海から伸びた黒い触手が帝国の戦艦に巻きついている。
適当な目測だが太さ数メートル、長さ数十メートルにも及ぶ触手。あんな生物、俺は知らない。
それよりもだ。なぜ帝国軍は反撃しないのか? 触手にいいようにやられっぱなしだぞ。
「うっ」
「セルアさん!」
振り返るとセルアが膝をついていたので、俺も駆け寄る。
「どうした?」
「……わからぬ。あの音を聞いてから、体に力が……」
セルアはドラゴン
「どういうことだ?」
音響兵器? だがなぜセルアだけ?
「すごく異物の匂いが強くなりました。本命だからですね、黒瀬さん!」
河野さんがじっと触手を睨んで叫ぶように言う。
「……この感じ……そうだな。あれがここでの親玉だろう」
黒瀬も忌々しそうに見つめている。
「それって、あれか? ここから地球に変なのを送り込んでるという」
「はい! 異物どもの放つ匂いが強くなってます」
河野さんが持つ独自の嗅覚か。
「どうする? ひとまずここを離れたいが」
「ヒロア、可能なら今、アレを叩いておきたい。アレを放置して向こうへ帰っても……」
黒瀬の懇願。よしわかった。
「いいさ。でもどうやって? あれデカすぎるだろ」
すると黒瀬が虚空から淡く光る木刀を取り出す。
「これでアレの急所を突けばやれると思う。前にも似たようなのと戦ったことあるんだ」
フウジィ、そうなのか?
『その刀に込められてる権能なら大丈夫よぉ』
「わかった、黒瀬。でもどうやって水中に?」
「優子、移動を頼めるか?」
「ええ」
「いや、俺が転移で黒瀬を連れていく。優子、君はセルア達と残ってくれ」
海水なら電気を通しやすい。
「アレには私もお役に立てます!」
「河野さん? 君が?」
見た目通りの、ただの女子高生ってわけでもないだろうけど。
「あそこに私を連れていってもらえますか?」
「あ、ああ。いいけど。河野さん、本当にいいのか?」
「はい。あ、霧丘君、できれば目を瞑っててね?」
「え?」
びっくりしたように硬直した霧丘君に、河野さんは彼の手を取り、頭を下げる。
「霧丘君に見せたくないから……お願い」
可愛い子に上目遣いでお願いされて、ノーを言える男子は……まぁいないだろうね。
「わ、わかった。む、無茶はしないんだよな?」
「それはもちろん。ヒロアさん、お願いします」
「ヒロア、無理をするな」
「わかったよ。必ずセルアのとこへ戻るさ」
黒瀬、河野さんと一緒に港へ転移。近くで見ると触手の巨大さがより一層わかる。数隻の軍艦は触手に蹂躙されるがまま。
吹奏楽部が発狂して出鱈目に演奏しているような不協和音が一段と大きく鳴る。どうも触手が発しているようだ。
あちこちに兵士達が倒れていて、身動きひとつしていない。セルアと同じだ。
「それで河野さん、どうする?」
「私がアレを海中から引っ張り出します」
「どうやって?」
「あ! 制服破くとこだった。あぶないあぶない」
言うが早いか、河野さんは服を脱ぎ始めた。
「って、おおい!」
「わっ」
俺と黒瀬は顔を背ける。なんなんだ?
「ヒロアさん、これリュックに入れて預かってもらえますか?」
背中越しに渡されたのは、綺麗に畳まれた制服とスカートと下着、ソックスと靴。うはぁ。泳ぐみたいだけど、なんで全部脱ぐんだろう。
「わ、わかったけど」
背嚢にそれを突っ込んでいると河野さんの声が───ずっと上の方から聞こえてきた。
「じゃ行ってきます」
不意に大きな影がさす。振り向いた俺達の前には、巨大な肌色の柱が二本。人間の足!
見上げるとロングヘアの背中、お、おお、全裸の巨人! 河野さん?!
