じゃあ、ムームってどんな子?
ムームはナーナの妹、みんな知ってるね。
我が家には、狼が住んでいる。
名前はナーナ。
ナーナには、妹が居る。
名前はムーム。
ムームは、我が家に住んでいない。
なんだかややこしいクイズのような言い回しになってしまったけれど、事実を並べるとこういうことになる。
ナーナには、ムームという妹がいる。
背丈はナーナと同じくらいで耳の形や顔の造形はそっくりなのだけど、それ以外はどこもかしこも似ていない。褐色の肌に黒髪のナーナに対して、ムームは肌も髪も真っ白だ。瞳の色も、ナーナは青いのに対してムームは赤い。
性格も、ナーナに比べると少し、いやかなり、意地悪というかひねくれていて、何を考えているか分からないところが多々ある。そのせいかナーナにそっくりな顔をしているにも関わらず、表情の印象が全然違う。特に笑顔。こちらまで楽しくなるようなナーナの笑顔とは対照的に、ムームの笑顔はこちらを不安にさせる。たぶん彼女に悪気はないのだろうけれど、なんというか、怖い。
ぱっと見はナーナにそっくりで、髪と肌は真っ白で、目だけが赤く、笑うと怖い。それがムームだ。
そして、我が家に住んでいるのはナーナだけ。ムームは野良をやっている。
別に仲間はずれにしているというわけではない。ナーナは『ムームがうちに来てくれたらいいのになー』なんて言っているし、私もまあ、家計のことはあるけれど、ナーナが楽しいならそのほうがいいと思う。
ただ、ムーム自身が野良のほうが落ち着くと言うのだから仕方ない。
それにムームもなんだかんだで『お姉ちゃんの様子を見るため』と言って定期的に遊びにくるので、家に居ないだけで顔を見る機会はいくらでもある。だから、これはこれでちょうどいい形なのかなと思っている。
今回はそんな、ムームが我が家に遊びにきたとある日のお話。
その日。
日が落ちてあたりが暗くなり始める頃、ムームは黒いタンクトップ、黒いジーンズに黒いロングコートという出で立ちで現れた。耳を隠すためかコートのフードを目深に被っていて全体的に真っ黒なシルエットだが、タンクトップの丈が短いおかげで真っ白なお腹が覗いている。暑いんだか寒いんだかよく分からない格好だけど、見ようによってはお洒落だ。
ナーナと違って、というか普通に考えて全裸やワイシャツ一枚では野良は務まらないようで、ムームはしっかりと服を着る。この日に限らずムームは黒いものを着ていることが多いが、それは好みというよりは野良であるがゆえのことで、暗闇に紛れて行動するのに便利だからという理由が大きいようだ。
ただし、その服をどこで手に入れているのかは分からない。それなりに高価そうなものに見えるけど、果たしてきちんと買っているのか、それとも盗んでいるのか、はたまた奪っているのか。そのへんのことは考えないようにしている。
ともあれ。
せっかくムームが来たのだからということで、大はしゃぎのナーナをなだめつつ、夕飯は冷蔵庫にストックしている肉を多めに引っ張りだして焼肉パーティーを開催することにした。
それからだいたい一時間ほどして。
ナーナは誰よりも先に満腹になり、テーブルのすぐ横でグースカと眠り始めた。今の今まで大はしゃぎでムームに構っていたのに、急に静かになったと思ったらこれだ。自由すぎる。
せっかくムームが会いに来てくれたのに眠ってしまっては悪いだろうと思って起こそうとしたけれど、それは当のムームに止められた。
「寝かせてあげなさい。疲れてるんでしょ、きっと」
「それは絶対にないと思うけど……」
まあムームがそう言うならと、寝かせておくことにした。ただ、こんな時間に寝られると夜中に目が冴えてしまって、それはそれで大変だろうなと容易に想像がつくのだけど。
ナーナはそんな私の憂鬱も知らず、ご満悦の表情でクッションを抱きしめたままうつ伏せになって眠っている。
お陰で色々なところが丸出しになってしまっていたので、寝室から毛布を出してきてかけてやった。
ムームはそんな私のことを横目で見ながら、ホットプレートで焼けた肉を小皿に移していた。
