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その男は場違いなほど朗らかに、手をひとつ叩いた。
「いやはや何やらお困りのご様子! 大恩あるギンナンさんにああも頼まれてしまったので来ては見ましたが……ジブンに何をお望みで?」
ギンガ団庁舎の一室。机を取り囲むように五人──デンボク、セキ、カイに加え、調査隊隊長シマボシ、そしてこの男、ウォロ──は座っていた。
「こんなときに」
カイの口調には焦りからか明確な棘があった。その明朗な態度が気に食わない、と鋭い目が語る。
「こんなときだからですよ。ここにいる皆さまは、
ウォロは大仰に手を広げ、それぞれを睥睨して見せた。向けられる視線を意に介した様子もない。
かの事件──ショウによって解決された、突如としてキング・クイーンが暴れ出す現象。その黒幕がこの男だと、各人ショウより報告を受けていた。
「それだけに、解せない。なぜワタクシを呼んだのです」
ウォロはぴたりと笑みを消した。脳裏によぎるのは、イチョウ商会のギンナンが、自分を迎えに来たときのこと。
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「トゲキッス。警戒する必要はありませんよ。知っている足音でしょう?」
月明かりのない夜、焚き火に照らされウォロの影が長く伸びていた。
紅蓮の湿地、霧の遺跡の近く。この辺りの枝は湿っていて薪には向かない。そのため持ち込んでいた薪を焚べ、ウォロは目を瞑った。
ショウに負け、プレートを渡した。そこでウォロの物語は一度終わったはずだった。
『ウォロ』という男は当然に商会を追われるものだと思っていた。
このヒスイという地に拠り所なく放逐されるのはすなわち死を意味する。
ウォロであればただ生き残ることはできるだろうが、神話を解き明かしアルセウスに
しかし思い描いていたその構図は未だ訪れていない。
湿った土を踏む音がした。ウォロは振り返りもせず、その主が現れるのを待った。
「探したぞ、サボり魔め。どーよ最近」
「ぼちぼちですね。そちらはどうです」
「大忙しだ。各集落の交流が深まったからな。誰かさんのおかげで」
「それはそれは。奇特な人もいたものですね」
軽口を叩きつつウォロは振り返る。イチョウ商会を束ねる辣腕の行商人、ギンナン。彼はいつも通り気だるげに、ウォロの横に腰を下ろした。
「そんな中サボってる問題児がいてな。商会長自ら探しに来たってワケだ」
「そうですか」
ウォロは何でもないように続ける。
「クビにしてしまえば良かったのでは?」
「サボり魔だが、優秀だ。そいつは愛想のいいやつでな、どこに行ってもすぐに受け入れられる。好奇心旺盛で、新しい販路なんかすぐ探してくる。ついでにポケモンも強いしな。ヒスイで行商をやるために生まれて来たようなもんだ。遊ばせてる余裕はないな」
「……そうですか。それは、……」
言葉に詰まる。今、
「ま、もうちょっと放っておいてやるつもりだったんだが……事情が変わった。ギンガ団の団長がお前のことを探してる。こんなところにいたんじゃ知らないだろうが」
「ほう? とうとう大逆無道の犯罪人を捕らえる気になりましたか」
「違う。……ウチのお得意さん、行方不明なんだと」
ウォロは行商鞄から薪を取り出し、弱まっていた火に焚べた。
霧が出始めていた。
「……ああ、なるほど。
ざわり、影が蠢く。
風もなく火が揺れる。火力を増したばかりの焚き火が激しく明滅し、掻き消える。霧が濃くなる。輪郭が消える。彼我の境界が薄れてゆく。
完全なる闇に覆われた視界で、ただ二つのおぞましい赤だけが存在を保っている。
「──ギラティナ」
その怪物は鳴き声をあげた。あたりの生き物すべてが、呼吸をやめたようだった。
火を消すんじゃありません、とウォロが言うと、その怪物は小さな火を吐き出し、再び焚き火は煌々と霧の中を照らし始めた。その瞬間にはもう怪物の姿はなく、まるで何事もなかったかのような静けさだけがそこにあった。
「驚いたな……これがサボりの成果か?」
「今はこれ以上出てこられませんので、ご安心を。それとサボりではありません。仕事の合間にです」
「ったく……まあいい。それで、どうする?」
ウォロは大きなため息をつくと、ギンナンに向き直った。
「仕方ありませんねえ。大恩あるギンナンさんのためならば! このウォロ、どこへなりとも赴きましょう」
「おーおーそうしてくれ。さて、今から歩けば昼には着くな」
「ちょっと待ってください。ジブン、今日一日歩き詰めで今から休むところなのですが」
「行商人に昼も夜もない。顧客が望むものをできるだけ早く届けるのが俺たちの仕事だ」
「もしかしてジブン、商品ですか? あの、ギンナンさん──」
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疲れをおくびにも出さず、ウォロは尋ねた。ムラの長連中はウォロの所業を知った上でなぜウォロを
人死にが出たとは聞いていないが、出てもおかしくはない状況だった。ショウさえいなければ、あるいは時空が壊れていた。何をどう鑑みても再びお天道様の下を歩けるとは思えない行いだ。
口火を切ったのはデンボクだった。
「ウォロ殿。まず我らは、貴殿を罪に問うつもりはありませぬ」
「──は?」
ウォロは初めて動揺を見せた。アルセウスを利用して今のヒスイ地方を破壊しようとしたウォロを、罪に問わない。好奇心のためヒスイ中の人々を危険に晒したこの身を、許す?
