【アンサング・デュエット】リプレイ 『郷愁の都、幻のあなた』〜天上の楼閣 作:mizumega
◇◆◇◆◇
深度0【三日月財団】
ーーーーーー ゴチン、と衛の後頭部に固い物が触れた。
同時に、柔らかい重みがのし掛かってくる。
唇にはもっと柔らかくて、湿ったものが…
(うっ。い、息が…)
薄目を開けると、影が覆い被さっていた。
どこかで見たことがあるものだ。
(…あお…い?)
顔と顔が重なっている。
ならば、今、唇に触れているものは…
「ーーー ぷはぁっ!!」
窒息する前に上に乗っかっているものを押しのけ、息を吸い込んだ。
「きゃっ」
と、あおいが尻餅をつく。
「いったぁ〜〜…」
「…あ。ごめん、痛かった?」
「まもるちゃんヒドい…」
ジト目で睨むあおいがお尻をさすっている。
「って、あれ…?」
そこは見慣れた場所だった。
駅前広場。噴水前。『叫び岩』。
そこの地面で、衛は大の字に寝そべり、あおいはその腰の上にまたがっていた。
その横を、通りすがりの人々がジロジロ見てゆく。
「…あれぇ?」
あおいも周りの風景が変わったのにようやく気がつく。
ふたりはそのままの姿勢でぼんやり見つめ合った。
(ここって…今朝の待ち合わせ場所)
(ここでまもるちゃんと儀式をして…大正時代の異界へ行って…)
(それで、凌雲閣に追い詰められて、)
(まもるちゃんにキス………)
頭が晴れてきた。
じゃあ、たった今、自分たちがしていたのは…
「「えええっ?!!」」
互いに指を差し合う。
「あっ、えっ、そのっ、だってっ、」
「まもっ…わ、わたし…っ、」
真っ赤になるふたりの横を、
「若い子は元気だねぇ」
トンチンカンなことを言いながら老婆が通り過ぎて行った。
パッと離れるふたり。
パタパタを音をわざとらしく立てながら、埃を払う。それから、困り顔を合わせた。
「え〜と、ん〜と、この場合…」
「そ、そうね…」
もじもじするあおいの手を取り、衛は駆け出した。
この場合、逃げるしかない。さっさとこの場を離れるしか。
…ズキッ。
衛の手が微かに疼いた。
あおいを握った手だ。
(…?)
小さな違和感を覚えるが、今は恥ずかしい現場から退散するほうが重要だ。
それきり衛は手の疼きを忘れ、ひたすら駆けるのだった。
***
「はぁ、はぁ…」
「ふぅ、ふぅ…」
高台の小公園へ逃げ込んだ。そこからは海が見渡せる。普段はあまり人が来ないので、あおいと衛はよくここで話をする。
「ひ、膝が笑って…」
あおいがベンチへへたり込んだ。海の見える側へ座る。
衛も隣に座った。
「今日一日、散々走ったよ…」
「わたし、明日筋肉痛かも」
顔を見合わせ、クスリと笑う。それから押し黙った。
なんとはなしに海を眺める。
ひねもす午後の海は緑色に輝き、憂いなどないかのようだ。
けれど、嵐が来れば一転して恐ろしい魔の海域になる。津久美の海岸には昔から何隻もの船が打ち上げられ、海の底へ沈んでいた。
「結局、なんだったんだろうね…」
しばらくしてポツリと衛が呟く。
「行って、追われて、逃げてさ。ただそれだけだし」
「そうでもないわ」
あおいは首を振った。
「少なくとも都市伝説が本物だって分かったし。それになにより…」
「きさらが」
「ええ」
最後に彼女を見た時、確かに上前津如月は生前と同じ姿をしていた。
真っ白な姿にも関わらず、空中に浮かんだ彼女は、あおいと衛がよく知っている姉のようだった。
「わかるんだけどさ。あの人、何やってんだろ。空から現れるし」
「それがきさらだものねぇ〜…」
ため息をつきながら答える。
実際、あの不可思議な姉ならやりかねない。異界へ取り込まれたはずなのに、しっかりきさらはきさらだった。
「どうして生き延びているのかわからないけれど、何か方法があるのよ」
「異界のサバイバルって?」
「うん。わたしたちのピンチにタイミングよく出てきたし。…最初からあの人は全部見ていたのかもしれない…」
「まさかそんな、って言いたいけど、きさらだからなあ」
「それから、まもるちゃんがちゃんとバインダーしてるのもわかった」
「なによ『ちゃんと』って」
