バッハ「私たちは友達だからだ」   作:ホネホネ

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SODOM

 

目を覚ました時、泣いていた。

歪んだ視界、絡みついた睫毛、それを手の甲で拭って目を開き、世界を見る。なにか、夢を見ていた気がする。うまく思い出せないけれど、幸せな夢だったと思う。

 

起き上がったジークフリードは自室のベッドの上で膝を抱える。窓の外はまだ暗い。けれど、もう一度眠る気にはなれなくて、ぼんやりとする頭のまま、もう少ししたら母さんのところに行こうと思った。

 

部屋の中はどこかひんやりとしている。まだ体温が残るシーツを引き上げて身体に纏わせる。考えなくてはならないことを先延ばしにしている自覚はあった。ブルクハルトから言われた言葉を思い出す。

 

自分は故郷に帰るべきなのだろうか。

 

帰りたくないと言ったら嘘になる。けれど、帰る理由もほとんどなかった。あの村が彼にとって故郷になり得たのは肉親たる母がいたからだ。司祭はきっとジークフリードを受け入れてくれるだろうが、それでも他人だ。あの人にはあの人の人生がある。

 

ブルクハルトはジークフリードに「どこででも生きていける」と言ったけれど、ジークフリードは故郷とこの屋敷しか知らなかった。

どこででも、ってどこだろう。どこにいけるというのだろう。どこがあるというのだろう。果たして自分はここじゃないどこかに1人で行けるのだろうか。ここじゃないどこかに行きたいと思っているのだろうか。

 

……わからない。目を閉じる。不思議とユーハバッハのことが思い浮かんだ。

 

俺がここを出て行ったらあいつはここで独りぼっちになるのだろうか?

そう思うと、なんだか後ろ髪を引かれる心地になる。

あいつが寂しがるのは想像できないが、少なくとも俺は寂しい。それに俺がここを出たら魂を返すって話はどうなるのだろう。返してから故郷に帰るべきだろうか?いや、返したら俺は死ぬのか。じゃあいいか。……いいのか?

 

漠然とした疑問の群れに追いたてられて、あまり動いていない寝起きの頭がパンクする。朝だからそんなに時間もないかもしれないけど、支離滅裂でもいいから母さんに相談してみようかな。そう思ってからふと思い出した。

 

あ、母さんもういないんだった。

 

 

 

 

 

「眠れなかったのか?」

 

朝にやってきた時から昼過ぎまで欠伸ばかり繰り返すジークフリードに、そんな問いかけが飛んできた。

ベッドの縁に腰掛けたユーハバッハからの問いに、欠伸を噛み殺しながらジークフリードは「いや、」と首を横に振った。

 

「朝目ェ覚めんの早かったせいで今になって眠くなってるだけ。昨日はがっつり寝た。なんか久々に夢も見たし」

 

夢を見ていたのなら眠りは浅かったのだろう、とユーハバッハは思った。浅い眠りと不自然な早起き。自覚が無いだけであまり良い睡眠ではなかったらしい。当然だ、肉親を失ったばかりの青年が無傷であるはずもない。

眠たげな表情でぼんやりとしたままたソファに寄りかかるジークフリードを、ユーハバッハは手招いた。

 

「眠いのならば寝ればいいだろう」

「どこで」

「ここで、だ。どうせ何の予定もあるまい」

「俺らに予定があったことがあるかよ」

 

いつかジークフリードがそうしたように、ユーハバッハはベッドを軽く叩いた。そうすればジークフリードは少し困ったように眉を寄せる。

 

「あー、俺近くに人がいるとあんま寝れねえんだよな……」

「意外だな、どこでも寝られてなんでも食えそうな雑草根性の塊のような男のくせに」

「貶されてるのか褒められてるのか微妙なラインだな……」

 

何とも言えない顔を浮かべるジークフリードへ、ユーハバッハはもう一度ベッドを叩くと「いいから横になれ、目を瞑るだけでいい」と口にする。

「ええ……」と言いながらもジークフリードは存外素直にユーハバッハのいるベッドへ近づいた。乗り気ではない様子ながらも言われるがまま、ベッドに乗り上がり、背中をつける。

