狼少女を拾ったら飼うことになってしまった。   作:紅福

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飼い主ばしり

☆ナーナふせり

 

「ナーナ、ごはんだよ?」

「いらない」

「そっか……まあここに置いておくから、食べたくなったら食べてね」

「うん」

「お散歩は?」

「いかない」

 

 素っ気ない返事をして、ナーナは布団に包まった。それ私の布団なんだけどね。まあいいや。

 

 ナーナが体調を崩してしまった。

 ここ数日、ずっとこんな感じ。

 ごはんに関しては食欲は減退しているものの、放っておけばそのうち全部食べてくれるからまだいい。そういうこともあるだろう。

 でも、お散歩に行きたがらないというのは妙だ。『行きたいけど我慢する』という感じでもなく、どうも本当に行きたくないと思っている様子。なんなら寝室からもあまり出ないし、もっと言えば布団からも出たがらない。トイレに行く時だけ仕方なく動くといった状態。

 お散歩大好き、体力おばけのナーナとは思えない元気のなさだ。

 それと、熱はないようだけど顔はいつもより赤い。

 

「どうされたんでしょうねぇ、ナーナさま……」

「うわびっくりした」

「すみません、お邪魔しています」

「ど、どうも」

 

 恩納さんも心配そうにしている。

 

 恩納さん。

 彼女は頭さえ入ればどんな狭い場所にも入りこめたり、無音で動きまわれたりする奇怪な特技の持ち主で、よくナーナと遊ぶために我が家に出入りしている。無断で。

 

 基本的に通気口などから入ってくる人で玄関を使うことはほとんどなく、だいたいいつの間にか居る。

 元はメイドさんをやっていた人なので家事には精通しているし、美人でスタイルもよくて性格も柔和。一連の奇怪な特技と不法侵入癖さえなければ、ある意味完璧超人と言えなくもない。

 言ってしまえば不法侵入の常習犯ではあるけれど、なんだかんだで私の留守中にペットシッター的なことをしてくれている。いわゆる『ありがた迷惑』とはまた違う、迷惑さとありがたさの両方を別々に兼ね備えている。そんな人。

 

「お医者さまにみて頂くというのは、難しい……ですよね」

「まあ、はい……」

 

 ナーナが狼であることは世間には秘密にしている。原状、それを知っている人間は私と恩納さんだけだ。たぶん。

 お気軽に『うちの子が体調崩しちゃったんでみてくださーい』などといって、お近くの病院に連れていったりしたら病院がパニックになってしまう。

 とは言え、このまま調子が悪そうなナーナをただ見ているだけというのもつらい。

 背に腹はかえられない、という葛藤。

 

「あの……それでしたら、ひとつ提案があるのですが」

「提案?」

「ええ。闇医者と呼んで差しつかえないかと思いますが……口が固くて、色々と融通のきくお医者さまがいらっしゃるんです。そのかたをあたってみるというのはどうかと」

「……それって、あれですよね。金髪で、背の高い……」

「ですです。ご存知でしたか」

 

 存じあげてはいる。

 一応、私も同じことを考えていた。

 現在取れるなかで一番まともである『医者を頼る』という選択について。もちろん普通の病院、普通の医者に頼るにはナーナは特殊すぎるので、連れていくことはできない。だからといってただ眺めているわけにもいかないし、訳もわからず適当に市販の薬を買ってきて飲ませるわけにもいかない。薬を飲ませるにしても、一旦は医者を通すほうが間違いないだろう。

 考えるべきは『医者に頼らずなんとかする方法』ではなく『どの医者に頼るのが一番マシか』ということ。

 すなわち。

 普通の真っ当な医者を頼ることができない以上、闇医者を頼ろうという思考になるのはある意味では必然。100点ではないにしろ、70点くらいなら十分狙える。

 そして、その闇医者のあてもある。

 

 懸念があるとすれば、その闇医者と私の相性があまりよろしくないという点。本音で言えば、会わずに済むなら会いたくない人物ではある。でもまあ、些細なことだ。そんな理由でみすみす70点を見逃す手もない。

 背に腹はかえられないのだ。

 

「あの方なら、きっとなんとかしてくれますよ」

「だといいんですけどね」

 

 会い損、みたいなことにはなりませんように。

 

「それはそうと……ひとつ、よろしいですか?」

「なんでしょう?」

「飼い主さまは、爆発物の扱いに長けていらっしゃったり、闇医者をご存知だったりと……こう言っては語弊がありますが、普通ではない面をいくつかお持ちであるように見受けられます」