「人間って不便よねぇ」
ぼやくように言いながら、ムーム自身は生の牛肉をパックから箸で直接取ってそのまま食べている。どうやら肉のことを言っているらしい。
まあ、言われてみれば確かにと思わなくもない。わざわざ鉄板と火を用意して肉を焼き、更にタレやら塩やらで味を付けて食べないと気が済まない人間は、生肉をそのまま食べられる彼女たちからすれば『不便』というふうに映ってもおかしくはない。
実際、焼肉パーティーとは名ばかりで、ホットプレートで肉を焼いているのは私だけ。ナーナとムームは平気で生のまま食べている。というか、彼女たちにとって焼いた肉はむしろ口に合わないと言ってもいい。タレも玉葱が入っていたりするとNGだし。
「まず焼く意味がわかんないのよね。熱いし」
「あ、そっか。それもあったね」
猫舌。
狼なのに猫舌、とは言うまい。人間以外の動物はみんな猫舌だ。そもそも食べものを加熱する習慣がないのだから仕方ない。
と。
話していて、とあることに気がついた。
あまりにナチュラルだったから今の今まで見落としていたけれど、これはムーム特有のものだ。
「ムームは箸が使えるんだ?」
「あぁー……まあ、それなりに」
若干、ばつが悪そうにムームは答えた。
先ほどまでナーナが『お姉ちゃんが教えてあげるね!!』なんて言ってフォークの使いかたをレクチャーしていて、ムームも『お姉ちゃんすごーい』と拍手までして一緒にフォークを使っていたのに、今は普通に箸を使っている。
「お姉ちゃんが楽しんでるところに水を差すこともないでしょ」
「まあ……そうか、そうだね」
忖度というか、演技というか。ナーナを白けさせないために気を回していたらしい。少し気まずそうなのは、それがバレたから。
それなりにとは言うけれど、私が見落とすぐらいには自然に箸が使えている。
野良という生きかたは、日常的に色々なことをカムフラージュする必要がある。ムームにとって箸の使いかたをマスターすることは、服を着たり耳を隠したりするのと同じような意味を持つのかも知れない。
そう考えると、ナーナに対して気を回していたのも野良特有のスキルということになるのだろうか。演技なんてナーナには到底できない芸当だ。
いや。
よくよく思い返すと、ナーナが演技らしい演技をしたことが過去に一度だけあった。
でも、こうして今考えてみるとあれはナーナ自身が意図して演技していたというより、もっと別の要因があったと考えるほうが自然だ。
例えば。
「ムーム、もしかしてなんだけど」
「ん?」
「これまでに、ナーナに『演技』を教えたことって、あったりする?」
「あるわよ。初対面の人間には言葉が分からないフリをしたほうがいいって言ってあるわ」
ああ、やっぱり。
あれは私が、空腹で倒れていたナーナを拾って間もない頃のこと。ナーナはしばらくのあいだ、まさに『人間の言葉が分からないフリ』をしていた。
とはいってもその演技はあまりにもお粗末で、きみは人間の言葉が分かるのかと聞けば『ガウ』と言って首を横に振り、なるほど分からないんだねと返せば『ガウ』と言って首を縦に振るといったものだった。要するに誰かに教えられた通りに演技をしているだけで、演技をする目的や意味までは分かっていない感じだったのだ。
ナーナ自身は気付いていなかったみたいだけど、もうその時点で十分な意志疎通が可能だった。だから、こちらから暴きたてるようなことはせず、ナーナのほうから実は喋れるんだと言い出すのを待ってあげた。
そして現在に至ったわけだけど、何かの拍子に思いだすたびに、あれはなんだったんだろうと考えていた。言葉が分からないフリをすることによるメリットは察しがついたけれど、ナーナがそれを分かっている様子はなかった。
でも、なるほど。
ムームが教えたということなら納得できる。
「言葉が分からないフリをしておけば、邪な人間はすぐに不用意なことを喋るもの。それを引き出すためよ」
「……そういうことだよねぇ」
「なに?」
