バッハ「私たちは友達だからだ」   作:ホネホネ

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Sibling rivalry

 

「ま、待ってください……!ジークフリード様……!へ、陛下に怒られちゃいます……っ!」

 

ぱたぱたと軽い足音が自分を追いかけてくるのをジークフリードは大股で城内を歩きながら聞いていた。置き去りにするつもりはないが、着いてきているとわかっていたから振り返りもしない。

執務室を目指しながら、ジークフリードはさして関心のなさそうな声音で言った。

 

「俺がユーハバッハと出会ったのは15の時だった。そん時のあいつは10歳だがそこらで、今のお前よりもう少し小さかったかな」

「え……?」

 

ジークフリードの声を聞き取ろうと、ユーグラムは一度駆け足になると彼の隣に並んだ。それから思わずといったように声を出す。

 

「ま、待ってください、今の話って……」

「ふっ、驚いたか、当然だな。信じられないだろうがユーハバッハにも子供の頃があったんだよ。本当に信じられないよな、俺もだ。戻してほしい」

「いえ、そっちではなく……その、ジークフリード様って、陛下より年上なんですか……?」

「気になるのそこか?……まあ、あいつって貫禄あるよな」

 

いや、貫禄っていうか。

ユーハバッハにしろジークフリードにしろ年齢不詳な二人だが、何はともあれ外見年齢に差があり過ぎた。

 

40代ほどに見えるユーハバッハに対して、ジークフリードは30代、下手したら20代後半程度にさえ見える。

ユーグラムがまだ幼く、大人の年齢の見分けが付きづらいということに加えてもジークフリードはユーハバッハよりかなり若く見えていた。

恐らくはジークフリードの性格も原因だろうが。精神的に成熟していて威厳のあるユーハバッハに比べて明るく元気で気安すぎる。

 

驚きに口を開いたまま固まるユーグラムをさして気にすることなく、ジークフリードは変わらず真正面を見て歩きながら言葉を続ける。

 

「ま、とにかくさ、俺らが出会ったのはガキの頃でよ、当時のあいつは……なんか変な屋敷に住んでて、俺は世話係としてそこにいたんだ。実際のところはただの遊び相手みたいなもんだったけどな」

「幼馴染、なんですね」

「馴染みではあるだろうが、幼い……か?そういうのはお前らのことを言うんじゃないのか?」

 

そう言って首を傾げる彼の隣を、ユーグラムは追いかけるように少し早足で歩く。

「君」じゃなくて「お前」。いつのまにか変わっていた呼ばれ方。ユーグラムは先ほどまでより気安い口調になったジークフリードを見上げながら、自分の中にあった彼への恐怖心が薄れているのを感じていた。

 

「なんつーか、その時の俺は正直なところかなり参っていたんだ。人生とか、未来とかそういうのにな」

「はあ」

「そんなある日、あいつが俺の目の前に現れて、俺の人生とか未来とか、そんなものを何もかもめちゃくちゃにしていったわけだ」

 

意味がわかるようなわからないような。ともかく妙に気の抜ける語り口とふんわりとしすぎた表現にユーグラムは何とも言えない相槌を打つしか無かった。

ジークフリードはユーグラムからの反応など気にせず、どこか楽しげな声音のまま続けた。

 

「その時から、俺はもう一生あいつの味方でいてやろうと思ってるんだ」

 

そう言って笑う横顔を見た。

その表情を見てユーグラムは筆舌に難い感情を抱く。

どうしてそんな話を自分にしたのだろうか。そう思いながら、無意識に想起したのは自身の友人の姿。一度目を伏せて、それからそっと唇を開く。

 

「ジークフリード様にとって陛下はすごく大切な人なんですね」

「……お前、結構小っ恥ずかしいこと言うね」

「大切な人、なんですよね?」

「……どうした?」

 

ぎゅっと服の裾を掴んでそんなことを口にするユーグラムに、思わずジークフリードも立ち止まり、彼へ視線を向ける。視線の先には青褪めた顔をしたユーグラムがいた。

 

