バッハ「私たちは友達だからだ」   作:ホネホネ

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Beginning

 

ヨハン・ザイドリッツは裕福な良家の生まれだった。

 

しかし次男であったことに加えて、生まれつき滅却師としての能力が人より高かったこともあり、元より真面目で責任感のある彼が自国の騎士団に志願するのはある種、自然な選択だった。

 

とはいえ、彼の選択の根源に少なくとも祖父の影響が無かったとは言えない。

祖父はユーハバッハによる富国強兵的な統治に強く賛同するシンパだった。

幼い頃からザイドリッツはそんな祖父からユーハバッハが光の帝国にもたらした恩恵について何度も聞かされていたことを覚えている。

祖父が語るところによれば、ユーハバッハの為政によってばらばらに分たれていた共同体の多くが統一され、民が増え、国が栄え、なにより虚によって死ぬ者が減った、と。

 

祖父の思想の根源にあるのは、虚に対する深い憎悪だ。

彼は若い頃に弟を、つまりはザイドリッツにとっての叔祖父を虚によって殺害されていた。

 

叔祖父は虚に身体を喰われ、右手だけはなんとか残ったが、それさえ祖父の元に戻る頃には塵のように崩れ果てていた、と。

 

最期に愛する者の手さえ握ることのできぬ悲哀は想像に難い。

 

ザイドリッツが騎士団の団員となった時には、祖父はすでに病でこの世を去っていた。

祖父はザイドリッツが騎士になったことを誇りに思うだろうか、それとも自ら死地に向かおうとする孫の選択を反対するだろうか。

 

今となってはもう、わからない問いだ。

 

 

 

 

「目、大丈夫か?」

 

城内の廊下を歩いていた時、唐突に投げかけられた問い。

一瞬何を聞かれているのか判断できず、ザイドリッツは困惑しながら声の方へ振り返る。

 

振り返った視線の先にいたのは皇帝陛下の懐刀であり、ザイドリッツにとっても特別な存在であるその人──ジークフリード・ジンツァーだった。

 

白帽から覗く赤い短髪に、人懐こい碧の瞳。

外見は30歳前後ほどに見えるが、表情によってはより若くもより老成しているようにも見える。騎士として過不足なく必要な筋肉がついている均整の取れた肉体に、騎士団の一員であることを示す襟付きの白の制服を身に纏っていた。

 

問いかけの主がジークフリードであることに気がついて、ザイドリッツはようやく何の話なのか合点がいく。

 

己の眼帯の下、潰れた左目のことだろう、と。

 

ザイドリッツは口元へ微かに呆れに似た笑みを浮かべながら返事をする。

 

「ジークフリード殿、もう10年以上も前の傷です」

「だからちょっと前のことだろ?まだ痛むか?ちゃんと医者に見てもらってるか?うええ、痛そ……マジで無理はするなよ……」

 

まるで自分が怪我をしたかのように感情移入して眉を下げるその人に、ザイドリッツは少しばかり肩を落として苦笑しながら返す。

 

「痛むどころかとっくに傷も塞がっております。ずれた遠近感もとうに掴めていますし、狭まった視野の補正もできていますから問題はありませんよ」

「た、たった10年で!?て、天才……?本当に優秀で良い子だな、お前は……」

 

そう言ってジークフリードはザイドリッツの頭へ手を伸ばすと、子供を褒めるかのようにその銀色の髪をわしわしと撫でた。されるがままのザイドリッツの胸に、小さな恥じらいと納得が落ちる。

 

その壮年の外見と親しみやすさから忘れがちだが、彼もまた陛下と同じく長い年月を生きている人なのだ、と。

 

彼にとっては10年など本当に少し前のことなのだろう。だからこそ、とうに三十路を越えたザイドリッツさえ子供のように思えるのだ。外見だけで言えばそう大して変わらないように見えるのに。

 

しかし、不思議な雰囲気の人だ。

ザイドリッツはジークフリードを見つめながら思う。

 