それを隣に座って見下ろしながら、ユーハバッハは「目を瞑れ」と言った。そうすれば碧い瞳が瞼に隠れる。そこまでは大人しかったのに、すぐに口が動き出した。

 

「……なあ、ユーフェン」

「なんだ」

「寝てる時の自分の舌の位置って、気にし出したら寝れなくならねえ?」

「要らないことを考えるな。兎でも数えていろ」

「兎が1羽……2羽……3羽……4羽……5羽……んへ、へへへ……」

「ここで狼を1匹乱入させる」

「あ、あああ……兎が5羽……4羽……3羽……」

 

兎が喰われ切る前にジークフリードはガバリと起き上がると「寝かせろや」と言ってユーハバッハの肩をはたいた。

なんだかんだ乗ってきたのはそっちだろうと思いながら、ユーハバッハは無言でジークフリードの腕を殴り返した。ファニーボーンに当たったらしく、肘を押さえて崩れ落ちたジークフリードがベッドに額をつけて呻き、身悶える。それを見下しながら、勝ったとユーハバッハは思った。

 

そんな戯れ合いの後、ジークフリードはベッドの毛布を掴むとその中に潜り込んだ。枕に頭を置いて仰向けになる。

 

「ちょっとちゃんとマジで目ェ瞑るわ」

「わかった、兎はこちらで増減させておく」

「減らすな馬鹿」

 

目を瞑るだけで眠る気は無かったジークフリードは横になったままユーハバッハに話しかける。そうすればユーハバッハは応えてくれる。逆にジークフリードが黙り込めばユーハバッハが話しかけてきた。

話の内容は大したことのないくだらない内容ばかり。きっと明日には忘れているだろう。ポツポツと内容の無い話を打ち合う。

 

「──それで、ザワークラウトの妖精がバウムクーヘンの回転の隙間に…………」

「…………ジーク?」

「ぐう」

「おい、ジーク、寝るな。ザワークラウトの妖精はどうなったんだ。起きろ」

「おきてる、おきてる」

「寝てるではないか」

「寝ろっつったのおまえじゃん……」

「起きろ」

 

碌に脳味噌を経由していない口先だけの話は、存外ユーハバッハの関心を引いていたらしい。話の続きをねだられる。

とはいえ、段々と温くなる毛布の中でジークフリードの睡魔はほんの少しの沈黙で夢の中に落ちそうなほどになっていた。もう自分が何の話をしていたかも覚えていない。このまま眠ったらまた夢を見るのだろうか?そんなことを頭のどこかで思う。

 

そんなジークフリードをそばに座るユーハバッハが不満げな顔で見下ろす。寝ろと言った割に本当に寝られるのは嫌なのか、ジークフリードの名を呼ぶ。

 

「ジーク」

「んん……なんだよ……」

「お前は今朝、夢を見たと言ったな。どんな夢だった?」

「……? いや、内容までは……おぼえてねえけど……」

「ああ」

 

今にも寝落ちそうな掠れた声でジークフリードは言葉を紡ぐ。ユーハバッハは静かに続きを待っていた。

 

「……なんか、すげえしあわせな夢だったな……ってことはおぼえてる」

 

その言葉に、ユーハバッハは少しだけ眩しげに目を細めた。それから深く息を吐く。

 

「……そうか。……あれはお前にとっての幸福の景色なのか」

「……なに……?」

「気にするな。魂の繋がりを認識したからだろう、お前の夢が私の夢になったというだけの話だ」

「おー……?」

 

睡魔に襲われ、思考のほとんどが停止しつつあるジークフリードにはユーハバッハの言葉の意味はあまりよくわからなかった。こいつ、ほんと好きだな、魂の話。そんなことをぼんやり思った時、今朝見た夢の断片が蘇る。

 

あれは故郷の景色だった。

自分はまだ幼くて、五体満足な母と共に帰路についている。そんな夢。右手を母に握ってもらって……それから、自分は左手で誰かの手を握っていた気がする。

一緒に帰ろう、とその誰かの小さな手を引いて歩いていた。大切な人たちに両手を握ってもらえてとても幸せだった。そんな、幸福な夢。

 

「……ジーク、私の厚顔無恥な夢想をお前は許してくれるのだな」

 

