チンフイは、久々に爽快な気分で起床した。
窓から差す心地よい日差しが、さっぱりと少年の頭を覚めさせる。
この宿においては最上級ではないが、それでもかなり広々とした一室。
【亀甲楼】は現在地下の龍脈を通って移動しているはずだが、どういう仕組みか、外の日差しが差し込んでくるようになっている。
「ふ~…」
この爽快感の理由は、彼自身でもはっきりと分かる。
キルエという異民族の少年との出会いだ。
(あいつ…良い奴だったな。いや、善人って意味じゃなく)
紛れも無くクズだった。目的も意欲も無い、ただ保身と自己満足だけの人間。
だが、そんな人間を前にして、チンフイが抱いたのは”共感”だった。
(俺とは全然違う国の人間で、全然違う生き方をしてて…それなのに、俺と同じクズなんているんだな…)
そんな相手に、同族嫌悪無く向き合えた事が、どこか誇らしくすらあった。
(…まぁどうせ隣同士で泊まるんだし、気が合う相手でよかった)
チンフイは大きな水瓶から水を掬い、洗面台で顔を洗った。
この水瓶の水は常に清潔な状態に保たれ、気付けば満タンまで補充されている不思議な代物だった。
こういった、魔法とも呪術とも違う高度な仕組みが宿のあちこちに施されているが、チンフイにとっては便利なだけだ。
(朝飯はどうするかな…注文するか?)
もちろん、室内の木像にはスタッフ直通の通話術式が仕掛けられており、いつでも欲しいサービスを注文できる。
チンフイは普段このシステムを用い、部屋から一歩も出ずにくつろいでいる。
他人との会話など煩わしいだけだし、新しい情報を頭に入れるのは苦痛だからだ。
(……)
だが今日は、大食堂で食事を摂りたくなった。
もちろん、キルエたちを誘って、だ。
自分でもどうしてそういう気分になったのか、よく分からなかった。
(1回だけ、誘ってみるか。
断られたらそれまでだな、別にそこまで一緒に飯食いたい訳でもないし…)
鍵を手に取り、妙にそわそわした気持ちで、ガタンと勢いよく引き戸を開ける。
「うわっ!?」
開けた瞬間、廊下を誰かが通りがかったようで、女の驚く声がした。
(ヤベッ…!
ここ客同士のトラブル多いから、いつも慎重に行動してるのに…気ぃ抜いちまった)
面倒だとは思いつつ、無視すればより面倒な事にもなりうるので、やむなく声を掛ける。
「す、すいません!大丈夫っすか…?」
相手は、金髪の美しい成人女性だった。
「え?あぁいや、ボーっとしてたらいきなり大きな音がしたものだから。
こちらこそ大きな声を出してごめんなさい。
怪我はしてないから心配しないで」
幸い、女は鷹揚に答えた。
西方らしき人種にしては極めて流暢な瑞龍語だった。
表の社会に出られぬ異常者も多く宿泊するこの魔窟において、これは幸運な事だ。
「じ、じゃあ、失礼します。食堂に行くので」
「ええ。……ちょっと!」
「は、はい?」
「ねぇ…良ければだけど、お姉さんと食事してくれない?
1人で食べるの寂しいんだよね」
チンフイは一瞬硬直して、相手の意図を図る。
(なんだ…詐欺か?美人局か?
いやいや、ここに来るような奴がそんなセコイ金稼ぎするか?)
しかしその素早い思考は何ら実を結ぶ事もなく、細い声になって漏れた。
「あ、や、あのその、し、知り合いを誘うのでッ」
「うん?一緒でいいよ、その人たちも。
あぁもちろん、その人たちが嫌じゃなきゃだけど」
「あ、き、聞いてみないと!」
「分かった。聞いてみてね」
チンフイはしどろもどろになりながら、隣のキルエの部屋の戸を叩く。
(な、なんだこれ…ひょっとして、モテてる、のか?
と、と、年上かぁ…へへ、悪くないんじゃね…?)