同じく長命のユーハバッハが皇帝として君臨する姿があまりにも正しく、玉座にいることこそが相応しいように思えるのに対して、ジークフリードは不思議とどこにいても違和感の無い人だった。

 

ここで騎士をしていても、城下の酒場やパン屋で働いていても、あるいは聖職者だったとしても、そういうものだと納得できるような雰囲気がある。

騎士団の中で最古参であるというのに、まるで少しベテランの気のいい先輩のような顔で新兵たちと食堂で食事を囲っている姿をよく見かけるのだからおかしなものだ。

 

それでいながらジークフリードは、ユーハバッハが騎士たちの前に姿を現す時には必ずその傍にいる。彼の影のように、対のように、半身のように。

普段の温かく気安いジークフリードの姿を知っていても、矢のように鋭利な表情を浮かべたまま君主の隣に立つ姿を見ればやはりそこに何の違和感も覚えないのだ。

 

「そういや、目は治さないのか?」

 

思考の中に入りかけていた時に不意にそう問われて、ザイドリッツは自身の左目を覆う眼帯に触れた。

潰れた眼球、失われた半分の視界。

それを願えば、かの王はこの目を治してくれるのかもしれない。しかしザイドリッツにとっては古い傷である。片目であることに慣れた以上、今更両目になる方がむしろやりづらい。

 

それにその問いかけは、目を失くしたばかりの頃にユーハバッハからも同じように尋ねられたものだった。そして、その時と同じ答えを再び口にする。

 

「……いいえ、このままで良いのです。これはお二人に助けていただいた時の傷ですから」

 

そう言ってザイドリッツは眼帯越しに自身の左目を撫でる。

まだ自分の実力さえ見誤っていた新兵の頃に負った傷、己の死を覚悟したあの時に敬愛する陛下とその懐刀が来てくれなければ今のザイドリッツはいなかっただろう。

 

「……甘い考えかもしれませんが」

 

治せるものを治さずに不完全なままでいることは陛下の臣下たる騎士としては過ちなのかもしれない。

そう思ってそんなことを呟く。目を伏せる彼に、ジークフリードは被っていた白帽の庇を軽く摘んで押さえながらその顔を覗き込んで言った。

 

「お前はかわいいね」

 

微笑んだ瞳と目があって、ひるむ。

そう言ってどこか気の抜けるような笑顔を浮かべたジークフリードに、言葉を失った。

 

……かわいい。

……かわいい?

三十路過ぎの男にかわいい、などと言うなんて。

あっけに取られて「なにを……」と呟いて見つめ返せば、ジークフリードは幼い我が子を見つめるような愛おしげな表情を浮かべる。

 

「熱烈だな、ザイドリッツ。傷まで残したいほど大事な思い出だなんて言われたら流石に照れるぞ」

「…………照れた顔をしてからおっしゃってください」

 

愛情を隠さない顔で見つめられることに耐えられず、思わず目を逸らせば喉を鳴らして笑う声が届く。照れを隠すようにザイドリッツは話を変えた。

 

「ところで、なにかご用でもあったのですか」

「いや、大したことじゃねえんだけど、ザイドリッツって今ヒマ?」

 

……やはり口説かれているのだろうか?

 

そう思ってから内心で首を横に振る。

まさか、そんなはずもない。彼の左胸はすでに唯一人へ捧げられている。

そう思った時、ジークフリードが続けた。

 

「陛下からお前を連れてくるようにって言われててさあ」

「何故それを早くおっしゃらないのですか」

 

最優先事項ではないか。

 

 

 

 

ユーハバッハの執務室までザイドリッツを連れてやってきたジークフリードは、ノックも無しに「失礼しまーす」と気の抜けた声をかけてから扉を開けた。

 

「あ、ノックしないといけねえんだった」

 

