生き残った奴ら全員二周目の【推しの子】   作:カノンだよ

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『夢と現実のすり合わせ』

突然だが、最近俺の周りでは妙なことがよく起きる。

 

但し、より具体的に言えばそれは、幽霊による超常現象でも謎の怪奇現象でもない。――実在する周囲の人間たちの奇行だ。

芸能界には才能が集まる。これはよく言ったもので、彼らは日々、凡人である俺には到底理解できないような「凄み」を見せつけてくるのだ。

 

例えば、これは何でもない日常での一幕。

 

「あいた」

 

考え事をしていた俺の背後、台所でアクアの母親――星野アイが小さく声を漏らす。アクアが振り向けば、彼女はまな板の前で手を止め、自身の指先をじっと見つめていた。

 

「アイ、まさか指切った?」

 

「ん~、ちょっとだけね~」

 

苦笑しながら、軽く血の滲んだ指先を見せるアイ。

アクアは「何やってんだよ」と呆れながらも、救急箱から絆創膏を取り出し、テキパキと応急措置を済ませようとした。

 

――しかし、ここで日常に潜む「異常」が顔を出す。

 

「……ママ、怪我したの?」

 

絆創膏を張る前に傷口を洗っていたアイの足元で、悲し気な声が響く。声の正体はアクアの妹――星野ルビーだ。

 

「大丈夫、別に大したことないよ」

 

「……っ、うう」

 

「え、ルビー? どうしたの……?」

 

しかし、何故か指を切ったアイではなく、ルビーの方がポロポロと涙を流し始めた。突然の事態に、アクアとアイは思わず顔を見合わせる。

 

「ちょ、ちょっとルビー!? え、血が怖かった!? そういう感じ!?」

 

「ママ、ママぁ……」

 

「えええ!? ご、ごめんね!? どうしようどうしよう!!」

 

アイは完全にテンパっていた。

 

こういう突然の事態に弱いのは昔からだ。オロオロと視線を彷徨わせ、もはやアイ自身も涙目になりながら、こちらに助けを求めてくる。

 

「アイ落ち着け! えっと、ほら。今日はルビーの好きなシチューだぞ!」

 

そう、適当に宥めてみるものの、俺だってどうすればいいのか分からない。

――これが、最近の異常なことの一つ目。以前ルビーが俺に抱き着いてきた時もそうだったが、こうして突発的に泣くことが増えた。

 

しかも、原因が毎回よく分からない。

 

そのせいで、結局三人してワタワタするしかなく、最終的にルビーが泣き止むまでひたすらおしくら饅頭の状態になるのだ。

 

 

 

 

 

 

「ごちそうさま」

 

「ママ、美味しかった!」

 

「いや~流石私! 料理まで完璧なんてもう敵なしだね!」

 

食べ終えた夕食を前に、アイは得意げに胸を張る。気分が良さそうなので、ミヤコさんがこっそり味を調整していたことは黙っておこう。

 

アイと俺とルビーに、社長とミヤコさんが加わっての食事も、すっかり恒例になってきた。皆各々忙しいはずなのだが、この時間だけは不思議と全員が揃い、食卓を囲んでいる。

それだけなら別にいい。むしろ温かい家庭的な時間が増えるのは良いことだ。

 

だが、こんな場面でも油断はできない。二つ目の異常は、決まってここで顔を出す。

 

「じゃあ、俺は先に失礼して……」

 

そそくさと席を立ち、気配を立ちながら部屋を出ようとするアクア。しかし、

 

「――待ちなさい」

 

背後から肩を掴む手。穏やかでありながら、どこか威厳感のある声。ミヤコさんだ。

 

「な、なに?」

 

「お風呂入るんでしょ? 食器洗ったら私も行くから、まだ待ってなさい」

 

「…………はい」

 

――今日も逃げ切れなかった。

 

