バッハ「私たちは友達だからだ」   作:ホネホネ

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背教者編ラストから数年後の小話





そして馬車は往く

 

ぎちりと太いロープで四肢を締められたまま、ユーハバッハは馬車の荷台に乗せられていた。

ジークフリードは傍にいない。ただ1人、拘束されたまま座り込んでいる。

 

帆布に覆われて外の景色は見えないが、もう随分と街から離れたらしい。外の喧騒は聞こえない。聞こえるのは車輪が軋みながら回る音と、時折鞭で打たれて鳴く馬の声程度。

 

道が悪いのか、大きく揺れた荷台に体が揺さぶられる。少し崩れた体勢を直そうと身じろぎした途端、目の前で金を数えていた男がじろりとこちらを見て「逃げようなんて思うんじゃねえぞ」と威圧をする。

 

ユーハバッハはそれを無視しながら、小さく溜息をつく。目の前の人攫いの男と、馬を操作する御者の男の2人組。どちらも少しばかり暴力に慣れているだけのただの人間だ。その程度の輩を殺して逃げることくらい、ユーハバッハには瞬きするより容易い。

 

しかし、何故この私がわざわざそんなことをしなければならないのか?

 

その苛立ちこそがユーハバッハが無抵抗であり続ける理由だ。

 

 

 

 

ソドムの屋敷を離れて数年、ユーハバッハとジークフリードは様々な国や街を回って2人旅をしていた。

 

何度も転生を繰り返してきたユーハバッハにとっては人の営みなどどこでも変わりはしないと大した感慨もない旅。

けれど、故郷とあの屋敷しか知らないジークフリードにとっては目に映る全てが初めての景色だったらしい。

 

初めて訪れる街、知らない文化、食べたことのないもの、見たことのない景色、聞いたことのない音、人々との交流。

もう何年も旅をしているというのに、いつまでも何もかもが新鮮で、些細なことさえ楽しいようだった。

嬉しい楽しいと素直に目を輝かせる様を見てしまえば、ユーハバッハとて流石に皮肉や意地悪を言う気も失くすというものだ。

 

さて、その時彼らが訪れていたのは大きな街だった。

 

数多の街道が繋がる物流の中継地点とも呼べる街らしく、人も店も多く、随分栄えていた。

そこに住まう人間よりも他所からやってくる人間のほうが多いところで、誰にとっても知らない顔ばかりの街。

 

そんなところにユーハバッハたちのような異物が紛れ込んでも誰も気にしない。実年齢はともかく外見年齢はティーンの2人を見て、少し視線を向ける者はいても奇異の目にはならない。だから居心地が良い街ではあった。

 

街の酒場は宿泊施設も兼ねていて、そこに2人は数ヶ月泊まっていた。

酒場の主人からしてみれば子供2人の旅人──まして髪の色も目の色も顔立ちも違う2人を兄弟と思うはずもない──など怪しいにもほどがあったろうが、金さえ払えば詮索はされなかった。

 

上手くやれていたのにはジークフリードの性格もあっただろう、明るくよく笑いよく喋る、打てば響くような男だ。気がつけば数日のうちに酒場の人間や長期宿泊者や常連とけらけら笑って話すような関係を築いていた。

ユーハバッハはそんな彼らとは距離を置いていたが、だからといってその態度をよく思われないということもなかった。

むしろ「あんなやかましい兄ちゃんがいたらお前は無口にもなるわなあ」と酒場の主人からガシガシと頭を撫でられたことさえあった。

 

とかく、余所者の旅人にしては穏やかな日々を過ごしていた。深夜の森で野盗の集団を迎撃しながら朝を迎えたこともあったと思えば、あまりにも平和な日々。

 

 

その日は食料を買いに市場へ出ていた。

 

ごった返す人の群れの中、逸れないように身を寄せ合いながら進んでいた時、不意にユーハバッハは路地の影から誰かに腕を掴まれて引き摺り込まれた。

 

