5月1日。
殺せんせーが地球を爆破する期限まであと11ヶ月。
3年E組は新たに外国語の臨時教師を迎えた。名前はイリーナ・イェラビッチ。初っ端から色仕掛けしている点からも手練れの暗殺者であることが窺える。今日の啓示――刃は微笑みの奥にある、からも彼女が暗殺者であるという解釈で間違いないだろう。
殺せんせーをベトナムへ追いやり、情報を持つ潮田君へのディープキス。さらにVの発音が違うからと下唇を軽く噛ませ1時間持たせようとしてくる。このままではなんの学びも得られない。そちらがそう望むならこちらもそれなりの対応をとらせてもらおう。ゆっくりと席を立ち、教卓へ近づく。面倒くさそうな顔をしているが仮にも教師なら授業をしてほしい。
「Miss Irina Jelavić, if you're not going to teach, then why are you here?」
イリーナ・イェラヴィッチ先生、英会話の授業をしてくださらないなら、なぜここにいるんですか?
「Oh? Seems like there's at least one who can pronounce properly. But I'm here to do my job—I don't have time to deal with kids.」
あら、まともに発音できるのもいるのね。でも私は仕事をしにきてるの。ガキに構ってる暇なんてないわ。
なるほど。この人はどこまでも暗殺を目的に来ているようだ。だが、ここでは暗殺者と教育者を両立させないと受け入られない。それを理解していないようでは彼女が校舎を去るのも近いかもしれない。そっと席に戻ると隣の席から声がかかる。
「さっすが優等生君。発音も完璧じゃん」
「ありがとう。本場の英会話を学ぶ絶好の機会だと思ったんだけどね」
授業が終わると磯貝君からも声がかけられる。
「あ、天音君。さっきは抗議してくれてありがとう。俺、E組の学級委員やってる磯貝っていうんだ。よろしくね」
「磯貝悠馬君だよね。こちらこそよろしく」
「あっ、名前覚えてくれてるんだ! もしかして1年の時のこと覚えてる?」
「磯貝君がアルバイトをしてた時のことだったら覚えてるよ」
あれは1年の夏季休暇。入ったことのない喫茶店を見かけた瞬間、その日の啓示――ふと立ち止まるその瞬間、意味はすでに訪れている、を思い出し扉を開けると美味しいコーヒーと面倒な客を相手する彼に出会ったのだ。助け舟を出した後、校舎の廊下ですれ違い声をかけられたのが彼を認識した時である。アルバイト禁止の学校で声をかけてしまったことに彼自身が1番驚いていたが。
「磯貝、1年の時もアルバイトバレたの?」
「いや、少し特殊なお客様がいてね、その時に助けてもらったんだ」
なるほどなーと言う杉野君とあの時はありがとねと再度感謝を伝えてくれる磯貝君。話が終わったかなと思い、本を開いても自席に戻る気配のない磯貝君に何か喋りたいことがあるのかと顔を向ける。
「あ、あのさ良かったら理科を教えてくれないかな。放課後はバイトある日もあるけど昼休みとかだったら空いてるからさ。どうかな?」
「もちろん。僕で良ければいくらでも教えるよ。今日の放課後は空いてる?」
「ほんと!? 空いてる空いてる! ありがとう。助かるよ」
どうやら相当嬉しかったようで満面の笑みを浮かべながら自席へ戻っていった。
5限目の体育。2人で体育倉庫へ行く姿を見送ると生徒たちから不満が漏れ出す。確かにあの授業形態が続くのは学業面と精神面においてデメリットでしかない。
すぐさま地の底を揺るがすような重い発砲音が響き、すぐに彼女の悲鳴が聞こえた。何事かとクラスみんなで駆け寄るとそこにはレトロな体操服を着てフラフラになった彼女の姿があった。得意である暗殺に失敗し、生徒達の前で醜態を晒す。彼女にはとても屈辱だろう。
次の英語の授業、無心にタブレットを操作する彼女をみて磯貝君が動く。
「先生、天音君も言ってたけど授業してくれないなら殺せんせーと交代してくれませんか?」
「地球の危機と受験を比べられるだなんて、ガキは平和でいいわね〜。それにあんたたちE組ってこの学校の落ちこぼれだそうじゃない。勉強なんて今更しても意味ないでしょ」
途端に言葉を詰まらせる一同。そして溢れ出る怒りのオーラ。火に油を注ぐように暗殺に協力しろという彼女に誰かの堪忍袋の緒が切れた。
ビシッ
教室に鋭い音が響く彼女の顔のすぐ横を消しゴムが掠め黒板に跳ね返り、教卓に落ちたのだ。やっと教室の空気に気づいた彼女だがもう遅い。投げられた消しゴムを皮切りに彼女へ投げられる野次や物に耐え切れず彼女は教員室へ逃げるように帰った。
休み時間が終わり、次の授業。
彼女は勢いよく扉を開きズカズカと黒板へ向かい書き慣れた筆記体で英文を書く。
You're incredible in bed.
