バッハ「私たちは友達だからだ」   作:ホネホネ

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Eve of Revolution

 

「『よおジークフリード殿!昨日はどーも。また奢ってくださうおばああああ!?』」

「…………下手な人真似はやめろ」

「え、これ誰かわかる?」

「ルッツ・レーヴェだろう」

「なんだよ、伝わってんなら下手じゃねえじゃん!そっかそっかお前も覚えてるか!お前が隣にいるのにさあ、気が付かないで俺に話しかけてきて超ビビってた時のあいつ!」

 

すっかり日も暮れ、城内さえ静かになった夜のこと。制服を抜き、ラフな格好をしたジークフリードは城の屋根の上に座り込んだまま声を上げて笑っていた。

 

「あとさ、あいつのこと覚えてる?入団式で緊張し過ぎて上官のラツヴァルトにゲロぶっかけたやつ!」

「フランク・ヴァーグナーか」

「そうそうブロンズの!覚えてんねえ!お前も!」

 

夜半に屋根の上を秘密基地にして下らない話をするのはジークフリードと彼の友であるユーハバッハにとっていつものことで、その夜もまた普段と変わらないいつもの夜だった。

 

楽しげな表情を浮かべるジークフリードを隣で見つめていたユーハバッハは、その笑みに嘘や偽りは無いものの、どこか何かから目を逸らすような、不安を遠ざけようとしてわざと明るく振る舞っているような、そんな雰囲気を察していた。

けれど、彼は敢えて言及しなかった。わかりきった事象を敢えて問いかけることをユーハバッハは利口な振る舞いだとは思わなかったからだ。

 

ジークフリードもまた自身のわざとらしい明るさに気が付きながらも、まるでそれがいつも通りであるかのように振る舞う。

楽しいのは決して嘘ではなかった。自分の記憶を誰かと共有できたことに喜びを感じていることもまた嘘ではない。

 

「あー、久々に名前を聞いたわ。ザイドリッツより前の連中だろ?あいつらの話なんて、お前としかできねえからな」

「そうだな、我らにとって全ては過ぎ去りゆくものだ。生きるということは常に置き去りにされていくということだった。……それも()()()()()()()()()()が」

「ああ、わかってる」

 

ジークフリードは頷きながら、ユーハバッハへ()()()()はやめてくれとばかりに軽く肩をすくめながらホールドアップした。

その話題とジークフリードが目を逸らしたい不安は同一のものだからだろう、ユーハバッハは軽く嘆息することで了知を示した。不貞腐れたような顔で口を噤んだだけ、とジークフリードならば評するだろうが。

結果としてユーハバッハを黙り込ませてしまったことにジークフリードは苦笑しながら唇を開く。

 

「だって明日の話は昼間にみんなで充分したろ。どうせつまんねえ一日になるってわかってんだ。今夜くらいは楽しい話でもしようぜ」

「…………」

 

死者の話をすることが楽しいことなのか?

そう意地の悪い言葉をぶつけることもユーハバッハにはできた。口にしたらジークフリードは怒っただろうか?想像はあまりつかない。一度懐に入れた相手には酷く甘い男だと知っていた。もう、充分すぎるほどに。

 

 

 

自分の元へ還ってきた死者の魂をユーハバッハが忘れることはない。

 

その魂が最期に抱いた恐怖や怨嗟や絶望は、その鮮やかさを保ったままユーハバッハの元へ還ってくる。その度に彼の心へ肉を裂くような傷を与えながら。

 

ジークフリードのように日常的に彼らと関わる立場ではなかったユーハバッハにとって、どんな言葉よりもどんなエピソードよりも、その傷こそが彼らが生きていた証であり、記録であり、墓標である。

ユーハバッハが生きている限り、それらが失われることはない。誰かの記憶から消えた時が本当に人が死ぬ時だと言うのならば、彼らに本当の死が辿り着く日は来ないのだと彼は思う。

 

「死者を記録し続けることに意味はあるか」

 

問いかけるような、ただの独り言のような言葉がユーハバッハの唇の隙間から溢れた。音にするつもりのない言葉だった。自らの喉から吐き出された声を聞いて少しだけ、驚く。

 

伸びていくばかりの葬列を遠くから眺めている心地はずっと胸の中にあった。この魂が己を己と認識した時からずっと。それは否定しないけれど。

 

「……まあ、墓標からわざわざ名を削るよりは価値があるだろうよ」

 

返ってきた言葉はどこかわざとらしいくらいに素っ気ない。顔を上げたところで視線は合わなかった。

ジークフリードは唇を尖らせたまま、不満げに鼻を鳴らす。

 

