死神たちと3人の滅却師の前に霊王宮と繋がる門が構築され出した時、それが出来上がっていく理屈をジークフリードは少しも理解できなかった。
最低限の説明は受けたが説明をしていた死神もあまり協力者たちの理解は求めていないようだった。ただ、結果として死神と滅却師は呉越同舟、門の前に立っていた。
誰も彼もが逸る気持ちを抑えるように緊張した面持ちをして門を見つめている。その姿を見渡して、ジークフリードは自分自身の場違さを感じていた。どこか白けていた、という表現が近しかっただろう。
何をそこまで緊張することがあるのだろうか。
そう思うのはジークフリードにとってユーハバッハという存在が恐れを抱くような存在ではないということもあるだろう。
そもそもジークフリードは友好的な感情を持ってユーハバッハの元へ向かっている。今もなお世界を相手に戦う友のために駆けつけているだけなのだから。
対して、彼以外はそうではない。
彼らにとってユーハバッハは敵であり、脅威であり、破壊者である。打ち倒すべき巨悪であり、恐れるべき禍である。
死神にとっても、滅却師にとっても。
……滅却師にとっても、か。
ジークフリードは内心で微かに肩を落とす。目を覚ました時に見た聖別の跡を前に何も思わなかったと言ったら嘘になってしまうのだけれど。
僅かな引っ掛かりから目を背けて、ジークフリードは周囲へ視線を走らせた。門を見つめる死神たちの面の群れ。
……此処でいくらか始末しておくべきか?
ここに集っているのはユーハバッハを殺すことを目的とした兵士たちである。それらがむざむざと皇帝の元へ向かうのを親衛隊隊長たる己が許してよいものかとジークフリードは考える。
不意打ちで殺せるのは片手の指程度の数だろう。確実に殺せるだろうと思えるのは傍にいる滅却師の少女たちと、ジークフリードの間合いの中にいる数人の死神たち。立ち姿を見ればある程度の実力は分かる。いくらか例外はあるが、羽織の無い者たちや機械と格闘している技術者たちは比較的やりやすそうだ。他に殺しやすいのは女だが、下手に殺すと残った者の士気が上がることがある、諸刃の剣だ。
とはいえ、数人殺せば必ず周囲は気が付く。ジークフリードが殺したということもすぐにバレるだろう、そうなれば一対多の戦闘になる。
そもそもここに集まっているのは隊長や副隊長といった実力者たちのようだし、彼らの手の内も知らずに戦闘を開始すれば、後は己の命を引き換えにして何人持っていけるかという計算になってくる。
ジークフリードはいくらか考えてから、欲が出た。
死ぬのは怖くないが、死ぬとしてもせめて親友の顔をひと目見てから死にたい。そう思った。
今、ここで一人で死ぬのは……ちょっと嫌だ。
そのために敵とわかっている者たちをむざむざユーハバッハの元へ向かわせるのは騎士として如何なものかとはわかっているのだが。
ま、どうせユーフェンも俺に会いたいだろ。
ジークフリードにその感覚はないが、なにせ千年も経っているらしいのだ。遊び相手がいなくなってさぞ退屈な日々を過ごしていたことだろう。
もしかしたらアイツ、オレの顔見たら泣いちゃうんじゃねえの?超見てえ。
「ねえ、リル、なんかジークフリードがニヤついてんだけど」
「キメェな」
しかし、ジークフリードは不意にこうも思った。
……でも、千年って結構長くねえか、と。
千年。千年だ。この千年でリルトットやジゼルのように、ジークフリードの知らない滅却師も数多く増えたことだろう。
……アイツに新しい友達とかできてたらどうしよう。
唐突にジークフリードの心はそんな不安に占められた。
彼がユーハバッハと共に過ごしたのは約200年間ほどだ。千年はその約5倍。もしもユーハバッハに新たな友ができ、その人物と丸々千年共に過ごしていたのなら。
「俺より5倍は仲良し……ってコト!?」
「なんか言い出した」
「キメェな」
「……なあ、二人に質問があるんだが、いいか?」
「ダメって言ったら?」
「くだらねえ質問だったら殺すからな」
