目の前の世界がブルアカだってことは、すぐに理解が及んだ。
転落防止用の柵に体重を預けながらその隙間からこちらを覗く青い髪の赤子の後頭部に円と十字を組み合わせたような円環が見えたからだ。無論他のゲームや作品にだって天使の輪のようなものがついているものは存在するが、その円環に盾の意匠と連なったハートのような細かい小ネタまで入れられたものが存在している
そうしてまず思ったのは、原作を壊しやしないかということ。
俺はブルアカにそこまでのめり込んでいたわけじゃない。課金はしていたが、見た目が好みの生徒を持ち石で引けなかったら課金するぐらいで、先生レベルもカンストしてない。気になるキャラが出てくるイベントやメインストーリーが更新されるとき以外はログインしないことだって往々にしてあった。
だから過去のイベントも全て読了しているわけではないし、モモトークも大量に未読がある。
把握しきれていないこの世界に介入してしまって壊しやしないかと不安になった。
ストーリーと世界観だけは、本当に好きだったから。
だからせめて、転生したにしてもなるべくメインストーリーに関わらないモブであれと願った。
そうすれば極力目立たないようにしていれば済む話だから。通り魔に遭って目が覚めたら赤子になっていたのだから、そのぐらいのわがままは許されると思っていた。
キヴォトスに双子で生まれた時点で、何か嫌な予感はしていたが。
所謂転生特典みたいなものはないと思う。
強靭な肉体も、過剰な神秘も、特殊な能力も特に見当たらない。
強いて言えば家柄がそれに当たるかもしれないが、俺からしてみれば願い下げの代物だった。
「
よくある自動翻訳なんてものもなくて、俺は日常の中で何回も発されるそれらを自分たちの名前であると認識した。
最悪だと思った。ミネという名前には憶えがあったから。
俺は未所持だったから彼女のことをよく知らないし、そこまでコアなところまで踏み込んでいたわけではないのでヘイローで判別なんかできるわけもないのだが、青い髪に意味ありげな少しばかりの桃色の髪が混ざっていて、十字と盾の意匠があって、ミネ。
蒼森ミネだ。メインストーリーで出番が多いわけではないものの、重要キャラと言って差し支えないであろう救護騎士団の団長。
その姉か妹かはまだ分からないが、自分が放り込まれている赤子用のベッドを見るに俺は彼女の双子に生まれてしまったようだった。
原作キャラを避けられない。よりにもよってこのキャラの濃い重要キャラクターを。
自分の接し方によっては物語が壊れてしまう可能性を認識して、俺は怖くなってみっともなく泣いた。精神が体に引っ張られることはなかったが、体の反応として恐怖すると泣くというのは避けられないようだった。
それから俺は良く泣く赤子になった。体を動かせずひたすら考えることが多かったせいだろう。
転生前は男だった自分が女に生まれたことによる違和感に泣き、自分が世界の異物だということを自覚して申し訳なさに泣き、自分次第で蒼森ミネが自分の知る蒼森ミネではなくなってしまうかもしれない事実に泣いた。
よくある原作キャラの双子の妹概念みたいなやつなのだと判断することにした。
蒼森ミネに双子の妹がいるなんて話は聞いたことがなかったし、そんな話があればもっと表に出てきているはずだから。
原作に出てこないのだからきっと架空のキャラなのだと思って、せいぜいイベントでたまに顔を出すぐらいのキャラになろうと思った。間違ってもメインストーリー、それもエデン条約編などに関わらないようにしようと心に決めた。
五歳になった。
蒼森ミネがどういう家族との接し方をしたらああなるのかがわからず、俺は大人しい子供を演じていた。精神年齢故か周囲の子供たちのように動き回る気にもならず、皆が遊ぶのを見ていることが多かった。
対して蒼森ミネはというと、俺から見れば普通の女の子のようにしか見えなかった。
彼女の代名詞である『救護』なんてものは欠片も片鱗を見せず、可愛い物好きでたまに友達と外で走り回る、そんな年相応の振る舞いをするどこにでもいる子供だった。
これが何を原因にして救護の化け物になるのか、見当もつかなかった。
それとなくお医者さんごっこや救護騎士団ごっこをやりたいと言ってみても、彼女は普通に看護師役をやりたがった。救護というフレーズに特に反応するわけでもなく、自分が壊して直せばいいなんて馬鹿なことを言うような性格ではないように思えた。
それが自分がここにいることが原因で発生している事象なのか、判断がつかなかった。
十歳になった。
依然として蒼森ミネは救護に目覚めない。
