ヒスイ帰りのショウ   作:餅は餅や

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クロガネ

(なんだ、この子は……!?)

 

 ヒョウタは未だ混乱の最中にあった。

 

 クロガネ炭鉱で出会ったとき、彼女──ショウはビッパに乗って薄暗い坑内を駆け抜けていた。感情を削ぎ落としたような彼女の無表情は、ヒョウタと対峙している今なお変わらないままでいる。

 だというのにその矮躯から放たれるプレッシャーは圧を増して行くばかりだった。熱気に満ちたジムの中にありながら、ヒョウタは吹雪の中を風に逆らって進むような感覚に襲われていた。

 

早業(はやわざ)

 

 ざらついた空気がヒョウタの首筋を撫でた。まずい、その三文字が頭の中でアラートのように繰り返される。

 指示を受けたビッパは姿勢を低くし従順に次の指示を待っていた。じりじりと時間が灼けていく感覚。緑の匂いを纏った風が吹き抜ける。

 ヒョウタはなんとか指示を出す。焦りに押し出された、うわずった声だった。

 

「……ッ、イシツブテ、まるくなる!」

「──たいあたり」

 

 電光石火と見紛うほどのたいあたり。回避は不可能、とまるくなるを合わせダメージを最小限に抑え込む。

 丸くなったイシツブテは転がって衝撃を殺す。しかし空いた距離はわずかの間隙(かんげき)もなく詰められ、ビッパはさらにたいあたりを加えた。

 

 タイプ相性、イシツブテの硬さ、ビッパの非力さ。どれをとってもイシツブテが有利であり、一方的に攻撃を受けていようと耐えられるだけの硬さがイシツブテにはある。現にイシツブテはボールのように転がされながらも眼光鋭く、反撃の機をうかがっている。

 だというのに、ヒョウタの背中は今や冷たい汗で濡れていた。

 

(冗談じゃない……! こんなの、父さん……いや、さらに上の……!)

 

 ヒョウタは内心で舌を巻く。()()()()()。濡れた服をそのまま着たような違和感が拭えない。

 ヒョウタが指示を出そうとするたびに、ビッパの動きが緩急を伴って揺れる。バトルスピードのコントロール。彼女はそれを早業(はやわざ)力業(ちからわざ)と呼んでいたか。

 やりづらい、とヒョウタは汗を拭う。

 

「いわおとしだ、イシツブテ!」

 

 追撃の姿勢を取っていたビッパは現れた岩をするりと抜け、悠々距離を取った。岩の立ち並んだフィールドに一瞬の静寂が訪れる。

 これまでの挑戦者たちが向けてきた決意に満ちた眼差しが、ヒョウタの脳裏にいくつも浮かんだ。年齢も性別も何もかもがバラバラ。挑む理由だってそれぞれ。それでも彼らの瞳には、根っこの部分にひとつだけ共通する部分があった。

 勝ちたい。その想いだけは、誰しもが持っていたのだ。

 

 ヒョウタは無遠慮に向けられるその想いの心地よさを知っている。だからこそ、少女の透徹した黒曜の瞳が意味するところもまた分かっていた。

 

(この子は『挑戦者』じゃない)

 

「イシツブテ、ころがるッ!」

 

 ヘルメットの隙間からこぼれた汗が頬を伝う。それを袖で強引に拭おうとして、ヒョウタは自分の手が震えていることに気がついた。

 

「ビッパ。もう少し距離を取って……そう、そこ」

 

 ショウの指示は良く通った。それだけでも彼女が歴戦のトレーナーであることがヒョウタには見てとれた。

 声の張り方、バトルの間隙を縫う技術。ショウの側だけが荒れたバトルコート。ともすれば自身すら攻撃に晒されるその位置を、彼女はポケモンにキープさせ続けている。

 

 イシツブテを追い回していたビッパは軽やかなバックジャンプを見せ、壁近くに着地した。そのままぴたりと動きを止め、身を低くする。

 

「力業」

 

 ごう、と風が渦巻く。ビッパの厚い毛皮の上からでも分かるほどに隆起した筋肉が、力を開放する瞬間を今か今かと待っている。

 立ち上る熱気の柱。誰かが唾液を飲む音がやけにうるさく聞こえる。

 