「……君らがもし、仲良かった奴と疎遠になったとする。新しくできた友達と超仲良くなった後に、疎遠になった友達が近寄ってきたら、どうする?」
「べっつにぃ?普通に無視するけど」
「もう興味ねえ奴なんだろ?捨てる」
「…………あー、おわった」
友情というものに灰ほどの重みも感じていない女の子たちからのドライ過ぎる意見に、ジークフリードは空を見上げて遠い目をする。
彼の想像の中で、ユーハバッハは見知らぬ誰かと気安そうに話をしている。時々楽しげに笑みさえ浮かべて。
ユーハバッハは後からやってきたジークフリードに気がつくと彼に一度視線を向けてから……関心なさげにふっと目を逸らした。
「………………おぇ……」
「マジでなんで吐きそうになってんの?」
「キメェな」
「……俺ってもう、友達いないのかも……ッ!」
「かわいそーッ!ってか超ウケるんですけどキモッ!」
苦楽を共にした親衛隊たちも亡くし、(想像の中で)ユーハバッハからも友だと思われなくなった今、ジークフリードは孤独だった。
先ほどまでニヤニヤと笑っていたかと思えば、目元を潤ませ始めるジークフリードにジゼルは若干引きながら馬鹿にして笑う。
もちろんこれは単に彼の想像力が極端過ぎるというだけの話ではあるのだが。
しかし、千年の眠りから目覚めたばかりの彼を瓦礫の中で見つけたリルトットはジゼルとはやや異なる反応をした。彼女は思う。
これまでの言動や現在の様子を見るに、やはりジークフリードも聖別で友を失くしたのだろう、と。
これまでは混乱の中にあって考える暇もなかったのだろうが、一段落がついて手持ち無沙汰になった途端、陛下から見捨てられたことや友を亡くした事実が押し寄せてきて感情の出力が壊れたに違いない。
リルトットは彼女の持つ素っ気なさの中に僅かな同情心を抱いて、ジークフリードを見つめる。
そして彼女は彼の目の縁に溜まる水滴に舌を打つと、乱暴に彼の背中を掌で叩いた。
「ヴッ……」
「人の横でウジウジしてんじゃねえ」
「あっ、すいません……」
「……ジークフリード、てめーはなんでここに来たんだ。なんでここに立ってんだ」
意志の強い声に問われてジークフリードは「リルトット……」と名を呼びながら彼女を見つめ返した。彼女の真っ直ぐな瞳は揺らぐことも恐れることもなく、ただジークフリードを見上げている。
「てめーの意志でユーハバッハのところに行くって決めたんだろうが。とっくにくたばった奴のことでグチグチ悩んでんじゃねえ。一度腹括ったんなら最後までやることやりやがれ」
初志貫徹しろと発破をかけてくるリルトットに、ジークフリードは一瞬打たれたかのように怯み、それから段々と眦を下げて笑みを形作った。その顔にリルトットは呆れたように溜息をつく。
「……ったく、すぐヘラヘラしやがって」
「いや、ありがとう、リルトット。今の君の言葉は……結構俺に必要だったかもな」
世界や他人がどれだけ変わろうとも、此処にいる自分が変わらないのならば全ては不変だ。
心はどこまでも自由で、何者にも縛られない。
もうユーハバッハにとってジークフリード・ジンツァーに価値が無くなっていたとしても、ジークフリードにとってのユーハバッハの価値が無くなるわけではない。
世界がどれだけ変わろうとも、自分にとって大切なものはいつまでも大切なもののままでいいのだ。
だから会いに行こう。
千年の断絶を恐れることなく。
ほかでもない俺がお前に会いたいだけなのだから。
悩みは全て消えたとばかりに機嫌良く眉を下げて笑みを向けてくるジークフリードに、リルトットはどこか満足するような、それでいてなんだかちょっと腹立たしいような、そんな矛盾するようなそうでもないような感覚を抱いて鼻を鳴らす。ムカついたので尻を蹴った。
「痛ッ!?え?なんで?」
「うるせえ、バカがよ。……チッ、おい、何見てんだ死神共。見せもんじゃねーぞ、散れ」
向けられる死神たちからの好奇の視線にリルトットが威嚇するようにドスを効かせるが、それで怯むような連中は残念ながらいなかった。
「おーおー、なんかエエもん見せてもらったわ」
「ダメですよ、隊長。あんまりジロジロ見たら」
