家の前に車が停まる音。
その車のドアを開ける音、そして閉める音。
「きた!」
ナーナが反応してピクンと耳をたて、短く叫んだ。音の癖で誰が来たかだいたいわかるらしい。
ほどなくしてインターホンが鳴り、ナーナは弾かれたように玄関にダッシュ。
私が帰ってきた時もこんな勢いで走りだすのかなあ、なんて考えつつ私も歩いてあとに続く。
ナーナがバチコーンと玄関をあける(危ない)と、そこに立っていたのは辻さんだった。手にはノートぐらいの大きさの小包を持っている。
今日の辻さんは配達屋さん。
「やっほー、ナーナ。来たよ~」
「つじーー!!!」
「おっと」
ナーナの跳び蹴りを軽く避けて、辻さんは小包を私にパス。私はキャッチ。
小包の伝票の品名欄を見て、ああ先日注文したやつかと思いあたる。
「ありがとうございます。サインはどこに?」
「いいよいいよ、あとで勝手に書いとくから」
「いいんですかそれ……」
「うおりゃー!!!」
「おっ、ナーナは今日も元気だねぇー」
跳び蹴りのあとも、勢いを緩めず攻撃を続けるナーナ。
そんなナーナの攻撃をことごとく受け流しながら談笑(?)する辻さん。
落ちてくる岩を素手で防ごうとすれば無事では済まないのと同じようなことで、人間より筋力があるナーナの攻撃をまともに防ごうとすれば逆に危ないので受け流すのが最善なのはわかるけど、よくそんなことができるなと思う。
突き出される拳には横から手を添えて軌道を逸らし、鞭のようにしなって爪先が見えなくなるほどの速度になる回し蹴りは軽く後ろに跳んでやり過ごす。防御も反撃もない、とことん『受け流し』に特化した動きだ。
なにか変な拳法でもやってたのかな。やってたのかも。辻さんはなんでもやってるからな。
もちろんナーナには『(緊急時以外で)人に危害を加えてはいけない』と教えてはいるものの『つじ』に対してはどうしてもこんな感じ。人だと思ってないのかも知れない。闘争本能というかバトル欲のようなものを発散する相手として認識しているみたい。
まあ、私が知る限りでは、ナーナが辻さんに危害を加えたことはまだ一度もない(全部受け流されている)ので、言いつけを守っていると言えなくもない。ギリギリ。辛うじて。
そう、これまで辻さんが来たときは隠れて吠えるだけだったナーナ。その存在が、ついに辻さんにもバレた。
まあ時間の問題って感じではあったし、バレたという表現が適切かどうかもよく分からないけど、ぬるりとバレた。辻さん側がナーナみたいな存在に対して『別に隠すほどのことでもない』と考えていたらしく、そのお陰もあって初対面に際して何の波風もたたなかった。
どうやらムームやミーサちゃんのことも知っていたらしく、それもあってナーナのことも普通に受け入れてくれた。ありがたい。
さて、そんなことを考えているうちに。
ナーナが辻さんの顔面めがけて脚を高くあげた瞬間を見計らって、辻さんは体勢を低くしてそれを避け、そのままナーナの軸足を掬ってコロンと仰向けに転ばせた。
怪我をしないよう、ナーナの後頭部に手を添える余裕も見せながら。
勝負あり。今回も辻さんの勝ち。
「うりうりうり、ナーナは可愛いねぇー」
「それはそうでしょー!! うへっ、ぐへへへ」
仰向けのまま、辻さんにもみくちゃに撫でまわされてじたばたしながら、なんだか独特な怒りかたをしたり喜んだりしているナーナ。うーん、笑いかたが気持ち悪い。
負けて悔しい、撫でられて誉められて嬉しい、って感じで感情が入り乱れているご様子。
可愛い自覚はあるようです。
「じゃーねー、ナーナ。また来るよー」
「ばいばーい!!」
「お疲れさまです」
機嫌を直してぶんぶんと手を振るナーナと一緒に辻さんを見送る。
そのあとは、ワクワク開封タイム。
辻さんが持ってきてくれた小包の中身は、通販サイトでセールをやっていたので注文した、ナーナが読みたがっていた絵本だった。
それを見たナーナの反応は、もちろん100点満点。跳びあがって喜ぶわ歌うわ踊るわのナーナを落ち着かせるまでしばらくかかった。
さて、そんなわけで。
今日も今日とて、ナーナに絵本を読み聞かせられる時間が始まった。一冊の絵本を床に広げて、それを二人でうつ伏せになって並んで読んでいる。
絵本の文字を指でなぞりながらたどたどしく読むナーナ。それを聞く私。
聞くとはいっても、ただぼんやりと聞いていればいいというわけではない。お話の展開にはリアクションをしてあげなくてはいけないし、ナーナの知らない字が出てくるなどして読むのに詰まったら、ヒントを出したり煽ったりしてあげる必要がある。そのまま正解を教えると怒るので。
