ドレスルームの玄関で穣太郎は一人で父を待っていた。いつもならば、父が家に帰ってくるタイミングでは母や子どもたちが何人も迎えるのだが、いまはたった一人。
きっと誰かが気を回してくれたのだろう。凪乃母さんか唐音母さん、あるは愛衣姉様か知見兄ちゃんあたりかな、と穣太郎は思った。
そんなことを考えていても、すぐに頭の中は親父のことで埋め尽くされる。自分は確かに親父について何か思うことがあるのだ。しかし、それが一体何なのかまるでわからない。
ただもやもやとした気分だけが心に漂っている。それをまた違う思考でかき消そうとする。そんないたちごっこを何度も繰り返した。
結論が出ないうちに、息子は父の帰宅を察知した。玄関から大体30m。おそらく父はその3倍近い距離、100mは離れた場所から玄関に穣太郎しかいないことに気が付いていただろう。それがそのまま自分と親父の差を表しているようで、ますます穣太郎はムカついた。
「ただいま穣太郎」扉が開き、
「……おかえり」
「みんなは?」
「わかんね。多分台所とリビングじゃない?」
「…………」
「…………」
多分、親父は自分の言葉を待っている。それは気遣いから来るものなのは確実で、そのことも癇に障った。
「……なぁ親父」
「なんだ?」
「ちょっと話さねぇ?」
「もちろん」
二人は特に話し合うこともせずに、自然と家を出た。無言のまま並んで歩き、
「ちょっと待ってろ」
恋太郎がそう言って、公園近くのコンビニへと走っていった。穣太郎はブランコに腰掛け、父の背中を見送る。
少しして恋太郎は戻ってきた。その手にはスイカバーが二つ握られている。
「ほら、好きだろ? 種がいっぱい入っててお得だって」
「……ありがとう」
父と子は並んでブランコに座ってスイカバーを食べ始めた。穣太郎は食べながら何か考えているような気分になったが、実際のところは思考と呼べるようなことは出来なかった。感情以上思考未満の残骸たちがただただ意識の上に浮上と沈没を繰り替えす。
結局、切り出したのは恋太郎だった。
「で、父さんと何が話したかったんだ?」
「……わかんね。話したいことはあるんだ。多分ある。でも、何が話したいのかと言われると……」
「そうか。じゃあ、わかることから話していこう」
「え? うーん……」
「今日は学校どうだった?」
「あ、えーと……ダヨがまたバカなことして百八母さんに怒られてたよ」
「またか」
「うん、また。あとは……あ、ほらかーくんに爪を塗ってもらったよ」
「いいね。また上手くなった」
「そうなんだ。あと、母さんたちに高校時代のことを聞いた」
「ちょっと恥ずかしいな」
「みんなあんまり変わんないんだね」
「そう! 母さんたちは昔から最高なんだよ! ああ、いま思い出しても最高の高校生活だったな」
「……うん。そうだね。あとは現生アニキと話したよ。また漫画を描いてた。いっつも修羅場だって言ってる気がするな」
「懐かしいな。父さんも昔は野澤先生のところにアシスタントに行ったりしたよ」
「…………………………あ」
「穣太郎?」
唐突にすべてが繋がった。穣太郎の靄が晴れた。明瞭な頭が思考と感情を完璧に一本化し、内部で爆発させる。そしてマグマのように外部へと噴火させた。
「そういうことだったんだ。親父。俺がずっと親父に感じてたことは、言いたいことは、こんなに簡単なことだったんだ」
「じょ、穣太郎?」
「ずるい」
これは嫉妬だ。恐ろしいほどの嫉妬。
「ずるいぞ。ずるい! なんで親父だけ!! ずるいぞチクショウ!!!」
「そ、そんな……コムギを前にしたゴンみたいな感じに……!」
「親父ばっかり母さんたちと青春しててずるい!!! 101人で遊んでてずるい!!! こっちは親父たちのせいで屋上に集まれないんだぞ!!!!」
「それはほんとに申し訳ない……!」
「そもそも、本当は兄弟姉妹全員同じ学校に通いたいのに!!! 全員は来てくれないし!!! こんなに損した気分なのに解決方法がない!!! それもこれも親父が俺が生まれる前に青春しまくったからじゃないか!!!!」
「そ、それはどうだ!!? 俺のせいかな!!?」
「親父のせいだ!!! 最高の母さんたちと結ばれやがって!!! 俺が生まれる前にってずるいだろう!!!!」
「因果関係的に逆は無理だろ!!?」
「うるさいうるさいうるさい!!!! ずるいずるいずるいずるい!!!!!」
穣太郎は地面にのたうち回り、最後にはびたっとうつぶせになってしくしく泣き始めた。
恋太郎は思ってもみなかった息子の行動に少しあたふたしながら、息子にどう声をかけるべきか考えた。
しかし、恋太郎が何を言うよりも先に穣太郎が顔を上げる。
「そうか。俺が母さんたち全員と結婚すればいいんだ」
「え゛」
「んん~。100人の生みの母親が100人のお嫁さん! どう考えてもこれが一番じゃないか!!」
それは無理だろう! 倫理的に! なにより
しかし、気づく。ここが
その瞬間、恋太郎にかつてのキングオブ彼氏のテンションが戻った。愛する彼女を奪わせることなど許さないモンスターのテンションに!