「しっかりわたしを守ってくれたでしょ。まあ、散々走らされたし、最後はわたしが助けてあげた…けど…」
「う………」
恥ずかしい記憶がよみがえる。
それはとても甘美で、優しい感触だった…が、それゆえに恥ずかしさが減るわけでもない。
赤くなったふたりの会話が途切れた。
やがて、わざとらしい咳とともに、衛が言った。
「ノーカンだよね?」
「え」
「ノーカウント。『あれ』は。事故っていうことで…」
あおいの目が冷た〜くなる。
「…まもるちゃんって時々すっごくヒドいわよね…」
「そうかな? だって、あれは勢いというか…普通は両方の合意で行われるべきであって、」
「まもるちゃん」
「はい」
「まるでわたしが強制したみたいに言うのね。仮にも命の恩人に」
「あ、それ、わたしも入ってるんだけど?」
「合意ならいいってわけ? 唇を合わせるのは」
「いやそういう話では…」
「じゃあ『あっち』の方はどうなのよ」
「あっちって」
「ほらあの……け、けっけっ結婚の約束っ、とか…!」
いつもは「ごめんあそばせ」くらい平気で言う才女のくせに、今のあおいは沸騰したヤカンのようだ。
「あ〜、あの? あれはだって、幼稚園の時だし」
「小学校でも言ったもん!」
「今は華の女子高生じゃん〜」
「あ〜っも〜っひっど〜〜〜〜っ」
「わ、わかったわかった」
慌てて衛は降参した。ここで謝らなかったら、後が酷いことになる。
「ゴホン。…上前津あおいさん」
「なに」
「え〜と、その…そういう約束は、あの、まだ女子高生だからして…」
「『華の』」
「華の女子高生。がですよ、そういうのはまだ早いっていうか、もう少し時間が欲しいっていうか…ボカァそう思うなぁ」
「時間があればいいの?」
「う…そういうわけでも…」
「…まもるちゃんって、そういうとこ優柔不断よね…普段はシャキッとしてるくせに…」
「だって結婚とか考えるじゃない。体の関係もあるでしょ。そういうの早いじゃん」
「馬鹿ねえ」
あおいはため息をつき、
「そんなの中学生でもヤってるわよ。早い子なら小学生でも」
「しょっ…ええっ!?」
衛は飛び上がった。
「いつ?どこで?誰と?どこまで?」
物凄く真剣な表情でガシッとあおいの肩を掴む。
「一般論です。わたしはまだ」
「なんだ…」
「キスだって…あれが初めて…」
呟くあおいに、
「ん、なに?」
「なんでもないっ。まもるちゃんの無神経!」
「なんで怒るのよ〜」
困惑する衛。
その時、肩に置かれた衛の手に、あおいはハッとした。
「まもるちゃん…その手…」
「手?」
言われて、衛は自分の手を見た。
右手の甲にアザがある。
薄っすらと、青い模様の…。
いつの間に着いたのだろう。
「これ…きさらが握った手だ」
「ちょっと見せて」
衛の手を取り、指を滑らせる。
あおいの指の腹から、微妙な疼きが感じられた。
「この紋様…異界の傷跡かも…」
あおいが真剣な目で衛を見、手であちこち触った。額や顔を撫で、耳に触れ、うなじから胸、そして腹…。
「ちょっとちょっとくすぐったい」
「何か感じる? ここは? こっちは?」
何もないと分かって、あおいは安堵のため息をついた。
「どうしたっていうの」
「異界で着けられた傷は、異界を呼び寄せるの」
「えっ」
「向こうで何かに触ったり、叩かれたり、刺されたりしたら、そこが異界化して入り口へ引き寄せられる…」
「怖いこと言わないでよ」
「本当だもの。だけど、この手のアザは…ちょっと違うみたい」
あおいは独り合点に頷き、
「明日、つき合って欲しいところがあるの」
と言った。
***
翌日 ーーーー
あおいと衛は白い建物の前にいた。
門のプレートに【財団法人 三日月研究所】と書かれている。
窓のない、全てが真っ白なそのビルは、奇妙に存在感がなかった。
まるで今から空へ浮いて消える…とでもいうように。
あおいは、そこへためらわずに入っていった。
首から下げていたカードらしき物を出入り口のドアに当てると、スッと自動的に開く。
エントランスホールはがらんと広く、何もなかった。ここがどんな所か説明する案内板すらない。
