バッハ「私たちは友達だからだ」   作:ホネホネ

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Your shadow soars high like a tower

 

Freund(友達)

「……」

Kämpfen(喧嘩)

「…………」

Verlust(敗北)

「…………おい」

Feigling(腰抜ナメクジ野郎)

「おいコラてめえ師匠喧嘩売ってんのかオラ……!」

「ええ!?なにぃ!?俺文字書く練習してるだけなのに急に絡まれたんだけど!」

「白々しいんだよ!なんだそのワードのチョイスはよォ!」

 

城内の辺鄙な区画にある、ひと気のない古い書庫。

通常騎士たちが自学や娯楽のために利用する書庫に並ぶ書籍よりも重く、古く、硬く、ジークフリードに言わせれば退屈な本ばかりが格納されている場所。実用よりも保存を目的としているが故に、ここに立ち入る者は滅多にいない。

 

そんな書庫の一番奥に置かれた机にジークフリードとバザードの二人は横並びになって座っていた。

滅多に人がやってこないのをいいことにジークフリードはバザードを巻き込んで勝手に机や椅子を運び込み、秘密基地を作り出した。そうして空いた時間の勉強部屋やサボり場にしていたのだった。

 

その日もそのようなものだった。

机に向かい、単語の読み方を口にしながらそのスペルを紙に書き出して自学を進めるジークフリードと、彼の選択する言葉に含みを感じて青筋を浮かべながら胸倉に掴みかかるバザードがその部屋にいた。

 

わざとらしい真似をしながらまるで瑕疵など無いかのように驚いたような顔をして見せるジークフリードの顔に、バザードは自身の精神が逆撫でされる感覚を覚えた。と、同時に先日の出来事を鮮明なままに思い出して、何とも言えない顔のまま舌を打つ。

 

その筆舌し難い表情を眺めながら、ジークフリードは(青いねえ……)としみじみ思っていた。

 

 

ジークフリードがユーハバッハに喧嘩を売った日からいくらか経った後、ユーグラムとバザードがタイマンを張ったらしい。

 

らしい、というのはジークフリードはその現場を見ていないからだ。

どうやらそういう事があったらしい、ということを人伝で聞いたに過ぎない。どうにかこうにかして話を聞き出そうとしたのだが、事情を知っているらしいアルゴラはどこか嬉しそうに笑ってこう言うばかりだった。

 

「どこかの誰かが言うに、俺は口が固いことに定評があるらしいからな。その信頼は裏切れないだろう」

 

その満足げな顔にムカついて、ジークフリードは大きな体躯のアルゴラの尻を蹴り飛ばしたが、機嫌良く笑うばかりで大したダメージにはならなかった。

 

そんなわけでこの件に関して、ジークフリードは蚊帳の外である。とはいえ、能動的に二人の喧嘩のきっかけになった男ではある。なんとなく状況は察しているし、問わずともどちらが勝者になったのかくらいはわかる。

 

「で?どうよ、自分から喧嘩を売ったのにボロ負けして、それどころか怪我を治してもらった時の気分はよ」

「うっせえバカ師匠黙って勉強してろや」

 

罵倒ばかりで反論が返ってこない。つまるところ、全部図星というわけだ。前半はともかく、後半は適当な想像で言ったのだが。

 

ユーハバッハからの師事を受けて、ユーグラムは自らが持つ不全の滅却師としての力を使う方法も学んでいるそうだ。その応用としてユーグラムは滅却師特有の治癒術とはまた異なる方法での治癒ができる。

詳しいことはジークフリードも知らない。というより、彼らと同じ力を持たない以上、本質的なところは何も伺い知ることができない。

その事実になんとなく疎外感を覚えて寂しいような、ユーハバッハが他者と同じものを共有できていることが喜ばしいような、複雑な感情を抱いたことは否定しないが。

 

「……師匠」

「あ?」

「あんた、ユーゴーに俺と喧嘩するように言ったんだってな」

 

不意にかけられたその言葉にジークフリードは視線を隣に座るバザードへ向ける。しかしバザードは微かに俯き、机の上の書籍へ視線を落としたままだ。交わらない視線のまま、「ああ、言ったな」とジークフリードは首を縦に振って肯定した。

 

「それ、すげームカついた」

 

バザードはグッと眉間に皺を寄せたまま、口の隙間から言葉を絞り出すかのようにしてそう言った。

まだ幼い少年の心は酷く複雑で、しかしすでに少年期を遥か彼方へ置き去りにしてきてしまったジークフリードにはもう彼の心を理解しきれない。紡がれる言葉の前後の繋がりが理解し切れず無言を貫くジークフリードに、バザードは言葉を続けた。

 

