スケバン憑依おじさん 作:百合豚丼
栗浜アケミは夢中になっていた。
第一印象は良くなかった。自分の可愛い舎弟達をボコボコにしたそのスケバン風の少女に対して、姐御として相応の怒りを抱かされた。
その次にやたらと美人だ美人だと囃し立てられて、その言葉に悪意の類が感じられずに困惑した。
規則や校則に従わず、気に入らない者や敵対する者は片っ端から己の腕っ節で叩き潰してきたアケミは幾多もの実戦経験で培われた感覚で、相手の思いを薄らぼんやりとだが感じ取れる。
純粋な感想として、目の前の少女は自分を美人だと思ってくれている。
そんな純粋な気持ちを向けられては彼女としても敵意を抱きにくい。
そこに自分が投げ付けた軽自動車に激突しそうになったのを助けられた事も加わり、アケミの少女に対する認識はぐちゃぐちゃなものとなり興味関心だけが不可逆的に高まっていく。
「ふぅ……ッ!」
ブロック塀を背後にしている所へ撃ち込んだ拳はひらりと躱され、自身の怪力によって深く深く押し込まれる。
掠りでもすれば相手にかなりの苦痛を与え、直撃させれば一撃でダウンを奪い取ることも可能な彼女の拳は避けられてしまうと途端に、射撃後の弾丸と同じく制御不能で突っ込んでいってしまう。
今回もそう。ブロック塀に深くめり込んだ拳は勢いが死ぬまで止まることを知らず、彼女に挑む老練な少女の一撃をまともに食らう用意を整えさせてしまう。
「がっ?!」
突き刺さっている腕に両手を掛けて素早くよじ登ると、そのまま背後へ回り込まれて膝裏を押されバランスを崩される。
なんてことのない普通の膝カックンだが、背後に回り込む方法が普通に回り込むのとは異なる方法であり驚いたアケミは少女を見失ってしまっていた。
その間肉体は後方へと倒れ込んでおり、そこに少女が追撃。
顔面に手を添えて、アケミが倒れる勢いに彼女が押す力を加えることで勢いを増して後頭部を地面へと叩き付ける。
「ッ!!〜ー!!」
弾丸を受けるのとはまた違う痛み。視界がチカチカと明滅して定まらず、少女に覗き込まれていると視認するのに時間がかかった。
ダメージはあるが、それでも常人に同じ行為をした場合とは立ち直る速度も受けているダメージも比較にならない。
「このっ」
起き上がりざまに掴みかかるが触れることは出来ない。読んでいたとばかりにふわりと後方へ飛び下がられてしまい、掴もうとして伸ばした腕は虚しく空を切る。
ならばと間合いを詰めて抱き締めるように捕らえようとしたが、そこへ手痛い追撃が放たれた。
少女自らがアケミの懐へと飛び込み、みぞおち付近へ両手を重ねた状態でかざす。
「ふぅ…………フッ!」
息を大きく吸い、短く吐き出した音が聞こえたかと思えば、アケミの胴体を貫通するような鈍い衝撃が走る。
肺の中に溜め込まれた空気や胃の内容物が逆流するような感覚と、後頭部を叩き付けられた時や弾丸を食らった時のものとはまた別物かつ別格な痛みが彼女の脳裏にしっかりと刻み込まれる。
衝撃は全身に回り、足も僅かに震えている。
慣れない衝撃に耐えることで頭が一杯のアケミの視界は、死んだ魚とも深淵とも言えそうな暗く光の無い瞳の少女をしっかりと捉えていた。
「俺は力ではお前に劣るが、技巧であれば少しは勝るッ」
捕まえようとして広げていた腕が掴まれ、肩にかつがれる。
また投げられる。抵抗しなくては。
何をされるのか、されるがままでは不味いことも含めて理解は出来ても、みぞおちに打ち込まれた打撃の余韻が許してくれない。
踏ん張って投げられまいと堪えることもままならない。
アケミの巨体が孤を描いて投げ飛ばされた。
ずがんっ、と鈍い音が夜の住宅街に響く。
「……確かに、貴女が私に勝つ為には技術で立ち向かうしかありませんわね」
「受身無しでコンクリに叩き付けられといて普通に喋るなよ…」
体格差でも筋肉の量と質でも、アケミは自分の可愛い舎弟達をコテンパンにした少女に負ける気はしなかった。身長だけなら自分に近いが、纏っている筋肉は遥かに貧弱。
最初の屋根伝いに逃走していく後ろ姿を追う時も、逃げ足だけは一級品だがそれ以外では劣らないと思っていた。
むくり、と何事も無かったかのようにアケミが話しながら起き上がると少女はガックリ肩を落とす。
「逃走の技術や私を攻略する為にまずは武器を破壊するというクレバーさ、そして何度も私に土を付けさせた技巧。それ等全て、私には必要ないものとして習得しようとすらしませんでした」
アケミには逃走の必要性が無かった。気に入らない奴はぶん殴って黙らせて、ぶっ壊してきた。
武器を破壊するという選択肢が浮かぶこともなかった。そんな細々としたことをせずとも、己の肉体に宿る怪力でもって相手を粉砕出来てしまっていたから。
技巧など得る必要もなかった。トラックを容易く押し退けて戦車を軽々とひっくり返すような怪力の前では全てが無力になると思い、磨こうともしなかった。
「認めましょう、私の認識は誤っていましたわ。貴女は強い」
腕っ節の強さ以外での強さを見せ付けられ、彼女の中での『強さ』というイメージ像にヒビが入る。
怪力の自分が手玉に取られた。フェイントによって出し抜かれて接近を許し、エリザベスと名前を付けるほど気に入っていた重機関銃を破壊された。
投げ付けた軽自動車に激突しかけた時も、しゃがむことで肉体全体を使っての足払いとなり体格や体重で勝る自分が投げられ、あわや激突しかけそうになる失態を晒した。
そして、そんなアケミを少女は助けた。死ぬより痛くて辛い思いをさせてくるかもしれない相手を、さも当然のように助けた。
「私に力でこそ劣りますが技巧では勝ります。精神の気高さでも、おそらく私は貴女に及びませんわ……ですから、誇ってください」
技巧に翻弄された。紛れもない事実であり、その技巧を可能にする貧弱そうな肉体と怯みを知らない精神の強さに純粋な敬意を抱いた。
少女は美人だと純粋な気持ちで口にしてくれていた。ならば自分も賞賛と敬意の気持ちを素直に口にするのが筋だろう。
それを伝えた上で、自分の信じてきた力での勝利をもぎ取る。
拳を握り締めながら少女を賞賛したアケミだったが、当の本人である少女が何も言わないことに疑問を抱いた。
「……どうなさいました?」
俯き、プルプルと震えて何も言わない。
今になってダメージが……いや、そんな響くようなダメージを与えた覚えは……
少女の身に何が起こっているとかと首を傾げそうになったアケミの前で、少女が膝から崩れ落ちて四つん這いになってしまった。
「ど、どうなさいました?」
どう見ても普通では無い。
まさにこれから楽しい闘争が始まろうかというタイミングで相手が崩れ落ちるのはつまらないし、何よりも心配が勝った。
小走りで駆け寄ったアケミだったが片膝立ちをして少女の顔に頭を近付けた途端、ギョッとする。
少女が泣いていた。
「ど、どうなさいました!?」
なんで泣いている? 痛みに耐えられなかったのか?
