「……あなたは、まさか!」
「……久しぶりだな、お前ら」
驚愕の声を漏らす有馬の前に立ち塞がったのは、かつて『東京ブレイド』や『15年の嘘』などの舞台で共演した、劇団ララライの看板役者――姫川大輝だった。
小学生ほどに幼くなった容姿のせいで判別しづらいが、全身から漂う気怠さや、少し憎たらしい笑みが、かつての彼を思わせる。
「……あんた、今までどこにいたの!!」
「悪い、こっちも色々立て込んでたんだよ」
途端に立ち上がった有馬は、姫川のそばへ詰め寄った。
彼は定期的な集まりはおろか、打倒カミキの会議にも一度たりとも姿を見せていなかった。壱護さんも彼の名前を挙げなかったため、「もしや記憶がないのでは?」と疑ったほどだ。
「姫川さん。事情は後で聞かせてもらうとして……今は私たちに協力してください」
「おう、言われずともだ。接触禁止をくらっちゃいるが、見るだけなら問題ねぇだろ」
「分かっちゃいたけど、あんたも食らってんのね……それ」
黒川と姫川が、妙に神妙な顔で熱い握手を交わす。
接触禁止のレッテルを貼られた問題児二人――その光景を目の当たりにし、有馬は自分のことを棚に上げつつ、盛大にため息をついた。
だが、こんなことに構っている暇はない。
「ともかく行くわよ。このままボーッとしてたら、全部のプログラムが終わっちゃう」
有馬の言葉に、三人は視線を交わし、軽く頷く。
これより始まるのは、幼すぎる男女三人による、あまりにも無謀な潜入ミッション。
当然、そこに至るまでの道のりは決して平坦ではない。
数々の試練、過酷な障害、予測不能のアクシデント……。それらすべてを乗り越えるだけの覚悟が求められるだろう。
しかし、問題はない。
そこにアクアがいる。その事実がある限り、命を賭けることに躊躇いはなく、三人にとってもこれ以上の問答は不要だった。
2
「やった! 中に入れた!!」
「「…………」」
達成感から思わず溢れた黒川あかねの言葉に、有馬と姫川は無言のまま顔を見合わせた。
現在三人がいるのは、お遊戯会が行われている小規模な体育館。そのステージ裏、二階の吹き抜け部分だ。
立ちはだかる試練、予想された数々の困難……などというものは、一切なかった。
結果、三人は開始からわずか15分でここまで辿り着いてしまったのである。
いや、正確には試練も困難も"ありはした"のだ。
ただ――目の前で可愛らしく喜んでいる一人の幼女が、すべてを突破してしまったというだけで。
内と外を繋ぐ、裏口の扉。
当然施錠されていたし、すぐ近くには先生も立っていた。普通なら、ここが最初の難関になるはずだった。だが、
黒川あかねが、ここに通う園児の一人を完璧にトレースし、先生を騙しきり、何事もなく中へと通してもらった。
次なる課題は、どうやって人の目を潜り抜け、アクアの傍まで行くか――のはずだった。だが、
黒川あかねは、迷うことなく、人の目に映らず、かつ幼児でも使える完璧な動線で、一直線にここまで辿り着いた。
……なんでそんなことができるんだ?気になったので、本人に尋ねてみた。
Q&A:黒川あかねの異常性について
Q. なんで、初対面の園児をトレースできたの?
A. 「アクア君のクラスメイトは全員把握してるでしょ?」
Q. なんで、幼稚園内部の構造が分かってたの?
A. 「アクア君の通ってた幼稚園だよ? 聖地巡礼してたでしょ?」
……。
頭がおかしいのだと思われる。
「……もう、あいつ一人でいいんじゃないか?」
「協力してって言ってたのも、こっちを立てるための方便だったのね……つくづく化け物だわ」