余所者ばかりの街となれば、突然誰かがいなくなったとしても気が付かれない。それを理解している人攫いの所業だった。

側から見れば、ユーハバッハは幼く細身の少年である。どうとでもできると思われたのだろう。

まして整った顔立ちの少年など、労働力としてもそれ以外としても売れるに決まっている。

 

ユーハバッハは声を上げられない様に口を押さえられて、図体の大きい男に背後から抱きかかえられる様に捕まった。

殺すことは容易い。例え四肢を拘束されようと殺す手段はいくらでもある。

しかし、その時ふと頭に過ぎったのはジークフリードから言われた言葉だった。

 

(「俺らなんてただでさえ目立つんだから、街中で騒ぎなんか起こすんじゃねえぞ」)

 

ぴっと人差し指を立ててそう言いつけてきたジークフリードの姿が思い出される。

ここがいくら路地とはいえ、少し先には人がごった返す大通り。どうやっても死体は隠せない。すぐに見つかるだろう。それに明らかに外傷のある死体となれば、当然騒ぎにはなる。

 

……そうなると怒られる。

正当防衛なのに、ユーハバッハがジークフリードに怒られるのだ。

 

(「だから騒ぎを起こすなって言ったろうがこのトラブルメーカー!一歩歩く毎になんかしでかさねえと満足できねえのか!見ろあの鳩を!ぼーっとした顔のまんま歩いてるだろうが!鳩にできることがなんでお前にできねえんだよ!」)

 

……想像して、ユーハバッハはムッとした。

 

それが無抵抗の理由。

だって、ジークフリードが騒ぎを起こすなと言ったのだ。だからその通りにしただけ。怒られる所以などひとつもない。

 

そんなわけでユーハバッハは男の小脇に抱えられながら連れ去られ、馬車に乗せられ、ぎゅっとロープで縛られ、ドナドナとばかりに街から出て行くこととなったのだった。

 

 

 

退屈を持て余して頭の中で再生した回想を終えて、ユーハバッハは現実に焦点を合わせる。

暇そうに欠伸をする人攫いの男に、つられてユーハバッハまで欠伸をしそうになった。

 

……しかしまあ、そろそろか。

退屈が終わる予感に、ユーハバッハは縛られたままながらすでに解放感を得ていた。このささやかな遊びももう終わりだ。

 

「ぎュ、い」

 

最初に聞こえたのは音。それは空から真っ直ぐに降ってきた矢が脳天を突き刺し、喉を通り、心臓に刺さって死んだ人間の間際の声。

御者台に座っていた男が背後へ倒れ込み、その身体が荷台の中に滑り込む。頭から流れる血、白目を剥き、動かなくなった身体。

 

「は、はァ!?なんだ!おい!どうし……がっ、!」

 

ユーハバッハの前にいた男が突然音もなく死んだ相棒の体を揺さぶる。しかし、その男も空から降ってきた矢に貫かれて似た様な死を遂げる。

御者が死んでもなお止まらない馬車に揺られたまま、折り重なる死体を眺める。近づいてくる慣れ親しんだ魂の感覚にユーハバッハは微かに口角を上げる。

さて、最初の一言はなんだろうか?

 

瞬間、荷台の後ろから1人の青年が乗り込んできた。

 

颯爽とスマートに、とはいかなかったようで、動く馬車に揺らされながらなんとか近くの取っ掛かりを掴んで無理やり体を引き上げて乗り込んだ。

 

その青年は──ジークフリードは縛られたユーハバッハを見つめて口を開いた。

 

「御者死んでも馬って止まんねえの!?」

 

アホみたいな一言だった。

御者を殺せば自動的に馬も止まるだろうと思っていたらしい。止まってからのんびりユーハバッハを回収しにいけば良いと思っていたのに、実際は馬が止まらないものだから、慌てて走って追いかけてきたというところなのだろう。

 

「手綱を引かねば馬は止まらんぞ」

「手綱ァ!?どれ!?」

 