「あたし現世の漫画で読んだわ、こういうの」
「滅却師も熱いところあんじゃねーか……」
「リルぅ、よかったじゃ〜ん、好感度アップ的な……って、イタタタタァ!なんでボクにだけ技かけんの!」
戯れ合うリルトットとジゼルを見て、二人は仲の良い友達なんだなとジークフリードは微笑ましげに思った。
張り詰めるような緊張の中に響く少女たちの声で、幾ばくか穏やかな空気が流れる。けれどそれも長くは続かない。
「──!?」
突如、轟音を立てて瀞霊廷に転がっていた数多の瓦礫や建物が宙に浮かび始めたのだ。
元から破壊されていた瓦礫の山だけではなく、今この瞬間まで地面に建っていた建物までも根こそぎ千切れ、壊れながら空に向かって昇っていく。それはまるで街そのものを地表から引き剥がしていくかのように。
「な、何だ!何なんだこれは……!?」
「何故こんな事が起きている……!滅却師共は何をしようとしているんだ……!?」
まるで重力を失ったかのような景色に困惑の声が響く中、ジークフリードは無言で空を見上げる。
何をしようとしているのかは此処にいるジークフリードにもわかる。……ただ、らしくないとは思う。力を持つが故の大振りはあったが、ここまで派手好きでもなかったはずだ。
「……千年もありゃ、変わるかねえ……」
ジークフリードの色の無い呟きは「完成っス!」という急いた報告に掻き消される。深く帽子を被った技術者らしき死神によって、気がつけば瀞霊廷に霊王宮と繋がる門が構築されていた。
「開門しますよ!準備はいいっスか!」
そして完成から時を待たず、号令と共に門が開かれていく。
その向こうには尸魂界から繋がった霊王宮の、どこか浮世離れした東洋風の景色が映るはずだった。
「な……何や、これは……!?」
開いた門の先の景色に、死神たちは困惑に目を見開く。
「霊王宮に繋がったはずなのに、なんて滅却師の街に着いてん…!」
門を通った先にあったのはまるで滅却師の街のような西洋風の石造りの建物。霊王宮ではなく別のところへ繋がってしまったのではないかという懸念は、しかしすぐに否定された。
街の端は途切れ、円形の縁となっている。浮島のようなその形は瀞霊廷の上空に浮かぶ零番離殿のものと完全一致していた。
しかし零番離殿に零番隊の霊圧はひとつも無く、まるで滅却師の街のように作り替えられている。
そして、零番離殿のさらに上空に浮かんでいるはずの霊王宮は広がる青い空のどこにもなかった。
それが示すのは、霊王宮はとうに落とされ、零番離殿はユーハバッハによって完全に侵略され切っているという現実。
それは攻勢に出るためにここまでやってきた死神たちへ絶望を与えるには十分過ぎる事実だった。
眉間に皺を寄せながら周囲を見回し、仲間たちで言葉を交わし合う死神たちを他所に、ジークフリードは散歩するかのように歩き出し、近くにあった建物のそばに立つ。そうして一度息を吐いた。
死神たちにとっては絶望の景色でも、ジークフリードには懐かしい祖国によく似た景色である。
郷愁に目を細めながら、白い壁へ手をつく。そうすれば快晴の空の下、彼の腕が影となって白い壁に黒色の模様を作る。
不意にその腕の影から十ほどの目玉がギョロギョロと浮かび上がった。そのすべての目がジークフリードをじっと見つめている。
それに気がついたジークフリードは反対の手で己の影へ手を突っ込むと、尸魂界で拾ってやったあの黒い一つ目の生き物たちを撫でるように己の影を掻き混ぜた。
「……あとで構ってやるから、死神がいなくなるまで大人しくしなさい」
「チィ……」
腕を下ろして振り返れば、混乱しながらも前へ進むことを決めた死神たちが群れとなって駆け出すところだった。さて、俺はどうしたものかと思っていれば「ジークフリード」と名を呼ばれる。
そちらへ視線を向ければ、やはりリルトットとジゼルがそこにいた。
「なに遊んでんの?置いてくよー」
「早くしろ。オレらは太陽の門を使うぞ。まだ生きてりゃ死神より先に銀架城近くに行ける」
「おー」
全くもって頼りになる少女たちである。ジークフリードはリードに繋がれた犬のように素直についていくことにした。
