バッハ「私たちは友達だからだ」   作:ホネホネ

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Noughts and Crosses

 

「かんわいい」

 

ジークフリードは談話室で共にラウンドテーブルを囲んでいるアルゴラヘ言った。

間違いなくアルゴラヘ向けて言ったのだが、当のアルゴラはそれに気が付かず「ああ、悪くない出来だろう」と小さく微笑んで返す。

 

その手の中にはテディベアがひとつあった。

 

 

「農村出身だからな、冬の間は仕事が減るから針仕事もやってて元々こういう物作りの作業は嫌いではないんだ。これも元はその流れだったんだが、妹たちに頼まれてそれらしいものを作るようになってな、今でもたまに暇つぶしに作っている。それに、こういうぬいぐるみは故郷じゃ枕元に置いておけば不幸の身代わりになってくれるって言われていて、……まあ、なんだ、とにかくそういうわけでな。……他意は無い。無かったんだ、本当に」

 

アルゴラはその大きな手でテディベアを潰さない程度にいくらかモチモチと捏ねながらそう言った。

つまるところ、それが彼の手の中に愛らしいぬいぐるみが収まっている理由らしい。

 

背丈もあり大柄な体躯をしているアルゴラだが、彼は手芸のような細かな作業を得意としており、また周囲の誰よりも精神的に繊細な感性を持っている人物でもあった。

そんな彼が作ったというテディベアへ視線を移して、ジークフリードは思わずとばかりに呟いた。確かに随分と良い出来ではあるが。

 

「しかしまあ、他意が無い割には見覚えがある色合いしてんな」

 

テディベアのふわふわの体を構築する布は黒で、縫い付けられた目のボタンは赤。挙句マントまで羽織らせては言い逃れができない。

ジークフリードからの視線に、アルゴラはやや照れたように頬を掻いてから「偶然だったんだが」と苦笑した。

 

「本当に偶然余った布とボタンで作っただけなんだが、気がついたらこうなっていてな。せっかくだからマントも作った」

「どっからどう見てもユーハバッハだな」

 

ジークフリードはそう笑って、それからもう一度「かんわいい」と言いながら黒いテディベアを見つめた。今度はアルゴラと、彼が作ったテディベアの両方に向けての言葉だった。

その言葉にアルゴラは眦を下げると、その手の中のテディベアをジークフリードの目の前のテーブルにちょこんと置いた。

 

「というわけでな、貰ってくれ」

「俺?いいの?まじで?」

 

きょとんとするジークフリードにアルゴラはその顔に穏やかな笑みを形作った。

 

「ああ、お前はこういう可愛らしいものも陛下も好きだろう」

「は〜?そうだけど、そんなことねえし。俺かっこいいもの好きだし。全然ティラノサウルスとか超好きだから」

「またそうやって適当なことを……。というか陛下はかっこいいだろう。いやかっこいいという表現も失礼かもしれないが、ティラノサウルスよりお強いと思う、俺は」

「……たまに忘れそうになるけど、親衛隊ってあいつのシンパしかいないんだよな」

 

そんなやりとりをしながらジークフリードはテディベアをじっと眺める。

黒い布でできたフワフワの体に紅い眼、ぬいぐるみにしては厳めしく見える顔つき、纏った長いマント。

見つめながら、彼はずっと思っていたことを口にした。

 

「つかさ、これ俺じゃなくてユーハバッハ本人にあげれば?」

 

あっけらかんとそんなことを言うジークフリードにアルゴラは一瞬目を丸くする。それから一拍おいて「何を言っているんだお前は」とばかりに声を上げて笑った。

 

「ははは、あのお方にこんな子供のおもちゃをお渡しできるわけないだろう。それに陛下も渡されたところで困るだけだろうしな」

 

言外に子供のおもちゃを与えられても喜ぶ人間だと言われたジークフリードはそこに微かな引っ掛かりを覚えたが、実際嬉しいのは事実なので反論はしなかった。多分親衛隊の面々からならその辺に落ちていたドングリを貰っても喜んで一生大事にする自信がある。

