東方二次SS ふたつのいろ Lyric restriction 〜永〜 作:赤井せりか
荒れ狂う弾幕の中、それとは対照的に落ち着いた仕草でアリスは左手でスペルカードを胸の前に掲げた。
その左手の薬指にはめられた指輪。
そこにあった石は砕けてしまったが、指輪は残っている。
指輪の贈り主、魔理沙の顔がよぎった。
魔理沙なら―――、最後の一瞬まで自分を信じて笑っているだろう。
眩しい笑顔。時には私のことをからかってきてちょっとイラッとすることもあるけれど、けれど―――、私に力を与えてくれるかけがいのない笑顔。
服を、髪の先を焦がす程の藤原妹紅の霊力にも動じる事なく、アリスは目を閉じた。
己の奥底にある根源、幻想回路に魔力を集中する。
そこには畏れはない。
ただ、目の前の相手を撃ち倒すだけ。それだけを考えて。
閉じていた目をゆっくりと開ける。その視線の先に藤原妹紅をしっかりと捉えて。
薄桃色の唇が、吐息を漏らす。吐息にすら魔力が籠る。
静かに、厳かに。
力ある言葉でアリスはスペルカードの宣言を始めた。
「―――咒詛」
アリスの力ある言葉に呼応するように光り輝くカード。
その光とともに四体の人形が、スペルカードよりもやや高い位置に左右人形それぞれ一体ずつ、残りの二体はスペルカードの下方に少し間を開けて並ぶ様に召喚された。
いずれも人形同士もスペルカードからも等間隔に配置している。
そして。
もう一体―――、人形が
その人形はちょうどスペルカードの真上で、
―――ぎぃ。
軋む音。
ロープ、だ。
アリスの眼前に落ちてきた人形の頸にぐるりと巻き付いたそれは空中から伸び、
―――ぎし、ぎし。
力なく垂れ下がる人形をさながら首吊り死体の様に吊るしていた。
が、アリスはそれに驚くことは無い。
この人形こそがこのスペルカードそのものを表しているからだ。
(―――明けることの無い永い夜。
偽りの月が照らす下、長く続いたこの弾幕ごっこを終わらせるために―――)
七色の人形遣いアリス・マーガトロイドは、その名を告げた。
「―――『首吊り蓬莱人形』―――」
◇
◇
己のスペルカードを展開、制御しながら、藤原妹紅は相対する偉大なる魔法使いが宣言したスペルカード名をはっきりと聴いた。
「……『蓬莱人形』……―だと?」
奇しくも自身が今展開しているスペルカードと同名のスペルカード。
―――つくづく
藤原妹紅は笑う。
―――ああ、つまらぬと思っていた永い夜に、こんなにも楽しい事があっただなんて。
宣言と共に首を吊られた人形、―――首吊り蓬莱人形は顔を上げ、ギョロリと藤原妹紅を見た。
残りの四体も一斉に顔を上げ、ギョロリと藤原妹紅を見た。
五体の人形と目が合った。
それはまるで―――、深淵を見つめているような、深淵から見つめ返されているようなそんな禍々しくも吸い込まれるような昏さだった。
それはまるで―――、己を見つめているような、水面に映った己から見つめ返されているようなそんな馬鹿馬鹿しくも滑稽さだった。
五体の人形の魔力が爆発的に膨れ上がった。
五体の人形の向こう、自分を真っ直ぐ見つめるアリスと目が合う。
弾幕の嵐の最中、絶体絶命の時にアリスは―――、
その瞬間、藤原妹紅は不可解な感覚を覚えた。
それは―――。
ぞくり。
炎翼を背負っている筈の彼女の背筋が冷たくなる。
途端に抑えきれない感情が声となって溢れた。
「うわあああああッッッッ!!!」
顔を引き攣らせ、身を捩り、腕を振るい、
これ以上、勝負を長引かせてはいけない。
これ以上、
もう、こんな所には―――、
こんなモノを―――、
