「27分39秒です」
「どう思うよ」
「……予想より些か時間がかかったかと」
「ああ、俺もそう思うね」
見慣れぬ東方の造り、異国の景色が広がる瀞霊廷の中で耳障りな警鐘が鳴り響く。
異音の中、ジークフリードは前方の騎士たちへ「上がれ上がれ!」と声を張り上げて命じた。そんな彼の眉間に強く寄った皺を、隣でハッシュヴァルトは言葉もなく見つめていた。
光の帝国による尸魂界侵攻が開始されてから瀞霊廷の警鐘が鳴り出すまでにかかった時間が、ハッシュヴァルトが口にした時間だった。
存外、見逃されたものだなというのが隣合せに並んだ二人の感想だ。とうに目に見える一帯に形を残している物は無く、蒼い炎が崩れた瓦礫や官位を持たない死神たちの死骸を抱えて膨らんでいく。
これまでは隠密の意味もあって人数を絞っての偵察程度に留めていた飛行小隊が、ジークフリードの号令によって大規模な作戦行動のため上空へ飛び立っていく。それを見送りながらハッシュヴァルトは口を開いた。
「我々の作戦行動の成功……と呼ぶにも早いとは思いますが」
「流石にな。そりゃあ先手を打っての不意打ちだ。現時点で優位を取れてないなら、尻尾丸めておうちに帰ったほうがいい」
戦場の中にしては悠長に話をする二人は、光の帝国は星十字騎士団によって作り上げられた長く巨大な戦線の中、最も後方に位置する部隊にいた。
すでに蹂躙しきり、応戦した死神たちにも放棄された区域である、多少は悠長にもなるだろう……というのはジークフリードの感覚であって、真面目なハッシュヴァルトの背筋はピンと張られたままだ。
「……ジークフリード様」
「ん、どうした」
「私はここにいていいのでしょうか?」
どこか不安や迷いの滲む声に、ジークフリードは幾度か瞬きをしてから気の抜けた声で返す。
「どうした、思春期か?それかどっかでハブられでもしたか?」
「…………ジークフリード様」
「あっはっはっは!冗談だって!」
気の抜けた笑い声を出すハッシュヴァルトは呆れたような顔をした。わけのわからないジョークでこちらの緊張はやや解れたが、恐らく当人にその意図はない。
「まぁたヒューベルトか?なんかされたら俺に言えよ、叱っとくから」と言うが、基本的にジークフリードからヒューベルトへの説教に効果は無いだろう。ヒューベルトだけでなく、親衛隊に関してはそうだ。帝国の最古参であり上官でもありながら、彼は基本的に部下たちからは若干舐められている。
ハッシュヴァルトは小さく溜息をついてから答えた。
「配置の話です、ジークフリード様。仮にも騎士団長である私が後方部隊で良いのか、と」
「いんじゃね?」
肯定は速く、そして軽かった。
基本的にハッシュヴァルトはジークフリードのことを恩人であり、尊敬する人物だと思っているが、こういうところが部下から舐められる原因なんだろうなとは思った。多分本人はちゃんとした考えがあっての発言なのだろうが、妙に適当に、そして気安く聞こえるのだ。
「そう、ですか……」
「そ、お前はもう指揮官なの。全体の状況の把握と判断が仕事で、剣振り回すのは部下に任せりゃいいんだよ。そんな立場の奴を最前線に送るわけにはいかない。そうだろ、団長殿?」
「ジークフリード様……」
「おう」
「今、陛下がおられるのは……」
「……まあ、最前線ですけども」
口よりも物言いたげな目線がジークフリードを貫いた。そんな目をされても……と思いながら肩をすくめる。
「まあ、あれだ、此度の戦いにおいてあいつのことは司令官だと思うな。ソナー兼我が帝国最強の巨大兵器だ。適当に暴れ回らせておけばあとが楽だぞ」
役割としてはあながち間違えではないのだが物言いがあまりにも不敬だ。それ故にハッシュヴァルトはなんとも言えない顔をする。この戦争の目的は死神の殲滅ではないが、目的のためなら適度な制圧は必要だ。ユーハバッハにその加減ができるのかについては、ハッシュヴァルトも答えを持たない。