「でも、お前の義務じゃない。誰も命じてないし、お前もお前自身に命じる必要はない。もういない奴らのことなんざ、忘れたきゃ忘れたっていい。たかが俺らより先に死んだだけの連中だよ。恨まれる謂れもねえし、罪悪感を覚える必要もねえ」

「そんなものを覚えたことはない」

「だとしても真面目過ぎるんだよ、お前は。明日のことだってそうだ。いいんだぜ、やっぱりやめたって急に言い出しても」

 

むしろそうしろとばかりにジークフリードはユーハバッハを見る。冗談みたいな顔つきをして、その実本気でそう思っているのだと知っていた。

誰に望まれたわけでもなく、それでも永遠を求めてしまうのは結局自分のためでしかないのだ。

 

毎夜のように姿を変える月も、一度として同じものはない風も、いずれ枯れゆくと知ってなお咲く花も、流れゆく人の営みも、美しいものはみな愛おしく、そして同じくらい憎らしかった。

 

どんなものも変わり果て、失われていく。

それが哀しかった。愛は常にいずれ訪れる痛みと共にあった。高く飛べば飛ぶほどに墜落の痛みは激しいものだとわかっていたのに。

 

それでも手放せなかった。

失いたくないと願ってしまった。民や滅却師のためという理想に嘘など無いけれど、その祈りの傍にいるのが誰なのかなど己に問いかける必要もないことだった。

 

「否、私にしか出来ぬことだ。なによりも私自身がそれを渇望している。新たな明日が来ることを、な」

「……ならいいんだけどよ。なんつうか、お前は神様のフリをするのに慣れ過ぎてる。根っこはただのワガママなクソガキのくせにな、みんな騙されてんだ」

「民の目を潰して、望みの先へ導く。為政者などそんなものだ」

「そんなものであってたまるかバカ」

 

本気にしていない顔でジークフリードは笑って、ユーハバッハの肩を小突いた。ひとしきり笑った後、表情を落ち着かせた彼は一度息を吸って、それから深く息を吐いた。

それは一息つくための深呼吸というよりかは、大きな溜息という色に近く、それを目聡く察したユーハバッハが口を開く。

 

「何の溜息だ」

「いや……バズビーに身長抜かれたなって思って」

「何年前の話だ。いつまでそれで落ち込むつもりなのだ、お前は」

「一生落ち込むっつの。あーあ、どいつもこいつも小さい頃は可愛かったのによ」

 

ジークフリードは人差し指と中指を立てると、その2本指で自身の両目を指し、それからすぐにその2本指をユーハバッハへ向けた。ジークフリードの言う「どいつもこいつも」の中に入っているらしいユーハバッハはさして興味もなさそうに無表情で鼻を鳴らした。いつだって嘘の下手な男だ。

 

平均よりやや低めの身長を、さして気にしているわけでもないくせに、話のネタになるからと自らの自虐的な持ちネタとして使うのはジークフリードの悪い癖だ。数年前、メキメキと成長期を迎えた弟子にあっさりと身長を抜かれたことを気にしているというのは嘘ではないのだろうが。

 

「俺ってもう身長伸びねえのかな。どうにかなんねえのか、皇帝陛下様」

「……そうだな、手段が無い訳では無いが」

「マジかよ、流石だぜ兄弟」

「結果的に身長が伸びればいいのだろう。その末路として肉体に不整合が発生しても許容の範囲だと言えるな?」

「……あの、肉体の不整合ってなに?初めて聞いた言葉の組み合わせなんだけど」

「なに、多少肉体が液体に近づく程度だ。質量は変わらんから安心しろ」

「なにに?」

 

先ほどの少しばかり真面目な声色をした話題はとうに過ぎ、本気であるところが少しもないいつも通りの会話に戻る。

 

会話の隙間、沈黙を沈黙のままにさせぬかのように少しばかり強く吹いた風が城内の木々を波立たせた。新月にほど近い細い月のため暗い夜半に、木の葉の擦れる音はより鮮明に響く。

その真空のような空間が不思議と感覚を鋭利にしたのか、ユーハバッハは不意にごく当たり前のことを新鮮に思い直す。

 

思えば、自分が誰かとこんなにも長く時間を共にしたのは初めてのことだった、と。

 

心が渇き果てるほどの永い孤独はいつしか絶え、手を伸ばせば届く距離に変わらぬままに誰かが傍にいる。そんな当たり前をあの原初の海から生まれ出でてから初めて手にしていた。瞬きのように流れ去る景色ではなく、共に歩く隣人を。

