バッハ「私たちは友達だからだ」   作:ホネホネ

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cloudy sky

 

友を殺す夢を見た。

 

無二の友だ。

自分の無残な人生に現れた光のような人だ。

そんな彼の命を、夢のなかで己の剣が奪い取った。

 

「…………っ!」

 

咄嗟にベッドから起き上がり、肩を上下させる。一瞬の放心の後、薄暗い部屋の中で己の掌をじっと見つめた。

夢の中で彼の身体を斬った生々しい感触は、現実に戻ってきてもなお掌の中に残り続けていた。荒い呼吸、早鐘のような鼓動。

身体を濡らす冷たい汗は、まるで返り血のようだった。

 

彼を殺した。

この手で、殺した。

 

胸に穴が空いたかのような喪失感は広がる一方で、生まれた虚無の穴によって心どころか身体そのものを喪失したかのような心地さえ感じる。

 

なぜ、殺したのか。

夢の中の自分はなぜ彼を殺すことを選んだのだろう。正しい選択ではないとわかっていたはずだ。やりようならいくらでもあったはずだ。それなのになぜ選べたはずの選択を、そのどれもを選ばなかったのか。

 

脳裏に蘇るのは彼の間際の顔。

 

……なぜ笑っていたのか。

夢の中の彼はなぜ満足げに笑って逝ったのだろう。こちらを睨んで憎んで、恨み言の一つや二つ、残してくれればよかったのに。そうすればその悔恨を支えに自己を呪いながら生きていけただろうに。どうして。どうして……。

 

そうやって思考が深いところへ辿り着く前に、ふと顔を上げて思う。

 

あれはただの夢だ。現実ではない。

あんな現実がやってくるはずがない。胸のなかにある小さな不安が影となり、それらしい形を生み出しただけにすぎない。

 

あんな未来はやってこない。

やってくるはずがない。……きっと。

 

自身へ言い聞かせるようにそう思いながら、しかし不安は紙に落ちたインクのように滲み、どこまでも際限なく広がっていく。それが心を埋め尽くす前に、振り払うようにベッドから降りる。冷たい床を裸足で歩み、窓辺を近づいた。そうして重い窓を開く。

 

朝日が在ることを望んだ空は、どこまでも広がる重暗い雲に覆われていた。

 

 

 

 

 

 

ユーグラム・ハッシュヴァルトの人生は常に憂鬱と共にあった。

 

実の両親を早くに亡くしたユーグラムの親代わりとして、叔父が共に暮らしてくれていた。

けれど、彼のことは苦手だった。ほとんど嫌悪に近かった。

庇護はされていただろう。けれど彼にとって叔父と暮らす家は安寧の地ではなかった。自分の家でもあるはずなのに、一度としてあの場所に安らぎを得たことはない。できることならばずっと外にいたかったけれど、狩りをするという名目で外出できていたのは昼の間だけ。

 

夜は嫌いだった。

長い夜は、嫌いだった。

 

そんな人生の中で初めて得た友人は、振り止んだ雨雲の隙間から光を放つ太陽のようだった。

真っ直ぐで堂々としていて、少し強引なところも彼の意志の強さの表れのようで嫌いではなかった。

生まれも育ちも、立場が違うこともわかっていた。それでも彼がいてくれることが、自分が自分の脚で立って生きていける大きな理由になっていた。

 

その光があれば例え自分がどんな場所にいても顔を上げられる。前を向いて歩いていける。

いつか君と肩を並べられるようになりたい。

君の隣を歩くにふさわしい人になりたい。

 

──ああ、けれど。

もしもその太陽が再び暗雲に陰り、この瞳に映らなくなってしまったのならば。

 

……僕は一体どうしたらいいのだろう。

 

 

 

「はあ……」

 

とある日、城内の中庭、その木陰でユーグラムは深く溜息を吐いていた。

普段から自信なさげな表情はさらに頼りなく、憂鬱そうに下がった眉は不安げにハの字になっている。

 

事実、彼はいつだって憂鬱だ。

希望というものとは縁遠い人生であったし、己の足元ばかりを眺める瞳ではとても未来を見ることはできない。ユーグラム本人としても己のそういう性質に自覚はある。

引っ込み思案で不安症でいつだって自分に自信が無い。けれどそういう性質を変えるきっかけを得ることなく、彼は現在まで至ってしまっていた。

 