「……そんなわけがないでしょう。あのお人好しは正しく伝えなかったのですか? ワタクシがあの事件の黒幕。ギラティナの力を以って時空の裂け目を開き、古代の英雄のポケモンを混乱せしめ、アルセウスを利用して今の世界をより良く作り替えようとした。断言しましょう。ワタクシがもしアルセウスを従えていたならば、今この世界は存在していない!」
部屋は静まり返っていた。だが、それぞれの長の目に敵意はなかった。不満げな表情を見せるカイでさえも、それは敵意ではなく、ショウを助けたいがための焦りからくるものだ。
ウォロは覚えのある気味の悪さを感じた。ウォロが天冠山で手酷く裏切った後に、あの少女が何故か肩を組もうとしてきたときのような理解できない感覚だ。
「罪は罪。罪には罰。当然ですな。……しかし、あの事件の真相を公表するわけにはいかぬのです」
「なぜです。反乱分子など排除してしまえばいい」
「あの雷。キング・クイーンのことごとくを狂わせたあの雷はシンオウさまによるものでなくてはなりませぬ。ましてや個人が起こした事件であってはならない」
デンボクは失礼、と口を湿し、続ける。
「キング・クイーンが暴れ出し、民は大いに混乱しました。人はポケモンに勝てませぬ。良き隣人であったはずが、突然、野生の、
「清濁合わせ飲む、と。そうおっしゃりたいのですか?」
「この厳しいヒスイの地にあって、我らは手を取り合わねばなりませぬ。シンオウさまは二体おられた。誤解が解け、かの事件において手を取り合ったコンゴウとシンジュは今融和しようとしております。あの雷をお互いのせいだとする意見はもはや消え失せつつあるのです。そこに、例え今回が行商人によるものだったとはいえ、個人が狂乱を引き起こすことができるなどとどうして言えましょうか」
デンボクの指針は常にムラを向いている。民を
「あの雷はシンオウさまの与えたもうた試練。我ら三つの集落に、協調せよとおっしゃっておられる。そのためあの雷はもう起こらず、我らは今後協力体制を築き上げる必要がある……これが、我らが用意した筋書きなれば」
「そう言えば、ショウさんの追放を決めたのもアナタでしたか。すべては団の、ひいてはヒスイに住まう人々のため。そのためであれば汚名を被り、汚泥を啜ると」
「それができぬ者は、ここにはおりませぬ」
デンボクはウォロを睨みつけんばかりだった。寝不足など感じさせぬ眼光。覚悟の宿った瞳だ。
「だとして、当の犯罪人を野放しにしては意味がないでしょうに。ワタクシがまた雷を落としたとしたら、長たち、ひいては神への不信すら募りかねない」
「むろん、貴殿だからこそ選べた選択肢ではありますな。これはショウの言葉ですが……ウォロ殿。あなたが同じ手段を取るとは思えない、と。ディアルガさま、パルキアさまから創造神さまにつながらぬ以上、貴殿は別の手段を追い求める。たとえどれほど時が経とうとも」
「知ったような口を」
デンボクには言っていないことがあった。もしウォロが秘密裏に処理できるような人間であれば、ムベを差し向けていた可能性はあった、と。口に出した方の理由は、それを隠すカモフラージュ。
とはいえ、事実だった。一度失敗した手段を、ウォロがそのまま使うことはないだろう。アルセウスに会うためであればどのような手段も厭わないウォロだ。失敗するだけの手段をどうして選ぼうか。
「……それに、ショウが言っていたよ。行く先々でウォロさんに会ったと」
ぼそり、カイが口を開く。
「ショウはウォロさんが起こした事件の解決のために動いていた。キング・クイーンが暴れているとなれば集落の一大事。当然、物資が必要になる。……集落のみんなにそれを届けてくれたのはあなただよ、ウォロさん」
「自分で起こしたことです。結果を見に行くのは当然でしょう? 物資にしたって口実に過ぎない。それに、知っていますか? ラベン博士に伺いましたが、マッチポンプ、という言葉があるそうです。自分で陥れて自分で救う。ワタクシがやっていたのはまさにそういうことです」
傾いた日差しが窓から差し込み始めていた。この時期の昼は短い。次第に影は伸び、辺りは闇に包まれるだろう。
こんなことをしている場合じゃないのに、とカイはショウのことを想う。そうしてみれば、ふと思い出すことがあった。
そういえば、ショウはウォロについて何か言っていたな、と。それは確かこんな言葉だった。
「つんでれ」
「……なんです? それは」