折り重なった死体を大股で跨ぎながら、ジークフリードは荷台を通って御者台に座る。帆布の向こうから「あー、なんか紐いっぱいある。あ、これか?あー、まって加速した。あー、もうなんもわかんない。あー、馬止まんない」と諦めた声が聞こえて、ユーハバッハは思わず鼻で笑う。

霊子で造った刃で縄を断つと立ち上がり、御者台へ向かう。

 

「なにをしているんだお前は」

 

諦めた顔のジークフリードが手を伸ばして馬の腰あたりを撫でているのを横目に、彼の隣に腰掛ける。街からはずいぶん離れた。なんとか車輪が回るよう体裁を成しているだけの荒れた道を進んでいく。

 

「つかユーフェン、お前なに捕まってんだよ。マジでめっちゃ探したんだからな。気がついたら街ん中いねえし」

「仕方ないだろう、お前が言ったのだ。騒ぎを起こすな、と。あれだけの人混みの中で抵抗すれば騒ぎになる。だから無抵抗でいてやったのだぞ」

「だとしてももうちょいやりようがあるだろ……。お前はちょっと歩けばすぐトラブルを起こす。お前より広場の鳩のほうが平和的に歩いてるぞ」

 

想像に近い発言に、今のユーハバッハはムッとするというよりむしろ想定通りであることに満足する気持ちさえあった。

 

「平和のために大人しく捕まってただけだ」

「捕まってる時点で平和じゃねえっての」

 

ぶつくさと言うジークフリードの横顔を見つめながら、ユーハバッハは少しの反省の色もなく答えた。

 

「どうせお前が助けに来る。平和だろう」

 

そう当然の様に答えたユーハバッハに、ジークフリードは(やっぱ甘やかしすぎたか)と内心で思いながら溜息をついた。

助けに行くのは当然として、そのために危険に身を晒す様なことをされては困る。……と思ってからちらりと荷台の中の死体へ視線を向ける。

まあ、あれが危険だったかと問われたら首を横に振るしかないのだが。

 

「はーあ、まあいいか。せっかくだし、このまま馬車乗って次の街まで向かうか」

「……宿はいいのか?」

「宿?そんな大したもの置いてきてないだろ?」

 

ジークフリードはあっけらかんとそう言ったが、ユーハバッハが問うたのは荷物の話ではなく人の話だ。

あれだけ酒場に出入りする人間たちと楽しくやっていたくせに、別れの言葉もなく街を離れていいのか、と。

 

けれど当のジークフリードは唐突な別れを惜しむこともなく、前ばかりを見ている。

これは薄情というより、取捨選択の結果だろう。ジークフリードは普遍的に人々や世界を愛しながらも、常に己の選択肢を唯一に定め切っている。

 

自身がその唯一である以上、そこに文句を言う理由も必要もないのだけれど。

ユーハバッハはそう思って微かに笑う。

 

「死体は暗くなったら森の中にでも捨てよう。馬も連れてると商人だと思われて野盗に襲われるからな、次の街で売るか」

「旅慣れてきたな、お前も」

「よくない慣れ方な気がする……」

 

遠い目をしながらそう呟くジークフリードへ、ユーハバッハは馬の体に引っかかっていた手綱を手に取って渡した。

 

「せっかくだ、馬の扱いも覚えておけ」

「馬に乗る機会なんて今後そうそうねえと思うけど……まあいいか」

 

さて、それはどうだろうか。

口には出さずに微かに唇の端を上げる。

 

なんとなく馬には好かれそうな気がする。

馬に頭を甘噛みされたり、顔面をべろべろと舐められたりして半目になるジークフリードが目の裏に浮かんだ。果たしてこれが未来視なのか、ただの己の空想なのかは判別が難しいところだが。

 

「……まあ、白の制服は似合っていそうだな」

 

今より成長したジークフリードが白い制服を身に纏っている姿が目に浮かんで、ユーハバッハはそう独りごちる。

 

望む未来など、現実にして仕舞えばいいだけなのだから。

 

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