慈悲を妄念の泥にて侵し、罪の報ひを乞ふがごとく
その名を借りて己を責む、何たる欺瞞の深きこと
嗚呼、汝が骸を焼く夢を見ぬ
New Face, Face to Face
「オレはリルトットだ」
「リルトットちゃん」
「ボクはジゼル・ジュエル」
「ジゼル、ちゃん?」
「んでー、こっちのツンツンしたのがキャンディ!」
「……キャンディちゃん」
「こっちのでけえのがミニー」
「……ミニーちゃん」
「それでそれでぇ!こっちがバンビちゃん!カワイーでしょ!」
「…………バンビチャンちゃん」
「なんだよ、変なツラしやがって」
「いや、なんか、後半の三人、やけに顔色悪くねえか?」
「は?女の顔にケチつける気か?」
「あっ、や、違いますすみません……」
リルトットと名乗った金髪の少女に言われるがまま、瓦礫と死体の転がる尸魂界をジークフリードは駆けていた。
ジークフリードを中央にして右側にリルトット、左側にジゼルが並走する。
そんな彼らの背後を無言のまま着いてくるのがキャンディ、ミニー、バンビと呼ばれた3人の少女たちだった。
背後を取られているという警戒もあって、ジークフリードは胡乱げにちらりと背後を見やる。
(……つーか死体、だよな)
光の無い虚ろな目と、血流が止まったかのように浅黒い肌。そしてなにより呼吸をしていないその身体。
魂の所在はわからないし、意志もなさそうだが、少なくとも肉体は動いているらしい。
人の本質が魂にあるのか肉体にあるのかを考えてみたくなった……が、考えてもあまり楽しく気持ちにはなれなそうだと思ってやめる。
……妙に薄ら寒いが、未来の世界ではこういうこともあるのだろうとジークフリードは曖昧に納得した。
「しかし──」
そう鯉口を切ったのはリルトットだった。
「てめー何者だ?オレらはおろか、
「何者っつわれてもな……」
「ていうか、ボクも君のこと見たことないしな〜。妙に古臭い改造制服だけど……
「あー?ああ、まあ、そんな感じだよ」
千年前の戦争の生き残りです。さっきまで影の領域をやってました。……などと言って信じてもらえるとも思わないからと、ジークフリードは適当に話を合わせることにした。
その反応にリルトットとジゼルはさりげなく目配せをする。
彼女らもジークフリードの適当そうな返事を信じたわけではないのだろうが、数少ない地上の生き残りということもあってか、それ以上問うことはしなかった。それにいざとなれば2人と3体という数の利もあるというのも理由だろう。
そしてジークフリードもまた、リルトットたちのそんな様子を理解した上で彼女たちを殺さずに協力関係を組んでいる。
常時ならばユーハバッハに対して「ブチ殺す」などとのたまう謀反人を許すジークフリードではないが、今の彼の目的はユーハバッハの元へ参上することであり、そして理由はともかく彼女たちもユーハバッハの元へ向かうために尽力している。
目的は違うが、目標は同じ。
道程が同じ限りは歩調を合わせよう。
なにせ、
そして無事にユーハバッハの元に辿り着いたら3体の死骸ごと2人を殺そう。そう結論づけて満足気な顔をすれば、リルトットに煩わしそうに舌打ちをされる。
「ちっ、呑気なツラしやがって」
「いいだろ、警戒するようなこともねえんだし」
「ったく。にしても……」
「?」
唐突にリルトットにジロジロと不躾に顔面を見つめられる。
不機嫌そうな、そうでもないような視線に小首を傾げれば、少し間を置いてからリルトットは続けた。
「……てめー、バンビの奴に目ェつけられなくてよかったな」
「へ?」
「えー?バンビちゃんの趣味じゃなくなーい?」
「あいつの趣味なんか知るかよ」
「じゃあ、リルの趣味?へぇ、こういう系なんだぁ?」
「あ?適当言ってんじゃねえ。殺すぞ」
