プロローグ『二周目開始?』
――突然だが皆は、「前世」という物を信じているだろうか。
前世とは、俗に言う生まれる前の別の自分。ある人生を起点として、それより前の人生のこと。
スピリチュアルで非科学的だと、まず大抵の人間は笑い話の域を出ないだろう。かく言う俺も、そんなものは微塵も信じていなかった。
だが現実とは時々、冗談みたいな顔をして殴りかかってくる。
俺には、前世の記憶がある。「雨宮吾郎」という、冴えない医者の男の記憶だ。
男は生まれた瞬間に母をなくし、祖母と二人で暮らしていた。なんの目的もないまま無気力に生き、それなりに出来の良い頭を活かして産婦人科の医者になった。しかし、そこでも患者の子一人満足に救う事が出来ず、無力さを痛感させられる日々。最終的には田舎でこっそり子どもを産もうとしたアイドルの担当医になり、それを嗅ぎ付けたストーカーの男に襲われて、とばっちりで死んだ。
思い返してみても、ろくでもない人生である。
しかし、そんな男の人生には流石に神様も同情せざるを得なかったのか。
次に目を覚ました時、俺は赤ん坊に生まれ変わっていた。しかもよりにもよって、担当していた推しのアイドル――「星野アイ」の子供に。
星野アクアマリン。それが、生まれ変わった男の新しい名前。
オタクの妄言にしか聞こえないかもしれないが、そこはひとまず飲み込んでほしい。問題はここからだ。新たな暮らしが始まって早一年。徐々にこの生活にも慣れ、推しとの日々をそれなりに満喫していた時、
――それは、突然起こった。
「アクア! アクア! アクアぁああ……ッ!!」
「……どうして、こうなった」
星野アクアマリン。通称・星野アクアは、自分の体にしがみついて泣きじゃくる妹――星野ルビーを見下ろし、盛大にため息を吐くことしかできなかった。
※ ※ ※ ※ ※ ※
――事の発端は、ほんの五分前。
アイが仕事で家を出て、社長たちも各々外出し、俺は家に取り残された。
普通なら赤子だけ家に置いていくなどあり得ない話だが、俺は赤子とは思えない落ち着き様が評価されている。留守番を任されるのは、今更珍しい事ではない。
暇になった俺は、テレビをつけてアイのライブ観賞にしゃれ込もうとしたのだが、そこであることを思い出した。
自分の隣で眠りこけている、もう一人の赤子――「星野ルビー」の存在を。
彼女もまたアイが出産した子どもであり、今世では俺の双子の妹だ。こうして可愛らしい寝顔を見てる分には普通の赤子だが、残念ながらこいつも俺と同じく、前世の記憶持ちである。
しかもこれまた厄介なことに、俺以上の「星野アイ」オタク。彼女が寝ている間に俺が一人でライブを見ようものなら「なんで起こしてくれなかったの!」と本気で怒る、ちょっとしたモンスターだったりする。
となれば今回も、俺は律義にこいつを起こしてやらなければならない。
「おーい、これからアイの録画見るけど、一緒に見るか?」
「…………んぇ?」
眠そうに目を擦りながら、ルビーは体を起こす。うん、いつも通りのアホ面だな。
だが、次の瞬間、俺は見た。ルビーが目を大きく見開き、まるで幽霊でも見たかのような顔で息を呑んだのを。
「……え、アク、ア?」
「…………そうだけど」
簡潔なやり取りの後、不自然な間が開く。
なんだ、この空気は。ルビーは俺の顔を、瞬きすら忘れて見つめている。いつもと同じ顔のはずなのに、なんだかその表情は普段の何十倍も大人びているように見えた。
「……生き、てる……?」
「は?」
「アクアぁあああッ!!」
「うわっ、なんだ!? 危ない危な……おいっ!!」
そして突如、彼女はこちらに飛びかかってきた。
小さな体からは想像もできない力で、ぎゅう、と締め付けられる。当然こちらも引きはがそうとするが、びくともしない。それどころか、俺の胸に顔を押し付けたまま、堰を切ったように泣き出してしまった。