 

……お前と出会わなければ。

そんなことを時折、無意味に考える。

 

お前と出会わなければ、世界を変革するなどという選択はしなかっただろうか。

或いは、もっと早くに事を終えていたのだろうか。

それとも、何一つとして私という存在の選択は変わらないのか。

 

答えのない仮定に思考を割くことに意味を感じられなかった。だからただ事実だけを胸に抱く。

 

「ジーク」

「ん?」

 

呼び慣れた名前を呼べば、軽く首を傾げて彼はこちらを流し目で見る。有りふれた渾名を、しかし自分以外の人間が呼んでいる様をユーハバッハは聞いたことがない。

 

「……随分永く、お前は私と共にあった」

 

200年前、あの屋敷で出会ったときからずっと。

例えジークフリードと出会わずとも、ユーハバッハは生き延びられたことだろう。傍らに彼がおらずともあの屋敷を出て、いつかこの地へ辿り着いていたに違いない。

傷も死も痛みも、それらを何度繰り返そうともユーハバッハという存在は存続される。ジークフリードと出会う前から、ジークフリードが生まれる前から、ユーハバッハという存在はユーハバッハだったのだから。

 

けれど、たとえそうだとしても、出会わなくてもよかったと思ったことはない。

 

ほとんど確信じみた感覚で思う。

きっとユーハバッハはジークフリードと出会って楽しかったのだ。

その幸福が世界にとって意味や価値のあるものではなかったとしても、彼にとっては確かに世界の色が変わるような出来事だった。

 

「……お前といると飽きぬ。精々道化としてその愚かさを我が目に晒し続けるがいい」

 

お前に会えてよかった、などと素直に言えるわけもなく、けれど言葉以上に雄弁な赤い瞳がジークフリードへ語りかける。その視線を受け止めて、友である彼は唇を開いた。

 

「ほんっとかわいくねークソガキだこと」

 

胡座をかいた膝に肘をついて、頬杖をついたジークフリードは満更でもない顔でくしゃりと破顔した。素っ気ない言葉と裏腹の感情がわからないほど付き合いは浅くない。

 

「つかなんだ急に。明日天地がひっくり返るのか?……って、まあ似たようなことは起きるのか」

「惜しむか、この世界を」

「さあな、場所に執着する質じゃねえと思ってはいるが。どうあれ、お前がいりゃあこの先も退屈はしねえだろうよ」

 

「それにさ、俺もお前と会えて良かったよ」と事もなげにジークフリードは言った。その言葉をユーハバッハは一瞬流しかけて、流しきれずに顔を歪める。

 

「……待て。「俺も」とはなんだ。私は一度もそんなことは口にしていない」

「お前がそう思ってくれてるように、俺もお前と友達になれてよかったって思ってるぜ」

「お前の願望を私に投影するな」

「俺たち、これからも仲良くやっていこうな、親友」

「その耳は飾りか?」

「耳飾りか、ピアスでも開けよっかな」

「メリダから貰った身体を大事にしろ」

「だから人の母親をファーストネームで呼ぶな」

 

ジークフリードは堪えきれずに噴き出すようにして笑った。その顔をユーハバッハはつまらなそうに見やる。どこにいても何をしていても楽しそうな男だ。

屋根の上で立ち上がるジークフリードを視線で追う。腕を天に向けて上げてグッと伸びをしては深く息を吐いていた。それから腰に手を当ててジークフリードはユーハバッハを見下ろした。穏やかで慈愛さえ感じるような瞳だった。

 

「ユーフェン」

「……なんだ」

「ずっと言ったこと無かったけどさ、俺、お前に会うまでずっと、きの──」

 

そこで唐突に不自然に言葉が途切れる。どうしたのかと思えば、ジークフリードは失言したとばかりに自身の掌で自身の口を塞いでいた。

何をしているのかと訝しげに視線で問えば、彼は戯けたような仕草で掌を離してみせた。

 

「あっぶな、お前につられて恥ずかしい事を言うところだった……」

「は?私は恥じることなど口にしたことはないが?」

「お前はそうだろうよ」

「何を言いかけた」

「いい、いい。忘れろ」

「ジーク。ジークフリード」

「いいだろ、大した話じゃねえし。そのうち、お前みたいに恥じらいを失くしたら言うわ」

「そんなものお前には元から無いだろう」

「はい、言う気無くしたー。俺の心の中に住んでるハムスターが巣穴から出てこなくなったー」

 

