バッハ「私たちは友達だからだ」   作:ホネホネ

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Someday It may become a scar, but still

 

アルゴラ・ララウにとって、ジークフリード・ジンツァーは良き同僚である。

 

アルゴラが新兵だった頃にジークフリードが気安く話しかけてきたのが交友のきっかけで、農村出身のアルゴラと農夫上がりのジークフリードで妙に話と馬が合ったのもあって、気がつけば気の置けない仲になっていた。

 

ジークフリードが陛下同様に長命で、陛下の昔馴染みで、皇帝直属の近衛兵であると知った時は驚いたが、アルゴラはそれを理由に変に距離を置くことも近づけることもなかった。

サシで城下の酒場に行ったこともあるし、ザイドリッツからの叱責から庇ってやったこともあったし、共に戦闘任務に就いたこともある。

 

アルゴラからしてみれば、良き友人と呼んでも良かったのだけれど、陛下とジークフリードが200年来の友人であると知った時に彼はその選択肢を手放した。

多分きっと、彼らにとって『友』とは定命の者と異なってより深く重い意味を持つだろうと思ったからだ。

アルゴラは察しの良い男だった。

 

 

 

 

「で、旅の途中で寄ったその国にはさ、首がめちゃくちゃ長え黄色い牛がいたわけ。気になるだろ?」

「そんな不思議な生き物がいたら気になるな」

「もちろん、味が、だよな」

「生態はともかく味は気にならないだろう普通……。よくわからない動物を見てまず食べたいと思うのはお前くらいだ。……それで、食べたのか?」

「ああ、なんていうか、ジャンルとしてはカンガルーに近かったな」

「まずカンガルーがわからん」

 

どこまでが本当でどこまでが嘘かよくわからないジークフリードの話にアルゴラは相槌を打つ。

 

昼過ぎ、二人は若い騎士たちへの戦闘指南を終えて、休憩がてら談話室で話をしていた。

弓矢の名手であるジークフリードと、手斧による近接戦闘に長けたアルゴラは共に教官として戦闘指導を行うことが多い。感覚派のように見えて、ジークフリードは案外人に物を教えることが上手かった。

 

ジークフリードの本来の役職としては皇帝付きの近衛兵であるはずなのだが、その辺りの仕事はほとんどユーハバッハの補佐官であるザイドリッツに任せているらしい。

そもそもこの城の中における最高戦力がユーハバッハである以上、少なくともこの城内で護衛が必要かといえばそんな場面もほとんどないわけで、そうなるとわざわざジークフリードという有用なリソースを浮かせておく理由もない。

まして当の皇帝がそれを良しとしているのもあって、彼は騎士団の戦闘指南役、つまりは教官としての役職も持ち合わせることとなった。

 

立派な立場の人間なんだよな、とアルゴラは日向の窓辺に置かれた椅子に溶けるようにして座っているジークフリードを見つめながら思った。

 

彼はこう見えて陛下直属の近衛兵で、騎士団全体の戦闘指南役で、親衛隊隊長だ。

 

親衛隊、そう、親衛隊だ。

アルゴラは自分に与えられた肩書きを思い出して、感嘆にも近い息を吐く。

 

「しかし、まさか俺が陛下直属の親衛隊とはな。農民上がりが随分な評価をされたものだ」

「妥当だろ。大体この騎士団じゃ、滅却師である限り出生だの血筋だのに関係なく皆平等だ」

 

それを言ったら俺も平民出身の農夫上がりだしな。

そう言ってへらりと笑うジークフリードに、つられるようにしてアルゴラも口の端を緩める。

 

皇帝直属の親衛隊隊員にアルゴラが任命されたのは先日のことだった。

 

親衛隊とは皇帝直属の戦闘部隊である。

皇帝の身辺を警護する近衛兵であり、騎士団の中でも皇帝が明確に指揮を取る軍事部隊である。

 

元々、光の帝国の騎士団には大きく分けて三つの部隊がある。

虚との戦闘を主とした対虚戦闘部隊(ガイストシュレヒター)、対人戦闘を専門とした実働戦闘部隊(カンプアイネハイデン)、憲兵や警察としての役割を持つ治安維持部隊(オルドヌルグクレフテ)である。

 

元々親衛隊員と呼べる立場の人間はジークフリードとザイドリッツのみだったのだが、これまで以上に帝国の統一を進めるために各部隊から優秀な騎士を親衛隊に入れ、元よりトップダウンであった皇帝と各部隊の結びつきを強めることとなった。アルゴラは実働戦闘部隊出身の騎士として親衛隊入りしている。

