バッハ「私たちは友達だからだ」   作:ホネホネ

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Imitation

 

 

何がどう違うのかと問われると困るのだが、あの死神はこれまで見てきたどの死神とも違っているような気がした。

まるで害のない様な顔で飄々と笑いながらそれはやってきた。そうして、遺恨と断絶を生み出して去っていく。

……なるほど、死神だ、と思った。

 

「……和平のために来たんじゃなかったのか?あんな言動をすれば他者が……ユーハバッハがどう思い、どんな判断をするか、わからないわけじゃないだろう」

 

或いはそれが目的だったのか?

そう邪心することをやめられないまま、言葉にする。

 

去りゆく死神の背を追って応接間を出れば、その男はジークフリードが来るのを待っていたかのようにそこに立っていた。恵比寿のような体躯の死神はこちらをじっと見ては微かに目を細めた。

 

「あの男の魂の欠片とは、おんしも憐れなことよ」

 

男は問いかけには答えずに、ユーハバッハとジークフリードしか知らないはずの事実を口にした。不意にジークフリードの心がささくれ立つ。自分にとっての神聖な場所に土足で踏み入られたような感覚だった。

 

そんな心を知ってか知らずか、死神はまるで虫か蛇かのように温度の無い声で言った。

 

「おんしでは千年と保つまい」

 

それだけ言って、死神は消えた。雲か霞か、初めからここにいなかったみたいに、何も残さずにただ消えていった。

 

全部無かったことになって、あいつの目も戻ってたりしないかとそんな事を考えたが、無意味な思考だと破却する。

ジークフリードは肩を落とすと、そばの壁に手をついて応接間へ戻った。

 

 

 

 

「隊長」

「あァ、悪い。あの死神の爺には逃げられたわ。見た目に反して逃げ足が速いこった。で、陛下はご無事か?」

「うん、見ての通りだよ」

「……大丈夫、なんだよな?」

「え?」

「ああ、いやなんでもない」

 

和平のためと称して尸魂界から単身で死神がやってきたのが事の始まりだった。

 

兵主部一兵衛と名乗ったその死神は、光の帝国と尸魂界の不可侵条約を結びたいのだと切り出した。

その内容はと言えば、つまるところ世界の運営は変わらず死神が続けるから、滅却師は関わるなという内容だ。その代わり、現世での滅却師の繁栄に死神は手出しをしない、と。

 

対して、ユーハバッハはそれを欺瞞だと一蹴した。

 

そもそもの前提としてユーハバッハの望みはこの世界の在り方そのものを変革することであり、兵主部の語る「世界は死神が護り続ける」という言葉は停滞を意味する。

つまるところ、彼にとっては何の意味も魅力も価値も無い話なのだ。対価にならない条件を受け入れる理由もなく、交渉は容易く決裂した。

 

その果てに、ユーハバッハは未来を見通す目を奪われる。

 

ジークフリードは何もできなかった。放った矢は兵主部には届くこともなく容易く防がれ、護るとか助けるとか、そういう行動を選択する間もなく、瞬きの間にすべては終わっていた。

 

「ジークフリード」

 

ユーハバッハに名を呼ばれて、声の元へ視線を向ける。まるで普段と変わらない声音だった。何事もなかったかのような、何も失っていないかのような声だった。

 

「……大事ないか、ユーハバッハ」

「お前が憂うようなことは何も」

「そうか」

 

立ち尽くす。これから何をしたらいいのか分からず、口を結んで立ち尽くす。普段は殆ど無意識に動く舌が固まったようだ。案外、自分も混乱しているのかもしれない。冷静な自分が脳裏で呟く。

 

すでに事は起きてしまった。問題はそれにどう対処するのか。どうしたらいいのか。どうするべきなのか。己が持っているカードを果たして切っていいのか。

 

「ジークフリード」

 

再び名前を呼ばれて、思考の深みに陥りかけていたジークフリードは現実に意識を戻す。呼ぶ声の中に、こちらへ来いという意図があることを察し、頷いてから歩き出す。ただ声の方へ向かって真っ直ぐに。そうやって歩いていた時だった。

 

「っ、おい!ジークフリード!」

 

慌てたようなアルゴラの声が聞こえたのと、何かに足を取られて転びかけたのは殆ど同時だった。足先に何か固いものがぶつかり、引っ掛かり、体のバランスを崩す。あ、転ぶな、と頭の隅で思った。

 

「うおおっ」

「っ、と……まったく、何をしてるんだ、椅子があるのが見えなかったのか」

「おお、悪い、助かったアルゴラ。……椅子だったか」

「……?」

 

転びかけたジークフリードの腕を掴んで引き戻したのはアルゴラだった。兵主部の反撃からニキータを守った時といい、よく周囲の見えている奴だとジークフリードは思う。

 

「……やはり、な」

 