衛は振り返って、さっきまで白いと思っていた壁が、実はマジックミラーであることに気がついた。向こうの通りがよく見える。
(なんだここは…)
普通ではないことは理解できる。
そんな所に、あおいはなぜ入れるのか。
「ーーー 上前津あおい」
名前を告げると、内部のドアがまたもスウッと開く。
そこを過ぎると、一転してゴージャスな空間になっていた。
マーブル模様の床と柱。高級ソファセット。壁に大型モニター。向こうの壁もマジックミラーで、中庭のイギリス風ガーデンが眺められる。
「やあ、あおいちゃん。久しぶり」
気さくな声がした。
白衣を着た背の高い青年がにこやかに近づいてくる。
短髪の薄い色の茶髪で、顔は童顔に近い。目尻が柔和で、どこか安心感を与える。
「『叫び岩』で試すっていうから、どうなるかと思ったけど…心配することはなかったみたいですね」
スッ、と自然にあおいの顎に触れる。そのまま顔を仰向かせ、じっくり眺めた。
衛はムッとするが、あおいはされるままになっている。
「ふむ…異変はないようです」
「あの、こちらが…」
「八坂衛さんですね。はじめまして」
嫌味のない笑み。
「…あんた誰?」
「ここの医療部門でカウンセリングを担当しています、永遠の24歳・綾野椎夏といいます。よろしくお願いします」
年上らしいのに、丁寧にお辞儀する。
「"永遠の24歳"?」
「ええ、永遠の。お忘れなきよう」
変な人だが、嫌な感じはしない。
「まもるちゃんの手なんですけど…」
「失礼」
衛が気づいた時には、手を取られていた。
(いつの間に)
予備動作がない。
不意打ちに近かった。
武術的に言えば、かなりの遣い手だ。
この痩せ細った青年のどこにそんな要素があるのか皆目わからないが、只者ではないらしい。
綾野は真剣な目で衛の右手の甲を見つめている。指先はギリギリ触らないところまで近づけていた。
「何か感じますか」
「感じるとは?」
「痛みとか、めまいとか、吐き気とか」
「いや」
「何か周りのものが少し歪んで見えたり、聴こえてくる音に雑音が混じるとか」
「ないです」
「ふむ…結論を出すのは早いですが、今のところ害はないようですね」
衛は不思議な感覚を覚えていた。
綾野の視線が、自分の手を突き抜けたように感じたのだ。
「後でおふたりとも検査させていただきますが、それほど深刻ではないと思います」
「検査?」
「ええ。異界から帰られた方は、うちの方で調べさせてもらっています」
「あの。ここって、なんなんですか?」
「『三日月財団研究所』」
綾野が微笑んだ。
「表向きは医療研究所となっていますが、本当は異界に関して調査するところなんです」
「ええ…?」
そんなSFみたいな所があるとは知らなかった。
「じゃあ、あの、あおいも? シフターだから?」
「もうご存知なんですね。ええ、あおいさんにはお世話になっています。もう少し正確に言うと、上前津如月さんの方が早いのですが」
綾野は「こちらへ」とふたりを促し、自分から廊下を歩き出した。
「わたしたちの研究所は世間に知られていません。異界というこの世にあらざるものを研究しているのですから当たり前といえば当たり前ですが、理解のない人たちに知られるわけにはいかないのです」
白衣のポケットに手を突っ込みながら説明する。その歩き方はどこか優雅で、衛は乙女ゲームのイケメンキャラを連想した。
「研究所の歴史は意外と古いんです。太平洋戦争前の、福来友吉博士の時から縁故がありますから、明治中期からになりますか」
「えっ、じゃあ、大正時代も?」
「ひそかにですけれど、ね。わたしたちの組織は非営利団体で、ボランティアに近いのです。この財団を支持してくださる方々からの寄付で運営されています。
古くは神隠しの現象を解明し、行方不明の人々を救うのが目的でした。今もそれは変わっていません。ですが…」
と、あおいを見、
「2000年代に入ってから【シフター】と【バインダー】という2つの性質が発見されました。科学が発達したおかげで、より精度の高いデータを扱えるようになってからです。