先導する彼女たちの後を追い、街外れにある広場へ辿り着く。
広場の中心にはアーチ状のオブジェがあり、その真下の地面には紋章が刻まれていた。ジゼルがその傍に立ち、手に持った金属盤を翳しては小首を傾げている。
「は?起動しないんだけど」
「ちっ、こんだけ街が壊されりゃ門もダメになるか」
「ん〜、あ、今一瞬反応した、かも?」
自分のほうでも起動できないか試そうと、リルトットはジゼルの傍に近付こうとした。
その時だった。静かに着いてきていたジークフリードが「リルトット」と彼女の名前を呼んだのは。
「あ?なんだよ」
リルトットは振り返り、自分より背の高い男を見上げた。
深みのある赤毛に碧の瞳。顔つきは精悍だが、喋るとやけに気が抜ける男。外見年齢は……正直よくわからない。20と言われても納得するし、40と言われても納得しそうだ。
リルトットはこの男と出会った時のことを思い出す。
第一印象は人に懐いた犬。見たことのない男だったが、初めて出会った時からやけに警戒を削がれる顔つきをしていた。彼が一人ぼっちで白骨死体を眺めているのを見かけた時、どうしてか放っておけなかった。
……今思えば、リルトットらしからぬ警戒心の無さだ。
まるで夢現、兎を追いかけて穴に落ちていく少女のよう。
「君たちに会えてよかった」
ジークフリードはそう口にすると、穏やかに眦を下げてリルトットへ微笑みかける。
唐突な感謝の言葉に彼女は片眉を上げて疑問を抱いた。確かに世話に焼いてやったのは事実だ。しかし、今このタイミングで言う事か?
……相変わらず変な奴だ。真正面からそう口にされると、なんだか気恥ずかしいような気さえしてくる……。思わずぐっと眉間に皺を寄せて、耐えるように唇を一文字する。……耳がやけに熱い気がした。なんとなく髪をいじって耳元を隠す。
瞬間、リルトットの背後で、ぐしゃと音がした。
反射的に振り返る。リルトットの瞳に映ったのは、崩れ落ちるようにして地面に倒れるジゼルの姿。
長く艷やかな黒髪を太陽の門の紋章の上へ乱雑に散らしながら、白皙の手足を放り出して転がっている。その身体はピクリとも動かない。
ふざけた振る舞いが目立つジゼルだが、こんな時にバカな真似をするような奴じゃないと知っていた。だから、リルトットは反射的に身を固くする。
……攻撃を受けている。いつの間に?何故?誰が?死神か?今になって?いや、ユーハバッハか?もうこちらの存在がバレたのか?
リルトットが警戒しながらもジゼルの元へ駆け寄ろうとしたその時、背後から伸びた手が彼女の腕を掴んで、強く引っ張る。
そうして無理やり身体を反転させられた次の瞬間には、筋張った大きな掌が彼女の細い首を掴んでいた。
「……っ!」
「……本当に感謝してるんだ。君たちがいなかったら、俺はここまで来れなかっただろうからな」
「……て、めぇ……!」
リルトットの首を絞める腕の先にいたのは、共にここまでやってきたジークフリードその人だった。
彼に掴まれた首を持ち上げられて、小柄なリルトットの足が地面から離されていく。
顔を歪めながらもなんとか離脱しようと足掻く。しかし、自らの首を掴むジークフリードの手に爪を立てども傷さえつけられず、抵抗するように足を振るがその爪先は空を蹴るばかり。
人の首を絞めているとは思えないほど落ち着いた表情を射殺さんばかりに睨みつけるが、彼の表情が変わることはない。
躊躇いなく首を絞めてくるジークフリードの姿に、リルトットは信じがたいと思ってしまった。
そう思った瞬間に、彼女は自分は自分が思っていたよりもずっとこの男を信用してしまっていたのだと気が付く。なんてザマだと内心で自身を罵倒する。悔しさに歯噛みしながら、リルトットは拳を強く握った。
……裏切ったのか。お前もオレたちを騙していたのか。
そう叫びたかった。ぶん殴ってやりたかった。殺してやりたかった。
けれど、思い返す。
この男は初めから、「ユーハバッハの元へ行く」とは言っていても「ユーハバッハを殺しに行く」とは言っていなかった、と。