私は『俺』という一人称を名家の令嬢として相応しくないという理由で矯正されたのだが、しかしもう既に自身の性別に違和感を覚えなくなって久しかったのであまり抵抗はなかった。
単純に慣れていたが故にそうなっていただけで、そこまでこだわりがあったわけでもないし。
いつその時は来るのだろう。きっと何か劇的なきっかけがあるはずなのだ。彼女が『救護』に目覚めるきっかけが。
人を救わねばならないと思うルーツがあるはずなのだ。
しかしいつまで経ってもその機会は訪れず、蒼森ミネは名家の令嬢特有の頑固さはあるものの、普通の女の子として育っていった。
ずっと、自分が知らない蒼森ミネがそこにいる。元々蒼森ミネというキャラクターについて造詣が深いわけではないが、それでも目の前にいる彼女とゲームで見た彼女が乖離していることだけは間違いないように思えてしまう。
自分がいることでこの変化が発生しているなら不味いと思った。恐れていた原作の崩壊が起こってしまっているのではないかと焦りが出始めた。
最悪、私が彼女を本来あるべき姿に誘導しなければ。
中学で部活を選ぶときには救護騎士団を選んでほしいので、それほど時間に猶予があるわけではない。
あと二年、もう二年だけ待って駄目なら、私が彼女を救護の道に引っ張り込むことにしようと心に決めた。
何も起きぬまま、十二になった。なって、しまった。
トリニティの中学に入学するまで残り四カ月。四カ月しかない。
これ以上は待てないと思った。原作を壊すわけにはいかない。私が元のルートに戻さなければ。
まずやったことは、トリニティの中学の説明会に姉を連れて行くこと。お嬢様学校になど興味がなかったミネをどうにかこうにか駄々を捏ねて連れて行った。
それが正しい選択だったと気付いたのは、説明会の後の学校見学時にある人物から接触があったことだ。
「蒼森リナ。私が見た未来で、君の姿は存在しなかった。単に他の学校に進学しただけならいいのだが、とてもそうは思えなくてね。用心するといい」
百合園セイア。予言の大天使。
未来視を持つ彼女の発言に、ひどく安心した記憶がある。ああ良かった。私は原作を壊さずに進めるんだ、と。
しかし私はこの判断を後悔することになる。彼女の言葉の意味を、その予言が意味するところを注意深く考えるべきだった。
未来視が原作の内容を辿るだけだから自分がいないのは当然だと思っていた部分もあるだろう。しかし、百合園セイアがその時点で私を認識していたということは、既に私が物語に組み込まれている証左に他ならないという単純な事実に思い至らなかったことが私の最大の失敗と言える。
計画は続行した。私が動くことで蒼森ミネが蒼森ミネになるのだという確信めいたものを抱いたからである。それが逆説的に何を意味するのか考えないまま。
最初の
その入り口の部分で躓くことはなかったが、懸念点もあった。
思ったほどは彼女が食いつかなかったことだ。彼女はぬいぐるみなどと同じような感覚で医療品に触れるだけで、ただのコレクションとしてしか認識していないようだった。
逆に彼女に興味を持ってもらうために始めた私は、性に合っていたのかその製品ごとの違いや注意点などを覚えることに没頭した。知識が増えるのは楽しかったし、それが人の役に立つのならばそれ以上のことはないように思えた。
だから私は姉に向かって言う。
「コレクションとして持っているだけの医療品には価値などありません。その用途や効能の全てを把握して実際に活用することができなければ、それはただのガラクタに過ぎないのですから」
「そんなことはないと思いますよ、リナ。こうして可愛いパッケージのものを並べているだけで、部屋が華やかになるのですから」
「それでは意味がないと言っているのです。お姉さま。『救護』を志すのであれば、正しい知識とそれを実践する行動力が何より重要なのです」
「『救護』って、最近その言葉がお好きですね、リナ」
姉は私の最近の言動を単に一過性のブームだと思っているようだが、私はわりと本気だった。
これでは私の方がゲームでのミネのようだなと思わないこともなかったが、それでミネを本編通りの性格にできるのならば構わないと思っていた。
年が明けた。残り三カ月で中学に上がる。
私は既に両親へトリニティの付属中に行くことを伝えたが、ミネはまだ迷っているようだった。
セイアさんに協力を頼んだり、一緒の学校に行きたいと我が儘を言ったりしているのだが、彼女は小学校に少なからず存在する友人たちと別れることを思いのほか惜しんでいるようで、ひやひやさせられる日々が続いている。
「お姉さま、パトロールに行きましょう」
