滅却師は大気中に存在する霊子を、自身の霊力を媒体に操作する能力を持っている。
そしてその霊子で作成した物質を武器とすることを戦いの基礎としていた。
「先ほどの弓矢もそうだ。私は大気中の霊子を収束させ、自らの霊力で持って弓と矢の形に構築し、虚を射った」
「言ってることはなんとなくわかるんだけどよ、その霊子ってのがどういうもんかよくわかんねえんだよな」
吹き抜ける風の中、ジークフリードは屋敷の屋根の上で胡座をかきながら小首を傾げる。彼のそばに立つユーハバッハもまた屋根の上で腰に手を当てながら教え子へ目を落とした。
屋敷の屋根に上がるよう指示したのはユーハバッハだった。
閉塞的な室内で説明するより、開放的で大気というものを感覚的に理解しやすいこちらの方が良いと判断したのだ。
ユーハバッハの肩口より短い黒髪が風を受けて揺れる様を、ジークフリードは物珍しげに見上げた。
「これだ」
ユーハバッハが天に掌を向けると、彼の手の中にきらきらと輝く青白い光の粒が集まり、渦のようにくるくると螺旋を描いて回る。
「おー、きれいだな」
「実際は無色透明だがな。お前にも認識できるように色をつけただけに過ぎない」
「これがこの空気中のどこにでもあるのか」
「そう、霊子とは霊的物質を構築するための最小単位。言わば原子のようなものだ」
そう告げるユーハバッハの手の上でクルクルと回っていた霊子が中心に集まっていく。
そして瞬きの間のうちに、一本の剣がユーハバッハの手に収まっていた。
「すげえ」
「頭の軽い感想だな」
「ぶん殴るぞ」
「さて、見ての通りだ。王が騎馬にそうするように屈服させ、自らの力にする。必要なのは霊子に対する支配力だ」
瞬間、ユーハバッハの剣が砕け散り、無数の霊子に還っていく。赤い瞳が促すように見つめてくるのを受けて、ジークフリードは先ほどまでユーハバッハが支配していた霊子の群れへ手を近づける。
引き寄せるイメージのまま手招いてやれば、霊子はわらわらと素直にジークフリードの元へ集まってくる。それを見つめて彼は思わずとばかりにぽつりと溢す。
「……なんか、こう、ちょっと、かわいいな」
「は?」
呼べば来るあたりに愛玩動物のような感覚を覚えてそんなことを口にすれば、ユーハバッハには理解不能とばかりに呆れた顔をされた。
そして彼はすぐに興味を無くした顔をするとジークフリードへ言った。
「霊子を意のままに操るイメージをしろ。そこに限度も際限も物理法則もない。お前が望むままに支配するだけだ」
「イメージ……」
「ああ、お前にとっての戦いのイメージを霊子で描けばいい」
その言葉を聞いた途端、ジークフリードの元に集まっていた霊子が意思を持ったかのように動き出す。
戦う力として一番初めに見たものがユーハバッハのそれだったからだろう、無意識のうちに紡がれた霊子は矢の形をしていた。
青白く輝くその真っ直ぐな矢を見つめてジークフリードは「あ」と呟いてユーハバッハを見上げる。
「矢があっても弓がなきゃ飛ばせねえよな」
「言っただろう、物理法則は無い、と。霊子は元より動きを持つ物質だ。我々はそこへベクトルを与えてやればいい」
「……そういうこともできんのかよ」
ジークフリードは手の甲を天に向けるように腕を伸ばすと、その腕に沿わせるように矢を再度構築する。
そして、矢を構成するすべての霊子へ同じ方向性を与えた。
「……ん?じゃあなんでお前はさっき弓使ってたんだ?」
「利点はいくつかあるが、今回に限ってはそのほうが私が何をしていたのかがお前にも理解できただろう」
「……まあ確かに、なっ!」
その瞬間、矢は勢いよく射出されていく。
そして真っ直ぐに打ち出された矢はプロムナードに生えた高い樹木のてっぺんに当たる……その直前で霧散した。