ちなみに、親衛隊増員の別の理由としてシンプルにザイドリッツの業務負荷軽減および属人化防止のためというものもある。

 

「別に親衛隊だろうがなんだろうが大した違いはないだろ」

「そう言えるのはお前くらいだよ」

「で、黄色い牛の話に戻るんだが」

「戻らんでいい」

 

「職務中に無駄話とは大層なお身分だな」

 

談話室で気の抜けた会話をするジークフリードとアルゴラへ、どこか皮肉げな言葉が放たれたのはその時だった。

二人の視線は自然と部屋の入り口へ向かう。

 

開いた扉の枠に手をつき、どこか小馬鹿にしたような表情を浮かべる男を見て、ジークフリードは驚いたようにその名を呼んだ。

 

「ヒューベルト」

「フン」

 

ヒューベルト・アレクサンダー・クライヒ。

かつてジークフリードとユーハバッハが抱き上げたあの時の愛らしい赤子だったが、彼は今やティーンエイジャーとなり、騎士団の優秀な滅却師である。治安維持部隊であった彼はその圧倒的な実力を持って親衛隊に選ばれた内の一人であった。

 

彼からの軽んじるような視線にサボっているとでも思われたのではないかとアルゴラは首を横に振る。

 

「俺とジークフリードは先ほどまで戦闘訓練の指導をしていたんだ。今は休憩中で、まあ、私語をしていたのは事実だが、場所は選んでいる」

「戦闘訓練、か。陛下の懐刀ともあろうものが、新兵相手にわざわざ指導とは頭が下がる。自分の立場がわかっていないんじゃないか?」

「おい、ヒューベルト」

 

諌めるようにアルゴラはヒューベルトの名を呼ぶ。

元より気位が高く、他人に対して当たりの強いところのあるヒューベルトだが、ジークフリードに対してはそれが特に強い。

面倒なことになると思って会話を切らせようとしたアルゴラだったが、そうなる前にジークフリードが口を開いた。

 

「ヒューベルト、お前……」

 

いつになる真面目な顔つきでジークフリードは言った。

 

「俺のことを心配してくれているのか?」

「は?」

 

顔を引き攣らせるヒューベルトに、ジークフリードはふにゃりと表情を緩めた。もうゆるゆるだった。

 

「んふへへ、お前って本当にかわいい奴だね。大丈夫だよ、俺が好きでやってることだし、職務として許可されてることだからな」

「……おい、どうやったらそう愉快な捉え方をできるんだ」

「わざわざ心配して声をかけてくれてありがとうな。あ、ヒューベルトもこっち来て座るか?日が当たって気持ちいいぞ」

「行くわけがないだろう、お前に近寄りたくない」

 

アルゴラはあちゃーと額に手を当てる。

 

見ての通り、ジークフリードはヒューベルトのことが大好きだった。

流石に他の騎士たちのいる前ではそんな態度は取らないが、幼い頃からその成長を見守ってきたこともあってか、関係を知っている面子の前では躊躇いなく可愛がる。それはもう可愛がる。親戚のおじさんのような態度だった。

 

その端正な顔を不愉快げに歪めるヒューベルトと、それさえ気にせず可愛がっている子に話しかけられてご機嫌なジークフリードに、アルゴラは溜息をつく。

ジークフリードは素っ気ないヒューベルトの態度にさえ、腕を組んで理解者顔で頷いた。

 

「ふふ、反抗期か……。覚悟はしてたぜ、父親は必ず通る道だからな」

「……ジークフリード、そういうこと言ってるから嫌われるんだぞ」

「嫌われてねえって!俺はヒューベルトのこと昔から可愛がってるもん!ヒューベルトも俺のことをパパとかダディみたいに思ってくれてる!そうだろ!ヒューベルト!」

「気安く話しかけるな」

「やだよ、せっかくヒューベルトから話しかけてくれたのに」

「仕事の話じゃなきゃ基本無視されてるもんな、お前は」

 

ジークフリードからの「ご飯行こ!」の誘いを、まるでその存在が見えていないかのように真顔でガン無視するヒューベルトの姿をアルゴラは何度も見ていた。

同じ職場に父親面してくる親戚──言うまでもないが、親戚ですらない──がいて、事あるごとに面倒くさく絡んでくると思ったらヒューベルトに同情しない気もないが。

 