「なのでそんな大切な人に喧嘩を売りに行くのはやめませんか……」

「えー、やだ」

「で、でも、皇帝陛下なんですよ……!」

「皇帝陛下だからなんだってんだよ。蝶や花じゃあるまいし」

「蝶や花より丁重に扱うべき人だと思いますけど……!」

「大丈夫だって、あいつも怒んねえよこんなんで。むしろ犬に棒でも投げてやるようなもんだって」

「ひっ、陛下を犬扱い……!」

 

怯えるユーグラムの頭をジークフリードはガシガシと乱雑に撫でると、いつしか辿り着いていた執務室の扉の前に立つ。ジークフリードは指先で扉に触れると中の様子を軽く探る。

重い扉の向こう側にはユーハバッハしかいない。ザイドリッツがいないことを確信して内心でガッツポーズをする。少なくとも今すぐ叱られることはない。

 

そうして彼は隣へ視線を向ける。

柳眉をハの字にして今にも泣き出しそうな顔をしているユーグラムへ笑顔を見せる。

 

「よっしゃ行くぞ、ユーグラム」

「ま、待ってください……」

「一、十、百、千年。よー、今暇かー?」

 

当然ユーグラムを待つわけもない。ジークフリードはまるで自分の部屋に入るかのように、ノックも無しにドアノブを回して扉を開いた。ユーグラムは思わず引き攣った声で「ジークフリード様、ノックを……!」と声を上げる。

 

「ああ、忘れてた。代わりにやっといてくれ」

「え、えええ?ええええ……?」

 

ユーグラムは目をぐるぐる回して混乱しながら、言われるがままもうとっくに全開になっている扉をバシバシと何度も叩いた。もう自分が何をしているのか全然わからなかった。

 

さて、ユーハバッハは執務室の奥、いつものように机の前に座っていた。

彼はやってきた来客二人へちらりと視線だけをくれて、それからすぐに書類へ目を落とす。その反応にジークフリードはニヤニヤと笑い、ユーグラムは怒っているのではないかと体を震わせた。

 

入り口付近でオロオロとするユーグラムを置いて、ジークフリードは扉を抜けて歩みを進めるとソファの近くで足を止めた。それから口角を上げたまま、唇を開いた。

 

「よう、暇そうだな」

「夜目どころか昼間でも物が見えぬようになったか」

「実際、暇だろ?本当に忙しかったら俺はまずこの部屋に入れてない。補佐のザイドリッツがいるはずだからな。おっと、見たところ机の上の書類は昼前から増えてないな?それに大して減ってなかった壺のインク液が増えてる。つまり手慰みにインクの補充なんて雑務ができるくらいには今日は忙しくなかったってわけだ。……さあ、どうだ?」

「……面白い推理だな。探偵にでもなったらどうだ」

「お前が助手になってくれんのならな」

 

ジークフリードは被っていた軍帽をソファの上に放る。白い帽子で隠れていた赤髪が露わになった。明度の低い部屋の中、それがユーハバッハには酷く目に付く。

 

ジークフリードはのんびりとした動きでソファに腰掛ける。幅の広いソファのど真ん中に腰を掛け、脚を開き、深く背中をつけた。

そうやってこちらを見つめてくるジークフリードへユーハバッハは握っていたペンを置いて視線を返す。

 

「……して、ジークフリード」

「ああ」

「何の用だ」

「ふーん?逆に聞くけど、お前は何の用だと思うわけ?」

(すごい、陛下にダル絡みしてる……)

 

そんな二人をやや離れた入り口のあたりからユーグラムは見つめていた。強制的に連れてこられた彼が二人の関係性を深く知っているわけもなく、その間へ割って入る勇気などあるはずもない。ただただ不敬を繰り返すジークフリードに背筋を冷やしながら、事の成り行きを眺めていることしかできなかった。

 

ユーハバッハは微かに嘆息すると、これは犬がリードをくわえて持ってきたようなものだと認識する。それから思考を深めていく。

 

ジークフリードの様子から見て明らかに急用ではない。ただし本当に暇つぶしのために来ていたのならユーグラムは連れてこないだろう。なにかしら意味のある行動ではあるようだ。

とはいえ、オンオフを着帽で切り替える癖があるジークフリードが帽子を脱いだということは、彼の感覚としてはオフよりではあるらしい。

こちらの反応を見て楽しむ様子は楽しげで、どうにも揶揄うことに重きを置いているように見える。こちらの感情が動けば動くほど目の前の男の笑みは深くなるだろう。……つまるところ、

