ジュンはムクホークを繰り出した。白く染まるエイチ湖のほとり、眼前には紫髪の女ジュピターとそのスカタンク。
その佇まいに隙はなく、むしろ迫り来るムクホークを待ち構えているとジュンは察する。
(ショウの言う通りだ。もしただインファイトで突っ込んでれば返り討ちにあってたかもしれねー。……技が通るか通らねーか。考えて、指示を出すんだ)
ジュンはムクホークと目を合わせ、頷く。そしてそのまま、インファイト、と叫んだ。
ジュピターの目が細まり、口角が鋭く上がる。
「スカタンク! どくガス!」
「ふきとばしだ、ムクホーク!」
「なっ!?」
力強いはばたきが雪を巻き込み、どくガスをスカタンクの側に吹き飛ばした。事前に決めていたプラン。読み通りの待ち伏せ。
(オレはまだ……強くなれるッ!)
☆
コウキはオドシシを繰り出した。緑萌ゆシンジ湖のほとり、眼前には赤髪の女マーズとそのブニャット。
先の交錯ではねこだましを受け手痛い追撃をもらうところだったが、オドシシは自分で何らかのバリアーのようなものを展開。難を逃れていた。
オドシシの目がコウキを見る。やれるのか、と。コウキは力強く頷き、先日のショウとの共闘を思い出す。
(早業。ショウさんはそう言っていた。あのとき見た早業はカラナクシのみずのはどうと、ポッチャマのあわ。どちらにも共通して言えるのは技の出が早かったことと、威力が抑えられていたこと。でも単に早撃ちをさせようとするんじゃ技は構築できず失敗する。
コウキの本質は研究者だ。ゆえにコウキは早業を見てからというもの、すでに何通りものやり方を試している。
そういう技術があると知れば、取り得るアプローチも限られてくる。コウキはもはや早業の核心を掴みつつあった。
「オドシシ。技をただ速く撃つんじゃなくて……あらかじめ用意しておいて、撃つときだけ加速させる。そういうことはできる?」
オドシシは鼻を鳴らし、頷いた。バトルスピードのコントロール。早業と力業の真髄はそこにこそある。
「行くよ!
今までと明らかに違う動き。その緩急によってブニャットは、一瞬オドシシを見失った。
(これが……早業。掴んだッ!)
☆
ショウは軋む体を押してギンガ団トバリアジトの倉庫を訪れていた。以前コウキと共闘を行ったときに来て以来だが、見張りは四人に増員されている。
そのうち巡回している二人は以前コウキを襲った二人組と見えた。では残りの二人は、とショウが目を向ける。
(あれ、ハクタイの)
カードキー式のゲート横に門番のようにして立つ二人組。それは以前ハクタイギンガビルでショウに制服をくれた、階段の見張りたちだった。
ショウは新調した制服を身に纏い、倉庫へ侵入する。コウキを襲った二人組の視線を避けつつ、ボールを構えハクタイの二人組に近づいた。
「久しぶり」
「これはマンテンボシさま。このようなところに何かご用事ですか?」
(……バレてない?)
ショウの
アカギは無駄を嫌う。揃いも揃って役に立たない不完全な部下たちに、マンテンボシのルーツだなんだと説明したところで意味がない、そう思っている。
アカギとマンテンボシが究極的に相容れないことはすでに分かっている。選ぶ道は結局のところ敵対以外ない。どうせ部下たちはアカギの命令に唯々諾々と従うことしかできないのだから、説明に時間を割くなどという無駄は必要ないのだ。
ゆえにこれはアカギの誤算だった。まさか部下が──
(幹部さまが、私のことを覚えて……!)