とはいえ、アルゴラの発言の一部だけはしっかり否定をしておいた。

 

「愛する臣下からの贈り物だ、困りゃあしないだろう。むしろ喜ぶんじゃないか?」

 

喜びに燥ぐ姿は流石に想像できないが、初めは戸惑いつつも渡されたテディベアを素直に受け取り、やや困った顔のままぬいぐるみをじっと見つめる姿は想像できる。まるで宇宙に放り出された猫のような顔で。

 

ふとその思考に至って、ジークフリードは真面目な顔で顎元に指を当てた。

いや待てよ。冷静になって考えてみて欲しい。

 

……見たくないか?

宇宙に放り出された猫みたいな顔をするユーハバッハ。

 

ジークフリードはテディベアを手に取ると、それをじっと見つめ、それからアルゴラの目をじっと見た。その瞬間、アルゴラは嫌な予感に襲われる。そして慌てて口を開いた。

 

「ジークフリード、俺はお前が喜ぶかと思って持ってきたんだ」

「ああ、ありがとう。確かにすげえ嬉しい。……でもせっかくならユーハバッハみたいなクマもいいが、それ以上にヒューベルトみたいなクマが欲しい」

「お前は本当に変わらないな……」

「俺は、ヒューベルトが、欲しい」

「こいつ、なんて澄んだ目を……」

 

好きな人をモチーフにしたグッズが欲しい。

それは後の世に数多のオタクたちによって重ねられた研鑽の果てに「推し活」と呼ばれることとなる行為。その入り口に自力で辿り着いたジークフリードは澄んだ瞳でアルゴラを見つめる。

 

「なあ、アルゴラ。お前はこれを俺にくれたんだよな」

「そうだが……」

「つまり今の所有権は俺にある。所有者である俺はこのクマに対するあらゆる権限を持っている……そういうことだな?」

「……ッ!待て!」

 

何かを察して思わず椅子から立ち上がるアルゴラに、ジークフリードも素早く立ち上がり、テディベアを掴んだまま距離を取るようにじりじりと後ろに下がる。

アルゴラは内心舌打ちをした。ジークフリードの背後には部屋から廊下へ繋がる扉。部屋の奥側にいるアルゴラと、扉側にいるジークフリードでは、後者のほうが早く外に飛び出せる。

 

待て、やめろとばかりにジークフリードへ両掌を見せながらゆっくりと距離を詰めるアルゴラ。ジークフリードもまたゆっくりとした動きで距離を取る。

互いに互いの動きを注視し、牽制しあっていた。

その果て、先に動いたのはジークフリードだった。

 

「フッ、悪いな、アルゴラ。俺はユーハバッハがこのかんわいいぬいぐるみを見て宇宙に放り出された猫みたいな顔をするところが見たいッ!あばよッ!」

 

瞬間、ジークフリードはテディベアを抱えたまま脱兎のごとく廊下へ向かって駆け出した。

大人げのない飛廉脚に、一瞬呆気に取られたアルゴラは出遅れを取り戻すように慌てて後を追う。

 

「待てッ!ジークフリードッ!くっ!陛下は俺がお守りする……!」

 

城の廊下を走る二人。ジークフリードの向かう先が明らかにユーハバッハの執務室の方面であることに気がついて、アルゴラは背中に冷や汗をかく。

 

アルゴラは自身の作ったテディベアのクオリティが低いとは思っていない。自分で言うのもなんだが、かなり良い出来だ。

 

それはそれとして、陛下にだけは見られたくない。

 

だって恥ずかしい。恥ずかし過ぎる。

それに何より、陛下に「うわ、アルゴラってこういう他人をモチーフにしたようなおもちゃを作って一人でニヤニヤしてるような男なのか……こんなものを作って一体何に使うつもりなのだ、気持ち悪い……」とか思われたらもう生きていけない。死ぬ。死ねる。アルゴラはそう思った。

 