 

「……私に喧嘩でも売りに来たか?」

「流石だな、名探偵。助手にでもなってやろうか?」

「犯人はお前だ」

「なに?急に」

「お前のせいということにする。私ならできる」

「冤罪?こわ」

 

大して頭を使っていないやり取りをする二人は最早完全にオフモードと化していた。せめてここにユーグラムではなく、ザイドリッツがいたのならば話は違ったのだろうが。

 

「つーわけで、喧嘩しようぜ」

 

ジークフリードは軽く握った右拳で左掌を叩き、音を鳴らす。

その気安さにユーハバッハは微かに息をつく。その反応にさえジークフリードは楽しげに肩を揺らした。

 

「……ジーク(・・・)

「なんだ」

「いつ、どこで、だ?」

「今、ここで、だ」

 

ジークフリードが開いた掌を突き出したその瞬間、椅子に腰掛けるユーハバッハの周囲を取り囲むように数多の矢が構築された。

すべての(やじり)はユーハバッハへ向き、声を出す間もなく彼を貫こうと一斉に射出される。

 

「へ、陛下ッ!」

 

完全な不意打ち。避けられるはずもないその景色にユーグラムは顔色を変えてユーハバッハを呼んだ。そうして思わず一歩踏み出した時、

 

「──え?」

 

もう彼の視界の中にユーハバッハはいなかった。

先ほどまで座っていた椅子はすでに空になっている。射出された矢は貫くべき肉を失い、矢同士が互いに互いを粉砕し合っては霊子へ還って消えていく。

 

「待ての出来ぬ犬だな、お前は」

「なに、俺に言うことを聞かせてえの?」

「飼い犬の躾は主人の義務だろう」

「知ってるか?犬ってのは自分より上だと判断した相手の言うことしか聞かねえんだよ」

 

気安いやり取りはソファの傍。

攻撃を仕掛けたわりに変わらず悠々とソファに腰掛けるジークフリードの前に、一瞬で矢を回避したユーハバッハが腰に手を当てて立っていた。二人は顔を突き合わせたまま言葉を交わす。

そしてその気安さを保ったまま、次の瞬間、ユーハバッハはジークフリードの横っ面を蹴りで一閃した。

 

その勢いでジークフリードはソファから蹴り落とされる。ゴロゴロと床を転がる彼だったが、撃ち抜かれる直前に腕で側頭部を守り、蹴り抜かれる方向へ飛ぶことでダメージを減退させていた。床を転がる勢いのまま、距離を取り立ち上がる。その時にはもうジークフリードの周囲に彼が構築した新しい神聖滅矢が群となって浮かんでいた。

 

「はは!足癖悪ぃな!」

「丁度いい位置に軽い頭があったのでな」

 

口角を上げたままジークフリードはユーハバッハへ向かって手を向けた。矢は主人の命令に従ってユーハバッハへ向かって勢いよく飛んでいく。

矢の大半は素早く叩き落とされた。落としきれなかった矢からユーハバッハは逃れようと身を躱したが、矢は彼を追って縦横無尽に部屋の中を駆け巡っていく。

 

 

神聖弓を使用せず、神聖滅矢のみを構築・射出するという戦法はジークフリードが得意としているものだった。

とはいえ、神聖滅矢単体での構築と射出は、ある程度の霊子操作ができる滅却師ならば誰でもできることだ。特別な技術ではない。

 

神聖滅矢単体での運用を他の滅却師がやらないのは、効率が悪いからだ。

神聖弓を使わずに射出する神聖滅矢は霊子そのものが持つ動きだけしか利用できないために一定の速度までしか出せない。

特定の霊圧を追尾させることも可能だが、リアルタイムで弾道を引くことはできないため動きは読まれやすい。メリットは弓を保つ必要がないために手が空くことくらいか。

 

大した速度も出ず、ろくな追尾もできないただの矢。

 