私が取った次の行動は、街を巡りながら負傷者や困った人を助けることだった。
その行動をミネがやっていたかどうかは知らないが(もしかしたら絆ストーリーでやっていたのかもしれない)、彼女ならやりそうだと思ったからだ。そして何より実際に人を助けることでその救護の心を育む目的もあった。少しでも何かのきっかけになればいいと思った。
幸い、ミネも私も家柄のおかげか今の年齢の割には強かった。
将来的に拳で救護を始める片鱗はその身体能力だけには表れていて、そこが足りなくなる可能性を考えなくていいのは助かった。拳で救護は妄想や創作の類だったかもしれないが、まあその辺りは雰囲気である。
彼女を少しでも原作に近付けるための行動だったのだが、姉の反応は芳しくなかった。
「リナ、そういうことはまだ中学生ですらない私たちがやることではありません。そういうのは中学に上がってから、リナが救護騎士団見習いになってからやればいいのです」
「これは予行演習なのです、お姉さま。何か不安があるのなら、お姉さまがついて来て下されば解決するではありませんか」
結局、彼女が私と共にパトロールを行うことはなく、私は一人で街に繰り出して普通の怪我人の治療や人助けに勤しんだ。再三ミネから小言を言われたが、私は譲らなかった。心配ならついて来いとさえ宣った。
二月の頭に入る頃にはもう既に救護のためのパトロールは私の生活の一部になっていて、もしも蒼森ミネが舞台に上がらないのなら自分が代役になることも一つの案として考えるぐらいだった。
そのぐらい、彼女への誘導として始めた行動に、『救護』の精神に、私は魅入られていた。
「『救護』『救護』とうるさいですね。リナ、あなたのその思考と行動こそ、『救護』が必要なのでは?」
「あら、ではお姉さまが私に『救護』してくださいますか?」
そんなことを軽口で交わしたときには、ついに彼女が動き出すかと思った。
しかし結局彼女はトリニティには進学せず、地元の中学に通うことを選んだ。もう原作なんて存在していないと、認めるほかなかった。
どこで間違えたのかわからない。
自分がいるというただそれだけのことで彼女の在り方が歪んでしまったのかもしれない。
それはまるで自分の存在が世界に許されていないようで、
「おかしいな。私が見た未来では、君ではなくミネが私の隣にいたものだが」
トリニティ進学を控えて情報交換をするようになったセイアさんとお茶会をしたときに、そんなことを言われた。
私はその発言にただ、彼女の予言が外れることもあるのだな、と思うだけだった。そんな認識ではいけなかったのに。
甘かった。甘すぎた。だって、目の前にいたのは未来を変えることに諦念の色を見せる少女ではなく、ただただ困惑するだけの小さな女の子だったのだから。
そんな彼女が、百合園セイアが未来を変えることを諦めるような何かが起きることなんて、少し考えればわかったはずなのに。彼女の予言にヒントがあったことに、気付けたはずなのに。
綻びは、すぐそこまで迫っていた。
「気を付けるんだよ、リナ。一体何が起こるか、私にも分からないからね」
三月に入って自分が蒼森ミネの代役になると決意した私は、盾とショットガンを親に強請った。
用意したそれらを抱える自分を鏡でもって確認すれば、真面目そうだと度々言われる表情も相まってゲームで見かけた彼女の幼少期と言われても納得ができるものであった。
食事のときにふと、姉であるミネの顔を見る。彼女はいつも柔らかい微笑みをたたえていて、やはり私の知っている蒼森ミネとは似ても似つかない。
それを再確認して、私は彼女に『蒼森ミネ』という虚像を押し付けることをやめた。
少し頭が固く正義感に厚いという部分以外に、私の知る彼女の面影は存在しない。
蒼森ミネは目の前の少女が望んでいるように、可愛いもの好きな普通の女の子として生きた方が幸せに生きられるだろうと思った。
原作の息苦しいストーリーは自分が肩代わりをすればいい。
それでいいのだと、信じることにした。
「え、お姉さまが、まだ来ていない?」
その日、私はある家に薬を届けてほしいと言われていた。
しかし急に別の予定が入ってしまったので、姉であるミネに代わりに薬を届けてもらうようにお願いしていたのだ。これが初めてというわけではなく、ミネも薬を届けるぐらいならと何度かそれに応じてくれている。
だから今日も別に問題ないだろうと思っていたのだ。
そうやって油断していた私に届けられた、依頼主からのまだミネが到着していないという連絡。