思わずニヤケを止められないチンフイだった。
「なんで昨日はどっか行っちゃったんです?」
「飽きたね。お前と違てこの国の出身だから、聞かなくても勘でなんとかなるヨ」
「…実際、大丈夫でした?トラブルとか起こしてません?」
「お前、ワタシを馬鹿にしてるか。問題ないネ。
ただ、鍵を部屋に置き忘れそうになたね。
自動で鍵が閉まるなんて、便利な時代よ」
「この宿が特別なのかもしれませんけどね。
すごいですよね、あの水瓶とかお風呂とか!」
現代日本の設備を知るキルエでも驚くような、快適な部屋であった。
「そうそう、水が無限に使えるなんて驚いた。
お前の言う通り、ここが仙境だから特別なのかもしれないけど」
「支配人が仙人なんでしょうか?」
「多分そうネ。まぁ警戒しても仕方ないし、しばらくはくつろぐヨ」
実際、この宿全体が罠だとも考えにくい話だった。
「…ていうか、本題!こんな朝早くから俺の部屋に来た理由はなんですか?」
「思い出したから言いに来た。
あのガキ、退魔師の名門【シェン家】の人間よ。
店の奴が言うてた」
「あ、名門なんだ」
「…あんま驚いてないナ、本人に聞いたか?」
「ええ、隠してる様子も無さそうでした。
ああ、それでわざわざ伝えに来てくれたんですか!」
「そうだぞ。感謝しろ。
シェン家はワタシが外いた時代から有名な家だからな。
気を付けるといいネ」
「でも一族の中じゃ落ちこぼれだと言ってました。
おかげでたいそう話が合いましたよ」
シャーヤは鉄仮面の奥で小さな猜疑を瞬かせる。
「確かに、ずいぶん長くお喋りしてたな。
…隠してる事無いか?」
「はぁ?疑ってます?何もありませんよ。
退魔師の家に生まれたけど、才能なくて親からマトモな扱いを受けてこなかったって。
確か三男坊とか言ってたっけ。お兄さんとお姉さんが優秀すぎたようで、余計周囲の目がキツくなったと」
「なんだ、一晩でよくそんな事まで聞けたな。
お前、ワタシの思てたよりアイツと仲良くなたみたいね?」
「いいでしょ、どうせ宿を出たらそれまでの仲なんです。
多少グイグイ行って情報引き出さないとね」
「ウソつけ、普通に仲良くなたんだろ?」
「…えっ?」
驚くキルエの顔を指差して、シャーヤは続ける。
「顔見たら分かるヨ。
ソレ、友達と楽しくお喋りしてるの思い出す顔」
「い、意外とよく見てますね貴方。
気が合ったと言ってるでしょ。おかげで楽に情報引き出せたんだからいいじゃん!」
「別にダメとか言てないよ。
友達できて良かったね、というだけの話」
「別に友達では…」
頑なに否定しようとするキルエに、シャーヤは首を傾げる。
「お前めんどくさい奴だな。いいダロ、友達で」
「…貴方とも共闘して命を預けた仲ですが、友達じゃないでしょ?
なのに会って1日の人を友達とは呼びませんよさすがに」
「そりゃワタシもお前友達とは思わないけど…」
「友達って距離感はあまり好きじゃないんですよ、近すぎて。
面倒だし、無駄な重荷になりそうでね」
「はぁ~、寂しいヤツだなお前。友達1人もいないか?」
「いいでしょ別に!
…まぁ、過去には居ましたが、食べちゃいましたし」
その言葉にシャーヤは鉄仮面の内側の瞳を輝かせた。
「お前も人間食うのか?美味いよな!」
「いやそうじゃなくて…その友達、馬なんです」
「んあ?」
シャーヤは聞き間違えたかと、素っ頓狂な声を上げた。
「馬ですよ、馬。
俺、森育ちでね…動物と生きて来たんです」
「ほぉ、妙に勘が良いのはそのせいか」
「…川のほとりに人喰い馬がいっぱい住んでたんですけど、仔馬と仲良くなりましてね。
1年くらい一緒に狩りしたりして暮らしてたんですが、すぐ大きくなっちゃって。
そしたらその馬、突然俺に襲い掛かってきたんです」
「そりゃ、まぁ…人喰い馬だしナ」
「でしょ?…でも、当時の俺はショックでね。
結局罠に嵌めて殺しました」
「それで、食べたのか」
「そうです。それで馬が好きになったんですよね」
「ん?」
キルエの出した結論は、前文と繋がっていない。
シャーヤはまた聞き間違えを疑った。
「いや、ほら…馬肉って美味しいんだな~と思って」
「……???」
キョトンとするシャーヤを、キルエは苦笑で迎えた。
「いや、言いたい事は分かりますよ!
自分でも変な事言ってる自覚あります。
というか、そこがこの話の主題です」
咳払いをして、話を戻す。
「俺はその馬を本気で友達だと思ってたし、裏切られてショックだったのに。
結局、一番印象に残ったのは、味だったんです。
それから、俺は友達を作るのが嫌になりました」
「友達を食っちまうから?」
冗談めかして言ったシャーヤだが、キルエは真顔で頷いた。
「そうです。森で生きてきた俺にとって、人間と獣に違いはない。
たぶん人間の友達も、あの馬みたいに平然と殺せる。
なんなら食べて、味の感想まで言える。
そんな奴が友達作ったらダメでしょ」
「ふぅん?じゃあ殺しても心痛まない奴を友達にすればいいヨ!」
「今の話聞いてその結論になります?」
キルエの困惑をよそに、シャーヤは続ける。
「あのチンフイとかいうガキは?