「そう…………ですかね」

 

 まあ、言わんとしていることは分かる。

 でも恩納さんに『普通ではない』とか言われるのは、ちょっと、どうなんだろうと思った。

 

「あなたは一体、何者なんですか……?」

「何者でもありませんよ」

 

 何者でもないし、誰でもない。

 私はただの『飼い主』だ。

 

☆医者がたり

 

 ナーナが出かけたがらないので、留守を恩納さんに頼んでひとりで『病院』にきた。

 

 とあるアパートの一室。

 その部屋にあるものは事務机と簡易ベッドと応接用のソファだけ。簡素でありながら無機質とまではいかず、入ってみると不思議と『ここは病院だ』という気持ちになる。おそらく、そう感じさせるようなレイアウトにでもなっているのだと思われる。

 もちろん、その部屋に医者が居るというのも大きい。とりあえず医者が居ればそこが病院になる。

 

 だいたいいつ覗いても彼女はこの部屋に居て、煙草を吸ったり友達とお酒を飲んだり本を読んだりしている。不在ということは滅多にない。住居としての家は別の場所にあるらしいけど、いつ帰っているのかはよく分からない。

 今日も相変わらず、彼女はそこに居た。

 部屋の入り口からは姿が見えなかったけれど、ソファの端から長い脚が伸びているのが背もたれ越しに見えていて、静かな寝息が聞こえる。お昼寝中のようだ。

 ベッドで寝ればいいのにと思わなくもないけど、まあ『ベッドは患者のものだから』みたいな理由なんだろうなと想像がつく。

 

 間もなくして、私が入ってきた物音に気づいた彼女が目を覚ました。

 むくりと上半身を起こして、不機嫌そうに伸びをする。

 

 白いニットのセーターにジーンズ。その上に白衣を羽織っている。

 ショートボブの金髪、長いまつ毛に高い鼻。目を見張るほどに整った顔だちをしている。身長は、ソファに横になればすらりと長い脚がはみ出すほどに高い。

 身長といえば恩納さんも高いほうではあるけれど、この人はもっと高い。医者というよりモデルのようなビジュアルをしている。街を歩けば10人中10人が振り返るだろう。なんで医者やってるんだろう、この人。

 この人を見ていると『美人すぎる医者』という、むかし流行った言い回しのような言葉が浮かぶ。比喩ではなく、実際に美人すぎるがゆえ。

 私はこの人以上に美人すぎる人間を知らない。あまりにも美人すぎるせいで異様さすら感じるのだ。人は、あんまりな美人を目にするとそれが自分と同じ生物だと認識できない。

 それほどまでに、この人は美しい。

 

「何しにきたの? ぶっ殺すわよ」

 

 口さえ開かなければ。

 

 顔もスタイルもいいし、医者としての腕も確かだけど、絶望的に口が悪い。特に寝起きは危険。

 彼女、勝八刃(かつ やいば)さんは、そういう人。

 

「いきなり『ぶっ殺す』はやめてくださいよ……何もしてないじゃないですか」

「起きた瞬間、目の前にアンタみたいな奴の顔があったら殺してやりたくもなるでしょ。常識で考えなさいよ」

 

 常識らしい。

 凹む。

 

「で、なに? また指を生やせとか言うんじゃないでしょうね」

「ああ、いえ。今日は風邪薬がほしくて」

「チッ…………」

 

 普通に舌打ちされたし、声には出さないまでも彼女の唇が『死ねばいいのに』と動いたのが見えた。寝起きのはずみで言う『ぶっ殺す』よりもガチっぽくてきつい。

 この短時間で私は何回死んだだろう。

 

「『風邪だと思うんですけど~』って言いながら病院に入ってくるやつ大ッ嫌いなのよね、私」

「そ、そうなんですか」

「風邪かどうかを決めるのは私だから」

「ああ……」

 

 まあ、正しい。

 それは医者として筋がとおっている。

 

 白衣の胸ポケットから取り出した煙草に火をつけながら、勝さんは話を続ける。

 

「ついでだから言っておくけど『風邪』って名前の病気はないからね」

「そうなんですか?」

「そう。風邪っていうのはウイルス性の咳とか熱とかの症状を総合した俗称だから。こっちで診断した結果として『いわゆる風邪ですね』って言いかたはするけど、風邪っていう名前の病気はないの。だから、風邪薬っていうのも実際は症状に対応した咳止めとか解熱剤の総称」

