怒れば噛みます。
そういうもんです、特にムームは。
ナーナには、野良をやっている妹が居る。
名前はムーム。
白い髪に、白い肌。
真っ白なシルエットのなかで、目だけが赤い。ナーナとは色々と正反対な子だ。
背丈は同じくらいで筋肉質なところも一緒だけど、やたらと肉付きのいいナーナに対してムームは細身。私はよくプロレスラーとボクサーに例える。
外見だけではなく性格も、よく笑うナーナとは対照的にムームはよく怒る。野良をやっているせいか、常に神経を尖らせているように見える。口癖は『殺す』で私も幾度となく言われたし、実際に殺されかけたこともある。
別に、仲が悪いというわけではない。
殺されかけたのは初対面の時の一度だけだし、それに関しては和解しているので問題はない。たぶん。
嫌われてはいないと思う。
好かれてもいないけど。
まあ要するに、現在ただちに命を狙われるような状況ではないということ。
殺されかけたというのにも、一応それなりの事情というかきっかけがある。
ムームは最初、私のことを『お姉ちゃんを捕まえた悪い人間』だと思ったのだそうで、私とナーナが散歩しているところを突然襲撃してきたのだ。それが初対面。ファーストインプレッション。『初めまして』よりも先に『死ね』と言われた。
まあ、無理もない。
ナーナとムームは元々、二人で野良をやっていた。その理由には人間への不信感も大いにあったと思う。
ナーナとムームは人間という種族そのものに対してはあまりいい感情を持っていない。何があったか詳しくは知らないけれど、まあ想像に難くない。『悪い人間に捕まる』という発想があるということは、そういうことなんだと思う。
そんな考えで一緒に行動していた二人は、ある時何らかの理由ではぐれて離ればなれになり、その末に空腹で倒れたナーナが私に拾われた一方でムームは長い間ナーナのことを探し回っていたのだ。
そういう経緯だから、ナーナが人間と歩いているところを見たムームが最初に起こす行動が『襲撃』なのは、まあ道理といえば道理。
その襲撃を私が生き延びたのは他でもない、ナーナが咄嗟に間に入ってムームの攻撃を防いでくれたお陰。奇襲のあと間髪入れずに殴りかかってきたムームの拳を、ナーナが受け止めてくれたのだ。ちょっと感動した。
まあ、その奇襲で私は指を噛みちぎられたけど。
その程度で済んだと思っておくべきだろう。死ぬよりはマシなのだから。
ただ、よりによって噛みちぎられたのが小指だったので、周囲の変な勘違いを招かないよう日常的に手袋を使うようにはなった。
ともあれ。
その件に関しては和解したというか、誤解はとけたというか。ナーナが『この人は悪い人間じゃないよ』と話してくれたのも手伝って、私を殺すのは思いとどまってくれた。
そしてその後は鬼のような形相で『お姉ちゃんを泣かせたら殺す』と言われたので、形はどうあれ私のことはナーナの飼い主であると認識してくれたらしい。そう解釈した。
まあ、泣かせたか泣かせてないかで言ったら、私はナーナを何度か(首輪の件などで)泣かせているのだけど、流石にそういうニュアンスの言葉ではないと思いたい。じゃないと死ぬ。
そして、それ以降はお姉ちゃんの様子を見るためと言って(あとは恐らく、私を殺す必要があるかどうかも見定めるため)定期的に我が家に顔を出すようになった。
ムームはいわゆるお姉ちゃんっ子だ。
お姉ちゃんっ子という言葉の範疇に収まるかどうか心配になってくるほどの、お姉ちゃんっ子。離ればなれだった期間があったことを踏まえても姉への執着は尋常ではない。
趣味は姉吸い。ナーナの身体の色々なところに顔をうずめて深呼吸する。それはもう、地上波では放送できない顔で吸う。姉を。
さらにムームは『自分がオスだったら迷わずお姉ちゃんに種付けする』などと口走ることもあるので若干の不安はある。