バザードの一族が滅ぼされ、ユーグラムが住んでいた森が焼かれて5年もの月日が経った。その間、ユーハバッハへの復讐のために ──自分の中に本当にユーハバッハへの復讐心があるのか、そのことについてユーグラムは無意識に考えないようにしている── 彼の側近となるべく二人は長く力を磨いてきた。

そしてその目的は達成されている。

少なくとも、ユーグラムにとっては。

 

自分は選ばれた。

けれど、友は選ばれなかった。

 

その事実が断絶となって二人の間に横たわっている。

 

「はあああ……」

 

再びの溜息と共にユーグラムは木の幹に背中を預けて寄りかかった。腰に下げた剣の柄を無意識にぎゅっと強く握る。それは彼の無意識の癖であり、そうすることによって掌に感じるボタンの感覚は自身の心を慰める数少ない手段だった。

 

ユーハバッハの側近となったユーグラムだが、常に皇帝のそばにいる……というわけでもない。

 

元より実力が買われて側近になったわけではなく、あくまでも生来の体質のようなものが必要とされただけだ。生まれも裕福ではなく、まともな教育を受けたこともないため読み書きも碌にできない。

 

その結果、皇帝の側近という立場を与えられながら、いわゆる側近らしい仕事はできないまま。結局そのほとんどをザイドリッツに任せたまま、今は知識をつけるために黙々と学びを続けるばかりの日々。そんな事実が元より己に自信のない彼からさらに自己肯定感を奪っていた。

 

(「私にはお前が必要だ」)

 

……本当にそうだろうか?

あの日、ユーハバッハから与えられた言葉に心の底から喜びを感じたことを今も鮮明に記憶している。けれどその反面、今の自分が彼にとって必要な存在だとはとても思えない。

 

(「最強の滅却師になろうぜ、ユーゴー」)

 

……バズ、果たして君は今もそう思ってくれているだろうか。

 

独りでいるとどうしても思考の海に身を投げ出してしまう。それに耐えられなくなって、城内を出て城の中庭まで出てきてしまった。外の風を浴びれば少しは気分が落ち着くかと思ったがそう簡単に心は安らげないし、溜息は止まらない。肩はすとんと落ちたまま。それどころか、

 

「……あ、わ……!」

 

ふと顔を上げたその視線の先、中庭を歩いているジークフリードを見つけて恐怖のあまり思わず声を上げてしまう。慌てて自身の口を掌で覆いながら、身を小さくする。

こちらに気が付かないでほしい。気が付いたとしても無視してほしい。内心でそんなことを強く祈った。

 

威圧感のある眼光と無表情。

冷徹に任務を遂行する姿。

それになにより容赦なく友人を殺しかけたという実績。

 

ユーグラム少年にとって、ジークフリード・ジンツァーは恐怖の対象であった。死の具現と言ってもいい。この城の中のどの人物より恐ろしかった。

 

そんな畏怖の対象であるジークフリードに気が付かれる前に木の陰に隠れようとジリジリと移動していた、その時だった。

 

「……ユーグラム?」

 

彼に見つかってしまったのは。

名を呼ばれてユーグラムの薄い肩が勢いよく跳ねる。反射的に顔を上げた途端、合いそうになった視線を咄嗟に逸らして足元の地面を見る。

 

見つかってしまった……!

話しかけられてしまった……!

 

そんなわけないはずなのに思わず(殺される……!)とユーグラムは内心パニックになりながら震える。

 

そんな少年の恐怖心を知ってか知らずか、ジークフリードは躊躇いのない足取りでユーグラムの元へ近づいてくる。足元の雑草を踏みしめるザクザクという些細な足音にさえ追い詰められる。

そうやって真顔のまま歩み寄ってくるジークフリードにユーグラムはもう腰が抜ける一歩手前の状態だった。

 

(な、なんでこっち来るの……!)