不意に降り注いだ声音は揺れていて、泣いているのかと思って薄く目を開く。

けれど泣いてなどいなかった。ジークフリードの視線の先で、ユーハバッハは自身の右の掌を見つめたまま、微かに眦を下げていた。

 

俺の夢の中でお前は果たしてどんな夢を見たのだろう。

問いかけたい気もしたし、そんなことをしなくてももうわかっているような気がした。夢の中で握った手は、いつか握ったお前の掌によく似ていたような気がしていたから。

だから多分、自分が気がついていなかっただけで、俺はもうずっと前からお前のことが結構大事なんだろう。

 

なあ、ユーフェン、もしも俺が一緒にこの屋敷を出ようと言ったら、お前は頷いてくれるか?

 

微笑んでくれるような気もしたし、鼻で笑われる気もした。

仮に頷いてくれたとして、あいつがここを離れることをこの屋敷が許してくれるのかはわからない。けれど別に許されなくてもいい、と思う。

お前がこの手を握り返してくれるのなら、俺は何を敵に回しても構わないとそう思うんだ。

 

お前に会ったばかりの頃から思っていた、お前のほうこそこんな寂しくて気持ち悪くてつまらない屋敷から離れるべきだって。

相対とか天秤とかそんなもので比べるまでもなく、こんなところ全然幸せじゃなかったって馬鹿にできるくらいもっと幸せなところに行くべきなんだ。

 

……お前も、それから多分、俺も。

 

 

 

気がついた時にはベッドの上で2人並んで眠っていた。

 

再び目を覚ました時にはもう窓の外は夕闇に飲まれていて、ジークフリードは体に纏わりつく気怠さと共にユーハバッハの部屋を出る。元より夜更かしの予定はあったが、ここまで長い昼寝をするつもりもなかった。

 

去り際はいつものように「また明日な」とは言わなかった。

代わりに「じゃあ、またな」と口にすれば、察したようにユーハバッハが口角を上げて「ああ、また」と返してくる。

 

夜が更け日を跨いでから部屋に来て欲しいとユーハバッハが言ったことを覚えている。

この屋敷では夜に出歩いてはいけないという言いつけがされていることを覚えている。

 

してはいけないことをする時はいつも少しだけ高揚する。

そして大抵の場合、しなければよかったと後悔するものだ。

 

 

 

 

 

 

基本的に健康的な生活習慣を保っているジークフリードにとって夜更かしは簡単なことではない。

 

だから昼間に寝ていて良かったのかもしれない、と彼は灯りを落とした自室の扉を音を立てないように開きながら思った。

 

夜は更けた。

日は跨いだ。

月は傾いた。

静かに部屋を抜け出す。

目はすっかり冴え切っていて、むしろ今から寝ろと言われる方が困ってしまうくらいだ。

 

どこかひんやりと冷たい空気の中を進む。上着を羽織ってきて良かったとカーディガンの袖を引っ張る。

静まり返った屋敷の廊下を進んでいけば、窓から差し込む月光がぽつんぽつんと一定の間隔で床に四角く張り付いていた。

今夜は満月だった。新月だったら良かったのに。こんなに明るい夜ではうっかり誰かと鉢合わせたら誤魔化しが効かない。もし誰かに見られたら何と言い訳をしようかと思いながら、足音を立てないようにゆっくりとユーハバッハの部屋を目指す。

 

なぜユーハバッハが深夜に部屋へ来て欲しいと言ったのか、その理由をジークフリードは知らない。なぜ来て欲しいのかも、なぜこんな時間なのかも。

理由はわからないけれど、きっと昼間ではだめだったのだろう。その答え合わせをするために彼の元へ向かっている。行かないという選択はなかった。

 

(「……私の部屋へ来てくれないか」)

 

あの時言われた言葉が、不器用なSOSだということには薄々気がついていた。シーツ越しに握る指先は微かに震えていた。声音は不自然に堅かった。

明確にされなかったシグナルにそれでも気がついてしまった以上、もう見えないふりなどできないから。

 