話題の中心にされている割に彼女たちの話している内容がわからずジークフリードは疎外感を覚えた。
たまたま近くにいたという理由で一軍女子に絡まれる陰キャの如し。
これまでの彼の人生にはいなかったタイプの女の子たちの振る舞いにジークフリードはどうしたらいいのかわからない。
自分のような老人相手にも話を合わせてくれたニキータって本当に優しかったんだなと彼はしみじみ思った。
「つーか、てめーは?」
「え?」
「名前だよ。オレらは名乗ったんだ。そっちも名乗りやがれ」
リルトットに問われて、そういえば言っていなかったなと思い出す。
「ああ、ジークフリード・ジンツァーだ。よろしくな」
「よろしくする気はねえぜ。会ったばっかの野郎なんか信用できるかよ」
「つれねえな、一緒にユーハバッハんとこ行く仲間だろ?仲良くしようぜ」
「……なにが仲間だ」
吐き捨てるようにリルトットは言った。ジークフリードに対しての怒りというよりはもっと別のものに対してのように見える。
理由はわからないが仲間という言葉は好きではないらしい。なんとなく横を向けば、なんとも言えない半笑いをするジゼルと目が合う。ジークフリードは微かに肩を竦めた。それから話題を変える。
「……まあ、それはさておきだな、霊王宮に上がる手段はあるのか?」
「ああ、ある。正確にはオレらじゃなくて死神に、だけどな」
「死神?」
「ゾンビの耳経由だけど、さっき隊長副隊長の緊急招集があったみたいなんだよねー。霊圧も一箇所に集まりだしたし」
「霊王宮なんて死神にとっても重要な場所だ。ましてユーハバッハが侵攻したってんだから、連中も追っかけたいに決まってるだろうしな」
「え!?じゃあなんだ、俺らは死神んとこ行くのかよ!?無理だろ!あんな殺伐戦闘狂殺し屋集団が滅却師の話なんか聞くかよ!キャンプファイヤーされる!背後からブチブチに刺される!」
「うるせーな」
滅却師と死神の千年前の戦争は現実としては千年もの時間が経っているが、ジークフリードにとってはつい数日前のような感覚だ。
可愛い部下や親友がキャンプファイヤーの薪にされ、自分も超怖い女死神に腕を飛ばされ心臓を貫かれた記憶が鮮明に残っている。嫌だ嫌だと少女たちへ喚いてみたが「ほかに手段はねえぞ」と言われては黙り込んで眉を下げるほかない。ユーハバッハの元へ行かないという選択もまた無いのだから。
溜息を着いてから、不安を感じるほど赤黒く染まった空を見上げれば、ガラスが割れたかのように空に穴が開いていることに気がつく。世界が壊れたかのようなその景色。それを見てふと胸に抱いた感覚にジークフリードは驚いた顔をして呟く。
「……ユーフェン、なのか」
世界に蓋をするように造られた黒い天井。その向こう側、霊圧さえ感じられないほど遠いというのにそれでも魂の片割れの存在を感じる。
その時、不意に割れた空の隙間からなにか黒いものが落ちていくのを見た。遠くから聞こえる喧騒と、悲鳴と、地響き。それからいくらかの間の後に感じる押し潰すかのような強大な霊圧。
「……あっちだな」
リルトットが確信したように呟く。ジークフリードは困惑しながらも走り出すリルトットとジゼルの後を追うように駆ける。
ユーハバッハに勝るとも劣らない霊圧の存在に、ジークフリードは微かに顔を歪める。そんな彼を見てジゼルは揶揄うように笑った。
「あーあ、下っ端のくせして
「ダーテン……」
「ここまでの霊圧となりゃ藍染惣右介だろうな。重罪人まで駆り出すたあ、死神もいよいよ追い詰められてるってわけだ」
「アイゼンソウスケ……」
最早ジークフリードは知らないワードをカタコトで繰り返すしかできなかった。本当に何も分からない。なんだよそれ、誰だよそいつ。
若い少女達から向けられるダセー、ツカエネーという視線に無力感を抱きながら、ジークフリードは昔ザイドリッツに褒めてもらったことを思い出して折れそうになる自己肯定感をなんとか支えていた。