ジークフリードは逆再生のように扉を閉めると、バンバンと叩くようにノックをしてから返事も待たずに再び「失礼しまーす」と言って扉を開き、中に入った。

 

良家の生まれであるザイドリッツは、失礼しますと言って本当に失礼なことをする人を見て固まった。

ジークフリードがそういった自由な気質であるということは察していたが、まさかこの国の最高権力者相手にもそうだとは思ってもみなかったのである。

驚いたザイドリッツは、しかしすぐに意識を取り戻すと中へ入る前に頭を下げ、丁重に挨拶をしてから急いで彼の後についていく。

あんまりにも奔放な様子にザイドリッツは皇帝の前に立つために抱いていた過度な緊張さえ失ってしまった。

 

そうして入った広く薄暗い執務室の奥に、その人はいた。

 

闇を切り取ったような黒髪に、心の底まで見透かすような鋭く赤い瞳孔。彫りの深いその顔には常に他者を圧倒するような威圧感がある。

 

その身体を闇に溶かすように部屋の奥、執務机の前に腰掛けるユーハバッハの姿がそこにあった。

心の底まで見透かすような血の如き瞳に見つめられて、ザイドリッツはすでに伸びていた背筋をさらに伸ばす。

 

「……ザイドリッツか」

「はっ、ヨハン・ザイドリッツであります。参上が遅れ、申し訳ありません」

「良い、大方──」

「この部屋なんか暗くね?窓開けるわ」

 

ジークフリードが勝手に、バッ!と勢いよく窓を開く。途端に薄暗がりに光が差し込み、一瞬で部屋の明度が上がる。爽やかな風が部屋の中に入り込んだ。

すでに部屋の暗さに慣れつつあったザイドリッツでさえ酷く眩しく感じたのだから、その前からこの部屋にいたユーハバッハは尚のことだろう。眉を寄せて目を細めながら、彼はジークフリードに何か言いたげな顔をして、けれど何も言わずに話を続けた。

 

「……気にする必要はない。大方、ジークフリードの長話にでも付き合わされたのだろう」

「はっ、いえ、そんなことは……」

 

あるのだが。

そう思ったザイドリッツの内心を見透かしてか、ユーハバッハは軽く息を吐く。本当のところはどうかわからないが、ザイドリッツにはそれが微かに笑っているようにも見えた。

 

「我々は長話をするほど互いに暇ではあるまい。単刀直入に言おう」

「はっ」

「なんか含みを感じる言い方だな……」

 

窓辺のジークフリードからの言葉を無言であしらってユーハバッハはザイドリッツを見つめて告げた。

 

「ザイドリッツ、お前を私の補佐官に任命する」

「……私を、ですか……?」

 

ザイドリッツは驚きに片目を開きながら、告げられた言葉を頭の中で反芻する。

陛下付きの補佐官。名誉なことではある。しかし、当然疑問が湧く。何故他の誰でもなく私なのか、と。

そんな彼を静かに見つめながら、ユーハバッハは色素の薄いその唇を開く。

 

「我が帝国も始まりの時に比べれば随分栄えた。民も騎士も増えている。我が支配の及ぶ土地も広がった。だがそれ故に、未だ支配の及ばぬ地の者たちとの争いも増えつつある。知っているな」

「はい、存じております。陛下の稜威(いつ)のわからぬ旧時代の領主が今なお傘下に加わらぬままでいる、と」

「それらを力で屈服させ、支配することは容易い。だが、私は争いを好まぬ。血と肉で飾られた道の果てに無用な遺恨を残す気も、徒に我が子たる騎士団の滅却師を戦場へ立たせる気も無い」

 

ユーハバッハは当然のようにそう口にして頷く。その言葉に嘘はない。ザイドリッツは察するものを感じながらも明確な言葉を待った。

 

「つまるところ、武力のみならず(まつりごと)を為さねばならぬ時期となったという単純な話だ。だが私とて、腕はふたつ。頭に至ってはひとつ。とても足りぬ」

「それ故に、ですか」

「ああ、私はお前という腕と頭を欲している。求める答えはひとつだが、問いかけがあるのならば答えよう」

 