これが二つ目の異常だ。以前からアイとルビーと三人で入っていたお風呂。何故か最近そこに、ミヤコさんが加わるようになった。

俺としては、もう三歳なのだから一人で入ると何度も主張しているのだが、それが叶ったことは一度もない。

 

因みに、風呂だけではない。

 

酷い時は、トイレや洗面所ですら誰かが後ろをついてくる。どうやら俺が水場に近づくこと自体を、極端に恐れているようだ。俺は、風呂やトイレで溺れるような、おっちょこちょいな子供に思われているのだろうか。

 

「…………はぁ」

 

「何を恥ずかしがってるの。アクアくらいの年の子は、普通一人で入ったりしないわよ。アイもお風呂はみんな一緒がいいでしょ?」

 

「アクア、危ないから一緒に入ろ?」

 

「うぐっ」

 

アイに寂しげな目を向けられて完全に逃げ場を無くす。ミヤコさんは俺が入浴を渋ると、いつもこうやってアイを仲間に引き入れる。

そして、全員で入浴賛成派のアイに懇願され、俺はいつも根負けする羽目になるのだ。

 

「……俺は、子供じゃないんだけどな」

 

大人しく服を脱ぎ、浴室の扉へと手をかける。扉を開けた瞬間、もわっとした湯気が一気にあふれ出し、肌を優しく包んだ。

 

「ふ~、やっぱり気持ちいい~」

 

「ルビー。頭まで浸かっちゃダメだよ」

 

アイとルビーは既に、湯船の中にいるようだ。ようだ、と推測でしかないのは俺が目を瞑っているからである。

 

「アクアも早く入っておいで~」

 

「その前に、ちゃんと体洗ってからね。ほら、そこに座って」

 

促されるままに、アクアは洗い場の椅子に座る。ミヤコさんが後ろに回り、シャワーの温度を確かめる。次の瞬間、優しくお湯が頭にかけられた。

 

「熱くない?」

 

「…………うん、大丈夫」

 

正直、湯加減とか何も分からない。それどころではないからだ。

 

ミヤコさんの指が髪に触れる。指先がふわりと滑り込み、しなやかな動きで泡を立てる。

細く繊細な指が頭皮を優しくなでる度、何故か全身の感覚が研ぎ澄まされれ、思わず肩に力が入った。

 

「ふふ、なんか緊張してる?」

 

「……してない」

 

「ほんと? にしては背筋がピンとしてるわよ」

 

緊張なんかしていない。いや、しているかもしれないが、そんなことは些末な問題だ。それよりも、今必死に戦っているのは、迫りくる恥ずかしさと罪悪感。

 

見た目は子供、頭脳は大人。そんな某小学生探偵に通ずる心理状態でのお風呂は、アイと入るだけでも既に限界だった。

それでも「母親だから」「俺より年下だから」と、毎日必死に自分を言い聞かせて今日まで生き延びてきたのだ。なのに、

 

――そこに、ミヤコさんまで加わったのだ。

 

母親だからという言い訳は通じない。そして彼女は今二十五歳。前世の俺とほぼ同年代。落ち着いた大人の雰囲気でめちゃくちゃ綺麗な女性。

 

そんな彼女と同じ湯船に入り、さらにゼロ距離で髪を洗われているこの状況。こんなの毎日やってたって慣れるわけがない。

 

「終わったわよ。いい加減目を開けなさい」

 

「…………」

 

「……はぁ、まあいいわ。どのみち、自由にさせるつもりなんてないし」

 

いや、なにそれ、普通にめちゃ怖い。

 

だから何をそんなに心配しているんだ。幼児に水場が危険なのは理解できるが、にしたってこれは過剰すぎる。まるで、俺が一度溺れたかのような警戒ぶりだ。

 

「アクア~、早くこっちおいで~!」

 

アイとルビーが湯船の中から楽しそうに手招きし、浴槽に向けてゆっくりと歩き始める。これより始まるのは、最後にして最大の壁。明らかに無理のある、四人同時のバスタイムだ。