 

自分よりも大柄な男、しかもほとんどトラウマレベルで恐怖を抱いている相手がすぐそばまでやってきている。思わず顔を上げてしまった途端、バチリと視線が合って喉の奥から引き攣った声が漏れた。

 

「っ……!ジ、ジークフリード……様……」

 

咄嗟に名前を呼ぶ。恐怖心を抱いている相手であり、明らかに自分よりも大人の相手を呼び捨てにすることはできず、思わず過剰なまでに敬称をつけてしまう。その呼び方にジークフリードは片眉を上げた。その表情が不愉快そうに見えてユーグラムは再びモルモットのように震える。

 

そして、とうとう目の前にやって来た男はユーグラムの前に立つと鋭く一言だけ言った。

 

「動くな」

「ひっ……!」

 

殴られる、と思った。恐怖心が膨れ上がって、痛みどころか反射的に自分の死までもを想像した。

助けを求めるように無意識に頭に浮かんだのはバザードの姿。

ユーグラムは泣き出しそうになりながらぐっと目を瞑って、きっとすぐにやってくるであろう痛みに耐えようと身を固くさせた。

 

「…………………………?」

 

ところが痛みはいつまで待ってもやってこない。

感じたのは一瞬、ちょんと肩に触れられたような感覚だけ。それさえ気の所為と思えるくらい些細な感触。

それでも少しでも気を緩ませたら途端に痛みがやって来るのではないかと思って、強張らせた身体を戻せない。

 

「もういいぞ」

 

降ってきたその言葉でようやく少しだけ身体から力を抜く。肩を怒らせたまま、ぐっと眉間に皺を寄せ、怯えながらほんの少しずつ瞼を開いた。

そうして見上げた先には、どこか和らいだ雰囲気を纏ったジークフリードの姿があった。

 

穏やかで、どこか少し笑っているみたいだ。

見慣れない雰囲気の彼を前に何も言えずにいれば、その視線に気がついたジークフリードが何かを摘むように持っていた手をユーグラムに見えるように近づけた。

 

「肩に虫ついてた」

 

摘んだ指先にはまあまあデカめの毛虫がいた。

 

ウゾウゾと動くそれを見てビクリと肩を揺らすと、驚かせてしまったと思ったのか、ジークフリードはすぐにその手をユーグラムから引き離して草陰のほうへ虫を放った。

そうしてさっきまで虫を摘んでいた手を制服の腿のあたりに擦り付けるようにして拭くと、ジークフリードは虫を放ったあたりを見つめながら再び口を開く。

 

「ありゃ肌にあたると、かぶれるんだ。口とか目のあたりに引っ付かれると最悪だな」

「えっ……ああ……」

「アルゴラやザイドリッツみたいに戦闘の向かい傷ならカッコいいけどよ、虫にやられて顔に怪我しましたなんてイヤだろ」

 

そう冗談を口にして歯を見せて表情を和らげるジークフリードを見て、ユーグラムはごく素直に驚いた。彼の認識の中にあるジークフリードと、目の前にいる男性が結びつかなかったからだ。

 

あの時、容赦なくバザードを殺害しようとした男。ユーグラムにとって大切な友人をまるで塵かなにかのように冷たい瞳で見下ろし、足蹴にしていた姿は今もなお鮮烈なトラウマとして記憶に残っている。

 

あの人は怖くて、冷たくて、恐ろしくて……なのに目の前にいる彼は穏やかにこちらに向かって微笑みを浮かべている。

そのあまりの乖離に混乱するユーグラムの中で「よく似ているだけの他人説」「二重人格説」が浮上し始めた。

 

そうしているうちに、ジークフリードはユーグラムの前で地に片膝をつく。そうして少年が怯えないようにそっと視線を合わせると唇を開いた。

 

「手品でも見せてやろうか?」

「え?」

 

ポカンとするユーグラムの前でジークフリードは何も持っていないと証明するように自身の掌を開いて見せた。それから右手を高く空へ伸ばす。困惑しながらもユーグラムはついその手を目で追って顔を上げる。

瞬間、ジークフリードは右手で指を鳴らした。

パチンと小気味のいい音が鳴ったと共に彼は「じゃーん!」と先程指を鳴らした手とは反対の手をユーグラムの前に見せた。

 

その手の中にはいつの間にかモッチリと肉付きのいい兎が乗っかっていた。

 

ふんふんと鼻を鳴らして大人しくジークフリードの掌の中に収まる白兎。

それを目に写してユーグラムは突如現れた兎に素直に驚いた……と共に困惑した。

タネはわからないし、確かにすごいけれども……なんで急に?