ただし、数が増えればそれなりの脅威にはなる。

当たり前のことだが、四方八方から自分目掛けて矢が飛んでくる中で攻勢に移れる者は少ない。防御や回避が優先され、否応なしに行動が制限される。

一本の矢ならば弱いが、それが群れとなり弾幕となれば話は別だ。

ましてジークフリードはその空間把握能力のために、自身が認識できる範囲内であればどこにでも矢を構築することができる。自分の周囲に矢を浮かべて射出するだけではなく、間合いにいる相手の背後や盲点に矢を作り、そこから放つこともできるのだ。この点は自分が引く弓からしか矢を放てない神聖弓での攻撃より勝っている部分だろう。

 

縦横無尽に飛ばす矢で時に行動を制限、時に行動を誘導し、相手を術中に嵌めたところで本命の矢を当てる。

あるいは数多の矢を使って物量で押し潰す。

それが霊子操作と霊子による物質具現を得意とするジークフリードの戦い方だ。

 

さて、ジークフリードが射出した矢に追われるユーハバッハだが、彼は友人の戦闘スタイルくらいとうに知っている。

 

問題は当の本人がまだ主力武器である神聖弓を手にしていないことだ。

もちろんある程度の広さはあるとはいえこの部屋の中で本気でやり合うつもりは無いのだろう。ましてこの場には第三者として幼子がいる。他人を巻き込むような性質の人間ではない、とユーハバッハはジークフリードを評価する。

では何故そもそもこんな喧嘩をふっかけてきたのか?

 

ユーハバッハはこの喧嘩とやらの意味や目的を測りかねていた。

 

児戯に付き合う大人のように酷く手を抜いた神聖滅矢を放つジークフリードへ目を向けて、視線だけでこの喧嘩の意図を問う。

そうすればその視線と意図に気がついたジークフリードが、一瞬の間の後にどこか意地の悪い笑顔を浮かべた。

その表情に、ユーハバッハは彼がこちらからの無言の問いかけに気がついたうえでそれを無視したのだとわかった。それから、未来視と呼ぶほどでもない、ほんの少しだけ嫌な予感に目を細める。

 

飛んでくる矢を避けるために足を動かすユーハバッハ。その姿を目に映して、ジークフリードはわざとらしく揶揄う声を出した。

 

「俺が棒を投げれば走るなんて──」

 

碧の瞳が三日月のようにきゅっと細められる。

 

「──どっちが犬だがわからねえなあ、ユーフェン?」

 

安い挑発だった。

こと舌戦においてユーハバッハは圧倒的強者である。圧倒的な戦闘力と優秀な頭脳によってそもそも挑発されるような隙を見せない上に、されたところで即座に倍返しにカウンターできるだけの皮肉はいくらでも作り出せた。

まして強靭な理性を持つ超越者である。些細なトラッシュトークに掻き乱される精神力ではない。

 

──ただし、何事にも例外はある。

 

例えば今の挑発が死神、藍染惣介によるものであったのならば、冷静沈着に相手を黙らせる皮肉を口に出来ただろう。殴られたら怯む間もなく殴り返す。当然だ。

 

だがジークフリードが相手となると話は違う。

 

無二の親友である彼がいつだってこちらを第一に思っていることを知っている。大切にされている。護るべき存在として扱われている。

ユーハバッハはその事実を認識して、当然に受け入れている。

 

そんなジークフリードにこちらを加虐する気満々の表情で、理由も伝えられないままに挑発を受けて、ユーハバッハは少しだけ怯んだ。

 

例えるのならリラックスしている時にネコダマシされたような、嬉々として話しかけたのに「へー」「ふーん」と雑に流されたような、そんな驚きとショック。それからジワジワと腹立たしさが生まれてくる。

 

有り体に言えば、ピキったのだ。

ユーハバッハともあろう者が友達から「わんわんお」と煽られて、ピキった。

 

彼は立ち止まると、自分に向けて飛んでくる矢を血装で強化した拳で素早く叩き落とす。粉砕された矢が霊子となってパラパラと崩れ、消えていった。そうして部屋に満ちる沈黙。

僅かに乱れて顔にかかった黒髪の隙間からほとんど睨むかのような視線で彼はジークフリードを見た。

 

明らかに苛立ちが混じった霊圧が部屋を圧迫する。自分には向けられていないとはいえ、ユーグラムはもう生きた心地がしなかった。ジークフリードは片膝をついてしゃがむこむと、明らかにギスり出した空気に震えるユーグラムの肩に悠々と腕を回す。

 