おそらくシフターもバインダーも古来より存在したと思います。それは巫女やシャーマンといった能力者に受け継がれ、この世の裏の出来事を読む力になりました。
…しかし、彼らは『魔女』と呼ばれるようになり、迫害の対象になりました。為政者にとって、権力の通じない者たちの存在は邪魔なのです。特に既存の宗教団体にはね。それに、大勢の無理解な大衆がいます。彼らの目には単なる奇形でしかありません。自然、理由なき迫害が起こりました。
それゆえ、わたしたちの財団はとても神経質になっているのです。権力の道具にならず、民衆の好奇心の的にならないためには、秘密にしておっくほかありません」
綾野は微かに肩をすくめた。
「あおいさんと如月さんは優秀なシフターとバインダーなのです。ぼくは、おふたりが類まれなる能力の持ち主だと思っています。特に、如月さんは…」
「きさらが、なんですか?」
衛の問いに、
「彼女はダブルではないかと」
「『ダブル』?」
「シフターとバインダーの2つの能力を持っているということですよ」
「それってすごいことなの?」
「この2つがあるなら、自由自在に異界を行き来できるのです。シフターは入れるけれど出られない。バインダーは入れないけれど出られる。誰も成し遂げられなかったことです」
「そう…だからきさらは異界へよく行っていた。わたしを伴って…」
あおいが顔を曇らせる。
「わたしたちは如月さんの力に望みを託しました。彼女の能力が解明できれば、異界へ消えた沢山の人々を救うことができます。ですが…彼女は5年前に消えてしまいました…」
「そして、あたしたちが昨日きさらに出会った、と」
「ですから、衛さん、あなたのその手の痕は重要かもしれないのですよ」
***
話し込んでいた3人が着いたのは、ある一室だった。
重い樫のドアが自然に開く。
内部は一見するとバーのように見えた。
紅いビロードの床と、黒い壁、光量を抑えたシャンデリア。奥には酒瓶の並んだ棚まである。黄昏色に染められた室内は大人びた雰囲気を醸し出していた。
「紹介します。こちらは三日月財団日本支部の部長を務められているフィオナ・ブレンダン・タチバナさんです」
綾野が重厚なデスクに座る女へ手を差し伸べる。
その女はバーテンダーのようだった。
純白のクレリック・シャツに黒の蝶ネクタイを締め、袖なしのラペルド・ベストを着ている。パンツは黒のストレート。磨き上げられた革のヒール。
顔立ちは日本人らしからず眉と目の間が狭く、鼻が高い。しかし肌の色は黄色人種に近かった。
一点だけ変わっているのは、黒の瞳の奥がチラチラと赤く燃えているように見えることだ。
フィオナ・タチバナ部長は綾野の紹介を聞きながら、じっくりとふたりを眺めていた。その顔にはなんの表情も表れていない。
綾野はあおいがメールで教えていた昨日の異界の冒険を詳しく説明した(ただし、幼い頃の約束やキスの件は知らなかった)。
底の底まで見通すような目に衛は内心たじろいだが、目を逸らそうとはしなかった。
「なるほど…興味深い」
フィオナは頷いた。
「大正時代というのも面白いが、きみたちがそれほどの危険を冒しながら無事に戻ってきたというのが重要だ」
明瞭な日本語で言う。言葉がハキハキして、アニメの声優が喋っているようだ。
「椎夏から聞いたと思うが、我々は異界の探索を担っている。なぜ人間が異界へ消えるのか、どうすれば連れ戻せるのか、それについて調べているのだ」
デスクから立ち上がり、ソファセットへ歩み寄る。三人へ座るように手で促しながら、
「何か飲むかい。モスコミュールはどうかな?」
「彼女たちは未成年ですよ」
「そうだった。ジンジャエールでよかろう。椎夏はジントニックかな」
「ぼくは下戸でして…」
「嘘をつくな。ウワバミのくせに」
綾野は否定しなかった。
フィオナは自身に合いそうな紅いカクテルを調合し、それぞれに飲み物を勧める。そして綾野の隣に座り、足を組んで、あおいたちに対した。
「それで、何を持ち帰ったんだい、あおい君は」
「これを」
と、あおいはバッグから2枚のレコードジャケットを取り出した。
フィオナが身を乗り出し、受け取る。