木を傷つける気の無いジークフリードの意思だった。
「なるほど、ちょっとわかってきた気がするわ」
そう呟いたジークフリードの傍には宙に浮かぶように新しい矢が構築されていた。さらに周囲の霊子を収束させ、ひとつふたつと矢の数が増えていく。
「ほう、物覚えが良いな」
「お、珍しく素直に褒めてくれるじゃねえか」
「私の教え方が良いのだろう」
「自画自賛かよ」
「しかし当然、まだ未熟だ」
ジークフリードの矢が彼の意思に反して崩れ出した。バラバラになった霊子はユーハバッハの元へ向かうと、彼の手の中に収束していき、再度剣へ姿を変えた。
「このように霊子を支配する力が強い方が相手の霊子を奪うこともできるわけだ」
「げ」
「故に構築した物質をコーティングする自身の霊力の強さと、霊子そのものに対する支配力が重要となる」
ジークフリードはユーハバッハから霊子を奪い返そうとしたが、剣を構築する霊子には僅かな揺らぎも生まれない。まるで鋼鉄の壁を人の指で掻きむしろうとするかのような感覚だった。
対するユーハバッハはムキになってこちらの霊子を奪おうとするジークフリードに、元気の良い子犬に纏わりつかれているような感覚を覚えていた。狗め、と彼へ揶揄うような表情を浮かべる。
と、その時、不意に「なあ」とジークフリードはユーハバッハを見上げて言った。
「センセー、聞きたいことがあんだけど」
「なんだ」
「お前の、なんか、人の脚生やしたり、怪我直したりする力って、この滅却師の力とは別、なんだよな?霊子で他人の怪我とか治してるわけじゃねえだろうし」
「ああ、違う。滅却師の力としての治療術もあるが、それとは根本から異なるものだ」
「特別な力っつーわけか」
「不全の滅却師だからな、私も、──」
口にしていた言葉を途中で区切ったユーハバッハは流し目でジークフリードへ視線を向けた。
こちらを見ていた彼はユーハバッハと目が合うとどこか困惑した顔のまま小首を傾げる。
ユーハバッハの言動に気になる部分はあった。だが今日はこの短時間で初めて知ることや経験することばかりで、これ以上新しい情報を詰め込むのは不可能だと判断したらしい。
ジークフリードは好奇心の滲む顔をしつつも、それ以上なにかを求めることはなかった。
「……ジーク」
「ん」
「何故そんなことを聞く」
その問いかけに、胡座をかいた自身の膝に肘をついて頬杖をつく青年は大したことではないとばかりにヒラヒラと手を振った。
「ああ、別に深い理由はねえよ。よく考えたら俺、お前がその力を使ってんの見たことないなって思っただけだ。一応お前の使用人なのにな。いや、使用人じゃねえけど」
「…………」
そう口にするジークフリードに、ユーハバッハは目を逸らして遠くの景色を見つめた。
広い屋敷、広い敷地、出たことのないもっと広い向こう側の世界。
狭い屋敷、狭い部屋、狭いベッド、どこにも行けない自分自身。
向こう側の世界からユーハバッハの小さなベッドまでやってきてくれた人。通り過ぎていく数多の肉塊の中で、ただひとり、そばにいてくれた。
例えそれが望まれていない運命の残骸だったとしても。
「ジーク」
「んー?」
「そう遠く無いうちにお前にも見せよう。私と、あの儀式を」
「おー、楽しみにしとくわ」
向けられた笑みに、静かに顔を背ける。
自分が今どんな表情をしているのかよくわからなかった。わからなくてもいい。すぐにそう思う。笑っていても泣いていてもなにも変わらない。先の話をするなんて、我ながらなんて馬鹿らしい。
未来の終着点などとうに決まりきっていた。
いつかきっとどうせ、お前の全てを簒奪する日が来る。
ユーハバッハは静かに目を伏せた。