気になることを隠さない視線を受けながらも、シッシッとばかりに乱雑に手を振ってジークフリードは口角を上げた。「気が向いたら言うさ」と我儘な子供を言い含めるような声音で言う。

ジトっと不満げな目を受け止めながら、ジークフリードは楽しげに喉を鳴らす。

 

「いいだろうが、別に最期の言葉じゃあるまいし」

 

ジークフリードは屋根の上で座っているユーハバッハの肩を膝で軽く小突くと「早く寝ろよ」と言って笑った。

 

「明日の死神との戦争中に寝不足で欠伸なんてしてみろ、士気に関わるぞ」

「……お前にだけは言われたくない」

「俺はそういうのちゃんと切り替えるタイプだわ」

 

そう言ってジークフリードはひらひらと手を振って室内へ戻っていく。心残りの少しもない足取りで、振り返ることさえしない。

その背中をじっと眺めて見送り続けたこちらが未練がましい気さえしてくる。その姿が消えても、彼がいた場所を見つめていた。名残さえ無いと知っていながら。

 

独りになれば途端にあたりは静寂に満ち、吹き抜ける風にユーハバッハの夜闇に似た髪が肩口で揺れる。

 

あの男の不安は去ったのだろうか。ようやくやってくる明日は世界を変える日となる。その事実に心の奥底では隠しきれない不安を抱いていたようだったが。

 

人は変化を恐れる。

けれどその変化にさえいずれ慣れよう。

三界に分かたれた今の世界が当然のものになっているように。

 

だからお前が怯える必要は無い。もう私たちが何も失わずに済む日々がやってくるのだ。愛に痛みが訪れることはない。長い葬列はようやく途絶える。ようやく私たちは世界の異物では無くなる。

 

ユーハバッハはその柘榴のような瞳を開いて世界を見つめる。二度と忘れることはないように、決して取りこぼすものなどないように。

 

毎夜のように姿を変える月も、一度として同じものはない風も、いずれ枯れゆくと知ってなお咲く花も、流れゆく人の営みも、その儚ささえ今に消えてしまうものだと思えば、心の底からただ愛おしくだけ思える気がした。

 

遠く、声とも音ともつかぬものが彼の鼓膜を揺らす。視界の向こうで高い木々の先端が拠り所なく揺れている。

 

笑い出してしまいたかったし、もしかしたら泣き出してしまいたかったのかもしれない。けれどどちらも選ばなかったユーハバッハは痛みに耐えるかのように自らの瞳を掌で覆い隠す。

 

目を閉じれど、瞼の裏には失われることの無い北天の星の輝きがあった。

 

穏やかであれ。清廉であれ。失われることなかれ。

すべての魂は私の作り上げた世界の中で安寧であるべきなのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

自らの私室へ戻ろうと城内を歩いていたところ、ふと談話室の扉の隙間から光が溢れていることに気がつく。

近づくにつれて聞こえてくる中の密やかな話し声は、厚い扉を挟むことによってくぐもった音になる。その聞こえそうで聞こえない声が、廊下にいるジークフリードの悪戯心をくすぐった。

 

そろりそろりと扉へ近づき、ドアノブに手をかける。音を立てないよう慎重にノブを下げてから一拍、扉を強く押し、素早く部屋の中へ飛び込んだ。

 

「全員手を上げろ!21時以降の私的な集会活動は禁止されている!」

 

右手の親指と人差し指を立てて手で銃を作る。

大声を上げながら、それを部屋の中心へ向ければ、中にいた四人がビクリと大きく肩を揺らした。

 

「びっ、くりした……なんだ、ジークフリードか」

「あっぶないな、隊長。反射的に撃つところだったでしょ」

 

素直に驚いてくれたのはアルゴラだけだった。

反射的に反撃体勢を取っていたのが霊子兵装の銃を構えていたニキータと、腰元のサーベルの柄を掴んでいたヒューベルト。

ザイドリッツに至っては大声に驚いただけで、扉の向こうでジークフリードがこちらを伺っていることにさえ気がついていたらしい、また馬鹿なことをして……と呆れた顔を向けてくる。

とまあ、誰も素直に手を上げていない。

そんな四者四様の反応にジークフリードは楽しげに笑って手を下ろした。

 

「なんだ、ユーハバッハ大好き倶楽部(しんえいたい)で仲良く飲んでたのか」

「ああ、こんな夜だ。せっかくだからみなで決起集会でもしようという話になってな」

「ところで、あの、隊長の俺が呼ばれてないんですけど」

「全員の総意だ」

「いえ、ジークフリード殿は陛下とお過ごしになると思いまして」

「せめて呼んでくれよ。お前らに呼ばれてたらあいつのところなんか行かなかったっつの」

「ちょっと隊長、私たちの大事な人にそんな言い方しないで」

「えっ、ごめんなさい」

 