ウォロは口元を引き攣らせた。嫌な予感がした。そういうわけのわからない言葉を突然吐くのは、ここにいない少女の専売特許ではなかったか。
「ショウが言っていた。ウォロさんはつんでれだって」
「意味は分かりませんが不快な言葉ですよね? 言ったときの表情まで分かりますよ。自信ありげにさも知ったような口で、腕の一つも組みながら言ったのでしょう」
「うん。そうじゃなきゃショウじゃないからね」
「……はあ」
ウォロが肩を落とし、ため息をつく。セキとカイは困ったように笑い、シマボシは無表情にふむ、とつぶやいて、デンボクは鷹揚に頷いた。
わずかに弛緩した空気の中、セキが手をあげた。
「俺からも良いか? 罪に問う、問わないの話はひとまず横に置いておきたい。過程はどうあれ今あんたがどの集落からも追いだされてねえってのが俺たちの意思表示になるだろうしな」
ウォロは目を細め、話の続きを待った。
「聞きてえのは、ショウの居場所に心当たりはねえかってことだ。黒曜の原野、紅蓮の湿地、群青の海岸、純白の凍土……そして、天冠の山麓。この広大なヒスイだ、全てを探しきれたとは言えねえが、どこを探しても見つからねえ。あんたなら神話なんかにも詳しいだろ? 何か知ってることはねえか」
「まあ、聞きたいのはそれでしょうね。……良いでしょう、お答えします」
ウォロは悪辣な笑みを浮かべ、口を開いた。
「ショウさんはもう、どこにもいません」
たった五人しかいない部屋がざわめきで満たされた。ウォロは根底にある余所者嫌いを遺憾無く発揮し、それを心地よさげに見つめた。
そんな中、セキだけは冷静にウォロを観察していた。余裕ぶった表情、煽るような語り口。「もう、どこにもいない」。時間と空間。やがて一つの結論を出す。
「もう一つ、聞きてえ。……時は、超えられるのか?」
「……ほう!」
時を超える。まさに神の
なればこそ。神の
ウォロはくつくつと笑い、語る。
「よくお気づきで。ショウさんはこの時間軸にはおりません。おそらくは未来。元いた時代に帰ったのでは?」
「……生きては、いるんだよな?」
「死ぬ? アレが? 馬鹿馬鹿しい。殺したって死にやしませんよ」
「そうか。そうか……!」
ウォロの悪態に、安堵の息がどこからともなく聞こえた。あのシマボシでさえほっとしたように胸を撫で下ろしている。セキとカイは言わずもがなだ。
ウォロは白けた目で見渡し、言う。
「あなた方がするべきは、安堵ではないと思いますがね。もし時間を自由に超えられるのであれば、いなくなるなんてことが起こるはずもないでしょう? 戻りたいと思えば、時を、出発した時間に戻せば良いだけなのですから。それが今こうなっている。ああ、なんとかわいそうに。皆さんも薄々勘付いているのでは? かの少女はもう戻っては来ないのだと!」
「……! ウォロさん! いいかげんなことを言うな! ショウが何も言わずにいなくなるわけない! だって!」
カイは髪を振り乱して叫んだ。思い出すのは、ショウがいなくなる前の最後の会話。
──もし、もしだ。もし……元居た世界に、帰れるとしたら。ショウは、どうする?
──わからない。
──でも。この先に、何が待っていたとしても。きっと──
──きっと、ここに帰ってくるよ。
「帰ってくるって、言ったんだ……!」
大粒の涙が机を叩く。ウォロは肩をすくめ、あえて反論はしなかった。
「会いに行くぞ」
セキが言う。
「ショウが何考えてるか分からねえのなんて、今に始まったことじゃない。単に何かに巻き込まれちまって帰れないのかもしれねえしな。会いに行って、話す。それだけだ」
あんたはどうだ、ウォロさん、とセキの言葉。
「あんたはここに来た。あんたからすれば捕まって檻ん中でもおかしくねえところを、わざわざ。それはあんたも、ショウを探しているってことなんじゃねえのか」
「甚だ心外ですねえ。この程度でワタクシを拘束できると思われているのも、あの小娘を探していると思われるのも。……ですが、最初から言っているではありませんか」
ウォロは疲れた目をして言った。
「まったく、大恩あるギンナンさんに、ああも頼まれてしまっては。嫌で嫌で仕方ありませんが、……ご協力いたしますよ」
「つんでれだ」
「その不快な言葉をやめていただけますか?」
カイは泣き笑いのような表情で、つんでれだ、と繰り返した。鬱陶しげにウォロが遮る。そこには、かつてのような空気が流れていた。