いやそれは無い、となると物理的な痛みではなく精神的な?
いやいやいや、精神的な痛みを与えたような心当たりは……等々の混乱がアケミの脳内を回る。
「……う、ぐすっ…う、うぅ…」
嘘泣きではない。コンクリートには涙の落ちた跡がポツポツと残されているし、少女の漏らしている嗚咽の声にも演技の気配は感じられない。
そのせいで逆にアケミは混乱を深めてしまった。わんわんと大声をあげてでは無いが、確かに本当の涙を流している。
かける言葉が見つからない。闘争に水を差すような真似を、なんて言葉も思い浮かびこそしたが本気で泣いている相手に投げ付けられる言葉ではない。
「ど、どうしたら…」
「すまん、困らせた」
「いきなり冷静にならないでください!?」
オロオロしそうになった所で急に少女が顔を上げる。嗚咽もピタッと止まり、目元に涙の筋が残っていなければ泣いていたとは思えない。
情緒が不安定なのではないかと訝しむアケミの前で、彼女は地面に胡座をかいて座ってしまった。
「いやぁ……嬉しくてさ、つい泣いちまった。長く生きていると褒められるなんて中々なくてさぁ…」
若いうちは何をしても褒められた。
立ち上がれば大騒ぎになり、綺麗な泥団子を作っただけでも人気者、逆上がりなんて成功しようものならお祭り騒ぎ。
運動会の何かしらで1位でも取ろうものなら、救国の英雄を称えるがごとき勢いで褒め称えられた。
テストで良い点数を獲得しても最初のうちは褒められる。だが、それも大人に近付くにつれて減っていく。
歳を重ねれば重ねる程に出来て当然、出来なければおかしい、出来なければならないという物事や風潮に飲み込まれて生きることが多くなり、誰かから褒められるという経験は縁遠くなる。
それが40代を少し過ぎた頃ともなれば尚更だ。新人や若い子と同じ仕事をこなしても褒められることは無くなり、出来て当然という空気が自然と形成されていく。
「慣れてたつもりだけど……わりぃ、やっぱ嬉しいわ。褒めてもらえるのって」
アケミから送られた嫌味も何も無い純粋な賞賛の言葉は、40年近く生きた中で失われていた褒められることへの嬉しさ、認めてもらえる幸福感を呼び起こすには十分過ぎた。
心の奥底から暖かくなる。悔し泣きや何も無い灰色の人生に絶望して流す涙とは異なる、暖かい涙を流したのは何時ぶりなのかも彼には最早分からない。
分かろうという気も起きない。胸の内に現れた嬉しいという気持ちに任せて、彼はアケミへ笑みを見せた。
「ありがとう、アケミ。なんだか凄く救われた気分だよ」
屈託のない笑み。
やや凶暴性を感じさせつつも十分に美少女と呼ばれるに足る顔付きの彼女が見せる含みの無い笑みは、それだけでも同性すら魅了する魅力を秘める。
そこに、この笑みを浮かべるまでにアケミへと投げ掛けられた言葉が作用した。
美人、顔は男女共通の武器、一目惚れ、嬉しい、ありがとう、救われた……これらの言葉が彼女の頭の中を、目の前の笑顔と共に超高速でぐるぐると駆け巡る。
ボンッッ!!!!
「……ボン?」
謎の異音が響いた。少女の笑顔が疑問の表情に変わる。
「……無理」
アケミは顔を押さえ、しゃがみ込んでいた。
隠し切れていない耳は茹でダコのように真っ赤だ。栗なのに。
「こんな可憐な少女……殴れませんわっ! 無理っ! 無理無理無理です!」
投げ掛けられた数多の甘言と素敵な笑顔。
それ等がアケミの脳内で化学反応を引き起こして絶叫させ、更に予想外の反応を引き起こさせる。
「大丈夫…か?」
心配して覗き込む少女の顔が、アケミの目には妙にキラキラして見えてしまった。
「…………むり、むり、きゅぅ」
「へぁっ!?」
アケミの脳は処理限界を突破し、気絶した。