ショウとアカギは同時にボールを投げた。ボールの開く音を合図にして、決戦の火蓋はいま切られた。
「ギャラドス、お願い」
「クロバット」
雪辱を果たさんとギャラドスが吠える。ただしハクタイの邂逅とは違い、アカギが繰り出したのはクロバット。進化の過程で足を羽に変え飛行に特化したポケモンだ。
悪の組織の親玉なのに懐き進化のポケモンを使っていやがるぜ、へへ、とニヤついて肩を組みに行くおじさんたちもおられるだろうが、アカギは『ポケモンは自分自身の力』と捉えているのでポケモンからの信頼が募るのもそうおかしなことではない。
というよりむしろポケモンを道具扱いするステレオタイプな親玉イメージはたいていカントーのアレやイッシュのソレのせいである。
それは置いておくとして、クロバットについて。クロバットはズバットと違って音で周囲を捉えているわけではなく、つまりみずのはどうのような搦め手は通じないと思ってよい。
そして対峙する上で気をつけるべきはその圧倒的な素早さだ。
(初手がギャラドスじゃない……クロバットは素早い、こっちが入れ替えると相手のアドバンテージが大きすぎる。だとすると考えるべきは相手のギャラドスに誰を当てるか)
「
「クロバット、エアスラッシュ」
クロバットは吹き荒れる暴風を四枚の羽で軽やかに乗りこなし、それを切り裂いてエアスラッシュを放つ。ギャラドスはそれを何でもないように受け止め、体をひとつうねらせた。
素早さの差は歴然。早業で取れた行動のアドバンテージはほぼない。
(トリトドンはみずとじめん、ギャラドスとは相性が悪い。後の三匹はまだ進化前でどうしたって力の差は否めない。やりようはある、けど)
「クロスポイズン」
「早業、アクアテール!」
早業を使ってなお相手の方が速い。元々の攻撃力の差で当てさえすれば相殺できるのが救いではあるが、クロスポイズンは相手を毒にするうえ急所にあたりやすいおまけ付き。長期戦は避けねばならない。
攻略法はある。こんな状況はいくらでもあった。だからこそショウは歯噛みして、喉の奥から絞り出すように指示をした。
「早業、りゅうのまい」
「ほう。ではクロスポイズンだ、クロバット」
「耐えて……!」
早業のりゅうのまいは短時間しか保たないが効力に変わりはない。すでに後手、一撃は甘んじて受け入れる。
(毒……!)
クロバットは放たれた弾丸のようにギャラドスへ飛んで毒を放出。それを風の刃に乗せるように翼を振り抜いた。直撃、ギャラドスの顔が目に見えて歪む。
しかしギャラドスもまた技を終えていた。離脱しようとしたクロバットを鋭い眼光で睨みつけ、ショウの指示とほとんど同時に動き出す。
「こおりのキバ!」
りゅうのまいによって素早さと攻撃が上がったギャラドスのキバは寸分違わずクロバットの胴体を捉え、クロバットが力なく地に落ちる。白く冷気を纏ったキバはクロバットを戦闘不能にするに十分な威力を持っていた。
「戻れ、クロバット。……マニューラ」
アカギはクロバットの入ったモンスターボールをちらとだけ一瞥して次のボールに手をかけた。そしてアカギはボールを放り、場にマニューラが現れる。
マニューラは雪のようにふわりと着地して軽快なステップを踏んだ。ただそれだけの動作だったが、ショウは察する。
(速い。かいふくのくすりは……使わせてくれる相手じゃない。入れ替えも、……)
早業の代償でりゅうのまいの効力はすでに切れていた。ギャラドスはふらふらと飛んでいる。毒が回り始めているのは明白だった。
「ごめん、ギャラドス」
「つじぎりだ、マニューラ!」
「
力を溜めたギャラドスは己に迫る鋭い爪をあえて胴で受け、その爪を体節に無理やり挟み込む。そして水を絡ませた尾でマニューラを強かに打った。
この交錯でギャラドスは倒れることは分かっていた。それでもなお指示を出したのはショウに宿る合理的な野性が下した判断のためだ。