不意にアルゴラとは異なる低い声が響く。わざと鳴らして近づいてくる足音に、ジークフリードは悪戯がバレた子供のような心地になる。元より長くは持たないと思っていたが。

 

「……ジークフリード。その目、見えていないな」

「……バレた?霊圧感知だけだと、霊圧がない椅子とか物の位置はわかんねえもんだな」

 

ジークフリードは光を失くし、真っ暗になった視界の中、霊圧と声だけを頼りにユーハバッハの方を見つめて笑った。

ユーハバッハが傍にやってきた気配を感じてへらへらと笑えば、周囲の親衛隊たちから「はあ!?」「いつから!」「何故早く言わなかった!」と声が上がる。

 

「それどころじゃないことばっかり起きてたから言い辛かったんだよ。俺の目なんぞよりユーハバッハの身の安全のほうが大事だろ」

「陛下が最優先は当然としても、もっと早く共有すべきだっただろう」

「……隊長さ、いつになったら私たちにバレるかって面白がってたところはあるでしょ?」

「それは……ある」

「バカ」

「本当に馬鹿だ」

「反省なさってください」

「どの口で新兵に報連相を説くつもりだ」

 

散々な物言いの中にこちらを慮るものがあって、ジークフリードも流石に反省する。苦笑していれば、不意に両目が大きな掌で覆われた。伝わる体温に反射的に瞼を閉じる。ユーハバッハがジークフリードの見えなくなった目に手を当てたのだと気がつく。

 

「……私が兵主部一兵衛に目を奪われた時か」

「ああ、流石にビビったぜ。お前があの爺とやりあってる時に急に目ぇ見えなくなったからさ」

 

ユーハバッハが未来を見通す目を奪われた時、連動するようにジークフリードの瞳も光を失った。魂の繋がりはこんなところにも作用するものなのか。

なんでもないように笑えば、傍で溜息を吐かれる。

 

「……努々過つな。どれだけ我々の繋がりが深くあろうとも、お前は私ではなく、そして私はお前ではない」

 

ユーハバッハの掌がジークフリードの瞼を撫でる。瞬間、ジークフリードは光を失った目の奥に小さな熱が生まれたことを感じた。それは痛みを伴うものではなく、もっと柔らかく温かいもののように感じられた。例えるのならば、傷が塞がる時に僅かに生まれる熱のように。

 

「……私の傷をお前が負う必要は無いのだ」

 

囁くような声の中に酷く切実なものがあるように感じられて、ジークフリードはユーハバッハの顔が見たいと思った。今どんな顔をしているのか、どんな表情をしているのか、知りたかった。

 

掌が離れる。遠ざかる温みを追うように瞼を開く。

それまで闇ばかりを映していた瞳に光が帰ってきて、その眩しさに少しだけ怯む。その光にさえ慣れて、いつも通り見上げた首の角度、その先に見慣れた男の顔を見る。

 

「────」

 

喉の奥にいた言葉は潰れた。

軽薄に浮かべていた笑みは消えた。

握り込んでいた拳の中で汗が滲んだ。

光を取り戻したジークフリードの瞳に映ったのは、ユーハバッハの紅い瞳。

 

そして、その奥深くにある怯え。

 

それを見た瞬間、ジークフリードの心の中にあった余裕や、楽観や、慢心じみた感覚が消え去った。

 

……怯えている?怖がっているのか?あのユーハバッハが?

何に?あの死神と対峙したことに?まさか!争いの中で恐怖を抱くような男ではない。

 

ならば、未来を見通せなくなったことが恐ろしいのか。

 

いや当然だ、それまで当たり前のように見えていたものが見えなくなることは恐ろしいに決まっている。ジークフリードはそう思う。それは、先ほどまでの己のようにそれまで当たり前に世界を見ていた人間が突然視力を失うことに等しいのだから。

 

ジークフリードはユーハバッハの肩に手を置くと、怯える子を宥めるように軽く叩いた。それから彼の瞳を見つめ返して、微笑みを形作ってみせる。

 

「大丈夫だ、お前は何も心配しなくていい。全部、俺がどうにかしてやるから」

「………ジークフリード」

「お前らも現時点をもって持ち場に戻れ。ここでのことは他言無用だ。色々あったが、今後の動きについては決まり次第通達する。いいな。以上、解散」

 

死神との談話の結果やユーハバッハが奪われた未来視など、やや気がかりが残るような心地はありながらも親衛隊の面々はジークフリードからの号令に了解を口にして、部屋を出ていく。

どこか後ろ髪引かれるような様子の彼らをジークフリードはできるだけ普段と変わりない表情で見送る。

 

そうして重い扉が閉じられた瞬間、静かに表情を消した。

彼は振り返り、無二の友たるユーハバッハへ視線を向ける。

 

人生は配られたカードで戦うしかない、と誰かは言ったらしい。

ぐちゃぐちゃに荒らされたこの盤面を有利に立て直すカードをジークフリードは恐らく持っている。

そのカードを切ることが正しいかどうかは別として、だが。

 