 

「あ……え、えーっと……」

「……ありゃ、あんまりウケなかったか。ガキの頃のヒューベルトにはバカウケ……というほどでもないが、そこそこはウケたんだがな。時代か?」

 

小首を傾げながらジークフリードは兎ごと左手を後ろ手に隠す。数秒もしないうちに再び前に戻した彼の手にもう兎はいなかった。

 

「あ、あの、どうしたんですか?急に……」

 

オドオドとしながらそう問うユーグラムに、ジークフリードは軽く「いや?」と大したことでもないとばかりに肩をすくめる。それからまだ幼気な少年へ視線を向けてジークフリードは言った。

 

「やけに憂鬱そうな顔をしていたから、ついな」

「え?」

「肩書はともかく、君は新参だ。新しい環境に慣れているか心配するのは先達として当然のことだろう。それで?どうした、陛下にいじめられでもしたか?」

 

どこか揶揄うようにジークフリードがそう口にすれば、その言葉を受けたユーグラムは一度目を丸くする。それからぶんぶんと強く首を横に振った。

 

「そ、そんなことされてません!陛下は、や、優しいです……!」

「……優しい?あいつが?」

「え、あ、は、はい……」

「例えば……その、どういうところがだ?」

「え、えっと……陛下は怒ったり叩いたりしないし……矢も作れない僕に力をくれました、し……剣術も教えてくれて…………え、あの、えっと、ジークフリード、様?」

 

唐突に顔を手で覆い、空を仰ぐジークフリードに、ユーグラムは不安そうに名を呼んだ。

なにか不快なことでもしてしまったのだろうかと顔色を悪くするユーグラムを前で、ジークフリードは(あの性格の悪いクソガキだったユーハバッハが大人らしいことをしようとしてる……!)と感動していた。ちょっと目頭が熱い。ほとんど子の成長を喜ぶ親の心地だった。

 

困惑するユーグラムを前に、いくらか感動を噛み締めてからジークフリードは息をついて視線と表情を元に戻した。

 

「ああ、いや、悪い。ちょっと目にゴミが入ってな」

「はあ……」

 

それから意識を切り替える。

……さて、ユーグラム少年の憂鬱の原因がユーハバッハではないとなれば。

ジークフリードはほとんど確信を持って口を開いた。

 

「……そういえば、君には友人がいたな」

 

瞬間、ユーグラムの表情が強張った。

まだ感情を隠す術を知らない幼い少年はあからさまに動揺した顔を見せる。それから取り繕う余裕もなく喉を震わせた。

 

「バ、バズは、かっ、関係ない、です……!」

 

わかりやすい警戒心。その様子に内心で苦い顔をしながら、ジークフリードはホールドアップのように肩のあたりで広げた両掌を彼へ見せながら言葉を続けた。

 

「落ち着いてくれ。入団前はすまなかった。君にも、バズビーにも、な。あの時は陛下の護衛として気が立っていたんだ。やりすぎたと反省しているし、君のことを怖がらせてしまったと悔いている。もちろん陛下にも絞られたさ。だからもう心配しないでくれ、今の俺にバズビーへどうこうをする権限は無い。今やあいつも皇帝陛下の騎士だ。何かしたら、俺が陛下にぶっ殺されるよ」

 

ユーグラムへそう語りながら、ジークフリードは内心で(我ながらよくもまあこんな適当な嘘がスラスラと言えるものだ)と呆れた。

 

やりすぎたと反省などしていないし、もし同じような場面が来たら必ず同じようにユーハバッハの安全を最優先とする。それにあの件に関して、別にユーハバッハに絞られたという意識も無い。仮にジークフリードがバズビーを殺害したとしてもユーハバッハはそれを理由に罰を与えたりはしないだろう。あって精々、短期間の謹慎か内勤程度か。

 

ユーハバッハが濫りに嘘をつかない人間であるのに対して、ジークフリードは自身が嘘をつくことに抵抗がないことを自覚していた。

霊子操作能力と同じだ、と彼は考えている。つまりは自らが持つ武器の一つでしかない。必要なときに上手く扱えばいい。

でもたまに思う。俺って悪い子になっちまったな、と。

 

「……バズにもう、なにもしない……んですか?」

「そりゃあ、もちろん」

 

……もちろん、時と場合による。

そんな言葉はもちろん飲み込んで、ジークフリードが気安い笑顔でそう口にすれば、素直にその言葉を信じたユーグラムは肩を落として安堵した表情を見せる。

ジークフリードがまともにコミュニケーションの取れる相手だと知って、これまでよりはユーグラムの警戒が薄れた。大人の言葉を信じて少年は「よかった……」と小さく言葉を漏らす。

