巨大亀の甲羅に建てられた宿【亀甲楼】に泊まったキルエたち。
初対面の女と共に、穏やかな昼食を摂る。
そして女は、この宿の危険さを語った。
「そんなに怖い所なら、チェックアウトまで部屋に籠るとしましょう!」
キルエが半ば冗談めかして探りを入れると、女は真顔で肯定した。
「その方がいいよ。えっと…そっちのキミはここ初めてだっけ?」
「いえ、何回か来てます。
マジでここ危ないからさ、部屋いた方がいいよ。俺も普段はそうしてるし」
チンフイは頷き、女の言葉を補強した。
「いやまぁ、この宿自体が都市レベルで広いから危険度に差はあるけど。
ちなみに俺たちが泊まってるこの【生鶏区】は、一番安全で一番安いとこね」
「へえ……ん、んん?
あの、安くて安全って何か変じゃないですか?普通危ない場所の方が安いんじゃ…?」
「危ない場所って事はね。危ない事をしても許される場所でもあるの。
そして、ここに泊まるような奴は、危ない事がしたくてしたくてたまらないのよ」
「最も危険とされる【死象区】じゃ、あらゆる行為が許容される。
他の客を攫って生贄にしたり、洗脳したり、食ったり…化け物も住み着いてるってさ。
100年規模で泊まってる奴らもザラに居るって噂だ」
「ホテルの話ですよね…?」
「【滅亡祈念の会】、【魔眼倶楽部】、【虐殺病棟】、【紅のアルドラ】、【冥府師団】、【アラガラハ・エデュガヤッド】…。
主要国じゃブラックリスト入りしてる危険組織の構成員もいるし」
「ホテルの話ですよね!?」
「そいつらが手を組んで、この安全区画を占拠するつもり…なんて噂もある」
「もうホテルの話じゃないじゃん!!」
全てこの亀甲楼の話である。
「楽園のように気楽な宿だけど、そういう危ない連中もいるからね。
あ~でも大丈夫、他より大勢の治安スタッフがいるから!
この区画にいる間は敵の気配にさえ警戒さえしていれば大丈夫!」
およそ宿泊施設に対して使う『大丈夫』ではない。
「あ、あのっ、ちょっともう、帰ります!ごちそうさまでした!」
「お、おい?」
「ま、待ってよ!脅かし過ぎちゃった!?
怖いなら私が2人とも部屋まで送ってあげるし、ね!」
2人が慌ててキルエを追う。
「待てって!部屋に籠ったら新聞取れよ!」
「…どういう事です?」
キルエはすぐに足を止めた。
「【亀甲網】…この宿の情報屋だね。
危険予報を出してるから、それをチェックするのが定石かな」
「教えてやっただろ、部屋にある木像に話しかけるとスタッフに繋がるって。
それで、『【黎明日報】を2部頼む、片方は黒い物にしてくれ』って注文するんだ。
その黒い新聞を読めば、大体の危険は避けて通れるぜ」
「…宿が、情報屋と繋がってるんですか?」
「そういうこと。あくまで非公式って建前はあるけど。
まぁそれくらいしないと客もくつろぐどころじゃないからね。
それより…部屋に戻るんでしょう?2人とも、送ってあげるから」
女は2人を抱き寄せる。
「あの、無理をなさる必要は…」
「いいの。方向は同じだからさ。
キミたちみたいな子供を守るのが大人の役目だからねぇ」
その言葉に嘘は無い。
─だが、より優先されるべき、真の狙いがあった。
(美少年に挟まれて…両手に花ッ!
でも花のようにいい匂いじゃなくて、確かな生活感のある体臭…大変興奮する!)
昂りを抑えながら、あくまで優しく2人に触れてエレベーターへと導く。
「しかし…この設備も凄いですよね」
「ああ、エレベーターね。
大国の都市のいくつかでは実用され始めてるけど、ここほどは進歩してないだろうね」
「そういうものですか。
いや、てっきり魔法の力でどうにでもなるのかと」
「まさか!魔法が汎用できる動力になったのもつい最近なのに!