「どうよ、ユーグラム。なかなか見れねえぞ、いい年した大人のガチギレなんて。やだあ、こわぁい、泣いちゃうぅ」

「ひっ、ひぇぇ……」

「……ハッシュヴァルトから離れろ、ジーク。お前では教育に悪い」

「あー?なんかワンワン聞こえんなあ?」

「ひっ、ジークフリード様……!陛下に謝りましょう?ね?ま、まだ今なら許してくれますよ……!」

「いや、アイツを怒らせてガチでヤバいところまでいくそのギリギリを攻めるチキンレースをしてる時が一番生を実感するんだ、俺は」

「ど、どうして……」

「家畜も絞められる瞬間が最もよく鳴くというものだ」

「あわ、あわわ……」

 

ユーハバッハが一歩、ジークフリードのほうへ足を進めた。そうすればジークフリードはニヤニヤと笑った顔を崩さないまま、ゆっくりとユーグラムの肩から腕を離した。そしてやはりゆっくりと、それでいて隙無く立ち上がる。

 

二人は視線を交わし合う。最早理由や意味などどうでもよかった。

これはただの喧嘩だ。軽い肩パンきっかけにマジな喧嘩になるような、そんな子供の喧嘩に過ぎない。

 

ユーハバッハはジークフリードへ向けて二歩目を歩くために左足を前へ出す。

そうしてその足を地につけようと下ろした、次の瞬間、彼はもうそこにはいなかった。

研鑽された飛廉脚はさながら瞬間移動の如く、すでに彼はジークフリードの目の前にいた。

 

(相ッ変わらず速いこった……!)

 

地につけた左足を軸に振り上げた右脚はすでにジークフリードの眼前に迫っている。

避けられない。そう判断したジークフリードは殆ど反射的に構築した神聖弓を腕に沿うようにして強度を持たせながら両腕を交差させて顔面を守った。

 

瞬きするよりも速く、ユーハバッハの蹴りは振り抜かれる。

 

肉と肉がぶつかる耳障りな音。

一瞬の間の後の強風。

 

多少の手加減はあれど、例えるのならばアクセル全開のダンプカーに突っ込まれたようなものだ。

ユーハバッハの長い脚は鞭のようにしなり、人の体を撃ち抜く。

通常人間の膂力で出るはずがない衝撃を真正面から受けたジークフリードは部屋の扉近くから窓へ向かって勢い良く吹き飛ばされた。その体は窓を突き破り、城の最上階から外に放り出される。

 

部屋の中、振り抜いた脚を下ろしたユーハバッハに向かって、それまでより格段に速い神聖滅矢が飛んできた。

それを危うげ無く掴んで止めたユーハバッハに、姿は見えないながらも割れた窓の向こう、落下しながらもなお「ナイスキャッチ!グッボーイ!」と揶揄う声が届いた。

 

「へ、陛下……」

 

数秒の沈黙の後、恐る恐るという声が届いてユーハバッハは背後を振り返る。そこには身を小さくしながらこちらを見上げるユーグラムの姿があった。

 

「あ、あの、違うんです……ジークフリード様は僕のせいで……」

「良い。大方あの男の悪巫山戯に付き合わされたのだろう」

 

ユーハバッハは小さく嘆息すると、空いた手でユーグラムの頭の上に手を置いた。

恐らく全部嘘ではないのだ。暇だからここに来たというのも、ユーグラムの世話を焼いているらしいことも、ユーハバッハに喧嘩を売りに来たのも全部ジークフリードの意思で、ジークフリードがしたいことなのだ。

 

「……私は怒っていないし、本気になってもいない。こんなものはただの子どもの喧嘩に過ぎぬ」

 

別に全然キレてないから。

ユーハバッハは若干自分に言い聞かせるようにそう口にする。実際挑発を受けたばかりの時よりは冷静にはなっていた、多少は。

ユーグラムも彼の言葉がやや強がりじみているということを察してはいたが、何も言わずに頷く。

 

「だが当事者になった以上、喧嘩で負けるようなことはあってはならない。私はあの男にだけは負けられないし、負けてはならないのだ」

 

ユーハバッハは掴んでいた矢を握力だけでへし折ると、乱雑に放り捨てた。それから窓辺へ近づく。散乱した硝子が踏みつけられ砕ける音が響いた。

 