「ま、傍に
国家元首を犬か家畜かのように言うジークフリードに、できれば大きな声で喋らないで欲しい……とハッシュヴァルトは思った。
彼らの背後では後方支援部隊の騎士たちが忙しそうに働いている。親衛隊のように関わりが深いわけではない騎士から見たユーハバッハは、遠い存在だからこそ感じる神秘や威光を纏っている。ジークフリードにとっては長年の悪友だろうが、彼らにとっては天を拝するような存在だ。彼らのささやかな夢を壊したくはない。実情はともかく。
「……ところで、ジークフリード様」
肯定も否定もせずにハッシュヴァルトが話を変えようとした瞬間、彼は唇を閉じて抜刀した。
抜身の刀と刀がぶつかる音。
それまで瓦礫の影に隠れていた死神の男が一直線に飛びかかってきたのを、ハッシュヴァルトはさしたる驚きもなく受け止める。
そしてそれ以上剣戟の音が鳴ることはなく、静かに返す刃で容易く斬り捨てた。両断された胴が瀞霊廷の新しい血の河となっていく。
「く、『君臨者よ!血肉の仮』めぇ゙──」
背後から引き攣る声。ハッシュヴァルトの死角で紡がれていた蒼火墜の詠唱が最後まで辿り着くことはなかった。
振り返ればもうひとりの襲撃者が額に矢を受けてその場に崩れ落ちるところだった。ふと傍に立つジークフリードへ視線を向ければ、彼は駆け寄ってきた騎士たちへ「手が空いてる奴らで片しといてくれ」と死体を示していた。それからハッシュヴァルトへ笑みを向けて、揶揄うように口笛を吹く。
「今、狙われてたのはお前だったな、ユーグラム。いいねえ、敵さんから見てもこっちの司令官はお前だというわけだ」
「……力量の差もわからぬ者にどう思われようと嬉しくはありません」
「まーたお前の悪いところが出てるな?皮肉じゃねえよ。貫禄がついてきたって褒めてるんだ」
「わかっております。ただ本心から嬉しくないだけです」
ハッシュヴァルトが素っ気なくそう返せば、それがどこか拗ねたように見えたジークフリードは機嫌良さそうに声を上げて笑った。それから自らが殺した男の死体が引き摺られていくのを眺めながら「わかるよ」と気安く呟いた。
「術式の詠唱ってむずいよな。長えし、噛むし、忘れるし。戦闘中に悠長にやってらんねえよ」
「そういえばジークフリード様が術式を起動しているところは見たことがありませんね」
「得意じゃないからな。ちゃんと詠唱すりゃあ聖域礼賛くらいイケると思うけど、多分」
「神の光による鉄槌……ジークフリード様は信心深いお方ですから、より堅牢なことでしょうね」
「…………」
ハッシュヴァルトはなんでもないようにそう口にした。実際なんでもないことだと思っていたから。
公言してはいないようだが、ジークフリードが神の教えを学んできた信徒であるらしいことは彼に近しい者ならみな知っていることだ。彼が日頃語る言葉の中、例え話や慣用句には時折教えの中の言葉が使われている。
掛けれた言葉に珍しく黙り込んだ彼へ、ハッシュヴァルトはふと視線を向ける。ジークフリードは胸元の襟を右手で軽く握り締めていたかと思うとゆっくりとその手を離して自身のポケットへ入れた。そして少し崩れた笑みを浮かべた。
「……そんなことより、お前、死神が来る前になにか言いかけてなかったか?」
話題をずらされたことを、ハッシュヴァルトは指摘しなかった。静かに頷いて、問いかけに答えるだけ。
「ええ、私が騎士団長となった時にはすでに光の帝国は平定されていました。それ故に大規模作戦行動の経験が殆どありません」
「まあ、確かにそうか。お前にとっては今回が火の洗礼になるな」
