やがて訪れた男はアカギと名乗った。青い短髪の、三白眼の男である。
人払いのされた部屋は戦闘の痕を残したままだ。ズバットが飛び回って荒れた調度品や、毒液の染みたカーペット。それを気にも留めず、アカギは口を開いた。
「きみは世界のはじまりを知っているか?」
「タマゴ?」
「……ほう、やはり」
何もないところにタマゴが現れ、そこから生まれ出たアルセウスが世界を創った。そういう神話がシンオウにはある。ショウがそれを聞いたのはどこだったか。少なくともシンオウではないはずだった。
「その説ではテンガン山はシンオウ地方始まりの場所と言われていたな。できたばかりの世界では、争いごとなどなかったはずだ──」
滔々とアカギは語る。その声にはどこか惹かれるような響きがあった。
その間、ショウは無言だった。なぜかと言えば、ショウはこんなことを思っていたからだ。
(ケムッソさえいれば)
これである。演説にカリスマ性があろうが関係ない。ショウは上の空だった。
ヒスイのギンガ団にはシマボシという人物がいた。ギンガ団調査隊の隊長を勤めていて、十中八九アカギの先祖である。
厳格かつ冷静、そんなシマボシ隊長には苦手なものが一つあった。虫ポケモンだ。
ショウはそれを思い出し、目の前の男にケムッソを見せたらどうなるだろうか、と男の話を半分聞き流しながら聞いていた。
「人々の心というものは不完全であるためみな争い、世界はだめになっている。愚かな話だ」
「……ケムッソは嫌い?」
聞いてしまった。つい、である。
ショウにとってシマボシは尊敬すべき隊長である。常にショウに道を示してくれた先達。ゆえあってショウがコトブキムラを追放されかかったときも、シマボシは陰ながらショウをサポートしてくれた。そのシマボシの子孫というだけで、ショウの好感度はかなり高い。
だからか、つい気安く接してしまったのだ。ショウは内心で、あ、と声を上げた。
「ケムッソ? ……そうか。きみは心の有り様をケムッソと例えるのか。カラサリスとマユルド、どちらになるかも分からず、どちらにもなれずにいる。曖昧で不完全……そうだな。私の求める世界に、それは必要ない」
「やっぱり」
セーフである。二人はすれ違いに気づかず、ショウは納得の首肯を見せた。アカギの解釈はだいぶ斜め上の、なんならねじれの位置くらいにある。二人の会話はずいぶんと奇妙な形で噛み合っていた。
「マンテンボシ。その名前を、いや。その称号をどこで知った?」
「ギンガ団」
「やはりな。どこかに言い伝えが残っていたか」
アカギは窓の外を見た。そこにはディアルガあるいはパルキアを
「ヒスイ図鑑を知っているな」
「さあ」
「……かつてギンガ団では団員のランクを星で表していた。過去にマンテンボシと呼ばれたのはただ一人。ヒスイ図鑑を作った者だけだ」
ショウは何も答えなかった。アカギは続ける。
「ヒスイ図鑑の原本は厳重に保管されているが最後の数ページは欠落している。その欠落部分を、私は持っている」
「……そうなの?」
「そうだ。きみは世界のはじまりをタマゴと言った。時間を司る神と、空間を司る神。それらを生み出した創造神がいることを、きみは知っているのだろう」
「うん」
「欠落部分に描かれているのは、創造神アルセウス。私は今の不完全な世界をリセットし、新たに完全な世界を生み出す。そのために、アルセウスの力を利用するつもりだ」
アカギは無表情にそう言った。大言壮語の類いも、この男が言えば実現できるのではないか。そんな気にさせる力強い眼差しだった。
思ったより妙な方向にグレている、とショウは思った。言っていることがほとんどウォロである。ラスボスちっくな人間の考えることは、どの時代でも同じなのかもしれない。
そして、間違いを正さなければとも思った。ギンガ団は守るための組織だ。過酷な自然に生きる人々を。ムラという協同体を。
今のアカギはそこが一八〇度ズレてしまっている。
「させない。ギンガ団の流儀を教えてあげる、後輩」