その任命を受け入れる以外の選択肢は無い。

ザイドリッツとて皇帝からの任を足蹴にする意味も理由も無かったが、けれど疑問はあった。それ故に唇を開く。

 

「陛下、失礼を承知でお尋ね申し上げてもよろしいでしょうか?」

「許す」

「ありがとうございます。……何故、私なのでしょうか?陛下の威光に満ちたこの国には私よりも賢き者も強き者もおりましょう。それに……」

 

言い淀んだザイドリッツへ、促すようにユーハバッハは言った。

 

「続けよ」

「……はい。何より陛下のお傍にはジークフリード殿がいらっしゃいます。彼を差し置いて、何故私なのですか?」

 

ザイドリッツは自身の背後にいるジークフリードの気配に意識を向けながら、ユーハバッハを見つめて問いかける。

 

公的な場において、ユーハバッハの傍には常にジークフリードが影のように付いている。

ジークフリードはユーハバッハの懐刀であり、矢であり、盾であり、無二の騎士だからだ。

それは騎士団においては誰もが知っていることである。それを差し置いて、何故なのか。疑問を抱くのはある種当然のことだった。

 

けれど、不愉快な質問だっただろうか。ザイドリッツは問いを口にしてからそう思う。

けれど仮にこの問いかけが彼や彼らの機嫌を損ねたとしても、殺されることはないだろう。問いを許したのはユーハバッハの方だからだ。

 

そう思いながらも緊張のために咥内を乾かすザイドリッツへ、ユーハバッハは変わらず温度のない視線を向け続けながら、不意に空気を崩すように笑う。嘲笑でも自嘲でもなく、ただ楽しげに笑みを浮かべたユーハバッハにザイドリッツは目を丸くする。

 

「異なことを問うのだな、ザイドリッツ。お前は兎に羊を追わせるのか?空高く翼を広げる鳥が地を這う様を見たい、と?」

 

喉をくつくつと鳴らしてユーハバッハは薄く笑い、それから続ける。

 

「物事には適正というものがある。あの男をこの狭い部屋に閉じ込めて得られるものなど無い。外を好きに走らせ、好きに人と戯れさせていたほうがよほど良い」

「俺は犬かなんかか?」

「お前に求めるものをジークフリードへは求めぬ。言うまでもなく、逆も然りだ」

 

ジークフリードの呟きは当然のように無視された。ユーハバッハは滔々と言葉を紡ぐ。

 

「私は我が子へ忠誠を求めるが盲信は求めない。私の言葉に頷くだけの人形は数多にいるだろう。だが、私は最大限綱領(マキシマリスト)の主義はあれど、無用の長物を傍に置くほど物的過所持(マキシマリスト)の気質はない。そしてお前が盲信の人形ではないと確信している。事実、ただ与えられるものを受容するだけではなく、自ら思考し、疑問を抱き、臆すことなく私へ問いかけたのだから」

 

単純な話、相応の評価をされていた。それに尽きるらしい。目を瞬かせるザイドリッツに、ユーハバッハは続けた。

 

「お前は何故ジークフリードを傍に置かないのか、とも言ったな。それは単純な話だ」

「……と、おっしゃりますと」

「あれに政は出来ん」

「おっ、なんだァ?悪口かァ?」

「事実だ」

 

ザイドリッツが振り返れば、ジークフリードはソファの上にだらんと寝転がって笑っている。

頭から外れかけた帽子はジークフリードが身じろぎした途端に地面に落ちる。それを腕だけ伸ばして拾いながら、彼はザイドリッツへ向けてグッと親指を立てて言った。

 