相手にしていたくない。
アリスに宿っているもの、根本的に藤原妹紅が理解し得ないもの。
最期の一瞬まで生きる事を諦めない、生への執着。
負ける事から逃げない、勝ちへの執着。
己を信じる、今への執着。
全て、藤原妹紅が不死身になってから遠の昔に忘れ去っていたもの。
―――
◇
藤原妹紅の『蓬莱人形』によって形成されている弾幕領域が一気に収束するのを、蓬莱山輝夜はじっと見つめていた。
スペルカード『蓬莱人形』の最高にして最終の弾幕密度だ。その領域内に閉じ込められた対象はもう何処へも流れる事は出来ない。後は完全に収束し切り、燃え尽きるのを待つのみ。
輝夜は思った。
―――
例え燃え尽きたとしても。
例え灰と塵となったとしても。
私ならば
『蓬莱人形』が妹紅の最後のスペルカードだから、
もうそこで勝負は終わり―――。
けれども。
今、彼処にいるのはアリスだ。
アリスは自分とは違う。不死身では無いのだから。
「―――
目を伏せる。
その目の端からはらはらと涙が溢れる。
そして―――、
◇
瞬間、レミリア・スカーレットは
人形遣いが被弾するその瞬間。収束していく蓬莱人の弾幕のとは逆に、爆発的に拡散していく弾幕が彼女が召喚した五体の人形から解放されるのを。
勿論、それで藤原妹紅の弾幕領域を全て打ち消す事は出来ない。
だが一瞬、藤原妹紅の弾幕の収束が止まった。
次の一瞬、五体の人形は拡散爆発する弾幕を止めた。
その一瞬で、すべては事足りた。
その一瞬の中で、ゆるりと人形遣いが左手を前へと突き出す。
人形たちが再び光に包まれる。
小さく息を吐き、右手で乱れた髪をかき上げる。
一瞬が、
レミリア・スカーレットは己の目を疑った。
(
だがレミリア・スカーレットが視ているのは紛れも無い現実だった。普通に見ていたならば一瞬の出来事であったろう。だが今、レミリア・スカーレットが
―――すぐさま思い当たる。
(―――決死結界か!)
人形遣い、否、アリス・マーガトロイドは全てが終わる最期の一瞬で、完全なる決死結界を発動させていたのだ。
思わず声が漏れそうになった。それは驚嘆か、或いは畏怖か。
が、吸血皇女は飲み込む。
そんなものを発してはならぬ。
それは吸血皇女たる矜持。
レミリア・スカーレットは夜の王だ。王たればこその言葉でなければならぬ。
決して、ああ、そうでなければならないのだ。
ならば―――。
レミリア・スカーレットが見守る中、決死結界を纏ったアリス・マーガトロイドは力ある言葉を続けて紡いだ。
「―――『蓬莱人形』―――」
目映いばかりの光条が五体の人形から放たれ―――、爆炎の弾幕領域を、夜の闇を、藤原妹紅を、全てを撃ち貫いていた。
その美しいまでに鮮烈なアリス・マーガトロイドの生命の輝きに、レミリア・スカーレットは一言、抑えきれぬ言葉を零していた。
「―――見事なり」
◇
アリスは全身から力が抜け、幻想回路から魔力が失われていくのを感じ、慌てて気を入れ直した。コントロールを失うと落下してしまいそうになる。まだ、まだた、またま気を抜いてはいけない。
ぐっと歯を食いしばるアリス。
目の前のスペルカードは光の塵となり消え失せ、召喚していた人形もまた消える。
アリスを包んでいた藤原妹紅の弾幕も消え、周囲には夜の闇と偽月の光が戻る。
「やった―――のかしら?」
ふと目を上げれば、アリスの正面にはうなだれている藤原妹紅の姿があった。
藤原妹紅のスペルカードもひび割れ、砕け散って光の塵となる。
白髪の少女の纏う炎翼は最早僅か小さく、全身ボロボロの姿だ。
「―――ははッ」