ショウもまた無表情に、ボールを構えた。アカギはその顔に落ちる影を一層濃くし、低く喉を震わせる。
「後輩……なるほど。つまり、そうか。
ひとりごちるようなトーン。わずかに喜色が混じった。
「だが、まだ、だ」
アカギはショウの鏡写しのようにボールを構える。窓から差す陽の光が逆光となって、アカギを黒く染め上げた。
「ギャラドス」
「……ギャラドス」
アカギが繰り出したギャラドスに、ショウは冷や汗をかく。それはまるで──
(……オヤブン個体)
対峙する青と赤の竜。フロアの一区画を使った部屋にもかかわらず、ひどく手狭に感じられた。
睨み合う二人と二匹。一瞬早く、ショウが動こうとした。
「早業──」
「はかいこうせん」
一条の光線が爆発的に膨れ上がり、全てを白く塗りつぶす。ショウのギャラドスは体を渦のように丸め、ショウを守った。できたことはそれだけだ。ギャラドスが崩れ落ちる。
「伝え聞く話からすると」
コツ、コツ、と革靴が床を叩く。
「トレーナーとしての力量は、おそらくきみの方が上だろう。だが、肝心のポケモンのレベルがまるで足りていない。まさか本気というわけではないだろうが……今のきみでは、私に勝てない」
「……!」
「きみが本当にかつてのマンテンボシ団員だと言うのであれば、捕まえても無駄のはずだ。今はまだ、私は時空を超えるものを捕らえるすべを持っていない……では、失礼。きみのおかげで確証が持てた。神話のポケモンは、実在する」
足音が遠ざかっていく。ショウは久しく忘れていた敗北感に、……煮えたぎる怒りを感じていた。
(ボコボコにする)
慢心はなかった。だが、負けた。ひどくこざっぱり負けた。
レベルの差があればこちらが一つ動く間に相手は二つも三つも動く。そんな理不尽が罷り通るのがポケモンバトルだとショウは知っていた。
負けたのはいつ以来だろうか。純白の凍土に乗り込んで早々、オヤブンガブリアスにバチボコにされたときが最後かもしれない。
ショウは立ち上がった。結局のところ、ポケモントレーナーは今も昔も変わらないのだ。
(ポケモンを育てて、強くする。いつも通り、それだけ)
ギンガ団の人波が割れる。襲ってくる様子はなかった。アカギが何か指示を出したのかもしれない。ショウの背中をいくつもの目が見ていた。
☆
ところ変わって自転車屋である。アカギによって解放された自転車屋の店主は、お礼にとショウに自転車を渡そうとしていた。
貰えるなら、と自転車に手を伸ばしたショウ。そのとき、ショウの腰でボールが一つ揺れる。ビッパのボールだ。
ボールの赤色を透かし見れば、ビッパは悲しげな顔をしていた。繰り出してみる。ビッパの下がった眉が、自転車とショウの間で行き来していた。
「そっか」
ショウは呟き、ビッパを撫でた。ビッパの目にはとうとう涙が見える。
もしここに足跡マニアがいて、ビッパの心を表現してくれたのなら、ビッパがこう考えていると分かっただろう。
ビッパは誇りを持っていた。二〇二番道路で捕まって以降、ショウを乗せるのはビッパの役割であった。ギャラドスの群れから逃げる時だってショウはビッパに乗ったし、クロガネ炭鉱の土と汗のにおいを一緒くたにかき回したことだってある。
しかし、同時に不甲斐なさも感じていた。先のギャラドス同士の一戦。ビッパはボールから出してすらもらえなかった。その結果、ショウの乗り物という座を今、無骨な金属の塊に奪われようとしている。
仕方がないとも思う。弱い自分が悪いのだ。
だから、精一杯を伝える。少し落ち込んだように見える主人に、自分がいるぞ、と。今は頼りなくとも、いつか。そう思っていた。
「……やっぱり、大丈夫」
自転車屋に頭を下げ、ショウは悲しみに暮れるビッパに跨った。
ビッパはポロポロと涙をこぼす。濡れた視界でもはっきり分かる、慣れ親しんだ感覚だった。
「じゃあ、これで」
「あッ、ちょっと待って──」
風のようにビッパは駆けた。自転車屋を飛び出し、ハクタイを抜け、次の町へ。
力強い足跡だった。足跡マニアでないショウにも、その気持ちは伝わっている。