逆光となったその背中を見つめながらユーグラムはどうして、と思う。

戦うのは好きではない。勝つことに意味や価値を抱けない。そんなユーグラムに彼の言葉は理解し難いことだった。

 

ユーハバッハはその答えを口にはしない。

彼にとっては語るまでもないことだった。

 

彼は先ほど蹴り飛ばしたジークフリードを追うように、壊れた窓から外へ出る。

空中で固めた霊子を踏みつけて眼下を見下ろせば、両の足で大地を踏みしめてこちらを見上げる友の姿があった。目が合った途端、あちらが屈託なく笑うのが見えた。当然お前は楽しいばかりだろう、とユーハバッハは鼻を鳴らす。

 

上空を吹き抜ける風に、畝りのある黒い髪が揺れる。

私がお前に負けることはない、と当たり前のようにユーハバッハは思う。それは事実で、現実で、共通の認識だ。ジークフリードだって理解している。

 

救い、護りたいと願う以上、その相手より弱いなど笑い草だ。

そしてそれを同じようにジークフリードが思っていることも知っている。

だからユーハバッハはジークフリードと剣や矢を交わし合う度に笑ってみせるのだ。

 

剣を手にしたユーハバッハは口角を上げ、歯を見せる。

そうして足場を消滅させると重力に従うように、むしろ霊力を放出してさらに加速させながらジークフリードの立つ大地へ向かって落ちていく。

墜落しながら握った剣をゆるりと振り上げ、それを真っ直ぐにジークフリードへ向けて振り下ろす。

 

振り下ろされた刃をジークフリードは神聖弓で受け止める。瞬間、その重圧に彼の周囲の地面が軋みを上げて陥没した。

 

「……っ、デブ!」

 

重い剣を受け止めながらジークフリードは端的にそう吐き捨てると、弓を引き、番えた矢を至近距離にいるユーハバッハの顔へ向けた。そして、放つ。

 

瞬きの間も無く速く飛んできたその矢を、ユーハバッハは背を反らせることで避ける。その勢いのまま、地に立つジークフリードの顔面を蹴り抜いた。

 

「静血装への切り替えが遅かったな」

「……ッ、謙遜すんなよ、お前が速かっただけだ」

 

攻撃のために動血装に集中していたジークフリードはそれ故にユーハバッハからの攻撃を静血装へ完全に切り替え切れないままに受け、体を吹き飛ばされる。

頭蓋の中で脳味噌が揺れる感覚に、視界が一瞬サイケデリックな砂嵐に満ちる。それでも霊圧を探知することで照準を揺らがせることなくユーハバッハに定め続けると、同時に複数本の矢を放つ。

 

真っ直ぐに迫りくる白銀の矢をユーハバッハは容易く斬り捨てようと剣を振るう。だが、その直前で矢は物理的にはあり得ない角度で曲がった。

振り抜く刃を避けるように散開した矢は、先読みできないほどに複雑な軌道を描くと、再びユーハバッハへ向かって四方から収束するように飛んでくる。

 

「何処を飛ぼうと、至る先が同じならば読むに容易い」

 

己に向かって飛んでくるとわかっているのならば、矢の軌道を読む必要もなかった。踏み込み、迫る矢の群れを剣先で弾くようにして次々と落とす。そして踊るような軽やかさで振り向き、横薙ぎに剣を抜けば背後から迫る数多の矢が霊子の塵に還っていく。盲点となる頭上から時間差で降り注ぐ矢など、見上げて視界に入れる必要さえなかった。

 

ユーハバッハは己の剣を神聖弓へ変化させると、天へ右の掌を向ける。途端に振り注ぐ矢は緩やかに速度を落とし、彼の掌に落ちる前に停止する。

 

「げえ!泥棒!」

「元よりお前から私への供犠であろう」

 

降ってくる矢の支配権を無理矢理に奪い取る。

ジークフリードによってすでに構築された霊子兵装そのものの支配権を奪うという、ユーハバッハにしか許されず、そしてユーハバッハ以外に出来るわけもない暴挙を彼は息を吸うように行った。

そうやって奪い取った矢の一本を手に取り弓に番うと、ジークフリードへ鏃を向けて、笑う。

 

「そら、走ってみせろ」

 