「どうしたの、二人とも?」
「「いや、なんでもないです……」」
何かあった? と言わんばかりに純粋な疑問を向けてくる黒川を前に、二人はさっと視線を逸らす。
彼女の異常性は一旦置いといて、とりあえず中への侵入は成功したのだ。後はアクアの初舞台を拝ませてもらおう。
そう意気込んで、吹き抜けから顔を出してステージを覗き込む有馬。しかし、ふと浮かんだ心配で二人に声をかける。
「そういえば、接触禁止一号と二号。あんたら、アクアを見て理性失ったりしないでしょうね?」
「安心して、かなちゃん。私はこの日のために毎日アクアくんの服で、日々耐性をつけてきたから。かなちゃんみたいに初対面でいきなり襲ったりはしないよ」
「っ、いや! 私があんなことしたのは、夢だと思ってからで……って、ちょっと待ちなさい」
黒歴史を掘り返され、ひとしきり動揺した後で、遅れて違和感に気づく。
……服がどうとか言ってたな。
確かに、今日の彼女の服装も普段とは違う、珍しい着こなしだとは思っていたが……まさか。
いや、深く考えるのはやめておこう。
その方が、この場は平和的に終わる気がする。
そう判断した有馬は、未だ答えを返さない姫川の方へと視線を向けた。
「……あんたは大丈夫なの? 私はどっちかって言うと、あんたの方が心配なんだけど」
「…………ああ」
有馬の問いに、姫川は短く返事をすると、静かに目を伏せた。
姫川大輝――アクアと血の繋がりを持つ、『激重リスト』のNo.2。
アクアが死んだ後の彼の様子は、見るに堪えないものだった。感情の一切を押し殺し、まるで抜け殻のように過ごす日々。人間らしい表情を見せるのは、誰かを演じている間だけ。
それ以外の時間、姫川大輝という人間は存在していないも同然だった。このままでは、長くはもたないかもしれない――そんな不安を抱かせるほど、彼は立ち直れずにいたのだ。
今、生きているアクアにあって彼が平常を保てると、有馬はとても思えない。だけど、
「……確かに、ここに戻ってきたばかりの頃は、毎日枯れ果てるまで泣いた。喜びよりも先に、自分への罪悪感が押し寄せて……死にたくなる日もあったよ。何度も」
言葉が途切れる。まるで、過去の自分を噛み締めるように。そして、ゆっくりと顔を上げ、微かに笑った。
「だけどもう……大丈夫なんだ」
「……そう。なら、いいけど」
有馬は姫川の表情を見つめながら、そっと息を吐いた。これ以上の心配は野暮にしかならないだろう。
そう悟って大人しく、ステージを見下ろす作業を再開する。
「さてと……アクアはどこかしら……」
黒川あかね曰く、これから始まる演劇の演目は『赤ずきん』だそうだ。幼稚園らしいシンプルで無難なチョイスだと言えよう。
そして、アクアは、
「あっ、アクア君だ!」
黒川あかねが興奮気味に指を刺す先、映るのはナイトキャップを被り、ベットに寝転がっている星野アクア。
どうやら彼が演じているのはーー赤ずきんのお婆さん役らしい。
「っ、かわいすぎる〜〜!!!」
「た、たしかにめちゃくちゃ似合うわね……」
遂に生アクアを拝めてヤバい顔を晒している黒川の横で有馬もその容貌に目が釘付けになる。
ナイトキャップと薄手のナイトガウン。清潔感のある白を基調としたそれは、妙に上品な雰囲気を醸し出し、透明感のあるアクアに完璧にマッチしている。
本人的にはそこまでやる気がないのか、ただボーッとベットの上で身を起こしているが、その佇まいが返って、物言わぬ人形のような美しさを演出していた。
