かーくんとダヨを見送った後、穣太郎は職員室には行けない──さすがにそれだけの情けが穣太郎にはあった──ので学校にいる母親の何人かに会えないことに気が付いた。
最初はナディーマミーあたりから攻めたかったが仕方がない。確実に職員室にはいない母親の元へ向かうことにした。
歩く途中で誰かとすれ違えれば理想的な展開だったが、そううまくもいかず、穣太郎は当初の目的地である理事長室の前に到着した。
扉をたたく前に息を整える。おそらく中にいるであろう二人の人物のうち、一人が今の状況において厄介だからだ。
意を決してノックすると、聞きなれた母の声が入室を促した。穣太郎は扉を開ける。
「あら、穣太郎君。どうかしましたか?」
「羽香里お母様、ちょっとお話したいことが……」
羽香里理事長。数年前からお花の蜜大学附属高等学校の理事長となった花園次期当主である。
穣太郎は視線をもう一人の方へと動かす。美しく整えられたメイド服に身を包んだその人物と
自身の姉である
そのため、穣太郎がここに来た理由(生みの母親誰だっけ問題)を知ることが羽香里のためになると判断されたのなら、即チクられるということだ。
「愛衣姉様にも聞いてほしいなぁって……」
「大丈夫ですよ。ちょうど仕事もひと段落ついたところですし、ね? 愛衣?」
「もちろんでございます。紅茶の準備もすでに出来ております」
「さすがですね。ほら、穣太郎君も座ってください」
「うん……」
穣太郎は心の中でガッツポーズする。自分の分も紅茶が用意されていたことには戦慄したが、少なくとも愛衣は話を聞く準備があるようだった。
「それでどうしたんですか? 何か困ったことでも?」
とりあえず、適当な話題で子どもとその生みの親の情報を引き出してみよう。そんな風に思った穣太郎だったが、口を開こうとした瞬間、虹色の瞳がギラリと鋭く輝いたように思えた。
嘘を羽香里につくなら、即座に真実を告げてあげましょう。愛衣の眼光には間違いなくそんな意味が込められていた。
「じ、実はお母様たちが高校生だった頃のことをもっとよく知りたい(俺に似た部分があればヒントになりそうだし……)と思ってさ! せっかく、羽香里お母様と同じ高校に入ったんだし!」
「そうですか。そうですか」嬉しそうに羽香里が言った。
ある種の本心であったためか、愛衣の瞳は優し気なものに戻っている。子どもたちの話には繋げられないかもしれないが諦めるしかないだろう。
溜息をつきたい気分だったが、すぐに羽香里お母様のことがもっと知れるなら十分お得だなと思いなおした。
「それでどんなことが知りたいですか? やはりお父様のことでしょうか?」
「い、いや、どちらかというとお母様のことの方が……そうだ! 羽香里お母様と唐音母さんは昔から仲良かったんでしょ?」
「え? ええ、もちろん。唐音さんとはある意味一番長い付き合いですから……」
「どんなところが一番好きなの?」
「ええ!? ええっとですね」
「羽香里様」
「え! なんですか愛衣?」
「本日のお茶請けのショートケーキです」
「あ、ええありがとうございます」
「穣太郎にもございます」
「ありがとう」
それは穣太郎が一番好きなイチゴのショートケーキだった。イチゴは種がいっぱいあってお得だ。このケーキを食べる時、穣太郎はいつだって真剣になってしまう。
穣太郎の意識がケーキに向ききったことで、羽香里と唐音の話題は中断になった。
「助かりました愛衣……」羽香里が小さな声で言う。
「主人をお助けするのがメイドですので」やはり小さな声で愛衣が答えた。
穣太郎は恋太郎に姿こそそっくりだが、彼が持っていた人外じみた機微への察知能力は持っていない。
夫ののろけ話だったら一日中できる羽香里だったが、いまだに唐音への思いを口にするのは不慣れだった。
そのことに穣太郎は気づけないのだ。
だがひとまず危機は切り抜けられた。やたら集中してショートケーキに向かう穣太郎を見て、羽香里は目を細める。
「あびゃ……」ふと羽香里の口から声が漏れた。
「羽香里様」
「あ、いえ言ってませんよ。穣太郎ちゃんを見てただけで何も言ってません」
「羽香里様漏れてます」
「……恋太郎君とそっくりでかわいい……」
「羽香里様」
「さすが私の穣太郎ちゃん……」
「羽香里様」
もはや羽香里のあびゃりを止めることは不可能。愛衣はそう判断した。
愛衣は芽衣のメイド的能力をすべて受け継いだ完璧メイドである。しかし、彼女と母のメイド像は決定的に違う。
芽衣は主人の望むことをすべて実現させることこそメイドの使命であると考えている。
一方で愛衣は主人のためになるならば、たとえ主人が苦しむようなことでも実行する者こそがメイドであると考えるのだ。
もし羽々里、羽香里、恋太郎の三人が居なければ、お互いのメイド観の違いから二人の親子は
「穣太郎? ケーキに夢中になるのはよろしいのですが、羽香里様にお聞きしたいことがあったのではなかったですか?」
「ん? ああ、そうだった。えーと──」
「──確か、羽々里様とのことについて聞きたいと言っていましたよね?」
「あ、愛衣?」
「んー……確かに! そんな気がする! 羽香里お母様が高校生だった頃は羽々里お母様が理事長だったって聞いたんだけど、その時は二人はどんな感じだったの?」
「どんな感じですか、難しいですね。例えば──」
羽香里は高校時代のエピソード(『君のことが大大大大大好きな100人の彼女』を読んでください。アニメでもいいです)を話し始める。
しかし、頭の中では別のことを考えていた。
(ありがとう! 愛衣ちゃん! さすが私のきゃわいい娘! 完璧メイドちゃん!)