「ジークフリード、その父親面をやめろ。私には尊敬する実の父上がいる」

「俺を実父(ナイトハルト)同然に思ってるということか……えへ」

「……っ!…………っ!!」

「ヒューベルトもうやめろ。無敵なんだこいつは」

 

思わずサーベルの柄に手を掛けて肩を怒らせるヒューベルトに、アルゴラは溜息をつく。もうやめてやれとジークフリードの肩を小突いてから、話の流れを切るように口を開いた。

 

「それで、ヒューベルト。何か用があって来たんだろう?どうかしたのか?」

「……チッ。ジークフリードに用がある」

「ん、俺?」

「忌々しいが、そうだ。お前に模擬戦闘を申し込む」

 

心の底から不服そうな顔でヒューベルトはジークフリードを見つめて唇を開く。

 

「甚だ不服だが、この騎士団において、陛下を除いて最も強いのはジークフリード、お前だ。甚だ不服だが、その実力だけは認めている。強くなりたいのなら、お前と戦うのが一番だということも理解している。甚だ不服だが」

「すごい不服じゃん……そんなに?」

 

そう言いながらジークフリードは嬉しそうな顔をしていた。どうであれ、頼られたことが嬉しいのだろう。

 

「暇なら私に付き合え。有象無象に時間を浪費するより、私の方が余程お前の時間を使うに相応しい価値がある」

「おー、いいよ、じゃあ準備したらすぐ外向かうわ」

 

その返事を受けて、その場を離れようとヒューベルトは二人へ背を向ける。そのまま歩き出そうと浮かせた一歩を、一度戻して、肩口で振り返った。

 

「……ジークフリード」

「うん?」

「……私は、お前のことなんて全然好きではない。父のようにも兄のようにも思っていない。今だって、お前の能力を利用しているだけだ。……変な勘違いはするなよ」

 

それだけ言って、足早にこの場を離れていくヒューベルト。離れていく足音が聞こえなくなって、アルゴラはなんとなくジークフリードへ視線を向ける。

 

ジークフリードはよくわかっていない顔をしたまま、入り口の方を見つめていた。それから視線に気がついて、アルゴラへ目を向ける。

 

「なあ、アルゴラ」

「どうした」

「……ヒューベルトって俺のこと好きなんかな」

「…………さあな」

 

もしかしたら内心では結構好きなのかもしれない。

とはいえ、好きでも嫌いでもヒューベルトは嫌いというだろうから、その真相は藪の中だけれど。

しかし、とアルゴラは思った。

 

「ジークフリード、お前は趣味がわかりやすいな」

「隠してないからな、パン屋巡りの趣味」

「そっちじゃない」

「どっちだよ」

「お前、自分に当たりが強い黒髪の人が好きだろう」

 

陛下といい、ヒューベルトといい。しかも結構面食いだ。

アルゴラの言葉にジークフリードは素直に頷いた。

 

「ああ、100歳越えたあたりで気がついたんだよ、俺って他人を振り回すより他人に振り回されたいタイプなんだなって。そうやって相手に好き勝手されて、右往左往させられてる時が一番楽しい。お前ももうちょい歳を取ればそのうちわかる」

「性癖を赤裸々に語れとは言ってない」

「黒髪もな、やっぱ自分が赤毛だからかな、暗めの髪色ってミステリアスな感じもあってなんかすげえいいなって」

「別に性癖を赤裸々に語れとは言ってないんだ、俺は」

 

うんうんと頷くジークフリードは、顔を上げてアルゴラを見つめてからハッとした。アルゴラのやや明るいベージュの髪がその瞳に映る。瞬間、前のめりになって慌てた様子で首を横に振った。

 

「違う!確かに俺は黒髪が好きって言ったけど、それは俺が赤毛だから自分と全く違う髪色にちょっと憧れがあるって話で、茶髪が嫌いなわけじゃないからな!」

「何の言い訳だ。そういうのは別にいい」

「アルゴラの茶髪も大好きだよ!」

「いいって」

「じゃあ、金髪は?」

「大好きだよ!!」

「そ、ならよかった」

 

金髪は?と聞いて来たのはアルゴラではなかった。

唐突に会話に入り込んできた鈴のような声に二人の視線は再び部屋の入り口へ向かう。

 

談話室をひょこりと覗き込んできていたのは、目が覚めるような美しい金髪のポニーテールを揺らした小柄な女性──ニキータ・デスロックの姿だった。

 

よかったと安堵の言葉を口にするわりに、ほとんど変わらない無表情のまま、彼女のその薄く色づく唇を開いた。

 