部屋の中心にあるテーブルには酒瓶が数本、塔のように置かれていた。彼らがみな酒に強い体質(ザル)であると知っているジークフリードからしてみれば控えめな量だ。戦争前夜ということで、流石に量は抑えたのだろう。

テーブルの上を眺めるジークフリードの視線に気がついたニキータが唇を開く。

 

「あ、ここにあるの全部アルコールだから隊長飲まないでね。下戸なんでしょ?」

「いや俺は信条として飲まないだけで別に弱いわけじゃ……」

「アルゴラ、そうなのか?」

「飲まないのは本当だな。場酔いで誰よりも大はしゃぎできるだけで」

「貴様は本当に迷惑な男だな」

「楽しい空間が好きなの俺は!」

 

ジークフリードは椅子を引き摺るようにして持ってくるとテーブルの傍に置いて腰掛け、脚を組む。

一つのテーブルを立ち飲み形式で囲んでいる四人を見上げながら「ユーグラムは呼んでやらなかったのか?まあ、あいつは正確には親衛隊じゃねえけど」と問いかける。その問いかけにヒューベルトがつまらなそうに即答する。

 

「呼ぶわけがないだろう」

「いや、呼びに行ったよ。部屋にいなかったけど」

「まあ、こんな夜です。彼にも話をしたい相手だっているでしょう」

「は?あの男を呼びに行っていたなど、私は聞いていないぞ」

「クソボンボンには言ってないから。あーあ、ハッシュヴァルトが来てたら自動的にこいつが消えてたのに」

「お前を消してやろうか?」

「やってみろ」

「お前ら仲良いね〜相変わらず」

 

茶化すようにジークフリードが言えば、即座に二人が「仲良くない!」と声を揃える。そして声が揃ってしまったことに気がついた二人は同時に吐き気を隠さない顔をした。

そういうところが仲良しに見えるんだがなあ、とジークフリードは愛しいものを見る目で眺める。

その表情にヒューベルトは蟀谷を震わせると苛立たしげに問いかける。

 

「……なんだ、そのニヤついた顔は」

「いやなに、あれだ、()()()()にお前ら四人は集まるんだなと思ってよ」

 

大規模な戦争前夜というある種特別な夜にわざわざ自発的に集まり、彼らは酒を飲んで語り合う事を選んでいる。孤独に過ごすことも、別の誰かと過ごすことも選べただろうに。

そんな含みを持たせながらそう口にすれば、彼らはなんとなくチラチラと互いの顔を見合わせて、それから口々に言った。

 

「まあ、親衛隊という同志ではありますから」

「そうだな。家族とは先日話をしてきたし、前日ともなれば、まあな」

「うん、私はこのへんが一番付き合い長いし」

「私は呼ばれたから仕方なく来ただけだ」

 

別に大したことではないし、可笑しなことでもないと彼らは素っ気なさげに言う。

そんな彼らの反応にジークフリードは内心では地の底から込み上げるような愛おしさを抱いたが、表面上は軽く口角を上げて「へえ」と半笑いをする程度に留めた。

許されるのならば「カワイイ!カワイイ!」と狂ったように喚きながら全員を横抱きにして城内を走り回りたいくらいだったが、あんまり構い過ぎると嫌がられるということをここ数年絶賛思春期真っ盛りだったヒューベルトやバザードとのやり取りで学んでいた。

 

なんでもないように、まるでいつも通りのように、気安く話をする彼らをジークフリードは穏やかな笑みとともに見つめていた。

 

「楽しいですか」

 

気がつけば傍にやってきていたザイドリッツに問いかけられる。片手に持ったワイングラスがどうにも似合い過ぎるとジークフリードは思わず噴き出した。いつも以上に笑いの沸点が低いジークフリードに、ザイドリッツは内心で(これが場酔いというものか)と思った。

 

「楽しそうに見えるか?」

「ええ、とても」

「ああ、正解。すげえ楽しいよ」

 

ザイドリッツを前に気が緩んだのだろう、ジークフリードはその場の雰囲気に心地よく酔いながら言葉を紡ぐ。

 

「俺さ、兎が好きなんだよ」

「存じております。どういう理屈か技術かわかりませんが、よく造ってらっしゃる」

「俺はさあ、お前たちのことを兎みたいに愛してるんだと思う」

「……それはまた、妙なことを……」

「へっへっへ」

 