陛下の御心は当然お守りするが、自分の心も守りたい。

そのためにもジークフリードの手からテディベアを取り返さなくてはならない。最悪霊子兵装も出す。許してくれ、俺は陛下に恥じぬ騎士でいたいのだ。

 

「止まれ!ジークフリード!ヒューベルトなら作ってやるから待て!」

「ヒューベルトは作ってもらうがそれはそれ!これはこれだ!なははは!」

 

真面目なアルゴラは城の内部で走るなんてことを通常はしないが、今だけは緊急事態だからとジークフリードを追って飛廉脚で駆け抜けていく。

 

さて、追われているジークフリードはといえば、それはもうおおはしゃぎだった。

 

アルゴラもユーハバッハも同時に揶揄える絶好のチャンスである。逃す理由もない。

まして、彼は人に振り回されることが大好きだったが、人を振り回すことももちろん大好きだった。特にアルゴラは反応が良い上にジークフリードを放ったりしないのでつい大人げなくちょっかいをかけてしまう。もう200歳越えてるのに。

 

皇帝の執務室のある棟は一般騎士の立ち入らない区域ということもあって、ジークフリードは人目を気にすることもなく廊下を走る。

普通は皇帝の近くこそ走らないものではないかと思うが、そういう一般常識ははなから持ち合わせていない。

 

滑るように廊下を駆け抜けながら、ジークフリードは進行方向へ背を向けて、追いかけてくるアルゴラへ体を向ける。必死な表情をするアルゴラへ満面の笑みを浮かべながら彼は高らかに笑った。

 

「わはははは!その程度の速度で俺に追いつけると思うなよ!ま!かつてデッドオアダイの地獄の鬼ごっこを延々と強制された俺に追いつける奴なんかそうそういねえけど!あー!楽しみ!ユーハバッハが臣下からの予想外の贈り物で、家に知らない人が来た時の猫みたいな顔するところが見たい!!その顔が見れたら俺はあと1000年くらいはそのネタを擦り続けるね!俺が永久に語り継ンギャビ!!!!!」

 

突如、ジークフリードが何かに足を引っ掛けた。

駆け抜ける勢いのまま、彼は勢いよく背中からすっ転ぶ。

暴れる足が空を蹴り、瞬きの間に彼の無防備な後頭部が地面に叩きつけられた。瞬間、上がる痛々しい断末魔のような悲鳴。

 

廊下を駆け抜けるジークフリードへ足払いをかましたのは、所用を終えて偶然廊下にいたヒューベルトだった。

 

進行方向へ背を向けて後ろ向きで進んでいたジークフリードは、進む先の廊下で呆れた目をしているヒューベルトに気が付かず、彼の足払いに素直に引っかかった。

そしてヒューベルトの長い脚によって背中側から転ばされたジークフリードは当然のように固い地面に頭を打ちつけて悲鳴を上げたのだった。

 

転んだ瞬間、ぬいぐるみはジークフリードの手を離れて宙を飛ぶ。

訳がわからないという顔をしながらもそれを空中でキャッチしたのもまたヒューベルトだった。

 

地面に頭を打ちつけて身悶えるジークフリードへ、ヒューベルトは深夜の歓楽街の路上にこびりついた吐瀉物を見るような冷たい視線を向けると、追いかけてきたアルゴラへ目を向けた。そして彼は叱責するような声音で言う。

 

「アルゴラ、お前がいながら何故こんなにもジークフリードがはしゃいでいる。殴ってでも止めろ。陛下の執務室のお近くだぞ」

「くっ、全くもってその通りだ……すまん……」

 

申し訳なさそうに肩を落とすアルゴラに、ヒューベルトはふんと鼻を鳴らす。そんな彼の足元でジークフリードは床に体を擦り付けるようにして頭を抱えて身悶えていた。

 

「ゔおおおあ!めっちゃ頭の後ろ痛いんだけど!俺の頭割れた?割れてる?えっ?教えてくれヒューベルト、俺の頭どうなってる?」

「終わっている」

「え?」

「救いようがない」

「俺の頭が?」

「そうだ」

「そっかあ……」

 