オレたちに着いてきていたのは、ユーハバッハを殺すためじゃなく、臣下として君主の元へ向かうためだったのか。そのためにオレたちを利用したのか。ナナナにとどめを刺さなかったのは、アイツもユーハバッハのシンパで仲間だったからか。
リルトットの顔が酸欠と怒りで歪む。
なんで。なんでだ、なんでユーハバッハなんかのところに行こうとするんだ。アイツは仲間を殺したんだぞ。全部奪われた。みんなゴミみたいにぶっ殺されたんだ。お前のダチもユーハバッハに殺されたんじゃないのか。なんであんな奴にまだ忠誠を誓ってられるんだ。
オレたちは何も聞かされてなかった。何も知らされていなかった。こんなことになるなんて思いもしなかった。だって、陛下は滅却師を救ってくれるんじゃなかったのか。今のこの世界では何の価値もないオレたちの魂を救ってくれるって。この戦争が終われば、死神にも虚にも怯えること無く日の下を笑って歩けるんだって。
信じていたのに。
「…………く、そ……」
「…………」
細い身体が音もなく脱力した。
◇
「──それで?」
場面は変わり、場所をかつて銀架城と呼ばれた城──現在の真世界城へと移す。
霊王の力を取り込んだユーハバッハによってかつて零番離殿であった場所に再構築された真世界城。
その内部にある廊下の中心で、星十字騎士団の団長であり、最高位であるユーグラム・ハッシュヴァルトは部下からの報告を受けていた。
「はい、すでに親衛隊全名、索敵の為6方に分かれて出撃されました」
護廷十三隊や黒崎一護らが、このかつて零番離殿であったこの地に辿り着いたことはすでに感知している。城に座して待つのは皇帝のみで充分、親衛隊はみな彼奴らが城に辿り着く前に討ち滅ぼすべく出撃した、と。
その報告を受けたハッシュヴァルトは一瞬間を置いてから「待て」と鋭く告げる。
「……6方に分かれて、と言ったな。お前の言う親衛隊には石田雨竜も入っているのか?」
聖文字Xのリジェ・バロ。
聖文字Cのペルニダ・パルンカジャス。
聖文字Мのジェラルド・バルキリー。
聖文字Hのバズビー。
聖文字Dのアスキン・ナックルヴァール。
見えざる帝国皇帝直属の現在の親衛隊の隊員はこの5名である。少なくともハッシュヴァルトにとっては。
彼からの問いかけに部下は頭を下げたまま肯定を口にする。
「はい、そのようにせよとの陛下の御命令でしたので」
その言葉にハッシュヴァルトは一度唇を閉じる。
……陛下には意図があるのだろうと思う。だとしても、ハッシュヴァルト個人としては石田雨竜を親衛隊として認めるわけにはいなかった。仮に認めたとしても、それはあくまでも陛下の意思に沿うというだけであって、警戒を捨てるわけではない。
あれほどわかりやすく陛下の命を狙う者を、陛下の御傍に近づけさせるわけにはいかない。
「──どっちへ向かった?」
「はっ、石田雨竜様でしたら2番枝街の方へ──」
「追え」
遮るようにハッシュヴァルトは命じた。しかしその命令は予想外だったのか、部下の反応が遅れる。
「はっ……?」
「私が真世界城を離れるわけにはいかない。奴につき、奴が命令外の行動を取るようならすぐに知らせろ!」
冷静沈着なハッシュヴァルトにしては珍しく張った声だった。しかし石田へ警戒を向ける理由が理解できないのか、困惑した表情を見せる部下。それを前にハッシュヴァルトは自身の迂闊さを呪う。
石田雨竜の単独行動を許すわけにはいかない。
表面上はどうであれ、あの男は我々の仲間ではない。虎視眈々と陛下の命を狙っているのだから。
単独で陛下の命を狙うか、破壊工作を進めるか、護廷十三隊もしくは黒崎一護と合流して寝返るか、どうあれ陛下に利する行動をするはずがない。
だから地上ではずっと警戒をしていたのだ。あの男が一人になることがないよう、ずっと。
それはさして難しいことではなかった。
そもそもが現世からの異邦人であり、比較的珍しい東洋人であること。陛下が次期後継者とすることを宣言したこと。