逆に、詰まらずに読めたらドヤ顔をしてくるので、その時はもちろん誉めてあげないといけない。
それに万が一、寝落ちでもしようものなら頭突きが飛んでくる。
聞き手というのは、考えようによっては読み手よりも忙しいのかも知れない。
そんなことを考えながらナーナの様子をちらちらと横から窺っていて、気になることがもうひとつ。
まあ、別にいま初めて気がついたわけでもない。というか、最近ではそのことを考えない日はないくらいに気になっていること。
ナーナの首輪について。
私がナーナを拾った当初、ナーナの扱いかたで試行錯誤を繰り返していた頃に買ってきてつけてあげたというだけの、なんの変哲もない首輪。
まあ現在の私も試行錯誤の連続であることには変わりないんだけど、ナーナのことは狼でも人間でもなく『ナーナ』として扱ってあげたいという境地に達しているので、現在であればきっと首輪を買ってきてつけようなんてことは思いつきもしない。あの当時の、いわば迷走状態だったからこそ買ってきた首輪。
ナーナはその首輪のことを、ものすごく気に入っている。
私はそのことが気になって仕方ない。というか、心配。
首輪を気に入ってくれたこと自体は嬉しいんだけど、その首輪は当時の痩せていて小柄だったナーナのサイズに合わせて買ったものなので、すくすく育ってプロレスラーみたいになった現在のナーナには明らかに小さい。
なのに、ナーナは頑なにその首輪を外そうとしない。隙あらばすっぽんぽんになろうとする子なのに、首輪だけは絶対に外さない。
現在では、最初に着させていたワイシャツのボタンも弾け飛ぶほどにナーナは大きくなったのだ。このままでは首輪も弾け飛ぶ。いや、その前にナーナの首が絞まる。
調整用の穴で緩めてあげるのももう限界だからもう新しい首輪を買ってあげるか、なんなら外すかしてあげたいんだけど、ナーナはあの首輪を以下ループ。
「きーいーてー」
「ああ、ごめんね。痛い痛い」
頭突きが飛んできた。
頭突きというか、ぐりぐりと頭をこすりつける、なんだこれ、なんて言うんだろう。
ひとまずは、大人しく絵本に集中。
それからナーナの読み聞かせタイムは小一時間ほどかけて見事完走。
本を一冊最後まで読みきれるようになったかと、ちょっと感動。
とっても偉い。
さて、それはそれとして。
ここからは、絵本とは別の大切なお話の時間。
「ナーナ、首輪はきつくない?」
「きつくないよ」
「本当は?」
「きつい」
「ほらあ……」
正直な子なので、こういう時は助かる。
咄嗟に嘘をつくこともあるけど、そこは『本当は?』と聞けば本当のことを言ってくれるのだ。
と言うか、ナーナ自身も首輪についてはきついと思っていたことにびっくり。まあ、きついのは見ればわかるけど。
なんにせよ、つまりは首輪を外さないという意思の強固さも想像以上ということ。明確に『きついけど外さない』と考えていることが、いまわかった。
「ナーナ……きついなら、首輪を取ってもいいんだよ?」
「やだ」
「どうして?」
これまでは、ナーナが嫌だといったらそれ以上踏み込むことはなるべく控えていたけど、今回は焦りもあってか珍しく食い下がってしまった。
今のはまずかったかなというのがよぎった矢先、そこに思考を割く間もなくナーナは即答した。
「ナーナ、およめさんだから」
「……ああ」
なんだか、色々と腑に落ちた。
それを言われちゃー、納得するしかない。
私とナーナはべつに、正式に結婚しているわけではない。それに、ナーナが結婚という制度を理解しているはずもない。なんなら『嫁』というものが何なのかも分かっていないだろう。
それでも、ナーナは『およめさん』なのだ。
これはもはや概念の話。
ナーナのなかに『およめさんとはこういうものである』という理想像のようなものがあって、そこに合致すればそれはもうおよめさんなのだ。
嫁と、およめさんは、似て非なるもの。とりあえず日頃の言動から、強くて可愛いものだと考えていることは確か。
そこに『首輪を大切にしている』という項目が加わったとて、なんの不思議もない。
思い返してみると、拾ったナーナが劇的に懐いたのは首輪を買ってきてからだったような気がしなくもない。その頃からナーナのなかにおよめさん像があったのか、それとも後からいい感じに解釈を追加したのかは分からない。まあ後者のような気もする。
過去に私が首輪を外そうとしてナーナを泣かせてしまった時も、ナーナは『ナーナ、ここんちの子だもん』と言ったのだ。あの時点で『ここんちの子』であるために首輪が必要だと考えていたのなら、思考の流れとして矛盾はない。
結婚指輪ならぬ、結婚首輪ということか。
