それは、東京某所。皆が記憶を取り戻した翌日のことだった。
「……いやがったな」
多くの人間でごった返す東京の繁華街。
群衆の中で目立つその男の姿を確認し、斎藤壱護は低く呟く。
無駄に長い手足、濁り切った金髪、サングラス越しでも分かる憎たらしい目つき。
忘れるはずがない。
――神木プロダクションCEO、カミキヒカル。
そいつは昼間からサングラスをかけ、全身黒いコートで覆った悪趣味な格好で街中を闊歩していた。
「…………」
一瞬だけ、強烈な殺意が胸を支配した。
手を伸ばせば、今すぐにでもその首を掴めそうな距離。
しかし――
「……チッ」
舌打ちし、無理やり気持ちを押し殺す。
いくらあいつがアイとアクアの仇で、死ぬほど殺してやりたい男だろうと、「全員で未来を迎える」とルビーと誓ったのは俺自身。
今日ここに来たのは、復讐のためではない。
これは昨日からルビー、ミヤコと三人で進めている“協力者探し”の一環だ。
二人には自ら動き回ってもらっているが、俺は別行動をとった。
カミキヒカルの尾行と監視。
……と聞けばただのストーカーじみた行為に思えるが、目的は別にある。
カミキヒカルを狙って現れるであろう『記憶持ち』かつ『殺意マシマシ』の連中を待ち構え、捕獲。状況を説明して、協力を仰ぐのが俺の狙い。
名付けて――
「カミキホイホイ、ってな」
作戦名としてはふざけているが、かなりの効果が見込めるはずだ。
なんせアクアが死んだ後の周りの連中の様子と言ったら、とても見ていられないものだった。
昨日話し合った『
「……つっても、翌日から尾行開始ってのは、さすがにやりすぎたか?」
時間はまだ、日が昇ったばかりの早朝。
もし記憶の復活が一斉に起こったのだとしたら、二十四時間も経過していない。
万が一にも、あの野郎が殺されちゃ困るから、こうして最速でカミキの居場所を突き止めたわけだが……
冷静に考えれば、記憶を持っている者のほとんどは、現時点でわずか二〜五歳の幼児のはずだ。
そんな年齢で長距離移動は難しく、そもそもここまで来ること自体が不可能かもしれない。
「……まあ、気長にやるしかねえわな」
今日明日あたりは徒労に終わるのだろう。
そう覚悟を決め、長期戦に備えた――その時だった。
「…………ん?」
再び視界にカミキを捉えた瞬間、胸の奥に妙な違和感がよぎる。
赤信号で立ち止まっているカミキヒカル。その背後、群衆に紛れるようにして、一際小さな幼女の姿があった。
「――――は」
その正体に気づいた瞬間、壱護の目が驚愕に見開かれる。
同時に、先ほどまでの自分の考えがいかに甘かったのかを思い知らされた。
大人たちの足元に埋もれるほど背の低い、青髪の少女。幼いながらも見覚えのあるその顔が、じわじわとカミキの背後へと近づいていく。
そして、その小さな手が、何台もの車が行き交う車道へ向けて――カミキを突き飛ばそうとしているかのように見えて、
「――っ、マジかよ!?」
気づけば、隠れることも忘れ、その場を飛び出していた。
大地を蹴り、人混みをかき分け、少女のもとへと全力で駆ける。
あり得ない。
俺はカミキに近づく不審な影を見逃したりはしなかった。ならば彼女は、
――最初から、そこにいたのだ。
幼くか弱い筈の肉体で、俺なんかよりもずっと早く、カミキの居場所を突き止めた。そして人に溶け込み、じっと様子をうかがっていたのだろう。
確実に殺せる瞬間が、訪れる時まで。
少女の手が、徐々にカミキの背中へと近づいていく。そうして触れる、その前に――
「おらあああああっ!!」
「――え? きゃあッ!?」
勢いよくカミキと少女の間に飛び込み、咄嗟に小さな体を抱え込む。
そのまま二人して歩道の端に転がり込み、何とか事なきを得た――かに思えた。