「あまりに可愛すぎない? おばあさん役なのに、完全にメインヒロインの座奪いにきてるわよ、あれ」
「まさか女方もできるなんて……これは色々と仕込みがいがあるなぁ」
お目当てのアクアを鑑賞できて、ご満悦に感想を言い合う二人。その傍で、一番ヤバイと思っていた奴がやけに静かなことに気がつく。
「……どうしたの? 幼いけど、あれがアクアよ。分かる?」
「…………」
有馬の疑問に、返答はない。
姫川は泣くわけでも、笑うわけでもなく、ただ静かにアクアの姿を目に焼き付けていた。
だけど――その横顔を見て、有馬は自然と笑みを浮かべた。
よかった。
相変わらず表情は動かないけど――目に、光が戻っている。アクアが死んでしまって以来、彼の瞳から消えていた光だ。
しかし、
「ちょっと、なんとか言いなさいよ」
「…………」
有馬の言葉は届かない。それほどまでに、姫川はアクアの姿に夢中になっている。
それだけなら、別にいい。それだけなら――。
だが、この空気には覚えがある。
私がそうだった。彼の姿を目にした瞬間、思考が停止し、自我が崩壊し、世界を置いてけぼりにして暴走を開始する。
激重リスト特有の症状。
途端に有馬の脳裏に嫌な予感が駆け巡る。先ほど、相応の覚悟を持って放たれたであろう「もう大丈夫」という言葉。そして、今の彼の穏やかな表情。
――それらを見て、完全に油断したのが、いけなかったのだ。
「…………あ」
「はい?」
一瞬、小さく聞こえた何か。有馬が聞き返した、その瞬間、
「――アクアぁあああああっっ!!!」
これまでの茶番は終了し、本当の戦いが幕を開けた。
3
ステージの左端。そこに置かれたベッドの上で、アクアはぼんやりと体を起こす。
赤ずきんのお婆さん役。それが今回、俺に与えられた役割だった。全員が何かしら役をやらなければいけない決まりだったので、これを選んだ。
寝転んだ状態で登場し、狼が来たら怖がる演技をして、そのまま飲み込まれる。出番はそれで終わり。非常に楽な仕事なのである。
そんなことを考えていると、部屋の扉を叩くSEが鳴る。狼が来た合図だ。
「はいっておいで〜」
頑張っておばあさんっぽくセリフを発し、来客を招き入れる。あとは、狼の着ぐるみを着た佐藤くんが登場し、彼に食べられれば終わり。ちょろい仕事だぜ。
……そんな風に、考えていたのだが、
「よくきたね……赤ず」
だが、入ってきた狼を見た瞬間、セリフが止まった。
赤ずきんの代わりに狼が来たお婆さんの心境として、言葉を詰まらせるのは自然な演技だろう。だが、今の俺は、演技とは別の理由で声が出なくなった。
(…………でかくね?)
ステージの袖から入ってきた狼が、俺の想像よりもずっと大きいものだったのだ。
この着ぐるみは足の部分が伸縮性に優れ、着る人間の体格によってサイズが変わる。狼役の佐藤くんは俺と同じで、クラスの中でも小柄な方だ。
なのに、今ステージに入ってきた「それ」は――
明らかに俺より一回りデカい。
動きも妙に堂々としている。
むしろ、幼稚園児の劇とは思えないほどの風格すら漂わせていた。
気のせいだろうか?
いや、違う。どう見ても、小学生くらいの大きさがある。
「ひっ、た、食べないで〜!」
動揺を押し殺しながら、どうにか狼を恐れるお婆さんを演じる。しかし――次の瞬間、それを見た。
着ぐるみの口の奥。そこに覗く、異常にギラついた視線。その眼差しは明らかに、心優しい佐藤くんとは別物で、
「…………は」
(なんか知らんやつが入ってる……!!!!)
そう理解した瞬間――
バクゥッッ!!!