「は、はあ」

「だからねぇ、こっちの診断をすっ飛ばして『風邪薬がほしい』って言われてもどの薬だか分かんないから困るし腹が立つのよ。そんなの、ナポリタンを思い浮かべながら『パスタが食べたい』って言うようなもんなのよ。わかる?」

「わ、わかりました。すみません」

「んで、風邪でもないくせに風邪薬を欲しがる輩なんてロクなもんじゃないから。何に使うんだか分かったもんじゃないわ。ここに来るような輩は尚更ね」

「すみません、本当にすみません……」

 

 マシンガン・ド正論。

 腕はいいけど口が悪い。

 口は悪いけど腕がいい。

 言葉は荒いけど、内容がとにかく正しいので彼女の説教はゴリゴリに効く。

 申し訳なさはあるけれど、聞けば聞くだけこちらが落ち込むのでもう適当なタイミングで許してほしい。まさか、話のフックとして何気なく使った風邪薬というワードが原因で怒られるとは思わなかった。

 

「で、何に使う気?」

「へ?」

「その風邪薬とやらの使い道よ。アンタはどう見ても風邪ではないでしょ」

 

 怒られている間に診断(?)が済んだらしい。

 私が風邪ではないのは確定として、ではなぜ風邪薬を欲しがるのかという話。まさに私は『風邪でもないくせに風邪薬を欲しがる輩』だったというわけだ。

 お説教からシームレスに話題が移行したので少しびっくりした。

 

「それは、うちのペ……家族が体調を崩しまして」

「なに『ペ』って。アンタもしかして『ペット』って言おうとした?」

「いや、それはその……はい」

「ふーん、ペットねぇ……まともな病院に連れていかずにここに来たってことは、もちろんなんか理由があるんでしょうね。飼ってたら法的にまずい生き物とか?」

「いやそれに関しては、たぶんまだ法整備が追いついていないというか……」

「……なにそれ。アンタなに飼ってんの?」

 

 どうにも説明が難しい。

 私はナーナのことを狼と認識しているけど、医者に話す場合の文言として『狼です』と言うのは適切ではないような気がする。

 

「まあ、なんでもいいけどね。なんにせよ、そういう理由ならやっぱり薬は出せないわよ」

「正確な症状が分からないから、ではなく……?」

「もちろんそれもあるけど、人間用の薬を飲ませたらどうなるか分からないじゃない。ペットってことは人間じゃないんでしょ?」

「ああっ……!!」

 

 盲点。

 それは、完全に失念していた。

 日頃からナーナが食べるものには気を遣っているほうではあったのに。よく考えれば、というかよく考えなくても、薬は食べもの以上に気をつけるべきだった。

 

「珍しいわねぇ。アンタはそういうの気が回るほうだと思ってたけど」

「すみません、動転していたんだと思います……」

「動転……?」

 

 勝さんが眉をひそめる。

 

「アンタ、目のまえで人が死んでも『目のまえで人が死んだなあ』としか思わないくせに、ペットの風邪で動転してんの?」

「まあ、それは、はい……」

 

 自分でも驚いている。

 平常心のつもりでも、内心では動転していて判断を間違えるということは稀にある。とはいえ、まさかこのタイミングでそれが起こるとは。

 ただし、間違いに気付けたという点がせめてもの救い。そういう意味ではここにきて正解だったと言える。市販の薬なんか買ってきて飲ませていたら大変なことになっていたかも知れない。

 

「ふーん……興味が沸いたわ。じゃ、行きましょうか」

「行く? どこにですか?」

「アンタんちに決まってるでしょ。私が診察すればなにか分かるかも知れないし、アンタがなに飼ってるのかも気になるし」

「マジですか……」

「嫌なら別にいいけど」

「いえ…………お願いします」

「噛んだりしないわよね?」

「た、たぶん」

 

 まさかの展開。

 ナーナの診察のため、勝さんが我が家に来ることになった。

 

☆ナーナぐすり

 

「戻りました」

「お邪魔しまーす」

 

 勝さんを連れての帰宅。

 道中、案の定というかなんというか、すれ違う人はみんな振り返っていた。やっぱり勝さんは口さえ開かなければ誰の目にも明らかな美人オブ美人なのだ。

 ただし、美人の隣で歩くことによる優越感みたいなものは一切発生しない。この人レベルの美人になると優越感なんかよりも気疲れのほうが大きい。中身は普通に怖いし。

 

 ともあれ。

 帰宅した我々を、お留守番をしてくれていた恩納さんが出迎えてくれた。

 