もしギャラドスを温存したとして、それは勝利に繋がらない。だからショウは冷酷とも言える指示を出した。次のポケモンが安全に場に出られるようにギャラドスは倒れてくれ、という。
ショウは歯を食いしばる。倒れる最中のギャラドスと、目が合った。
ショウにとってポケモンを戦わせるということは、いつだって合理と非合理のせめぎ合いだった。
自然は合理でできている。少なくともヒスイを訪れたばかりのショウはそう思っていたし、今だってその思いがなくなったわけではない。
適者生存、弱肉強食。非情であることが合理であるならば、それを選ばざるを得ないことだってある。
だからショウは無理を通すだけの力を得ることにしたのだ。ポケモンが倒れることが分かっていて、それでもなお命令を下せるほどショウは強くなかったから。皮肉にも、それほどの力を得たのは身を切るような痛みに慣れてしまったころだったが。
だからこそギャラドスと目が合ったとき、ショウは目を伏せてしまいそうになった。
だが、ショウは気づいた。その目に込められていたのは紛れもなく信頼だった。ビッパに乗った少女がギャラドスの群れに乗り込んで翡翠色のボールを投げたあのときから。ギャラドスはショウのことをずっと認めている。
そうでなければ従ったりしないし、わざと攻撃を受けるなんてしたりしない。背に乗せるなんてなおさらだ。しかも自分だけでなく他のポケモンにも乗るようなトレーナーを。ビッパは先輩であるし認めてもいるがそこはそれ。ギャラドスというのはそんなに安い種族ではないのだ。
それでもギャラドスはショウたちを信頼しているし、だからこそ一片の不安もない。強いて言うならアカギのギャラドスとのリベンジマッチが果たせなかったのは心残りだが、それは仲間に任せたって良いだろう。
ギャラドスの大きな体が傾ぐ。小さなトレーナーと目があったとき、伝えたい言葉は伝わったのが分かって、ギャラドスは自慢の赤い体を真っ白な石畳に任せることにした。
「……ありがとう。ゆっくり休んで」
横たわったギャラドスをボールに戻す。ショウは少しだけ表情を緩めると、トリトドンを繰り出した。
ぽわぐちょと鳴いたトリトドンはその視界に敵を認め、体をぐにゃりと歪めて身構えた。
「れいとうパンチだ、マニューラ」
アカギのマニューラはふらつく体を押して冷気を拳に纏わせる。ギャラドスの決死の一撃は相当に堪えたらしく、そこに先ほどまでの敏捷性は失われているようであった。それでもトリトドンに比べればなお速く、油断のできる相手ではない。
「トリトドン、だくりゅう!」
「躱せ」
トリトドンが呼び起こした濁った波が一帯を覆うようにマニューラに迫る。するとマニューラは折れた柱を利用して跳び回り、空中からトリトドンへと攻撃を加えた。れいとうパンチが一発、トリトドンの纏う粘液がわずかに凍り始める。
「
さらに追撃を放とうとしたマニューラに泥の塊が飛び、マニューラはそれを危なげなく回避した。未だだくりゅうの影響が残るフィールドを嫌ってか、折れた柱を足場にして。
マニューラは傷跡のような鋭い目でトリトドンを睨んだ。その息はやはり上がっている。
(ビッパならステルスロックで有利に立ち回れる、けど。後にギャラドスが控えてるからビッパは消耗させたくない。フィールドに岩は残るからダメージは期待できなくもないけど……)
考える間にも相手は動く。トリトドンはつじぎりを体幹の移動だけで躱すも、背後から爪を受けダメージ。ショウの指示したみずのはどうもまた柱を利用して避けられる。
マニューラは雪原や森に潜むポケモン。こうした柱の林立する空間はホームグラウンドと言ってもよい。
三次元的に跳ね回るマニューラを捉えるのは至難の技だった。
「……トリトドン、早業──上に向けて、だくりゅう!」
「無駄だ。突破しろ、マニューラ!」
