ったんですが」
「なるほど、お知り合いからですか。
……ではこちらへ。お部屋へとご案内いたします」
その様子を、いかなる手段によってか、観察する者あり。
「おや。またも珍客のようだ」
支配人室に腰掛ける、1人の年若い…年若く見える青年。
スーツを身に纏い、サングラスで目元を隠している。
彼は誰に言うでもなく独り言ちる。
「ちょうどいい。溜まった膿を出すとするか」
それから3人は、それぞれ並んだ部屋へと案内された。
キルエにとっては慣れぬ様式の部屋であったため、現地民である2人に教えを受ける。
とはいえシャーヤにとっても久しぶりの外の世界であり、実質的には少年がほとんどを教えた。
「全く、モノを知らない奴らだな。
いちいち言葉を訳させるのも面倒なんだが!」
「なんて言ってます?」
「ワタシの翻訳通すのめんどくさい、言うてる」
「そう、これ!これが面倒だっつってんの!!」
実際、統一アルダー語は全世界で広く使われている言語ではあるが、公用語として採用されていない国家ではあくまで個人の生い立ちや学習次第でしかない。
そしてこの少年は怠惰だった。
「ちょっと待って。何か探しますから…」
降ろしたリュックに頭を突っ込んで秘伝書を確かめる。
「…よし。ちょっとだけ、目をつぶっててもらえます?」
「え?何?うわっ!」
シャーヤは慣れたのか問い返す事もせず、自身と少年の目を塞ぐ。
「『蔓延せし知性の悪疫、湧き出づる人の業。全てを記し、書き換えよ』」
短刀を振りかざして詠唱すると、細長く奇妙な生き物が召喚された。
「はい、もういいですよ」
「なんだよ、なんなんだよ…うわっ!む、虫!?」
蛇のような形だが、丸い頭部に穴のような目が開いた姿は虫を想起させる。
「なんか、この虫に向かって喋ってくれます?そっちの言葉で」
「何か喋れってさ」
「へ?しゃ、喋れって何を!?
いきなりそんな奇妙なもん出して無茶振りされても困るっつーの!
まずちゃんと説明してくれよ!
何をどうしてほしいか詳しく…」
少年の言葉を、キルエが手をかざして止める。
「はい、充分です。じゃ、ちょっと見ててください」
その生き物はニュルニュルとキルエの喉に巻き付き、頭部を口元に当てがった。
「『これは、言葉を翻訳してくれます。俺の言ってる事は聞こえますか』」
「お、おお!?聞こえる聞こえる!」
召喚獣の1つ、【交語虫ペルガ】。
言語のデータを蓄積する事で、言葉を望んだ言語に翻訳して変換できる。
既に古い瑞龍語のデータは揃っていたため、現代の言葉遣いを聞かせてアップデートさせたのだ。
「『もう1匹は貸します。これで会話が通じるでしょう。
統一アルダー語をイメージしてください、後はソイツが勝手にやってくれます』」
「ひっ!?うわっ、気持ち悪っ…!」
少年の喉にもペルガが巻き付く。
「『お…おい?これ通じてるか?』」
「『はい。通じています。これからはこれで会話しましょう』」
「それ、ワタシにはくれないのか?」
「貴方にはいらないでしょ。2匹しかいないし」
しゅんとしたシャーヤを他所に、キルエは部屋の設備についての説明を受けた。
「…『まぁ、こんな所だ』」
「『なるほど。いやホント、ありがとうございます。
シャーヤさんも分かりましたか?』…」
いない。
「あれ…飽きたのかなあの人。ちゃんと聞いときゃいいのに」
「『どうした?トラブルか?』」
「『いいえ、ご心配なく。
しかし、色々やってもらっちゃってすいません。ここの紹介だけでもありがたいのに。
こういう言い方は良くないかもしれませんが、お人好しですね貴方も』」
キルエとしては『何の目的でここまでするのか?』という問いを秘めた言葉だったが、少年は皮肉げに笑った。
「『お人好し…ハッ。まさかな。
大した労力じゃないから案内してやっただけで…』」
「『それでも、わざわざ見ず知らずの…っていうかどう見ても危険な俺たちに、宿を紹介するなんて奇特ですよ』」
「『別に…気まぐれだよ。1人で泊まるのも寂しいしな。
そもそもろくでもない人間なんだ、あんま買い被ってくれるな』」
「…『どうして、そんなに卑下されるんですか?』」
少年は明らかに話を中断したがっていたが、キルエは逃がさず会話を続ける。
「『いや別に…俺、家出してここに来たんだよ』」
普通なら他人には語りたくない話題だが、二度と会う事もない人間を前にして、気が緩んだのだ。
「『ほう。しかしこんな所に泊まれるのだから、ただ者ではないでしょう』」
「『運良く家が金持ちでな。
でもまぁ、俺には家業を継げる能力は無いし、努力も嫌いだし』」
「『家業って?』」
「『あ~…退魔師。妖怪を追い回してぶっ殺すわけ。
でも運動苦手だし、霊力?っつーのもほとんど持ってないし。
だいたい、努力なんざやる気も起きねぇし!』」
「『はは、気持ちは分かりますよ。しかし退魔師とは…』」
「『俺の姉ちゃん、身体悪いのに頑張っててさ。気の毒だな~、とは思うんだぜ?