でも当のナーナは吸われている最中も多少くすぐったそうにはするものの、嫌がっている様子はなく普通に受け入れているので、そういうものなんだろうと思うようにしている。
そこまでお姉ちゃんが好きならもうムームも一緒に住めば毎日吸えるのに、とも思ったり思わなかったり。
なんだかんだで最近はムームがうちに顔を出せば普通にご飯を食べて姉を吸って全力でリラックスするようになってきたし、時には怪我をして駆け込んできて『しばらく居させろ』と言って泊まっていくこともある。だからもういっそのこと住んでしまっても同じことだと思うし、ナーナも呑気に『ムームも来ればいいのにねー』なんて言っている。
一応、家計の不安があるにはあるけれど一緒になってしまえばどうにでもなりそうな気がする。
一人扶持は食えないが二人扶持は食える、という言葉がある。今の暮らしがまさにそれ。二人扶持が食えるなら三人扶持もなんとかなるだろう。知らないけど。
でもムームは『野良のほうが性にあう』と言って、うちに住もうとはしない。
まあ、そう言うなら仕方ない。
それは言葉通りの意味かも知れないし、何か他の考えがあるのかも知れない。ムームはナーナと違って色々と考えている子なので、その真意は分からない。
公園の鳩を捕まえて食べているという話を聞くこともあれば、着ている服は妙に高価そうなものだったりと、ムームの生態はいまいち謎なところがある。服だって、買ったのか盗んだのか奪ったのか分かったものではない。
本当にそんな暮らしが性にあうのかという疑問はある。
ただ、まあ、考えようによっては。
純粋な喧嘩は強いけど狩りが下手で野良のパートナーとしては正直ちょっとアレだったであろうナーナと離れたことは、ムームにとってはある意味プラスに働いている部分もあるのかも知れない。そのナーナは現在、気が向いた時に吸いに来られる場所で安全に暮らしているのだ。
ムームは、ナーナの心配から解放された今が一番悠々自適に野良ライフを満喫できているのかも知れない。
人間で言えば一人暮らしと実家暮らしみたいな関係性だろうか。そう考えると、一人暮らしのほうが気楽であるという感覚は分かる。
それが『性にあう』ということなら、そうなんだろう。
まあ、私を殺してナーナがまた野良になった時のために備えているという可能性も考えられなくはないけれど。
何にせよ、今の生活もムームにとってはそれなりに楽しいんだろうなと思った。
ベッドでもみくちゃになって眠っている二人の寝顔を眺めながら。
「静かだと思ったら……」
帰宅してもナーナが玄関に現れないので妙だなと思って家のなかを探したら、二人揃ってベッドで眠っていた。
どうやら私が留守の間にムームが遊びにきて、二人でじゃれあっているうちに眠ってしまったらしい。
辺りには脱ぎ捨てた服やら犬用オモチャやらビーフジャーキーの大袋やらが散乱している。ビーフジャーキーはキッチンの高い位置にある戸棚にストックとして隠しておいたものだ。ああ、もう、いつの間にかそんなところに手が届くくらいに大きくなったんだ。新しい隠し場所を考えないといけない。なんて、妙な感慨に耽っている場合でもない。
部屋の惨状を見る限り、相当楽しんだであろうことが窺える。
パッと見て壊れたものなどはないようだけど、それにしたって随分と散らかしてくれたものだ。これは、怒るべきか否かで考えたら間違いなく怒るべきなんだけど、ムームが逆ギレしそうで怖い。どうしたものかな。
もしムームも一緒に住むことになったら、毎日こんな感じになるんだろうか。
とりあえず。
素っぱだかのほうが落ち着くのはムームも同じらしい、ということは分かった。それに伴って、黒いパンツかと思うほど剛毛のナーナに対してムームが『つるつる』である、ということも。
その後、私は目を覚ましたムームによって二度目の殺されかけを経験することになる。
ものすごくコンプレックスに感じていて、知られたくなかったみたい。
毛のこと。