それらによって石田雨竜は新しい話題に飢えた星十字騎士団にとって最も注目すべき人物、謂わば時の人となったからだ。関心、忌避、好意、警戒、興味、排他、どのような感情であれ、誰もが石田雨竜を注目して見ていた。
しかし、霊王宮へ上がった今は状況が違う。そもそもこの地にいる滅却師の数自体が少ない。石田雨竜を監視する数多の目が無くなったのだ。
そして死神たちがやってきた今、親衛隊たちも皆バラバラになって行動している。今や誰も石田雨竜を見ていない。その絶好の機会をあの男が逃すものか。
「なにをしている、早く向かえ!」
命令に困惑する部下へ、ハッシュヴァルトは再び声を張った。そうすれば膝を付いていた彼は慌てたように立ち上がり、吃りながらも命令を受領した。
「はっ、はい!ただちに──」
「おいおい、部下を怒鳴りつけるたぁ、らしくねえんじゃねえか?なァ、騎士団長サマよお」
二人の間に割って入る声があった。
それはどこか人を小馬鹿にするような、わざとらしく揶揄うような、そんな皮肉げな声音だった。
その声の主に気がついた部下はビクリと肩を揺らす。何故ここにいるのか、これからやってくるであろう不穏に、部下の男は身を小さくさせた。
その声に振り返ったハッシュヴァルトは、普段と変わりのない冷たさのある無表情のまま、やってきた男の名前を呼ぶ。
「バズビー……何故ここにいる」
「いちゃ悪りぃのか?ここはもう死神じゃなく、滅却師の土地だぜ」
「陛下から索敵命令が出ている」
「あァ?そんなもんもあったっけな」
遠目からでも目立つ赤い髪と、剃り上げたモヒカンスタイルの髪型。厳ついピアスや威圧するような髑髏の腕章、好戦的な表情や粗暴な振る舞い。片脚に重心をかけるような立ち方。
親衛隊の一員であるバズビーがそこにいた。
ハッシュヴァルトの問いかけの意味などわかっているだろうに、わざとらしくとぼけるバズビーに、部下の男は僅かに顔を歪める。ヒリヒリと張り詰めた空気は重く、今すぐにでも逃げ出したいと思った。
騎士団長ハッシュヴァルトと親衛隊バズビーの
性格は真反対、ハッシュヴァルトに対して何かと噛み付くバズビーの姿は騎士団内では頻繁に見られる光景だ。
以前、石田雨竜がユーハバッハから次期後継者として指名された時も、バズビーが人前でハッシュヴァルトへ噛みつき、アスキン・ナックルヴァールに仲裁されていた。
粗野な男だ、というのが部下の男から見たバズビーの印象だ。
実力者であることは騎士団の中の誰もが認めていることだが、血肉に飢えた獣のように好戦的で前線にばかり立ちたがり、時には人の獲物を奪う真似さえする。陛下の判断といえど、こんな男が親衛隊だなんて信じ難い……そう思う者も少なくはない。
まして頻繁に噛みつきに行く相手が、常に冷静で陛下の側近であるハッシュヴァルトなのだ。彼が寛大故に相手をしないのを良いことに、身の程も知らずに付け上がっているのではないかと思えて仕方ない。
そう思う部下の前で、二人は言葉を交わし合う。ハッシュヴァルトは微かに片眉を上げた。
「命令違反、というわけか。処罰の対象になるぞ」
「てめえにその権限があんのかよ、ハッシュヴァルト。次期後継者でもねえってのになァ」
瞬間、空気が凍りつく。
一触即発、何が起こってもおかしくない空気に部下は身を震わせた。ハッシュヴァルトへの報告に来たことを後悔したくなるほどだった。
そんな部下の様子に気がついてか、ハッシュヴァルトは彼へ視線を向けると、軽く顎を振る動作だけで「早くここを離れろ」と命じた。部下はガクガクと頷いては、これ幸いとばかりに転がるように走ってこの場を離れていく。
仲裁できる者のいない状況での騎士団長と親衛隊の喧嘩など、命がいくつあっても足りないのだから。
第三者を失ったハッシュヴァルトとバズビーは互いに見つめ合ったまま、深い沈黙の空間に立つ。無音、遮るものは何もなく、互いまでの距離は数メートル。すでに双方の間合いの中だ。
そんな中、先に口火を切ったのはバズビーのほうだった。
「トラブル続きで参ってるようじゃねえか、
幼少期からの呼び方に、ハッシュヴァルトは僅かに肩を揺らした。そうして何かに思いを馳せるように、一度深く目を瞑った。数秒後、ゆっくりと瞼を開く。
