あらすじ通り、先生は余命わずかです。ユウカはまだ知りません。まだ。
パチ、パチとキーボードの音だけが部屋中に響いている。
私──早瀬ユウカは今、シャーレで仕事の手伝いをしている。
こうして当番に当った回数も、数え切れない。と言うよりも、当番の生徒を帰るのを面倒ぐさがっているのか、私か偶にノアしか当番に当たっていない。
そのせいで、それなりに嫉妬の眼差しを向けられることはあるが──
普段は完璧なシャーレの"先生"のそういう一面を知っているということに対して、何となくの優越感があった。
初めてその人を見た時、私に訪れたのは、正に衝撃の二文字だった。
発端と言えば、連邦生徒会長の失踪と、それを起点とした暴動の数々に対する責任追及を行おうと、連邦生徒会に押し掛けに行った事だった。
今思えば安逸な行動だったが、あの時は頭がそこまで回っていなかった。
「リン行政官、今日こそ説明を──」
いつもの様に、他の面子t共に怒鳴り込みながら扉を開けると、そこには七神リンの他にもう一人、見慣れない人間がいた。
おおよそ四十ぐらいの男の人がいた。それも、大人だ。
大人の人間とは、この世界でもそう見るものでは無い。少なくとも、私は初めて見た。
だが、その点は二の次に気づいた事だった。それよりも目を引いたのが、彼の乗っている物だった。
その人は、車椅子に座っていた。
その事に暫く呆然としていると、リン行政官が口を開いた。
「この方は──」
その言葉を遮るように、その大人も同時に言葉を放った。
「私とて自己紹介ぐらいは出来るとも。そうだな...」
暫く逡巡する素振りを見せた後、野太い声でその大人は続けた。
「私のことは先生と呼びたまえ」
それだけを言って、先生とやらは口を閉ざした。
何て人間なんだ、と思ったことは言うまでもない。
偉そうな口調と、簡素すぎる自己紹介に、他にもっと言うべき事があるだろうと思った。
「ちょっと、それだけ」
「名前とは単なる一要素であり本質では無い。故に名前や長ったらしい自己紹介は寧ろ邪魔では無いかと思ったが──」
そこで一旦言葉を切り辺りを見回してから、先生は続けた。
「そうでは無いようだな。では、私のことは
これこそが、私と厨先生との出会いだった。
その後はリン行政官からのダラダラとした説明を聞いた後に、サンクトゥムタワーに向かわなければならないと分かったが...
「先生、その、車椅子...何ですよね?」
「触れにくい話題では無いさ、そう言葉を詰まらせる必要は無い。それに自力で操れもする、君達が案ずる事は無いのだよ」
「いえ、その、銃弾が...!」
確か、外の世界ではこの都市のように銃弾が飛び交う場所では無いはずだ。少なくとも私はそう了解していた。
先生は一瞬目を丸くした後、直ぐに笑いだした。
「ちょっと、何かおかしなことでも...」
「大丈夫だユウカ君、それを含めて案ずることなど無いと言ったのだよ」
そう言い残し、先生は悠々と外に出ようとした為に、私たちもまた追い縋るように外に駆け出ていった。
だが、先生の言った通り、彼の動きは実に綻びのないものだった。
その上、先生の出す指示は完璧と形容出来るほどで、蔓延っていたチンピラ達を次々と倒しながら駒を進めることが出来た。
そうしていつの間にかサンクトゥムタワーに辿り着き、先生はその中に消えていき、やがてチンピラ達も引いていった。
「何と言うか...不思議な方でしたね」
私の傍にいた守月スズミが、そう話しかけてきた。
「そうですね...あの人が本当に、先生何でしょうか」
羽川ハスミはそう答えた後、ハッとした顔で訂正をし始めた。
「あっいえ、あの人が先生に相応しく無いと言う訳ではなく...」
「いえ──」
私は、その言葉の続きを言い出すことは出来なかった。