「クソボンボンが張り切っててうざいから、いっぱいしばき倒してきてね、隊長」

 

そう言って少しだけ口元に笑みを浮かべてひらひらと手を振るニキータ。それにつられて思わずジークフリードも手をひらひらと振る。

そうすれば彼女は満足げな顔をして、軽やかな足取りでこの場を離れていった。

彼女が一陣の風のように去っていったのを眺めてから、ジークフリードは小首を傾げてアルゴラヘ尋ねた。

 

「なあ、アルゴラ」

「なんだ」

「ニキータってヒューベルトと仲良いんかな」

「……どうしてそう思う」

「あだ名で呼んでるから」

 

あれはあだ名と言っていいのだろうか。

アルゴラはほとんどノーに傾きながらも、「……どうだろうな」と言葉を濁した。

 

 

 

 

 

屋敷の中庭に剣戟の音が鳴り響く。

 

目の前の男へ向かって加減のない鋭い突きを繰り出すヒューベルトのサーベルを、ジークフリードは手に持った両刃の剣で軽くいなす。そのまま刃の側面でヒューベルトの剣を弾くと、開いた胸に向けて突きを返す。

 

「……っ!」

 

それを身を捩り、体勢を崩す形で躱したヒューベルトは続く追撃を制するようにジークフリードへ剣を向ける。

だが、次の瞬間にはそのサーベルが空を飛んでいた。

空になった手の中、宙を飛ぶサーベルがくるくると回転しては彼の背後の地に突き刺さる。

 

目を見開くヒューベルトの前で、手首だけで剣を回しながらジークフリードが口角を上げる。

 

「おいおい、ヒューベルト、俺の主力は弓矢だぞ。サーベル使いが弓矢使いに剣で負けてていいのか」

「……っ!抜かせ!私はまだ負けてなどいない……!」

 

瞬間、ヒューベルトの手の中にサーベルが構築される。

霊子を操作して己の武器を作り出す滅却師にとって、武器を失うことはさしたる問題にはならない。

 

一閃。光の如き速度でヒューベルトの剣が躊躇いなく振り抜かれる。しかしその剣は空っぽの空間を袈裟斬りにするだけだった。

ヒューベルトが剣を振るった時、すでに彼の目の前からジークフリードの姿が掻き消えていた。

 

素早く身を屈め、蜘蛛のように地に張り付くことでヒューベルトの一閃を回避していたジークフリードは、体を回転させるようにしてヒューベルトを崩すように彼の右足を素早く蹴り抜く。

体勢を崩されながらもヒューベルトは身を捻るようにして刀をジークフリードの頭蓋に向かって突き立てようとするが、その一太刀は素早く身を躱され空を断つばかり。

ひらりと距離を取るジークフリードに、ヒューベルトは苦々しい顔をしながら彼を視線で追った。

 

前述した通り、ジークフリードは弓矢の名手であり、それを主力武器として扱う騎士である。

だが、今の彼の手には一振りの両刃の剣があった。

 

刀は得意ではない。だが、扱うことはできる。

なぜならジークフリードはユーハバッハによって100年以上しごかれてきたからだ。

 

滅却師は弓を使うもの。

そんなふうに教えておきながら、実際彼自身は刀を扱うほうが得意だというユーハバッハによって、まだ帝国の地にやってくる前の二人旅の日々の中でジークフリードはそれはもうユーハバッハによってぼこぼこに指導されてきた。

 

「私を護ってくれるのだろう?」

 

手に持った剣の先をジークフリードの首へ突きつけながらそう言って目を細めたユーハバッハの姿が思い出される。

 

確かに、その通りだ。

護ると言った以上、弱いままではいられない。

護りたい人より弱いくせに「お前を護る」など失笑ものなわけだが、いかんせんその護りたい人があまりにも強すぎた。実質的にこの世で最も強い滅却師だ。

「お前を鍛えるためだ」「私より、などと無茶は言わんが、せめて億に一度くらいは私に矢を掠めさせてみろ」と言いながら、何度ぼこぼこにされ、気絶させられたことだろう。

弓矢使いなのだから本来は遠距離戦を主軸にするはずなのに、ユーハバッハが元気に斬りかかってくるものだから、弓矢での近接戦闘まで身につける羽目になった。距離を離そうとすればエゲツない飛廉脚で追われるせいで、何度か悪夢も見た。

 

とかく、最強の滅却師の剣捌きを間近で長年見てきたおかげか、せいか、ジークフリード自身はそこまで剣を握った経験は無いが、なんとなく見様見真似でそこそこには扱うことができた。