「あんたの言葉が無かったら、戦う気なんてなかったってことだろ。結局、俺を見てなかったってことじゃねえかよ」

 

そう口にする物言いにどこか拗ねたようなところがあるように感じられて、ジークフリードは咄嗟に口元を押さえた。神妙な目をしながら、押さえた掌の下の口元は笑みを形作ってしまう。

 

当の本人は真面目に感情を言語化しているのだとわかっているが、大人の視点からするとどうにも微笑ましさを覚えずにはいられない。

例え相手がバザードでなくとも同じような感情を抱いたことだろう。ジークフリードはそういう大人だった。

グイグイと上がる口角をなんとか真一文字に戻し、口元から手を離して少年の名を呼んだ。

 

「バズビー」

「あんだよ」

「お前ねえ、ユーグラムが流されてばっかで意思が無いみたいな言い方やめてやれよ」

「なんだよ、だってそうじゃねえか」

 

無意識にか不機嫌そうに唇を尖らせたバザードと目が合う。途端に我慢できずに表情を緩めれば、それに気がついた少年の唇がへの字に曲がった。

 

「意思ならあっただろう。あいつは初めからお前の喧嘩を買わなかった。お前と喧嘩をしたくないってそういう意思があったんだよ、ユーグラムには。わかるだろ?」

「……」

 

そうジークフリードが言ってやれば、バザードはどこか納得してしまうような、やはり納得いかないような、そんな微妙な顔を見せた。

大人の口先の言葉に騙されたくないという気持ちと、この城にいる誰よりも長い付き合い故にユーグラムがどういう性格の少年なのか理解できてしまう感覚はどちらも嘘偽りなく存在している。

 

争い事を好まない性格だと知っていた。

控えめで、臆病で、流されやすくて、一人で黙って抱え込んでしまうような性格だと、よく知っていたはずだ。

 

黙り込んだままのバザードが俯きかけた時、彼の額にコツンと何かが当たる小さな感覚があった。

 

「お前、頭は悪くねえんだからもう少し視野を広く持ちなさい」

 

まるで教師のようなことを言いながら、ジークフリードはペンの尾栓でコツンとバザードの額を小突いた。

その善意と呼ぶには押し付けがましくなく、無関心と呼ぶには情のあるその言動に、バザードは小突かれた額を軽く触れながら「……うぜー」とぶっきらぼうに呟いた。

 

 

 

それから少しして、書庫の扉がそっと開かれる音がした。音を立てないように怖々と開かれた扉のほうから感じる見知った霊圧にバザードは一瞬の安堵のあと、僅かに身体を緊張させた。

 

「お、お邪魔、します……」

 

本棚の影から現れたのは緩やかにウェーブの掛かった金糸。やってきたのは、薄暗い部屋の中でもどこか発光するような雰囲気を持つ少年、ユーグラムだった。

どこか緊張したような面立ちでやってきたユーグラムに、顔を上げたバザードの視線がバチリと合う。双方、意図しない視線の重なりに瞬間的に怯み、それを僅かに表情に滲ませた。その時、空気を読まない冗談じみた声音が二人の間に割って入る。

 

「よう、ユーグラム。おーおー、親衛隊隊長なんてご身分のくせにまともに文章も書けない俺を笑いに来たかあ?」

 

とてもそう思ってはいなさそうな、笑いの混じった明るい声音だった。

とはいえ、相手の自虐的なジョークに咄嗟に上手い返しができるほど人との交流に慣れていないユーグラムは、慌てたような表情をしながらもなんと返せばいいのかわからず視線を揺らがせるばかり。

そんなユーグラムを瞳に映したバザードは、近くに置いてあった厚手の本を手に取るとその角でジークフリードの頭を殴った。ゴン、と誰が聞いても痛そうな音が響いた。

 

「いってぇ!は?今殴った!?上官なんですけど俺!」

「うるせーよ!……つか、あんまユーゴーを困らせんじゃねえよ」

「……バ、バズ……」

 

対して痛くもない頭を撫で擦りながらジークフリードは横目で、うまく目も合わせられない二人の少年を眺めた。

 

元よりこんな関係ではあるのだろう。

引っ込み思案なユーグラムを、気の強いバザードが引っ張ってやるという関係性。

 

別に悪いことではない。

とはいえ、パワーバランスの差があることも否定できない。

今までは精神的にも肉体的にもバザードが強かったからよかったのだろうが、今は精神的にはバザードのほうが強いのに肉体的にはユーグラムのほうが強い。彼らにとってしてみれば突然生まれたそのチグハグさを前にどうしたらいいのかわからないのだ。

 

不全の滅却師は特殊な存在だ。ユーグラムがユーハバッハに次ぐほど強い滅却師になり得るのならば、今後バザードが肉体的に優位に立つことはありえない。本気で戦ったらジークフリードは絶対にユーハバッハに勝てないように。そこはそういうものとして受け入れるしかないのだ。

