東方二次SS ふたつのいろ Lyric restriction 〜永〜 作:赤井せりか
◇
身体をぴったりと重ね、お互いに右頬を寄せ合う魔理沙と霊夢。ふたりの胸の鼓動が右の胸に伝わってくる。―――どくんどくん。霊夢の鼓動は魔理沙よりも速く、大きい。
霊夢に抱き締められたまま、魔理沙は視線を右へ送る。見えるのは霊夢の艷やかな黒髪と大きな赤いリボンだけ。霊夢がどんな表情をしているかは、見えない。
「―――そうね、あれは偽りの月ね」
魔理沙の肩に顔を埋めたまま霊夢は答える。
「だから、異変を終わらせなきゃね。わたしと魔理沙のふたりで」
「ああ―――」
「けど、
そう言う霊夢に魔理沙は答えず、半眼で偽月を見上げた。
夏の夜に相応しい大きな満月。しかし、あの満月は本物では無い。本物の月から幻想郷を隠すために敷かれた結界、その此方側に八意永琳が喚び出した、太古の月だ。あれが空にある限り、真の月が幻想郷を照らすことはない。
「―――ただそれだけだもの、それで良いじゃない」
魔理沙の思考を読んだように、霊夢が囁く。空を見上げた魔理沙とは対照的に、いまだその顔を魔理沙の肩に埋めたまま。
「だいたい何時から夜は明けなくなっていたかしら? 何か不具合はあった? お月見がずっと出来て楽しいって思わなかった? ねえ魔理沙。この夜に、あの月の下で、こうやってふたりがやっと繋がったんですもの、もう少しだけこうしてたって、悪い事では無いじゃない?」
「………」
―――ああ、もういっそこのまま霊夢を抱きしめてしまえたら。
そんな想いが―――、否、そんな
魔理沙は左手で帽子を目深にかぶり直すことで湧き上がる
考えを止めるな。
衝動に飲み込まれないよう、魔理沙は自分に言い聞かせ、問い聞かせる。
あの偽月が幻想郷にもたらすもの、それは―――狂気だ。
真の月光が持つ狂気など比べ物にならない程の狂気を、あの
本来ならば夜明けまでの月の代替品。真の月から幻想郷を隠す役目だと、八意永琳は言っていた。それが本当ならば、あの偽月は夜明けとともにあの太古の月も遠い過去へと沈むはずだ。
その間、抵抗力の低い人間は多少
そうなったとて、夜が明け、太陽が昇り、朝を迎えれば、また何事もなかったように一日が始まる。
昨日の月のことなんかすっかり忘れているかもしれない。
ほんの一夜の、夏の夜の夢として。
しかし。
偽月を見上げる。霊夢の言う通りあの偽月はもうどれくらいあの天の頂にあるのだろうか。どれだけの間、夜が続いているのだろうか。
実際のところ魔理沙にもそれがわからなくなってきていた。……偽月の影響だ。このまま行けばこの夜に疑問など持たなくなるだろう。
誰も彼もが、事の重大さに気付いていない。否、それこそが狂気の仕業なのかもしれない。
このままでは全てが狂ってしまう。
人も魔も妖も、朝も昼も無く、夜と狂気の支配する幻想郷。……最も、蓬莱人や吸血姫あたりは
四季の巡りなど無い。だって夜が明けないのだから。そう、花も咲かず、鳥も夜目で飛ばず、ただ夜風と偽月が支配する異変の世界。
それは果たして幻想郷と呼べるのか?
そうして終わらない夜を享受し続ける。
偽月の狂気に侵されて。
異変も、何もかも、全てを忘れて。
果たしてその時に何が残るのか―――。
…………。
……。
(待てよ?)
思考の果て、魔理沙はある事に気が付いた。
(―――いや、そうだ、そうだぜ。
もしかしたらそれは魔理沙の勘違いかもしれない。杞憂であるかもしれない。
しかし、しかしだ。もし魔理沙の予想が正しかったとしたら―――、
ああ、そうだぜ。忘れていた。
これは、この夜は異変だ。
そんな夜に、異変を他所に霊夢とランデヴー?
その異変を解決せずしてわたしはわたしを霧雨魔理沙と呼べるのか?
答えは―――、
「このままで良いなんてワケない。このままじゃあ、ダメだ。
だからな、霊夢」
霊夢の肩を軽く抱くように手を置き、魔理沙はキッパリと言い放った。
「―――答えは
◇
数秒の間ののち、霊夢は何も言わず魔理沙の肩から顔を上げると―――、
とんっ。
魔理沙の右肩を小さく突いた。
たいした強さでは無かったが、不意のことに魔理沙は数歩たたらを踏み後ずさる。
「―――っと!?」
「ねえ魔理沙」
魔理沙がバランスを崩している間に、くるりとこちらに背を向けた霊夢が一歩、遠ざかりながら魔理沙に問いかける。
「―――ひとつ聞きたいのだけれども」
ゆっくりと、しかし一歩ずつ確実に霊夢は霊夢は魔理沙から離れてゆく。
踏み出して手を伸ばせば届くはずなのに。
先程までふたり抱きしめあえる距離にいたというのに。
その一歩一歩が魔理沙には果てしなく遠く感じられた。
そんな魔理沙を他所に、歩きながら霊夢は言葉を続ける。
「あなたがあなたらしくってのはどういうことなのかしら?」
「それは―――」
(思考を読まれている―――?)