そうして、何事にも動じないかのようなその眉を──ゆるりと八の字に下げた。
「……バ、バズ……ど、どうしよう……!」
今にも泣き出しそうなほど不安げな声がハッシュヴァルトの唇からこぼれた。
冷静沈着、湛然不動、鉄面皮。
そんな普段のハッシュヴァルトの姿からは想像がつかないほど、それはもう頼りない声を出して彼は幼少期からの親友の名を呼んだ。
「石田雨竜を見失ってしまった……!こうなるってわかってたから警戒していたというのに……さっきの部下に追わせたが期待はできないし、私はここから下手に動けないし……どうしよう、バズ……!」
不安のために剣の柄を強く握り、反対の手で白い制服の生地を皺になりそうなほどに掴む。
ギュッと寄せられた眉間に、それを見たバズビーは肩を落として、息を吐くように笑った。
「まァ落ち着けや、ユーゴー。石田の野郎だって一人になったからってすぐに陛下をぶっ殺しに行くってわけじゃねえだろうよ」
「……そうだ、どうあれ奴の狙いは陛下。無策で突っ込むほど愚かではないだろうが、索敵を進めている親衛隊に目撃される可能性が高い以上、外で死神や黒崎一護と合流することもないはず……」
「だろ?アイツにとっても縛りが無くなったわけじゃねえ」
「……そうなれば、仲間との合流や単身での暗殺よりも、何らかの破壊工作を進めていると考えるほうが有力か」
「あァ、それに結局のところ、狙いが陛下である以上、事を起こすためには
「……その通りだ」
冷静に思考を進められたせいか、制服を強く握っていたハッシュヴァルトの手が緩む。
トラブルと変化の連続に混乱していた頭が、昔馴染を前に一時的に幼い頃の口調として露見しただけで、本当は何が起きているのかもこれからどうすべきかもきちんと理解しているのだ、とバズビーは内心で評価する。親友とのやり取りで落ち着きを取り戻したハッシュヴァルトは硬い声で呟く。
「だが、現状石田が何処にいるのかを把握出来ていないのは事実だ。2番枝街へ行ったとの報告にもラグがある」
裏で何かをしているのではないかという疑心は離れず、そうでなくとも居場所の把握は必須だ。けれど、ハッシュヴァルトはここから動けない。
思案する彼に、バズビーは自身の胸に立てた右手の親指を向けた。
「おいおい、目の前に暇そうな親衛隊がいるのが見えねえってか?」
「……ふ、そうだな。命令違反の不良騎士がいるのを忘れていた」
ハッシュヴァルトは微かに眦を下げると、頷く。
「陛下からの索敵命令は維持のまま。だが親衛隊に入隊したばかりの石田が心配だ。
「はいはい、仰せのままに」
「……決定的な場面がない限り、泳がせておいていい。君がさっき言った通り、奴はここに戻ってくるだろう。君一人で相手をする必要はない」
「あ?タイマンでオレが勝てねえってか?」
「……もう、バズ……」
困ったような顔をする幼馴染に苦笑する。そういう意味ではないことはわかっている。バズビーとて揶揄っただけ。こんな冗談まで本気にするのはハッシュヴァルトの悪い癖だ。
「わあってる、上手くやる。それでいいだろ」
「ああ、君を信じている」
恥ずかしげもなくそう口にするハッシュヴァルトに、バズビーは肩をすくめてそれから外へ向かうために背を向けて歩き出す。
数歩歩き出してからハッシュヴァルトに声をかけられる。
「……ところで、行く前に一つ聞いてもいいか」
「あ?んだよ」
「……なぜ君は人前だと過剰に露悪的に振る舞うんだ?私にわざと突っかかるような真似もするし、私を呼ぶ時もラストネームだろう」
その問いかけにバズビーは振り返らずに足を止める。両手を腰脇のポケットに突っ込んだまま、内心で(んなこと、聞くなよ……)と思いながら肩を落とす。はあと溜息を吐いてから、素っ気なく答えた。
「けっ、いい年した男がダチと人前で仲良しアピールなんかできっか!」
「別にできると思うが……。陛下とジークフリード様は傍から見ていても良好な関係だったろう」
「うるせー!あんなクソジジイ共なんか知るかよ!」
「不敬だよ、バズ……」