その笑顔を直視してジークフリードは顔を引き攣らせた。それは例えるのならば、雷のような一瞬の光。

ジークフリードは脇目も振らずに転がるようにしてその矢を避けた。

 

理性はあった。手加減もしていた。

しかし興が乗っていたのも事実。

 

爆音と振動。

次の瞬間、先ほどまでジークフリードが立っていた場所にちょっとした隕石が落ちてきたかのようにクレーターができていた。

 

それを見てジークフリードは露骨に引いた顔をした。

別に威力に引いたわけではない。ジークフリードだってその気になれば一発一発が迫撃砲並みの威力をした矢くらい撃てる。

でもやらなかった。ガキの喧嘩に迫撃砲を持ち出すのは大人げないし、そんなことをしたら終わってしまう(・・・・・・・)からだ。

 

「座して主人を待つとは忠犬らしいことだな」

「…………」

「……なんだその顔は」

 

尻餅をついて地に座るジークフリードのそばにやってきたユーハバッハは(お前なあ……)という視線に晒されて眉をひそめる。

 

「大人げねー」

「私に童子のような振る舞いを求める、と?」

「可愛げがねえっつってんの」

「それで言えば、口達者に挑発してきた割にお前の戦いは随分と愛らしかったな。正面からの対峙で私に勝てるわけもないと知っているだろう」

「……お前ねえ、すっとぼけてるならなかなか面白いし、わかってねえならそれはそれで面白いよ」

「……?」

 

喧嘩を売ってきたわりに骨の無い戦いをしてきた理由がユーハバッハには思い当たらなかったらしい。

普段通りの無表情ながら長年の友人にだけはわかる程度にきょとんとする彼に、ジークフリードは地面の上で胡座をかいて笑った。基本的に彼は親友の一挙一動を面白がっている。

 

そのわかったような顔が気に食わず、ユーハバッハは微かに眉間に皺を寄せながら理由を問おうとした。けれど彼の言葉は二人の名を呼ぶ少年の声によって留められた。

 

「陛下!ジークフリード様!お、お怪我はありませんか……!?」

 

顔を真赤にして息を荒くしながら駆けてきたのはユーグラムだった。

飛廉脚で窓から来ても誰も文句など言わなかっただろうに、わざわざ城の最上階から走ってやってきたらしい。その真面目さを微笑ましく思うような心地になりながら、ジークフリードは彼へ向かってひらひらと手を振る。

 

「見ての通り元気だよ」

「ああ、見ての通り私の勝利だ、ハッシュヴァルト」

「あ?聡明なる皇帝陛下はこちらの手加減も察せられないと見える」

「敗北の言い訳を事前に用意しておく程度には私の騎士は周到なようだな」

 

喧嘩腰で紡ぐ言葉には気安さが混ざっており、喧嘩を終えた後でも二人の関係が良好であることが伺える。そのことに気がついたユーグラムは微かに安堵の溜息をついた。自分が原因で何かを壊してしまうことがなくてよかった、と。

そんなユーグラムに、ジークフリードは声をかけて手招く。

 

「ユーグラム」

「は、はい……!」

「別にこんな窓ぶっ壊したり地面に穴開けるような喧嘩をしろって言ってんじゃないからな、俺は」

「で、ですよね……よかった……」

 

困ったように眉を下げながら苦笑するユーグラムに、ジークフリードもへらへらと笑う。その様子をユーハバッハは何も言わずにただ見守っていた。

 

「でもまあ、賭けは俺の勝ちだからな。喧嘩くらいしてやんな」

「…………でも」

「勝ち負けなんざ別にどうだっていいんだよ。ちゃんと真正面から相手を見て、気持ちをぶつけあって対話してんのならな」

「……ちゃんと、相手を、ですか……」

「大体ねえ、喧嘩に負けたくらいでダチのことを嫌いになるような奴なんざケツの穴が小せえんだよ。そんな奴、お前の方から捨ててやれ」

 

……そんなことできるわけがない。

ユーグラムはそう思いながら(でも……)と新たな気持ちを芽生えさせていた。

 

もしかしたらバズが僕に求めているものは、本当は喧嘩なんじゃなくてジークフリード様の言うような真正面からの対話なのかもしれない。

……というか、そうだったらいいな……そうであってほしい。僕はバズと喧嘩なんて、ほんとはしたくないし……。

 