面での制圧を狙ってか、ショウは柱ごと巻き込むようにしてだくりゅうを指示した。マニューラは両の爪をクロスするように振り、泥に濁った波の薄い箇所を破る。視界が開けると、迫るのは球状の泥。
「力業、どろばくだん!」
爪を振り切ったマニューラのガラ空きの胴にどろばくだんが突き刺さる──かに思われた。マニューラは辛くも体を捻る。胴を掠める程度に抑え、着地。力業の反動で未だ動けないトリトドンに向かう。
「つじぎり!」
暗いエネルギーをまとった爪がトリトドンを襲う、その瞬間。マニューラの顔が痛みに歪んだ。
「っ! のしかかり!」
一手遅れたつじぎり。滑る地面。蓄積されたダメージ。振り下ろされるマニューラの爪を跳ね上げるようにトリトドンは身を起こした。
つじぎりは命中して確かにトリトドンにダメージを与え、しかしトリトドンは倒れるに任せてマニューラを押しつぶした。
泥に塗れたフィールドに二体の崩れ落ちる音が響く。
一瞬の沈黙の後、アカギは戻れとだけ小さく言って次のポケモンを繰り出した。
「……ドンカラス」
ドンカラスが発達した胸筋で力強く羽ばたくと、泥の匂いを纏った風が強く吹く。ショウは吹雪の中を進むように目を凝らした。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「見えました、あそこです。……案の定。またぞろ面倒なことに巻き込まれているようですねえ、あの人は」
ウォロの示した先にはやぶれたせかいすらも侵食するほどの時空の歪みがあった。灰がかった虹色の歪みは傷口から溢れ出る体液のようで、その不気味さに一向は思わず足を止める。
「ギラティナ」
言われずとも、と言外に主張しながらギラティナが飛ぶ。黒くたなびく翼を一振りし──なおも健在な歪みに、ギラティナは翼の先にエネルギーを溜め始めた。
「……! 伏せて、前の人を掴んでください!」
放たれたエネルギーは小さな球体の形をしていた。それはふわふわと歪みに向かって飛ぶと、歪みを食べ尽くすように膨張し、爆ぜた。
衝撃が走る。風の吹かないやぶれたせかいに積もった砂埃を吹き飛ばして爆風が駆け抜ける。
やがてそれが収まるとやぶれたせかいに穴が空いていた。外の様子を窺い知ることはできないが、つめたい風がわずかに流れ込んでいた。
「ショウ……!」
誰からともなく呟くと、一向は頷きあって迷いなく足を進めた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
トリトドンをボールに戻す。次のポケモンは、とボールに手を伸ばしたとき、どこからか懐かしい匂いがしてショウは辺りを見回した。
状況は悪い。未だ動く気配を見せないまま歪みを吐き出し続けるディアルガとパルキア、後ろ手を組みショウの動向を窺うアカギ。
ちらとだけ後ろを見ればジュンとコウキが幹部二人と団員たちをまとめて相手しており、さしもの二人も押され気味の様子だった。その動きに未だ翳りはないが多勢に無勢。そう長くは保たないだろう。
ショウは視線をアカギに戻す。そのとき、ショウとアカギのちょうど間くらいのところに黒い穴が現れた。
懐かしい風はその穴から吹いている。何らの確信があったわけではないが、それでもショウは少しだけ肩の力を抜いた。
「なんだ? この気配は……」
アカギはドンカラスを手元に引き寄せた。対峙するマンテンボシ──ショウと名乗った少女は時空を超える力を持っている。ディアルガとパルキアを抑えている今なお働く未知の力。アカギは左足を一歩引き、半身になって構えた。
やがてその穴が一際大きく開き、そこからぞろぞろと出てきたのは──電車ごっこよろしく肩に手を置いて繋がった集団だった。
「……」
アカギは無言だった。風体から何から何まで妙ちきりんなタイレーツを思わせる集団はショウの姿を認めるや否やばらばらになって駆け出し、声にならない声をあげて少女の小さな躯体を取り囲んだ。