窓辺に立ち、何かを思案するように外を見つめるユーハバッハはこちらへ背を向けている。その広い背をいくらか見つめた後、ジークフリードは行動を選択する。

彼は無二の友へ静かに歩み寄りながら、その手に白銀の弓と矢を構築する。

 

そうして無表情のまま静かに弓と矢を番え、

──その矢の先をユーハバッハの左胸に向けた。

 

 

 

 

 

 

 

「……大丈夫かな」

 

廊下を進みながらぽつりと呟いたニキータの言葉に、並んで歩いていた他の親衛隊の面々の視線が彼女へ向く。

これまでのことに不安に感じていたのは全員であり、同時にその不安に答えを持たないのもまた全員であった。

 

「それだけ死神にとっても陛下の御力が脅威だったということだろう。心配はあるが、俺達に直接出来ることは少ない。今は陛下のためにも騎士として研鑽することが一番の報いだろう」

 

そう前向きに言葉を紡いだのは親衛隊の良心とも呼ぶべきアルゴラだった。不思議な霊圧を持つ死神との会談のなかで親衛隊の誰よりも冷静に状況を見ていたのは彼だろう。答えるアルゴラに、ニキータは小さく頷いてから視線を足元に落とす。

 

「それはそうなんだけど、そうじゃなくて……なんていうか、変じゃなかった?陛下っていうか、隊長のほうも……」

「ジークフリードが?目のことは気になるが、それ以外は普段通りに見えたが……」

「……陛下と隊長のやりとり、おかしくなかった?」

 

ぽつぽつとそんなことを口にするニキータに、アルゴラは先ほどまでの部屋でのやりとりを思い出す。

 

(「……私の傷をお前が負う必要は無いのだ」)

(「大丈夫だ、お前は何も心配しなくていい。全部、俺がどうにかしてやるから」)

 

言われてみれば会話の流れとしては不自然かもしれない。ただ、それは他人から見たものだからだろう。

 

「陛下とジークフリードのやり取りの中に二人にしかわからないものがあるのはいつものことだろう?二人の間では伝わっているんじゃないか」

「それならいいんだけど……」

 

ニキータは彼女にしては珍しく歯切れ悪く言葉を紡ぐ。迷信やジンクスなど信じない彼女だが、不思議とそれを言葉にしたら本当になってしまうような気がして唇を閉じそうになる。しかし、それでもその不安を胸のうちに一人で抱え込むこともできず、言葉にする。

 

「気のせいかもしれないんだけど、噛み合ってなかった気がする」

 

そう思うのは初めてだった。

彼らは何もしなくても互いをわかり合っているような二人だった。そんな二人に初めてそんなことを思った。噛み合っていない。なにかがズレている。掛け違えている。きっと隊長は気がついていない。陛下は多分、気がついていた。

だから多分、普段と違うのは隊長のほうだ。

 

「……どうなんだ、ザイドリッツ」

 

ニキータとアルゴラのやり取りの中で、唐突にそう言葉を発したのはヒューベルトだった。それまで無言を貫いていた彼は端的にそう問うと、流し目で隣を歩くザイドリッツへ視線を向けた。

 

「一番付き合いが長いのはお前だろう」

 

問われたザイドリッツに視線が集まる。それを受け止めながら彼は微かに表情を硬くして答える。

 

「……ニキータの言う通り、違和感はあった」

 

他の面々が思うほどユーハバッハとジークフリードは互いを完全に理解し合っているわけではない。だから彼らは言葉を交わすし、意見の食い違いもあれば、喧嘩だってする。

 

その発端となるのは常にジークフリードだ。

時にぶつかるほどに言葉を交わそうとするのは、相手を理解したいから。対話をやめないのはそれが必要だとわかっているから。

 

そんな彼の口にする「自分が全部なんとかする」という言葉に違和感があった。

驕りのある人ではない。一人で抱え込むような人でもない。まして当人たちとしても帝国としても慎重な判断が必要な時だ。

 

いつもの彼ならこの危機的な状況で何をすべきか、陛下や親衛隊たちと話し合おうとするのではないか?

 

何故、なんとかできると断言したのか。

何故、なんとかできると判断したのか。

なんとかするために、彼は一人で何をしようとしているのか。

……もしや我々は体よく追い払われたのではないか?