「ふむ…『カチューシャの唄』に『宵待草』か。大変貴重な物だ」
「君たちが大正時代へ行ったというのは、間違いないようですね」
「そりゃあもう。疑ってるわけ?」
「思い込みが多いのですよ、このような例には。過去へ行ったと思っていても、実際は現在だったという話は沢山あります。ですから、物証を持ってきていただくのです」
「普通にガメってるのかと思った…」
「まもるちゃん」
(後でお仕置きよ)という目であおいが微笑む。
「とはいえ、異界のブツであるからには、普通ではないのは確実だろうな」
フィオナの指が紙ジャケットを滑る。
「新品同様だ…しかし中身は本物らしい。調べてみればわかるが。…よし」
いつの間に用意したのか、札束を取り出していた。
「2枚で100万払おう。少ないが受け取ってくれ」
「ひゃ、ひゃくまん!?」
衛が仰天する。
「わたしたち、別にお金儲けのために…」
「分かっている。これは口止め料だ。君たちが冒した危険に比べれば誠に些少だが、それでも世間に公表されるのは避けたい。現金なのは銀行口座に記録を残さない用心だ。君たちが無欲なのは理解しているが、人間、こういうやり方が有効なのだ」
「はい。では…」
と、あおいは札束を受け取り、そのまま衛に渡した。
「まもるちゃんが預かって」
「え、困るよ」
「デート代だと思えばいいんじゃないですか」
ニコニコする綾野。
「え…」
「デ、デート…」
ふたりが口ごもる。
「お金は持っていて損はありませんよ」
「分かりやすいな、諸君は。もし…仮の話だが、君たちがシフターとバインダーとなって異界へ行った人たちを連れ戻すプロになってくれるなら、この金額は1桁増えると思ってくれたまえ。異界の危険を考えると、それでも安いとは思うが。
ま、その話はいずれ。
それより、このレコードを調べてみよう」
***
あおいたちは劇場のコンソール・ルームのような設備へ案内された。
そこは音響を調整するコントローラーを思わせる機械が並べられ、多数のモニターが壁に並べられている。
奥の壁は強化されたミラーグラスになっていて、その向こうにテーブル以外何もない空間があった。
レコードはそこへ持ち込まれ、様々なコードがゴチャゴチャ張り巡らされた盤に載せられる。
「おお〜、レコードかぁ。珍しいねえ」
研究員の女性が目を輝かせる。
「はあい、これを被って被って」
巨大なヘッドホンを手渡された。
「これは?」
衛の質問に研究員は、
「ノイズキャンセリング。まあ普通の機能もあるけど、一応異界のブツだから。何か影響があると困るでしょ」
コンソール・ルームから自動でレコードを回す。
異音を除去する特殊なスピーカーから歌が流れた。
♪…カァチュ〜シャかぁわぁい〜や、別れぇのぉつぅらぁさぁ…♪
どうということもない歌だ。
古臭く、情緒のある。
しかし研究員は真剣な顔で耳を傾けていた。何度も何度も再生する。
「どうもね、ここがキモなんだよね」
つまみを動かし、雑音を強調する。
ザザザ…
「ノイズに規則性を感じるんだ。それでフィルターを掛けてやると…」
《…ダークサイド ツアー … ラビット ホール … イイモリ …》
絡み合うノイズの間に、言葉が聴こえた。
「『ダークサイド・ツアー』って…あたしの配信サイトだ…」
衛が呆然と呟く。
「『ラビット・ホール』…『ウサギの穴』…それって遊園地の通称なんじゃ…」
あおいも呟いた。
「『イイモリ』は『飯森』…津久美の地名ですね。よく神隠しに遭うという…」
綾野が顎に手を当てて考える。
「で、何を意味するのだ?」
フィオナの言葉に研究員は、ニタリと笑った。
「メッセージだね、こりゃ。普通じゃ伝えられないからさ、異界のブツでは。誰かがレコードに仕込んで、あおいちゃんと衛くんに渡したんだ。歌でおびき寄せて」
「でも、なんの意味だか…」と衛。
「場所を指しているなら、そこへ行くしかないでしょ。たぶんそういう意味だと思う」
「きさらかしら」
「う〜ん…あるかも」
「八坂君の配信サイトは別にして、遊園地と森林は調査員を派遣した方がよさそうだ。それは我々が担当しよう。