殺して心痛むか?その肉を食うの想像して、嫌な気持ちになるカ?」
「何言ってるんですか!そりゃ……あれ」
実際に想像してみる。
チンフイを殺さねばならなくなる。…心は痛まない。
その肉を食わなければいけなくなる…その場合も、やはり心は痛まない。
「ホントだ…赤の他人でも死ぬのを想像したら気の毒になるのに、あいつが死ぬのは別に嫌じゃない…!」
もちろん、チンフイが嫌いな訳ではない。むしろ好感を持っている。
だがキルエは、自分と同じタイプのクズが死んでも、心は痛まないようだった。
「だったら友達になれるダロ?」
「…た、確かに!そうか、死んでも惜しくない奴を友達にすればいいんだ!」
その結論に達した時、件の人物が現れた。
「ん?誰か部屋に近づいてくる?
この魂の気配は…チンフイさんですかね。でももう1人居る…?」
「そんなん分かるのか、お前?」
「ええ、まだ中途半端ですが、【魂喰いの術】を使い慣れてきたので。
元々感知は得意ですから、魂の気配くらいは感じ取れるようになってきました。
ほら、開けてくださいよ」
「人のこと壁にしようとしてるな、お前…」
チンフイについていきながら、その女は上機嫌だった。
(いや~、偶然を装って少年をナンパするのやめられないわ~っ♪
しかもお友達も連れてきてくれるなんて、今日はツイてるかも!)
「よ、よう。ちょっといいか、キルエ!」
部屋の扉が開く。
女は、その向こうにいるであろう少年の知り合いを想像しながら、努めてにこやかに構えた。
「どうも~、こんにちは~♪
いきなり知らないお姉さんがいてビックリしたよね?」
「あん?誰だお前」
戸を開けたのは、鉄仮面の大男だった。
「どわぁああああっ!?」
「なんだ。どうした、その女」
「お、おう…アンタもいたのか。この人とはそこで会ってさ。
あ!お姉さん、大丈夫ですよ!こいつこんなナリだけど危ない奴じゃ…」
言いかけて、言葉を選ぶ。
「いや危ない奴ではあるんですけど…その…」
女は口をぱくぱくさせつつ、なんとか言葉を絞り出す。
「あの、き、キミのお友達ってこの人?」
「え?あ、ああ、違います!あっちですあっち!」
指差されたのは大男の背後、部屋の奥でくつろぐ褐色の少年。
目つきは鋭いが、美形である。
「どうも。何の用事です?」
「いや、一緒に朝飯でもと思ったんだが…」
「そちらの女性は?」
「ああ…そこで会ったばっかりなんだ。
一緒にご飯食べないかって言われてさ」
「いきなり美人を引っかけるなんて、憎い色男ぶりですね」
「なっ…い、いや、それはどうでもよくてだな…!」
チンフイは腕をぴょこぴょこ振って誤魔化した。
「で、来るのか!?俺たちと一緒に!」
「えぇ~?食事ですかぁ?
今はちょっと…シャーヤさんとの話もあるし…」
「いや、用事終わったから、帰る。じゃあな」
シャーヤはそれだけ呟いて、隣の自室に帰っていった。
「……で、どうする?」
「あ~…いや…まぁ」
キルエは、友達など作る気はなかった。
しかし、今は……
「…いいですよ。じゃあ、食べに行きましょうか。3人で」
気が付くとそう言っていた。
「そ、そうか!…あの、良いそうです」
「へ?あ、ああ!それはよかった!」
女は茫然としていたので、返答に遅れた。
シャーヤの存在にビックリしていた訳ではない。
チンフイが統一アルダー語で語り掛け、キルエが瑞龍語で答えるという奇妙なやり取りに目を奪われていたのだ。
そしてその原因が、2人の首に巻かれた紐のようなモノにあるのは、だいたい予想できる事だった。
(ま、こんな所に泊まってる子たちだもんね。ただの子供って事はないか。
それより重要なのは…)
チンフイとキルエの顔を見る。
(両方ともカワイイ男の子ってこと!
…テンション上がってきたァ!)