 

彼の思考の根源にあるものを自分は最悪理解できなくてもいい。

連理である陛下が理解されているのであれば。

……しかし、果たして。

 

「ザイドリッツ」

 

思案にふけるザイドリッツへ声をかけたのはヒューベルトだった。彼は不機嫌そうな顔を隠さずに、ザイドリッツへ丁寧に折り畳まれたハンカチを差し出した。

 

「……これは?」

「先日私がジークフリードに無理矢理貸されたものだ。捨てても良いが物に罪はない。だが、私はあの男と顔を突き合わせたくもない。どうにかしろ」

 

言葉だけを聞けば、なんとも乱暴で我儘な物言いだ。けれどこの場において、彼のその素っ気ない言葉の意図を察しない者はいなかった。

 

「……ふ、普段なら叱りつけているところだ」

 

ザイドリッツもまたヒューベルトの言葉の意図を察して僅かに口元を緩める。そして彼の手からハンカチを受け取った。

 

「お二人の様子を見てくる。……杞憂ならばそれでいいのだから」

 

そう口にしてザイドリッツは来た道を戻っていく。そのピンと張った背中を3人は静かに見送った。こういった場面で親衛隊全体の意志として陛下たちの元へ行くのはいつも自然と彼の役目だ。そこに異論はない。

……もちろん、いつ己と代わったって構わないのだけれど。残された三人はそう思いながら信を置く彼へ任せる。

 

「しかし、ニキータといいザイドリッツ殿といい、よく気がついたな。俺はまったくだったぞ……」

「片や年輪を重ねたジジイ、片や獣並みの直感を持つイノシシ女だ、それに比べれば無理もあるまい」

「は?殺すぞクソボンボン」

「フン、やってみろ」

「おいおい、やめろ、こんなところで。まったく、お前たちはすぐに喧嘩するな……」

 

 

 

 

 

 

 

「『目はいかにせん、正視に堪えぬ。君の与える、げにそれほどの恐れ慄き』……といった具合か」

 

隙だらけに窓辺に立つユーハバッハは微かに笑うような声音で、自身の背後に立つジークフリードへ顔も見ずにそう言った。

 

オイディプスを引用して軽口じみた言葉を口にするユーハバッハに、しかし友であるジークフリードからの返答は無かった。

どれだけ時間を与えても返事は無いのだろうと、ユーハバッハは振り返り、友の顔を見る。

 

血の気の失せた顔で、己へ向けて先の震える矢を向ける友の顔を。

 

「──私を殺すか、ジーク」

 

ジークフリードはその問いかけに答えない。それでいながら、変わらずユーハバッハへ弓を向け続ける。それからいくらかの沈黙の後、普段は朗々と話す彼が喉を絞ったように細い声を吐き出した。

 

「……お前が死ぬまでその目は潰れたまま、とあの死神は言っていた」

「ああ、あの場で偽りを口にする必要もなかろう」

「……死ねば、これから生まれる人の魂を塗り替えて転生する、とお前はいつか言っていた」

「ああ、その通りだ」

 

肯定の言葉を受けてジークフリードは浅く呼吸をする。何もおかしいことじゃない。そのふたつの言葉が正しいのならば、すべきことはひとつだけだ。

 

「お前が死ねば、新しく生まれてくるお前は目を取り戻している。……そういうことだろ?」

「その通りだ。問題は私を正しく殺せる者がそういないということだけだが」

「俺が殺す」

 

ジークフリードははっきりとそう言い切った。寄せられた眉間を苦しげに、しかし真っ直ぐに長年の親友であるユーハバッハを見つめる。

 

「……死神だとか……他の誰かにお前を殺されるぐらいなら俺が、殺す。お前を殺して、俺は──」

「震える指先で何を狙い撃つ?その矢を放とうと私の頭蓋にも心臓にも当たるまい」

 

ジークフリードは射手として帝国最高峰の男だ。

しかし今、その彼の指先は極寒の中のように震えており、意識的にか無意識にか、ユーハバッハの致命傷を避けた場所を矢の先で指している。

仮に彼が今矢を放ってもそれはユーハバッハを殺すものにはならないだろう。

 

その言葉にジークフリードは顔を歪めながらも、ズレた鏃の先を動かすことはなかった。それを理解しながら、ユーハバッハは笑うように嘆息する。

 

「頭蓋か心臓か、貫くならばどちらがいい」

「……それは俺が決めていいことじゃないだろ……」

「何故。何処を狙うか、決める権利を持つのは撃つ者だけだ。殺される者にとって価値を持つことはない」

「…………顔は、嫌だ」

 

顔を失くしたユーハバッハの死体など、それこそ正視に耐えられる気がしなかったから。ジークフリードは小さく呟く。しかし呟いてから、まるで本当に俺がこの男を殺すみたいだ、と今更になってそんなことを思った。

 

……殺す。殺すのか?俺が?

それはユーハバッハの魂までもを殺すものではなく、結果的には彼を救うための行いであるはずだとしても、自分がこの矢で彼を殺すのか?その肉体を貫き、血を流させるのか?

目の前の人を護りたいと願ったこの力を持って、その人を殺すのが正しい行いなのか?

……そうじゃない、殺すのは彼の一時的な肉体のみであって、彼という存在そのものを殺すわけではないのだ。もう一度、目を取り戻すために仕方のないこと、必要なことだ。これは殺人じゃない。

俺がユーフェンを殺すわけじゃない。

 

…………本当に?