「いや、なんでもない」
まあ結果オーライと思っておくことにしよう。ムームが意図した形ではなかったけど、これに関してはむしろそれでよかったとするべきだ。
「お姉ちゃんは、丸くなったわね」
「そう?」
テーブルの横で寝息をたてるナーナを見つめながら、ムームは頬杖をついてしみじみと呟く。
「ええ、一緒に野良をやっていた頃はもっとこう……細かったわ」
「あ、そっち?」
体型の話だった。
確かにナーナは拾った頃に比べたら丸くなったというか、だいぶ肉付きが良くなったと思う。単に太ったのとは違って、筋肉も付いてがっしりとした体型になっている。
背丈はムームと同じくらいで筋肉質なところも一緒なのに、見た目の印象というか威圧感が全然違う。例えるならナーナはプロレスラーで、ムームはボクサーだ。
これは言わずもがな、日々の食事の影響だろう。家計に余裕があるわけではないものの、それでも野良でいるよりはマシな食生活を提供できているということだと思う。
ただ、そう考えると今度は別のことが心配になってしまうけど。
「ムームは、きちんと食べていけてるの?」
「私? 私に関しては心配ないわよ」
「そう?」
「一人分の食糧調達なんて簡単なことだし、いざとなれば人間を襲って食べればいいんだから」
「よくはないよね」
「いいのよ、私たちは」
ムームはわざとらしく歯をガチガチと鳴らして笑った。
私ではなく、私たち。
もちろん『たち』に含まれるのはナーナだ。
人間を襲って食べることをよしとしないのは人間だけ。狼側からすれば至極当然、ということのようだ。いまいち釈然としないけど、理屈はわかる。
「……お姉ちゃんはそれをしなかったみたいだけどね」
「ああ」
確かに。
そのへんに居る人間を襲って食べれば、ナーナが空腹で倒れるようなことはなかっただろう。想像だけど、やろうと思えば簡単だったんじゃないかと思う。私に拾われたあとも、私を食べるチャンスはいくらでもあったはずだ。でも、ナーナはそれをしなかった。もしくはできなかったか。なんだかそれは少し、嬉しい気付きだった。
ナーナが起きたらビーフジャーキーをあげようと思った。なんとなく。
「まあ、お姉ちゃんはこれでいいのかもね。野良の才能ないし」
「ああ……わかる」
それはずっと思っていた。どう考えてもナーナは野良には向いていない。
私のぼんやりとした所感だけではなく、実際に野良を続けているムームが言うのだから、それは間違いないのだろう。
「向き不向きってものがあるしね。お姉ちゃんにとっては野良でいるより人間に拾われて暮らすほうが向いてるのよ、たぶん」
そう言って、ムームは笑った。
「私は狩りに向いていて、お姉ちゃんは繁殖に向いてるってことよね」
「は、繁殖?」
ちょっと、意識の外からワードが飛んできたような気がした。
「分かんないかしらね。人間にはどう映ってるか知らないけど、お姉ちゃんの身体ってメスとしての魅力が凄いのよ」
「………………うん」
分からないことはない。
というか、そんな気はしていた。
要するにナーナはサバイバルに向いていない代わりに、それを補って余りあるほど生物としての性的魅力を備えているということ。
「つまり、ナーナは生存に有利なレベルで可愛い……ってことか」
「違うわよ馬鹿、殺すわよ」
「えぇ……」
「お姉ちゃんは可愛いんじゃなくて、超可愛いのよ」
「ああそうですか」
「そう。胸は大きいし毛はフサフサだし、たまんないわよね。私がオスなら今ここで種付けしたいくらいよ」
「落ち着いて、それは生々しすぎる」
「なんで毛布かけちゃったのよ、最高の眺めだったのに」
「え、ムームがそういう目でナーナのお尻を見てることに気付いたから……」
「殺すわよ!」
「そんな理由で殺されてたまるか!」
食べる肉が無くなってしばらく経つけれど、ムームと私のナーナ談義はまだ続く。
当のナーナはそんなことなど意にも介さず、気持ちよさそうに寝息をたてている。
クッションには、口の端から垂れたよだれのシミが広がっていた。