「はい。ヒューベルト副団長が前線に立ち、団長である私が後方に置かれたのもそれが理由の一つだろうと理解しております。もちろん異議もありません。ですが、騎士として不足があるのならば埋めなくてはなりません。私は陛下の側近でもあるのですから」
「なるほどな、その心意気や良し。偉いぞ〜ユーグラム」
「ご指導願えますか」
実のところ、ジークフリードは別にハッシュヴァルトの上官ではない。ハッシュヴァルトは星十字騎士団の団長であり、ジークフリードは親衛隊の隊長だ。二人はそれぞれ別の皇帝直下の組織の長であり、彼らの上官に当たる位置にいる者があるとすればそれは皇帝のみ。
ジークフリードはハッシュヴァルトへの命令権を持っておらず、ハッシュヴァルトもまたジークフリードの言うことを聞く必要など無い。
つまるところ、公的なものでなく、騎士としての先達として助言を求められているのだろうとジークフリードは検討をつけた。そしてさして考える間もなく答える。
「ふむ、そうだな……もし今回の配置を理由に部下にナメられたらきっちりシメておけよ。部下は上官に絶対服従。上下関係は徹底的にわからせておいたほうがいい。私闘ではなく指導ということで目を瞑ってやる」
「……いえ、そういうのではなく。というより、上下関係についてはあまりジークフリード様は参考にならないかと」
「なんでェ!?」
……なんでと言われても。ハッシュヴァルトは日頃の親衛隊の関係性を脳裏に浮かべた。
ザイドリッツに叱られて木に吊るされているジークフリード、飲み会で場酔いしてアルゴラに担がれて帰ってくるジークフリード、ニキータにタメ口を使われているジークフリード、私生活ではヒューベルトにガン無視されているジークフリード…………参考にはならなそうだ。
そもそも自分が部下と、ジークフリードと親衛隊たちのような気安い信頼関係が築けるとは思えないという意味も籠もっているが。
ハッシュヴァルトに首を横に振られたジークフリードは、しょぼくれたように軽く息をついてから空に向かって右手を伸ばした。彼の指の先には帰還する偵察兵の姿がある。
「じゃあ真面目な話だ。現状、我々はここから偵察兵を出し、定刻ごとに戻らせ前線の状況を共有させている」
「はい」
「これが時間が進むにつれて定刻通りにはならなくなってくる。更に進むと兵の負傷が見えてきて、戦況が悪化するとそもそも戻ってこなくなる」
ジークフリードは掌をぐしゃりと潰して拳を握る。それから彼よりいくらか背の高いハッシュヴァルトへ向けて視線を上げると真面目な顔で唇を開いた。
「前線の情報がここまで来るのにラグがあるのはわかるな。偵察から得た情報をもとにここで判断した時にはすでに前線の状況は変化している。増援を送るにしろ、撤退するにしろ、判断は常に数手先を見据えるようにしろ」
「……撤退、ですか?」
ハッシュヴァルトが敢えて指摘すると、ジークフリードが右の口角を上げてみせた。
「我らが帝国には致命的な欠陥がひとつある」
「……と言いますと?」
「負け戦をしたことがない」
その言葉にハッシュヴァルトは微かに小首を傾げた。
「……それは良いことではありませんか?陛下の光の帝国は強き国である、と」
「長所でもあるということは否定しない。ただ、戦況が悪化した時の経験がないという欠陥でもあるだろう」
そもそも、光の帝国がこれまでの戦争において事を優位に進め、勝利を重ねてこられたのには皇帝たるユーハバッハの未来視があったことは否定できない。その目が忌々しい死神によって閉ざされた今、過去のような先手を取った動きや判断は期待できないだろう。
ジークフリードの不安の一端はそれであり、そしてその忌々しい死神の存在でもあった。
果たしてあの死神がまた現れた時に、ユーハバッハはともかく自分にアレを倒し切れるのか?
もしくは、あの死神ほどに強い力を持った死神が他にも大勢いるとしたら?
