ヒスイ帰りのショウ   作:餅は餅や

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テンガン山へ/やぶれたせかい

 偉大なる天冠山はその身を雪に染め、悠然としてそこにあった。暗い天を冠する頂を遥かに仰ぎ、ショウは息を深く吸った。

 現代では内部を通る登山道が一般的であるところ、ショウは単身雪を踏み締めて歩く。要所でこそポケモンの力を借りることもあったが、これからのことを思うと彼らを消耗させるわけにはいかなかった。

 幸いヒスイでも登頂を果たした山だ。当然変わっているところもあるものの、やけに調子の良いこの体にはさしたる障害でもない。

 そのことを思うと、アジトで食べたにばいづけの味が思い出される。ヒスイで食べたそれと、少しだけ違うその味が。

 

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 足元に集うポケモンたちをボールにしまい、手を握って開くのを数回繰り返したあと、ショウは頭を下げた。

 

「助けてくれてありがとう」

「ふん。……アンタ、幹部じゃないんだって?」

「うん。黙ってて、ごめんね」

 眉を下げて言うショウに女団員はもう一度鼻を高く鳴らす。

「敬語使って損した。これからはタメ口だから。良い?」

「……うん」

 

 つんでれだ。流石に口にはしなかったが、ショウはにまにまと笑ってしまう。気勢を削がれた女団員は頬を掻いた。

 

「体調はもう良いの? というか、そもそもなんであんなにボロボロだったのよ」

「毒だな。事情の方は知らないが」

 後ろからやって来た男団員が口を挟む。

「たまたま俺がにばいづけを持ってて良かった。あれは体力をつけてくれるから、毒なんかで体が弱ったときには良いんだ」

「あんた漬物持ち歩いてんの?」

「空間の神と呼ばれた男が編み出したとされる収納術だ。ウチに伝わってる」

 

 ほら、他にも、と男はカバンから色々なものを取り出して見せた。現代のカバンに容積以上のものが入ることは言うまでもないが、それにしたって出てくる量は常軌を逸している。女団員は早々に思考を放棄することにした。

 

「で、結局、体は? 何かやることがあって来たんでしょ、行けるの?」

「うん。もう大丈夫」

 

 むしろやけに調子が良いとショウは感じていた。なんでもなおしが効いてきたのもあるのだろうが、主な要因はもらったにばいづけではなかろうか、とショウは思う。もしかすると現代に伝わっているにばいづけは改良されて性能が上がっているのかもしれない。

 それはまるでヒスイからの贈り物のようだった。ショウの体には今、攻めの力も守りの力も体に漲っている。アルセウスを鎮めろと言われたって十全に熟せるだろう、それほどの力が。

 

 ちらと時計を見る。少しロスしてしまったが必要な時間だったとも思う。考えて見ればあの状態で湖のポケモンを助け出すのは土台無理な話だ。

 固まった体を伸ばし、ショウは二人へと向き直る。ショウは行かねばならなかった。湖のポケモンを救い、アカギを止めるために。

 

「ありがとう。行ってくる」

「……帰ってきたら、色々聞かせてよね」

「うん」

 

 ショウは二人に礼を言って駆け出した。行手を阻むものは、もはやない。

 

>>>>

 

 空は赤く染まり始めていた。びゅうびゅうと吹き下ろす黒い風に抗ってショウは走った。

 

 アジト最奥ではアカギに会うことはできなかった。そこにいたのはカイロスでもヘラクロスでもない二本角(サターン)と、ぐったりした湖のポケモン三匹だけ。

 湖のポケモンを解放し、アカギの行方を問う。聞けばアカギはすでにテンガン山へ向かったという。サターンは引き留めるでもなくショウを見送った。つまり、もはや時間は残されていない。

 

 崖の突起に指をかけ、体を引き上げる。空の赤さに思い出すのはかつてムラを追放されたことだった。空から落ちてきたショウとヒスイに落とされた雷。そこに繋がりはなかったが、繋がりがないことを証明することはできなかった。

 しかしショウはそれが団のため、ひいてはムラの、ヒスイのためを思ってのすれ違いだったと知っている。少し傷ついたりもしたが──

 

(それは、えっと、忘れた)

 

 かぶりを振るとほっかむりに積もった雪が塊になって落ちた。今考えるべきは今のギンガ団のことだ。

 ショウはここに来て少しだけ大切なことに気がつきかけていた。

 

 ──ひょっとして、シンオウのギンガ団とヒスイのギンガ団には関係がないのではないか。

 

 よくよく考えてもみれば、ショウはシンオウのギンガ団についてあまり知らない。知っているのはアカギがウォロじみた世界創造を試みていることや、したっぱがやけに物騒なことくらいのもの。

 