 

あちこち触れるのは必然。加えて、俺が万が一にも溺れないようにか、過剰なまでに抱きしめられたりする。

 

……落ち着け、星野アクア。

 

俺は負けるわけには行かない。彼女たちの善意を俺の下衆びた思考で無碍にし、この幸せな家庭を壊すわけには行かないのだから。

 

――心頭滅却。その言葉を胸に、星野アクアは今日も、日々の異常に挑んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……最近さあ。皆の様子、変じゃない?」

 

「…………今更?」

 

膝の上に乗せてアクアの髪をいじっていたアイが、ふと思い出したように口を開く。

アイの言う「みんな」とは当然、社長やミヤコさん、ルビーの事だろう。彼女も俺と同レベルの深刻な被害を被っている筈なのだが――大したダメージが見えない辺り、流石の能天気である。

 

「ルビーが泣いちゃうのは子供だから分かるんだけどさ。社長たちまで真っ青になるもんだからびっくりしちゃうよ」

 

アイは元々がおっちょこちょいな上、「良い母親にならなきゃ」と頑張るあまりに家事を張り切りすぎる傾向がある。その結果、軽いけがをすることも珍しくない。

 

まあ、それ自体は別におかしくない。

 

問題は、その度に皆が一斉に群がってギャーギャーと騒ぎ立てることだ。血迷った彼らが救急車を呼ぼうとするのを、何度止めた事か。

事務所の稼ぎ頭だからというのを考慮しても、やっぱり過剰だと思う。

 

三人はアイに駆け寄って、本当に大丈夫なのかとしつこく言及する。そうして無事を確認できたなら。

 

――よかった、本当によかった、と。力の抜けきった顔で、そう口にするのだ。

 

「それでね。もちろん変だなとは思うんだけど、実は結構嬉しくもあるんだ」

 

「ええ……本当に言ってる?」

 

日々、彼らの過保護ぶりに精神をすり減らしているアクアは、アイの顔を信じられない顔で見上げる。そして「正気か?」と茶々を入れようとしたが――

 

「大事にされてるなって、気がするから」

 

「――――」

 

ただ微笑む彼女の顔を見て、何も言えなくなった。

 

ファンはおろか、俺でさえ見たことのない笑顔。普段よりももっと素に近いような、どこか幼い表情を浮かべている。

それまで決して見られなかった『星野アイ』という少女の、本質の一端。それが見え隠れしたようで、アクアは思わず息を呑んだ。

 

「だって社長もミヤコさんも、全然離れてくれないんだよ。私の事、大好きすぎでしょ」

 

アイはくすっと笑いながら、どこか嬉しそうに言葉を続ける。

 

 

 

「……なんか、本当のお母さんとお父さんみたい」

 

クラスメイトに親を自慢する子供のような。そんな、あまりに無邪気な笑顔と共に。

 

「……そうだな」

 

なんだか、えも言えぬ居たたまれなさを覚え、顔を隠すようにアイの懐へと潜り込んだ。

 

能天気などではない。

 

前世で彼女の担当医になった日から、俺はずっと知っていた筈だ。

幼少期を孤児院で過ごし、十六歳で妊娠しても、親を頼る事すらできなかった。嘘を振りまいて輝き続ける、孤独なアイドル。

 

きっと、これまでの彼女の人生は、俺の何倍も痛くて、苦しいものだったのだろう。ただそれを表に出さない。もしくは出し方が分からないというだけで。

そして今、彼女はすり合わせの最中なのだ。幸せとはなんなのか。どうすれば、それに近づけるのか。

 

「……眠くなっちゃった? じゃあ、少しだけ横になろっか」

 

いつの間にか目を閉じていたアクアの背中に、アイの腕がそっと回される。そのまま、二人してゆっくりと倒れこんだ。

心地よいぬくもりと、規則正しく響く鼓動。そこにあるのは、確かに生きている誰かの存在だ。だけど、

 