Repeat!、と言う彼女に皆驚きつつ繰り返すと彼女なりの授業が始まるのを感じ取った。それにしても英文が英文である。彼女が意味を説明するとクラス全員が引いた。
「私が教えられるのはあくまで実践的な会話術だけ。もし、それでもあんた達が私を先生と思えなかったらその時は暗殺を諦めて出ていくわ。……そ、それなら文句ないでしょ?」
先ほどまでの態度が嘘かのように変わる彼女を見て教室は爆笑の渦に包み込まれる。そう、それでいいのだ。受験で役に立つ英語なんて彼女には求めていない。実践的な英会話の技術の伝授が彼女に求められているのだ。ビッチねえさんからビッチ先生という大して変わりのない愛称をつけられ先生は憤慨していたが今朝よりクラス皆んなとの距離が縮まっていることは誰の目に見ても明らかだった。
「磯貝君、今日の勉強のことなんだけど、ここだと本も少ないし僕の家に招く形でもいいかな?」
本日の全ての授業が終わり、磯貝君に話しかける。旧校舎は図書館もなく勉強する環境が整ってるとは言いづらい。
「急にお邪魔しちゃったらお家の人とか大変じゃない? それに俺、手土産とか持ってないし」
「大丈夫だよ。家の人には今日うちに来るかもって伝えてあるから」
それなら、と承諾してくれる磯貝君と2人で山を降りて怜司さんの待つ車へ向かう。
「坊ちゃん、本日もお疲れ様でした。初めまして、磯貝様。私、執事の橘と申します」
ポカン、と面白いくらいに口を開けて固まる磯貝君に乗るよー、と声をかけてから車に乗り込む。数秒後、慌てて磯貝君が乗り込むと後部座席のドアが閉まる。怜司さんがエンジンをかけ発車いたします、という声で我に帰った磯貝君は僕の方を見て口を開く。
「執事って存在するんだね! 初めて見たよ……」
「ふふっ、磯貝君って面白いね」
目をキラキラさせた磯貝君が興奮気味に話すのが面白くてつい笑ってしまった。無事、家に辿り着き磯貝君をリビングへ案内する。ここの机が1番広くて勉強に向いているだろう。
「じゃあ、早速勉強を始めようか。どこの問題がわからなかったか教えてくれる?」
「……う、うん!」
リビングをキョロキョロ見渡していた磯貝君はいそいそと鞄から問題集を取り出す。どうやら生物で躓いていたらしい。具体例を交えたり図解付き参考書を見せたりすると理解していた様子から根本的なところは大丈夫なようだ。どうせならということで理科以外の科目のわからないところも解消して今日はお開きとなった。途中、紅茶とお菓子を持ってきてくれた怜司さんに感激した目を向け、喜んで食べていた磯貝君はとても可愛らしかった。また明日学校で、と手を振り合って磯貝君は怜司さんの運転する車に乗り込み帰宅した。
月に1度の全校集会。慣れというものは恐ろしく思わず左端の列に並ぼうと足を1歩踏み出したところで思いだし、そのまま踏み出した足を軸にして右端の列に並んだ。
相変わらず中身のない校長の話を聞き流す。烏間先生が担任としての挨拶を終え、生徒会の発表が始まった時、事は起きた。恒例のE組いじめ。今回は生徒会のプリントを渡さないというものだった。磯貝君がいち早く気づき荒木君に声をかける。
「すいません、E組の分まだなんですが」
「え、無い? おかしーな……。ごめんなさーい3-Eの分忘れたみたい。すいませんけど全部記憶して帰ってくださーい」
汚い笑い声が響く体育館。白々しい嘘をよくそこまで吐けるものだ。
「荒木君、問題ないよ。僕なら全部覚えて帰ることができるからね。むしろ紙に頼ってばかりじゃ優秀な頭脳の持ち腐れなんじゃないかな」
声の出どころに目を向けてから驚いた顔をする荒木君。そうだよね、今馬鹿にしたE組は君が誇っている頭脳で勝ったことのない人がいるんだから。収まっていく笑い声を聞いていると一陣の風が吹き、手書きのプリントが宙に現れる。タイトルは生徒会だより。なるほど、殺せんせーか。
