バッハ「私たちは友達だからだ」   作:ホネホネ

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Helter-skelter

 

ジークフリードはあれを「悪魔」と呼んでいた。

 

初めて見たのは幼い子供の頃のこと。

少し前に人が死んだ家で不幸が連鎖するかのように大規模な火災が起きた。

最早人の手ではどうしようもないほどに炎は天を目指して昇り、助けに来た人々さえ呆然とそれを見つめるほかなかった。

 

そんな中、幼い彼の目に映ったのは、燃え盛る家の中で巨大な体を窮屈そうに折り曲げて人を貪る白い化け物。

 

明確にそこに存在するその異様な存在について、周囲の者は誰一人として口にしなかった。

まるで見えていないみたいに。

まるでそこには何もいないみたいに。

 

ただ母の体にしがみついて震えていた。必死に現実を拒絶した。

何も見ていない。

何も見えていない。

何も起きていない。

立ち昇る業火の揺らめきが怯える幼い自分にはそう見えただけ。

 

──嗚呼、だから炎の轟音の中に紛れた助けを呼ぶ悲鳴だって、存在しなかったに違いないのだ。

 

 

 

 

胸元に開いた大きな孔、巨大な体躯、骸骨のような白い仮面、その奥からこちらを見つめる薄暗い色を放つ瞳。

 

開け放った窓の外、すぐそばにその化け物を見た瞬間、ジークフリードは恐怖に足を竦ませた。

強張り言うことを聞かなくなる体、無意識に震える手足。

どれだけ目を逸らそうと脳裏に焼き付いたいつかのあの景色は今も鮮明で、褪せることのない恐怖を彼へ与え続けていた。

仄暗い光を放つ瞳とぴたりと目が合った瞬間、ジークフリードの喉からひゅっとか細い息がこぼれる。

 

死ぬ、と思った。

喰い殺される、と思った。

いつか見た、あの業火の中みたいに。

 

ジークフリードはこれまで遠目でその姿を見ることはあっても、ここまで間近に接近され、強い霊圧を向けられたことはなかった。

明確な死の予感に真っ白になりかける頭の中で、不意にジークフリードにひとつの思考がよぎる。

 

──もしも今、自分がここで殺されたのなら、次に死ぬのは誰?

 

背後のベッドに腰をかけたままだろうユーハバッハへ意識が向く。

あれは他人には見えないもの。おそらく彼にはここで何が起こっているのか、ここに何がいるのかさえ見えていないだろう。

ジークフリードの頭の中、炎の中で悲鳴を上げながら食い殺されていた人の姿が、ユーハバッハの姿に置き換わる。

 

血塗れになって、尊厳も無く食い殺されていく幼い体が、苦痛に塗れた悲鳴が、助けを求めるうつろな瞳が、だらりと垂れた腕が、骨が砕ける音が、落ちる首が。

 

その瞬間、真っ白になりかけていた思考が真っ赤に塗り潰される。恐怖ではなく、怒りに。

 

「ンの、野郎ッ!」

考えるよりも先に体は勝手に動いていた。

ジークフリードは拳をきつく握りしめると、躊躇いなく白い化け物を殴りつける。

それは所詮ささやかな抵抗に過ぎなかったけれど。

 

それでも一瞬の隙を生む程度には意味があった。

化け物は唐突な抵抗に「グゲ」と小さく声を上げて怯む。

 

「ユーフェン!」

その隙を見てジークフリードは背後を振り返った。あの程度で倒せているとは彼自身思っていない。

それでも背後の子供を抱きかかえてここから逃げることくらいは、と駆け出そうとする。

 

振り返ったジークフリードの目に映ったのは、ベッドに腰掛けたままのユーハバッハの姿。

微かに目を細め、口元に薄く浮かべたその笑みは侮蔑によく似ている。

そしてその瞳はジークフリードではなく、そのさらに背後へ向けられていた。

 

「昨日から外ばかり気にしているかと思えば──」

 

ゆっくりと立ち上がったユーハバッハの小さな手に光が収束する。

それは空気中に存在している霊子。通常であれば不可視の物質を自在に操るユーハバッハの手に、白銀に輝く弓と矢が収まる。まるで、そこにあることこそが当然とばかりに。

 

「なっ……!?」

最下級大虚(ギリアン)ならまだしも、この程度の虚で燥ぐな」

 

それは一瞬のことだった。

番えた弓から射出された光の矢は鋭く、化け物──虚の硬い頭蓋の中心を容易く穿つ。

 

自身の真横を通り過ぎた矢を目で追うように窓辺へ視線を向けたジークフリードは、あの恐ろしいはずの化け物に白銀の矢が突き刺さっている様を見た。そこから罅割れ、崩壊していく体。それが身悶え、悍ましい悲鳴を上げながら地へ落下していく様を見た。

 

驚いて窓辺へ駆け寄り身を乗り出せば、化け物はボロボロと体を崩壊させながら落下していく。

そして地に堕ちる前に完全に崩れ切って消えた。

 

それを息を飲んで見つめていたジークフリードは、窓枠に手を置いたままゆっくりと背後を振り返る。

 

果たして、ユーハバッハはそこにいた。

番えた弓はすでにその手には無く、驚いているジークフリードの顔を愉しそうに見つめながら、そこに。

 

その視線を受けながら、ユーハバッハは喉奥を鳴らして笑う。

己の持つ力も知らず、無力で丸腰のまま、それでも守るべきものを守ろうと立ち向かうジークフリードの姿は側から見れば滑稽だったのかもしれない。

それでもユーハバッハだけは首を横に振るだろう。

その魂の輝きが自分に捧げられる様の美しさを識ってしまったから。

混乱に揺らぐ瞳を見つめながら、ユーハバッハは唇を開く。

 

「ジーク、なにか言いたそうだな?」

「なっ、なにか、って……え?あ、え?今、お前、見えて、ってか、倒し、えっ?は?」

「見えているし、滅却させた。それがどうかしたのか」

「どう、って……」

 

困惑の渦中にあるジークフリードはあらゆる情報が足りていない状態だった。それでも目の前の現実を必死に理解をしようと懸命に努める。

その様がユーハバッハには面白くて仕方なかった。

 

「ユーフェン……お前は、何者なんだ……?」

「何者、か。それは肉体の話か?魂の話か?それとも、能力の話か?」

 

ジークフリードは迷子になった子供のように瞳を揺らがせる。それを見つめながら、ユーハバッハは敢えて焦らすかのように言葉を紡ぐ。

 

「知っているだろう、我が名はユーハバッハ」

 

彼が知りたいこと、尋ねたいことなど手に取るようにわかりながらも、敢えて混乱させるように、そしてどこまでも誠実に彼は告げた。

 

「──滅却師(クインシー)だ」

「クイン……なんて?」

 

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