 シンオウとヒスイは繋がっている。この旅を通じてショウが得た答えだ。

 始まりの浜がミオシティになったことも、にばいづけの味が少し変わったことも、ヒスイ図鑑だって当然そうだ。過去があって、今がある。それを繋げた誰かがいたから今のシンオウがあるのだ。

 

 そうやって得た目線でギンガ団を見てみると、シンオウのギンガ団とヒスイのギンガ団には名前以外の繋がりがないように思えた。それはつまり、ギンガ団は一度途切れて、また生まれたということなのではないか。

 

(……あれっ)

 

 寒さに紅潮した顔に、さらに朱が差したように見えた。気のせいかもしれない。なんと言ってもショウはジュンに『知ることが大事』などと得意満面に語っているのだから。自分自身はギンガ団について何も知ろうとしていなかったなど、そんなはずはないはずである。

 

 崖を登り切ると洞窟が大きく口を広げていた。ショウは赤いつるつるしたボールの感触を確かめると、暗がりの中へ足を進めた。

 

 

 壊れた液晶のような極彩色が空を覆っていた。吹雪はいつの間にか収まり、不気味なほどの静けさに包まれていた。

 テンガン山の頂に()す神殿はヒスイのころよりも崩壊が進んでいる。かつてショウが見た神さびた面影すら今はなく、折れた柱が槍のように天を突くばかり。

 

「……いますべてが終わり、そして始まる」

 

 アカギは振り返り、平時よりわずかに声を張り上げて朗々と語ってみせた。その声はショウのもとに奇妙に歪んで届く。時空はすでに歪み始めている。

 

「この世界を形作るのは時間と空間の二重螺旋だ。時間を操るディアルガと空間を司るパルキア。その能力を私自身の力とすることで、私はここにアルセウスへの道を拓く」

 

 アカギは後ろ手を組みゆっくりと歩き出した。その背後には赤い鎖によって捕えられたディアルガとパルキアの姿。鎖の絡みついた二匹は物言わぬ彫像のようにただ佇んでいる。

 

「新たなるギンガを創造する。今の不完全で醜い世界は消えるがいい。究極の世界、完全な世界には心といった曖昧で不完全なものなど必要ない」

「……させない」

 独りごちたアカギにショウは言う。

 

 知らないものは怖い。分からないものは怖い。怖いから傷つけ合う。かつてはポケモンもヒトも同じだった。きっと今だってそうだ。ポケモンもヒトも自分以外の心は分からない。

 

 だが、人とポケモンはお互いを知り、その心を知った。それだけで怖い生き物だったものは愛すべき隣人になり、生き残るための戦闘は楽しむための試合になった。

 ショウはようやく分かった。ヒスイのギンガ団は守るための組織だと思っていたけれど、根っこの部分はそうじゃない。

 

(『知る』ための組織なんだ。調査して、記録して。ポケモンのことを、ヒトのことを……ヒスイのことを)

 

 だからショウは、アカギの目をまっすぐ見て、めいっぱい格好をつけてこう言った。

 

「私はギンガ団調査隊所属、マンテンボシ団員のショウ」

 

 アカギは何も言わず小さく手を上げた。それが合図だったのか、いくつもの足音がショウを取り囲む。マーズ、ジュピター、名前も知らない団員たち。それに加えて一際目立つ足音が二つ、だんだんと大きくなっていくのが聞こえた。

 

「ショウ!」

「ショウさん!」

 

 どたばたした足音と、淡々とした足音。ショウにはそれがジュンとコウキのものだと見なくても分かった。

 ゆえにショウはアカギから目を逸らさないまま、羽の紋様の入った翡翠色のボールを構えてみせた。

 

「ギンガ団の流儀を教えてあげる、()()()!」

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

「ウォロさん、まだ着かないの!? ショウがいるところは分かってるんでしょ?」

「ええい、押さないでくださいとさっきから……! この場において急ぐ意味はないんですよ! どうせショウさんのいる時間に辿り着くんですから」

「意味ならあるよ! 急いだらその分早くショウに会える!」

「であれば大人しく着いてきてください……」

 

 ウォロは肩を落とし嘆息した。

 

 ショウ捜索隊は列をなして『やぶれたせかい』を進んでいた。

 影の中のようなここでは陽が差さないにも関わらず視界は明瞭で、珊瑚色の大地がばらばらと宙に群れを為しているのが視認できる。そこには一つの生命すらもない。茫漠たる光景が広がるのみ。

 

「一歩道を踏み外しただけでどこに(はぐ)れるとも分からないのですから。ジブンの足跡を辿ってください、雪道を歩くのと同じです。先ほどのように駆け出すなどもってのほかですからね」

 