長い廊下を進んで、進んで、その先に見慣れたユーハバッハの部屋の扉があった。中で蝋燭をつけているのだろう、扉の隙間から揺らぐ灯りが微かに漏れ出ていた。

その光に誘われるようにそこへ向かおうと一歩踏み出したその時、ぐらりとジークフリードは急な眩暈に襲われた。

 

急に脳の奥を強く掴まれたような感覚に足元が揺れる。体が崩れそうになるのをたたらを踏んで留まる。鈍く重く刺すような頭の痛みに、咄嗟に顳顬を押さえた。誰かに脳味噌の中を無遠慮に触られているような感覚に、吐き気がする。

 

突然、これ以上あの部屋に近づきたくないと思った。

 

なんだか気持ち悪い。すごく気味が悪い。脳味噌の中身をぐちゃぐちゃにかき混ぜられたような感覚。吐きそうだ。もうこの場にいたくない。思考に靄がかかる。ノイズがかかる。ガリガリガリガリと爪を立てるような音が耳元で聞こえているような気がしたような気がしたんだ。今すぐに自分の部屋に帰りたい。ここから離れたい。そう思った。あの部屋に近づいてはいけない気がする。あれのところに行ってはいけない。恐ろしいと思った。なんだかとても怖い。嫌な予感がする。きっと良くないことが起こる。約束を反故にするのは心苦しいが戻った方がいい。彼には明日謝ろう。ベッドに横たわっていたらやっぱり眠ってしまったとか約束をすっかり忘れていたとかいくらでも言い訳はできる。どうせ気がついていない。どうせあちらも忘れている。そもそも理由も話さずに呼び出すなんてあちらがおかしいんだ。だから振り返って、来た道を戻ろう。全部忘れてしまおう。そうだろう、君は何も間違ってない、何もおかしくない、なにも不可思議じゃない、間違っているのはぜんぶあっちだ。間違ってておかしくて狂ってて救いようがなくて、だから君には関係ない。見なくていい。知らなくていい。わかるだろう、君を護りたいだけだと。戻ろう。戻ろう。戻ろう。戻ろう。戻ろう。戻ろう。戻ろう。戻ろう戻ろう戻ろう戻ろう戻ろう戻ろう戻ろう戻ろう戻ろう戻ろう戻ろう戻ろう戻ろう戻ろう戻ろう戻ろう戻ろう戻ろう戻ろう戻ろう戻ろう戻ろう戻ろう戻ろう戻ろう戻ろう戻ろう戻ろう戻ろう戻ろう戻ろう戻ろう戻ろう戻ろう戻ろう戻ろう戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ、戻りたいと言え。………あ、え、?なんで?おかしい。思わない。だってそんなこと俺は思わない。

 

戻りたい、と思わされている、と気がついた。俺じゃない何かが俺の頭の中で喚いている、と気がついた。俺はあいつのことを「あれ」なんて呼ばない。

 

(「ジーク」)

震えていたあのシーツ越しの小さな掌を思い出す。

夢の中でまで引いてやりたかったあの掌を。

 

やめて。

俺の心を踏み躙らないで。

俺の大事なものを汚さないで。

 

己の心を無遠慮に触る掌を確固たる意思で振り解いて、一歩前へ踏み出す。目の前にある扉のノブに手を伸ばし、掴む。

それを回して、引こうとした時に、気がつく。

 

扉の向こうに馴染みのない気配がある。

知らない人がいる。

聞きなれない音がする。

 

ぎいぎいと軋む音。

ぐちゃぐちゃと水の音。

湿度の混ざった荒い呼吸。

煩わしい布擦れ。

濁りの混じった呻き声。

 

どれも知らない音だった。非日常的な音だった。なんだろうって思って、わからなくて、でもなんとなく良いものじゃないと思った。握って、下げたままにしていたドアノブをゆっくりと音を立てないように押す。いつもみたいに気安く開けなかった、のは、どうしてなのか。

 

躊躇いがちに開いた扉の細い隙間から中を覗き込む。

 

部屋の中のことはよく知っていた。毎日訪ねていたから。扉を開けば正面にベッドがあることも、もちろん。知らない気配があるからだろうか、どうしてか入るのに躊躇いがあって、扉の外側からほんの十数センチの隙間の中を見つめる。

 