響きはちょっとアレだけど、まあリングには違いない。
さて、そういうことなら気軽に外せとか新しいのと換えろとか言うわけにもいかない。
実はすでにナーナがつけている首輪と同じデザインでサイズの大きいものを買ってあるんだけど、まあお気には召さないだろう。
となれば、アプローチを変える必要がある。
まあ、考えようによってはナーナが首輪を外さない理由がこれまでよりも明確になったのだから、ある意味ではチャンス。
まとめると『首輪はきついけど、およめさんだから外さない』というのがナーナの考え。
なら、それに対応した提案ができれば、あるいは。
「ナーナは大きくなったから、このままだとボタンの時みたいに首輪も壊れちゃうよ」
「やだー……」
「うん、だから別のところに首輪をつけるのはどう?」
「べつのところ?」
「そう、ここなんてどう?」
私はナーナの手をとって、その手首に指で輪っかを作ってみせた。
外すのでも買い換えるのでもなく、手首に巻いてあげる。それだったら今の首輪をそのまま使い続けることができる。こじつけだけど『手首』も首だし。
さて、これならナーナも妥協できるラインだと思うけど、どうだろうか。
「それ……やっても、いい……の?」
おそるおそる、上目遣いでこちらを見ながらナーナは言う。身体は大きくなったけど、こういうところを見るとやっぱりまだ子供だなーってなる。
まあ、もはや理屈ぬきで『外したくない』という気持ちもあるだろう。それで『きつい』と感じながらも今まで確固たる意志をもって外さなかったものに、こんなに簡単な代案を出されたら不安になるのもわかる。
さて。
言ってしまえばいいも悪いもないんだけど、いいのと問われれば、こう答えるしかない。
「いいんだよ」
「じゃあやる!!」
気持ちいいほどの即決。
こんなにあっさりと解決しちゃっていいのかななんて思ったけど、解決なんてなんぼ早くてもいいですからね。
それに、あくまでも今この場での解決が早かったというだけで、この問題にはけっこうな期間悩まされたし。
というわけで、いよいよ。
ナーナは、私が首輪を外しやすいようにこちらを向いて顎をあげる。
私は若干、緊張しながら金具に指をかけて首輪を外した。
そして、あらわになったナーナの喉。
ナーナの身体で見たことがない場所なんてないけど、喉は久しぶりに見たなあ、と思うなど。
考えてみれば首輪をつけて以来見ていなかったのだから、年単位での『久しぶり』だ。
「はやく、はやくつけて!」
「ああ、うん」
手首を出してわたわたするナーナに急かされて。
私までなんだか焦りながら、差し出されたナーナの左手首に首輪を巻いた。
「ほー…………」
自分の手首に巻かれた首輪を見つめて、ナーナはため息をついた。ナーナとしても、自分の首に数年巻かれていたものを手元で見るのは不思議な感覚だろう。
気に入ってくれるといいんだけど。
「どう?」
「ぱーぺき」
「変な言葉知ってるなあ」
まあ、お気に召したようでなにより。
取り替えるつもりで買っておいた新しい首輪は、まあ、私の腕にでも巻くことにしよう。
それはそうと、ナーナの首には首輪で擦れてできたであろう小さい傷がいっぱいある。
状況は、思っていたより切羽つまっていたみたい。
「首、痛いでしょ」
「いたくないよ」
「本当は?」
「いたい」
知ってた。
「あとでお薬塗ろうね」
「えー」
「えーじゃないの」
「はーい」
身体を動かすのが大好きな子なので、擦り傷程度なら日常茶飯事。
傷に塗る軟膏は、勝さんから貰って常備してある。
「ナーナ、まだおよめさん?」
一度首輪を外してしまったことが気がかりらしく、ナーナはそんなことを聞いてきた。
ぱーぺきとは言ったものの、まあ正確な意味を知っているわけではないだろう。
「うん、大丈夫。ずっとおよめさんだよ」
「……やったぁ~」
安心したナーナはにっこりと笑って、またさっきみたいに頭をぐりぐりとこすりつけてきた。
今回のタイトルは、このお話を書き始める前に「ナーナびより」とどっちがいいか悩んでいたものです。
途中からハーメルンでの更新もさせていただくようになりましたが、pix◯vのほうで始めた時点から考えると、なんだかんだで2年ちょっと書いてました。
今回で一旦の区切りとさせていただきます。
応援してくださりありがとうございました。
このあとは何を書こうか、または書くまいか、まだ迷っています。詳しくは前話の後書きあたりに書いたような気がするので、よければ見てみてください。
ひとまず、完結扱いにするのは保留としておきます。
感想や評価などいただけますと励みになりますので、是非ください。