3人は大食堂へと向かい、各々の食事にありついた。
この食事というのがまた不思議で、メニューを用いた注文のほか『客が思い浮かべた料理を可能な限り再現する』という方式も取っていた。
「名付けて、”思い出定食”…だそうよ」
「へぇ…本当にそんな事できるんですか?」
「ええ。私も子供の頃1回食べただけの料理を思い浮かべた事あるけど、ちゃんと再現してくれたわ」
「思考を読めるんですかね…?」
「ここ亀甲楼では、外の世界じゃお目に掛かれない種族も働いているわ。
試してみて損はないわよ?」
そこまで言われたら、という事でキルエはその”思い出定食”とやらを注文した。
「じゃあ、目を閉じて。なるべく鮮明に思い浮かべてくれるかい?」
「は、はい」
調理師の中年女性が口元のマスクを外すと、バッカルコーンのような触手がまろび出て、キルエの額に触れる。
「ひっ!?」
「ここのおばちゃんはマインドフレイヤーって種族なの。
もう外の世界にはいない種族よ」
「あのっこれ、ホントに大丈夫なやつですか!?」
「大丈夫大丈夫、その気になれば脳みそごと啜り殺せるけど、今回は思考を読み取るだけ」
「それ全然大丈夫じゃな…ひぃいいい!」
キルエの鼻や耳に、無数の触手が絡みつく。
「ほら、怖がらないでイメージに集中して!
…ふむ、なるほどねぇ…これは…どっかで見たような。
ああ…確か桜武とかいう国の…いや、でも少し違うかねぇ…うん。
はい、ありがとさん。もういいよ」
「あ、そうですか…」
たった数秒でげっそりしながら、キルエが一息つく。
「記憶にノイズが掛かってるんであんまり読めなかったが、まぁ…あるもんで何とか再現してみよう」
そうして本当に、キルエの思い浮かべた日本食が提供されたのだった。
もちろんあくまで再現であり、厳密にいえば全く別物だが。
「あら、変わったもの食べるのね」
(…マジで再現されてる、すげぇ)
焼き魚、卵焼き、味噌汁、漬け物。
日本の朝餉としては古典的ですらあるそのセットを、キルエは頼んでいた。
「…お、おい?」
一口ごとに噛み締め、味わう。
(懐かしくて泣くかも、と思ったが。
正直、和食の味覚えてねぇな…美味いから良いけど!
あんな怖い思いしてまで注文するもんではなかったな!)
「大丈夫か?」
「……あ。し、失礼しました。
いや~ひっさびさに食ったもんで」
「故郷のご飯なの?」
「いや、まぁ…はい。もうほとんど覚えてないんで、再現できてるかも良く分かんないですけど」
女は神妙な顔になった。
「ここに泊まるんだから、色々事情があるんでしょうね。
2人の事情はなるべく聞かないようにするわ。
…で、2人はいつからの付き合いなの?」
「「……」」
聞くのかよ、という様子でチンフイとキルエが目を見合わす。
「いや、別に、つい最近…」
「というか、昨日会ったばっかですし」
「え、そうなの?じゃあ、ここで仲良くなったの!?」
正確にはそうではないが、あえて訂正する理由もないと見て頷く。
「へぇ~…こんな危険人物が集まる場所で、よくもこんなハートフルな出会いがあったもんだね。
生き腐れの怪物ばっかのここで、キミたちみたいな少年が友達になるなんて…」
「「別に友達という訳では…」」
声が重なる。
「……」「……っ」
「あははっ、気は合うみたいね!」
キルエはここに来る前シャーヤと出した結論が、頭に残っていた。
『殺しても死んでも心が痛まない奴と友達になれ』…。
「…まぁ仲良くしたいとは思っていますよ、最優先ではないにしろ」
「それは…そうかもな。俺もさすがに自分の用事が優先だし」
「変なとこで息ピッタリなのね、貴方たち。
でもまぁ、いいんじゃない?友達だからって助け合わないといけない決まりはないし」
女の言葉は一見ドライだが、突き放すのではなく受け入れるような度量があった。
「そちらの話もしてくださいよ。
貴女はずいぶんこの宿を嫌っておられるような…?」
「いや~…嫌いっていうか、実際危ない所だからね。
キミ、ここは初めて?」
「ええ、俺はそうです。
ちょっとのんびりし過ぎてしまいそうなほど、穏やかな宿だなと思ったもので」
「宿としては一流よ、設備も世界一と言って差し支えない。
だけど客層がね……キミ、いつまで泊まるの?」
「それは、まだ決まってないですけど…」
「まぁ今日1日も居れば分かってくるわ。ここのヤバさが」
「それは、どういう…?」
その予言は正しかった。
この朝食が、この【亀甲楼】で過ごす最後の穏やかな時間になる事を、キルエはまだ知らない。
〈つづく〉