「お帰りなさいませ。あら、先生もご一緒で」

「あら恩納、久しぶりね。ペットって恩納だったの?」

「違いますよ……」

「うふふ。先生に飼って頂けるのであれば、私はやぶさかではありませんが」

「きっしょ」

「ありがとうございます。『きっしょ』たすかります」

「勝手に助かるんじゃないわよ。お金取るわよ」

「払います払います」

「いいって」

 

 罵倒で助かる、そういう文化もあるらしい。

 勝さんを引かせる恩納さん、無敵かも知れない。

 さて、そんなやり取りをしながら寝室へ。

 ナーナは相変わらず布団に包まって丸くなっていた。

 

「ナーナ、ただいま」

「おかえりなさーい」

 

 声に元気がない。

 布団からも出ようとはせず、頭だけ出してこっちを見ている。とりあえず撫でた。

 これはこれで可愛いんだけど、やっぱりナーナには元気でいてほしい。

 

「ナーナ、お医者さんだよ」

「おいしゃさん?」

「起きられる?」

「うん」

 

 もぞもぞとナーナが上体を起こした。 

 

「うーーわ……」

 

 ナーナを見た勝さんが言葉を失って変な声を漏らした。まあ、無理もない。

 現在のナーナはいつものワイシャツ姿ではなく、本来の姿。デフォルト。つまり、すっぽんぽん。

 元々、ナーナは服を着たがらない子だ。ただ、そうは言っても私が目のやり場に困るのでどうにかこうにか(羽織るだけで済む)ワイシャツを着させているというのが普段の格好。

 でも体調を崩している現在は好きなようにさせている。まあ寒がってはいないようだし、布団があるのでワイシャツよりは暖かいだろうと思っての判断だ。部屋の空調にも気を遣ってるし。

 で。

 ここに来るまでの間、勝さんにはそんなナーナの状態に関して一通り説明してある。体調を崩してうちの寝室で布団に包まっているのは、狼であり、女の子であり、言葉は通じるが中身はまだ子供であり、その姿はすっぽんぽんであると。

 とは言え、実際に目の当たりにした時のインパクトは和らげきれなかったようで。

 

「ある程度の想像はしてたけど、アンタ、これを『ペット』って呼んでんの……?」

「いえ……だから言ったじゃないですか。『ペ……家族』って」

「うん、まあ……うん」

 

 勘違いしてほしくはないのだが、私はナーナのことをペットか家族かで言ったら基本的には家族寄りで考えている。ただし、ペット的な面があることもまた事実。

 ナーナがペットなのか家族なのかは状況によって割合が変化するので、どちらか一方として断言するのが難しいのだ。そして私の感情も加味されれば『ペ……家族』みたいな言いかたになってしまう。医者に説明する時なんかは、特に。

 まあ、すっぽんぽんの女の子を部屋に置いてペット扱いしていれば奇異に映るのも仕方ない。

 それに、拾った当初から見ている私では気づきにくかった。改めてみると現在のナーナの身体つきはもはや『女の子』というよりは『女性』と呼ぶべきじゃないかと思えるほどに色々と成長している。

 

「……まあいいわ。とりあえず、この子を診ればいいのね」

「あ、はい。お願いします。ナーナ、お医者さんの言うこときいてね」

「はあい」

 

 人見知りのナーナが勝さんに攻撃しないかちょっとヒヤっとしたけど、どうやら大丈夫そう。思ったよりも聞きわけがいい。暴れだしそうな気配もない。たぶん。

 体調を崩しているから大人しいというのもあるだろうし、もしかしたら『お医者さんの前ではいい子にしよう!』的なことをテレビで学んでいたのかも知れない。なんにせよ、ホッとした。

 

 勝さんが身体を起こしたナーナの横に椅子を持ってきて座る。

 

「くさい……」

「臭い? ああ……これかしら、ごめんね」

 

 ナーナに指を差され、勝さんは白衣の胸ポケットから煙草の箱を取り出して、恩納さんに持たせた。別に恩納さんが助手というわけでもないだろうに、本当にナチュラルにこういうことをやるのが勝さんらしい。恩納さんも謎に嬉しそうにしている。

 それはそうと、寝起きに話しかけただけで『ぶっ殺す』とか言う人の口からまさか『ごめんね』なんてワードが出るとは思わなかった。

 

 気を取り直して。

 