ただ、不安だという言葉は、飲み込まれたまま消えてしまった。
或いは、その不安は何かの先触れだったのかもしれなかった。
そして────
厨先生は、暫くの間は奔走し続けていた。
アビドスという辺境の学校に向かったと思えば目の上のたんこぶだったカイザーコーポレーションが傾き始め、そのすぐ後にミレニアムに来て一騒ぎを起こし。
かと思えばエデン条約を巡るあれこれに巻き込まれながら締結を済ませ、いつの間にやら世界の危機さえ救ってしまっていた。
車椅子の身でありながらも、誰よりも真っ直ぐ動くその背中に、いつの間にか──
私は、その背中に釘付けになっていた。
今も、先生の姿をつい目で追ってしまう。
この感情を何と呼べば良いのか、私には分からない。
恋なのだろうか、それともまた別種の──羨望とかの類のものなのだろうか。
如何せん、経験したことの無い感情だ。数理的に処理することも出来やしない。
何時しか、頭の中が先生で一杯になってしまっている。
「ユウカ君?」
不意に、声をかけられた。
「ひゃっ、な、何ですか!?」
「仕事が順調かどうか聞きたかっただけだが、迷惑だったか」
「いっ、いえそんな事は」
その言葉を言い切る前に、先生はゆっくりとこちらに近付いてきた。
「ふむ...うん、出来ているじゃないか」
傍にあった書類の束を取り上げて捲りながら、先生はそう呟いた。
こうも顔が近いと、無闇に意識してしまう。顔から火が噴き上げそうだ。
「今日の仕事は終わりだ、帰ってもいいぞ」
そう言いながら、先生はデスクに向かっていった。
やっぱり、その背中はシャンとしている。それに意識が奪い取られる。
「今日だけで50回ですよ、ユウカちゃん」
いきなり耳元で、そう囁かれた。声の主はノアだ。
その言葉にドキリとしながら、振り返って答えた。
「な、何の回数よ!?」
「ユウカちゃんが先生のことを見た回数ですよ〜」
そんなに見ていたのか。数字として出されると、途端に恥ずかしくなってくる。
「ユウカちゃん、先生のことが好きですもんね」
「すっ!?」
そう改めて言葉にされて、我ながら素っ頓狂な声を上げてしまった。
まだ、この気持ちが好意だと決まった訳じゃないのに...。
「ふふっ、ユウカちゃんは分かりやすいですから」
揶揄うように笑うノアに少しムッとしつつも、図星で何も言い返せなかった。
「それで...」
ふと、ノアの声のトーンが下がった気がした。
「告白は、するんですか?」
告白。
その言葉に、頭が真っ白になった。
「え、えっと、それは...」
「...言い方を変えましょうか。
告白をしたいですか、ユウカちゃん」
その声は、いつになく真剣に聞こえた。
そのせいか、私も何時ものように言い返すのではなく、暫し真面目に考えた。
「...したいわ」
それが、私の結論。
やっぱり、この気持ちは、伝えたい。
「...そうですか」
ノアは、何故か寂しそうな顔でそう答えた。
「私は先に上がりますね」
「ちょっ、ちょっと待ちなさいよ!!」
私の声も虚しく、ノアはそそくさと部屋を出ていった。
何よ、あの顔は──
もしかして、私はノアから...
いや、違う。そうじゃないに決まっている。
何とかして、疑心を振り払おうとした。
本当なら、追い掛けて聞かなきゃいけないのだろうけど。
どういう訳か、足は動かなかった。
「どうした、帰らんのか?」
本当は、まだ帰りたくない。まだ、この人と一緒に居たい。
でも、それ以上に──ノアのことを追いかけるのが、凄く怖かった。
「...業務外だ、面倒は見んぞ」
怪訝そうな顔で先生はそう言いながら、コーヒーを注いでくると席を離れた。
でも、私は知っている。こういう時は、決まって二杯分用意するのだと。
そうして用意されたコーヒーは、凄く苦かった。
次回、余命CO(予定)