姉はこういう約束を破る人ではないし、私が家を出るときには分かりやすく玄関に持っていく薬を置いておいたから薬がわからなくて遅れるということもないはずだ。場所についても彼女が何回か行ったことのある家だから迷う心配もない。
嫌な予感がする。
三月十九日。ある晴れた午後の出来事だった。
「お姉さま? いないのですか?」
用事を終わらせて家に戻った私は、玄関を開いて呼びかける。
もう小学校の卒業式は終えていて、私のお願いしていた薬を届ける用事以外は今日の姉に予定はないはずだった。時計を見ても、本来であれば戻ってきていてもおかしくない時間である。
リビングに向かおうとして、玄関に置いていた薬の入った袋がないことに気が付く。
約束通り姉は既に出かけている。薬を届けに行って、その帰りでどこかで寄り道をしているのかもしれない。あるいは、折角外に出るのだからと、届けた後に友達と予定を入れた可能性もある。
だけど前提として薬が届けられていないということは、依頼主の家に向かう道でトラブルがあったと考える方が自然だった。
どこか胸騒ぎがして、私は自分の盾と銃を持って依頼主の家まで向かうことにした。
「――え」
その道の途中、私と姉がよく使う裏道の一つに二つの人影があった。
一つは地面に倒れ伏し、ピクリとも動かない青い髪の少女。もう一つはその少女の頭に向けて、執拗に引き金を引き続ける黒髪の少女。
その両者が存在する地面には赤い海が広がっていて、地面に横たわる少女の頭部に空いた穴から溢れる色水が止め処なく周囲の地面を侵食し続けている。
私の姉が――蒼森ミネが、死んでいた。
銃声はずっと前から聞こえていた。家に戻るときも。ここに来るまでも。
代役になると決めた私だったが、『救護』を志してもあそこまで過激にはなれず、怪我をした人たちの治療をすることに専念していた。
だから今日もまたいつもと同じように、その音が止んだら治療に行こうと考えていた。
それではダメなのだと、『救護』はできないのだと、最悪の形で思い知らされた。
「お姉さま……?」
「あははははははは!?」
狂人のように笑う黒髪の少女は、私の姿を認めてこちらを向いた。
その目が自分のものと合ってしまって、次は自分の番なのだと悟ってしまう。
私は盾を構え、臨戦態勢を取る。
じっとその時を待ちながら、少女の姿を目に焼き付けた。忘れないように、霞まないように、心の奥深くまでその姿を魂の底に縫い付ける。
姉を、ミネを、私の大事な家族を殺した相手のことを。絶対に許してなるものかという一心で。
「ひゃひゃひゃ!!!」
突進してきた相手を盾を使って受け止める。
近付いてきた相手の姿をよく見れば、戦闘があったのか負傷している様子が見てとれた。必死に抵抗したのだろう、私に襲い掛かる少女とて決して軽傷のようには見えない。
制服から相手が高校生だと気が付く。背丈はそれほど変わらないが、未成熟な私の身体とは筋力の差は歴然で、あっという間に盾ごと吹き飛ばされてしまう。
涙に塗れて視界が歪んでも、嗚咽だけ漏れて喉から言葉が発せずとも、私の思考は止まらない。
目の前の脅威を排除するまで、落ち着いて泣くことすら許されない。
「返してよ!! お姉さまを!!」
盾を叩きつけ、ショットガンの引き金を引き、ある時はその拳を振るう。
私の感情に任せた攻撃は体のセーフティを外していたようで、その自殺行為に等しい無茶が年齢と経験の差というハンデを何とか相殺していた。
戦いながら、ふとセイアさんの予言を思い出す。
予言が示していたのはこのことだったのだ。恐らくこの事件は見えておらず、その後の話だけが彼女の知っている部分だったのだろう。
蒼森ミネは死んでしまった。いなくなってしまった。それなのに、彼女の予言はこの先も蒼森ミネが健在であることを示している。
その理由を、今の私なら理解ができた。
――私が、『蒼森ミネ』なんだ。
それが、原作に私が居なかった理由。
ずっと姉の振りをした私がそこにいたのだ。どこかで綻びがでないようにするために、リナという人間について語ることがなかっただけなのだ。
だって、今の私には『蒼森ミネ』の『救護』が理解できてしまう。
大事に至る前に、原因の排除が最優先。
救えるなら嫌われたっていい。謝れば済むならいくらでも頭を下げる。治すことは二の次で、まず『救護』をしなければ話にならない。
画面の中で見た彼女があれほど苛烈だった理由を、こんな形で知ることになるなんて。
ギリギリの戦いだった。
肩で息をする私も重傷で、目の前に倒れている黒髪の少女は気絶している。
身体の限界を超えた動きを実現していた私だったが、それでもタガが外れた異常者との戦いには足りなくて、私は予備の弾すら切れた彼女に馬乗りにされて気絶するまで殴られた。