肩を落とすジークフリードを放って、ヒューベルトは先ほどキャッチしたぬいぐるみへ視線を向けた。黒い体に赤い目をした、まるで敬愛する陛下の写し身のようなテディベアへ。

 

瞬間、それを目にした彼の瞳が大きく見開かれる。

瞳と同じように開かれた唇が言葉を紡ごうとしたその時だった。

 

「陛下のお部屋の前で一体何を騒いでいる」

 

すぐそばにある皇帝の執務室の扉が開いて、中からザイドリッツが出てきた。

 

厳しい視線で廊下を見つめた彼は、テディベアを手に持ったヒューベルト、床に張り付いているジークフリード、額に手を当てて肩を落とすアルゴラへ視線を向けると、全てを理解したような顔で頷いた。

 

「アルゴラ、ヒューベルト、お前たちがいながら何故こうもジークフリード殿を大はしゃぎさせている。縛り付けてでも止めるのが部下の役目だろう」

「本当にすまない……」

「私は関係が無い。こいつらに巻き込まれた側だ」

「ザイドリッツぅ、俺すごい頭打ったあ、いたあい」

 

申し訳なさそうに肩を落とすアルゴラと、無関係だと不機嫌そうな顔をするヒューベルトと、床に転がったまま子供のように甘えてくるジークフリード。

ザイドリッツは面倒事に巻き込まれた顔をしながら、三人へ向けて言った。

 

「して、事の次第は?」

「ああ、それなんだが──」

「アルゴラがユーハバッハへの贈り物を用意したんだが照れて渡せないって言うから渡せるように応援してた」

「なっ、ち、違っ」

 

慌てて否定しようとするアルゴラの言葉に被せるようにヒューベルトがジークフリードへ吐き捨てる。

 

「フン、人を煽り倒しながら城内を走り回ることがお前の言う応援だとは知らなかったな」

「エヘ!大好きなヒューベルトにはこれから俺のことをもっとたくさん知って欲しいナ!ナンチャッテ!」

「ザイドリッツ、斬首の許可を」

「ならん」

「チッ」

「今のって俺への投げキッスかな?お返ししとこ、ンン゛ヂュッ!」

「やめろ、ジークフリード、これ以上ヒューベルトを揶揄うな」

「ザイドリッツ、処刑の許可を」

「ならん」

「クソが」

 

足元に転がる上官を蹴飛ばそうとしたヒューベルトだったが、ジークフリードはごろごろと転がるようにそれを避け、流れるように立ち上がるとザイドリッツの隣という安全圏を確保した。流石のヒューベルトもザイドリッツの真横ではジークフリードをしばけない。叱られるからだ。

 

それをいい事にジークフリードはザイドリッツの肩に腕を回すと「コブできてないか見てくんね?」と強請った。

露骨な「怪我しました!構ってください!」アピールであることはわかっていたが、放っておくとそれはそれで面倒だと知っているザイドリッツは「いつも通りです」と適当に返す。

 

それからザイドリッツはアルゴラヘ視線を向けると唇を開いた。

 

「アルゴラ、陛下なら先ほど丁度執務に区切りがつかれたところだ。今なら都合がいいだろう、早く行きなさい」

「あ、いや、その、贈り物というのはジークフリードが勝手に言っているだけで……」

「アルゴラ」

「う、いや、だから……」

「いいからとっとと行け、と言っているのがわからないお前ではあるまい」

「ぐっ……」

 

アルゴラがジークフリードに振り回されていることくらい、ザイドリッツもとっくにわかっていた。恐らくテディベアが陛下への贈り物だという話もジークフリードが勝手にでっち上げたものだろう。

しかしこの面倒くさすぎる状況、アルゴラとジークフリードのどちらに折れてもらうのが楽かといったら当然前者な訳で、ザイドリッツは合理的にその選択肢を選んだ。

 

アルゴラは百面相付きで幾らか逡巡した後、諦めたようにガックリと肩を落とした。

そしてヒューベルトからテディベアを受け取ると、死地に向かうかのような顔で皇帝の執務室へ入って行く。

その心なしか普段より小さな背中を3人は見送った。パタンと閉じた扉に視線が集まる。

 