だが、その安堵はジークフリードという人間を信じたから生まれたものではない。

 

『ユーハバッハが抑止となってジークフリードはバズビーに手を出すことはできない』

 

その言葉がユーグラムにとって都合がよかったから信じただけだ。

 

その言葉が信じられるから信じたのではなく、その言葉を信じたいから信じたというのが近しい。

無意識の現実逃避から生まれた紛い物の信頼を抱いてユーグラムはジークフリードへの警戒を緩める。

少年自身はその誤認に無自覚だったが、ジークフリードはそれを察した上で胸を撫で下ろす彼を見つめて笑う。

 

ああ、懐柔ってこうやるんだ。そう思った。

 

そもそもこうやってわざわざユーグラムに絡みに行ったこと自体、悩みを抱えた少年を助けようなどという善意から来るものではない。

本当に善意を持って接するのなら怯えられているとわかっているのにユーグラムに近づいたりしない。

それなのに彼へ関わりに行ったのは、ユーハバッハの言葉があったからだ。

 

ユーグラムにとって信のおける第三者(おとな)

その立場を得ろ……とまで明確に命令されていないが求められているところはそれだ。

つまりは結局のところ、単にユーハバッハの望みを叶えに来たに等しい。

 

ユーハバッハほどユーグラムに対して関心を抱いていないジークフリードは、それを表面上は出さずに親切そうな表情を浮かべて彼と視線を合わせた。

 

「で、どうしたよ。さてはバズビーとなんかあったか?」

「…………」

 

問いかければ視線を切るように目を伏せられる。その表情はまるで「あなたには関係ない」と拒絶するような雰囲気があった。とはいえ、それでむざむざ下がるくらいならそもそも話しかけになど行かない。

 

「ああいや、悪いな。実のところ、もう知ってるんだ」

「え?」

「聞いてるよ、ユーグラム、バズビーから私闘を要求されてるんだってな」

 

猿がモヤシに絡んでいる。どうにかしろ。

不機嫌極まりないという顔で報告を上げてきたのは意外なことにヒューベルトだった。

猿もモヤシも腹の底から気に食わないヒューベルトのことだ、上官へ報告を上げずに黙って内々に荒事で解決させてもおかしくはなかったのだが、案外素直にジークフリードへ報告を上げてきた。

曰く「お前の管轄だろう」と。

 

ヒューベルトから面倒事をぶん投げられたことを頼られていると都合よく脳内変換してジークフリードは笑う。

 

「受けて立ってやればいい。構わないだろう、私闘くらい。……いや懲罰モンだから構うんだが。でも監督役としてある程度の階級を持ってる奴がいれば訓練扱いになって問題はない。おすすめはアルゴラだ。人の事情には口を出さないし、口も硬い。大体のことには目を瞑ってくれるぞ、悪いこと以外ならな」

「……違うんです」

「違う?なにが?」

「……戦ったらダメなんです、僕は……」

 

よく分からないという顔でジークフリードは首を傾げる。ユーグラムの言葉の意味が理解できなかった。

 

「なんでだ?だって君のほうが強いだろう」

 

負けるわけがない戦いを拒否する理由がわからない。

客観的に見て当たり前のことを口にするジークフリードに、ユーグラムはショックを受けたように顔を強張らせた。

身を守るように右手で自身の左肘を掴む。だらりと下げた左手を強く握って、目線を下げる。それからぼそぼそと独り言のように小さな言葉を零していく。

 

「……はい、きっと勝ってしまうんです。陛下にお力を貰った今の僕は、バズより……強い、から」

 

懺悔室の中の信徒のように、まるでその事実がとてつもない罪であるとでも言いたげに彼は言った。

 

「……でも、もし勝ってしまったら、きっとバズはもう僕を必要としてくれなってしまう……」

「なに?」

「だから、勝ったら……戦ったらいけないんです……そんなことをしたら、もうバズと同じ方を向いていられなくなってしまうから……」

 

長い睫毛に守られた瞳を伏せてそう呟くユーグラム。彼の話を聞いていたジークフリードは「……そっ、かあ……」と相槌を打ちながら思わずこう思った。

 

(若い奴らの考えてることってぜんっぜんわかんねぇ~!)

 

自分が友達より強くなってしまったら必要とされなくなってしまう?なんで?どうして?どういう思考回路?