見様見真似とはいえ、やはり長年の訓練相手の質が良かったのだろう。

ユーハバッハの足元どころか地中の奥深くにいるようなものだが、それでも若い騎士の練習相手になってやれる程度にはジークフリードは剣を扱えた。

 

再びジークフリードへ斬りかかるヒューベルトと、それをいなしては隙を見て攻撃を繰り出すジークフリード。

 

そんな二人を側から眺めるアルゴラは腕を組んだまま、ヒューベルトも随分やるようになったなあと感心する心地だった。

「えっ、ヒューベルトに怪我させたくないし……」と、剣すら握ってもらえなかった初めの頃に比べたら随分認められたものだ。

当時それを言われたヒューベルトは血管がブチ切れそうなほどキレたし、その日の夜自分の部屋のベッドの上でうつ伏せになり足をバタバタしながら思い出しギレをしていた。

感慨深く思う彼の隣で、気の抜けるような声援が飛ぶ。

 

「行けー隊長ー、そのクソボンボンをクソボコボコのクソボロボロにしちゃえー」

「……ニキータ、お前も見に来たのか」

「うん、クソボンボンの無様な姿が見たくて」

 

騎士団において私闘は重罰だ。それを避けるには立会人をつけ、模擬戦という形式にしなくてはならない。

そのためアルゴラはこの戦いの立会人としてこの場にいるのだが、その隣にいるニキータはただ特に意味もなく近くで観戦し、ヤジを飛ばしている。完全に野次馬だ。

 

「ニキータ、お前はヒューベルトの何がそんなに気に入らないんだ」

「ツラ、態度、性格、喋り方、陛下に認められてるとこ、隊長に可愛がられてるとこ」

「……前半はともかく、お前も親衛隊なんだ。陛下はお前の働きを認めてらっしゃるし、ジークフリードもお前を可愛がってる」

「知ってる。けど、そうじゃないの」

「違うのか」

「違う」

 

違うらしい。

アルゴラが困ったように頭を掻いた時、ヒューベルトのサーベルが再度空を飛んだ。

剣を手離したジークフリードはヒューベルトの胸倉を掴むとそのまま背負い投げの要領でヒューベルトを地に叩きつけた。ニキータが拳を握りしめて「しゃー!」と嬉しそうな声を上げる。

 

「がっ……!」

「はい、俺の勝ち」

 

地に叩きつけられた瞬間、ヒューベルトの肺から無理やり空気が吐き出された。高いところから落下したかのような衝撃に身体が痺れて動けなくなる。

 

「大丈夫か?」

 

動けないヒューベルトの胴を脚で跨いで見下ろすジークフリードの微笑みが、逆光となって彼の瞳に映る。

叩きつけられた痛みよりも、手加減されているのに完膚なきまでに負けた悔しさの方が痛かった。

子供扱いなんてもううんざりなのに、この男の前で自分はいまだに小さくて可愛い子供のままなのが嫌だった、ずっと。

 

ヒューベルトは陛下が、ユーハバッハが好きだ。心の底から敬愛している。

その敬愛の心は建国に関わる生家の歴史を教わった時から生まれたものであり、そして騎士となり、その尊きその人の前に立ってなおその心は変わらず、むしろより強い意志となった。

あのお方のそばに立ちたい。必要とされたい。その助けとなりたい。

 

だからこそ、ヒューベルトのいたい場所に当然のようにいるジークフリードのことが妬ましくて、疎ましくて、羨ましい。

 

けれど、ジークフリードのことが嫌いなわけでもなかった。

 

子供の頃から可愛がってくれたことを覚えている。昔から当たり前に屋敷を出入りするものだから、何も知らない幼子の頃は親戚筋の誰かだと思っていた。こっそりとくれたおやつの味も、屋敷を抜け出してした探検も、たくさんしてくれた広い世界の話も覚えている。

愛されていることを知っている。

その強さを、騎士として尊敬してもいる。

 

妬ましいけれど、憧れている。

疎ましいけれど、好きだ。

 

素直になれずにどれだけ素っ気なくしても変わらない愛情を向けられていることに甘えていることだって自覚している。まだ思春期から抜け出し切らない心は複雑で、ヒューベルト自身にも制御できないでいた。

 

「前より強くなったな、ヒューベルト」

 

そんな言葉一つで、嬉しくなってしまう自分が一番嫌い。

 

地に背をつけるヒューベルトへ、ジークフリードはいつも手を差し伸べない。もしも手を差し伸べられても払いのけてしまうだけだとわかっているけれど、それはそれでなんだか嫌で、けれどそれはヒューベルトが一人で立ち上がれると知っているからこそだということもわかっている。

 

地に手をつき、半身を起き上がらせるヒューベルトに、ジークフリードは離れようとした。その時だった。

 

「あ、ユーハバッハがこっち見てる。おーい!」

 

笑顔で城の方へ手を振るジークフリードに、ヒューベルトは凍りついたように固まる。……陛下が?