とかく3人は死神たちの元を目指して走り続ける。
そして瓦礫を乗り越えた先、ようやく目的の場所まで辿り着いた。
瓦礫の山の上に立ったジークフリードは拓けた景色の先へ視線を向ける。
まず目に入ったのは、椅子に拘束された一人の死神の姿。
先ほどの強大な霊圧の主であり、さきほどの話を聞くに藍染とやらという死神なのだろうとジークフリードは察する。
そして彼の周囲には何人もの死神が立っていた。重罪人というのは事実なのだろう、死神同士にしては警戒の色の強い空気が満ちている。
死神たちはやってきたジークフリードたちに気がつくと、藍染への警戒を緩める様子もなくこちらへも警戒を向けてきた。
……けれど、警戒を向けていつでも抜刀できる体勢をしながら、誰一人として問答無用で斬り掛かってくるものがいない。
ジークフリードはその事実に肩透かしを受けたような心地になる。
……おかしくないか?こっちは滅却師だ、死神からしたら問答無用で殺す相手だろうに。
困惑しながらもジークフリードはリルトットへ小声で問いかけた。
「斬り掛かられもせずこんなに注目されると思ってなかったんだが、第一声ってなにがいいかな。こんにちは?」
「勝手にこんにちはしてろ」
「死神の皆さん!!こんにちは!!!」
「今のはリルが悪いよ、バカに伝わるよーに言わないから」
「なんでバカがバカなのをオレのせいにされなきゃなんねーんだ」
「挨拶返ってこなかった……」
突然現れた滅却師3人の気の抜けるようなやり取りに、死神たちは(何だこいつら……)と思った。男はともかく、リルトットとジゼルは何度か戦闘をしている相手だ。油断はできない……のだが、それにしては彼女たちにもまた構える様子がない。
困惑する死神たちを見下ろしていたジークフリードは、不意に椅子に拘束された死神と目が合う。
ピタリと重なった視線、藍染はジークフリードを見て何かに気が付いたように一度だけ目を開き、そしてなにか言葉を紡ごうと薄く唇を開いた。その時だった。
「!?」
藍染の身体を押さえつけるようにUの字の刻印が刻まれたのは。
「おっとォ!」
第三者となる男の声が響いた。
刻印は藍染の身体を這うように網目状に変化していく。
その様を見たリルトットは舌を打ち、ジゼルは呆れたように舌を出した。
「あんたの霊圧は十分観察させて貰った……。その黒いスーツのせいだか知らねえが、あんたの霊圧、穴だらけだぜ!」
威勢よく現れたのは星十字騎士団、Uの聖文字を持つナナナ・ナジャークープだった。
黒髪を逆立たせ、大きなグラスで顔の半分を覆った男は、聖別を受けた後だからかボロボロな姿ではあるが余裕そうに笑みを浮かべる。そして、強大な霊圧で霊王宮を落とそうとしていた藍染を身動きできないように押さえつけた。
「霊王宮を落とされちゃ困るんだ。しばらく黙って眺めてな」
「……霊王宮を落とされちゃ困るってのはボクらも同じ意見な訳だけど、もしかしてボクらに協力しに来てくれたのかな?」
「そんなワケねーだろ。陛下の居る霊王宮を落とされちゃ困るってハナシだ」
死神集団の中でも長なのだろう、黒装束の上に華やかな着物を纏った余裕と貫禄の両方を持つ男──京楽春水と問答を続けるナナナは、リルトットたち3人の滅却師を自分と同じ考えを持つ者であると疑っていない。
リルトットは無言のまま、人差し指を二度、チョイチョイと曲げてジークフリードにこっちに来いとジェスチャーする。
さりげなく彼女に近づいたジークフリードは腰を曲げてリルトットに耳を寄せる。そうすればリルトットは小声で言った。
「……おい、ジークフリード」
「ん」
「ナナナの野郎なんざ知らねえよ。オレらの意見は変わってねえ」
「……なるほどね、りょーかい」