困惑したような声音にジークフリードは口角を上げ、どこか引き攣ったような声で笑う。

 

兎が好きだ。可愛らしくて弱くて、愛おしみながらも必要とあれば肉を食うことにも皮を剥ぐことにも抵抗は無かった。

多分俺は自分の引いたラインの外側にいる人間のことをずっとそう思っていたのだと思う。

 

愛玩のように可愛がって、必要な時にはいつでも殺せるようにしていた。自分の腕の中で抱えられるもの以外は全部、自分の手で殺す想定を頭の片隅でしていた。

ザイドリッツのことも、アルゴラのことも、ニキータのことも、ヒューベルトのことも、ユーグラムのことも、バザードのことも、みんな頭の中で何度も殺した。何度も何度も、脳内のその感触を現実に感じられるくらい、何度も。

 

護ると誓えないということは、愛せないということだ。愛せないのならば、殺せなくてはならない。そうでなくては、俺が選ばなかったが故に殺すしか無かったあの屋敷の人々が報われないだろう。だから俺の大切になれなかった人は死ななくてはならない。

 

……どうかしていると思う。

けれど、そうやって線引をしなければ耐えられなかった。

 

大切な人には生きていてほしいから。

でもみんな、自分より先に死んでいく。

繰り返される離別の痛みに耐えられるほど強くないと知っていた。耐えられないから、大切じゃないことにしていた。

 

いざとなれば殺せるくらいの情しか無い相手ならば、どれだけ見送っても苦しくないと思えるから。

 

だから口にしたことはないけれど、ユーハバッハのことは心底尊敬している。

彼は民を、滅却師を愛している。彼らを愛しながら、彼らの死を受け止め、そのひとつひとつに鮮明に心を痛め続けている。そうして、彼らのために世界を変えようと戦い続けている。そこに正しさを求めたことはない。善や悪は基準にならない。ただ、どこまでも素直で、真っ直ぐな在り方が綺麗に見えた。

 

自分には到底できない生き方だ。あの男は時折こちらを眩しげに見つめるが、そんなことはない。

ジークフリードにとってみれば、ユーハバッハこそが眩しく、泥臭く、傲慢で、有りふれた、そしてどこまでも輝かしく生きている人間だ。

 

怖いから痛みを遠ざけて、傷つく恐怖から逃げ出して、本質的なところでは他者を拒絶して生きていこうとしてしまう自分とは違う。喪失を受け入れることも、喪失に抗うこともできない。

お前のように、お前たちのようには生きられない。

 

なんて、鮮明で眩い憧憬。瑕疵を抱きながら、それでもなお懸命に生きていくお前たちは美しい。

その美しい景色を遠く、渡ることのできない対岸から眺めている。

 

ずっと、そんな心地で生きている。

 

ジークフリードは自嘲するように鼻で笑って、それから椅子の上で膝を抱えて顔を埋めた。

 

「いぃぃーん……」

「ザイドリッツ、これはなにをしている」

「さあ、場酔いしてよく分からないことを言った挙句にメソメソと泣き出されたが……」

「……なんとも惨めな姿だ。これが我々の隊長か」

 

 

 

 

元々ジークフリードが来た時には盛りも過ぎ、とうに瓶の中身も半分以下に減っていた。

それさえも過ぎ、とうとう片付けに入り始めた面々の中、場酔いしたまま椅子の上で体育座りをして丸まっているジークフリードの旋毛をニキータは指の先でちょんちょんとつついて覗き込む。

 

「隊長大丈夫?もう寝そう?」

 

声をかければ組んだ腕の隙間から碧い瞳と視線が合う。それからジークフリードはゆっくりと顔を上げた。

 

「…………ん」

「お、生きてる」

「……ニキータさ」

「うん?」

「別にあいつらがそうだとは思ってないけどな、女の子が夜に一人で男しかいないところにいたらダメだぞ。気をつけなさい、お前は可愛いんだから」

「…………」

 

急だし今更だな、とニキータは思った。しかし、目の前の一滴も飲んでない酔っ払いが、何故か酷く真剣な顔でそんなことを言ってくるので思わず笑ってしまう。親か。

 

「ふふ、あははは」

「何笑ってんだ」

「いや、だって、隊長って私のこと女だと思ってるんだ?」

「女の子じゃないんですか!?」

「いやそうだけど」

 