「流石だアルゴラ、あいつは英雄だ」

「ジークフリード殿は少し反省をなさってください」

「上司と部下の潤滑油になってやっただけだって」

「こんなことばかりしているとそのうち本当に頭が割れますよ」

「そしたらザイドリッツに治癒をお願いしよっかな」

 

ふとヒューベルトは扉ではなくジークフリードへ視線を映した。そしてザイドリッツと会話をしている彼がこちらの視線に気がついていないのをいい事に、ヒューベルトはその顔を盗み見る。

 

黙っていれば、悪くないというのに。

ヒューベルトはそう思った。

 

普段のヘラヘラとしたジークフリードだが、軽薄な笑みを引っ込めている時の彼の顔は凛々しく精悍だ。騎士たちの前で陛下の傍に控えている時のような、引き絞られた矢の如き鋭さを持つ顔つき。

そんな彼を歴戦の騎士や皇帝の懐刀と評して疑う者はいないだろう。

 

……普段のおおはしゃぎっぷりから目を瞑れば、だが。

今日とて城内を走り回り、床を転げ回り、百数十年は歳下相手に揶揄ったり甘えたり。ヒューベルトは思わず溜息をつく。

 

……黙っていれば、我が師と呼ぶに相応しい騎士だというのに。

 

ヒューベルトは呆れから微かに目を伏せる。そして再び視線を上げた瞬間、ばちりとジークフリードと目が合った。

真っ直ぐな視線に思わずひるんで、それからぐっと眉間に皺を寄せた。絡まれる。そう思ったからであり、彼の想像通りジークフリードは満面の笑みを浮かべると嬉々としてヒューベルトに絡んだ。

 

「ヒューベルトってザイドリッツが近くにいると大人しいね、照れてんの?」

「違う。説教が長いからだ」

「そうか?ザイドリッツが一番短くないか?」

 

なあ、とジークフリードはザイドリッツの肩に腕を回したまま促す。そうすればザイドリッツは「そうですね」と頷いた。

 

「ジークフリード殿については言って聞かせてどうにかなると思っていませんから、なにかやらかした場合は即座に吊るすようにしています」

「判断が早いんだよな。前サボった時なんか帰ってきてすぐザイドリッツに無言で執務室の部屋の窓から吊るされたし」

「歳下の部下にそんなふうに扱われて恥ずかしいと思わないのかお前は」

「年齢や立場に関係なく他人をしばけるザイドリッツの逞しさに成長を感じて感動さえしてるよ俺は」

「恐縮です」

 

ヒューベルトはシンプルに引いた目で二人を見つめた。

 

その時、執務室の扉が開いてアルゴラが出てきた。

3人の視線は彼と、彼の掌に向かう。

 

果たして、アルゴラの手の中は空になっていた。

どうやら本当にあのテディベアをユーハバッハへ渡してきたらしい。思わず3人同時に「おお」と感嘆した。

 

しかし当のアルゴラはそれどころではなかった。

常ならば大地を踏み締め、しっかりとした足取りで歩く彼だが、今に限ってはアルコールに溺れたかのようにフラフラとおぼつかない足取りとなっている。血の気の失せた顔をしたアルゴラは廊下にいる3人を目に映すと、途端に室内でのことを思い出したのか、顔を真っ赤にして大きな両手で顔を隠し、再びフラフラとした足取りでその場を離れていく。

その姿を見てジークフリードは「おもろ」と「かわい」の両方の感情を抱いた。

 

おぼつかない歩みで離れていくアルゴラを、ヒューベルトはキビキビとした足取りで追いかけると、大柄な体をキュッと小さくする彼に並走しながら「アルゴラ、まだ黒い布は余っているのか」と問いかけた。推し活する気満々である。

 