つまり、あの元気いっぱい男とはここで決別というわけだ。ジークフリードは頷く。
視線を向けた彼の瞳に、対峙し合うナナナと京楽の姿が映る。
「……そんじゃ、戦うしかないってワケだ」
「戦えると思ってんのか?」
一触即発、ナナナが京楽と事を構えようとした、その瞬間だった。
瓦礫の上に立っていたナナナの姿が一瞬で掻き消えたのは。
そして次の瞬間、彼はいくらか離れた瓦礫の山に音を立てて頭から突っ込んでいた。
衝撃にガラガラと崩れる瓦礫と巻き上がる土煙。
先ほどまでのナナナがいた場所には、頭を蹴り抜いた体勢で残心を取るジークフリードの姿があった。
「わりぃな、お前に恨みはねえがレディたちからのお願いだからよ」
そう冗談じみたことを言ってジークフリードは微かに口角を上げる。
今の目の前で何が起こったのか瞬時に理解できた死神は少なかった。消えたナナナと、彼が消えた場所に立つジークフリードの姿。数拍の後に理解していく。藍染を押さえつけた滅却師を、この男が不意の一撃で吹き飛ばしたのだと。
驚いたのは死神たちだけではなかった。
どうにかしてこいと暗に伝えたリルトットでさえ、ジークフリードが一瞬でナナナを制圧するとは思ってはいなかった。
ナナナがジークフリードに意識を向けたあたりで、自分が不意を打つつもりであったのだから。
それなのに聖文字も無く、それどころか霊子兵装さえ装備していないただの聖兵が、陛下から力を与えられた聖章騎士を蹴りの一発で?
リルトットは目を見開く。
なんだあいつは。なんなんだあの男は。
「……っ、なんだてめえはァ!」
吹き飛ばされたナナナが瓦礫の中から脱出して立ち上がり、そう叫んだ。味方だと思っていた滅却師からの攻撃を受けたということもそうだが、自分が見知らぬ男にそうされたということが彼を混乱させる。
これがリルトットやジゼルならば同じ聖章騎士同士、ある程度実力は認めている。だが、彼を打ち倒したのは知らない男だ。滅却師らしい制服を纏っているが、見たことがない。ナナナは聖別によってダメージを受けているとは言えユーハバッハから力を与えられた騎士の一人。並の相手に不意を打たれるような者ではない。
ナナナは反射的にジークフリードを観察する。
死神たちにそうしたように相手を麻痺させるほどは不可能でも、一瞬その霊圧の隙をつければいい。そう思っていたナナナはあることに気が付いて息を呑む。
男の霊圧のあまりにも複雑で堅牢な様に、サングラス越しに目を見開いた。
「てめえ……その霊圧、まるで陛下の──」
次の瞬間、ナナナの目の前にジークフリードが立っていた。先ほどまで離れた瓦礫の山にいた男が、瞬きの間にもう目の前にいる。ナナナには移動どころか予備動作さえ見えなかった。冷や汗が背中を伝う。
ジークフリードは寝起きのように軽く首を回すと軽い口調で言った。
「ふーん、お前もナナナって言うんだ」
「……は?」
「俺も7にはちょっとした縁があんだよ。
「……んだそりゃあ。つかオレの名前は別に数字の7とは関係ねえ」
「あと、得意なんだよ」
「あ?」
「7の字固め」
「聞いたことねえよそんな関節技!普通4の字固めだろうが!お、おい、やめろ、それ以上俺に近づくな、くっ、くそっ、うおおあああぁあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁあ゛っ!」
どういう理屈かはわからないが身体の節々が7の字になるかのように容赦なくプロレス技を決めてくるジークフリードに、ナナナはそれはもう悲痛な悲鳴を上げた。少し前まで一触即発の空気だった死神たちさえ、アイツなんか可哀想……と思ってしまうような、そんな姿だった。
ミシミシ、ギシギシという肉体そのものが軋む音が続くにつれてナナナの悲鳴が呻きに変わり、そしてその果てに静寂が生まれた。