逆転することができたのは、私が気絶した後も彼女が殴っていたせいで痛みで目を覚ましたからである。
私は手探りで自分の銃を探し、その側頭部に向けて引き金を引いた。
突然のことに混乱している彼女の頭部に狙いを定め、彼女が気絶するまで引き金を引き続けた。
でもそこまでだった。殺すことはできなかった。家族を殺されて憎くはあったが、人殺しになる勇気はなかった。この世界に来る前の記憶が邪魔しているのか、キヴォトスでの人殺しだけはダメだという風潮がそうさせたのか、私には判別がつかない。
小心者だと罵ればいい。偽善者と
私はそれを受け止める義務がある。
蒼森ミネを殺したのは私と言っても過言ではないのだから。
それから私は、『蒼森ミネ』を名乗り始めた。
両親は私が狂ってしまったのだと認識した。流石に自らの子供たちの顔を見紛えるような人たちではなかった。
だから私は自分の知っていることを全て彼らに話すことにした。転生したという与太話だけは隠したが、それ以外の全てを彼らに晒した。
自分は未来を知っているということ。そこにミネがいたはずだということ。未来で起こる悲劇の回避にミネが必要であるということ。これまでの行動もその全てがミネを誘導するための行動だったということも。
それ故に自分がミネにならなければならないということを、冷静に彼らに説明した。
両親は納得はしていないようだったが、少なくとも私の意思を否定はしないようだった。それは単に私の事を憐れんだだけなのかもしれないが、邪魔をされないのならそれでよかった。
セイアさんにはすぐに見破られてしまった。
それもそうだろう。彼女はミネがトリニティに来ないことを知っていたし、私と彼女の違いをよく知っている人間だった。
だから私はそれを口外しないように頭を下げ、彼女は私をミネと呼ぶようになった。
両親から学校に連絡が行ったのか、トリニティの中学に入ってから私は本当の意味で蒼森ミネとして扱われ始めた。
それですべて原作に戻ったはずだと、そう思っていた。
五年が経過した。
もうすぐ高校三年生になる時期を迎え、救護騎士団の先輩方が引退していって、私たちの代が中心として動くようになった。
私の容姿は画面を通して見たことがある彼女と変わらないところまで成長し、『救護』に精を出していた。
「ミネには、副団長をお任せします。新団長の懐刀としての活躍を期待しています。これから団長を上手く支えていってくださいね」
だからこそ、その言葉を聞いた時に震えが止まらなかった。
自分が団長になれると思っていた。これはそういう物語なのだから、そうなるはずなのだと信じて疑っていなかった。
それなのに目の前の現実は何だ。何が起こっている。
「リナ、今更かもしれないが、言っておこう。昔見た予知夢にいたのはミネだ。ミネを騙る君ではなく、正真正銘のミネが見えたんだ。だから君にとっては受け入れられないことかもしれないが、この世界はもう既に君の知る
相談しに行ったセイアにそんなことを言われてしまえば、私はもうどうしていいかわからない。
きっと何かの間違いだと思うしかなかった。いつも以上に救護騎士団の活動に力を入れて、巡回の回数も増やして、ここから成果が認められて団長を譲られるのだと思い込むしかなかった。
結局、私が何か焦った様子であることは新しい救護騎士団の団長から見破られてしまって、私は謹慎を食らうことになってしまった。一旦頭を冷やすようにと言われて、パトロールも誰かの治療も許されなかった。
謹慎中にふと、ある噂が耳に入った。
連邦生徒会長が失踪したかもしれないという噂である。
ああもうすぐ原作が始まるのかもしれないと軽く考えていた私は、あることに気が付いてベッドから跳ね起きる。
アリウスによるセイアさんの襲撃は、いつだっただろうか。
確か原作ではミネに相談あるいは時間指定で呼び出して自分を回収させるような示唆があったはずだ。無論爆発をたまたま聞きつけたミネが駆けつけてその場で判断したという可能性もないわけではないが、罠を設置したのにアズサが来てしまったと言っていた気がするし、ミネも保険のうちの一つだったのではないかと思う。
では、この世界ではどうか。
セイアさんはこの世界が私が見ていた原作とは違うと言った。それはつまり、彼女が私を頼ることはないということなのではないか。
時計を見る。時刻は午前一時半。
セイアさんの部屋までは三十分もあればたどり着くはずだ。時間的にはちょうどいい時間。