ユーグラムはそんな細やかな願望を胸にしては、あまり期待値を上げないでおいた。望んだものが望みのままに手に入るような人生ではなかったから。

 

「……ジークフリード様」

「ん?」

「その、ありがとう、ございます」

「なんもしてないよ」

「それと、ごめんなさい……陛下にも……」

 

ユーグラムは不意に顔を青くしながら二人に向かってそう言った。唐突な謝罪の言葉の理由がわからず、ジークフリードは小首を傾げた。

 

「……ここに来る途中、ザイドリッツさんにお会いして、その……」

「ええ、大きな物音がありましたので陛下の安全確保のために音の元へ向かおうとしたところ、焦った様子のハッシュヴァルトを見かけたので事情を伺いました」

 

気がつくとそこにもうザイドリッツがいた。

口元には柔らかな笑みを浮かべているが、露わになっている片目は少しも笑っていない。

拳を強く握り込んで、結構ちゃんとキレているザイドリッツが、そこにいた。

 

地面に座り込んだままのジークフリードはそばに立っているユーハバッハの腿を掌でスパンと叩くと「なんで俺が可愛い戦いしてたかわかるか?派手なことしたらザイドリッツにバレるからだよ」と小さな声で文句を言った。

そうすればユーハバッハは無言でジークフリードの背中を軽く蹴ってやり返した。それならそうと先に言っておけ、の意である。

 

「……陛下、ジークフリード殿。部屋へ戻って私とお話をしましょう」

 

勤務中の私闘、粉砕された執務室の窓、中庭のクレーター。

お話だけでは済まないとわかっていたが、二人は抵抗することもなく頷いた。それからユーハバッハは隣で立ち上がるジークフリードの名を呼んだ。

 

「……ジーク」

「なんだよ」

「我々は同じ魂を分け合った半身。そうだな」

「ああ、俺の喜びはお前の喜びであり、お前の悲しみは俺の悲しみである」

「その通りだ、比翼連理、我が魂の半身よ」

「ああ、俺たちはザイドリッツに叱られるときも一緒だぜ」

 

そう言って並び歩き、軽く拳をぶつけ合いながら、ザイドリッツの後をついていく二人。さながら強大な敵との死闘を終えて生き延びた親友同士の姿のよう。

 

彼らの背中を見てユーグラムは(カッコ良……くはないかも……)と思い直した。

 

魂の半身でなくともやらかしたのは二人なので両方叱られるのは当たり前である。ユーグラムは冷静だった。抵抗とか一切無かったな、なんでこの人たちこんなに叱られ慣れてるんだろう。

 

余談ではあるが、この時の二人の奇行のおかげで彼らに対して変に盲目的にならなかったのが良かったのかもしれない、などと後のハッシュヴァルト青年はしみじみとそう思ったり思わなかったりするのだった。閑話休題。

 

 

 

「ザイドリッツ、伝えておくが先に喧嘩を売ってきたのはジークフリードのほうだ。執務の最中、急にやってきて理由も説明せずに矢を放ってきた」

「おい、告げ口とかガキみてえなことすんなよ。言っておくけど窓ぶっ壊したのはコイツだから。中庭の穴ぼこもコイツ」

「お二人とも、静かに。罪状は部屋に戻ってから確認します」

「今、罪状って言った?本当にちゃんと話聞いてくれる?」

「ジークフリードの罪状に暴言も追加してくれ。身体的特徴を揶揄された」

「事実じゃん。お前自分のBMI計算したことある?」

「…………私は太ってなどいない」

「ジークフリード殿、陛下に謝ってください。今のは貴方に非があります」

「俺はコイツに3回顔面蹴飛ばされたのに?」

「貴方のほうが年上なのでしょう?」

「それ今関係ある?コイツ口だけだよ、見なよこの真顔、全然傷ついてないからね。うわ!ほら!ザイドリッツ!見た!?今蹴ってきたぜ!足癖悪ィなほんとに!ねえ!見て!見てってば!コイツさあ!こうやって被害者ヅラして全部俺のせいにしようとしてんだよ!聞いてる!?ザイドリッツってば!」

 

仲は良いんだなあ……と少年は思った。

 

 

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