口を大きく開けた狼が、俺の上半身を丸ごと飲み込んだ。
「いや、えっ……なあああああああっ!!??」
同時にアクアの絶叫が、幼稚園のホールに響き渡る。
あまりに迫真すぎる、本当に誰かに襲われているかのような悲鳴と暴れ具合に、観客席が騒然となる。
「な、なんてリアルな捕食シーンなんだ……!」
「お遊戯会とは思えんクオリティーだぞ!」
アクアの上半身をがっちりと掴んで離さない狼(姫川)。その口から、徐々に飲み込まれていくお婆さん(アクア)。
もがけばもがくほど、狼の拘束が強まり、ついには完全に丸呑み状態になってしまった。
観客たちの緊張感が最高潮に達する。
いつからグリム童話になったのかと、どよめき、ざわつく会場。もはや、これは幼稚園のお遊戯会ではない。
そして、そんな衝撃を受ける観客たちに、さらに畳み掛けるように――
「「待ちなさいっ!!」」
「赤ずきんが…………二人?」
赤ずきんの格好をした二人の少女――有馬かなと黒川あかねが颯爽と登場した。
「正気に戻りなさい、姫川大輝!!」
「身体中掻っ捌いてその汚いところから出してあげるから。ごめんねアクア君もう少しだけ待ってて!!」
「どけ!!! 俺はお兄ちゃんだぞ!!!」
本来、お婆さんの捕食シーンには立ち会わないはずの赤ずきん。しかも二人。
予想外の展開に、観客たちの脳の処理が追いつかない。
しかし、困惑する間もなく――
赤ずきんVS狼による、熾烈な戦いが始まった。プロさながらの
「赤ずきんが前に出て戦うのか!?」
「というか全員、演技がうますぎる!!」
血で血を洗う激戦。観客の心を奪う感情演技が、視線を釘付けにする。
そして、二対一という不利な状況に追い込まれた狼(姫川)は、徐々に劣勢に立たされていく。
すると、赤ずきんたちは互いに頷き、お婆さん(アクア)を救い出すための最終手段に出た。
――狼の口をめがけて飛び込み、自ら体内へと取り込まれたのだ。
瞬間、戦いの気迫が嘘だったかのように、静寂が訪れる。
物音一つない沈黙。観客たちは固唾を飲み、目の前で起こったことを理解しようとする。
そして、その直後――
「ああああああああああッ!?」
突如、ステージ全体に響き渡る、鳥を絞めたように切ない、これまでで一番の叫び声。
「な、なにが起こってるの!?」
「今の、お婆さんの声よね……?」
観客たちは混乱し、どよめきが広がる。
しかし、ステージ上では狼の腹部が不穏にボコッ……ボコボコッ……!! と不自然に膨らみ始めていた。
――中で何かが起こっている。
狼の内部から「ぎゃああああああ!!」「アクアぁぁぁぁぁ!!」「ハスハスハスハスハス」と明らかにカオスな怒声や物音が鳴り響いている。
やがて声は途絶え、一際狼の頭部が膨らんだと思えば、
「――――チーン」
気を失って、見るも無惨な姿のお婆さん(アクア)だったものが、口から排出された。
同時に、お婆さんを救出した英雄である赤ずきん達が、やけにツヤツヤしながらも、堂々と凱旋。
狼はその場に崩れ落ち、悔しそうに地面に手をつく。
そして――
そんな狼に対し、赤ずきん達がそっと声をかけた。
「……私も、以前はそうだったわ。好きすぎるあまりに我を忘れ、大切な人を傷つけてしまう。でも、過ちはやり直せるのよ」
「あなたと同じ、接触を禁じられたものだからこそ、気持ちは痛いほどに分かる。これから、一緒に彼を守っていきましょう」
「……有馬、黒川。そうか、俺はなんてことを……」
狼(姫川)は震える手で、二人の赤ずきんの手を取る。
彼がゆっくりと立ち上がる姿に、観客の目から涙が溢れた。
過ちと成長の群像劇。感動から自然と出た万雷の拍手が会場を包み込む。
困惑を隠せないアイ、頭を抱えるミヤコさん。そして、見るも無惨な星野アクアを他所に、『赤ずきん』はここに終わりを告げたのだった。
この後、猟師役のルビーが来て、もう一波乱あったことはまた、別のお話。