愛城羽香里。旧姓、花園羽香里は母親になる際、一つの誓いを立てていた。
それは多感なお年頃の子どもたちの前ではあびゃらないという誓いである。
自分が十五歳の時に起きた母の羽々里の確変は、間違いなくその後の人生を変えるクライシスであった。
凛とした気高いお母様から、母性モンスターへの変貌。それそのものはもはや遥か過去のこと。母の抑圧されていたものは解放され、本当になりたい自分になれた記念すべき出来事だとさえ、今は思える。
だがそれはそれ、これはこれ。
羽香里はかつて憧れた完璧なお母様になりたかった。子どもたちから憧れられるような母親になりたかった。
己の理想とプライドのために、確かに受け継いだ母性の怪物を飼いならし、まだ幼い子どもたちに接すると心に決めたのだ。
そのために、どこまでも自分を受け入れてくれる芽衣や妹ではなく、羽香里の理想のために厳しく接してくれる愛衣を傍に置いているのだ。まぁ、超絶かわいい娘を常に傍に置いておきたかったという理由もあるが。
愛衣が羽々里の話をするように話題を誘導したのは、その初心を思い出させるためだったのだろう。
実際、羽香里は落ち着きを取り戻した。
「──という感じですかね。あの高校生活を通して、私はこの学校の理事長になりたいと思うようになったというわけです」
「高校の頃も思ったより、いまと変わらないんだなぁ。羽々里お母様はいつも通りだし。羽香里お母様もいまと同じでお淑やかって感じだね」
「ええ、ええ! 意外と大人になっても変わらないものですよ」
となると母親たちの高校時代を聞いてもあまり意味ないかもな、と穣太郎は思った。優雅で気品のある羽香里と比べてあまりにもあんまりな娘、咲華里のことを思い浮かべていた。
もちろん、穣太郎のしかめっ面にあびゃりかけている羽香里には少しも気が付かずにいる。
「でも咲華里お姉様もたまに羽香里お母様みたいな清楚さが出るからお得かな」思わず気が緩んでそんな言葉が口から出た。
「咲華里はちょっとお母様に影響を受けすぎただけですから……やっぱり似ている所があるものですよ。穣太郎君も──」
「──申し訳ございません羽香里様。そろそろ会議のお時間でございます」
「あら、そうですか? ごめんなさい穣太郎君。話の続きはまた今度にしましょう」
「う、うん、大丈夫だよ」
──
穣太郎は早まる心臓とよぎった考えの意味が分からず困惑する。
もう少しで羽香里から聞きたかった話題を引き出せたかもしれないのに愛衣に遮られてしまった。それを悔しがるべきではないか。
もやもやとした気分のまま席を立つ。だが部屋を出ようとした際に愛衣が音もなく穣太郎に近づいてきた。
「穣太郎、お母様方の昔が知りたいという言葉に嘘はございませんね? 他のお母様にも同じようにお話が聞きたいということですよね?」
「……モチロンデス」
「では、お土産をあげましょう。他のお母様にもお渡しください」
穣太郎は愛衣からケーキがたくさん入った箱を渡されると、ぎりぎり興奮が恐怖に勝った状態で部屋を後にした。
「お待たせいたしました。羽香里様?」
「愛衣ちゃんと穣太郎ちゃんとっても仲良しなのね、きゃわわわ」
全く表情には出さないまま、なんて手のかかる主と弟なんだ、と愛衣は思った。
しかし、それでこそ支えがいがある。愛衣はますますやる気を出した。
お茶を片付け、会議の資料を準備しはじめる。少しだけ穣太郎のことを考えながら。
愛城愛衣のここがすごい!
①周りの気配を感じ取れるのに瞼も開く! (幼少期より笑顔が張り付かないように家族みんなが気を付けておりました)
②業務時間外では娘として羽香里や羽々里に甘えられる! (家族の時間を持つことはお母様たちの願いでもありますので)
③教育モードの芽衣に意見を言える! (私の思うメイドとお母様の思うメイドは違います)
愛城愛衣のここもすごい!
①高い察知能力から出る先読み行動に人が驚くのが好き! (興奮いたします)
②好きな人のダメな部分が見えると支えモードになる! (興奮いたします)
③普段着用のカスタムメイド服を大量に持っている! (興奮いたします)