不安性は生まれつき根っからのもの。親衛隊はおろか、ジークフリードさえ時間稼ぎにもならなかったら、と悪い想像ばかりを繰り返してしまうのだ。
そして大きな決断が必要になった時、前線に立つユーハバッハは戦闘の最中にあるだろう、全体の指揮など取れるはずもない。
そうなった時の判断はハッシュヴァルトに託される。後方ゆえに生存の可能性が高く、指揮権を持つだけの階級がある。なまじ勝ち戦に慣れて引くタイミングの判断ができない古参よりかは、冷静な彼のほうが撤退の判断はしやすいはずだ。
「……ジークフリード様はこの戦争で我々が敗北するとお考えなのですか」
ハッシュヴァルトは万が一にでも周囲に聞こえぬよう、声を潜めて問うた。そこに非難の色はない。ただ真意を知りたがるその問いかけにジークフリードは苦笑しながら肩をすくめる。
「そう極端に考えるな。この世に絶対は無いという話だ。可能性と選択肢は幅広くもっておいて損はない。どうも俺達は頭が固いからな、若いお前は柔軟であれよ」
「……はっ、心掛けます」
「真面目だな〜、もちろんお前の良いところだが」
茶化すように笑って、ジークフリードはハッシュヴァルトの肩を叩く。彼のそのいつも通りの姿に、まだ若い青年はほんの少しだけ笑みを零した。
ジークフリードは白帽の位置を軽く直すと、騎士の顔をしてハッシュヴァルトへ告げた。
「定刻だ、私はすでに戦闘に入っているデスロック隊およびララウ隊と合流の後、規定ルートを制圧し、陛下の支援へ向かう。瀞霊廷制圧後の陛下からの指示は追って伝える」
「承知いたしました」
「ああ、後は任せた」
無意識に吐きかけた溜息をジークフリードは喉に留めた。いくらか進んでから、ふと立ち止まる。
泣いていないだろうか、とふと不安に思った。
後ろ髪引かれる感覚に振り返れば、ハッシュヴァルトが変わらずこちらを見つめている。泣いているかもしれない、なんて馬鹿な話だ。もう出会った頃のような子供ではないのに。温度のない風に、彼の長く伸びた金色の髪が揺れる。
「……ジークフリード様」
──────。
相変わらずの仰々しい呼び方。いつだって呼ばれるこっちが恥ずかしい。向けられる信頼もむず痒がった。お前にそう思ってもらえるような人ではないんだよ、と教えてやりたかった。言わなかったのは、泣かせて悪かったとずっと思っているからだ。
───……リード。
唇が動く。風が強くなる。何も聞こえない。吹き荒ぶ風の音に遮られてあの子の声は何も届かなかった。君は誰なんだ。どうしてそんな目で俺を見ているんだ。きっと何もしてやれないのに。
────ジークフリード。
子供に名前を呼ばれて、目を開いた。
「もう冬眠を始めるのか、ジークフリード」
平坦さの中に揶揄いの色が混ざった声が上から届いた。
さらさらと吹き抜ける心地良い風に木々の葉が揺れ、仰向けに横たわる俺の身体の上で木漏れ日が揺らいだ。
二、三度、瞬きをした。何をしていたんだったか、そう考えた時、揺らいだ葉の隙間から覗いた太陽に目を焼かれて思わず瞼を閉じる。瞼の裏に残る強い光。少し耐えてから、もう一度目を開く。
気がつけば俺は居候先の屋敷の庭、木陰の下で寝転がっていた。青々とした芝生に手をついて上半身だけ起き上がらせる。
そうして先程の声の主を探せば、それは容易く傍の木の上に見つけられた。
2メートルほどの高さはあるだろうか、子供一人の体重を支えるのに充分過ぎるような太さの枝の上、品の良い白いシャツと膝の出た黒い短パンを纏った少年がこちらを見下ろしていた。小さな足を守るように包む革の靴はメトロノームのようにふらふらと揺れている。
それが三度行き来するのを眺めてから、俺はその子の名前を呼んだ。
「…………ユー、レイン?」
「ああ、他に誰に見える?」
……そりゃあそうだ、この子供の他にいるはずがない。
それなのに、どうしてか俺の脳裏には柔らかく波打つ金色の髪をした少年の姿が浮かんだ。ちょうどユーレインと同じくらいの髪の長さで、けれど浮かべる表情はちっとも似ていない。
どこか飄々としたところのあるユーレインとは違って、その子はいつも不安そうで今にも泣きそうな顔をしていた。その理由まではわからないけれど。
「ジークフリード?」