「さて……改めてこんにちは、自分の名前は言える?」

「ナーナだよ。こんにちは!」

「ちゃんと名前言えるのね、偉い偉い」

「おいしゃさんのお名前は?」

「私は勝八刃。あなたの飼い主からは『勝さん』って呼ばれてるわ」

「かつさんど」

「『ど』はいらないの。『かつさん』ね」

「かっちゃん?」

「ああ、まあ…………それでいいわ」

 

 何回聞いても『八刃』ってすげぇ名前だな、とか。

 子供には優しいんだなあ、とか。

 そんなことを思うなどしながら、二人の横でぼんやりと話を聞いた。

 

「最初はお口のなかを見るからね。あーんして」

「あーん」

「へぇー、ちゃんと牙がある……本当に狼なのねぇ」

 

 喉の奥を見たり、熱を計ったり、胸に聴診器をあてたり。

 人間にするのと同じような診察を淡々とすすめていく。

 

「次は身体を触るわよ」

「うん」

 

 次は触診。

 勝さんがナーナの身体の色々なところをふにふにと触ったり指で押したりしながら反応を見ていく。

 そこで、小さいながらもナーナが普通とは違う声をあげる箇所があった。

 

「ん」

「……ああ、ここ触ると痛い?」

「痛くないけど、へんなかんじ」

「なるほどね。こっちは?」

「それもへんなかんじ」

「ふーーむ……」

 

 勝さんは首を傾げて唸りつつカバンからタブレット端末と眼鏡を取り出して、それで何やら調べものをしながらまた診察を続ける。

 何らかの可能性は感じとっているらしいことは素人目にもわかった。

 

「じゃあ次は色々と聞いていくけど、分からない時は『分からない』って言っていいからね」

「うん」

「ナーナちゃんは、自分がいま元気だと思う? それとも元気ない?」

「ない」

「ごはんはちゃんと食べてる?」

「うん」

「朝は何を食べたか覚えてる?」

「カリカリのやつと牛乳」

「美味しかった?」

「うん」

「ふふふ。じゃあ……次の質問ね、散歩は好き?」

「すき」

「でも最近は行ってないらしいわね……どうして?」

「わかんない……」

 

 今度は診察というよりはカウンセリングのような質問を繰り返していく。何か意味があるんだろうということは分かるけど、それ以上のことはもちろん分からない。

 勝さんはナーナの受け答えを聞いては逐一タブレット端末で調べている。

 

「んー……それじゃ、お薬出しましょうか」

「おくすり?」

「ナーナちゃん、お薬って飲んだことある?」

「ない」

「そう。じゃあ、飲みかたはそこの飼い主に教えてもらってね。それをちゃんと飲めたら元気になれるから」

「ほんと?」

「本当本当」

 

 ナーナとの会話を終えてタブレット端末をカバンに仕舞った勝さんが、ポケットからよれよれのメモ帳を取り出して一枚破り、何やら書いてこちらに寄越した。

 見ると、薬の名称らしきカタカナと数量、それに勝さんのサインが添えてある。

 

「勝さん、これって……」

「処方箋よ。この近くに薬局あるでしょ、そこで貰ってきて」

「メモ紙じゃないですか。これ有効なんですか?」

「私の名前を出せば有効になるから」

 

 暴君か、というツッコミが出かかったけれど、寸前で飲みこんだ。

 やりかたが雑だったり荒かったり強引だったり乱暴だったりはするけれど、この人は間違いなく結果を出してくれる。こういう時、この人がそう言うならそうなんだろうと思っておくのが一番楽だし間違いない。

 さっそく出掛けようと財布を手にとったところ、恩納さんが手をあげた。

 

「お遣いなら私が行きますよ」

「いいんですか?」

「ええ。飼い主さまは帰ってきたばかりですし、ナーナさまも寂しがりますのでお傍に居て差し上げたほうがよろしいかと……」

「ああ、それもそうね。じゃあ恩納に行ってもらおうかしら」

「すみません、それじゃあお願いします」

「お任せください」

「ついでに煙草買ってきて」

「銘柄は先ほどのと同じもので?」

「そうそう」

「かしこまりました。では、行ってまいりますね」

 

 言うが早いか、恩納さんはぬるりと窓から出ていった。

 

「……あの子、ドアってものを知らないのかしらね」

「その説は私も推してます」

 

 診察が終わり、雑談を始めた我々の様子をナーナが不安そうにじーっと見ていたので、とりあえず撫でた。

 

☆飼い主こまり

 

 薬を飲ませたナーナがお昼寝を始めた。

 元より夜行性の子なので、お昼寝はいつものこと。何事もなければ、しばらくは起きないだろう。

 ここからは、大人たちでお茶を飲みながらしばしの雑談タイム。

 