そうだけど、そうじゃなくてさ。

なんと言っていいものかと考えていたら、やってきたアルゴラがジークフリードへ「少し夜風に当たったほうがいいんじゃないか?酒瓶を捨てに行くから付き合ってくれ」と声をかける。

そうすればジークフリードは思っていたよりも機敏な動きで立ち上がった。

 

「任せな、酒瓶を捨てることに関しちゃあ、俺ぁちょっとしたもんなんだよ」

「そうか、頼りにしてるぞ」

 

言動こそ浮ついているが、実際にはアルコールは一滴も飲んでいないからか案外しっかりした足取りでジークフリードはアルゴラと並んで部屋を出ていく。

 

その背中をニキータはどこかぼんやりとした頭のまま見送った。ずっと、じっと。なんとなく視線を外せなくて、去っていってしまった扉の方ずっと見つめてしまう。まるで名残惜しさを感じているみたいに。

 

「おい、猿女、顔が赤いぞ。あの程度の量で酔ったのか?ふん、所詮安舌の野猿には上等過ぎる酒を用意してしまったか」

「……ヒューベルト、今は放っておいてやりなさい」

「は?なんだ、どういう意味だ、ザイドリッツ」

 

うるさいな、男子。

 

 

 

 

 

 

人を構うのも好きで、人に構われるのも好きなのだろうとアルゴラはそう思っている。結局のところ、さみしがりなだけの男なのだ。

 

城の裏にある廃棄場へ向かうために外へ出たアルゴラは、隣を歩くジークフリードへ流し目で視線を向けて口元に笑みを形作る。

吹き抜ける夜風は涼しく、アルコールに当てられた身体には心地よかった。酒を飲まずに酔った男にはどうだろうか、「大丈夫か」と問えば「おう」と普段と変わらない声が返ってくる。

 

酒瓶を抱えたまま、黙りこくって二人は歩く。無言は苦にならなかった。言葉はなくとも心地よかった。なんとなく、相手もそうだろうと知っていた。

 

廃棄用の木箱の中に空になった酒瓶を入れていく。ガラスが物に当たる高い音が絶え間なく手元で鳴った。先ほどまでより揺れる鼓膜の中、ジークフリードの声が届く。

 

「死のない世界ってピンとくるか?」

 

聞き逃されてもいいとばかりに潜められた声に、視線を向けないまま隣にいる男へ意識が向ける。聞かなかったことにすることが優しさなのか、そうではないのか判別はつかなかったけれど、アルゴラは答えることを躊躇わなかった。

 

「いや、俺はザイドリッツ殿やヒューベルトと違ってあまり学がないからな、正直あまりよくわかってはいない」

「明日上手くいきゃあそうなるんだとよ」

「らしいな」

 

酒瓶を片付け終えて、真っ直ぐに立つ。城の明かりは殆どが落とされていて、風の音が耳障りなほど静かだ。夜目に慣れても世界は暗い。

来た道を並んで歩けば、会話を止める気のないジークフリードが再び口を開く。

 

「どうなるかわかんないのに、お前は戦うのか?」

「……そう言われたらそうなんだがな」

 

アルゴラは指先で頬を掻く。どこか不安がっているようなジークフリードの様子にむしろアルゴラは冷静になる感覚があった。不思議と故郷の弟や妹たちを思い出す。月の無い夜はみんなそういうものだ。どこか不安で、さみしくもなる。

 

「未来なんてどうなるのかわからないものだろう?怯えていてもどうにもならないしな。それに──」

「それに?」

 

言葉の続きを強請るジークフリードにアルゴラは少しだけ歩みを緩めて答えた。

 

「陛下は御心まではわからないが、あの御方がずっと俺たちのために怒ってくださっているということはみんな知ってるさ。……変な話かもしれんが、それが嬉しいんだよ」

 

アルゴラはできるだけ穏やかで、なんでもない声音を作ってそう言った。どんな言葉も想いも──例えそれが愛から生まれるものだとしても──長命な彼らを傷つけるものになる気がしたからだ。

 

その言葉を受け止めたジークフリードは、けれど何も答えなかった。アルゴラの隣を歩いたまま、じっと黙り込み、想像する。

 

今、隣にいるアルゴラを殺害する。頭を撃って声を上げさせる間もなくこの場で即死させる。その足で談話室へ戻り、最初にザイドリッツを殺す。彼は親衛隊でも精神的な支柱だ、彼の死を見れば若い二人の反応も一瞬鈍るだろう、その隙をついて殺す。室内では矢よりも刃がいい。剣をもってその首を落とす。死体を隠すように談話室の灯りを消して、寮のある棟へ向かい、鍵を切り落として各部屋の中へ入り、騎士たちを殺していく。霊圧を辿ってひとりひとり。ユーグラムは少し面倒だろうが、彼からは信用されているという自負がある。殺してきた死体を見られたところで、自分も死体を見つけたばかりなのだと困惑した演技をすれば、疑惑を無理やり塗り潰してでも信じてくれることだろう。間合いに入れれば殺害は難しくはない。そうやってこの(やしき)の人間をひとりひとり、大切に丁寧に皆殺しにする。いつかの夜更けのように。

 

そうすれば、兎たちのために死地に向かおうとするお前を護れるだろうか?