「ん……ああ、なに、どうかしたか?」
「それはこちらの台詞だ。まだ寝惚けているのか」
「……そう、かもな」
くああ、と大口を開けて欠伸をする。目の淵に溜まる涙を手の甲で乱雑に拭った。
「夢でも見ていたか」
「ああ。なんか、全然思い出せねえけど」
何かを見ていたという朧気な感覚だけがまだ傍にあった。覚えていようとしても覚えていられない、虚ろな感覚。意識が覚醒するにつれてその気配は遠ざかっていく。かすかに残る懐かしさがどうしてか名残惜しく思えるけれど。
ユーレインは俺を見下ろしたまま、僅かにつまらなそうな顔をした。少しだけ申し訳ないと思う。遊びに外へ連れ出しておきながら相手を放って寝こけるなんて。そりゃあ退屈だったろう。
「寝ちまって悪かった、一人でつまんなかったろ」
「構わん、元よりこの屋敷には娯楽が無い。眠るお前の百面相を眺めることが楽しみになる程度にはな」
「……俺、変な寝顔してなかったよな?」
咄嗟に口元を触って、涎を垂らしてなかったかを確認する。……よし、そこまでの恥は晒していなかった。
「……夢の内容は忘れたか」
ユーレインの言葉に、視線を上げる。重なる深緑に陰るその顔からは感情が読めなかった。その言葉にどういう意図があるのか、も。
ただ黙って頷けば、ようやく少年が僅かに口元を綻ばせる。
「そうか、ああ、それでいい。夢など必定、忘却の果てで砂に還るもの。お前が覚えておくに値せぬ事象だ」
そう、かな。そう、かもしれない。
だって、覚えておきたくても忘れてしまうものだし。けれどまだ瞼の裏に誰かの姿が残っている気がした。それさえ忘れてしまうのだろうか。……それは、少し寂しい気もするが。
そんなことを思っていた時、不意にユーレインが木の枝から地上へ飛び降りた。ぽんとまるでなんでもないように身を空中に投げ出していく。
その姿に、咄嗟に「バカッ!」と声を上げる。慌てて立ち上がった時にはすでにユーレインは危なげもなく地に足をつけていたが。
「飛び降りんなバカ!怪我したらどうする!」
「この程度で、か?」
「ガキはバカだからわかんねえかもしれねえけど!この程度でも危ねえの!」
そう高い木ではないが、それでも子供の身長の倍ほどはある高さからだったし、降り立つ先には木の根が数多に張っている。危なっかしいにもほどがある。
駆け寄り、思わず肩を掴んで叱りつければ、ユーレインはこちらを見上げたまま微かに目を大きく開いて、驚いたように何度かパチパチと瞬きをする。
その反応にギクリとした。しまった、子供相手に強く言い過ぎた。……泣いたりしないよな?
咄嗟にユーレインへ視線を合わせるように膝を曲げて、「ち、違っ、あの、強く言い過ぎたな、今」と宥めるような声を出した。
「俺もちょっとびっくりしてつい声が出ちまったけど、その、ビビらせるつもりはなかった。今のは俺が悪い、悪かった。でもお前も気をつけないと本当に怪我をするかもしんねえから、な?変な着地して骨とか折ったら痛えし。頭の良いお前ならわかるだろ?」
「ジークフリード」
「なっ、なに?」
「別に私はお前に怒鳴られた程度で怯えなどしないが?」
何を慌てているんだお前は、とばかりに冷めた目で見られて硬直する。いや、まあ、確かにお前がしょぼくれる様など想像もつかないが。
「……マジ?泣いてない?泣くの我慢してね?」
「私が泣くより、お前を泣かせるほうが早いが」
「それは無いだろ。俺だって流石にお前みたいな年下には泣かされねっておわあ!バカ!人の目に指入れようとすんな!!物理的に泣かそうとするな!」
仰け反って避けてから、やり返すようにユーレインの黒髪をぐしゃぐしゃに撫でる。嫌がるように首を振る子供に思わず喉から笑い声が上がった。あちらもまたやり返そうと一歩踏み出してくるのを見て、笑いながら木陰から日向へ向かって逃げ出した。
「あっはっは!その短え脚で俺に追いつけるもんなら追いついてみろ!」
「……言ったな」
追いかけてくるのを背中に感じながらケラケラと笑って駆ける。
あー、泣かさずに済んでよかった!
そう思った俺の背中のド真ん中にユーレインの飛び蹴りがぶち当たり、その勢いで俺が近くにあった池に顔面から飛び込む羽目になるのは、あと数秒後の話だ。