「あ、プリントあったんで続けてくださーい」
磯貝君が再度荒木君に声をかける。さらに動揺する荒木君が最早可哀想に見えてくる。そっと右を見ると殺せんせーをナイフで刺そうとしていたイリーナ先生が烏間先生に連れて行かれる様子が目に入り、E組内で笑いが起こる。その後は、何事もなく全校集会は終わりを迎えた。
本校舎体育館から戻った僕らを迎えたのは大量に分身した殺せんせーの姿だった。どうやら中間テストが迫っているため分身してマンツーマン授業を行うようだ。なんと贅沢な使い方だろうか。
僕の苦手科目は国語である。数学の証明問題とは異なり厳密な論理に基づいておらずどこか曖昧な現代文の記述は僕に苦手意識を植え付けるのに十分であった。
「天音君は発想力を養うと今よりもっと表現力が上がりますよ」
というアドバイスをもらい記述問題にひたすら取り組んだ。
中間テストの前日、クラス皆んなを迎えたのはさらに数が増えた殺せんせーだった。1人あたりに4、5人担当する姿は前日に比べて少し乱雑な分身であった。
授業終了後に数人の勉強を蔑ろにし暗殺のみに集中しようとする姿を見て、殺せんせーは全員に校庭へ集まるように伝える。殺せんせーは校庭のゴールなどをどかし、イリーナ先生と烏間先生に次の手の大事さを尋ねてからくるくると回り出す。
「先生方のおっしゃるように自信を持てる次の手があるから自信に満ちた暗殺者になれる。暗殺があるからと考えて勉強の目標を低くする。それは、劣等感の原因から目を背けているだけです。暗殺という拠り所を失った君達にはE組の劣等感しか残らない。そんな危うい君達に、先生からの
竜巻となり轟々という音を響かせながら先生は言う。
「第二の刃を持たざるものは、暗殺者を名乗る資格なし!」
校庭の土が抉れ、砂埃が晴れた後残ったのは綺麗に手入れされた校庭だった。
「もしも君達が自信を持てる第二の刃を示なければ相手に値する暗殺者はこの教室にはいないと見なし校舎ごと平らにして先生は去ります」
「第二の刃……。いつまでに?」
「決まっています。明日です」
潮田君の問いに、にっこりと答える殺せんせー。その後、クラス皆んなが驚くことを言う。
「明日の中間テスト、クラス全員50位以内を取りなさい」
「「「「「!!?」」」」」
「君たちの第二の刃は先生が既に育てています。本校舎の教師達に劣るほど、先生はトロい教え方をしていません。自信を持ってその刃を振るってきなさい。
久しぶりの本校舎の教室。全校生徒が本校舎で受ける決まりによりE組はアウェーでの戦いを強いられていた。指で音を立てつつ無意味な咳を繰り返すD組の担任にE組は開始早々苛立っていた。しかし、流石E組。殺せんせーの個別テストを繰り返した皆んなに対応できない範囲内の問題はなかった。そう、範囲内は。僕はそれらの問題を見つけた瞬間驚いた。全体で見るとテスト範囲が事前に通達されていた部分と大きく異なっている。先ほどまで響いていた鉛筆の音が急速に鳴りやんでいるのを感じる。どこまでも理事長は狡猾だった。
テスト返却日。顔向けできないと言い黒板の方を向く殺せんせーにカルマ君がナイフを投げる。
「いいの〜。顔向けできなかったら俺が殺しに来んのも見えないよ。俺問題変わっても関係ないし」
と言い教卓に答案用紙を見せるカルマ君。カルマ君は今回学年5位を叩き出したようだ。
「俺の成績に合わせてさ、あんたが余計な範囲まで教えたからだよ。だけど俺はE組出る気無い。そうだよね? 天音君?」
「そうだね、カルマ君」
急に飛んできた問いに肯定するとカルマ君はにっこり笑って殺せんせーに言う。