(この子は『王者』だ。遥か高みから、テンガン山の頂点よりなお高いところから。僕らを見下ろす『王者』)

 

 転がるイシツブテは止まらない。己のトレーナーの指示を愚直に信じ、美しい弧の軌道を描いてビッパへと突き進む。

 

 ヒョウタはこの段になってようやく気がついた。勝ちたい。挑戦者の瞳が己の顔に二つ、炯々と宿っている。

 ジムリーダーは勝つためにバトルをしない。野良試合やトーナメントであれば話は別だが、ジムリーダーとして立ちはだかるときの本分は人を試すことにある。

 己の敗北は挑戦者の勝利と同義である。そこに疑問はないし、挑戦者への祝福は心の底からのものだ。それだけは間違いなかった。

 しかし果たして、ヒョウタは一人のポケモントレーナーであった。勝ちたい。久しくなかった渇望が全身に熱を回している。

 

(そうか。僕は)

 

 汗で濡れた軍手を構わず握りしめ、睨むようにヒョウタは叫んだ。

 

「今だ、イシツブテ!」

 

 イシツブテは進路をわずかに曲げる。勢いを殺さず、しかし相手の迎撃を外す角度。

 そして、跳ねた。

 

 未だフィールドに突き刺さったままの岩を利用し、イシツブテは急角度の方向転換を可能とした。予期せぬ一撃に対戦相手の少女はわずかに目を見開くと、ゆっくりと口角を上げた。

 

「──まるくなる」

「なっ……!?」

 

 弾かれたように。

 跳ねるように。

 ビッパはたちまちのうちにジムの壁へと到達し、跳ね返る。向かう先には技を終えて無防備なイシツブテ。

 

「いわくだき」

 

 二つの影が交差する。衝撃に砂煙が舞った。

 やがてそれが晴れたとき、立っていたのはビッパだけだった。

 

「……ありがとう、イシツブテ」

 

 ヒョウタは震える手でモンスターボールを操作し、イシツブテを赤い光で包んだ。その震えはまぎれもなく歓喜の現れだった。

 

(ぼくはまだ、強くなれる)

 

 最後の一匹の待つボールに手をかける。ぐわん、ぐわんと揺れている。猛る古代の本能を解き放たんとし、今か今かと待ち侘びている。

 

「……次のポケモンも、同じように倒せるかい?」

 

 それは挑戦者に向ける決まり文句だった。

 だが今の挑戦者は僕だ、とヒョウタは思う。次のポケモンは相棒とも呼べる一匹。自分自身を、ポケモントレーナーとしてのヒョウタを、今、ヒョウタは試そうとしているのだ。

 ショウは笑って、ビッパ、とただ小さく呼んだ。それだけで、ビッパの目に宿る闘志の炎が石炭をくべられたように一段と激しく燃え始めた。

 

「ズガイドス!」

 

 小さな二足の恐竜がバトルコートを闊歩する。ずつきポケモンと分類されるズガイドスは、大きく硬い頭が特徴のポケモンだ。ズガイドスは艶やかに輝くその頭を振り回し、威嚇するように吼えた。

 

「ズガイドス! ずつき!」

「ビッパ、まるく──躱してたいあたり!」

 

 急な方向転換で威力を削がれていたイシツブテとは違い、ズガイドスのずつきは体重の乗った鋭い一撃だった。まるくなるでは受けられない。ショウはそう判断し、避けさせる方向にシフトする。

 ズガイドスは咄嗟に、ずつきを地面に向けた。その勢いで半身を浮かせ、頭を起点として体全体をスイング。横に躱したビッパを脚で捉え、変則的なおいうちを喰らわせた。

 ズガイドスのかたやぶりな戦い方は天性のものだった。マクロなヒョウタの指示には従いつつも、ミクロに最大のリターンを取りに行く。そこには紛れもなく野性があった。

 トレーナーとポケモンがお互いの強みを活かし合う。現代でも当然にあるものだが、ヒョウタとズガイドスのそれは、ショウの目にはヒスイに近しく映った。

 

 ショウは倒れたビッパに優しく声をかけ、ボールにしまった。次のポケモンを構える。指の隙間から翡翠のきらめきが覗いている。

 

「ポッチャマ」

「ポチャーッ!!」

 