そこからおよそ五分。ひたすら俺の名前を連呼して離れようとしないルビーを前に、呆然自失としていた。
――という流れで、冒頭に戻る。
「なあ、何があったか知らんが、いい加減離れてくれ。そろそろあちこち痛いんだが?」
「……っ、ひぐっ……アクアぁ」
駄目だ。どんなに呼びかけても、こちらの声が届く様子はない。
怖い夢でも見たのだろうか。
俺の名前を呼ぶ以上、俺が酷い目に遭う内容の悪夢とか。だが、それは妙な話だ。
俺たちは共に、前世の記憶を持つ転生者。兄妹と言っても、所詮は同じ場所に生まれただけの他人、そういう認識だったはずだ。一年一緒に過ごしたとはいえ、特別絆が深まった覚えもない。それなのに――
「ごめん、ごめんね……気づいてあげられなくて……ごめん、なさい……寒かったよね、痛かったよね……ごめんな、さい」
「っ、ほんとにどうした……」
今度は、うわ言のように意味不明な事を呟き始める。
震える声音、血の引いた顔色。おまけに目からは尋常じゃない量の大粒の涙が溢れ続けている。これは、怖い夢どころではない。明らかに異常だ。万が一にも何かあってはいけないと、ルビーの脈や熱を確認しようとするが、
「ぐっ……」
こいつの力が強すぎて、まともに身動きが取れない。引きはがそうとするたびに一層激しくしがみつこうとしてくる。それはもう、怖いくらいに。
どうする、アイを呼ぶか?いやでも、たかが夢かもしれないのに、仕事から呼び戻すなんて――、
「一人にして、ごめんね……ッ」
「――――」
うわ言の中に混じった何気ない一言。それが何故か、酷く心に刺さった。
何を見て、何に対して言っているのかは、依然として分からない。だけど、前世で一人死なせてしまった少女と、傍にいた無力な医者を思い起こさせるようで、
「…………はぁ」
仕方なく、机の上にあった固定電話になんとか手を伸ばして、アイの番号をプッシュする。
「――もしもし。うん、ルビーの様子が変なんだ。悪いけど、戻ってこれたりしない?」
アイの返事を待ちながら、アクアは小さく息を吐く。
「今回だけだからな。こんなこと……」
そして、照れくさそうにしながらも、泣き続けるルビーの背中に手を回し、頭を撫でた。
結局、何があったのかは分からない。だけど、こんな状態のルビーを一人にしておけないのは確かだ。辛い時、傍に誰もいてくれない辛さは、自分なりに理解しているつもりだから。
「……まあ、もう暫くだけ付き合ってやるか」
どこか懐かしさを感じる妹の声に応えるように、アクアはポツリと、そう呟いた。
2
全部、終わっていた。
星野アクアが死んで、また一人になったあの日から。どれほど叫んでも、どれほど嘆いても、後悔が薄れることはない。どんなに笑いたくても、零れ落ちる激情は留まることをしらない。
毎朝「行ってきます」と口にしても、「行ってらっしゃい」と返してくれる家族は――もう、どこにもいない。
私は、それでも頑張った。前を向いたふりをして、本心を偽って、綺麗なところだけを人に見せて、アクアとママが守ってくれた未来を生きようとした。
でも、目を逸らしたところで、そこにあるものが無くなったりはしない。見えるのはいつだって、自分がもう二度と笑えないのだという事実だけだ。
だから、星野ルビーは決めた。
アイドルとして多くの人を照らし、その果てで皆の夢だったドームに立つ。そうして夜空に輝く一番星になれたのなら。その時は、二人のいる場所へ行こうと。
それが、私をここまで支えてくれたロリ先輩やMEMちょ、ミヤコさんや苺プロの人たちへの、最後のケジメとなると思った。二人には悪いけど、この先に輝かしい未来など待ってはいない。日々を死んだように生きるのなら、それは死んでいるよりよっぽど質が悪い。