 

「では、心臓だな。よく、狙うことだ」

 

ユーハバッハは躊躇うことなくジークフリードの元へ歩みを進める。そうして彼の目の前までやってくると、曖昧に向けられていた矢の先に自身の左胸を押し当てる。

ジークフリードが指を離せば、矢は容易くユーハバッハの胸を貫き、その命を断つだろう。

 

生殺与奪権を握ったまま、ジークフリードは凍りついたようにその場に固まり、ただ荒い呼吸ばかりを繰り返す。高い山の頂にいるかのように、どれだけ呼吸を繰り返しても足りないような気がした。

弓を構えたまま、硬直したように立ち尽くすジークフリードにユーハバッハは問いかける。

 

「どうした、私を殺すのだろう?」

「…………なんで、抵抗しない……」

「お前がお前の意思で私を殺すというのならば、それもいいだろう」

 

俺の意思。

脳内で言葉を繰り返してジークフリードは苦しげに顔を歪める。

これは果たして俺の意思なのか?ユーフェンを殺そうとするのは、俺の意思で、俺の望みで、俺の欲だとでも言うのか?

 

……違う。そんなわけがない。こいつを殺したいと思ったことなど一度もない。

そうしないと助けられないから、選ぶだけ。

これは俺の意思じゃない。

俺の望みなんかじゃない。

 

俺はお前を、殺したくない。

お前だけは絶対に殺したくなんかないんだ。

ただ護りたいだけだ。

 

「…………ッ、クソッ!」

 

瞬間、ジークフリードは矢から指を離した。

張り詰めた弦に弾かれた矢は勢いよく射出していく。その姿に流星を見た。それはいつか、遠い少年の日のように。

 

放たれたジークフリードの矢は、皮を裂き、肉を貫き、心臓を穿つ。

……ということもなく、ただ空を切って天井に突き刺さった。

 

指を離す直前、ジークフリードは素早く弓を天井に向けていた。射られた矢は血を生み出すことなく、ただ天井に穴を一つ作る。

 

数秒、ジークフリードは残心のように固まったまま動きを止めていたかと思うと、弛緩したようにずるずるとゆっくり腕を下ろしていく。霊子が霧散して彼の手の中にあった弓が消える。

そうして彼はその場に膝から崩れ落ちた。

 

「はっ、はっ、はあっ…………うぐ、うぇぇ……」

 

友を撃つか否か、過度な緊張から解放された彼はガクガクと震える身体を自身の腕で抱き締めると、前屈みになり、額を地面に押し付けた。

浅い呼吸、それまで自分が何をしてようとしていたのかを思い出して、途端に吐き気がした。

 

「ジーク」

 

名を呼ばれて、噴き出す脂汗にまみれた顔を上げる。チカチカとサイケデリックに歪む視界の中、なんとかユーハバッハへ焦点を合わせた。

 

「……ユーフェン」

「酷い顔だ」

「……誰のせいで……。つか、なんで抵抗しなかったんだ。俺に殺されかけたんだぞ」

 

ジークフリードが睨むような目で彼を見れば、ユーハバッハはそれを鼻で笑って一蹴する。

 

「お前が私を殺すはずがないだろう」

 

能力や技術の話ではない言い方であるということは、ジークフリードにも察せられた。向けられた信頼に、思わず暗い顔をする。

 

「……バカ言え。結構、本気だったんだぞ。……あとほんの少し躊躇いがなかったら、とっくに射っていた」

「本気で私を殺そうとする者の矢があれだけ揺らぐことがあるものか。ブラック家の者の殺意のほうがよほど鋭かったぞ」

「……殺意なんかあるかよ」

 

ジークフリードは深く息を吐く。ようやく弛緩した身体、指の先が痺れるように震えていた。

 

彼を殺すことこそが、彼の目を取り戻すための唯一の手段だと確信している。

けれど、ジークフリードにはユーハバッハを殺すことができない。

しかし、ユーハバッハが誰かに殺されることも許容できない。

だから彼は目を取り戻すことは出来ない。

 

……俺のせいだ。

この手で殺してやることも、あの死神から護り抜くことも出来なかった俺の咎だ。

 

そう思った時に、ふとあの死神の言葉を思い出した。

 

(──「おんしでは千年と保つまい」)

 

自分に向けて放たれた言葉が頭の中で蘇ってきて、その言葉の意味を追う。

……保つ、とは何の話なのか。いや、それはどうでもいい。「ユーハバッハの魂の欠片を持っている俺ならば千年ほどは保つ」という事実にのみ価値がある。誰なら千年以上保つのか、考えるまでもなくユーハバッハだろう。

つまるところ、俺はユーハバッハの──

 

ジークフリードはそれを思いついた瞬間、パッと顔を上げた。

 