 

そうなると、精神面の方でバランスを取るしかない。せめてユーグラムのメンタルが強くなってバザードの頭をぶっ叩ける程度の関係になれれば……とまで考えて、ジークフリードは溜息を付いた。

 

……何故自分が子供の人間関係にまで頭を悩ませなければならないというのだろう。

切り替えるように頭を振ってからジークフリードは立ち尽くす少年に向かって問いかけた。

 

「で?こんな埃くせえところに来てどうしたよ、ユーグラム」

「あっ、え、えっと、その、僕も読み書きは得意じゃなくて……よかったら僕もい、一緒に、バズに…………」

 

段々と小さくなる声音。そこまで言ってユーグラムは視線を足元に向ける。もう一声が口に出せない彼に対して、バザードはバザードでどこか戸惑ったように薄く口を開くばかり。

そうなると大人が気を遣ってやるしかないのだ、とジークフリードは仕方ないとばかりに世話を焼く。

 

「へー?ふーん?まあ?俺は読みはできるけどね?書きが騎士としてはちょっとアレなだけで?全然勝ってるっていうか?」

「……あんた、子供相手に勝った気になって恥ずかしくねーのかよ……」

 

ジークフリードがわざと道化を演じてみせれば、和らいだ雰囲気とともにバザードが微かに笑う。その空気もあってか、バザードは少しぶっきらぼうながらもユーグラムに歩み寄った。

 

「……別に、どこでも座りゃいいだろ。俺だって別に師匠の世話してるわけじゃねえから、まあ、手は空いてるしよ」

「もっとちゃんと面倒見てほしいけどな、俺としては」

「勝手にアホみてえな文字書いてろ」

Feigling(腰抜ナメクジ野郎)は別にアホみたいな文字じゃねえだろ」

「悪意があんだよ!」

「あはは……」

 

ジークフリードとバザードの気安いやり取りにユーグラムは微かに笑いながら、ジークフリードと向かい合う位置に座った。

ジークフリードの隣に座るバザード。彼の向かいの椅子に座るにはあと一押しの勇気が足りなかったのだ。

 

バザードはそんなユーグラムの心の機敏を理解して何も言わないことを選んだが、変なところでそういう機敏のわからないジークフリードは「え?」と声を上げた。

 

「俺の前じゃなくてバズビーの前に座ったほうが教わりやすくね?つか、隣の方が良くね?俺と場所変わろうか?」

「え、や、えっと……」

「席変わろうぜ、絶対隣の方がやりやすいって。正面からだと文字逆さになるじゃん」

 

善意でもってさっさと立たれるとユーグラムはもう何も言えない。あれよあれよと席が交換されるのをバザードはどこか呆れた目で見ていた。

相変わらず流されやすいやつ。あと師匠はなんで変なところで空気が読めねえんだよ、と。

 

「つかもう俺今日疲れたし帰ろかな」

「けっ、悪口書くだけでかよ」

 

座ったばかりの椅子からすぐに立ち上がったジークフリードは天井に掌を向けてぐっと伸びをすると、手を下ろす勢いでバザードの頭をスパンと小気味良く叩く。それから教本代わりの書物とノートとペンを一つに重ねて机の上に置いた。

そうしてその机の傍に立てば、それらの上にジークフリードの影が落ちる。

 

どろり、と影が波打つ。

次の瞬間、ノートとペンはジークフリードの影の中に落ちていく。

影の中の波が収まった頃、机の上には本棚に戻す教本だけが残り続けていた。

 

ユーグラムはどこか呆けたように薄く口を開けたままその一瞬の景色を見て、それからジークフリードへ視線を向けた。

 

「ジークフリード様って影の扱い上手いですね……普通だったら今の全部影の中に落ちてましたよ」

 

その言葉にジークフリードはすぐには言葉を返さず、自分の影が張り付く机の上でぽつんと取り残された教本を眺める。

 

影を操るという力は滅却師の持つ能力の一つだった。

霊子を操って弓矢を作るように、己の影のうちに空間を構築する力を身につける……らしい。そのあたりのことはジークフリードには良くわかっていない。

 

そもそも彼は純粋な滅却師ではない。

それは純血だとか混血だとかそういう類の話でさえない。血の話をするのならばそもそもジークフリードには滅却師としての血は一滴たりとも入ってはいないのだから。

 

滅却師の力を持っているだけのただの人間。

評するのならば恐らくそれが一番近い。それもただの滅却師ではなく、滅却師の祖とも呼ぶべき男の持つ力だ。例外に例外を重ねた例外。結果として不可思議な事象が偶然それらしい形で成立しているだけのブラックボックス。