ナナナの意識を落としたジークフリードは彼を瓦礫の中に転がすと、視線は送らずにリルトットのほうへひらひらと手を振った。
それを完了の合図としてリルトットは死神たちへ向かって言葉を紡ぐ。
「霊王宮に行くんだろ。なら、手ぇ貸すぜ」
その言葉を背後に聞きながら、瓦礫の中に立っていたジークフリードはふと自分の足に違和感を覚えた。何かにスラックスの裾を引っ張られるような感覚。視線を足元へ向ける。
「……なんだ、お前」
「チィ、チィ」
そこにいたのは、黒く小さな生き物のようななにかだった。
赤子のように四つ足だが、人の子にしては身体は随分小さい。顔と思わしきところには大きな一つ目しかなく、軟そうなその身体のどこから声を上げているのかも不明瞭だ。
ジークフリードは知る由もないが、それは霊王の力の欠片。
霊王を取り込んだユーハバッハから溢れ、本能的な憎悪をもって死神に向かい、藍染によって潰されたもの。僅かに生き残った一匹が、馴染み深い霊圧を持つ者に縋り付いているだけのものだった。
ジークフリードはしゃがみ込むと、手を伸ばして脚に引っ付いてくる霊王の力の欠片を指の先でつつく。
柔らかい。小さい。弱々しい。
踏み潰せば容易く消えそうなそれ。警戒する気も失せたジークフリードが頭らしきところを撫でてやれば、瓦礫の隙間からさらに数匹がジークフリードの足元に寄ってくる。
怯えたように震え、助けを求めるように近寄ってくるそれらは足蹴にするにしては愛らしい姿をしすぎていた。少なくとも、ジークフリードの感性にとっては。
「……かわいー」
「チィ、チィ」
「これで耳とか生えてたら完璧だったな……」
「チィ?」
「湯がいて、皮剥いて、海老みてえにして食うか……」
「ヂィ!?」
「はははっ、冗談だよ」
最初に縋り付いてきた一匹の頭を摘んで持ち上げれば小刻みな震えが伝わる。ジークフリードの捕食発言に、というよりは彼の背後にいる死神に怯えているようだった。
ジークフリードは無抵抗に摘まれながらも、こちらに向かって手を伸ばしてくるその小さな生き物に口角を上げる。そしてそれを白い制服のポケットの中に突っ込んだ。
「仕方ねえ。大人しくしてんのなら匿ってやるよ」
「……チィ」
「ほかの奴らは……もうポケットにゃ入らねえな。影ん中にでも入れとくか」
「チィ」
「チィ」
「チィチィ」
「おー、好きに入れ入れ。……いやまあ、入ってていいけど、縫いぐるみと額縁に入った絵には触んなよ。大事なもんだからな」
「チィ、チィ」
「こいつら俺の話、理解してんのかな……」
ジークフリードの影の中へ次々と入っていく十匹ほどを眺めていれば、不意に背後からリルトットに呼ばれる。
「ジークフリード、なに遊んでんだ。早く来い」
「おう、話はまとまったか?」
「ああ、死神に協力して霊王宮に上がる。霊圧が必要なんだとよ、てめーも力を貸せ」
「おー」
立ち上がり、呼びかけるリルトットのほうへ足を進める。黒い集団の中ではリルトットとジゼルの白い制服は良くも悪くも目立っていた。二人の傍に近づき、並んで歩く。
「なあ、トゥーランドットちゃん」
「リルトットだ、殺すぞ」
「生きてる滅却師ってもう俺らくらいなのか?」
「少なくとも地上で動けるのはオレらくらいだろうな。あとはもうユーハバッハに選ばれて上に行ってる」
リルトットは、何もかもを奪われて死んだアキュトロンを思い出す。選ばれなかったと泣き喚いていたあの男を思い出す。知ったことか、と彼女は思う。
他人に自分の命運を決められてたまるか。生きるも死ぬも自分で決める。他人に振り回されるような弱者にはなりたくない。
ぐっと眉間に皺を寄せるリルトットに、ジークフリードは重ねて問いかける。
「霊王宮に、か。ユーハバッハに選ばれるなんてどんな奴らなんだろうな」
「ハッシュヴァルトはいるんじゃなーい?