「……なあ、案をひとつ、思いついた。お前を殺さなくても、今の状況をどうにかできるかもしれない方法なん──」

「下らんな」

 

話している最中にピシャリとそう突き返されて、ジークフリードは思わず鼻白む。一瞬ひるんだように目を丸くし、それから食って掛かる。

 

「なんで聞いてもねえのにそう言えるんだよ。今は未来視の力も無いんだろ」

「お前程度に考えつくことなど、当に私が至っている」

「そんなわけが──」

「自分が死ねば解決するのではないか。そう考えているのだろう」

 

ジークフリードは驚いた。

全く持ってその通りだったからだ。

 

図星をつかれて言葉を失くすジークフリードに、ユーハバッハは侮蔑の混ざった顔で「馬鹿者が」と呟く。その表情にジークフリードは慌てて言葉を取り繕う。

 

「でもよ、あの死神のクソジジイが俺に言ったんだ。俺はお前の代用品くらいにはなる、って。多分そんな感じの意味合いの発言だった」

「………………」

「だから、俺が死ねばそれがお前の死の代用品になるんじゃないか?お前に必要な死を俺が肩代わりしてやれる。お前の未来を見通す力を取り戻せる。それにそもそも俺が死ねばお前の欠けていた魂もお前の元に戻るわけだろ?なら、それだけでも十分やる価値は──」

「黙れ」

 

圧のある声がジークフリードの唇を閉じさせた。

地べたに座り込んだままのジークフリードがユーハバッハの顔へ視線を向ければ、そこには怒りを隠さない表情を浮かべた友がいた。

 

それに気がついた彼はバツが悪そうに唇を歪めて目を逸らす。それから、小さく「……ごめん、今のは俺が悪かった」と謝罪の言葉を口にした。

 

袖口で額の汗を拭いながら立ち上がり「別に自分が死ねばいいと思ってるわけじゃない」と彼は言った。

 

「あくまでも可能性の話だ。切る切らないは別としてもそういう選択があるということはわかっていていいだろ?」

「…………」

「つか、待てよ。さっき俺に殺されかけて無抵抗だった奴に文句言われたくねえんだけど。どのツラ下げて人の発言咎めてんだ」

「…………」

「おい、なんだその不貞腐れたような顔はよ。こっち見ろ。お前怒ったふりしてなんか誤魔化そうとしてねえか」

「…………ちっ」

「なんだその舌打ち!おいテメッ!やっぱなんか隠し事してんな!言え!吐けオラ!」

 

ジークフリードが胸倉に掴み掛かると、ユーハバッハは露骨に顔を背けたまま溜息をつく。それから仕方なくという声音で言った。

 

「…………私は」

「おう」

「お前に殺されると魂の転移機能に不具合を起こす」

「……どういうことだ?」

「お前に殺された場合、私は次の肉体への転生が出来ないということだ」

「……待ってくれ。それってつまり……」

「…………」

「…………どういうこと?」

「馬鹿なのか?」

 

困惑のためにか、胸倉に掴み掛かるジークフリードの手が緩む。その隙にユーハバッハはジークフリードの手から逃れると、間合いを取るように一歩下がって言った。

 

「お前に殺されると私は確実に死ぬ。次の転生は無い、ということだ」

「…………は?」

 

中途半端に空中に手を上げたまま、ジークフリードはまじまじとユーハバッハを見つめていた。その視線の先でユーハバッハは何でも無いかのように平然としている。

見開いたジークフリードの目は大きく、段々と告げられた言葉を噛み砕いて理解しようとする。そして理解に至った瞬間、ゾッと冷や汗が背中から吹き出た。

 

「え?お、俺、さっき、結構マジでお前を、こ、殺そうと……」

「ああ、お前が矢を天へ向けなければ、次は無かっただろうな」

 

ひゅっと息を呑む声がユーハバッハの鼓膜を揺らした。先程までの気の強さはなんだったのかというほど狼狽え、顔を青褪めさせるジークフリードは唇を震わせる。

 

「な、なんで今言う?なんで、さっき、言わなかった……?俺が矢を向けたとき……」

「言っただろう、お前が私を殺すはずがないからだ」

「……未来、見えないだろ、今」

「自らが立つ大地さえ見えなくなった、とでも?未来は視えずとも、己の目に映してきた過去と現在まで失くしたわけではない」

 

この200年を鑑みれば、ジークフリードが己を殺せないのは自明の理だとユーハバッハは口にする。

まるで信頼しているかのようにそう言うが、ジークフリードからしてみれば、その信頼さえ打倒して友を殺そうとしていたのだからその理屈は通らない。

 

「知れたことを。どうあれ、事実としてお前は私を殺せなかったのだから」

 

……それもそうなのだが。

ジークフリードは呆気にとられたような顔をすると、その表情のまま問いかける。

 

「……ってか、なんでお前が死ぬんだ?お前がもう転生出来なくなってるってことか?それとも、俺の方の問題か?」

「それで言えば後者だな。単純な話、お前が私の致命傷だということだ」

 