「……っ、危ねえ。なんとか間に合った」
「いきなり何ですか!? 離してください!!」
腕の中で暴れる少女を、壱護は必死に押さえつける。
殺しを邪魔されたとばかりに、小さな手で容赦なく叩いてくるが、それどころじゃない。
あと一秒でも遅ければ、カミキヒカルは車道へと突き飛ばされ、確実にあの世行きだった。
……なぜ俺が、あんなクソ野郎の命を必死に守らなきゃいけないのか。
しかし、安心するのも束の間。
周囲からの視線が急激に集まり、不穏なざわめきが広がり始める。
「え、今の男の人、すごい勢いで女の子に……」
「えっ、誘拐!? 誘拐じゃない!?」
「誰か、警察呼んだ方がいいんじゃ……」
……やっちまった。
周囲の人々の反応を見て、壱護は悟った。
ここは東京の繁華街。大の男が幼い少女を押さえつけているこの状況。
はたから見れば間違いなく――
「「「ロリコンだっ!!!」」」
「お、おいおいおい、待て待て!! そういうんじゃねえ!!」
実に不名誉な称号をつけられ、慌てて否定に入る。
ただでさえアイには「若い子贔屓」とか言われてドン引かれてるのに、これ以上妙な噂を広められてはたまったもんじゃない。
というか、それ以前に警察が来たら説明のしようがない。
「くそ、こうなったら――」
壱護は少女の肩を掴み、切羽詰まった顔で訴えかけた。
「おい、俺だ、斎藤壱護だ! もし俺のこと覚えてるんなら、話を合わせろ! お前、俺の娘な!!」
「……はい?」
「いいから! このままじゃ俺の二周目の人生が一日で終わる!!」
必死の懇願に、少女は呆気に取られる。
だが、警察を呼ぼうとする人々の動きを察すると、小さくため息をついた。
「……お父さん、痛いよ」
「すまんすまん、びっくりしたな? もう大丈夫だ!」
涙目で訴える少女の言葉に、周囲の空気が一気に和らぐ。
「ああ……なんだ、父親か……」
「びっくりしたー、事案かと思ったよ……」
ホッと胸を撫で下ろす人々を横目に、壱護は少女の手を引き、そそくさとその場を離れる。
そうして人目のない路地裏まで来たところで、少女に声をかける。
「……にしても、咄嗟にお願いしたのにすげえ演技力だな」
「…………」
「流石、ララライの若きエース様だ」
「…………」
まだ邪魔されたことにご立腹なのか、少女は無言のジト目で睨みつけてくる。
それを横目に、壱護は間一髪ことなきを得たことを改めて実感して息を吐いた。
完全に舐めていた。こいつのカミキに対する殺意と執着を。加えて、子供の体を逆に利用して巧みに周囲を騙す演技力と即断即決の行動力。
――劇団ララライが誇る天才役者、黒川あかね。
彼女のどこまでも突き刺さるような痛い視線に晒されながら、斎藤壱護はその場を後にした。
2
「……なんで、止めたんですか?」
「えっと、だな……」
心底恨めしそうな声でそう尋ねる黒川あかねを前に、壱護は流れ出る冷や汗を止められない。
ここは苺プロ一階の応接室。アクアやアイも皆んな不在で都合が良かったため、話をするために黒川をここまで連れてきたわけだが……
怖い。
夢だなんだと思うこともなく、初日から躊躇なくカミキを殺りに来た時点で察してはいたが、改めてこうして向かい合うと、想像以上にヤバい。
理由を聞きたいだけなのは分かる。俺だって好きであんな野郎を庇ったわけじゃない。
だが、今この場で納得のいく説明ができなければ――
「なんで、ですか?」
「ひぇ」
カミキはおろか、俺の命まで刈り取りそうな目を、こいつはしているのだ。
命の危機を前に、壱護は大きく深呼吸をし、必死に頭を働かせる。
落ち着け。冷静になれ。こっちにだってちゃんと考えがあるのだし、それを伝えればいいだけだ。