「あとは親衛隊とかだろ」
「ユーグラムか、まあ、あいつは当然として…………あ?親衛隊?」
それまでは緊張感の無い緩い表情を浮かべていたジークフリードだったが、そのワードには眉を寄せて反応した。
ユーハバッハの親衛隊とは、彼にとっては特別な組織だ。
自分が愛おしく思い、大切にしてきたそれらはもう遠く、千年前の戦火の中で消えてしまったものだとわかっていても、なお。
「親衛隊はわかるでしょー、流石に」
「…………」
「わかんねえのかよ」
「ほら、やたら声デカいジェラルドとか、赤モヒカンのバズビーとかは見たことあるんじゃないのー?」
「…………バズビー?」
聞き覚えのある、そしてあまりにも場違いなタイミングで告げられた名前にジークフリードは思わず固まる。
一時停止した頭の中に浮かぶ顔。
そしてその男の本当の名前と、確執。
「……バザ、バズビー!?は!?え!?あいつ親衛隊なの!?おいおいおいおいダメだろあいつ入れたら!!そんなに人材不足か!?なに考えてんだあのバカはほんとによォ!!」
「なに?バズビー嫌いなの?」
「あいつに故郷でも燃やされたか?」
「いやそれはむしろ逆っつーかなんつーか……。いや、それはどうでもいい!どうでもよくねえがいったん置く!そんなことよりだな!」
「うるせえな、さっきから。なんだよ」
やかましく感情を乱高下させるジークフリードに、リルトットたちは冷めた目を向ける。その反応さえ気にすることなく、ジークフリードはどこか不安げな様子で彼女たちに問いかけた。
「…………し、親衛隊の隊長……って誰ですか?」
「知るかよ、大方リジェあたりだろ」
「誰よそいつ!!!」
「知らねえのかよ」
「んだよそいつ、超ムカつくんですけど……」
「なんで?」
「どの立場で物言ってんだお前」
きゃんきゃん喚き出したジークフリードに、リルトットとジゼルは戯れのように背中や肩を殴る。痛くもないそれにジークフリードがわざとらしく「痛え痛え」と反応してやれば二人は楽しげに小さな笑みを見せた。
「おーい、滅却師さんたちー」
身を寄せ合うように固まる3人へ手を振って声を掛けてきたのは、護廷十三隊の総隊長となった京楽だった。
気安くまるで隙だらけのような様子でやってきた彼は、それまでのやりとりのなかでこの3人の中で一番に話を通すべき相手はリルトットだと判断しているのだろう、リルトットへ視線を向けながらゆったりとした足取りでこちらへやってくる。
そしてそれにリルトットも気が付いたのだろう、声をかけてこちらへ向かってくる京楽へ一歩足を進める。双方が近づき合って、リルトットと京楽の間にあった距離が短くなっていく。
ジークフリードの視界の中で、綺麗な金色の髪をした滅却師の少女が、死神の刀の間合いに入っていく。
目に映るのはきらきら靡く髪、白い制服、小柄な女の子。不意にスローモーションみたいな感覚。
ただ、それを目にしたというだけこと。
現在の景色がいつかの記憶とぶつかってフラッシュバックしかける。
だから、それは本人にとっても無意識のことだった。
気が付くとジークフリードは、リルトットを護るように彼女と京楽の間に割って入っていた。
2人の間にするりと身体を半分滑り込ませて、リルトットを背に守るように腕を広げる。
もしも京楽が不意打ちで刀を振るったとしても、ジークフリードが肉壁となることで少なくとも一度はリルトットの身が守られたことだろう。誰がどう見ても、ジークフリードがリルトットを庇おうとした姿だった。
そうして刀の間合いのなかで京楽と真正面から視線を合わせたジークフリードは彼自身「……え?」と驚いたように呟く。
無意識だった。何も考えてなどいなかった。気がついたら身体が動いていた。そもそも目の前の死神に敵意がないことくらいわかっていたのに。
自ら動いておきながら自分の無意識の行動に動揺するジークフリード。
彼の揺らぐ瞳を見た京楽は一瞬だけ驚いて、それから目を細めて笑う。
手を組んだにも関わらず警戒をされたということに怒りは感じなかった。仲間を護ろうとする心に、敵も味方もないのだから。