ユーハバッハはさも当然のように口にした。というより、彼にとっては出会った時から理解していた当然の事実であり、ジークフリードが把握していないことに疑問を感じるほどだ。

 

これは後天的なものなどではない。

生まれた時からジークフリードは特別だ。

 

「忘れたのか?お前が出生より前に『転生批判外典(ズィーベン)』の加護を受けていることを」

「ズィー……なに?なんだっけそれ」

 

本当に覚えていないという顔をするジークフリードに、ユーハバッハは呆れたように深く溜息をつく。

 

「……生まれる前のお前の魂を私が乗っ取ろうとした時に、それを外側から拒絶した術式の名だ。あらゆる魂の転移を拒絶する力を持っている」

「ああ……そんなのあったっけ、か?」

「どうあれ成立した術式はお前の魂に刻み込まれているのだ。そして力の根源が魂にある以上、お前の振るう力にはその加護が内包されている」

「…………?」

「わからぬか」

「わからん」

「馬鹿者が」

「殴るぞ」

 

大して本気でもない、茶化すような応酬をしてから、ユーハバッハは言葉を噛み砕いて端的に言った。

 

「お前が振るう力には『転生批判外典(ズィーベン)』と同様の効果が付与される。つまるところ、お前自身が擬似的な『転生批判外典(ズィーベン)』と化しているということだ」

「……俺自身が『転生批判外典(ズィーベン)』になることだ……ってこと?」

「……何故、同じことを聞き返した?」

 

何を言っているんだコイツは、という顔でジークフリードを流し見る。「語感がいい……」と何故かしみじみとするジークフリードを無視して、話を続けた。

 

「今のお前の魂は、私の魂が混ざり、さらに『転生批判外典(ズィーベン)』によって変質したものだ。もはやお前の魂がどうなっているのかは私にもわからぬ」

「ほぼお前のせいでこんなんなっちゃってるのに?」

「ああ、その通りだ。ほぼ私が原因だが、変質したのはお前が生まれる前であり、生まれて以降はずっとそのような在り方でこれまでを生きてきたのだ。これまで影響がない以上、さしたる問題はあるまい。生まれつき小指の関節が足りぬ程度のことだ。気に病むほうが愚かしい。そも、元を辿ればお前が私の転生に適した魂であったことが原因だろう。むしろそのせいで魂を欠損させられたのはこちらの方だ。お前からの地に額をつけた謝罪程度あって然るべきだろう」

「すげえよお前。流れるように俺のほうが悪いみたいな結論に持っていくとはな。お前のその性格の悪さも生まれつきなんだろうよ」

 

別に怒ってもいないのだが、一発くらい殴っておいたほうがいいのだろうかと思い、ジークフリードはユーハバッハの胸倉を掴む。

掴んで、彼の顔を見つめてから……急にその気が失せた。何故かこの男の顔を見た瞬間、どうにも不安を抱くような心地を覚えたのだ。

 

「ユーフェン、お前さあ……」

「なんだ」

「…………お前マジでさ、死ぬなよな」

 

そう言った瞬間、何故か泣きそうになった。

これ以上喋ったら声が震えるとわかったから俯いて、涙腺死ねってくらい目を見開いて、やけに潤いのある目の表面をどうにか乾かそうとしてみる。こんなことで泣いたら、向こう千年くらいこのネタでイジられるだろう。俺だって、コイツの絵のヘタさを一生ネタにしてるし。

 

でも、最悪一生馬鹿にされてもいいから、死なないでほしい。多分、今度こそ本当に耐えられないから。

唯一の家族である母さんを亡くしたときだってつらかったのに、こいつまでいなくなったらなんて想像するだけで苦しい。

 

今更独りなんて、俺には無理だ。

 

「……なんだ、お前、泣いているのか」

「は?泣いてないですけどなんですか言いがかりやめてもらっていいですか」

「顔を見せるがいい。気分が落ち込んだ時にはその不細工な顔を思い出すことにする」

「不細工言うな!ちょっ、見んなよ!やめろって、オイ!やめろや!!」

「掴むな」

「お前が先に掴んでんだよ!離せって!は!な!せ!」

「何故そうも囀るのだ、お前は」

「なんでお前は首の絞め技に移行してんだ!ブレーンバスターの体勢に入るのやめろ!持ち上げるな俺を!」

「容易く首を取られるとは、それでも騎士か?」

「騎士関係ねーだろこれ!降ろせ!」

「失礼します、陛下、ジークフリード殿。先程の件で少し──……はっ!なんと美しい垂直落下式ブレーンバスターか……!素晴らしい……!陛下ほどの強靭な体幹が無ければ成立し得ない奇跡の技でしょう……!不肖ザイドリッツ、是非カウントを取らせていただきたい」