――もうこれ以上、自分にも他の誰かにも、嘘を重ねたくない。
そうして迎えた、ドーム公演最終日。
ライブは大成功。たくさんのファンが私を見上げ、溢れんばかりの拍手と歓声を送ってくれた。私もこれで最期になるならと、最高のパフォーマンスを披露できたと思う。
「これで、いいよね……」
幕引きを意識した途端、ぷつり、と何かが切れた。
直後、急激に視界が遠ざかり、自分の構成する世界が曖昧になっていく。音も景色も、己を構成する全ては、消えゆく命の付き添いに連れていかれ、旅は終わりを迎える。
――次の瞬間、そこにあったのは、「無」だけだった。
その光景を見て、ルビーはふと、この空間に自分の人生を連想する。結局、私は最後まで嘘ばかりで、外から見れば煌びやかでも、蓋を開ければ誰もががっかりするような、空っぽの人生を過ごしてしまった。
本当に幸せだった時間と言えば、ママが生きてた四年間と、最後に先生と再会できた一瞬だけ。
「……あ、れ?」
ふと、目尻から涙がこぼれる。零れる、という表現はこの場合適切ではない。
だってその意識にはもう、目が存在しない。それどころか手も、足も、体のどの部位も存在していない。だがそれは当然だ。自分はもう――死んだのだから。
とっくに、全てを諦めてしまったはずなのに。
とっくに、自分の本心など分からなくなってしまったのに。
最後の瞬間になってようやく、往生際悪く顔を出す。
足りない。全然、全く持って、微塵も足りていない。まだ一緒にしたいことがあったのに。まだ一緒に行きたい場所があったのに。まだ伝えられてない事がたくさんあったのに。
『――本当に、終わってしまうのかい?』
ふと、その常闇の世界に意味が生まれた。意識にとって正面に当たる位置。そこにふいに生まれた人影がある。人影は寂しそうにこちらに囁いてきて、つられて欲求が強まる。
――いやだ。終わりたくない。
『――この世界に、未練はないのかい?』
ない訳がない。自分は、こんな人生を送るために生まれてきたわけではない。すると、影は揺らめきを一層強くして、輪郭をさらに不明瞭にし、
『星野アクア。私は君の覚悟を尊重した。だけど、これは流石に誰も望んでいないらしい。だから――』
『――だから、ここから先は、私の我が儘だ』
そんな微かな囁きを残し、不意に世界は消失した。影も、意識も飲み込んで、唐突に。
次に目を覚ますと、視界に映るのはどこか懐かしい景色。
薄暗い部屋の中、天井では見覚えのある照明がぼんやりと部屋を照らしていた。体が上手く動かない。脳の認識と実際の身の丈が異なっている。転生直後の、若返った感覚に近いだろうか。
ここはどこだろう。そんなことを考えながら、ゆっくりと起き上がろうとした――その時だった。
「おーい、これからアイの録画見るけど、一緒に見るか?」
不意に、聞き覚えのある声が耳を撫でた。
「…………んぇ?」
中性的で、よく通る子どもの声。もう一度聞けたら、そう何度も願ってやまなかった、あの人の声に似ている。途端に意識は覚醒し、後ろを振り返る。動かしにくい体にお構いなしに、声の主へと顔を向けた。
「……え、アク、ア?」
「…………そうだけど」
目の前には、アクアがいた。縮んでいても、その人を見間違えることはあり得ない。
何が起きているかは分からない。でも、確かに目尻が熱くなる。冥府なのか、現実なのか定かじゃない。それでも、全身が訳の分からない感情の渦に打ち砕かれる。
「うわっ、何だ!? 危ない危な……おいっ!!」
――気づけば、ずっと感じたかったその温もりに、飛び込んでいた。
生き残った奴ら全員二周目の【推しの子】
それは原作本編にて死ななかった主要キャラの記憶が引き継がれた状態での再スタートを意味するのだ!
アクアはこれから先、身に覚えのない数々の寵愛を受け、変質者たちに絡まれていく!