君たちの任務はここまでだ。ご協力感謝する。気をつけて帰りなさい。気をつけて…な」
***
ふたりは綾野に見送られ、三日月研究所を後にした。
なんだか釈然としない。
異界へ行ったのは自分たちなのに、蚊帳の外へ置かれたようで。
「気をつけて、か」
二度も強調したフィオナの言葉が引っ掛かる。
「異界とはいつ繋がるか分からないから。注意しろっていう意味ね」
「何をどう注意すればいいんですかねえ」
衛が首を振る。
「あ、ところでお金…」
「それはまもるちゃんが持ってて」
「ダメだよ。これはあおいのでしょ」
「ううん、違うの。もし…もしわたしが異界へ消えたら、その時は探してくれるわね?」
「えっ…」
見つめ合った。
「もちろん、だけど」
「うん。それ聞いて安心した。だから、お金は支度金。まもるちゃんの方が使い途が分かると思うの」
「う〜ん…そういうことにしておくけど…」
「それから…」
歩きながら向かい合い、
「『あの約束』忘れないで、ね」
チュッ♪と軽く唇が鳴る。
「ーーーー さよならっ」
タタタ、と駆け去ってゆくあおいの背中を、衛は口を開けて見ていた…
◇◆◇◆◇
異界深度1【傷痕】
手の甲がズキリと疼く。
青い傷が。
なぜ、『彼女』がこれを着けたのか。
わかっている。
呼んでいるのだ。
自分のところへ来い、と…
罠なのか、誘いなのか。
それはわからない。
しかし、これだけは言える。
自分はまた異界へ行くだろうということが。
傷痕の疼きは、あそこへの郷愁となって、胸の疼きに変わる。
もしかすると自分は…
わからない。
その先を知っているのは、運命だけだ。
<了>
*あとがき*
『アンサング・デュエット』は2人のプレイヤー(もしくは1人のプレイヤーと1人のゲームマスター)で遊ぶ、協力型TRPG(テーブルトークRPG)です。
テーマは「異界へ潜り込んだ2人が力を合わせて脱出する」というもの。
異界には色々な姿があり、行くたびに違うワールドが広がっています。
上手くいけばよし、もし失敗したら異界へ取り込まれ、永遠に出られなくなります。
プレイヤーたちは仕掛けられた様々なトラップをくぐり抜けながら、互いを支え合います。
本編でも書かれているように「シフター」と「バインダー」という異なる性質を持っていて、それぞれ得意・不得意があります。
それをどう補うか、プレイヤーの機転や演技で盛り上げるという。
ルールはとても簡単なので、初心者でも遊びやすくなっています。ソロプレイも可能です。
ただし、プレイヤーの想像力が必要なので、そこで好みが分かれると思います。
このゲームは気の合う2人がゲームの世界にどっぷり浸りながら互いに演技をして、心ゆくまで楽しむものです。
2人なら男×女、女×女、男×男でも自由に組み合わせられます。
推しのキャラで異界を探索したい方には格好のゲームだと思います。
***
今回はこの「アンサング・デュエット」の舞台をお借りして、女の子二人組でプレイしてみました。
…が、肝心のガールズラブ要素はあまり上手くいかなくて…なんだか走り回るだけで終わってしまいました(汗。
自分的には百合はあまり似合わないのかもしれません。
たぶん、真正の百合好き(あるいはBL好き)か、カップリングが大好きという方ならかなり楽しい世界でしょう。
続きがあるような終わらせ方でしたが、続編があるか未知数です(笑。
***
ちなみに、凌雲閣は大正時代に実在した建物です。
大正のスカイツリーというか東京タワーというか、完成した当初はかなり賑わったようです。
残念ながら関東大震災で倒壊してしまい、わずかな資料しか残されていません。なので、内部の描写はほとんど当てずっぽうです。
また、『カチューシャの唄』と『宵待草』も実在するレコードです。
まだレコードが発明されたばかりの頃で、国産のレコードとしてもかなり珍しい物になります。
動画でも視聴できるので、一度聴いてみるのもお勧めです。なんとなく大正の雰囲気が伝わってきます。
今回は小説よりも大正時代を調べることが楽しかったです。(^^
***
最後までお読みいただきありがとうございました。