 

結局彼はなんとなく思いつきでそれらしいことをしているだけのことであって、これが滅却師としての正しい影の使い方なのかどうかなんてことを考えてもいないし、知りもしない。

ただ『出来る』と思ったからしている。それが結果的に『出来ている』だけのこと。

ジークフリードは自身の影を見つめたまま、唇を開いた。

 

「……やっぱこれ、すごいよな?」

「え?」

「あ?」

「いや、これ出来た時、俺も自分でスゲーじゃん!って思ってユーハバッハに見せに行ったら、なんか、普通に鼻で笑われたから大したことじゃねえのかなって思ってたんだよ」

 

……それは相手が悪い気がする。

ユーグラムとバザードは思った。

 

(陛下ならそれくらいできるんだろうなあ……)

(あのバケモンならそんくらい余裕なんだろ……)

 

二人は無意識に、ユーハバッハならそれくらいできるだろうと当たり前のように思っている。少なくとも、ジークフリードに容易くできることならユーハバッハにもできるだろう、と。

その認識はあながち間違ってもいないのだが、絶妙にユーハバッハを過大評価し、ジークフリードを過小評価しているところはあった。親衛隊隊長殿の普段の昼行燈じみた言動のせいであることは否めない。

そんな二人からの評価も知らず、ジークフリードは腰に手を当てると肩をすくめ、溜息混じりに言った。

 

「ってかさあ、あいつって全然褒めてくんないだろ?ユーグラムも大変だな」

「えっ?あ、あははは……」

 

……言えない、とユーグラムは思った。

まさか術式どころか簡単な力の分け与え程度のことが出来ただけでも、穏やかにこちらを見つめて褒めてくれるなんてこと。

若干視線をそらしながら否定も肯定もしないユーグラムに、なんとなく察したバザードが口を開く。

 

「つーか、俺も師匠に褒められたことねえけどな」

「おいおい、なんだよ、実は俺に褒めてほしいって?」

「はあ?言ってねえよ!んなこと!」

「照れんな照れんな。……まあ、だからといって褒めたりはしねえけどな」

「しねえのかよ!」

 

ジークフリードがバザードを褒めない理由こそが、ユーハバッハがジークフリードを褒めない理由なのではないか。

ユーグラムは敢えて口にはしなかったが、二人はとても仲がいいんだなとは思った。それから、たぶん自分には一生掛かっても築けない関係性だ、とも。

 

「じゃあな、喧嘩すんなよ。いや、してもいいけどするなら俺の前でやってくれ、面白そうだから」

「やるかバカ」

「お前がバカ」

「るせえバカ」

「バーカバーカ」

 

ジークフリードは本を手に取ると入り口のほうへ向かって歩き出す。並び立つ本棚の群れの中、本を戻すために一つの本棚の前に立つ。狭い通路の中、足元に目を向ければ数多の本棚の影が重なり合い、一つの大きな影となっていた。その中に己の影も重なっている。

 

その景色を見ても、ジークフリードは自分の影が本棚の影に飲み込まれている、とは思わない。

自分の影と本棚の影が混じり合って、自分の影が拡張されている。そう思う。

 

影同士は重なり、交わり、結合してこの部屋を埋め尽くすほどの大きな影になる。そして自分はその影の全てを己の支配下における、と試さずとも確信していた。

 

ここにあるすべての本棚を己の影の中に取り込める。その中からたった一冊だけを除外することも、逆にたった一冊だけを飲み込むことも。

 

例えばそれが他人の影だったとしても。

あるいは西日を受けて伸びる城の影だったとしても。

中にいる人間ごと、全部。

自分の影に飲み込んで、仕舞える。

大事に、大事に、宝石を宝箱に入れるみたいに。

 

……ま、やりませんけども。

 

ジークフリードは乱雑に頭を掻いてから肩を落とすと、振り払うように前を向いて部屋を出た。

 

 

 

 

「…………」

「…………」

「……ユーゴー、お前、あの人のこと、ジークフリード()なんて呼んでんのかよ」

「それは、その……色々とあって……。バ、バズだって師匠って呼んでるでしょ……」

「そ、それも色々あったんだよこっちは!」

「…………」

「……関係ねえから、あの人のことなんざ。俺の目的は何も変わってねえよ。俺一人でもやってやる。…………別に、お前も好きにしろよ」

「う、うん……」

「…………」

「あ、あのさ、バズ」

「……なんだよ」

「ぼ、僕は……その、ずっとバズの味方でいたいって思ってる、から…………」

「…………」

「それだけは本当だから……」

 

切実な言葉に、微かに心臓が痛む。

ぐらぐらと揺れている。

ふらふらと揺れている。

傾いているのは誰の心か。

 

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