「……お前を止めたのは、別にカミキに同情したからじゃない。ただ単に、あんな野郎のために誰かが捕まる必要はねえと思ったからだ」
一つ一つ言葉を選んで慎重に話す。
黒川あかねは無言のまま、じっとこちらを見つめていた。表情は変わらない。
ただ目だけが鋭く、冷たいまま。まるでこちらを値踏みするように、静かに耳を傾けている。
いけるか? そう思ったのも束の間。次に言葉を続けた瞬間、
「ルビーにも、今は手を出さないようにお願いしてる。俺たちは今とりあえず仲間を集めてて、それから……」
「――必要ありません」
その淡い期待は、一瞬で粉々に砕け散った。
「…………は」
驚いて顔を上げる壱護をよそに、あかねは変わらぬ声音で淡々と言葉を紡ぐ。
「カミキヒカルはアクア君とアイさんに仇なす害虫。またなにかしでかす前に、一秒でも早く、殺すべきですよね?」
話が通じない。
その言葉には、感情が感じられない。
そこには確かに、殺意や憎悪が乗っかっている筈なのに、それを感じさせないほど、彼女の言葉は理路整然と語られているように思える。
純粋に何故躊躇っているのか分からない。そう言いたげな顔に壱護も痺れを切らし声を荒げる。
――そんなときだった。
「っ、それは俺も分かってる! だけど、せっかくやり直せたんだから、誰も失わずにゴールを迎えたいって俺の言い分も――」
「――だったら!!」
バンッ!!
机を叩く音が、部屋を反響した。
その音に一瞬驚かされた壱護が見たのは、
「だったら……私なら、誰にもバレずにアイツを殺せる! 警察だって欺いて、不慮の事故の完全犯罪に見せかけることだって――!」
先ほどまでとはまるで別人。目から止めどなく涙を流して声を荒げる、年相応の少女の姿だった。
自分が泣いていることにすら気づいていないのか、涙は拭われずに頬を伝い、重力に従って落ちて、テーブルを濡らしていく。
荒い息。小さく震える肩。そして、
「……私がやらなきゃダメなんです……あの時、私が迷わなければ、もっと早くあいつを始末していれば……アクア君は……アクア君は……っ!」
そう言葉を溢す黒川を見て、ようやく理解させられた。
どうりで殺意や憎しみが感じづらい訳だ。
黒川あかねを突き動かしているのは、そんな感情ではない。
あまりにも深すぎる後悔。
どうしようもないほどの、自分自身への嫌悪。
――あの時、彼を信じなければ。
――あの時、一人で行かせなければ。
――あの時、一緒に堕ちてあげられていれば。
それだけが、今の黒川あかねを動かす、ただ一つの原動力なのだ。
啜り泣く声が、静かな応接室に響く。
壱護はその様子を見ながら、自分の愚かさにようやく気づかされた。
――痛いほどに、気持ちがわかる。
アクアを、アイを救えなかった自分が許せない。
それは時間が巻き戻ったところで消えるものではなく、二度と同じ過ちを繰り返す訳には行かない。
だからこそ黒川あかねは、何の迷いもなくカミキを殺しに行ったのだ。
その行動は、彼女にとっては至極真っ当なことだろう。
――だけど、
「…………それでも、ダメだ」
「なん、で……?」
静かに、だが確かに告げられた言葉に、あかねの瞳がさらなる絶望で染まっていく。それでも壱護は目を逸らさず、強く言葉を続けた。
伝えなければならないから。自分と同じように苦しみ、後悔に囚われているこの少女に。
「お前の頭が抜群にキレることも、前にアクアと色々企んでたのも知ってる。確かにお前なら、完全犯罪だって可能なのかもしれん」
「それでもアクアは――お前を巻き込まなかった。自分でカミキと決着をつけようとした。それが何故か、分からないお前じゃないはずだ」
「それは……」
わかっている。だが、認めたくない――そんな迷いが見え隠れするあかねの表情を見て、壱護はさらに言葉を重ねる。