それを見送ったジークフリードは「じゃあ俺はユーハバッハを揶揄いに行くかな」と機嫌よく扉を開いて執務室の中へ入っていった。

その後すぐに「あ、ノックすんの忘れた」という声が聞こえたので、ザイドリッツは彼の代わりにノックをする。

そして続くようにザイドリッツもまた部屋の中へ入った。

 

 

 

 

「よう、ユーハバッハ。随分ご機嫌みたいだな」

「……ジークフリード」

「おっと、えらく可愛いもん持ってんな、いいねえ、一体どこの可愛い臣下から貰ったんだ?」

 

ユーハバッハは普段通り、執務室の中で静かに座っていた。わざとらしいジークフリードの発言に、彼は顔を上げると執務室へ入ってきた二人へ視線を向ける。

無表情だったが、その中に微かな困惑を抱いていることは長い付き合いになるジークフリードや腹心であるザイドリッツにはわかった。

 

飾り気のない殺風景な部屋の中、目立つのはやはり机の上に置かれた愛らしいテディベアだ。

 

二人をじっと見つめたユーハバッハはそれからスッとテーブルの上のテディベアへ視線を向ける。何も無い部屋の隅をじっと見つめる猫のような瞳だった。そして彼は無表情のまま、薄く唇を開く。

 

「……アルゴラは常より落ち着きがあり、報告や連絡が理路整然として、過不足が無い」

「そうだな」

「……そのアルゴラがああも身振り手振りが過剰で早口で言葉がつっかえている様は初見だ。三度、これが故郷に伝わる身代わりの品だと強調され、五度、この身の平穏を祈られた」

「いい奴だからな、あいつは」

 

なんとなく想像がつく。

とにかく行動のすべてが悪意によるものではないのだと他でも無いユーハバッハにだけはわかって欲しかったのだろう。誠実な男であることはユーハバッハはもちろん身近な誰もが知っている。

 

「まあ、よかったじゃねえか。臣下からの贈り物だ、大事にしてやれ」

「……この私に、か」

「悪いもんじゃねえだろ、他人に与えるんじゃなくて、他人から与えられるってのも」

 

ジークフリードはソファに腰掛けると軽く息をついて笑う。

ユーハバッハは他者へ分け与えることには慣れていても、自分が与えられることには慣れていない、とジークフリードは思っている。同時に慣れて欲しい、とも。

 

人が人と共に生きるとはそういうものだ。人と人が誠実に向き合う時、どちらかがどちらかに与えるばかりにはならない。なってはいけない。互いに与えて、与えられる。それでイーヴンだ。

まして、ただでさえ皇帝という孤立しやすい立場。威厳は必要だが威圧する必要はない。少なくとも親衛隊相手にはそうであってもいいだろう。

 

ジークフリードは同意を求めるようにザイドリッツへ視線を向けた。それに気がついたザイドリッツは微かに目を細めて頷く。

 

「陛下、我々はみな、貴方の御心に寄り添いたいのです」

「……ザイドリッツ」

「我々は貴方の正しさを信じていますが、貴方を正しさとして信仰しているわけではありません」

 

神のように愛しているわけではない、と彼は口にする。

その言葉に誰より先にジークフリードが嬉しそうに口元に笑みをたたえた。神様扱いされるユーハバッハを見るのは昔からあまり好きではなかったから。

 

「貴方の往く道に幸福があることを祈っております。そして道程に悲しみがあるのならば寄り添いたい。ただ尊ぶべき一人の人として貴方を大切に思っている者たちがいることをどうかお忘れにならないでください」

 

そう口にしてからザイドリッツはその真剣な表情を微かに緩めて微笑んだ。

その慈しむような優しさに、ユーハバッハはただ目を伏せる。

 

彼の根底にある、他者を搾取せずには生きられぬ己の在り方に対する嫌悪感は、他者を愛し、他者を受容するほどに深くなるとしても、それは与えられる愛情を否定し得るものにはならない。

ずっと知っていた。与えられる無償の愛情だけは長くそばにあるものだったから、今更否定することなどできるはずもなかった。

 