マンテンボシを幹部と勘違いしているとは、夢にも思わない。
「ええと、ボスに報告があって。開けてくれる?」
「もちろんです! カードキーはお持ちですか?」
「……失くしちゃって。ほら、こんなだから」
ショウは自身の着替えた制服以外の部分──未だ泥だらけの頭など──を示し、曖昧に笑った。
二人ははっとした顔になり、失礼しました、と折目正しく腰を折った。
「そうだ。この間みたいに案内を頼める?」
「はい、なんなりと!」
「お前、こないだは持ち場を離れたくない〜とか言ってたくせに……マンテンボシさま。ここは私が」
「二人でも良いけど」
「はい、ではそのように! ちょっとアンタ、あのバカ二人呼んできてよ。仕事中に遊んで子どもに負けたっていうやつら」
打ち負かした方の二人からは見えないように死角を取りつつ、ショウは二人の案内役を手に入れ堂々とアジトに乗り込んだ。
☆
「そういえば、こっちの見張りになったんだね」
「ええ、それはもう! マンテンボシさまのお力添えあってのことです! なんでも本部への襲撃を企てている輩がいるとかでして、警備を増員することになったとか……って、ご存知ですよね」
「……私は、何もしてないよ」
「大丈夫です、分かっております!」
ショウの何もしてないよ、とは襲撃の話であり、団員はそれを力添えなんてしていないことにしてくれ、という意味で受け取った。すれ違いである。
先導される形でショウは歩いていた。団員二人はあからさまにテンションの高い振りをしてショウに胡麻を擦る。猫撫で声が無機質な通路に反響し、くらくらする。たまらずショウは座り込む。
「マ、マンテンボシさま!? 大丈夫ですか? お加減が……?」
「……平気。しゃがんでじっとしてれば、治るから。大丈夫」
二人は顔を見合わせた。幹部とはいえ小さな女の子であることに変わりはない。だというのにマンテンボシは顔を真っ青にし、小刻みに震えてすらいた。
どちらからともなく、頷きあう。
「マンテンボシさま。あちらに仮眠室があるので、少し休んで行かれませんか? 差し出口ながらどうにもお身体の調子がよろしくないご様子ですし」
「…………ありがとう。でも、大丈夫。急がなきゃ」
「いえ、ですが……」
女団員がさらに言い募ろうとしたそのとき。通路の向こうからドタドタと騒がしい足音がした。
居たぞ、と叫び声が聞こえた。四人の団員がボールを構えて迫っていた。男団員と女団員の二人は反射的にボールに手を伸ばし、それぞれズバットとスカンプーを繰り出した。
「……何のつもりだ?」
「それはこっちのセリフ! 四人がかりで何の用?」
「ああ、手柄を横取りされるのを恐れているのか。安心しろ、お前たちの功績はきちんと報告してやる」
「手柄? ……何の話?」
「マンテンボシを捕らえたのだろう? まさかお前たちのような支部のしたっぱがな。いや、そこまで追い詰めたというサターンさまの手腕こそを見事と言うべきか」
「は……?」
男団員と女団員は顔を見合わせてショウを見た。壁に手をつきながらも立ち上がる、ボロボロの少女を。
「……どいて」
荒い息を吐きながらショウはバスラオとポッタイシ──こちらもまた、先の乱戦で進化していた──を繰り出す。
いくら相手が四人とはいえ、狭い通路で数の利を活かし切れるわけでもない。ショウが敵を倒し切るのに時間はさほどかからなかった。
「マンテンボシさま、いえ、あなたは……」
「ごめんね。ここまで、ありがとう」
ショウは駆け出した。その動きは精彩を欠いてなお、常人の及ばない域にあった。
正確な位置までは把握できていないのか団員の襲撃は散発的だった。基本的には固定または巡回。やり過ごしつつ湖のポケモンたちを探す。
しかしそれでも避けられない戦闘はあり、ショウの視界の端は今や赤に染まりつつあった。
(いつ以来だろ)
なんでもなおしをもう一度服用する。以前医療隊のキネにこっぴどく怒られたことを思い出す。人間用に調合したものではないので、どんな悪影響があるか分からない。それを安全確認もせず飲むとは何事ですか、と。
こんなこともあった。畑作隊のナバナに育ててもらったオレンのみをそのまま食べようとして、あまりの硬さに断念せざるを得なかった。割り方にコツがあるんだ、とナバナがくれたオレンのみはちょっと苦くて渋くて酸っぱかったが、それでも甘かった。
思考が散漫になり始めていることはショウ自身にも分かっていた。おそらくこのままでは湖のポケモンの奪還すら果たせず道半ばで倒れてしまうことだろう。休息が必要だった。
死ぬわけにもいかないので、一応、念のため、万が一の可能性を考えて、アルセウスに電話をかけてみる。『すべてのポケモンとであえ』切る。壊れている。電波の調子が悪いのかもしれない。電波みたいな存在のくせに、とショウは思った。
ばたばたと足音がする。不幸にも見通しの良い通路、隠れられる場所はなさそうだった。ポッタイシを呼び出す。せめて奇襲を。
ショウの視界が傾いだ。