アリウスが来ているかだけでも、これから確認しに行ってもいいかもしれない。もしセイアさんの部屋に辿り着いたときにアズサがセイアさんと話していたら、爆破されるまで待ってからセイアさんを回収して逃げればいい。
私の肩書は少し変わってしまっているが、大筋さえ変わらなければ結末に影響はないはずだ。
彼女の部屋の爆発後にアリウス生が彼女を見つけ、セイアさんを殺されてしまうのが一番最悪なシナリオ。彼女がいないだけで多くの問題が解決不能になるのだから、それだけは避けなければいけないだろう。
そう思った私は盾と銃を持って、セイアさんの部屋へと向かうことにした。
原作でセイアさんの襲撃の時系列は語られていない。
深夜三時に爆破されたということは語られていたが、日付については先生がシャーレに来てからなのか、それ以前なのか、その辺りの時系列は定かではなかったはず。
だから今日かどうかも分からない。いなければいないでそれに越したことはないのだから。
誰もいなければ、セイアさんにその予知夢を見たか確認しよう。そうして彼女と今後のことをすり合わせて、なるべく原作通りに進むように説得するのだ。
「見つかっちゃった、か。しかも、よりにもよってミネ副団長。まあ別にいっか。閉じ込めておく人が一人増えるだけだもんね?」
考え得る限り、最悪の展開だった。
アリウスを連れて今からセイアさんの部屋に押し入ろうとする聖園ミカと出合い頭にぶつかってしまったのだ。
原作が大きな音を立てて壊れていく。私という致命的な異物によって。
双子として生まれ、『蒼森ミネ』を殺し、救護騎士団の団長にもなれず、セイアさんの襲撃を邪魔してしまった。
もうあのハッピーエンドは望めない。
薄氷の上にあったわずかな可能性を私がこの手で壊してしまった。
「ミカさん、これはどういうことでしょう。現ティーパーティーホストへのクーデターと見てよろしいでしょうか」
「うん、それでいいよ。ちょっと痛い目見てもらえれば良かったんだけどさ、ミネ副団長の登場で予定変更。セイアちゃんと一緒にあなたも潰して、あとでナギちゃんも檻に入れることにするよ」
「わかりました。では、あなたを『救護』しなければなりませんね」
「あはっ。勝てる気でいるんだ」
勝たないといけない。せめて騒ぎを起こして正義実現委員会の到着までは粘らなければ。
原作のようにはいかないことが確定してしまった以上、この襲撃を止めることが唯一の望みになる。ミカさんが間違った道へ進まず、誰も苦しまずに済む結末を望むしかない。
「私がミネ副団長の相手をするから、セイアちゃんをお願いするね」
そう言って動き出したミカさんの動きは想定した以上に早く重く、盾で受け止めきる間にアリウスの生徒が何人も脇を駆け抜けていってしまう。
慌ててそちらに銃を向ければ、後ろからとてつもない悪寒が私を襲った。
左腕一本で構えた盾はミカさんの攻撃を受け止めるには足らず、私はバランスを崩して突っ込んできた彼女の蹴りをまともに貰ってしまった。
思わず盾を手放してしまい、回収しようにもミカさんはそれを許してくれそうになかった。
そこからは防戦一方だった。
盾を手放してしまった影響で回避主体に戦い方を切り替えなければならず、こちらにターンを渡さないとばかりに攻撃を続けるミカさんを捌くのが手一杯でアリウスの人たちに気を配る余裕なんてなかった。
このままでは負ける。そう思った私は形振り構わず彼女に背を向けて、正義実現委員会と連絡を取ろうと離脱を図った。
しかし聖園ミカ相手に余所見なんてしてはいけない。
先程も同じミスをして盾を失ったというのに、私は何も学習していなかった。
圧倒的な質量攻撃。隕石が、私の背中を焼いた。
「リナ!? どうしてここに君が!? ここに来たら君は!」
セイアさんの声が聞こえる。
体を起こして周囲を見回せば、どうやら私はミカさんの攻撃によってセイアさんの部屋まで吹き飛ばされてしまったらしい。
飛んできた私にぶつかったのか、膝をついたアズサの姿も見える。
どうやら本編通りにアズサだけがこの部屋に辿り着いていたようで、私はそれを邪魔してしまったようだ。
私は一体、いくつの展開を壊せばいいのだろうか。
「ミネ副団長、そろそろ諦めて、って、あ、ここセイアちゃんの部屋だったんだ。参ったなぁ。ここでバレちゃうといろいろと面倒なんだけど、まあいっか。いまここで二人とも黙らせちゃえば、同じことだもんね?」
そう言って立ち上がろうとしていた私に一発銃弾を撃ち込んで、彼女は部屋の中にカツカツと足を踏み入れる。
急所に入ってしまったのだろう。胸に着弾した弾丸の痛みで視界がチカチカと明滅する。