視線の先、ユーハバッハの広いベッドの上で肉塊が蠢いていた。

それは大きくて肌色でブヨブヨとしていてベッドの上でその重たそうな身体をガクガクと前後に揺すっていた。軋む音も水音も湿った呼吸も衣擦れも全部そこから聞こえていた。

 

まだ幼く敬虔なジークフリードはそれを見たこともないし、経験したこともなかった。知識としてさえ認識は薄い。だからそれがなんなのかわからない。あれが何をしているのかなんてわからない。それでも嫌な音だ、と思った。変な匂いがする、とも。

 

ユーフェンはどこにいるのだろう、と思った。あんなのがいたら寝ることもできない。あれが来るから困っていて、だから助けを求めたのだろうか?

ユーハバッハを探そうとジークフリードがドアノブから手を離そうとした時、不意に彼の耳に微かな呻き声が届いた。

 

その瞬間、青年の身体が硬直する。ぶわりと背中から冷や汗が吹き出した。咄嗟に身を守るように胸元の十字架を握り、聞き間違いを望む。

 

けれど、零れるそのか細い呻き声が聞き慣れたあの子のものだと気がついてしまう。ベッドの奥、汚らしい音の中に紛れて聞こえる微かな悲鳴。

肉塊の体の奥に見える、細く白い手脚。肉塊が身体を前後に動かすたびに、その細い手脚まで揺さぶられる。引き攣る身体と零れる苦悶。扉の隙間から見えてしまった人類の理を否定するかのような光景に瞳が揺れる。

 

それが一体なんなのか、何のためにしているのか、どうしてそんなことをするのか、ジークフリードにはわからない。けれどそれが人を殴ったり蹴ったりするよりももっと悍ましく卑劣な暴行だということにだけは気がついていた。

 

ジークフリードは目を見開いたまま、ほとんど無意識にドアノブを押して扉を開き、ゆっくりとその中へ入る。

 

罪深いことが行われていると、気がついていながら目を背けられなかった。瞬きを忘れて瞼を大きく開いたまま、その瞳が乾き割れそうなほどに凝視する。

 

その醜く悍ましい悪徳を。

許されざる頽廃の一片を。

裁きを受けるべき罪深き者を。

 

扉に背を向けたまま行為に夢中になっている肉塊は背後の侵入者に気が付かない。

肉塊が太った腕を伸ばして美しい黒髪を乱暴に掴む。

それを瞳に映した瞬間、ジークフリードはその手に弓と矢を持っていた。

薄汚い手が白皙の細い喉を掴む。

それを瞳に映した瞬間、ジークフリードは弓に矢を番えていた。

 

肉塊の下敷きにされていた細身の少年は自分を覆う大きな身体の向こう側に待ち望んでいた来訪者がいることに気がつく。

そして、凍らせていた表情を溶かすように緩めて、微笑む。

 

「…………ジーク」

 

そう、名を呼ばれた瞬間、ジークフリードはその肉塊の頭に向けて矢を射っていた。

 

矢から指を離した瞬間、弾け飛んだ頭はその中身を外へ撒き散らした。骨や血や脳髄だったものがベッドの中に、部屋の中に激しい水音を立てて散乱する。

しかしそれが至近距離にいたはずのユーハバッハに降り注ぐことは無かった。最低限の霊子の操作で彼を薄汚い血肉の雨から守ったジークフリードは手の中の弓を消すと躊躇いなくベッドへ近づく。ほんの数時間前まで2人で戯れあって遊んでいたベッドへ。

不愉快だった肉欲の臭いが濃厚な鉄の匂いに書き換えられる。脳味噌が血肉に還ったことに気が付かない肉塊の手足が反射的な痙攣を繰り返してバタンバタンと暴れた。それが少年の体に当たる前に、ジークフリードは肉塊を掴むと床に叩きつけるようにベッドから引き摺り落とす。そして、砕けた首から血を垂れ流し、未だ非随意に床を叩く気色の悪い大人の男の裸体に視線を落とす。

 

その身体を、中心の機能を、ベッドの中の惨状を、……護りたいと思っていた大事な友の裸の四肢をその光の無い瞳孔の中に映して、ジークフリードは掠れた声で呟いた。

 

「…………ソドム」

 

 

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