…そういう事を知らないって事は、五王国の人じゃないよね。
姿からして、ハーマヴィヤとかカランザード出身?アヴェストラーグとか?」
キルエはその言葉自体に耳馴染みが無いので、曖昧に首を捻る。
「それは俺も気になってた。結局お前どこ出身なの?」
「ど、どこって…ええと…南の方です」
「南方?まさか南方戦線…ゼスト・フォロボヤじゃないよね」
女の声が探るものに変わった。
キルエは答えあぐねて誤魔化す。
「やめてくださいよぉ。
それにもう戦線じゃないでしょ、魔皇は死んだんですから」
「一応残党がまだ居るからね、戦線って言っても通じるでしょ。
あれから…2年は経ったかな?ほとんどは消えたらしいけど、まだまだ傷は癒えないねぇ」
「…ッ!?」
2年も経ってるのかよ、と叫びそうになって咄嗟に堪える。
やはり仙境から現世に戻ると、年月は大きくズレるらしい。
「まぁいいや。大神聖門はどんな感じだった?」
「はい?」
「いや、大神聖門。ゼスト・フォロボヤからこっち来るなら絶対通るはずでしょ?」
「…あ~!あの、アレね!いやちょっと昔なんで覚えてないですね!」
無論、そんな門は知らない。
一度耳にした事自体はあるが、まだ思い出せていない。
「……へぇ」
女の目が鋭くなる。明らかにキルエの言葉を信じていない。
「な、なんですか。なんでそんなに知りたがるんです?
うら若き青少年の個人情報を集めて興奮する変態じゃあるまいし…!」
「変たっ…!?そそそそそそんな事あるわけあわわわわわわわ」
”変態”というワードで女は突然慌てふためき、2人から手を放す。
「私っ変態じゃないわよ本当!!」
「じゃあ大目に見てください。
仲良くなるにしても、ある程度の秘密は必要でしょう?」
「まぁ、適度な距離感は大事だよな。
俺も珍しく、お前とは仲良くなりたいと思ってるからな」
キルエは一瞬キョトンとして、目を逸らす。
「……それは、光栄ですね」
「ま、この後部屋に籠って出てこないつもりなら、短い付き合いになったな」
「悪く思わないでくださいね。
俺も貴方が嫌いな訳では…ないので。また機会があれば」
距離を取ったつもりでいて、実のところ初々しい少年たちのやり取りに、女はニマニマとほくそ笑んだ。
(いいわね~こういう距離の取り方!
素直に仲良くってのは恥ずかしいから、徐々に距離を詰めてく感じ!
私も子供の頃を思い出すわ~…)
そして、女の脳裏に幼少の記憶が蘇る。
ちょっかいをかけてくる同年代の子供たちを力で薙ぎ倒し、服従させてきた記憶。
(……そういや私、友達いなかったわ。
だいたい下僕か家来ばっかだった気がする…)
「どうしました?」
「い、いや、何でも無いよ!
そろそろ125階だね。部屋の前までは送るよ」
チリリン、と軽やかな鈴の音が鳴った後、扉が開く。
2人の少年が廊下に出ようとするのと同時に、女が2人を抱き締めた。
「うおっ!?…ひょっとしてマジで変態…うぐっ」
言いかけたが、床に押し倒されて言葉が潰れる。
「ごめん、ちょっとだけ静かにしてて」
女の声は冷たい。
察知したキルエが、女の豊満な胸に圧し潰されながら問う。
「…襲撃者、ですか?」
「かと、思ったんだけどね」
「へ?え?いや、何もいない…ように見えるけどなぁ」
扉の開いた先には、ただ廊下が広がっているだけだ。
通行者もいない。
「……ごめん。神経質になってた。
急に押し倒してごめんね、2人とも」
「いえいえ。俺はもうちょっとこのままでも良いですよ。
豊満が当たって大変具合がよろしい」
「ちょっと重いけどな…ぐえっ!?」
チンフイの脇腹に女の膝がグリグリと刺さる。
「女の子に…えぇコラ?重いとか言っちゃだめなんだぞ~?」
「す、すいませんでした!
あのほら、扉閉まっちゃうから!とりあえず出よう!」
「い~や、2人はここにいて。
私が先に出るから、不用意に動かないで」
警戒はすっかり解けたと思いきや、女の声はまだ固かった。
少年たちを伏せさせたまま、1人エレベーターから出る。
「…………」
「あの~…」
「出た瞬間から、廊下の嫌な感じが強くなった。
これちょっとヤバいかも」
「っつっても…ずっとここに居る訳にもいかねぇだろ?