「取らんでいい!てか待って!マジで待って!落とすな!キメにかかるな!死ぬ!首が逝く!ザイドリッツ!このバカを止めてくれ!」

「奇跡を前にこの胸の炎は天を目指さんばかりです」

「ザイドリッツさん!?」

「歯を食いしばっておけよ、ジーク」

「主よ!何故お見捨てになられあああああああああああッッ!!!」

「決まったーッ!アイン!ツヴァイ!ドライ!」

 

 

 

 

 

湿っぽくなりそうな雰囲気が恥ずかしくなる前に上手いこと茶化してくれたことには感謝するが、そのために何も敷かれていない硬い床に脳天から叩き落とされるのは違うだろ。ジークフリードは思った。

 

「……ちょっとマジで30分くらい絶交な、話しかけてくんなよ」

 

首を不自然に曲げ、ヨタヨタと老人のようにふらついた足取りで部屋を去っていくジークフリードをユーハバッハとザイドリッツは静かに見送った。

ちょっとはしゃぎ過ぎたな、とザイドリッツは思った。ユーハバッハも少し思った。とはいえこれほどの暴挙を30分の絶交で許してくれるところが彼らしいというべきか。

 

「申し訳ありません、陛下。色々と間違えました」

「構わぬ。むしろあの一瞬でよく空気を読んだものだ」

 

ユーハバッハは椅子に深く腰掛ける。ザイドリッツのおかげもあって、上手く()()()()()

こうも馬鹿らしく有耶無耶になった以上、余程のことがない限り今回の件についてジークフリードが掘り返してくることはないだろう。

 

──さて、前提として、ユーハバッハは嘘をつかない。

 

ジークフリードに対して気安い揶揄いやジョークの類のようなものは口にしても、騙すような嘘をつくことはない。

故に、もしも人に言えないようなことがあっても嘘はつかない。誤魔化し、隠し通す。だからこの日もそうだった。

 

ユーハバッハにはひとつだけ、絶対にジークフリードに隠し通したいことがあった。

そのために幾度も話をずらし、歪曲させ、感情に訴える真似事を繰り返した。

彼が自ら辿り着いてしまった真実から目を背けさせるために。

 

(「俺が死ねばそれがお前の死の代用品になるんじゃないかって思うんだ」)

 

(「上手く行けば、お前の力を取り戻せる」)

 

自らそう語っておきながら、果たしてあの男がどこまで本質的なところを理解していたことやら。

ジークフリードの言葉を思い出して、ユーハバッハは微かに頷く。彼は一度としてジークフリードの言葉を否定はしなかった。下らないと一蹴し、黙れと圧を掛けることはあっても、一言も「不可能だ」「無意味だ」「そんなことはありえない」と言わなかった。

 

故にここで肯定する。

まったくもってその通りである、と。

 

ジークフリード・ジンツァーはユーハバッハの代用品足り得る存在だ。

 

魂を分け与えた存在だからか、それとも特殊な魂を持つからか、理屈はわからずともユーハバッハには確信があった。未来を見通す目を奪われた時、同じようにジークフリードが光を失ったように、魂の繋がりは残酷なまでに深い。

 

ジークフリードが死にさえすれば、ユーハバッハは未来を見通す目を取り戻し、魂を完全な形へ再生できるだろう。

 

自身の死を踏み倒すどころか、長年一番近くて最も力を与え続けていた存在から力が還ってくるのだ。これまでに無いほどの強大な力を取り戻すに違いない。死神など脅威にならないほどの力を。

 

未来視も魂の欠失も、彼が抱えている弱体化という問題はすべて解決する。

ただひとり、ジークフリードを犠牲にさえすれば。

 

だから知られたくなかった。

お前のためなら死んでもいいと口にした少年期から何も変わってなどいない。あの男は容易く命を放り出せる。人が思うよりずっと薄情で、彼を犠牲にして生かされる側のことなど考えられないくらい馬鹿な男なのだ。

 

この事実を知れば、ジークフリードは命を投げ捨てることを躊躇わないだろう。

仮に今すぐにではなくとも、必要だと判断すれば即座に自らの命を断つに違いない。

……友たるユーハバッハが、それを望んでいないとしても。

 

だからこそ、ユーハバッハは安堵する。

これから先、ジークフリードは自らを犠牲にすることの価値を知らないまま生きていくだろう。それらしい言葉を信じ、話の流れに惑わされ、きっともう二度と「自分が死ねば解決する」などとは思わない。

 

……当たり前だ。

お前が死んだところで、何の意味もない。

この世界を変革させる理由を失うだけ。

そうして懐かしい孤独がこの身に辿り着くことだろう。

 

あり得ざるユーハバッハの死の可能性などに目が眩んで、容易く誤魔化されてくれるとは。彼は深く、安堵に似た溜息を吐いた。

 

「……嗚呼、私の英雄が馬鹿でよかった」

 

心の底から出た、本心からの言葉だった。

 

 

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