 ギラティナの住まうここは世界の裏側に位置しているとされる場所。そこには通常世界と全く異なる法則が適応されていた。

 物理的な移動で時間軸上を移動することができる。目に見えている空間が正しく繋がっているとは限らない。さっきまで天井だった部分を歩いているなどということは珍しくもなく、踏み外した先が遥か遠くの時間であってもなんら不思議はないのだ。

 そんな不安定な空間を、一向はギラティナの先導のもとショウのいる座標を目指して進んでいた。ウォロ、セキ、カイの三名に調査隊のテル、ギンガ団から十数名を加えた大所帯である。

 

「なあ、ウォロさん」

 

 列の後ろから口を開いたのはテルだった。テルはショウに捕獲や回避、クラフトなどヒスイの基礎を教えた人物であり、ショウが調査隊の中で最も親しくしていた人物でもある。そのためかテルの顔はかすかながら頬がこけており、目には隈が見えた。

 テルは声を少しだけ張って言う。

 

「本当におれで良いんだな?」

 

 ショウとよく似た黒曜の瞳が力強くウォロを見る。

 テルはショウが落ちてきたときからその活躍を見てきた。バサギリの突進に弾き飛ばされ、ドレディアの鋭い一撃を受け、ウインディの炎を弾き返し、クレベースの氷山おろしの中から這い出して、ショウはそのことごとくを鎮めてみせた。ついには神話のポケモンさえボールに収めてしまったショウを、テルは心から誇りに思っている。

 だからこそテルはここにいて、手のひらに浮かぶ汗を拭っている。

 

「ショウのすごさはおれが一番よく知ってる。おれがまだショウに及ばないことも分かってる。本当に、おれで良いんだな?」

 

 ウォロは首だけで振り返り、テルの腰に提げられたボール──テルが手ずからクラフトしたオリジンボールに視線を向けた。

 

「テルさん以上の適任はいない、とジブンは思いますよ。一つ分の材料しか用意できず申し訳ありませんが」

「……そうか」

 

 テルはその責任の重さを確かめるように拳を硬く握った。濡れた手のひらを、震える指先を、力強く。

 

「ウォロさんよ、材料を用意したのはオレとキクイなんだが」

「そうですね。テルさん、セキさんが一つ分しか用意できず申し訳ありません」

「アンタな……湖のポケモンの試練を乗り越えて手に入れたんだぞ? そりゃ数を用意できるに越したこたあねえけどよ」

 

 セキは半目をウォロに向けるとそのままテルに向き直る。そして、あー、テルよ、と頭を掻きつつ言った。

 

「『場が迎えに来た』って言うらしいぜ、こういうとき」

 

 テルはその言葉に息を呑み、……くつくつと笑い声を漏らした。セキの前を歩くカイが、嬉しそうにセキを見ていた。

 

「セキ、それはシンジュの……いや、そうだな」

 

 カイはセキにからかうような視線を向けながら、しかしテルに優しく微笑んだ。

 

「『ともに明日を迎えよう』、テル」

 

 今度はセキが吹き出して、それにカイはわざとらしく怒ってみせた。

 時間も空間も不確かなこの世界で、これまであの広大なヒスイで積み重ねた日々だけが確かに、彼らを強く支えていた。

 

 そんなやりとりの最中、ウォロが固い声を発する。

「止まってください」

 ウォロは切れ長の瞳を細くして足を止めた。

「ギラティナが(いか)っている」

 

 ギラティナはほとんど威嚇のようにして吠えた。その視線の先には乱雑に切り裂かれたような、あるいは割れた鏡に映ったようにひしゃげた大地が広がっている。

 ウォロは足元に転がっていた小さな石をそこに向かって投げた。四次元的な軌道を描いて石は飛んでいき、消えたり現れたりして、消えた。

 

「時空の歪み、それも大きい。ばらばらになった大地は表世界の歪みがこちらにおいて反映された姿なのでしょうね。住処を荒らされてギラティナが怒っている……ですがアナタ、ワタクシと組んでいたときに似たような歪みを引き起こしていたではありませんか」

「ビシャーンッ」

「何がビシャーンですか、狭量な。さっさと案内なさい」

「ビシャーン……」

 

 歪みの強い空間に向けてしょぼくれたオリジンフォルムのギラティナがとぼとぼと飛んでいく。するとばらばらだった大地は逆再生のように修復され、もとの正しいばらばらに戻った。

 飛んでいくギラティナの後を追いつつウォロは思考を巡らせる。

 

(これほどの歪み。加えて今回の事件の起点地──ショウさんが消える直前の座標はギラティナでさえ見つけられず、今はまるで導かれるようにショウさんの微弱な反応を追っている……やはり、アナタなのですね)

 

「──アルセウス」

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

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