 

お前の悲願の果実を踏み潰し、愛しい箱庭を焼き払う時、お前の目に俺の姿はどう映るのだろうか。

血に塗れてお前の元へ帰ってきた俺を見るその目はどんな色をしているのだろうか。

或いは、蹂躙を始める俺をお前は止めようとするのだろうか。

 

わからないけれど、彼らを皆殺しにできた後の自分の顔ならば想像できる。

 

きっとすべてを終えた俺は、安堵の笑みを浮かべているに違いない。

死んでしまえば、ようやく彼らを心から愛せる気がした。だって死んでしまった彼らはもう死ぬことがない。彼らにもう傷つけられることはない。俺から離れていくことはない。離別の恐怖に怯える必要はない。美しい思い出だけを残して、とこしえに保存され続ける。

 

それは死のない世界によく似ている気がした。

 

ならばユーハバッハの語る『死のない世界』は俺を救ってくれるのだろうか。

 

重ねられる仮定と自問に答えが返ることはない。

誰よりもジークフリード自身が答えを拒絶していた。目を閉じ、耳を塞いで、蹲るように。抱いた違和感も、拒否感も、不安も、全部凍らせて深く深くへ沈める。

そうやって考えることを拒絶して、ジークフリードはアルゴラへ向けて笑みを形作った。

 

「……ならよかった、きっとあいつが聞いたら喜ぶよ」

 

笑った顔は細い月が生み出す明かりでは見えなかった。吐き出された声色は普段と変わらないものだったけれど、なんとなくアルゴラには引っかかるものがあり、気にしないこともできたのかもしれやいが、アルゴラという男はそれができない質の人間だった。

 

「……なあ、ジークフリード」

「ああ、なんだ」

「今度、お前にも陛下と同じものを作っていいか?テディベアの話なんだが」

「……そんなこともあったな……」

 

懐かしげに笑って吐き出された吐息にアルゴラも笑う。

戯れに作ったぬいぐるみのために、城内を走り回り、ザイドリッツには叱られ、拙い玩具を陛下へ贈る羽目になったことを思い返す。バカげた騒動だったし、そんなものに陛下まで巻き込ませてしまったことを思うと、今でも自ら望んで七転八倒したい気分になる。

 

「あれも元はお前にくれてやるつもりだったんだがな、お前のせいで陛下にお渡しすることになってしまった」

「よかったじゃねえか、俺に感謝しとけよ」

「まあ、悪いことじゃないのは否定しないが……兎角、改めてお前にも贈らせてくれ。恐らく、季節が変わるまでには作れると思うしな」

「……そりゃあ、なんでまた」

 

問いかける声が迷子の子どものように聞こえたのは、アルゴラがそう思い込んでいるだけなのかもしれないけれど。

 

「近頃はいろいろ忙しかったろ?戦後処理もあるだろうが、きっと季節が変わる頃には落ち着くさ。お前が安眠できるように用意しておく」

「…………それまでは寝ずに馬車馬みたいに働けってか」

「まあ、そういうことだな」

 

笑い声が重なった。

結局アルゴラは死ぬことなく城内へ戻った。きっと自分に死ぬ可能性があったなんて思いもしていないことだろうし、その僅かな可能性の存在を知ることもない。

明日には忘れてしまうほど下らない話をしながら二人は談話室に戻る。

 

ジークフリードは談話室の中には入らずに、入口の外から「おやすみ」と声をかける。そうすれば明るい部屋の中にいる四人からそれぞれ返事が返ってきた。笑って手を振って、暗い廊下の中を私室へ向かって歩いていく。

 

結局誰も殺さなかった。部屋の灯りを消すのも彼らに任せた。

眠気に襲われてしまって、仕方なかったのだと頭の中で呟く。

 

今はただ、人を殺した感触だけが掌の中に残っている。

多分、消えることはないのだと思う。この先も、ずっと。

 

 

 

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