なんでこんなことになったかと言えば、先のギラティナの一撃への対応でウォロが前の人を掴めなどとのたまったからである。
アカギは無言で一歩引いた左足を元に戻した。
「ショウ!! 探したんだぞ、このバカ!」
「カイ? ええと、ありがとう? でもみんな、今戦闘中で──」
「ま、ショウがくたばるわけねえって思ってたけどな。……無事で、よかった」
「セキも、うん、ありがとう。でもね、今──」
「怪我はないか? 万一に備えて薬もたくさんクラフトしてきたんだ。かいふくのくすりに、なんでもなおしだろ、あとは──」
「ありがとう、テル先輩。あの、話を──」
「くだらない」
アカギは吐き捨てるように言った。アカギの合理的な思考はすでに、自身の勝機は薄いと判断していた。槍の柱に配備した団員たちはたった二人の少年に足止めされ、テンガン山に詰めていた団員に招集をかけれど未だ来ない。何らかの足止めか、あるいはまだ見ぬ戦力がいるのか。
それでもアカギは叫んだ。それはアカギの捨てきれなかった非合理の部分の表出だったのかもしれない。
「心などという曖昧で不完全なものに、まさかまさかまさかッ! この私が負けるかもだとッ!?」
アカギの慟哭にドンカラスはあくのはどうを放った。指示もなく放たれた波動をヒスイの住人たちは三々五々散らばって回避しようとし、その直前にショウのポッタイシによってあくのはどうはかき消された。
「……心は曖昧で不完全。それは私もよく知ってる」
「ならば、なぜ肯定できるッ! 人が苦しみ、傷つけあうのは心が曖昧で不完全だからだろう!」
「曖昧で不完全だから苦しくて、辛い。そういうところがあるのは否定しない。でも、私は」
あの赤い空の下で、いくつものつめたい視線を受けながら。ショウは人の心がどれだけ曖昧かを知った。それは他人の心だってそうだし、自分の心だってそうだった。意思も感情も記憶も全て消してしまえたら、一度もそう思わなかったと言えば嘘になる。
「私は、その曖昧で不完全なところに救われた」
追放されてもショウは一人ではなかった。ウォロは道具や食料を用意してくれたし、セキは試練についてきてくれた。カイはコトブキムラの動向を教えてくれたし、シマボシ隊長はこっそり道標を与えてくれた。一人ではないと、教えてくれたのだ。
隠れ里のコギトに、テルに……人の心に背中を押され、ショウは立ち上がることができた。だからこそショウは思う。もし、なにかが違っていれば、あそこに立っていたのはショウだったかもしれない。
アカギのドンカラスはトレーナーの苦しげな叫びを聞いて、自発的にあくのはどうを放った。きっとそれが答えなのだと、ショウは思った。
繰り出したポッタイシが白い光に包まれる。リッシ湖での乱戦はどうやらショウの手持ちに十分な経験を与えていたらしい。覚えのある暖かい光だ。
やがて光が収まると、エンペルトは恰幅の良くなった体で大きく胸を張った。翡翠色の輝きは鋭く、けれど優しげな光を投げかえしていた。
「だから、心なんて要らないとは思わない」
「きれいごとを……!」
ショウはエンペルトの背中にそっと触れた。ゆっくりとした鼓動が胸を打つたび、触れた手のひらがあったかくなった気がした。
アカギには見えているのだろうか。ショウの後ろで、シンオウのギンガ団が必死になってアカギの元へ向かおうとしていることを。知っているのだろうか。アカギの抱く感情も、抱えた記憶も、そして今アカギを助けようともがく団員の意志だって、すべて心だということを。
(なんだ。やっぱり、『ギンガ団』だ)
指導が必要な団員もままいるのだろうが。その根底はきっと変わっていないのだとショウは笑う。であれば、結局。やることは単純で良い。
「全部終わったら、イモモチでも食べに行こう」