ぶわりと冷や汗。瞬間、彼は素早くジークフリードが手を振る方へ顔を向けた。

 

城の高い窓、そこからこちらを見る長身の黒い影。

離れていたとて敬愛する陛下を見間違えるヒューベルトではない。

 

「……へっ、陛下……!?」

 

ヒューベルトの顔が耳まで真っ赤に染まる。

み、見られた……!陛下に、ジークフリードに無様に負けて地に転がされている姿を、他でもない陛下に……!嗚呼!なんて恥ずかしい!なんて屈辱!恥ずかしい、恥ずかしい……!恥ずかしい!

 

彼は慌てて立ち上がると、混乱に耐え切れない心のまま涙目で振り絞るように言った。

 

「きっ、嫌いだ……!ジークフリード……!」

 

瞬間、ヒューベルトのどんな猛攻もいなしてきたジークフリードは左胸を押さえて膝から崩れ落ちた。

長年我が子のように可愛がってきた青年からの真っ直ぐな「嫌い」という言葉にショックを受ける気持ちと、向けられた素直な感情の発露への喜ばしさと、涙目でちょっと可愛いねという気持ちで心が滅茶苦茶になったからだ。

 

どこか満足げな顔で地に倒れ伏すジークフリードと、涙目で立ち尽くすヒューベルト。

 

それを見ていたアルゴラはどちらを勝者にすべきか若干悩んだ。

 

 

 

 

 

 

執務室の窓から見下ろす楽しげな眼下の景色に、ユーハバッハはその無表情の中に満足げなものを浮かべる。

 

愛しき我が子たちと無二の友の姿。

美しく尊い平和そのものだ。

 

紅い瞳に映したその景色に、ユーハバッハは己のこれまでの選択が間違っていないと確信する。

 

これまでに繰り返して来た数多の戦い、積み上げて来た無数の死骸。

けれど、その果てにあるのがこの尊い景色なのだ。

これまでの戦も血も肉も憎悪も呪いも怨嗟も悲鳴も、すべては今この瞬間のためにあったのだろう。

 

だから全てに意味があった。

積み上げて来た何もかも、何一つとして間違いではなかったのだ。

 

ああ、けれど──。

不意にユーハバッハはその表情の中に憂いを見せる。

 

この尊い景色さえ、永遠ではない。

いずれそれらも絶えてしまう。死という断絶がこの平和な日々さえ深淵の底に引き摺り落としてしまうのだから。

 

死は悲しみだ。けれど、その悲しみは生きていた時の幸福を無かったことにできるものではない。

かつてジークフリードはユーハバッハへそう言った。

その言葉の意味が理解できないわけではない。その言葉に、奪うばかりの己の心が慰められたことだってわかっている。

 

けれども、なればこそ悲しみなど初めから無い方がいい。そうとも思うのだ。

 

いつか来る終わりになど、悲しみで終わる人生になど、途切れる愛しい日々になど、きっと耐えることなどできない。

 

得てしまった掌の温みを今更手放すことなどできるはずもないのだから。

 

「ユーハバッハ様」

 

傍に立ったザイドリッツが厳かな声で名を呼ぶ。

窓の外から部屋の中へ視線を移せば、真面目な顔の補佐官がユーハバッハへ「憂いておられるのですか」と口にする。その問いかけにユーハバッハは低い声で言葉を紡ぐ。

 

「憂い、か。……この不完全な世界に立つ以上、憂うことばかりだ」

「心労を増やすようで心苦しく思いますが、陛下」

「構わぬ。話せ、ザイドリッツ」

 

ザイドリッツはどこか緊張感に似たものを言葉に纏わせながら続けた。

 

「……以前より注視しておりました、ブラック家の動向についてです、陛下」

 

 

──嗚呼、またひとつ、平和へ至るための道が開かれた。

 







私生活多忙のため更新ペースが下がる見込みです。
もしかしたら5月いっぱいまでほぼ更新がストップするかもしれませんが、何卒よろしくお願いします。
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