どうするんすか、下降りてスタッフ呼びましょうか?」
「そうね、宿の人に確認を…………ッ、しまった!」
女が慌ててエレベーターに走る。
「ッ!!」
同時に、キルエが飛び出す。
「へ?へ??」
訳も分からず立ち尽くすチンフイを、女がエレベーターから引きずり出した。
次の瞬間、エレベーターは
「なッ…ど、どうなってんだ!?」
そこには最初から何もなかったかのように、壁しか存在しない。
「釣られてた訳ね。
あえて廊下を嫌な気配で満たして警戒させ、エレベーター内に留まらせる。
そしてまとめてエレベーターごと取り込む」
「取り込む!?どうやってそんな…!」
「空間ごと切り離して閉じ込め、中の獲物をモグモグしちゃうって寸法よ。
かなりやり慣れてる。既に犠牲者がいるかも」
「で、ど、どうするんすか!?」
「既にこの廊下全体が支配下にあると見た。
だって…ほら」
見渡せば、ずらりと並んでいたはずの部屋の扉が全て消えている。
「部屋に泊まってる人たちは、全員餌食に…?」
「いや、宿泊部屋はかなり強固に守られてるはず。
おそらくこの廊下をエレベーターと同じように空間隔離して、私たちの逃げ場を奪ったんでしょう」
「じゃあ俺たち喰われちまうって事か!?」
「エレベーターと違って廊下は広いから、すぐに取り込まれる事は無いでしょう。
でもこのままジッとしてたら時間の問題よ…!」
「…ずいぶん、詳しいんですね」
女がため息をついた。
「【結界殺人犯】メゾデル。有名な殺人鬼の手口よ。
延べ3000人を胃袋に収めてきた、人食いの狂人。
教会に追い詰められたけど逃亡して、行方不明になったと聞いてた」
「うげッ!?なんで殺人犯がこんな所…に…」
言いかけて、自分も同じようなものだと気づく。
素性を一切問われず、隠れる場所も無限にあるこの【亀甲楼】は、脛に傷持つ者にとって絶好の逃げ場なのだ。
「そりゃ居るか。逃亡者にはピッタリの隠れ場所ですしね…」
「そういうこと。
でもその手の奴らって、危険行為が許される危ない区画に潜伏するの。
多少抑えが効かなくなっても、見逃してもらえるからね」
「わざわざこの安全区画で暴れ始めたのは、理由があると?」
「よほどの馬鹿じゃなければ、ね。
追手だけじゃなく、この宿まで敵に回す事になるんだから」
「あの、話し合うのは良いけどよ!
これ大丈夫なのか!?モタモタしてるとヤバいんだろ!?」
戦いには縁のないチンフイは、既にパニック気味だ。
「それはそうなんだけど…閉じ込めた人間をどういう風に食べるのかは分かってないからさ。
ひょっとしたら、向こうから襲いに来てくれるかも、と考えてるんだけど」
未だに敵の気配はない。ただ漠然とした不快感が漂うだけだ。
「あの…言っておきますが、俺は無力ですよ。クソザコです」
「お、俺も!なんか術みたいなのとか全部無理っす!」
「子供は弱くていいの。それを守るのが大人なんだから…とはいえ。
敵の存在を確認できないと、私の術は使えないし…」
女はダンダンと地面を強く踏みしめる。
「足元は…問題ないか。ちょっと付いて来て、先まで進んでみない?」
「そうですね。ここでジーっとしてても仕方がないですし…おわっ」
「あっ、お、おう!?」
女が2人を小脇に抱えて疾駆する。
「モタモタ歩いてて罠にやられたらマヌケだからね!
ダッシュで駆け抜けるのが一番!」
「それ、あまり対策になってないような…!?」
「でもっ、なんか…普通の廊下だな!扉が全部無いだけで!」
「そうだねぇ!特に罠が仕掛けられてる訳でも…ッ」
女が急停止し、飛び退く。
「何すか、罠ですか!?」
「いや、今…足元が何かグニャっと…?」
見れば、地面に女の足跡が残っている。
だがそれもすぐにボコっと盛り上がり、元の形に戻った。
「ちょっと降ろしてください、自分で確かめます」
キルエも自分で地団駄を踏んで確かめる。やはり、足が床に沈んでいく。
「おおホントだ、こっちの床も柔っかい。
なんかキモイな。生き物みたいだ」
「…生き物。なるほど、そういうこと?」
女は独り得心がいったように呟く。
「メゾデルは『空間を隔離して、閉じ込められた獲物を食べる』んじゃない。
隔離した時点で食べ終わってるのよ…!」
「…つまり?」
「つまりこの空間そのものが、ヤツの胃袋に変化してるってこと!」
壁がうぞうぞと蠕動し始め、あちこちが隆起して液体を噴き出した。
泡を立てて撒き散らされるソレは、胃液。
わずかに飛沫が掛かったチンフイの服の裾は、音と煙を立てて溶け始める。
「あわわわわヤバいヤバいヤバい!!」
「私たちはもうアイツの腹の中。
後は溶かされてウンチになるだけ…ってとこかな」
〈つづく〉