「言っとくけど俺、今のお前たちの会話、半分くらいしか理解できなかったからな!なんでそんなに難しい言葉遣いすんの?」

「あの様子では恐らく三割も理解できていまい。ザイドリッツ、お前もジークフリードへ話しかける時は子供を……いや、動物を相手にするようにでも易しく話すといい」

 

それは舐めすぎではないか。

そう思ったが、恐らく今の発言はジークフリードへの揶揄いの意が籠っていたものだろう。知っていたつもりだったが、随分仲が良い。

ジークフリードはソファの座面に背中をつけながら、ユーハバッハへ向けて冗談じみた顔で唇を尖らせる。

 

「小難しい言い方しないでもっと素直にザイドリッツのこと褒めてやれよ」

「伝えているつもりだが。違うか、ザイドリッツ」

「無論、この胸にしかと届いております」

「だそうだ」

「なら良いけどよ。まあ、あれだよ、お前は頭も良いし、滅却師としても優秀だし、いつも頑張ってるし、真面目でしっかりしてるし、ユーハバッハにもビビらず意見できそうなところが良いんだよ」

「……評価と求めるところに間違いはない。早速だがザイドリッツ、人の部屋で好き勝手するあの男を注意してくれるか」

「はっ。ジークフリード殿、制服で寝転がってはなりません。皺になります。それから部屋のあちこちに兎を増やさないでください。踏まれてしまいますよ」

「はいはい」

「返事は一度です、ジークフリード殿」

「はーい」

 

起き上がったジークフリードと目が合う。何をせずとも楽しそうな瞳に「よろしいのですか?」と問いかけみれば、彼はへらりと笑った。

 

「いいのいいの、俺はだめ。なんでもかんでもいいよって甘やかしちまうから」

「はあ、それは随分と……随分ですな……」

「そもお前を私の補佐にと推薦したのがジークフリードだ。今更文句を言う筋合いもあるまい」

「そういうこと。ザイドリッツ、お前はユーハバッハにいっぱい文句も進言も言えよ」

 

二人からとなれば、過剰な評価だと謙遜する方が失礼だろう。ザイドリッツは胸に手を当てると、恭しく頭を下げる。

 

瞬間、無意識に懐へ収めている三又の滅却師十字に意識が向いた。

騎士団に入った時に賜ったそれにはザイドリッツの名が彫られている。

それは名誉ある帝国の騎士としての証であり、戦いの果てに遺体さえ残らないかもしれない滅却師のためのドッグタグの意味合いも含んでいた。

少しでも残るものがあるようにと与えられたそれの存在を知ったのなら、亡き祖父は何を思うのだろう。微かな寂寞がザイドリッツの胸の中に過ぎる。

それを振り切って顔を上げ、己が仕えるべき君主を見つめた。

 

「このヨハン・ザイドリッツ、陛下より賜った補佐官の任を謹んで拝命いたします」

 

それがザイドリッツが光の帝国の皇帝たるユーハバッハの右腕となった経緯だった。

 

 

 

 

 

 

「歳取ったからかねえ、歳下がみんな可愛く見えるわ」

「生き続けていれば、頭はともかく肉体だけなら勝手に老けていくものだからな」

「誰の頭が成長してないって?」

「勝手に穿った見方をするな」

「お前の方こそ穿った見方をさせるな」

 

文句のようなことを言いながらも、ジークフリードは楽しげに笑う。ユーハバッハの執務室のソファに我が物顔で座りながら、ザイドリッツが出て行った扉の方へ口角を緩めたまま視線を向ける。

 

「ジークフリード」

 

ユーハバッハがそう呼べば、ジークフリードは笑みを収めて主へ視線を向ける。

二人きりでいる時にあだ名呼びをしないということは、あまり楽しくない話が待っているということだ。

そしてユーハバッハは当然のようにジークフリードにとって楽しくない話を始めた。

 

「先日の交渉が破綻した。あちらは既に戦いの準備を始めたようだ。数日を待たずに攻め込まれる」

「……視えたのか」

 