――何故かそれが、酷くもろいものに感じた。

 

「……ねえ、アクア」

 

 

 

「明日も、明後日も、その次の日も……ずっと、みんな一緒に居ようね」

 

「…………うん」

 

小さな返事を最後に、意識は少しずつ遠のいていく。

 

俺にもう一度命を吹き込み、幸せな日常をくれた。そんな彼女は、二度目の人生をかけてでも、絶対に幸せにしてみせる。

日頃、過剰なほどに優しくしてくれる社長やミヤコさん、ルビーにも、いつか必ず恩返しをして。そうして全部が上手く行ったのなら、その後でなら、願わくば――

 

母の命を奪って生まれ、患者の子一人救えなかった俺も、そろそろ自分を許してあげたい。

 

そんな願いを込めながら、星野アクアは今日も、奇妙で、だけど幸せな一日を終えるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大きな通りを外れた脇道。そこから地下へと繋がる階段を降り、少しさび付いた扉を押し開ける。

 

中に足を踏み入れた瞬間、湿った空気と古びた木材の匂いが鼻を抜けた。乱雑に散らばった衣装や小道具、そして何より致命的なまでの狭さ。

このみすぼらしい稽古場が、いかにうちが予算カツカツなのかを毎度のように思い知らせてくる。

 

だがそれも、悪い事ばかりではない。

 

「内緒話をするには、都合がいいからね」

 

室内に響くのは、年の割に低い大人びた声。部屋の端にポツンと置かれた椅子に腰かけ、今日も試行を巡らせる。

 

――ここ最近、毎日のように考えているのは、あの日偶然会った少女の事だ。

 

出会ったと言っても、道を歩いていて、偶々同じ方向へ進んでいただけ。ほんの数分間すれ違っただけの幼い青髪の少女だ。

それだけなら何の変哲もない日常の一幕に過ぎない。だけど――

 

「……目が、おかしかった」

 

あの時、背筋に走った冷たい視線。あれは子供がしていいものでは、到底ない。

 

お前だけは許さない。絶対に殺してやる。そんな憎悪を宿した敵意。上手くかくしていたつもりのようだが、生憎ああいう目には慣れている。

 

「それでね。その子は結局、父親らしき男に連れていかれたわけだけど……後で調べたら彼、苺プロの代表だったんだよ」

 

サングラスに金髪と言う柄の悪い風貌。苺プロ代表取締役・斎藤壱護。――星野アイの所属する事務所だ。

あの男に娘がいるという記録はない。僕に殺意を向ける少女と苺プロの関係者が同時に現れたのは、偶然とは到底思えない。

 

「……というわけでさ」

 

ふと目の前の相手に視線を移す。先ほどから部屋の片隅で静かにしていた、先客の少女だ。

 

「苺プロの連中が何考えてるとか知らないの? B小町の、メンバーなんだから」

 

少女の眉がピクリと動く。

 

数秒の沈黙の後でゆっくりと立ち上がり、静かに音の元へ歩み寄る。学生らしからぬ、黒一色の服で身を包む青年――カミキヒカル。彼を見下ろすように。そして、

 

「実はその件について、お話しておくことがあります」

 

そう返すのは、薄茶のロングヘアを靡かせる童顔の少女――現B小町のメンバー、新野冬子。彼女の言葉に、カミキは最初こそ驚いたように目を見開いたが、すぐにゆっくりと口角を吊り上げる。不気味な笑みを浮かべながら。

 

2010年、八月下旬。運命のドーム公演まで、あと四か月。

 

絶望に抗わんとする少年少女は、前例を尽くしてその時を待つ。やれることは、すべて出し尽くした。その先をゆだねるのは、天から覗く神様だけ。

 

――決戦の日は確かに、すぐそこまで迫っている。

 

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