肩を揺らし嗤う炎翼白髪の少女。
うなだれたまま右手を挙げた。
「ああ……最後の一撃、ありゃあ凄かったよ」
警戒は絶やさず、アリスは応える。
「どう、いたしまして……」
「……そう、身構えるな。さっき言ったろ? 私の最後のスペルカードだと……」
そう言って挙げた右手をヒラヒラと振る。
「もう復活もしやしないさ。真剣勝負、お前と私の弾幕ごっこはこれでお終いだよ。
つまりはこういう事だ―――」
続けて左手も挙げる。
うなだれていた首を重々しくもたげ、挙げた両方の手をヒラヒラと振ると炎翼白髪の少女は顔を笑みの形に歪めて言った。
「私の負けだ。完敗だよ、偉大なる魔法使いアリス・マーガトロイド」
炎翼が消える。ぐらり、傾いだ躰が力を失い落下を始めた。
あっ、と手を伸ばすがあまりに遠い。
落ちる。そう思った瞬間だった。
地上から高速で飛来した何者かが白髪の少女の身体を優しく抱き留めた。
「……妹紅……大丈夫か?」
頭に一対の角を生やした、ワーハクタクの少女、上白沢慧音だった。
アリスはそれを見てホッと胸を撫で下ろすと同時に伸ばした手を引いた。
アリスは勝者であり、藤原妹紅は敗者である。
勝者が敗者にかける情など無用だと。
それならば。
アリスは乱れた髪をかき上げ、両腕を組んで満面の笑みを浮かべた。
「―――私の勝ち、ね!」
◇
「終わったようね」
振り返りもせず、矢をつがえたままの体勢で八意永琳は言う。
「八雲紫、続きを聞かせてもらうわよ」
己に向けられる殺気に、嗤う八雲紫。
「ふふ……そうね。もうそろそろ充分だしね」
「充分?」
「そう、太古の月がもたらす狂気が、幻想郷を真奥まで犯していくまでに」
「結局はそれが望み? 時間稼ぎだったということね。今宵の巫山戯た茶番全ては」
溜息をつく八意永琳。
「それならば、貴女をさっさと射貫いて、この永夜を終わらせるだけの話よ。そうして偽月を太古へと送り返して全てを元通りにする」
「そうね。ならば撃ち抜きなさいな、その銀の矢でこの大罪たる私を」
それすらも望むとばかりに己の胸を指す八雲紫に、八意永琳はそれまで抱いていた疑問を口にした。
「不可解な事は―――、貴女が引き起こしたこの永夜を終わらせまいとするのと同時に、終わらせる事を望んでいるかのように振る舞っていることだわ」
「だから言ったじゃない? すべては繋がっている、と」
「……」
「私が引き起こした今回の永夜抄、それは全て手段に過ぎないのよ。太古の偽月を空に留め、幻想郷に狂気を振り撒く。
「だとすると」
八意永琳の、矢をつがえる指に力が籠る。
「八雲紫、貴女の真の目的はこの後に起こる、と」
「ええ。狂気は幻想郷のすべてに等しくもたらされる。人間も妖怪も魔法使いも大地も空気も自然も。現界も冥界も全部ぜーんぶよ!」
「……何が言いたい?」
八意永琳の問いに、深層の大賢者は大仰に両腕を広げ天を仰いだ。
その瞳には、狂気の輝きがある事を八意永琳は見逃さなかった。
「だ・と・し・た・ら? 全ての境界は狂気に狂わされ、その境界を失い―――」
アッハハ、と哄笑する八雲紫。
「消滅するわ。私も狂気に囚われていないとでも思った? 考えもしなかった? 幻想郷の造り手であるこの八雲紫が狂気に囚われて全てを討ち滅ぼそうとしていた事を!」
―――これ以上の問答は不要だ。
結論、八雲紫は狂って―――、否、壊れている。
ならば止めねばならない。
今ならまだ間に合うかもしれない。
八意永琳が銀の矢を―――、
放とうとした、
その瞬間だった。
八意永琳がその指から銀の矢を放つよりも疾く。
無数の―――、
否、
続く。