「君、いい匂いがするね。もっと君とお話ししたいかも、葉山悠馬クン」
なぜ僕の名前を知っているのだろうか。数ある可能性を考えてみて、彼女が僕の名前を知る機会がないとは限らなかった。しかし彼女の透き通った蒼い瞳に射抜かれている限りは正常な思考ができないことが分かった。
今僕たちは彼女が僕の肩を引いたため、互いに見つめあっていた。彼女は不気味に口角を上げていたし、僕は彼女の目を見るしかなかった。
「君ってすごく不思議だよね。私に何の興味も抱かずに、淡々と日々を消化しようとする姿勢。休み時間に私の経歴を横目に本をのうのうと読んでいた。自分で言うのは恥ずかしいけど、こーんなにかわいい志希ちゃんが同じクラスに来たのに浮足立たずに、黙々と堅実な生活を過ごしている。まるで中堅社会人って感じだよねー」
この女の言っていることがとにかく憎く感じた。その通りだと思ったし、この女を無視してやろうとも思った。
しかしここは黙秘不動を選んだ。ここでしゃべれば自分や彼女が危うくなると持ったからだ。
「ねえ、君は何が好き?ピザ?ケーキ?私、あなたと一緒ならもっと面白いことになる気がするんだー♪」
ここにきて僕が彼女に置いてけぼりにされていることに気付いた。もちろん会話のほうで。
「僕は一ノ瀬さんのことは何も知らないんです。それで面白いことといわれても僕は何をすればいいかわかりませんよ」
「あっ、それもそうだねー♪あと敬語はいいよー。同い年なんだし♪」
「わかった。ここじゃなんだからファミレスかどっかに行こう。周りを見てみろ」
「へ?」
周りにはいつもは目も合わせてくれないクラスメイトが僕たちを見ていた。
僕たちは急いで校門を通った。
彼らのある目線を背中に受けながら。
「それで一ノ瀬さんは何をしたいんだ?」
「まだ何も考えてにゃーい♪」
本当に何をしたいんだろうか。
ファミレスではタバスコがたっぷりかけられたピザをおいしそうに食べている一ノ瀬さんは踊るように言葉を紡ぐ。ほんとに好きなんだな、そのピザ。僕は絶対に食べないぞ。
「なぜ僕は君に選ばれたんだ?選ぶなら一ノ瀬さんを囲ってたあの人たちのほうが楽しそうだぞ」
楽しくするなら彼らほど慣れていて、適している人材はいない。
「あの人たちからはきついにおいがするの。それも刺激臭に近いにおいがする。彼らには私に近づいてほしくない。それよりも...私君に興味があるんだー♪君すごくいい匂いがするし。」
どうやら彼女はにおいに敏感なようだ。においで人を判断できる程度には嗅覚に自信があるらしい。
「いい匂いってどんな?」
「優しくて包んでくれるような、でもちょっとした刺激もあるような、そんな感じ~♪」
何を言ってるのかさっぱりわからなかった。やはりIQが20も違うと話が通じなくなってしまうというのは本当だったのか。そもそもその匂いが僕に分からない時点で聞くのは間違っていたんだ。
「私は実験が好きなんだ!君も私が作った薬飲んでみる~?トリップしてみにゃない?」
「その薬絶対に何かしらの法に触れてる気がするよ...。」
会話のペースがつかめなかった。主導権は彼女にあるといっても過言ではない。否、そうである。
「君、話してて面白いね♪必死についてきてる感じがカワイイかも♪」
この人には嘘がつけない感じがする。
つかみどころがなくて、こっちに話をさせない。何かをかばうようにも感じるが、多分気のせいだろう。
「僕、めんどくさいことは嫌いなんですよ。一ノ瀬さんは面白いかもしれませんが、一ノ瀬さんは注目されるから、一緒にいるとこっちまで注目されるかもしれないんです。それがどうも怖くてたまんないんですよ」
「じゃあ私に付き合ってくれるってことで。安心して♪そんなことが気にならなくなるくらい、夢中にさせてあげる♪」
話聞いてたのか、こいつ。
「じゃあ楽しくさせる代わりに...」
手で何かをつかむ動作を両手でしながら向かいの席から回り込んで近づいてくる一ノ瀬さん。
「な、なにを...」
「ハスハスさせろー!」
「うわああああ!」
いきなり胸にくっついてきてにおいをかいできた。
「やっぱり癖になるいい匂いだね!ずっと嗅いでいたいぐらいだよ!」
「いきなり胸に飛び込んでくるな!」
僕は彼女を引きはがした。これ以上はいけない。
「にゃはは、私匂いフェチなんだよね。ハスハス~♪」
それでも僕の顔に近づけて、においをかぐ一ノ瀬さん。
彼女の比較的整ってる顔がまじかにあるのだ。
「ちょ、離れろ!」
「あー、はがされちゃった...」
彼女の肩を押してはがす。これ以上周りの目線を浴びたくないんだ。もうこれでもかというほど目立っている。
「ということで明日からよろしくね、悠馬くん♪」
それが新しい日常の引き金の音だったとは、思ってはいたけどやはりつらいと思っていた。