「それは出来ないよ、穣太郎」
「どうして?」
「俺がさせないからだ。たとえ死ぬほどかわいい実の息子だとしても!! 死ぬほど愛しい俺のお嫁さんは一人としてやらん!!!」
「くっ……! 最初から奪うつもりだったさ!!」
「かかってこいバカ息子!! 俺は分身も飛行もできない子どもに負ける気はないぞ!!!!」
そうして一人の息子と一人の父の戦いが始まった。この戦いをすべて記述するには、原稿用紙で三千ページほど必要だ。
しかし、これは所詮よくある親子喧嘩であるために、取るに足らないこととして、割愛させていただくとする。
〇三千ページと少し後。
「ずるいよ! だってさぁ!! 瞬間移動するんだよ!? 普通親子喧嘩で使う?」
「うんうん、それはずるいね」
穣太郎はドレスルームで椎奈ママに泣きついていた。結局、父親の壁は厚かった。穣太郎はコテンパンにやられて一人逃げ帰ってきたというわけだ。
「そんなずるい親父となんて離婚して、俺と結婚した方がいいんじゃない!?」
「うーん、ごめんね穣太郎君」
「…………やっぱりね。わかってたよ、親父はすごい人で俺なんか敵いっこなくて、たとえ同じ日に生まれて、同じ日にみんなと出会ってたとしても、母さん達と結婚するのは親父だってね」
「もしかするとそうかもね。でもね、穣太郎君。それはお父さんの方が穣太郎君より好きだからでも、お父さんの方が穣太郎君よりもすごいからでもないんだよ。私たちみんな、穣太郎君のことだって同じくらい愛してるんだから」
「じゃあどんな理由?」
「うーん難しいな。……私たちがきっと結ばれる運命だったから、かも。世界のどんな人よりもいっぱいいっぱい絡まった赤い糸で結ばれてたからかな」
「親父には100人も運命の人が?」
「きっとね」
体中から赤い糸が伸びている父親を想像して、穣太郎はくすりと笑った。
「それだけあればお得だね」穣太郎が言った。
「そうだね。ギチギチでうれしいね」椎奈も笑って言った。
「でも、それならやっぱり母さんたちは親父の方が好きに思えるな。運命の分だけね」
「運命じゃなくてもちゃんと同じくらい愛してるよ? 穣太郎君はママたちみんなを同じくらいに愛してないの?」
「……いや、みんな大大大大大好きだよ。多分、親父も同じだ」
「うん。私たち家族はギチギチでありえないくらいいっぱいだけど、それで一人ひとりへの愛が少なくなっちゃったりはしないんだよ」
「それどころか一人への愛は100倍って感じだ。それこそギチギチで寂しさなんて少しもないくらい」
「お得だね?」
「うん……俺、親父に謝らなきゃ」
「そうだね。心配しないでもお父さんなら大丈夫だよ」
その時、ドレスルームの玄関から
穣太郎は慌てて立ち上がる。
「ごめん、椎奈ママ! 俺行かなくちゃ!」
椎奈は何も言わずに、笑顔で息子のことを見送った。
穣太郎は必死に走った。父よりも先にドアを開けて、真正面から父を見た。
「ごめん親父」自然と穣太郎の口から謝罪の言葉は出た。「俺、親父がうらやましくって……嫉妬しちゃって……」
それ以上、何を言うよりも先に恋太郎は穣太郎を抱きしめる。なんの混じりっけもない、愛する息子への抱擁だった。
「俺こそごめんな、穣太郎! 大人げなかった!! お前の気持ちにもっと寄り添ってあげなきゃいけなかったのに!!」
「そ、そんな俺が悪いんだ。わけわかんないこと言っちゃって……」
「わけわかんなくなんてない! 俺のこの世で一番愛しい奥さんたちをうらやましがるなんて、この世で一番納得できる嫉妬の理由なんだから!!」
「……それは、確かにそうだけど……! どんな理由があっても親父を襲うなんてしちゃいけなかった!」
「いいんだ!! もうしなければいい!! 俺たちは家族なんだ!! いくら喧嘩したって!! 仲直りすればいいんだ!!!」
穣太郎は父を抱き返した。涙を流さなかったのは、最後に残った少年のプライドのためだった。
少しして、穣太郎は父から離れ、気恥ずかしそうに言った。
「そうだ親父、お願いがあるんだけどさ」
「なんだ。なんでも言ってみろ」
「えっと、別に今日じゃなくてもいいんだけどさ。暇があったら、ラテ淹れてくれない?」
このようにして、愛城穣太郎の生みの母親探しは幕を閉じた。
家の方から、晩御飯の匂いが漂ってきていた。
恋太郎チルドレンを考えるのが非常に楽しいので、もしかすると違う話を書くかもしれませんが、とりあえずこれで終了です。
ありがとうございました。