「今日はありがとうございました。それで……結局、ナーナの病気ってなんだったんですか?」

「あら言わなかった? 病気じゃないわよ。ナーナちゃんは発情期。薬は鎮静剤ね」

「発情期!?」

「あらあら」

「まあ……本当は私のほかにもきちんとした獣医を連れてきて、二人がかりで意見交換でもしながら『人間として診察した場合』と『狼として診察した場合』の両面から考えたほうが確実なんでしょうけど」

「それは……」

「まあ、事情が事情だものね。とりあえず人間として診察した限りではなんの異常もなかったし、そのあと色々と調べたり勉強したりしながら狼としての診察もしたけど、まあ発情期ってことで間違いなさそうよ」

「それは……発情期のサインというか、それとわかる特徴がナーナにあった、ってことですか?」

「ええ。見てたと思うけど、おっぱいは張ってたし性器も充血して敏感になってたわ。それと……これは狼って言うよりペットの犬によく見られる変化らしいんだけど、布団から出てこなくなったり食欲が減退したり散歩に行くのを嫌がったりするのも発情期の特徴みたいね」

「はぁー、そうだったんですね……」

「意外でしたね。発情期と聞くと、もっとこう……」

「……なに想像してんの、恩納」

「ああっ、ゴミを見るような目!!」

「嬉しそう」

「うんまあ……正直分かるけどね。発情期って言うとサカっちゃうイメージはあると思うわ。でもほら、ナーナちゃんに関しては初めての発情期なんじゃないの? 知らないけど」

「初めてだと思います。ああ……そういうことですか。初めてだから、サカりかたが分からないっていう」

「そう。本人も何回か言ってたけど『わかんない』のよ。人間で言えばめちゃくちゃムラムラしてる状態だけど、その処理の仕方を知らないからずっと我慢してたってことね。ものすごいストレスだったと思うわよ」

「なるほど、それで鎮静剤……」

「そういうこと」

「改めて、ありがとうございました。本当に助かりました」

「いえいえ。お代はいつもの倍いただくからね」

「倍!?」

「当たり前でしょ、私一人で獣医までやったんだから二人ぶん貰うわよ」

「暴君か……」

「なんか言った?」

「いえ」

「それよりアンタ。落ち着いてからでいいから、これからのことはしっかり考えておきなさいよ」

「これから……というのは?」

「ナーナちゃんの発情期の話。まさか一回来て終わりだとは思ってないわよね?」

「あーーー………………」

「……確かに、ナーナさまのお身体への負担も少なからずありますから、発情期のたびに鎮静剤を飲んで頂くというわけにも……」

「ですよねぇ……」

「ま、薬に頼るっていうのも手のひとつではあるわよ。いま恩納が言ったようなデメリットももちろんあるけどね」

「他にはどんな手段があるんですか?」

「……言っとくけど私は獣医じゃないし、一般的な知識と今日の診察中に勉強したことしか頭にないわよ?」

「あ、そうか……すみません」

「まあ……発情期への対処と聞いてとりあえず思いつくのは去勢手術よね」

「きょ、去勢……」

「女の子の場合は避妊手術っていうのかしらね。まあ意味は一緒よ」

「そうすることで発情期そのものが来なくなりますものね。でも……」

「まあ、大きい決断が必要よね。あ、私は専門外だし色んな意味でやりたくないから、もし手術するって決めた場合は他の医者を見つけてね」

「わ、分かりました……ありがとうございます」

「あとはまあ、オモチャとかお菓子で気を逸らしてもらってひたすら耐えるっていう手もあるけど……これは、それで気が紛れるような子ならいいけど、そうじゃない場合は薬を飲ませたほうがマシなレベルの負担っていうか、ストレスになるでしょうね」

「結局、ただ我慢させるだけということになりかねない……と」

「そういうことね」

「うーーん……」

「あと、もうひとつ……これはナーナちゃんならではの対処法になると思うけど」

「なんです?」

「人間と同じ方法、要するに性交や自慰で発散させるっていうやりかた」

「あーーー……」

「まあ、そういう反応になるわよね。でも一番ストレスや負担が少なく済む可能性はあるわ。ただ、そういう行為が大好きな子に育っちゃう可能性もあるけど」

「あらあら、それはそれは……」

「だからさっきも言ったけど、落ち着いてからでいいからじっくり考えて決めなさい」

「……はい」

 

 大人たちがそんな話をしていることなど知らず、ナーナはすやすやと眠っていた。

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