 

表面上は同情したような顔をしながら、内心で混乱するジークフリードはユーグラムの心情に寄り添うために、自分事に変換して考えてみることにした。

 

つまりは自分がユーハバッハより強くなってしまったのなら、という仮定だ。

確かにとてつもなく違和感はあるし、それはなんか違うんだよな……という気持ちにはとてもなるが、想像してみる。

 

想像してみるが……きっと自分は変わらないだろう。友人として、騎士として変わらずそばにいるに決まっている。

 

では、自分より弱いユーハバッハは?

……やはり想像つかないし、あまり進んで考えたくはないが、考えてみる。

俺より弱いユーフェン、俺より弱いユーフェン……。

 

(「ふ、私がお前より非力になるとは世も末だな、ジーク。今の私は戯れつく犬にさえ押し負けるが如きか。ならばお前にはか弱い私のために馬車馬のように働いてもらうしかあるまい。これまでと変わりなく、な」)

 

態度デカ。なんだコイツ。

ジークフリードの想像上のユーハバッハは弱いくせにふんぞり返ってて偉そうだ。

つまり、普段の彼と何も変わらない。

 

自分たちはそうだろうと思った。

結局のところ、自分たちは変わらないし、恐らく変われない。長い年月を経てある程度出来上がってしまった関係は今更壊すほうが難しい。多少のヒビや亀裂程度はこれまでいくらでもあったし、時の経過で気がつけば治っていった。ささいな傷では関係性を変えられない、良くも悪くも。

 

ユーグラムとバザードの二人がどのように友人関係を築いてきたのかをジークフリードは知らないし、知る必要もないと思っている。

少なくとも自分たちとは違う。違うのだから、自分たちの場合に当てはめて考えることだって違うのだ。

 

では、このまま彼らを放っておけばいいのか?

それでもいいのだろうが、なんとなく後味が悪い。

 

ユーグラムはともかく、それなりに世話を焼いたバザードの性格ならばジークフリードもある程度把握している。

馬鹿ではないはずなのに、搦手の使えないド直球ストレート。

見てはいないが、大方ユーグラムを私闘に誘うときも人目を憚らずに「オレと戦え!」みたいな感じに決まっている。アイツ絶対アホだし。

 

それにこれまで会話をしてきた感覚にはなるが、ドストレートなバザードに対して、同じだけの勢いでユーグラムが拒否できているとは思えない。それらしい正論で避けて逃げて、火に油を注ぐようにバザードを怒らせていそうだ。

 

こいつら、一度真正面からぶつかって殴り合ったほうがいいんじゃないのか。

ジークフリードはごく単純にそう思った。

逃げ続けた先に、目を逸らし続けた先に後悔の無い未来があるとは思えない。

 

ジークフリードはユーハバッハではない。

未来など見えない。まして過去は変えられないから、今この瞬間瞬間で最善だと思う選択をする他ない。

 

だからもう好きにやってしまおう。

 

肩を落とし俯く少年を見下ろす。緩やかにウェーブのかかった金糸が吹き抜ける風に揺れて、どうにも儚げな有り様が目に映る。

 

「なあ、ユーグラム」

「……はい、ジークフリード様」

 

仰々しい敬称だと思ったが、「やめろ」と言ったらむしろ萎縮させる気がしたので止めさせなかった。というよりそんなこと今はどうでもよかった。

 

顔を上げたユーグラムと視線を合わせながら、ジークフリードはサムズアップした親指で自身を指しながら言った。

 

「じゃあ俺が今からユーハバッハに喧嘩を売ってくるからよ、もしあいつがその喧嘩を買ったら、お前もバズビーの喧嘩を買ってやれよな」

「………………はい?」

 

わけがわからないという顔から段々とわかりたくないという顔に変化して頬を引き攣らせたユーグラムの腕を掴むと、立ち上がって歩き出す。

 

「よし、決まったな、行くぞ」

「う、うええ!?ちょっ、ちょっと待ってください、ジークフリード様!」

「やだよ、お前に付き合ってたら1000年くらい待たされそうだ」

 

目指すは当然、皇帝陛下の執務室。

腰が引けている少年を引っ張って、ジークフリードは調子よく歩き出した。

 






この更新ペースでアニメ完結までの連載完結はムリでしょ(絶望的)
まだ当分大きな進展のない平坦な話が続きます。早く帝国を滅ぼしたいです。
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