ジークフリードの言葉を肯定するように、ユーハバッハの眼球にふたつめの瞳孔が現れる。両眼に浮かぶ四つの瞳その全てでジークフリードを見つめながらユーハバッハは静かに頷いた。

 

「あちらの出方を待つ理由もあるまい。先んじて討つ。制圧はお前に任せるぞ。手段は問わない。ただし、遺恨を残すな」

 

それは遺恨が残るような戦い方をするな、という意味ではない。戦いの結果に遺恨が残らない筈がない。

つまるところ、何も残すなという意味だ。

何かを思う心を持つ者、その全てを皆殺しにしろと言外に彼は言った。

ジークフリードはソファに体重を深くかけて呟く。

 

「……争い事ばっかりだな」

「私が好んでお前にそれを命じていると思うか」

「わかってるよ、お前を責めてるわけじゃない」

 

怒っているわけじゃないと示すように、ジークフリードは微かに口角を上げてみせた。それから溜息。膝に肘をつけて足の間で指を組む。少し前傾姿勢になりながら、ユーハバッハに問いかけた。

 

「なあ、なんでみんなお前と戦おうとするんだ?交渉の時だってお前が目の前にいるだけで怯えてた。勝てないってわかってる筈だろ。素直に従えば争いにはならないのにさ」

「……ふむ、では仮にだ。もしも私より強い者が現れて、私をこの城から追い出し、新しい王である自分に従えと言ったらお前は素直に従うのか?」

「従わねえ」

「そういうことだ」

 

間髪入れずに答えたジークフリードに、ユーハバッハは椅子から立ち上がるとゆっくりと彼のもとへ足を進める。

そしてソファの傍に立つと、ジークフリードへ低い声を降らせた。

 

「しばし我慢しろ。その先にある平和のためなのだ、ジーク」

 

そう言ってジークフリードの隣に腰掛けた。

彼へ視線を向ければ、示し合わずとも自然に目が合う。ジークフリードの瞳の中にユーハバッハが映った時にはもう、彼の暁のように紅い瞳は一つに戻っていた。

 

「……ああ、わかってるよ、ユーフェン」

「ならばいい。終わったらお前に付き合おう。早駆けでも、兎狩りでも。ああ、屋根にでも登るか?」

「くっ!雑に機嫌を取ろうとしやがって!そんなんで俺がなんでも言うこと聞くと思うなよ!手懐けようって魂胆が見え見えなんだよ!」

「そうか……流石のお前もこれでは騙されなくなってきたか」

「長年騙してきた自覚がある、と……」

 

呆れた顔をするジークフリードにユーハバッハは微かに目を細める。

 

自分もそうである以上どうこう言えないが、ジークフリードもまた金だの酒だの女だのというものにはあまり関心が無いらしかった。そんなことだから、子供の遊びのようなささやかなもので満足するのだろう。

ユーハバッハからしてみれば、その程度で機嫌が取れてしまうジークフリード側にも問題があるだろうとも思うが。

 

そんなことを思われているとは露知らず、昔から変わらない戯れ合うような会話にジークフリードは楽しげに笑った。

それから手に持っていた帽子を被るとソファを降り、ユーハバッハの前に跪いて胸へ手を当てる。

 

「では謹んで拝命いたします、陛下。必ずや貴方の望む戦果を上げてみせましょう」

 

揶揄うような声音でそう言ってから、立ち上がったジークフリードはユーハバッハの頭に軽く手を置いた。緩く癖のある黒髪を撫でるわけでも、掬うわけでもなく、ただ触れて、それだけ。

 

歳下は可愛い。

ジークフリードのその言葉に嘘はないのだ。

 

ジークフリードはその手をすぐに上げるとひらひらと振って扉へ向かう。

そして部屋を出る直前に振り返って言った。

 

「丸一日は空けとけよ!」

 

瑣末な懐柔とわかっていながら騙されてやるのは、いつだってそれが理由だ。

 

 

 

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