 翡翠色のポッチャマは居丈高に腕を組み、自分より背の高いズガイドスを見下ろすように胸を張った。

 ポッチャマとズガイドス。タイプ相性はポッチャマが一方的に有利。だがそれだけで決まる勝負ではないと、この場の誰もが分かっている。

 

「ポッチャマ、早業──あわ」

 

 先手を取ったのはショウだった。いわおとしの痕が残るフィールドに、さらに泡を撒く。ショウは目に自信があった。雪風吹き荒ぶテンガン山で鍛えた目が、この程度で見えなくなるはずもない。

 

「ズガイドス、にらみつける」

 

 ポッチャマはすくみ、動きが強張る。本来はこうしてできた隙に手痛い一撃を喰らわせるための技。だがこのにらみつけるは敵の動き自体を鈍らせ、ズガイドスに目を凝らさせることが目的の行動だ。

 

「間を縫って、ずつきッ!」

「みずあそび」

 

 ポッチャマが水を撒く。ほのおわざの威力を下げるための技ではあるが、ここは砂のバトルコート。みるみるうちにあたりは泥状になり、地面を蹴って威力を出すズガイドスのずつきは見る影もなく威力を失っていた。

 すかさずショウはあわを指示。ズガイドスは後ろに泥を蹴やり、即席のどろかけとしてあわを相殺して泥の地帯を抜け出した。

 

「あわ」

 

 ポッチャマが口元に水色のエネルギーを溜め始めた。二匹の間にはあわ、ポッチャマの足元には泥。ショウはこのまま距離を詰めさせず封殺するつもりらしかった。

 何もさせない、ということ。それが一番強いことをショウは知っていた。

 野生のポケモンを捕まえる時は背後からボールをぶつけ、出てきたとしたらその瞬間にまたボールをぶつける。あるいは、泥団子なんかで疲れさせてから勝負を挑む。いくつものひそやかスプレーに裏打ちされたショウの経験は、バトルでも如何なく発揮されていた。

 

 ヒョウタのズガイドスに遠距離攻撃の技はない。あわと泥、二重の防壁の向こう。小さいはずのバトルコートなのに、そこはずいぶんと遠くに見える。スローに映る視界の中で、ヒョウタは叫んだ。

 

「まだまだ、諦めない! ズガイドス、岩を砕いてあわを消して! 道を作るんだ!」

 

 先の対峙、ズガイドスは泥であわを消していた。岩で同じことができない道理はない。イシツブテの残した岩はいくつもまだ刺さったままだ。

 ポッチャマのあわが放たれる。岩の破片は目論見通り進路の泡を消し、泥にいくつかのかけらを刺した。一本の道ができる。

 

「ズガイドス、ずつきッ!!」

 

 ズガイドスは疾駆する。もしヒョウタの指示が遅れていれば、じわじわとあわにフィールドを支配され負けていただろう。勝機はここにしかないと、一人と一匹は分かっていた。

 砂のコートを踏み締め、岩のかけらを足場に、ズガイドスは踏み込む。最後の一歩。最も力強く、最も重要な踏み切りのタイミング。

 

「早業──はたく」

 

 ポッチャマが素早くはたいたのは、近くをふよふよと飛ぶあわだった。ヒョウタは一瞬、その行動に何の意味があるのか分からなかった。

 それが分かったのは次の瞬間。ヒョウタの下に、大きな破裂音が響いたときだった。

 

(あわをはたいて……ねこだましをッ!?)

「力業──あわッ!」

 

 よれた軌道のずつきを躱したポッチャマが力強くあわを吐き出す。バランスを崩したズガイドスに、いくつものあわが襲いかかった。

 

 

 青年はヘルメットの下に晴れやかな笑みを浮かべて言う。

 

「完敗だ。きれいさっぱり、力を出し尽くした」

 

 少女は薄く口角を上げた。

 

「楽しかった。またやろう」

「……うん。ボクと岩タイプのポケモンの絆は揺るがない。またきてくれるとうれしいな」

 

 それは決意表明でもあった。ショウは満足げに頷くと、三つ目のボール──羽の紋様の入った、翡翠色のボール──に手をかけた。

 

「それじゃまた。行くよギャラドス」

「ぎゃららららッ」

 

 赤いギャラドスに乗った少女は悠然とジムを後にする。青年はそれを、苦笑とともに見送った。

 

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