彼は被っていた笠を軽く上げて、敢えて明るい声音で言った。
「ああ、今のは急に来たボクが悪かったね」
「え……?あ、いや、違う。すまない、貴方は何も悪くなど──」
「どけ、ジークフリード」
「ぐえっ」
ジークフリードの背後にいたリルトットは彼の脇腹を勢いよく突き飛ばして床に転がすと、遮るものなく京楽を見上げた。
「うちのバカが悪かったな。オレに用があるんだろ、聞くぜ」
ムッと眉間に皺を寄せた少女の姿に、京楽は再び笑顔を見せた。
さて、リルトットに突き飛ばされたジークフリードはといえば、受け身も取らずに床に転がったまま、ついさっき自分が無意識に取った行動にひどく動揺していた。
……なんで、あんなことをしたのか。
どうして誰かを思い出してしまったのか。
混乱したまま床に転がるジークフリードの上に、ジゼルは休憩とばかりに腰掛けた。街角の花壇の縁よりは座りやすかった。
ジゼルが無抵抗なジークフリードの上で軽く跳ねていれば、京楽との話を終えたリルトットが謎の玉を3つ抱えて戻っていた。
「ジジ、ジークフリード」
「何の話だったぁ?ってかなにそれ」
「この玉に霊圧を込めろってよ。……おい、ジークフリード、いつまで転がってんだ」
ジゼルに玉を渡しながら、リルトットはジークフリードの尻を蹴り飛ばす。そうすれば「ゔ……」と呻きながらも彼はよたよたと立ち上がった。そしてリルトットと向き合う。
「てめーも協力すんだろ、受け取れ」
「はい……」
京楽から受け取った玉をリルトットはジークフリードへ渡す。それを素直に受け取った。それから上手く合わせられなくなっている視線を何度か揺らがせながらもリルトットと目を合わせる。それから口を開く。
「あー……その、さっきは悪かった。お前が一人前の騎士だというのはわかっていたんだが、その、死神を前にしたらつい、無意識に動いちまって……」
どこかショックを受けたようにシュンとしている男を前にリルトットは溜息を吐く。無意識にでも護るべき弱い存在と思われたことには腹が立つが、過ぎたことだ。別にそこまで気にしていない。
むしろ今一番うっとおしいのは面白がるようなジゼルの視線のほうだ。
「……次はねえからな」
それで手を打ちにしてやれば、彼はまだ僅かに動揺を残しながらも頷く。そしてリルトットへ向けて気安くはにかんで彼は言った。
「ああ、ありがとな、ニキータ。次からは気をつける」
「…………」
その言葉に、向けられた笑みに、突然殴られたかのように不意を打たれたのはリルトットだった。
男は自分が呼び間違えをしたということに気がついていないらしい。ごく当たり前のように口に馴染んだ名前を呼んだ。それだけのこと。
思うことがないわけではなかったが、リルトットはもうそれ以上付き合ってやりたくもなかった。どうだっていいのだ、こんな出会ったばかりのろくに知りもしない男なんて。どんな過去があったって、誰を思い浮かべていたって、リルトットには少しも関係ない。……関係が、ない。
彼女は耐えるように一瞬息を止めてから、ゆっくり息を吐く。
そして、もういいとばかりに首を横に振った。それで話は終わり。……終わりにしたつもりなのだが。
ぬるりとリルトットの背後にジゼルが忍び寄った。
ニマニマとこれ以上なく楽しげに笑いながら。
「んん〜?あれぇ?リル、もしかして今けっこうショックだったぁ?」
「……うるせーな、ジジ、ちったあ黙ってろ」
「ねえねえ、リルぅ?今どんな気分?ねえねえ、どんなきぶあだだだだああっ!まってごめん!ごめんって!ギブ!ギブ、あああああっ!」
「う、腕ひしぎ十字固めはやめてやれよ。……あっ、星十字騎士団だから十字固め?いやでも女の子なんだし……」
「ごちゃごちゃうるせーな。じゃあてめーが代わりに受けんのか」
「代わって!ジークフリード代わって!」
「や、やだ……」
「京楽隊長ー!滅却師たちがふざけて遊んでまーす!」
「ちょっとぉ、その玉、大事なものなんだから壊さないでよ〜?」
「アッ、すいませーん!ほらお前らのせいで怒られた……」