「お、おい黒瀬」
「……俺も初めて見た」
五階建てのビルより背が高い。巨大化した彼女が海へ飛び込むと、巨大な水飛沫が上がる。壮観だな。
「なんかすげぇな」
「ああ」
触手の動きが変わった。戦艦に巻きつくのをやめ、海中へと引っ込んでいく。
すると海が大きく盛り上がり、まず河野さんが顔を出した。
「そっちへ行きます!」
低めで大音量の声に思わず耳を塞ぐ。彼女は岸壁へと近づき、抱えたモノを引っこ抜くように持ち上げた。
これまた巨大な……シルエットはまるで海蜘蛛だ。蟹に似た胴体から放射状に伸びた何本もの触手。それらを河野さんの首や腕に巻きつけ抵抗している。
一方で河野さんの胸の辺りに裂け目があって、そこから白い、蜘蛛の巣を太くしたようなネットが海蜘蛛に絡みついている。ありゃなんだ?
「あれは河野の消化器官なんだ」
黒瀬が教えてくれた。彼女も負けてないわけだ。
マンションぐらいの大きさがある河野さんの背中が、大きな波を立てながら近づいてきた。
俺と黒瀬は走って退避、そして身構える。
「行きます!」
河野さんの掛け声とともに海蜘蛛は宙へ放り投げられ、そのまま湿った音を立てて地面へと叩きつけられた。しかし触手を出鱈目に振り回し、海へ戻ろうと必死だ。
「黒瀬っ! もっと離れよう」
「おう」
感電のリスク避けに海蜘蛛から距離を取った俺は、落雷クラスの雷撃魔導を撃つ。
フウジィの肩代わり無しじゃ絶対撃てない威力。
目も眩む白い雷光、耳をつんざく轟音。ううっ! 耳を塞ぐの忘れたっ!
焦げた匂いが充満し、海蜘蛛は動きを止めた。
黒瀬が走る。手にした木刀の輝きが増して長く伸び始めた。
それを棒高跳びの要領で海蜘蛛の腹あたりに突き立てると、視界は閃光に包まれ、反射的に瞼を閉じた。
目を開けると黒瀬がこっちを向いて笑っていた。
海蜘蛛がいた場所には、真っ黒な砂山ができていた。あれ? ヤツがああなった?
「これで大丈夫」
黒瀬が歩いてきた。
「やったな』
「良かったです」
大きな声がした方をつい見てしまい、ありえない大きさの胸から慌てて目を逸らす。
「早く元に戻って服を着てくれ!」
あ、彼女の服は俺が持ってたか。巨大なものが海から上がる音、大量の水が滴る音がしたかと思うと、背後から足音が近づいてきた。
「シャワー浴びたいです」
「ここの海、ドブ臭いよな。よし河野さん、川へ転移するから」
俺達が拠点にしている丘より奥の方に、水汲み場として使った小川がある。
そこへ転移して河野さんには水浴びをしてもらった。
「おい黒瀬、彼女はすごいな」
「ああ。前に話したろう? 宇宙から来た子が母親になる」
「あー。恒点観測体だったか」
「人の遺伝子に色々なものを盛り込んで、単体であらゆる敵を捕食して始末できるようになってる」
「怪獣でも相手にしてるのか?」
「一回だけ戦ったことあるな」
そう言うと黒瀬の目が少し翳る。何か辛いことがあったっぽいな……。
「そうか。これでこっちから送り込まれる尖兵は心配ないんだな?」
「アレ放つ気配からして本命だと思う」
隣の大陸から来たと思われる海蜘蛛。黒瀬達とここ沿岸都市マルハスで集めた情報を合わせると、隣の大陸に住むのは化け物だらけ。魔窟になってるのは確実だ。
帝国はどうするつもりか知らんが、よほどの見返りがないと割に合わない進出だな。
ま、好きにすればいい。俺とセルアには関係がない。
「お待たせしました。ヒロアさん、タオルありがとうございます」
「髪の毛、濡れているけどいいの?」
「そのうち乾きます」
そう答える河野さんと一緒にセルア達のところへ戻る。笑顔で出迎えてくれたセルアと優子。霧丘君は赤い顔して下を向いた。
ははーん。河野さんの裸を見たんだな? その気持ち、わかるぞ少年。
思春期の男子はそれでいい。