でも助けてやろうって気にはならない。面倒臭いから。
…ほら、ろくでなしだろ?』」
「…!!」
キルエは驚いていた。
少年のろくでもなさにではない。あまりにも自分に似ていたからだ。
才能は無く、能力は低く、努力を厭う。
良心が無い訳ではないが、特に行動に移すほどの信念は無い。
「『あ、あの~…』」
「『って何話してんだ俺。悪い、もう自分の部屋帰るから』…」
「『その気持ち、すごく良く分かります!』」
「えっ!?そういう反応になんの!?」
まさか共感されると思っていなかった少年は、後ずさる。
「『分かるって…お前、アイツと2人で旅してるんだろ?
その歳でそんな生き方してる奴が、俺みたいに薄っぺらい訳ねぇし…』」
「『同じですよ俺も。なんとなく流されるまま生きて来たし。
別に何をしたい訳でもなく、実力も無く、性格が良いでもなく…』」
キルエはふと脳裏に、かつて半神アルキュオードの犠牲となった子供の顔を思い浮かべた。
村での生活に倦み、キルエから村の外の話を聞こうとしていた。
だが追いついてきたアルキュオードによって、一瞬にして肉片となった。
キルエにとって悲しい出来事だったが、同時にあくびが出るほどどうでもよい事であった。
「…『初対面の奴でも、死んだら気の毒に思うくらいの良識はあるんですよ。
まぁ、弔うのはダルいんでやりませんけど』」
「『あ~…なんか、分かる気がする』」
次に共感を示したのは相手の少年からだった。
2人の間に、何か見えない繋がりが結ばれるような感覚があった。
「『誰が死んでもそれなりに悲しいんだけど、もし助けられるとしても助けに行く気にはならないっつーか…』」
思わぬ方向で、会話が弾む。
キルエの方も、言うつもりではなかった話までつい漏らした。
「『…昔。お世話になった人たちが殺されて、それで怒りに駆られた事があったんです。
偶然、運良く仇を倒す事が出来て…』」
キルエが森を出て初めて出会った人間、第3師団・アルディ中隊の話は、誰にも教えた事が無かった。
にも拘わらず、この初対面の少年には伝えたくなったのだ。
「『す、すげぇな!仇を討てたなら美談じゃねぇか』」
「『でもその時気付いたんです。自分の気持ち。
楽に倒せて良かった、偉そうな奴が死ぬのを見てスカッとした!
…それだけでした』」
それはキルエが、密かに己の薄っぺらい人間性を再認識した出来事でもあった。
「『ソイツが血反吐に塗れて無様に死ぬ姿、本当に面白いって思いました。
もっとコレが見たい、って。心から思ったんです。
仇討ちとか、もうどうでもよくなって……』」
言う必要がない。分かっているのに、キルエの口は止まらなかった。
ひょっとしたら目の前のこの少年なら、共感してくれるかもしれない。
その無意識の期待が、口を滑らせていた。
「『いや、それ超分かる!』」
「え…『ほ、本当ですかぁ~?無理に合わせなくてもいいのに…』」
やはりと言うべきか、まさかと言うべきか…キルエの醜さを見て、この少年が感じたのは共感の喜びだった。
「『ウチ、名門の退魔師一族だから徒弟がいっぱい居んのね?
で、ある日…退魔活動中に、1人死んじゃってさ。
その人、結構俺に良くしてくれてて、でも俺じゃ仇取れないしモヤモヤしてたんだわ』」
その時はまだ彼も、自分という人間に微かな希望を持っていた。
いつか退魔師になったら仇を取ってやる、と怒りを燃やしていたのだ。
「『そんである日、死にかけの妖怪見つけてさ。
刃物で滅多刺しにしたの』」
それは仇とは無関係の妖怪であり、既に瀕死だったため彼でも容易に殺せた。
もっとも、実際にはかなり手間取り、10分もかけて殺したのだが。
「『そしたら、ずっと俺の中にあった怒りが消えちまったんだ。
それまで絶対仇を取ろうと思ってたのに、八つ当たりでスッキリしちゃったんだよ。
さすがに我ながらドン引きしたね。殺せりゃ誰でも良かったんだな~って』」
「『えへ…それはその…お気の毒に…』」
「『い、いやお前こそ…』」
そう言いつつも、2人の顔には笑みが浮かんでいた。
それは傷を舐め合う快感にも近いが、本質は同族を見つけた喜びと、その事に嫌悪感を覚えなかった安堵である。
「…『あの、俺はキルエといいます』」
「『あぁ、名前か。シャン・チンフイだ』」
2人は、初めて互いに心から名乗りたいと感じた。
目の前の
〈つづく〉