何かセイアさんとミカさんが問答をしていたのだろう。ただそこに立って何か嘲るような手ぶりをしている姿が視界に映り続けていた。
アズサはミカさんが来たことで部屋の入り口側に下がっていた。恐らくミカさんならば友人であるセイアさんを殺さないと信じての行動なのだろうと思う。
私の視界と耳が戻ってくる頃には問答は終わったようで、ミカさんが放つ「平行線だね」という言葉を耳が拾った。そうして足元に落ちていた何かを拾い上げてミカさんは、アズサさんの方を向くこともなく呼びかける。
「アズサちゃん、この爆弾借りるね?」
「爆弾? 待て、ミカ、それは!」
アズサの忠告よりも早くこちらに投げられたそれの正体に気付いたのは、三人。
それを持ってきたアズサ。予知夢で存在を知っていたセイアさん。そして知識としてそれを知っている私。
唯一それがなんであるか知らない彼女の手にそれが渡ってしまったことによって、もう手遅れであったこの世界は完全に終わりを告げた。
ヘイローを破壊する爆弾が、私の目の前で爆発する。
「リナ!」
目の前に小さな影が飛び込んできた。
「へ?」
そんな素っ頓狂な声は、誰が上げたものだったか。
爆風が、二人を飲み込んだ。
激痛に、目を覚ます。
意識が飛んでいたようだった。しかし意識があるという事実に疑問を覚える。
ヘイローを破壊する爆弾の直撃を私は食らったはずで、生きているはずがないというのに。
直前で目の前に誰かが飛び込んでその威力の減衰でもしない限りは――
「セイアさん!」
一気に覚醒した思考と共に体を起こせば、目に入ったのは救護騎士団の病室で。
それを認識するとともに、あの瞬間のわずかな時間の記憶がだんだんと蘇ってくる。
走馬灯が流れているのかと思うぐらい世界がスローに見えたあの瞬間、飛び込んできたのは間違いなくセイアさんだった。私の前に入って、彼女がこちらを向き切る前に爆弾が炸裂した。
思い出す。彼女がわずかに安堵したように笑っていたことを。
言葉が聞こえるはずのない僅かな時間しか与えられなかった世界で、彼女が『良かった』と口にしたことを。
彼女のヘイローが私の目の前で、バラバラに砕けてしまったことを。
「ミネ、副団長……?」
信じられないものを見たような声が耳に届いて、私は声がした方を向く。
そこには以前見たときより一回り大きくなったように見えるセリナが、私の事を見て感極まったような表情でこちらを見ていた。緩慢な動きで、両手でその口を覆っていく。その感情が、飛び出してしまわないように。
私はその様子を見てベッドの側にあるデスクへと目を向ける。正確には、そこに置いてあるであろうカレンダーへと。
「ハ……」
乾いた笑い未満の何かが口から漏れる。
動機が収まらない。体の痛みを思い出して、上手く呼吸ができなくなる。
それでも確認しなければいけないと思って、私はベッドを下りてすぐ側のカーテンを開けた。
「ハハ……」
夜だった。でも一つだけわかることがある。
「セリナさん、一つ聞かせてください」
ぐちゃぐちゃだった。ボロボロだった。
かつての華やかな姿はいつの間にか過去のものになってしまっていた。
「先生は、亡くなられましたか?」
「どうして、それを……」
この世界が終わってしまったのは、上手く行かなかったのは、私が居たからだ。
「私の、せいだ」
「副団長…………?」
空にぽっかりと空いた大きな穴は、もうこの世界が捨てられたことを示しているようだった。
「皆さんは、どちらに?」
私はあの襲撃事件から約一年間もの間、眠ってしまっていたらしい。
その間にハナコさんは自ら退学を選び、ナギサ様もヘイローを破壊され、ミレニアムが崩壊し、アビドスの地でヒナ委員長とホシノさんが死亡。
反転したシロコさんと
残された世界は既に壊滅状態で、ただ終わりを待つだけの日々を過ごしているという。
「他の人は、もう……。ここも来ているのも私が一週間に一度訪れるぐらいで、救護騎士団としての機能は既に失われています」
「そう、でしたか」
セリナさんの言葉に、本当にバッドエンドを迎えてしまったんだなと痛感する。
私がまだこの身体ではなかった頃にした下卑た想像なんかよりももっと昏い。歩みを止めてしまいたくなるような重たい空気がそこかしこに満ちていた。
どうせなら、あのまま死んでいれば良かったのに。
そんなことを思わないわけではないが、それは身を挺して私の命を守ったセイアさんの献身を無駄にするということだ。厄介な呪いを残していなくなってしまった狐耳の少女のことを恨むこともできず、私に与えられた選択肢は多くない。
生き残ってしまった私に、一体何ができるというのだろう。
「外に、出てきますね」