それは前の世界で、アクアが最後に願ったささやかな願い。皆を悲しませ、自分の未来を捨ててでも貫いた、星野アクアの『覚悟』。
「お前に、殺させたくなかったからだろうが」
「――――」
その決して目を逸らしてはいけない事実を受け、黒川は涙を流し唇を噛んだまま下を向く。
震えている。今し方、人を殺しかけた手が。
あれだけ憎くて、一秒でも早く消し去りたい相手であったにも関わらず。
相手が誰であるかは重要ではない。人が人を殺すと言うのは、こういうことだ。
星野アクアは、あかねがこの感覚を、この恐怖を背負わないように。安らかに生きていけるように、一人で全てを終わらせたのだから。
「……アクア君、ごめん。……一緒に、行けなくて」
そう、誰に聞かせるわけでもない懺悔の言葉を、延々と繰り返す。今はそうすることしか、出来なかった。
3
あれから一週間が経過した。
俺は毎日同じようにカミキの尾行を続け、黒川と同じように数人を捕獲。同様に説得して、協力者を増やしている。
ルビーとミヤコの方も有馬かなや五反田泰志を仲間に引き入れたようだし、計画の第一段階は順調に進んでいると言えるだろう。
ただ一つだけ、懸念点があるとすれば……
「社長、俺の服知らない? たまに着てる青と白の奴なんだけど」
「……ん? えっと、ちょっと分からねえな」
リビング。幼稚園に行く支度をしているアクアが、そんな風に聞いてくるので、誤魔化すように返事をする。
「……そっか。地味に気に入ってたんだけどな」
「まあ、また買ってきてやるから、あんま落ち込むな」
思い出されるのは黒川あかねと再会した日――先ほど話した会話の続きのことだ。
「アクア君に会わせてください」
「いや無理」
「なんでですか!?」
場の空気も収まり、すっかり元気を取り戻した黒川あかねが、壱護の言葉に抗議の声を上げる。
「だってよお、お前、今アクアに会ったら……絶対変なことするだろ」
「そんなの……するに決まってるでしょ!!」
「開き直りやがったなこいつ」
堂々とした宣言に、壱護は思わず頭を抱える。
ここまでくるといっそ清々しい。先ほどまで自分と同類だと思って心配していたのがアホらしくなってくる。
『
リストの連中に対するマニュアルは、現実だと理解させ冷静さを取り戻した上で、アクアやアイに合わせることだが……コイツの場合、それでも何をしでかすか分からない。
なんせ、
「まあ変なことの定義にもよりますけどね。私の場合、元々彼女だった訳ですし。……抱きしめて頬擦りして、匂いを嗅いで×××して△△△するくらいは全然……」
「おう、絶対会わせちゃダメだって確信したわ」
こんなことを、平然とした顔で言い出すくらいだ。
アクアの健全な幼少期を守れるかは自分の選択にかかっている。そう確信した壱護は、即断即決で接触禁止を宣言する。
「せめて、カミキをなんとかするまでは、大人しくしといてくれ……」
「……じゃあ、代わりにアクア君の写真と着ている衣服一式をください。それで手を打ちます」
「なんか色々突っ込みどころが多いが……まあそれで協力してくれるなら、良しとするか」
もういちいち突っ込む気力もなく、呆れた顔でアクアの写真とタンスにあった服を贈呈する。
「ほらよ」
「〜〜〜〜っ!!」
黒川あかねは服に顔を埋めて、大きく深呼吸する。そうしてその場はことなきを得て、大人しく帰ってくれたのだった。
「……これは、あと何着か用意しといた方が良いかもな」
「社長、なんか言った?」
「いや、なんでもねえ。知らぬが仏ってやつだ」
アクアの顔を見て、疲れたように息を吐く。これから先現れるであろう数々の不審者たちを想像して、斎藤壱護は今日も――胃を痛めている。
【激重リスト】
星野ルビー、有馬かな、黒川あかね←new!