「あれ……」
意識を失う前兆。覚えがあった。ヒスイでは団員が救助しに来てくれたので一命を取り留めたが、ここではそうもいくまい。
ポッタイシが心配そうにショウを見つめている。氷のような床から振動が伝わってくる。吐く息が白くないのが不思議だった。
あそこだ、と声が聞こえた。
団員の繰り出したニャルマーが迫る。ポッタイシは一匹でも迎撃をしようとした。
そのとき。
「スカンプー、えんまく!」
「ズバット、ちょうおんぱ!」
聞き覚えのある声がして、ショウは意識を手放した。
☆
女団員は仮眠室の扉に背中を預け、ため息をついた。中ではマンテンボシが眠っていて、男団員が看病にあたっているはずだ。
男団員は漢方屋のせがれなのだという。ひいばあちゃんのそのまた何代か前のご先祖さまが、にばいづけという商品を開発したのがそもそもの興りだと言っていた。ただの家庭料理だったはずのそれが、プラスパワーのような効果を持っていたから。
驚いたことにはるか昔にもギンガ団という組織はあったのだそうだ。そこの人に漬物石としてイシツブテを捕まえてもらったらしい、と男団員は語った。「聞き覚えのある団に入ってみたらこれだ」と肩をすくめながら。
その手の技術に縁のない女団員は外で見張りをすると言って部屋を出た。何をやっているんだろう、そう思った。
助けてしまった。咄嗟にではないが、明確な考えがあったわけでもない。
マンテンボシが幹部でないどころか敵であることは男団員ともども知っている。つまるところ本部に来られたのだってマンテンボシのおかげではなく──間接的にはおかげと言えるかもしれないが──むしろハクタイで案内してしまったぶん、自身の評価としてはマイナスされているかもしれない。
『我々は不完全な世界で苦しみながら生きて来た』。アカギの言葉が胸に思い起こされる。
世界を変える。そのために神話を研究しエネルギーを作り出す。ギンガ団の活動の目的に惹かれたのは間違いない。苦しまずに生きていける世界を。団員の根底にはその理念が宿っている。素行の悪い連中やらを見るに出力のされ方には違いがあるらしいが。
神話だ何だの話は眉唾だったが、少なくともエネルギーを生み出すことは確からしい。退屈な階段の見張りはその技術を守るためだと言われた。
上に行きたいと思ったのは、世界を変えるそのたった一助にでもなりたかったからだ。そのために選んだ手段のせいで今こうなっているのは皮肉というほかない。
クビ程度で済めば良いが。女団員は知らずボールを撫でた。入っているスカンプーは団からの支給だ。ずいぶんと愛着も湧いてしまった。せめてこの子だけでも、良い団員の下へ行けたら良い。
いっそ、中の二人を売ってしまおうか。
頭をよぎる。脅されていたとでも言って他の団員に伝え、制圧する。マンテンボシは意識がない状態だ。横にポッタイシこそ居たが、たかが一匹。数で押し切れないものでもない。
そうすればその手柄をもとにいくらか上の役職にでも就けるかもしれない。きっとそれが、正解──
「──違うッ!」
違う。女団員は自分の頬を張った。
そんなものは正解ではない。たった一人の弱った女の子を排除しようとするような集団で、その子を売ってのし上がって、それをこの先誇れるはずもない。
ギンガ団の理念を鑑みればこそ。苦しまずに生きていける世界を本当に目指すのであればそのような選択肢は論ずるに値しない。
痛む頬を抑え、女団員は目をぱっちりと開けた。
無機質な通路のシンプルな床材はよく音が響く。いくつかの足音が仮眠室の方に向かっている、と女団員は気がついた。
先ほどとは違う四人組が小さく見えた。女団員は唾を飲み軽く頭を下げる。
「失礼。侵入者がいることは知っているな? 我々は今その捜索をしている。中を確認させてもらえるだろうか」
「あー、すみません! 中で女の子が眠ってまして! 他に居ないのは私が保証するので!」
自然な笑みで女団員は言う。思えばへつらうことくらいは上手くなったのかもしれなかった。ただの自嘲だ。思考から追い払う。今必要なのは、中の女の子を
「確認するだけだ。隠れていないとも限らん。……それとも、何か? 開けられない事情でも?」
「いやー、そのー……そう、侵入者にこっぴどくやられちゃったみたいで。まだ回復しきってないので安静にさせてあげたいと言いますか。ね? ほら、侵入者ってすごく強いみたいじゃないですか。あなたたちみたいな強い人なら大丈夫なんでしょうけど、その子──」
「確認するだけだ。……開けるぞ」
「ちょっ、ちょっと!?」
団員がドアノブに手をかけ、引いた。ドアの隙間から覗くのは──バスラオ、ポッタイシ、トリトドン。縦に並んだ三つの顔だ。
「
三つの口に青いエネルギーが溜まっていく。団員の顔もまた、青く染まった。
一斉攻撃。
団員が吹き飛び、後ろの三人すら巻き込んで壁に凹みを作った。
女団員が恐る恐るドアを開ける。そこにいたのは、やけに調子の良さそうなマンテンボシの姿だった。