「え、あ……。お気をつけて」
変わってしまった。
本来の彼女であれば、絶対安静だと言って今の状態の私をベッドから出すことはなかったはず。
もうそんなことがどうでもよくなるほどに世界は終わっていて、意味を失っているのだろう。その惨状を自身が招いてしまったという事実が重くのしかかる。
この世界に来た時から恐れていたことを現実にしてしまった。
その責任の取り方は、わからない。
「あ、起きたんだ」
トリニティの残骸の中を歩いていたら、こちらに近付いてくる足音と共に声が聞こえた。
私にとってはまだ記憶に新しいその声はひどく平坦で、先程セリナさんから情報と照らしても彼女が救われなかったことは明らかだった。
「……ミカさん」
「ねえ、ミネちゃん。私、人殺しになっちゃった。ミネちゃんのせいじゃないってわかってはいるんだけどさ、考えちゃうんだよ。あそこで私とミネちゃんがぶつからなかったら、セイアちゃんは死ななかったんじゃないかなって」
傷だらけだった。身体だけでなく、きっと心の方も。
その開き切った瞳孔が彼女の精神状態を如実に示していて、今の彼女が正気であるかどうかも疑わしく見えてしまう。
死んだと知らされた原作と、自分の手で殺めてしまったこの世界と、どちらの方が彼女にとって辛かったのかなど私には分かるはずもないことだけど、彼女はセイアさんを殺し、親友のナギサ様も殺し、エデン条約を終わらせた。終わらせてしまった。
今の彼女がどんな地獄に生きているのか、理解できるなど口が裂けても言えるはずがない。
「私、ミネちゃんのせいで魔女になっちゃった。責任、取ってよ」
「ミカさんは、魔女ではありませんよ」
だって、本物の魔女は私なのだから。
その言葉がもう、何の意味もないことは分かっているけれど。
「私、本当の名前はリナと言うんです」
「いきなり何言ってるの、ミネちゃん?」
本当に何を言っているんだろう。
「蒼森ミネは、お姉さまはもう、死んでしまいましたから」
そんなことを言って何になるんだろう。
「あの時から既に、もう手遅れだったのでしょう」
「ミネちゃん?」
「自分が『蒼森ミネ』になれるだなんて、何様のつもりだったんでしょうね」
「ミネちゃん、どうしたの?」
「烏滸がましいにも、ほどがある」
「急にどうしちゃったの、ミネちゃん」
ただの
彼女たちの物語は自分という不純物が取り除かれた彼女たちの輝きであってこそ、成立するものなのだから。
「蒼森リナさん。どうやらあなたも自分の役割を理解したみたいですね」
気が付けば、電車に乗っていた。
長髪の女性が対面の座席に座り、私に話しかけている。
「本当はあなたみたいな方にお願いすることではないことは分かっているんです。ですが、外から来たあなただからこそ、きっとより良い選択を選ぶことができるはず」
そういえばループ説なんてものがあったなと懐かしい気持ちになる。
でもそれは原作開始後に戻るだけだと思っていたのだが、私の認識が間違っていたのだろうか。
「先生を送るのはあそこが限界なんです。だって、先生の影響力は大きすぎますし、もとより先生を送るならあのタイミングがベストですから」
そうだと思う。あの
でも複雑だ。良い方向に変化させる先生と違って、私は無駄なことしかしないが故にずっと昔に運べるということなのだろう。
「あなたが見てきた物語に
そうか。私はいたのか。
だとすれば、やることは決まっている。
「ええ、彼女の普通の女の子としての幸せを奪ってしまうのは心苦しいですが、彼女は物語に必要な人間なんです」
私は不要な人間だから、死んでもいいと。
いや、これは意地悪な発言だった。許してほしい。
「そう言っているのも同義であると、理解しています。ですが、敢えて言わせてください。あなたは彼女のきっかけを作るために、物語に必要な犠牲なんです」
別にいい。十分楽しんだ。
上手くはいかなかったけど、この世界で生きられてよかった。
「ごめんなさい、蒼森リナさん。あなたの未来を、奪ってしまって」
別にいいって。私もこの世界で彼女と十年は暮らしたんだ。
僅かでもまた彼女に会えるなら、大切な家族に会えるのなら、それ以上のことはない。
それに、この命に明確な意味があるなんて、幸せなことじゃないか。
「その尽力と覚悟に、感謝します。『蒼森ミネ』さんを、よろしくお願いします」
任せて。
「リナ? 聞いていますか、リナ? 本当にあなたの言うように『救護』してあげましょうか?」
「してくれてもいいのですよ、お姉さま」
そうして、私は帰ってきた。
三月十二日。一週間も時間をくれるなんて、なんて彼女は優しいんだろう。