だから、せめて与えられたその言葉を信じる。

根深く突き刺さった氷の棘は溶けずとも、心までは凍てつかぬように、と。

 

「……肝に銘じておこう」

「ええ、どうか」

 

誠実に交わされる言葉。

雑音の無い静かな時間。

偽りなく寄せ合う信頼。

 

ジークフリードは腕を組み、ソファに深く腰掛けたまま、ユーハバッハとザイドリッツのやり取りに満足気に何度も頷く。

可愛い弟と可愛い甥っ子が仲良くしてて超ハッピー!の顔だった。

 

むしろ今俺がここにいるの邪魔かな?とさえ思えてきたジークフリードはゆっくりとソファから立ち上がるとそのまま扉の方へ行こうとした、のだが。

 

「ジークフリード、どこへ行く気だ」

「ジークフリード殿、どちらへ行くつもりですか」

 

気が付かれないはずもなく止められた。

「んー、そろそろお昼寝の時間だった気がする」と言ってみたが、一蹴された。二人にそれぞれ一蹴されたので、合計で二蹴だったかもしれない。

とかくジークフリードは仕方なく逆再生のようにソファへ戻り、再度そこへ腰掛ける。

 

そうすれば口火を切ったのはザイドリッツだった。

彼はソファに座るジークフリードを見つめて目元を和らげる。

 

「ジークフリード殿、ユーハバッハ様へ我が心を伝える時間をくださりありがとうございます」

「気にすんなよ、まあお前なら普段からそういうことも伝えてそうだが」

「より心がけましょう。……さて」

 

話を切り替えるかのようにザイドリッツはそう口にしてジークフリードへ、そしてユーハバッハへ視線を移す。その仕草だけでジークフリードは嫌な予感がした。

 

「ここからは政治のお話です、ジークフリード殿」

「げえ、仕事かよ」

「言っておきますが、先ほどジークフリード殿が遊んでおられた時も本来は業務の時間です。貴方を呼ぶために部屋を出た時にあんな景色を見た私の気持ちがジークフリード殿にわかりますか?」

「面白かっただろ」

 

堂々と胸を張るジークフリードに、ザイドリッツは話にならないとばかりに軽く息を吐いた。そして視線を皇帝へ移して話を促す。それを受けてユーハバッハは唇を開いた。

 

「ザイドリッツにはすでに話をしたが、親衛隊隊長たるお前にも話を通さねばならないことがある」

「ああ、わかった、聞こう」

 

真面目な雰囲気を察して、ジークフリードは気持ちを切り替えるとユーハバッハへ視線を向けた。

その真っ直ぐな視線を受け止めて、ユーハバッハは低い声で言葉を紡ぐ。

 

「近く、新たに戦闘部隊を設立する」

「……戦闘部隊?今になって、何の為にだ?」

 

その言葉にジークフリードは怪訝な顔をする。

ブラック家を潰したことをきっかけに帝国の反乱分子はほぼ壊滅させ、もはやこの国に制圧すべき強大な敵と呼べるものはいなかった。少なくとも新たに戦闘部隊を作るほど特別な敵などいはしない。

そんなジークフリードの疑問を理解した上でユーハバッハは静かに頷く。

 

「尸魂界侵攻のための大規模な戦闘部隊を、だ」

 

決定事項として伝えられた言葉にジークフリードは一瞬固まる。それから繰り返すように口の中で小さく「尸魂界……」と呟く。それから自身の米神を指先で数度軽く突きながら問いかける。

 

「……一応聞いておくが、正気か?」

「私の正気の在処ならお前が一番わかっているはずだ」

「死神とやり合うと?」

「ああ。だがそれは手段であり、目的ではない」

「じゃあ目的はなんだ」

 

そう問いかければユーハバッハははっきりと答える。

ただ悠然に、当然とばかりに。

 

「滅却師の救済のためだ」

 

救済。耳にしたその言葉を、ジークフリードは心の内で反芻する。救済。……救済、など。

湧き上がる苦々しさを隠せずに顔を歪めた。

 

まるで神様みたいなことを言いやがって。

 

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