「で、どーすんのそっちは? 全員50位に入んなかったって言い訳つけて逃げちゃうの? それって結局殺されんのが怖いだけじゃないの?」
カルマ君の生き生きとした煽りにクラス皆んなが乗っかり、それにまんまとハマった殺せんせーが息巻く。
「にゅやーーッ! 逃げるわけありません! 期末テストであいつらに倍返しでリベンジです!」
そして湧き上がる笑い声。今、皆んなは心の中でE組であることを誇りに思っているだろう。
「ねぇねぇ天音君。俺らと修学旅行の班一緒になんない?」
修学旅行を目前に控えた昼休み。カルマ君から声がかけられる。横を見てみるとそこには潮田君と杉野君、それに茅野さんと奥田さん、神崎さんがいた。
「もちろん良いよ。ここにいる7人が一緒の班ってことかな?」
「そうだよ。天音君、よろしくね」
潮田君によろしく、と返す。暗殺もする2泊3日の修学旅行。少し楽しみである。
無事京都に着いて2日目。坂本龍馬が暗殺された近江屋の跡地を訪れ、八坂神社へ向かった後、祇園の奥道にて僕らは襲撃に遭った。
前から3人の大柄な人物が歩いてくるのを見て僕は今日の啓示を思い出す。
――誰もが歩く道の先には、誰かが待ち受けている
そう言う意味か。マイナスなイメージは感じ取れなかったが、これは予測できなかった。
喧嘩っ早いカルマ君が初手で1人潰すが背後から鉄パイプを振りかぶる人影に気づいていない。
「後ろ!」
だが遅かった。ゴッという鈍い音が響き、カルマ君が倒れる。道は前後ともに高校生に塞がれていて逃げようもない。とにかくあの鉄パイプをどうにかしなくては、と1対1で対峙するも体格からして不利な僕らは呆気なく地面に転がされ、神崎さんと茅野さんが拉致されるのをただ見送るしかなかった。
肩に鈍い痛みが走り、蹴られた腹部からは息がうまく吸えない。身体が震えるのを感じながら、何とか潮田君が開く修学旅行のしおりを覗き込む。痛みに耐えながら呼吸を整え、残ったメンバーで立ち上がる。
まさか、付録134にある殺せんせーがマッハ20で下見した拉致実行犯潜伏対策マップが役に立つとは思わなかった。見張りをカルマ君が倒し、扉を開けると僕らの姿を見てホッとした様子の茅野さんと神崎さんが。そしてドカドカという音と共に現れた殺せんせーを見て事件の解決を確信する。
「学校や肩書など関係ない。清流に棲もうがドブ川に棲もうが前に泳げば魚は美しく育つのです。……さて、私の生徒達よ。彼らを手入れしてあげましょう。修学旅行の基礎知識を体に教えてあげるのです」
その言葉に応じての僕らは修学旅行のしおりを高校生達の頭目掛けて振り下ろした。
2人を奪還した後旅館に着いた僕らは大部屋に通された。E組に与えられるのは男女1つづつの大部屋という学校の徹底ぶりに思わず笑みがこぼれそうになる。
「天音君は気になる
カルマ君がニヤニヤしながら問いかけてきた。
「みんな言ってるから逃げられないよー?」
と言いつつ紙をヒラヒラさせる前原君。
「正直、気になる人はいないかな。修学旅行の班で初めて話したくらいだからね」
「あー、確かに。俺らも何か近寄りがたいみたいな雰囲気はあったかも」
「急に落ちてきたと思ったら理由も不穏だし、成績は良いのにA組に復帰しないし謎なところ多いよな」
納得する杉野君とそれに同意する木村君。確かに僕も距離を測りかねて自分から喋りに行くことはなかった。何にせよこの修学旅行で少し打ち解けることができたかなと一安心したのも束の間。窓に張り付きニヤニヤしながら紙をメモしていく殺せんせーに部屋中の視線が集まった。
「メモって逃げやがった! 殺せ!」
「このタコが!」
叫びながら追いかける面々を見送り修学旅行も結局は暗殺旅行になったなと思い一口水を含んだ。