「魔理沙の考えていることなんか全てお見通しよ?」
ふふ、と霊夢の微かに笑う気配が見えた。
目の間にいるのは本当にいつもの霊夢なのか、魔理沙にはそれすらも自信が無くなっていく。
「……まるでサトリだな」
「あら。そんな妖怪、
「
言って、ヒョイと肩を竦める。
「それはさておき、よ。何故、魔理沙の考えてる事がわかるか。それはね魔理沙。それは私が博麗の巫女だからよ?」
「……バカな、博麗の巫女は全知全能だとでも言うのか?」
魔理沙の問いに足を止める霊夢。
「……そうね、バカな話よね。冗談よ」
「冗談なのかよ」
「ええ冗談よ」
魔理沙は霊夢の背中をじっと見つめる。
霊夢は、振り向かない。
「ホントはとっても
背を向けたまま、空を見上げる。その視線の先は偽月だろう。
今、霊夢はどんな顔をしているのだろうか。
怒っているのか、泣いているのか、笑っているのか、それとも何も表情を浮かべていないのか。
魔理沙にはわからなった。
声色からも何も読み取ることは出来ない。
それでも魔理沙は言葉の続きを待つ。
「私にはね、魔理沙の考えることなんか手に取るようにわかるの。あなたの声色、体温、顔色、気配。すべてから伝わってくる。
魔理沙の想いが。
だって私は魔理沙を―――」
風が一際強く吹き、竹林全体が大きく揺れ、ざあっと鳴いた。
風の声に霊夢の言葉はかき消され、魔理沙には届かない。
帽子を目深に伏せ、首を振る魔理沙。
「霊夢―――」
ざあっ。
魔理沙の答えもまた、風に散る。
やがて風は止み、再び竹林に静寂が戻ると、魔理沙は帽子を持ち上げた。
同時に、霊夢がこちらを振り向いた。
ふたりの距離はおおよそ10歩。
「私とふたりきりのこの夜を、魔理沙は拒絶するのね」
「―――ああ」
霊夢の顔を見た時、魔理沙は胸が締め付けられるような思いだった。
―――ああ霊夢。
お前のそんな顔は―――。
博麗霊夢は笑っていた。
その両目からは大粒の涙と、狂気を孕んだ赤い光を溢しながら。
出来ることなら駆けつけて抱き締めてやりたかった。
全てを捨てて、霊夢と共にここから遠くへ逃げたかった。
偽月の光も、異変からも、博麗の神社からも、逃げ出して。
誰も知らない土地で、霊夢とふたりで―――。
―――ずきん。
魔理沙の右の眼底が強く痛む。
「がっ!?」
右眼を押さえる手のひらが、じわりと濡れる。
魔理沙もまた、右目から涙を流していた。
「ちっ………」
幸いにも痛みで意識がハッキリとした。
霊夢と一緒にここから逃げるなんてバカな考えは綺麗サッパリ霧散している。
だがそれも一時のこと。
偽月の光は思っているよりも深く、魔理沙を蝕んでいる。もう時間がない。水をコップに注げばいつかは溢れてしまうように、魔理沙もいつかは狂気に溺れてしまうだろう。
いつまで耐えられるかなど、魔理沙自身も見当がつかなかった。
だから、
「私も本気で霊夢を止めるぜ。いいな?」
もう出し惜しみなしの全力でいくしかない。
「あはっ、魔理沙が! 私を!?」
霊夢は嗤う。
音もなくふわりと浮き上がる。
「普通の魔法使いであるあなたが!?」
笑いながら、
「この、博麗の巫女である私を!!?」
泣きながら。
そうして現れたときのように、霊夢は再び偽りの満月を背に、魔理沙を見下ろす。
見上げる魔理沙からは、霊夢がまるで偽月の中心にいるかのように見えた。
逆光で霊夢の表情は見えない。
ただ、赤く光るふたつの瞳だけが魔理沙を射抜いていた。
霊力が爆発的に膨れ上がる。霊夢の周囲の空間が歪み、背後に方陣が現れる。
「―――嗚呼、其れ為らば。霧雨魔理沙」
感情の無い、厳かな声。
霊夢が両腕を広げた。
その袖口から、
―――はらり。
御札が落ちる。
と、
ぱさりぱさり
一枚、また一枚と御札は袖から零れ―――、
ばさばさばさばさばさばさばさっ!!
堰を切ったように、大量の御札が霊夢の袖から零れ落ちた。その数、およそ数百枚。いや、千枚を越しているかもしれない。
全ての御札が地面に落ちることなく空中に留まり、ゆっくりと霊夢の周囲に展開していく。その並びは決して無秩序では無い。
それは―――、
「―――
続。